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★1951年 三菱ヘンリーJ 戦後初のノックダウン車 ~ 自動車カタログ棚から 262

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歴代のランエボに乗っている三菱贔屓の知人に戦後三菱が初めて生産した乗用車ヘンリーJやその後の三菱500やコルトの話をしたところ、そんな古いクルマのことは全然知らないと言われて驚いたことがあった。
現行GT-Rに乗っているのにS54やハコスカGT-RやケンメリGT-Rを知らないという人はまさかいないとは思いますが、例えばマーチあたりの日産車に乗っているのにオースチンはおろか最初の柿の種ブルーバードや最初の縦目や横目のセドリックを知らない人、プリウスあたりのトヨタ車に乗っているのに最初の観音開きのクラウンやパブリカを知らない人、N-ONEあたりのホンダ車に乗っているのにエスロクやエスハチやエヌ360を知らない人、カイエンやパナメーラあたりのポルシェ車に載っているのに356やナロー911を知らない人といったようにクルマはあくまでモノとして使っているのであって、そのブランドの昔のことは知らないし興味もないという人は世の中、案外多いのではないでしょうか。
しかし、考えてみれば私自身も自動車以外の歴史にはまるで疎く、どんなモノ(工業製品)にも歴史があるはずなのに、例えば日常的に使用しているブリジストンの自転車の初期の製品について何も知らなかったり、冷蔵庫やエアコンやステレオといった家電の初期の製品についても知らなかったり、あるいはピアノやギターといった楽器についてもそのブランドの歴史となるとよく知らなかったりと、要するにそのモノの歴史を知らないまま使用しているということは多いのです。使っているモノやそのブランドの歴史を知らなくても、モノをモノとして使う分には何の問題もないということなのでしょうね☆



~閑話休題~
戦前・戦後の空白のため大きく立ち遅れた日本の自動車生産技術の向上を主な目的に戦後ノックダウン(輸入組立販売)およびノックダウンを経て国産化された車として、日野の仏国ルノー4CV、日産の英国オースチン(A40およびA50)、いすゞの英国ヒルマン(PH10およびPH100)、三菱の米国ウイリス・ジープについては既に以下の通り自動車カタログ棚シリーズの記事としています。
ところが、戦後いち早くノックダウンが始められた三菱の米国カイザー・ヘンリーJについては生産台数が少なくリアルタイムでも見かけた人が少ないマイナー車であることやオマケとするミニチュアも手元になかったことから未だ記事をアップしていませんでした。そこで、今回の自動車カタログ棚シリーズでは三菱ヘンリーJをピックアップします。 



【戦後のノックダウン国産車 過去記事一覧】

日野ルノー4CV・・・・・第153回記事

日産オースチンA40・・・・・第103回記事

日産オースチンA50・・・・・第104回記事

いすゞヒルマンPH10・・・・・第155回記事

いすゞヒルマンPH100・・・・・第156回記事

三菱ウイリス・ジープ・・・・・第140回記事


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★戦後、GHQ(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers:連合国軍最高司令官総司令部)により三菱重工業は財閥解体と重工業としての機能細分化のため三菱の名称・商号の使用を禁止され、東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業の3つに分けられた。
1950年(昭和25年)1月、東日本重工業は川崎製作所、東京製作所、横浜造船所、七尾造船所の4事業所体制で発足したが、大きな仕事もなく会社存続が危ぶまれ従業員は明日の生活にも不安を覚える状況にあった。その年の8月、横浜造船所に出入りしていたアメリカ人エドガー・シャープという人物を通して東日本重工業に米国カイザー・フレイザー社の最も安価な乗用車ヘンリーJの組立生産販売の話が持ち込まれた。同社の社長カイザー氏は戦前に造船業で名を成し、戦後、競争の激しい米国の自動車業界に転身を図り、フルサイズのカイザーと共に小型で廉価な乗用車「ヘンリーJ」の製造を開始していた。ヘンリーJの名称はカイザー社長の長男ヘンリー・ジョン(Henry John Kaiser)の名前を冠したものであった。
1950年当時、東日本重工業では密かに独フォルクスワーゲンと技術提携しビートルを国内生産する計画案も持っていたが、単に部品輸入組立の場合には外貨支払い1ドル(=当時360円)だけであるのに対して組み立てた上でアジア諸国へ輸出した場合には倍の2ドルの外貨獲得になるとソロバン勘定をして、夢見ていたVWではなかったが据え膳よろしくヘンリーJ組立生産販売の話が先方から持ち込まれた僅か1か月後の1950年9月にはカイザー社との契約に正式調印をした。
これは戦後の日本のメーカーが外国の自動車メーカーと結んだ組立生産契約(ライセンス契約)の最初であった。その後の輸入車組立生産契約は1952年12月4日の日産自動車~英オースチン、1953年2月11日の日野ヂーゼル~仏ルノー、1953年2月13日のいすゞ自動車~英ルーツ(ヒルマン)と怒涛のように続くこととなった。

★ヘンリーJの国内組立は東日本重工業(1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後の1952年6月には三菱の屋号の使用が認められ三菱日本重工業に改称)の川崎製作所で行なわれ、1951年(昭和26年)6月9日に第1号車がラインオフした。
当初の計画ではヘンリーJの日本でのノックダウンにより年間3000台(月250台)を生産し、500台は日本国内向け、残り2500台をアジア諸国(フィリピン、タイ、香港等)および南米諸国(アルゼンチン、ブラジル、ウルグァイ等)に輸出し、カイザー・フレーザー社にとっての海外拠点の一つとすることになっていた。しかし、当時の日本の平均所得での自動車所有は夢のまた夢の時代であり法人向けとしては2ドアのみのヘンリーJでは販路の開拓が困難であったため国内販売は全く振るわず、輸送コストの嵩む輸出も伸びなかった。ノックダウンに先立つ1951年(昭和26年)1月15日にはヘンリーJ専用の販売会社として東日本重工業の全額出資により東日本カイザー・フレーザー株式会社を設立して大量の生産販売を計画したが、組立に要する日数は当初4日で1台、後に3日で1台となったが、どう頑張っても月産30台が限度という状況であった。しかし、ヘンリーJの組立においては米国本国からスポット溶接機を導入し白塗装にも向く赤外線焼付け塗装を行なうなど国産メーカーとして最初に導入した新しい生産技法が採りいれられたため、後の三菱の車両製造技術のレベル向上に大いに貢献した。

★1952年8月に本国のマイナーチェンジに伴い日本組立車も前後のデザインを変更し(フロントマスクは十字型だったクロームメッキのグリルを横バーのみにフェイスリフト)、併せてそれまでの4気筒に加えてデビュー当初から米本国では設定のあった6気筒80hpエンジンを搭載したデラックス車を加えた1953年型に変更された。
しかし、相変わらず販売は伸び悩み、1953年(昭和28年)3月にカイザー・フレーザー社がウイリス・オーバーランド社と合併し、ヘンリーJの米本国での生産を中止したことに伴い三菱とカイザーの提携は終了した。
業務提携終了後もストックパーツによる国内組立が続けられ、本国での生産中止から1年4ヵ月後の1954年(昭和29年)7月まで三菱での組立生産は続けられた。販売会社の東日本カイザー・フレーザー株式会社は業務提携終了翌月の1953年4月には三菱ふそう自動車に吸収合併された。
三菱製ヘンリーJの前期型は大半が右ハンドル車、国内需要が見込めない状況となった後期型では大半が本国と同じ左ハンドル車として生産され、生産台数はタイおよび当時米国領であった沖縄等への輸出が185台、国内販売が324台の合計509台であった。生産期間が1951年6月~1954年7月の3年1ヵ月(37ヶ月)、月産では14台弱の計算となり、一部三菱系企業の社用車(後年のデボネアのように4ドアではなく2ドアであったため三菱の社用車としてさえ敬遠されたが)を除けば当時の国内においても見かけることの少ない稀少車であった。


【主要スペック】 1951年 三菱ヘンリーJコルセア (1951 Mitsubishi Henry J Corsair)
全長4626㎜・全幅1778㎜・全高1372㎜・ホイールベース2540㎜・車両重量1041kg・FR・水冷直列4気筒2199cc・最高出力68hp/4000rpm・最大トルク15.07kgm/1800rpm・変速機3速コラムMT・前輪独立懸架・乗車定員6名・最高速度:124km/h(77mph)・国内販売価格:不明



●1951年 三菱ヘンリーJ 実働写真
青山 順氏撮影(1971年10月ニ玄社発行「世界の自動車」第36巻 戦後の日本車2より)。撮影場所および撮影時期は不明。後ろに2代目トヨエースが僅かに写っているので1960年頃の撮影と思われる。神ナンバーは神戸でなく東日本重工川崎製作所の地元・神奈川を示すもの。アメ車としては小柄でも排気量は2200cc、全幅は1.8m弱もあり当時の日本では堂々の3ナンバー車。前期型の日本向けの右ハンドルであることがよく判る1枚。
青山(1)51年



●1953年 三菱ヘンリーJ 実働写真
これも青山 順氏撮影(同上)。これも撮影場所および撮影時期は不明だが、道路標識やライセンスナンバーからすると都内で1950年代後半に撮影されたものと思われる。白いヘンリーJの後ろにも黒いヘンリーJが僅かに写っている。
青山(2)53年1

青山(3)53年2リア



●1951年 三菱ヘンリーJ 広報写真
誠文堂新光社発行「自動車のアルバム1951年版」より。これは左ハンドルでボディカラーは白系であることが判る。場所は皇居前?
51年広報



●1953年 三菱ヘンリーJ コルセア・デラックス 広報写真
三栄書房発行モーターファン別冊「自動車ダイジェスト1953年版」より。後期型の左ハンドル車。背景に見えるのは絵画館(明治神宮外苑・聖徳記念絵画館)のようだ。
53年広報



●1951年 ヘンリーJ 本国版 カタログ (縦23×横19.8cm・英文6つ折12面)
1950年8月発行(?)。表紙は、「アメリカで最も重要な新車・・・ヘンリーJ・・・スマートでタフで節約」の文字のみ。蛇腹式に横に折り畳む形式のカタログ。他にホチキス留めされた本カタログが発行されているのか否かは不明。搭載エンジンは4気筒2199cc/68hpと6気筒2638cc/80hpの2種。
51年(1)表紙

【中面から】
カイザー社長
51年(2)カイザー社長

社長挨拶文
51年(3)社長挨拶文

鮮やかなイエローが似合うボディライン
51年(4)全体イエロー

ショッピングに
51年(5)ショッピングへ

休日には家族旅行に
51年(6)家族旅行へ

51年(7)上下2台

リアシートには美女
51年(8)リアシート美女

リアシートを倒して出し入れする貫通式トランク
51年(9)室内貫通式トランク

シャシー図解
51年(10)シャシー図解

エンジンは4気筒2.2Lと6気筒2.6Lの2種
51年(11)エンジン2種4・6気筒

オーバードライブ、ホワイトリボンタイヤ、ラジオなどのオプション
51年(12)オプション・オーバードライブ他



●1952年 ヘンリーJ 本国版 簡易カタログ (縦15×横20cm・英文4つ折8面)
1952年8月発行(?)。表紙に「NEW‘52」と印字があるが1952年8月MC後の1953年型。十字型グリルが横バーのみとなり、グリル内にあったスモールライトは横バーの左右に埋め込まれた他、テールライトがリア左右の峰に移り、外側から開閉できるトランクリッドも付いて実用性は大きく改善された。フロント・ウインドは最後まで2分割のままだった。
52年(1)表紙

【中面から】
開閉式となったトランク
52年(2)開閉式トランク

運転席
52年(3)運転席

リアシート
52年(4)リアシート

52年(5)縦6台

トランク周辺図面
52年(6)リア図面

裏面: エンジン、シャシー、スペック
52年(7)裏面エンジン他



●1953年 三菱ヘンリーJ リーフレット (B5判・日本語・表裏2面)
三菱製ヘンリーJの貴重な印刷物だが表裏のみの1枚物。左ハンドルが主となった後期型のもの。組立工場は三菱日本重工業株式会社川崎製作所、販売店は1953年4月に東日本カイザー・フレーザー株式会社から変更された後の三菱ふそう自動車株式会社の文字が印字されている。
日本語(1)表紙

文字部分アップ
日本語(2)表文字部分アップ

裏面
日本語(3)裏面

スペック部分アップ
日本語(4)裏面スペックアップ





★オマケ(その1): NEO 1/43スケール 1951年 カイザー・ヘンリーJ
全長10.5cm。レジン製。NEO品番45965。国内定価1万円前後と高価だが出来は非常に良い。2015年現在、現行品ながら市場での流通量は少ないようです。ノックダウン車の中でもマイナーな三菱ヘンリーJは1980年頃にリーンレプリカでホワイトメタル・モデルが出る噂を聞いたきり日本製のミニチュアは全く出ていないため、このNEO製が往時を偲ぶことが出来る唯一のモデル。と思っていたのですが、サンスターからも1/18スケールでノーマルに加えてイエローキャブなど多数のバリエーションで出来の良い1951年ヘンリーJが出ているようです。
ネオ(1)

ネオ(2)

ネオ(3)

ネオ(4)

ネオ(5)

ネオ(6)




★オマケ(その2): 1952年? カイザー・ヘンリーJ テレビCM
スタントカーとしてボンネットに人が寝たまま火をくぐるなど、なかなかインパクトのあるコマーシャル。動画タイトルに「1950」と入っているが、フロントグリルや左右端に付いたテールライトから1952年8月MC以降の後期型のCM。何れにしても日本ではまだテレビ放送が始まる前の時代のもの。


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