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★1963年フェラーリ250GTルッソ トミカ・ラフェラーリ ~ 自動車カタログ棚から 374

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ここ数日は湿度が低くて過ごしやすいですね~!しかし、まだ8月半ばですので、このまま涼しい秋になるという訳ではなく、週明けから蒸し暑さが戻り週半ばには猛暑日となる可能性もありとの予報のようですYO☆

JOCの森喜朗会長が2020年夏の東京オリンピック開催に向けてサマータイム導入を提案したことに対して政府も検討を始めているようですが、暑い時間帯の競技を避けることが一番の目的であれば、単に競技の開始時間を1~2時間早めればいいことですので、私は反対です。もし仮に7~9月あたりにサマータイムを導入し時計の針を2時間早めるとなると様々なシステムの改変費用は誰が負担するのでしょう。もし夏の一定期間だけ2時間時計の針が早まったとしたら、平日は基本、朝5時過ぎ起床の私の場合、毎朝3時過ぎ起床という話になり、なかなか体が追いついていけない感じがしますYO☆☆

★閑話休題
2012年(平成24年)6月2日に開始した弊ブログのメイン記事「自動車カタログ棚からシリーズ」も気が付けば今年2018年(平成30年)は4月15日から4ヵ月以上も更新しておらず、今日はこの週末8月18日(土)にトミカ久々のフェラーリ「ラフェラーリ」が発売されて話題になっていることに因んで、1960年代のフェラーリのカタログを簡単にご紹介しますNE☆☆☆


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フェラーリは言わずと知れたイタリアの高級スポーツカーメーカー
最初のクルマは1947年のレーシングスポーツ「125S」でその後はF1を始めとするモータースポーツでの活躍により習得した技術をフィードバックした超高性能スポーツカーを多数リリースしてきた。ほぼ同時期に356でスタートしたポルシェが連綿と356や911を製造してきたのとは異なり、フェラーリが長期に亘り同じ車種を製造した例は少なく少量限定生産が特徴である。その為、いつの時代も非常に高価ではあるけれども高性能で美しいクルマを造り続けてきた。フェラーリは伝統的に一般的な広告宣伝を全く行わないにも関わらず、そのブランドイメージの高さは突出している。

★フェラーリ250シリーズ
フェラーリが1953年(昭和28年)から1964年(昭和39年)にかけて生産しロードカー、レーシングカー共に大きな成功を収めたモデルで、ロードカーは大別して2400mmのショートホイールベース(Passo Corto/SWB)と2600mmのロングホイールベース(Passo Lungo/LWB)があり(コンバーチブルモデルは殆どSWB)、エンジンはほぼ全てのモデルに基本的にコロンボ ティーポ (Tipo) 125 V型12気筒2963ccが搭載された。後継車は、エンジン排気量を増した1964年秋デビューの275シリーズと330シリーズ。
250シリーズには顧客の注文によるワンオフを含め多種多様なボディが存在したが、ピニンファリーナによるデザイン、製作スカリエッティの組み合わせが基本であった。250GTルッソは、車重960kg最高速度270kmの獰猛な250GTベルリネッタ・ショートホイールベース車と更に獰猛なレーシング仕様250GTOとは少々性格の異なる実用性の高い最後の250シリーズとして1962年(昭和37年)秋のパリサロンでデビューした。ルッソはイタリア語でラグジュアリー=luxuryを示し、従来の250GT以上に豪華で高級なグランツーリスモという性格を持つ。ピニンファリーナのデザインしたボディは今日の目で見ても尚充分美しい。大径の速度計と回転計がドライバー正面ではなくダッシュボード中央に位置するのも大きな特徴である。1960年代後半に少年時代を過ごした世代にとっては、マッチボックス・レギュラーシリーズ75番の緑のフェラーリとして記憶に残るクルマでもある。
ルッソは豪華で実用性を増し獰猛さを削ぎ落としたフェラーリとはいえ、他の250シリーズ同様の3リッターV12を積み、最高出力250ps、最高速度240kmという性能は、1960年代前半のロードカーとしては尚トップレベルにあった。当時の販売価格は13375USドル(当時の邦貨換算481万円:当時の日本車ならクラウン5台分程度)であったが、現在の市場評価額は50万ドル(邦貨5500万円)以上と言われる。

【主要スペック】 1963年フェラーリ250GTルッソ (1963 Ferrari 250 GT Lusso)
全長4410㎜・全幅1750㎜・全高1290㎜・ホイールベース2500㎜・車両重量1020kg・FR・水冷60度V型12気筒SOHCフロント縦置2953cc・最高出力250ps/7500rpm・最大トルク26.0mkg/5500rpm・変速機4速MT・全輪ディスクブレーキ・乗車定員2名・燃料タンク容量114ℓ・タイヤサイズ185×15・最高速度240km/h・販売価格:13375USドル


●1963年フェラーリ250GTベルリネッタ カタログ(縦21×横28.5cm・伊独英3ヵ国語併記2つ折4面)
ルッソ(Lusso)の印字のない初期のカタログ(?)。印刷・発行時期の印字なしながら、カタログに掲載されている車両のナンバー文字が1963であることから、1962年秋から1963年にかけての発行と推定できる。8/32と9/34の2種のチューンがあり、低いチューンで最高速度240km、高いチューンでは最高速度246kmと印字あり。
フェラーリの公式サイト内の250GTルッソの解説に、「パリ・サロンに展示され、カタログにも登場したシャシーナンバー3849GTのプロトタイプには、ボンネットのインテークグリルの中央に1本縦にバーが走り、テールパネルには丸形のリフレクター、テールライト、方向指示器が独立して備わっていたが、生産型ではボンネットインテークのメッシュには飾りがなく、一段くぼんだテールパネルには大径のテール/方向指示器/レフレクターのコンビネーションライトが収まる」旨の解説があることから、ボンネット上の小さなグリル中央に縦バーの入り、テールの灯火類が賑やかなカタログ掲載車はルッソの試作車両と思われます。


【中面から】



カタログの試作車では6連テール。生産車ではシンプルな丸型2灯に変更。


英文解説箇所




裏面: スペック


エンジン


シャシー






★オマケ(その1): 英マッチボックス75番 1/62スケール1963年フェラーリ・ベルリネッタ
全長7.3cm。ダイキャスト製。当時定価150円。私が小学校低学年の頃に遊んだ懐かしのミニカー。ワイヤーホイールとスチールホイールのバリエーションがある他、スーパーファスト(スピードホイール)移行時に赤塗装が少数市場に出ています。牽引している9番のモーターボート・トレーラーは、マッチボックスに大きな影響を受けて誕生したトミカが後にヤマハボートトレーラーをリリースしたことを思い出します。73番のフェラーリF1もマッチボックスの1960年代半ばのモデルです(本来乗っているドライバーが行方不明w)。










★オマケ(その2): 仏ディンキー1/43スケール1961年フェラーリ250GTE & 伊TOPMODEL1/43スケール1961年フェラーリ250GTクーペ
青のフランスディンキーは1960年代モノで全長10.5cm、1990年代に売られたトップモデルは全長10cm。何れもダイキャスト製。個人的にはこの時代のフェラーリが最も美しいと思います。




仏ディンキーはボンネット・トランク開閉アクション付




★オマケ(その3): 今井科学ミリオンレーサーシリーズNo.3 1/35スケール程度 1956年フェラリーF1 プラモデル
全長11.5cm。箱サイズ: 縦9.6×横15×厚さ2.5cm。日本のプラモ黎明期のキット。組立説明書に1956年型云々との記載あり。1960年代の日本ではプラモデルの箱の車名の印字はフェラーリではなく、このように「フェラリー」の場合が多かったのです。




★オマケ(その4): 二玄社CARグラフイック1962年9月号「特集 フェラーリへの招待」(B5判・162頁)
恐らく日本で最初に出たフェラーリの本。カーグラ通巻第6号。初期のカーグラは1号1車特集の方針で編集され、1号メルセデス・2号ジャガー・3号フォード・4号ニッサン・5号MGと発行され、6号で読者からの要望が多かったフェラーリ特集を出した。この号の編集後記に「何しろわが国にはフェラーリは1台もなく、フェラーリ特集の実現には苦労した」旨が記載されています。そのような時代に宮川秀之氏がモデナのフェラーリを訪ね、250GTベルリネッタの公道での試乗をして220キロまで出してきたという巻頭のロードテストの記事はなかなか興味深いです。同時代の国産プラモデルとは異なり、フェラリーではなくフェラーリと印字されています。


エンツォからCGへのメッセージ


魅力的なロードテスト記事




★オマケ(その5): トミカ62-?番1/62ラフェラーリ&トミカプレミアム06番1/61フェラーリ・テスタロッサ&トミカタウン「フェラーリ・ショールーム」&トヨタダイナレッカー車
2018年8月18日(土)発売新製品。定価はトミカ税抜450円、トミカプレミアム税抜800円、フェラーリ・ショールーム税抜2500円。30年振り位?のトミカのフェラーリ・ロードカーということで前々から話題になっていたラフェラーリがついに発売。これまでのトミカよりミニチュアとしてのレベルが高くタカラトミーが特段に気合いを入れて造った感じがします。黒/赤が通常品、黒が初回限定、黒/白がトミカ博限定。プレミアムのテスタロッサは赤が通常品、白が発売記念限定品で他に黄色が8月末にタカラトミーモールの予約販売のみで出るようです。黒/白は8月18日からトミカ博会場だけで販売というので、18日はまず家電量販店で初回限定や通常品などの新製品を一通り入手したあと、11時頃にパシフィコ横浜へ行くと何とラフェラーリは10時の開場から僅か1時間にも関わらず完売しており、たまたま会った知人に1台だけ分けて戴きました。3台位は入手して、1台はお中元に送るつもりでいたのに残念でした。但し、現在は品切れというだけで、この黒/白のラフェラーリは再生産し今後の各地のトミカ博でも売られるとのことです。横浜のトミカ博ではラフェラーリ初回の黒は何と1人当たりの購入台数「無制限」で出されてウン十台と買う人も少なからずいて一瞬で無くなったとの話です(汗)。




テスタロッサはまだ未開封のため、レッカーに牽かれているのは昔の91番です。




1/43スケール・ブラーゴ製ラフェラーリとトミカの比較






黒/白のラフェラーリは何と、トミカ博の開場から僅か1時間で完売((゚m゚;)




★オマケ(その6): 1963年フェラーリ250GTルッソ 実車動画
赤いルッソ、何とも美しいクルマです♪




★1974年ユニカ85ランボルギーニ・ブラボー ~ トミカ横浜市営バス&サンリオ京王バスetc

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しかし、8月も残り1週間を切りましたが残暑が厳しいですね~(>_<)
今日2018年8月26日(日)の東京の最高気温は37度、さいたまや甲府の最高気温は38度と予想されています。あと1ヵ月位し彼岸が過ぎるまでは、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りに暑い日は多いと思うと頭が痛いですよね~☆


実は8月の初めにも1週間くらい風邪を引いていたのですが、また、どうも風邪を引いてしまったようでして、鼻水、クシャミ、喉の違和感、節々の痛み、お腹の痛み、トイレが異様に近いと諸々の症状が出ています。この頃、帰宅して少しピアノやギターを弾いてストレス解消をした後、横になるとそのまま夜9時位に眠ってしまい、4時間位眠ったところで午前1時位に目覚めてそのまま二度寝せずに1日過ごすというようなパターンの日が幾日かあったりしたので、疲れが貯まっているのかもですね~(>_<)
そんな時はゆっくり休養をとるのが第一であって、俗に「風邪に薬はない」とも言いますが、どうも鼻水の出方が尋常ではないので、これからちょっと薬剤師さんのいる薬局である程度効く薬を買ってこようかと思いますYO☆☆


閑話休題
今日はスーパーカーブーム時代のちょっと珍しいミニカーをご紹介します。しかし、Web上を検索してみたら、何と既にこのミニカーは紹介されてる方がいまして二番煎じとなってしまいますが、そこはあまりメゲげずに週末1回更新のペースを崩さないよう簡単にアップしますNE☆☆☆



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ランボルギーニ・ブラボー(Lamborghini Bravo)は1974年(昭和49年)のトリノ・ショーのベルトーネ・ブースでベールを脱いだミッドシップのコンセプトカー。
ウラッコをベースに次期ウラッコを視野にベルトーネにより開発・デザインされたが、試作車1台のみに終わり量産・市販はされなかった。「ブラボー」の車名はランボルギーニの命名に多い闘牛の雄牛の品種から採られたもの。1970年代の時代の最先端を行く超ウェッジシェイプのボディを纏い、前後には夥しい数の冷却用スリットが付いていること、鍵型サイドウインドなど実験的なデザインが為されていることが特徴であり、恐らく市販するには超えるべきハードルがあまりにも多かったため、量産はされずに終わった。フォルム全体はカウンタックに通じるものがあり、また、1978年(昭和53年)にカウンタックLP400Sに採用され、ポルシェ928も近似したデザインを採用したテレホンダイヤル風のマグネシウムホイールは新しくブラボーのためにデザインされたもので、このホイールが俗に「ブラボーホイール」と呼ばれたのはこのクルマが最初に採用したため。

★ベルトーネ(BERTONE)はイタリアのトリノを拠点として1912年(明治45年)に創設された名門カロッツェリアであり、ジウジアーロやガンディーニといった伝説的なカーデザイナーを輩出したが、2014年(平成26年)に経営破綻した。
破綻に先立ち、ベルトーネ・ミュージアムに保管されていた貴重な試作車両は全てオークションに売りに出され、このブラボーも2011年の3月21日に行われたRMオークションにて日本円7000万円程度で落札された。現在の世界的な旧車ブーム到来前夜のことであり、同時に落札されたストラトスの試作車も9000万円台と東京都内に一戸建てを建てる程度の価格であった。何れも自動車史に残る貴重な1台限りの試作車両としては破格の安値であったと言えるのではないだろうか。

●実車画像   ※Web上にある画像をお借りしました。






1977年(昭和52年)、スーパーカーブームの最中にブラボーは一度だけ上陸し晴海で展示された。




コクピット



【主要スペック】 1974年ランボルギーニ・ブラボー1974年 (1974  Lamborghini Bravo)
全長3775mm・全幅1900mm・全高1050mm・ホイールベース2275 mm・車重1085 kg・ミッドシップ・
水冷2996ccV8エンジン・最高出力300hp/7,800 rpm・最大トルク237 ft/4,000rpm・乗車定員2名・燃料タンク容量80ℓ・ホイール15インチ・最高速度275km/h


★ユニカ85 1/50スケール?1974年ランボルギーニ・ブラボー
ダイキャスト製(シャシーはプラ製)。全長82㎜・全幅38㎜。全長比で1/46スケール、全幅比で1/50スケール程度とトミカより大き目。室内のシートやハンドルも作り込まれています。当時定価:不明。
1970年代後半、日本のスーパーカーブーム期に短期間販売されたと思われる知られざるミニカー。85というのはミニカーの大きさを示しており、85以外にF-1メインの120シリーズが存在したようです。85シリーズは、No.1ランボルギーニ・ミウラ、No.2フェラーリ5122BB、No.3マセラティ・ボーラ、その他、ドリームカーと称してこのブラボー、マセラティ・ブーメラン、フェラーリ512S、アルファロメオ・ナバホの現存が確認されていると言われていますが、このブラボーの裏板にNo.11の刻印があるため、シリーズ最後がブラボーとしても少なくとも4台は車種が不明であり、製造・販売されたモノの全貌は不明です。ユニカ85は、初めはガム付の食玩として売られたと言われますが、このブラボーはガムなしで販売されたようです。パッケージに印字された、「オリォン」がメーカー名でしょうか。発売元は埼玉県三郷市の株式会社セブンとの印字があります。その他、このブラボーのパッケージにはイタリア国旗柄が入り、スペックも印字された上にSTマーク以外に日伊デザイン協会・後援のシールが貼られ非常に賑やかです。日本に上陸した実車同様の黄緑ボディですが、他にカラーバリエーションが存在したのかどうかは不明です。

未使用デッドストック品
















日伊デザイン協会・後援のシール


シャシー裏面: ユニカ85 No.11の刻字






★オマケ(その1): トミカNo.93 1/141スケール三菱ふそうエアロスター「横浜市営バス」
全長7.5cm。ダイキャスト製。今年2018年夏の横浜トミカ博では台数無制限で売られて初日の10分位で完売し、改めて8月25日(土)の午前9時より2000台限定1人5台までの制限を付けて横浜市営地下鉄の「横浜駅」で販売するというので(税込1台1000円)、私はバス大好き人間なので買いに行ってきました。午前6時に家を出て販売開始時刻の1時間以上前の8時前に販売場所に着くと何と誰も並んでおらず整理券を配っていました。貰った整理券の番号は326。販売開始の1時間以上前に325人が来ていたことになります。いや、皆さん朝早くから熱心ですよね~。しかし、400人が皆5台買うと完売の計算ですから、私の後は70数人、恐らく9時以降に行ったのでは入手は難しかったのではと思います。細かいタンポ印刷がなかなか魅力的なミニカーです。5台もいらないかなと思いつつ、せっかく東京から2時間弱もかけて来たのだからと5台購入しました(1台1000円ですが、速攻でヤフオクには1台2500円とか3000円とかで大量に売りに出されているので、皆さん商売熱心ですよね~笑笑)。







販売開始の1時間以上前に行って、整理券番号は326!!しかも、この番号の販売時間は2時間15分以上後の10時15分!


横浜駅前の横浜市営バス実車








★オマケ(その2): トミカNo.101 1/156スケール日野セレガ「京王バス・サンリオピューロランド号」
全長7.5cm。ダイキャスト製。実車は都下多摩地区と成田空港を結ぶ空港連絡バスのミニカー化。2018年8月22日(水)から多摩動物公園駅前の京王れーるランドにて1人2台までの制限で販売するとのことで(1台税込1000円)、横浜で市営バスのトミカを買ってすぐ新宿に戻り、京王れーるランドにお昼に到着。3000台と数が多いこともあってか、トミカを買いに来ているような人はあまり見かけませんでした。京王れーるランドは入館料が250円(3歳以上一律)ですが、トミカは入館しなくても買えます。しかし、このバス、昨年2017年に売られたピンクのものは数が少なかったのか4000円以上の高値で流通しており、ピンクとこの空色と2色揃えたいところですがなかなか手が出ません。シールが付属しないので側面も全てタンポ印刷かと思っていましたが、側面のキャラクター部分は残念ながらシールが貼られています。これって、トミカコレクターさん以外にキティコレクターさんにも喜ばれるトミカですよね♪






ルーフにも細かく綺麗に印字


基本的にNゲージは蒐集対象外なのですが、京王れーるランドオリジナルのパッケージに惹かれてトミーテック鉄コレの2400形保存車も購入(税込1130円)。




★オマケ(その3): ドリームトミカSP ドライブヘッド 機動救急警察専用車 1/62スケール 日産 GT-R 警察ver.&消防ver.
2018年8月24日(金)発売新製品。ダイキャスト製。価格:税抜800円。イオンシアター限定の3台セットを買って既に中味は持っていますが、単品の箱もなかなか魅力的なので購入しました。これで単品も警察・消防・救急と揃いましたね~♪今後トミカは9月発売の富士急ハイランド ド・ドドンパや交通安全セットが凄く楽しみですよね~♪






★オマケ(その4): 京王れーるランドの展示車輛達
トミカを買いに行ったついでに入館した京王れーるランドの展示車輛達など。

高幡不動~多摩動物公園駅間の草生したレールがそそります♪




夏の昼下がりの京王線「多摩動物公園駅」


駅のすぐ横に「京王れーるランド」入口


切符のような入場券



1941年(昭和16年) 2410号車デハ2400形





1961年(昭和36年) 2015号車デハ2010形





1969年(昭和44年) 5723号車クハ5700形・・・関東地区初の冷房付通勤電車。





1979年(昭和54年) 3719号車クハ3700形・井の頭線用・・・やはり京王というと、1980年代、吉祥寺から通勤に毎日乗っていたこの車輛にそそられます♪





1989年(平成元年) 6438号車デハ6400形






★オマケ(その5):マルサン商店 ウルトラQ四次元の怪獣「トドラ」プラモデル未組立品

2018年8月26日(日)夜10時36分ヤフオク終了品。凄く懐かしく、もし高くなければ欲しいアイテムですが、ウルトラQに思い入れのある世代なら皆が一様にそそられるビンテージ円谷系プラモの価格は天井知らずのため、幾ら欲しくてもおいそれとは買えません(汗)

オークションURL



中味




★オマケ(その6): 1974年ランボルギーニ・ブラボー 実車動画

★米澤/三陽(トミー)1953年ジャガーXK120 童友社~ブリキ自動車コレクションから011

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さて、もう9月!今年も残り4ヵ月ですね。しかし、今年は何だか台風が多いですよね~。今日9月2日(日)の東京は最高気温が24度と涼しくて有難いのですが、このところ雷雨がやたらと多く、明後日4日(火)あたりからは台風の影響も心配ですね☆

さくらももこさん、ありがとう・・・。
10月3日発売の集英社のりぼん2018年11月号には、8月15日に他界したさくらももこさん(1965年5月8日-2018年8月15日)の追悼特集として別冊付録「ありがとう」が付属するそうです。「ちびまる子ちゃん」の第1話「おっちゃんのまほうカードの巻」とりぼん本誌に最後に掲載された単行本未収録の第132話「ぜんぜん知らない親戚の人の巻」を掲載。なお同号はダブル表紙となり、一方の表紙に「ちびまる子ちゃん」が登場するようです。さくらももこファンとしては、買い逃せないですね~♪
私は1990年代、30代前半の頃に職場で密かに好意を寄せていた1歳年上のちょっと派手で魅力的な女性(既婚者)から、「ポルシェさんって暗い感じとか、まる子に出てくる藤木に似てるよね~」と、よくイジられていたのですが、実際、私は子供の頃から決して明るい性格ではないですし、藤木と同じくスポーツはスケートしか得意なものがない点も似ています。
ちびまる子ちゃんは、さくらももこさん自身の子供時代=1970年代前半が時代設定となっていますが、登場する当時のスター達(百恵ちゃん、秀樹、城みちる等)を知らずとも描かれている世界は世代を問わず心の琴線に触れる普遍的なもので、将来に亘って読み継がれていくことでしょう。そこは、世代を問わず聴き継がれているビートルズの普遍性とも似ています(ちなみに、さくらももこさんもビートルズファン)☆☆


閑話休題
今日はあまり時間もありませんでして、しかし、週末1回更新のペースは何とか維持したいということで、ブリキ自動車コレクションの第11回記事として米澤玩具(ヨネザワ)販売、三陽工業(後のトミー、現在のタカラトミー)製造の名品ジャガーXK120を簡単にご紹介しますNE☆☆☆
 


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★ジャガーXK120実車  (1949年~1954年)
1948年(昭和23年)秋、戦後初めて開催されたロンドン・ショーの人気の焦点はブロンズ・カラーの美しいジャガーXK120ロードスターであった。即ち、XK120は戦前1936年から1940年にかけて生産された名車ジャガーSS100に代わる高性能スポーツカーとして1948年10月のロンドン・ショーでベールを脱いだ。SS100同様、ジャガーの創業者ウイリアム・ライオンズ(William Lyons、1901年9月4日-1985年2月8日)自身がデザインした細く低く流れるように美しいボディにXK型3442cc6気筒DOHC 160psエンジンを載せた抜群の高性能はデビューと同時に北米を中心に爆発的な人気を呼んだ。200kmオーバーの最高速は当時世界最速の1台でもあった。
ロードスターのみでデビューしたXK120は1951年(昭和26年)3月に美しいフィクストヘッドクーペ(FHC:固定型ルーフのクーペ)、1953年4月にはドロップヘッドクーペ(DHC:完全な内貼りを持った耐候性の高い幌付オープンクーペ)が加えられた。また、1952年には圧縮比9で190psを発生する高性能グレードXK120Mが追加された。なお、XK型エンジンは、XK120の登場から1997年まで半世紀近くもの長寿を誇った戦後ジャガーの傑作エンジンとなった。1951年以降、ワイヤホイールがオプション設定されたが、センターロックナットが干渉するため、ワイヤホイール装着車では美しいリアのスパッツは取り除かれた。リアルタイムで日本国内には駐留米軍人がかなりの台数を上陸させた。


★米澤玩具/山陽工業1/21スケール1953年ジャガーXK120
ジャガーXK120のような丸味の強いボディのブリキ素材での玩具/模型化は難しく、リアルタイムの日本製ブリキとしては、増田屋齋藤貿易、マルサン商店、アルプス、米澤と実車の人気を反映して多数が競作され、XK140以降では萬代屋(現バンダイ)からもリリースされたものの、ズングリとして実車の持つスタイリッシュなイメージからは程遠い製品が多い。そのような中で、米澤玩具(ヨネザワ)ブランドで販売され、三陽工業(後の富山商事~トミー工業、現在のタカラトミー)が製作したXK120は実車の持つ美しさを巧みに再現した名品。全体の造形バランス、細かなパーツを組み合わせた繊細かつシャープな造りは正に今眺めても惚れ惚れするような出色の 出来栄えと言える。自動車史/自動車文化史の第一人者であった五十嵐平達氏(1924年-2000年)も数ある1950年代のジャガーXKシリーズの日本製ブリキの中からこの米澤/三陽製品を購入されている(五十嵐コレクションは現在は全てトヨタ博物館所蔵)。このジャガーについて東京玩具商報等の当時の玩具業界誌に広告が掲載されておらず、また、1950年代の米澤玩具発行のカタログも入手できないため品番等は不明。


【主要データ】 米澤玩具(ヨネザワ)販売/三陽工業製造 1/21スケール 1953年ジャガーXK120

・品番: 不明
・全長:20.0cm (実車4270mm・実車比:1/21.3スケール)
・全幅
:7.2cm (実車1550㎜・実車比:1/21.5スケール)
・ホイールベース:12.4cm (実車2590mm・実車比:20.9スケール)
・基本素材:ブリキ
・動力: 後輪フリクション・モーター
・室内ハンドル位置: 左のみ
・カラーバリエーション: 赤、白、空色等
・裏板(シャシー)刻印: 桜に「Y」字の米澤ロゴマーク及びトミー創業者である富山栄市郎氏のイニシャル「E.T.co」の入った三陽工業ロゴマーク及びJAPAN
・商品パッケージ(箱): 英字1種(日本語表記の物はなし。被せ箱:上面に米澤商標、側面に三陽工業の商標)
・発売時期: 1956年(昭和31年)? ・・・・・繊細な造りから実車と同じ1950年代前半ではなく1950年代半ば以降の発売と推定。
・当時定価: 不明(都内 ?円・地方最低売価 ?円)
・市場評価額: 2004年発行のブリキ自動車玩具ガイド本「The Big Book of TIN TOY CARS」(Schiffer)では、Mint(ミント)450ドルとの記載あり。しかし、米澤/三陽のXK120は現存数が少ないことを考慮すると、この本の評価は少々低目の印象があり、元箱付の未使用ミント状態であれば8~12万円程度の評価は出来るものと思われます。三陽工業の後身であるトミーが1970年代初頭に発売した香港トミカのギャランGTOや初期1Aホイールのトミカよりこのジャガーの方が市場評価額は低くとも、稀少価値は遥かに高いはずです。長い歳月を経た味わいやサイズが大きく造りも丁寧なモノとしての存在感で比べれば、言うまでもなくトミカはこのジャガーXK120には遠く及ばないと個人的には思います。


息を呑む程に美しいリアビュー








青い356は大きさ比較用のトミカ






赤ボディ






シャシー裏面には三陽工業と米澤玩具の商標が並んでいます。


空色ボディ






魅惑のヒップライン


コクピット


ホワイトリボンには「JAGUAR」のロゴ


箱の米澤商標(右下)


箱の三陽商標(左下)



五十嵐平達コレクションの米澤/三陽ジャガー白ボディ(ネコ・パブリッシング1996年8月10日発行・五十嵐平達著「写真が語る自動車の戦後」より)


1950年代の全国玩具人形商標総覧に掲載されたトミー/富山の前身「三陽工業」のデータ






★オマケ(その1): 1962年日活「憎いあンちくしょう」 (後半) 
1962年(昭和37年)7月8日劇場公開・イーストマンカラー104分。監督:蔵原惟繕(クラハラコレヨシ:1927年5月31日-2002年12月28日)。石原裕次郎(1934年12月28日-1987年7 月17日)、浅丘ルリ子(1940年7月2日-)主演。テレビは未だ大半の放送が白黒(日本のテレビ放送の完全カラー化達成は、この映画公開から15年を経た1977年10月)でカラー映像は映画館以外では観られなかった時代の映画。公開時、裕次郎27歳。全ての仕事を投げ出し三菱ジープJ3(1950年代の左ハンドル車)を東京から九州阿蘇まで無報酬で陸送する仕事を請け負ったマスコミの寵児である主人公(裕次郎)とそれをジャガーXK120(主人公の愛車)で追うマネージャー兼恋人(ルリ子)が東京から日本列島を縦断し阿蘇に辿り着くまでを描く日本初のロードムービー。自動車好きなら必見の日本映画。映画撮影時、21歳だった浅岡ルリ子さんは、ジャガーで国道を飛ばし(名神も東名も存在しなかった時代です)、狭い路地でバックさせるなどなかなかの運転の腕前です。山奥の狭隘な極悪路でジャガーXK120は裕次郎が三菱ジープで牽引するも最後はルリ子だけ何とか助ける形でジャガーは谷底に落下。しかし、残念ながらさすがにジャガーを撮影のために潰せなかったとみえ、落下場面ではジャガーが他の車に差し替えられています。


出光スタンドにて








★オマケ(その2): プラモデルとパッケージ原画展~下町の模型メーカー童友社プラモデルの魅力
2018年(平成30年)7月21日(土)から9月9日(日)まで、都電荒川線「荒川二丁目」電停から徒歩1分の「ゆいの森あらかわ」3階 企画展示室で開催されている、童友社保存のプラモデル原画展に行ってきました。

地下鉄日比谷線を降りて日光街道/国道4号をちょっと歩いたところにある、この梅沢写真会館のトンネルを抜けると都電「三ノ輪橋」電停。このあたりの景観は初めて訪れた40年前(1970年代後半)とあまり変わっていません。


都電荒川線「三ノ輪橋」電停




ホーロー看板がレトロ感を演出。



「三ノ輪橋」電停近くで見かけた1泊1200円!の「極楽旅館」(入り口には極楽荘の文字)。一晩雨風を凌げるだけでも、今時1200円は安い。極楽だなんてネーミングもイケてます。30日滞在して3万6000円。パック料金で漫画喫茶で夜を明かすより安いのでは。帝国ホテルのスイートは1人1泊29万7000円しますが、ここに泊まっても帝国ホテルのスイートに泊まっても人間眠りに落ちてしまえば一緒のような気がします。1泊1200円の方がかえっていい夢が見られたりしてね(笑)
そう言えば、以前、小説家志望の知人が渋谷109まで徒歩10分以内なのに家賃が月2万5000円(ということは1日あたり800円位!)のところに住んでいて、風呂・トイレなし(トイレは共同使用)で4畳半一間ながら、渋谷の繁華街は近いし住めば都だと言っていたことを思い出しましたYO。



ゆいの森あらかわ。図書館がメインの施設で大勢の利用者で賑わっていました。


施設内にはカフェもあります。


プラモデルとパッケージ原画展。箱絵の原画は著作権の関係で残念ながら撮影不可


童友社・内田宗宏社長の挨拶文


荒川区長の挨拶文・・・このイベントは荒川区主催


童友社の歴史


童友社が倒産した国産プラモメーカー(緑商会、相原、尾高、マルザン、山田、大滝、日東等)の金型を買取って蘇らせていることは知られていますが、1975年にマッチボックスの金型も買取とあります。マッチボックスでもダイキャストミニカーではなくプラモデルの金型を買い取ったのでしょうか。


1960年代のキット。オランダ風車型扇風機がそそります♪


1960年代のスロットレーシング・キット。フェラーリは、60年代は童友社でも「フェラリー」ですね♪


●都電荒川線「三ノ輪橋」~「荒川区役所前」動画




★オマケ(その3): 童友社1/32スケール 1967年マツダコスモスポーツ・パトロールカー

童友社繋がりで手持ちの童友社のプラモを最後に。全長12.5cm。箱サイズ:縦14.5×横24.5×厚さ3cm。当時定価150円。マジックモーターカーシリーズNo.6。童友社オリジナルの1960年代のキットで同シリーズの他の車種は以下の通り。No.1ダイハツP5、No.2日野サムライ号、No.3マツダコスモスポーツ(ノーマル)、No.4ニッサンR380-Ⅱ、No.5トヨタ2000GT。白黒塗装の黒い部分はシールを貼るというお手軽キット。箱絵のコスモスポーツ前期型の品8ナンバー警視庁パトカーと0系新幹線がそそります♪


箱側面にマジックモーターカー・シリーズ一覧

★1972年緊急指令10-4・10-10 吉祥寺今昔 ~ レコード・ソノシート棚から 003

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この頃、何だか天災が多くて心が折れるという人も多いことと思います。しかし、9月6日に震度7の地震が発生した北海道の厚真町(あつまちょう)の人口密度は11.5人/km2。それに対して、東京都の人口密度は何と546倍の6283人/km2ですので、仮に人口密度と死亡者数が比例するとしたなら、北海道で20人の死亡は東京なら死亡者1万人を軽く超えるという話になります。例え最新の耐震構造・免震構造の建物に住んでいても、天災には負けて崩れ落ちてしまう可能性はあり、どこに住んでいても大地震への備えが必要ですよね☆

今朝の朝日新聞の人生相談に姜 尚中氏(カン サンジュン:1950年8月12日-)が、世の中には悪事に長けているのに幸せな一生を送り大往生を遂げる幸運な人もいる一方でどんなに頑張って正直に生きても報われず早世したり、戦争や貧困、飢餓、虐待などで若くして命を落とす人がいる理不尽について、特にそのような理不尽な死に方をした人が身内や身近にいた場合、信仰の世界にでも生きない限り理不尽に対して心は安らがないかもしれない、そんな時には故人との思い出、例えば真夏に故人と一緒にかき氷を食べた時に凄く嬉しそうな顔をしていたことを思い出すとか、何気ない日常の幸せな光景を思い出すことがよいと書かれていて、成程と思いました☆☆

閑話休題
しかし、今日9月8日(土)の東京は夏のような暑さでしたね。明日、9月9日の日曜日は早朝から仕事になってしまいまして、ゆっくりと記事を作る時間がなく、文字通りのやっつけ記事になってしまいますが、週末1回更新のペースを崩さないよう今日は「レコード・ソノシート棚から」シリーズの第3回記事として1972年の緊急指令10-4・10-10を簡単にご紹介しますNE。もしソノシートを録音する時間が出来ましたら、追加でYoutubeに音源をアップするかもしれません☆☆☆
 


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●「緊急指令10-4・10-10」スバルレオーネ クーペと毛利チーム



★1972年NET/円谷プロ「緊急指令10-4・10-10」主要データ

●放送期間: 1972年(昭和47年)7月3日-12月25日
●放送曜日/時間: 月曜日19:30-20:00
●放送回数: 全26回(26話)
●放送局: NET系
●制作: 円谷プロダクション・NET
●監督:浜野信彦、上野英隆、本多猪四郎、村瀬行光、深沢清澄
●脚本:田代淳二、柴田敏行、渥美啓史、高久進、藤川桂介、田口成光
●プロデューサー:大村拓三、高橋亦一
●出演者: 黒沢年男、水木襄、池田駿介、牧れい、大野志郎、深沢裕子、湯原一昭、松岡淳一 他
●スポンサー: 三菱電機、トミー

●概要
「緊急指令10-4・10-10」(きんきゅうしれいテンフォーテンテン)は、1972年(昭和47年)7月3日から同年12月25日まで、NET系列の月曜夜7時半~8時枠にて全26話が放送された実写特撮番組。「10-4・10-10」とはアメリカのCB無線や警察無線で使われる用語で、「10コード」と呼ばれるものであり、「10-4」(テンフォー)は「了解」、「10-10」(テンテン)は「通信終わり」を意味する略語。 タイトルを日本語に略すなら、「緊急指令・了解・通信終わり」の意味となる。
物語は、各地の無線愛好家たちが様々な事件に遭遇、無線を通じて事件を知った「毛利チーム」が調査に乗り出し、謎を解き明かす様子を描く。毛利チームの活動は怪獣・宇宙人の撃退から家出人の捜索・非行少女の更生支援まで幅広く、内容の自由度の高さは円谷プロ作品の中でも群を抜いていた。尤も、あくまで民間組織が中心となって対応したため、規模の大きさでは他作品に劣る面もあるが事件に関わった人々の姿も丁寧に描かれている。レギュラー陣は「毛利チーム」と呼ばれるグループに所属しているが、通信手段がCB無線であるため、無線装置を所有する者なら誰でも通信を傍受し、会話に参加することが可能である。そのため、事件の調査依頼から解決のための手掛かりとなる情報の提供まで、チーム外の無線愛好家から寄せられる情報がストーリーの進行上重要な鍵となっていた。最終話の如く、無線のネットワークを悪用される危険もあるが、劇中では毛利チームを含む無線愛好家の大多数が善人として描かれているため、全編を通じて健全な作風となっている。企画はNETと電通による「CB無線物語シリーズ テン・フォー、テン・テン」をベースに、企画を持ち込まれた円谷プロダクションが「怪奇大作戦」の要素を少年向けに再構築したものでる。電通のプロデューサーは、自身が愛好する黒沼健の怪奇小説のような趣向を目指していたと言われる。無線を題材にしたことから、当時無線機に力を入れていた三菱電機がメイン・スポンサーとなっているが、玩具メーカーのトミーもスポンサーを担っていた。企画段階でのタイトルは「電波特捜隊」で、怪獣のデザインを担当した米谷佳晃は、企画段階から作品に携わっており、設定考案、マーチャン企画提案も行った。登場人物を一新した続編も検討されたが実現には至っていない。2013年(平成25年)7月12日及び同年9月13日に東映ビデオから全話がDVDボックス上下巻の形で発売された。(Wikipediaより抜粋)


●エルム ドラマ入りフォノシート 「緊急指令10-4・10-10」 応答せよ!電波特捜隊 (縦20.5×横20.5cm・ハードカバー14頁+ソノシート1枚)
1972年(昭和47年)10月1日第1刷発行。発行所:株式会社エルム。発行人:今井恒雄。絵:葵 遠三郎。レイアウト:上田 敬。印刷:東京川崎印刷。製本:小高製本工業。ソノシート番号B-38。当時定価:290円。中古市場流通価格:2000~3000円程度(2018年現在)。331/3回転のソノシートA面・B面に「応答せよ!電波特捜隊」の物語入り。






ソノシート




















装備解説




主題歌「歌詞」


裏表紙






★オマケ(その1): トミカダンディ14-1番 1/45スケール 三菱コルトギャランGTO「緊急指令10-4・10-10」
全長9.2cm。ダイキャスト製。トミカダンディNo.1-1として1972年5月にギャランGTOがオレンジと青メタで発売された後、ボディカラーを赤に替えて「10-4・10-1ギャラン」の商品名で発売。裏板はNo.1のまま。トミカNo.79‐1やマスコミトミカとして、No.13-1のギャランHTを赤塗装に替え「10-4・10-10」のシールを貼ったモデルもリリースされています。トミーは劇中で使われたレオーネクーペを作っていなかったため、番組スポンサーの三菱電機と関連のある三菱車を「10-4・10-10」仕様に仕立て上げたのでは。当時、レオーネクーペのダイキャストミニカーは米澤玩具(ヨネザワ)がチェリカ100シリーズで出しており、もし米澤がスポンサーであったならレオーネ「10-4・10-10」仕様が売られていたかもしれません。






フル開閉アクション付




★オマケ(その2): エーダイ1/25スケール スバルレオーネ・クーペGSR プラモデル
全長13.5cm。キットNo.204。当時定価300円。エーダイのこのシリーズ、中学生だった私でも気軽に買える値段だったことから、ダルマセリカ、ギャランGTO、230HTなども当時作った想い出があります。



●エーダイ1/25スケール スバルレオーネ・クーペGSR 「10-4・10-10」プラモデル
ヤフオクに出品された際の画像。ノーマルの流通価格は高くても5000円程度のところが、「10-4・10-10」仕様になると余程現存する数が少ないのか24~25万もの高額で落札されています。




★オマケ(その3): トミカラマ・ヴィンテージ04c 中古車店「アクセル426」
2018年9月8日発売新製品。税抜定価8500円。品番が「c」ということは、トミカラマ・ヴィンテージ中古車店の第3弾。高価なこともあり、第1弾と第2弾は買ってないのですが、市場から消えると入手が難しいため今回は少々迷った末に購入。実在する中古車店の模型であるところがそそります♪手前に写っているのは、同じく9月8日発売の1980年角目ジャパン限定車ゴールデンカー(税抜定価2300円)。




★オマケ(その4): 吉祥寺今昔写真集 
A4判・171頁。2018年8月1日発売。ぶんしん出版発行。発行者:(財)武蔵野市開発公社。税抜定価2500円。ISBNコード: 978‐4‐89390‐142‐2。小田急のCOEバスとダットサントラックが写り込んだ1952年(昭和27年)夏の吉祥寺駅南口(公園口)駅前の表紙の写真からして感涙ものです。この写真は2018年現在で66年の時を経ており、写っている子供たちは皆、現在は古希(70歳)を超えているはず。既に他の吉祥寺関連の写真集で公開されている写真も含まれていますが、現在の東急デパートの場所にあった名店会館の屋上遊園地の写真など初公開の写真も多い印象です。半世紀以上前から吉祥寺の変遷を見てきた私には感涙ものの写真集と言えます。解説も判りやすく、かつ面白いと思います。成蹊や藤村や東京女子大など、吉祥寺駅が最寄りの学校に通っていたとか、何かしら吉祥寺に縁のある人なら楽しめるのでは。戦前から1970年代あたりまでのクルマが写り込んだ写真も多く、もし吉祥寺に縁がなくとも旧車好きなら楽しめそうな内容です。


車両部分アップ




★オマケ(その5): 緊急指令10 4・10 10 第6話 「アマゾンの吸血鬼」 動画

★東行田「ロケット トイズ」トミカ驚異の大量在庫 ~ 安室奈美恵 引退

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★現在発売中の旧車雑誌「高速有鉛デラックス 」2018年10月号(最新号)に掲載された東行田駅前のアンティーク・トイ・ショップ(骨董玩具店)「ロケット トイズ」というお店の紹介記事を見て、この三連休初日に初めて行ってみることにしました。
お店は東京から鉄道で行く場合、この夏41.1度の観測史上最高気温を記録した熊谷で秩父鉄道に乗り換えて羽生方向へ4駅目の東行田の駅前にあります。都心から在来線で1時間半程度、新幹線利用なら1時間程度。東京駅からの交通費は在来線経由なら片道1500円前後、新幹線利用の場合は片道3500円程度です。但し、秩父鉄道は日中1時間に2本という時間帯もあり、私が行った時も羽生行の電車が出た直後で次の電車まで丸30分待たされてしまいましたので(汗)、乗換時刻をよく調べてから行く方が賢明です。


●秩父鉄道「熊谷駅」
埼玉県北部に路線を有する秩父鉄道の歴史は古く、まず1901年(明治34年)に熊谷~寄居間が開通、現在の羽生~三峰口間の全線開通は1930年(昭和5年)とのことです。全線開通から2020年で90周年となります。スイカ・パスモでは乗車できず、現金で昔ながらのキップを買わなければ乗車できないところがまたいいです。路線は単線で上り下りの行き違いのために交換駅があり、電車の編成は2連または3連、私が行った土曜の午後は1時間に2本程度の運転にも関わらず車内はガラガラでした。




1時間に2本という時間帯も多いので乗り過ごすと待ちます。




熊谷駅の留置車輛


羽生行2連に乗車



●秩父鉄道「東行田駅」
相当に古そうなエントランスの階段です。このあたりの人は自家用車での移動が主流なのか、駅なのにひとけがありません。









●秩父鉄道「行田市駅~熊谷駅」2018年9月15日 運転席からの眺め 撮影:筆者
鉄道でもバスでも一番前で運転席からの風景を見るのは、私の場合、子供の頃からずっと変わらない習慣でして、所謂、「かぶりつき」って奴です♪運転席のある一番前からの景色って誰しも?ワクワクしますよね♪特に鉄道ではカーブやポイント通過時は胸キュンものですよね♪(←私だけ??)



●秩父鉄道・東行田駅前「ロケット トイズ」
営業時間:午後3時~8時。水曜日定休。買取り等で留守になる場合があるそうなので電話で営業しているか確認してから行く方が無難です。現金決済のみ(カード払い不可)。買取りは在庫がダブついているもの以外ならば売り値の半額位で買うとのことです。私が行った時にも、ちょうど買取って貰いに古い超合金を持ちこんできた人がいました。またお客さんは近場の人だけでなく、ちょうど名古屋から買いに来たという人も来られていましたので、私がたまたま情報がなく行っていなかっただけで知る人ぞ知る穴場的なお店のようで全国からマニアの人が買いにみえているようです。都内でも絶版トミカの在庫がこれだけ充実している店はあまり見かけないので、絶版トミカマニアの人なら一度は行く価値がありそうです。トミカは中国の人も店に来て沢山買っていかれるとのこと。トミカ以外にも大盛屋・ダイヤペット・トミカダンディ・外国製ビンテージミニカーの在庫もかなりの量があります。その他、乗り物系のブリキ、プラ玩具、プラモデルの他、円谷モノなどのソフビ人形、ポピーの超合金も沢山在庫しています。店頭にはガチャガチャ、店内には1回10円の古いパチンコがあり、平日午後は近所の小学生が遊びに来ているとのことです。






手創り感満点のチラシ


店内には古そうな10円パチンコ


ブリキ


デコトラ


ウルトラマン消防車とミラーマン消防車


ダイヤペット&トミカダンディ


超合金


ソフビ


アンティークトイではない気もしますがNゲージもあります。



驚異のトミカ大量在庫
何と左右の棚が全て絶版トミカ


黒箱




赤箱ほか






NSXほか


青箱


1970年代のふるさとシリーズなど、ギフトセットも大量に在庫


格安箱なしトミカ






★オマケ(その1): 2018年9月15日(土)発売のトミカ新製品
No.36の1/32スケール「ホンダCBR1000RR」(税込486円)、No.29の1/156スケール日野セレガ「トーマスランドバス」(税込486円)、No.123ロングトミカ1/59スケール富士急ハイランド「ド ドドンパ」(税込972円)、交通安全セット「クラウンアスリート教習車・いすゞエルガ教習バス2台入りセット」(税込2160円)、トイザらス・オリジナルトミカ1/59スケール「レクサスRC F 富士スピードウェイ セーフティーカー」(税込646円)が発売されたので、一通り入手してきました。トミカプレミアムの航空自衛隊 F-35A 戦闘機とドリームトミカは蒐集対象外のため買いませんでした。ホンダCBRは初回限定版の黒も発売予定でしたが諸事情により10月に延期となっています。来月、10月の初回は自衛隊高機動車と2種が同時発売ということになります。今月のトミカの目玉は何と言っても富士急ハイランドのジェットコースター「ド ドドンパ」とクラウン教習車&エルガ教習バスの入った交通安全セットでしょう。教習用乗用車「教習車」はトミカでは過去にも出ていますが教習バスは初めてでは?ド ドドンパのようなジェットコースターの模型というのは国内初ではないでしょうか。こうした珍しい乗物の模型は乗物好きならそそられますよね♪ジェットコースターのレールが付属することから、広義では鉄道模型の範疇に入るのかも。トミカでは11月にもNo.66 広島電鉄650形 路面電車の発売が予告されおり今から楽しみです♪11月の広島電鉄以外のもう1つの新製品はまたしてもフェラーリとの情報がありますが本当なのでしょうか。


クラウンの「仮免許 練習中」の文字がそそります♪


富士急ハイランド「ド ドドンパ」


新製品No.36の1/32スケール「ホンダCBR1000RR」と1976年1月発売の黒箱トミカNo.12-2の1/37スケール ヤマハスポーツTX750の並び。2台は40年以上の時を隔てたトミカの2輪ですが、何れも子供が上手く貼るにはハードルが高そうなシール付。





★オマケ(その2): 安室奈美恵さん引退
今日2018年9月16日付の朝日新聞を見て思わず目を剥いたという方は世の中、多いものと思います。何故なら、今日9月16日をもって音楽界から引退すると発表した安室奈美恵さんへのファン4846人によるメッセージ等がクラウドファンディングというWeb上で集められた資金により何と4頁ぶち抜きで掲載され、それに続き「平成を輝かせてくれたあなたへ、ありがとう。」というシンプルだけれども印象的な言葉と共に安室さんの多数の写真を使用したロッテ・チョコレートの全面カラー広告が掲載されており、「うわっ!今日の朝日は安室特集か!!」と思わずのけぞるような紙面になっていたからです。本来なら三面記事に昨日15日、宜野湾市で行われた安室さん最後のコンサートの記事が載るだけであったであろうところが、この現代に於いては何とクラウドファンディングにより大勢のファンの力があれば全国紙の紙面を変えてしまうことが出来たことは感動的です。

安室奈美恵さま
今日、引退の日を迎えました。
寂しいけれど、私たちは幸せでした。

あなたが同じ時代に生れてきてくれたこと。
あなたと出逢えたこと。
あなたのファンでいられたこと。

宝物のような時間をありがとう。
憧れのあなたでいてくれてありがとう。
これまでも、これからも、
あなたは私たちのHeroです。

どんな時も前を向いて走り続けたあなたのように
私たちも、笑顔でこれからを歩んでいきます。
言葉にできないこの思いを胸に―。

25+1年間、たくさんの思い出と、
あふれるほどの愛を本当にありがとう。

ファン一同






ロッテ全面広告


●しかし、2018年(平成30年)現在の日本人女性の平均寿命は87.26歳でそれは年々伸びているとのことですので、1977年(昭和52年)9月20日生れでもうすぐ41歳となる安室奈美恵さんは、平均寿命までは生きるとして、これまでの人生よりも引退後の人生の方が長くなることになります。このことは、昭和中期の大女優・原 節子さん(1920年6月17日-2015年9月5日)が小津安二郎監督が死去した1963年(昭和38年)に43歳で女優を引退した後、更に52年間、95歳まで生きられたことを想起させます。安室さんがマイクを置いた後のこれからの人生がこれまで以上に幸せで輝かしいものになることをお祈りしたいです。

●安室奈美恵さんの楽曲と言えば、1970年代で言えばピンクレディーの「UFO」や山口百恵さんの「横須賀ストーリー」を知らない人はいないように誰もが知っているのは、やはり「CAN YOU CELEBRATE?」ということになるでしょう。個人的には今年引退表明をした小室哲哉さん(1958年11月27日-)に安室さんが自分の正直な心境を打ち明け、それを受け留めた小室さんが作ったSWEET 19 BLUESが好きです。歌手としてもファッションリーダーとしても絶頂にあった時期に、「だけど私もほんとはすごくないから」「誰も見たことのない顔 誰かに見せるかも知れない」といった歌詞により、天下の大スターが内面を吐露し弱みをみせたことで更に人としての信憑性が高まりスターとしての格も上がったと思うのです。ちょうど、1970年(昭和45年)、ジョン・レノンがビートルズ解散後にリリースした名アルバム「ジョンの魂」で正直に内面を吐露したが故に更に人としての信憑性が高まり熱烈なファンが増えたように。

「SWEET 19 BLUES」 1996

★黒箱トミカの鉄道車輛D51/ED75/DD13 男性の一人称 ~ イオン限定ダイヤペットバス他

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昨日2018年9月22日(土)の朝日新聞に日本人男女の言葉遣いの性差が少なくなってきていることについてレポート記事が掲載されていました。記事によると、文化庁の調査結果では男女により言葉遣いに違いがある方がよいとする人は2000年に50%を超えていたのが2010年には40%を切っているそうです。勤め先でスゲー、ヤベー、キメーを1日に何度も連発するアラフォーの女性がいるのですが、個人的には女性がそのような言葉遣いをすることはどうしても許せず、「スゲーじゃなく、『すごい(わ)』と言いなさい」と言っても、逆に「そういうオメーがキメーんだよ」などと反発され、こちらが引かない限り大喧嘩になってしまいます(大汗)。まあ、しかし、これは基本的に品格の問題でもあるでしょう。

一方、同記事によれば男性語について、最近は一人称に悩む男性が増えているそうです。朝日新聞の調査によれば、男性の一人称は1位の「僕」が35%、2位の「俺」が33%、3位の「私」が21%、4位の「自分」が11%という結果で、「俺」は偉そうに聞こえて目上の人には使いにくいとの意見が若い人を中心に増えているそうです。
もし、これを読んでいるあなたが男性の場合、日常的に自然に出る一人称は何ですか??
自然に出る一人称は「俺」という人が心身が健康で不必要な苦悩も抱えずに生きることの出来る普通に男らしい男というイメージがありますが。
かく言う私の場合は、12歳までは極く自然に「俺」だったのですが、中学1年のある時、友達と会話をする中で「俺」では角が立って決まりが悪いと感じ、「俺」の使用は基本的に中止したのです。しかし、しかしです、俺でなくて「僕」というのも何だか軟弱で気弱なお坊ちゃまのようなイメージがあってしっくり来ず、社会人ならともかく男子中学生が一人称に「私」というのも憚られ、一人称の選択には大変に苦悩したのです。一人称に悩むようなナイーブな人間は世の中、私1人という気がしていましたが、最近はそうでもないのですね。
その後、私は秋本 治さんがジャンプに「こち亀」を連載するようになってからだったと思いますが、両津と同じ「ワシ」を使うのが東京ではユーモアも感じられて一番しっくりくるかなと思いつき、学生時代はずっと一人称は「ワシ」と言っていたのです。社会人になってからは、ユーモアを含んだ使用とはいえ、さすがに上司に「ワシ」とは言えず、いつの間にか「私」になってしまいましたが(汗)、何と現在の勤め先で関西出身の猛烈に元気の良い同年代の男性の中に一人称が日常的に「ワシ」の人がおり、「ワシ、ワシ」を連発するその人に他意はなくとも威張られているように感じて「カチン」と来ることがあり、どうにもその人が苦手だったりもしますYO☆☆


閑話休題
貧乏暇なしと言いますか、3連休とはいえライブに向けての楽器の練習などやるべきことが多くて時間がありませんでして、今日は黒箱トミカ時代の鉄道車輛について簡単にご紹介しますNE☆☆☆ 


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11月のトミカ新製品の一つにNo.66として何と広島電鉄 650形が予定されていることで、今からワクワクしているというトミカファンは世の中、恐らくそんなに多くはないでしょう。トミカ・コレクターの大半は何と言っても鉄道車輛ではなく自動車のミニチュアのファンであるからです。
しかし、ミニカーブランドのラインナップに自動車以外のものが含まれることの歴史は古く、1950年代の英国マッチボックスのイエスターイヤーシリーズには初期の機関車や路面電車が幾つもラインナップされていました。トミカでも黒箱時代の1970年代に機関車やカーフェリー「さんふらわあ」、ホバークラフトなど自動車以外の製品が登場し(飛行機は基本的にスカイトミカの別シリーズでリリースされた)、その良き伝統は現代まで受け継がれています。ミニカー・メーカーの意図は、自動車をメインとはするが必ずしも自動車に限定せず子供に喜ばれそうな面白いものはラインナップに加えるといったところでしょうか。
尤も、よく知られているように戦前の英国で1/43スケールのミニカーは元々、鉄道模型Oゲージのレイアウト用アクセサリーとして出発したということから、自動車と鉄道のミニチュアの関係には長い歴史があり奥は深いのです。


●1970年代の黒箱トミカ鉄道車輛「D51形蒸気機関車・ED75形 電機機関車・DD13形 ディーゼル機関車」



●トミカNo.104-1番 D51形 蒸気機関車
1975年(昭和50年)8月発売。1989年(平成元年)8月に初代シーマにバトンを渡し絶版。国鉄からSLが消滅することになり大変なSLブームの時代に発売された製品です。下部ダイキャスト製、ボイラー部プラ製。当時定価220円~。車輪の動きに連動してロッド可動。1960年代に童友社が発売したC58あたりと同様にテンダーが省略されており、真っ当な鉄道模型ファンからは現在でも模型でなく単なる玩具として見られ殆ど無視されているモデルだろうと思います。自動車ではないが故に発売当初から現在に至るまで一般のトミカコレクターには人気はないモデルのように思います。コレクターが買っていないためか、14年もの長寿を保ったモデルの割には中古市場に出てくる数は比較的少ないように思います。販売期間からすると、黒箱でなく赤箱バージョンもあるのでしょうか。

・全長75㎜(実機はテンダーを含めて19730㎜)
・全幅17㎜(実機は2936㎜のため、1/173スケール程度)
・軌間7㎜(Nゲージのレールでは少し広い)
・実機: 1935(昭和10)年~1945(昭和20)年に1115両製造、国内の動態保存車輛2両。

1st グレイ車輪


日本語表記側


英字表記側




2nd 赤車輪。D51324等のタンポ追加。


グレイ車輪、赤車輪、2000年トミカくじの緑塗装(中国製)。緑塗装ではロッドが省略されています。


1970年代 有限会社関水金属時代のクハ181との並び




2012年ベトナム製トミカ80番C11蒸気機関車との並び




●トミカNo.34-2番 ED75形 電機機関車
1979年(昭和54年)8月発売。1981年(昭和56年)2月にシビックカントリーにバトンを渡し絶版。貨車を牽いたセット物やギフトセットで直流機のような青塗装も出ていますが、単品での発売は1年半と極く短命でした。ダイキャスト製(屋根部プラ製)。当時定価240円。数ある国鉄電機の中でED75を選択したのは、既にトミーナインスケール~トミックスでリリースしていた関係でしょうか。ちなみに1964年(昭和39年)に試作され極く少数が市場に出たと言われる日本初のNゲージモデル「ソニーマイクロトレーン」の機関車もED75でした。D51同様に自動車ではないが故に発売当初から現在に至るまで一般のトミカコレクターには人気はないモデルのように思います。また、D51同様に真っ当な鉄道模型ファンからは現在でも模型でなく単なる玩具として見られ殆ど無視されているモデルだろうと思います。

・全長75㎜(実機は14300㎜のため、1/190スケール程度)
・全幅18㎜(実機は2800㎜のため、1/156スケール程度)
・軌間9㎜(Nゲージのレール上をスムースに走ります)
・実機: 1963(昭和38)年~1976(昭和51)年に302両製造、2018年現在も運用。



日本語表記側


英字表記側




直流機のような青塗装の入ったプレイセット「みんなのまち」




赤塗装、青塗装の並び


1970年代 有限会社関水金属時代のクハ181との並び




●トミカNo.17-3番 DD13形 ディーゼル機関車
1979年(昭和54年)8月発売。1981年(昭和56年)1月に910ブルーバードにバトンを渡し絶版。貨車を牽いたセット物やギフトセットも出ていますが、単品での発売は上掲のED75より更に短い1年5ヵ月と極く短命でした。下部ダイキャスト製、上部プラ製。当時定価240円。DD13をモデルとして選択したのは、ディーゼル機関車としてはポピュラーな存在で、ED75同様、既にトミーナインスケール~トミックスでリリースしていた関係でしょうか。上掲2種と1同様に自動車ではないが故に発売当初から現在に至るまで一般のトミカコレクターには人気はなく、また、真っ当な鉄道模型ファンからは現在でも模型でなく単なる玩具として見られ殆ど無視されているモデルだろうと思います。

・全長75㎜(実機は13600㎜のため、1/181スケール程度)
・全幅18㎜(実機は2846㎜のため、1/158スケール程度)
・軌間9㎜(Nゲージのレール上をスムースに走ります)
・実機: 1958(昭和33)年~1967(昭和42)年に416両製造、2018年現在も専用線等での同形機の運用あり。



日本語表記側


英字表記側




1970年代 有限会社関水金属時代のクハ181との並び






★オマケ(その1): タカラトミーモール限定トミカ・プレミアム フェラーリ・テスタロッサ他
2018年9月22日(土)から東京駅のトミカショップでタカラトミーモール限定で既に発売されているテスタロッサの黄色、レパードの紺/シルバー、カウンタックLP500Sの赤、RX-7 FD3S RE雨宮仕様が1人3台までの制限付で販売されると聞いて、10時開店のトミカショップに朝8時半に着くと既に長蛇の列。列はどんどん伸びて1時間を経過した9時半に通常より30分早く開店となりました。カウンタックとRX7は再販とのことでしたが、通販限定品とのことで1台ではなく一応2台ずつ、テスタロッサとレパードは各3台ずつの計10台購入(1台税抜800円)。トミカコレクターさんは同じものを3台購入という人が多いようなので、高値で転売するのでもなければ同じものが3台はいらないと思いつつ、トレードやプレゼント用に使えるかなと思い入手。レパードなどを見ると、これが800円なのにTLVネオが何故、税抜2300円もするのか疑問に思います。TLV&TLVネオの目指す高レベルの精緻、精密な実車の縮小モデルであることだけがミニカーの魅力ではないことはビンテージ・ミニカーの人気を見れば明らかですが(素朴なビンテージモデル・ファンが少数派で新製品程人気があり旧い製品には価値が付きにくい鉄道模型の世界に於いても基本的には同じことが言えます)、私が子供の頃、1960年代からミニカーの大きな魅力の一つはギミックにあり、レパードはドアも開きTLVネオよりもずっと魅力的なミニカーのように思えます。

東京駅トミカショップの長蛇の列


タカラトミーモール限定4種はお一人様3台まで


4種購入






プレミアムのテスタロッサは赤・白・黄の3色×3台集まりました。




ヘッドライト昇降アクションがそそります♪




★オマケ(その2): イオン限定トミカNo.40 1/64スケール ホンダ シビックTYPE R 鈴鹿サーキットマーシャルカー仕様&ダイヤペットDK4117番1/64スケール いすゞエルガ「イオンモールバス」
限定トミカは2018年9月22日(土)発売。久々に自分でイオンに行って買ってきました。一番近いイオンまで交通費が2000円位かかることもあり、トミカは3台購入(1台税抜600円)。ダイヤペットのイオン特注品と思われる、イオンモール送迎用バスは情報がなく販売されていることを全く知らなかったのでトミカ以上に嬉しい購入品でした。バスは税抜1台1980円とTLVネオの同じスケールのバスの5分の1位の価格はかなり割安に感じます。このダイヤペットとTLVネオと比べて、ミニカーとしての魅力では価格程の差がないように感じるのは私だけでしょうか。










★オマケ(その3): 近鉄電車写真集「ビスタカーⅠ・Ⅱ世編」
2018年6月26日発行。B5判143頁。著者: 林 基一氏。リトル出版(京都府城陽市)発行。定価:税抜2200円。ビスタカーⅠ世・Ⅱ世は小田急ロマンスカー3000・3100あたりと並び個人的に大好きな私鉄特急ですが、この本が出たことは昨日(9月22日)、書泉で見かけて初めて知りました。車両解体時の悲惨ながらも貴重な写真など、ビスタカーファンには興味深い写真が沢山掲載されています。惜しむらくは1970年代が中心で1960年代に撮影された写真が殆どないこと。ISBNコードがないため、一般の書店では流通していない本のようです。


奥付


★米澤玩具1952年?終戦後の米軍払下げ6輪ボンネットバス~ブリキ自動車コレクションから 012

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また大型台風が来ていますね。東京も9月最後の日曜日30日は大荒れの予報ですが、被害などないといいですよね。この週末はライブに出たりなどして時間がありませんので、今日は極く簡単に非常に珍しい米澤玩具製6輪ボンネットバスのブリキ玩具をご紹介しますNE☆☆☆

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★子供の頃にブリキの自動車で遊んだ思い出がいつしか強烈なノスタルジーに変り、私がブリキ国産車のコレクションを意識的に始めたのは、1977年(昭和52年)、高3の時でした。
最初は都内の玩具店を捜し回り、まだ市場在庫のあったイチコーの510ブルーバード、初代プレジデント、野村トーイの初代ボンゴ、ホンダZ、初代マークⅡハードトップといった国産車を定価で買っていました。やがて都内では、高島平にオープンしたミニカーショップ・イケダ、巣鴨のサカツウ、仙川のアリヤス、成増のアイアイアドといったミニカー専門店や南青山のビリケン商會、下北沢の懐かし屋、国分寺のバットマンといったアンティークトイ・ショップでコレクターからの買取りや委託で1950~1960年代の古いブリキ自動車が売られるようになり、手が届く範囲で1台、また1台とコツコツ集めたのです。それが、40年以上、現在に至るまで続いているという訳です。

★北原照久さんと初めてお会いしたのは、1983年(昭和58年)の7月のことでした。
北原さんが横浜山手に博物館を開く前のことで、まだキタハラスポーツという家業のスポーツ用品店をされていた頃のことです。南青山のビリケン商會に北原さんがシンコー・ミュージックから出したばかりの「Wonderland of Toys ①ブリキおもちゃ」という写真集を委託販売に持って来られていて、サイン・日付を書き入れた1冊を譲って戴いたのです。その本にはこれまで見たこともないブリキ玩具が山のように出ていて本当にビックリしました。私がコレクションのメインとしている国産車では、米澤玩具のオリエント三輪やバンダイの三菱ペットレオなどは、その本で見るまで存在自体を知らなかったと思います。その最初に出た写真集は謂わば総集編で幅広い分野の良いモノを厳選して掲載されていたのです。続編として②ロボット、③自動車が刊行されています。

★米澤玩具 1952年? 6輪ボンネットバス「J.T.Y. LUCKY BUS」
今回ご紹介する米澤玩具製の6輪ボンネットバスは北原さんが最初に出した総集編に掲載されていました。リアルに実車を模した玩具ではないものの、終戦後の極度の車両不足の折に進駐軍に6輪全輪駆動の軍用車(GMC・水陸両用アンヒビアン・ダッチブラザース)の払い下げを要請し、払い下げられたシャシーにバスボディの載せて急場をしのいだ時代を偲ぶことが出来ます。6輪バスはトレーラーバスと並び終戦後の国産バスの歴史を語るには外せないアイテムと言えるでしょう。
その米澤製6輪バスを1983年の7月に北原さんの写真集で初めて見てから今年2018年で何と35年もの歳月を経ていますが、漸く先日手に入れたのです。かなり色褪せて、ブリキが所謂、ニビ色に変わり、バンパーなどのメッキは輝きが失われていますが、傷や凹みが見られないことから、恐らく子供の手には渡らずに生き延びてきたモノと思われます。しかし、残念ながら元箱は失われています。
実車は占領下の1947年(昭和22年)~1950年(昭和25年)あたりに造られているため、玩具には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」(オキュパイド・ジャパン)の刻印がありそうなものですが、刻印は「MADE IN JAPAN」となっていますので、恐らくサンフランシスコ講和条約が発効し日本が占領下を脱した1952年4月以降に売られたものでしょう。ボディの左右及びリアと前面の行先表示部分にプリントされた、「J.T.Y.」の意味は不明です。ルーフには、「CENTRAL CHILDREN BUS」のプリントがあります。払い下げ車ベースの6輪バスの無骨な実車より丸味を帯びたボディがとても魅力的です。一緒に写っているのは、珍しい旧車のミニカーを多数出しているスタジオKAN発売の1951年ダイハツ・ビー三輪乗用車(1/43スケール)。

・全長: 23.0cm 
・全幅: 7.5cm 
・全高: 8cm
・動力: 最後輪フリクション駆動
・当時国内定価: 不明
・箱付美品の推定評価額: 30万円以上(2018年現在)





















米澤商標とMADE IN JAPANのプリント








★オマケ(その1): シンコー・ミュージック「Wonderland of Toys ①ブリキおもちゃ」

1983年7月発行(奥付の日付は8月1日)。B5判・127頁。編者:北原照久。編集人:草野 功。発行人:草野昌一。日本で最初に出たブリキのオモチャの本格的な写真集。


北原さんのサインと1983年7月20日の日付入り




★オマケ(その2): 米軍払下げ6輪ボンネットバス実車画像
オリジナルの軍用シャシーは出力があっても全輪駆動故に燃費が悪く、バスとしての運用に当り前輪へのドライブシャフトを取り除いて燃費を向上させるなどの工夫をした。

東武バス(GMCシャシー)・・・・・出典:2000年クラリオンバス機器ニュース別冊情報編25「日本のバス誕生」


横浜市営バス(ダッヂブラザース・シャシー)・・・・・出典:同上


東京都営バス(GMC・CCKW353シャシー/富士重工業ボディ)・・・・・出典:2003年ぽると出版「富士重工業のバス達」


★イチコー1964年 プリンス スカイライン1500DX ~ ブリキ自動車コレクションから013

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さて、10月に入りましたね~♪ゲイジュツの秋、スポーツの秋、ショクヨクの秋ですよね~♪
ところで、みなさんはどんな食べ物が好きですか~??最近、中央高速・釈迦堂PAの「あぶりチャーシュー丼」や河口湖のパンケーキだとかが物凄く美味しくてホッペタが落ちるとの話を聞きましたが、個人的な食べ物の好みは高校生位の時から全く変わらず、チーズ入り串カツ、エビフライ、ヒレカツ、天ぷらといった揚げ物が大好物です。出張などで地方に行った時は、長年まずは決まってカツカレーを食べるというワンパターンです。ワンパターンと言えばケーキの場合も同じで、いつも決まってサバランを頼みます。お酒は全く飲まないのに。
お寿司とか和食とかもけっして食べられない訳ではないのですが、自ら進んで食べたいとは思わないなという感じです。ただ、お魚は骨の取るのが面倒(というか不器用なので物凄く下手)なので殆ど食べません。歳を重ねると脂っこいモノが嫌いになり、焼魚だとかのあっさり系が好きになるなんて話もありますが、この歳で脂っこいものが大好きというのはまだ若い証拠なのでしょうか~♪☆☆

閑話休題
しかし、また台風が来ていますね。3連休に突入ですが初日の今日は仕事が入ってしまい、時間がありませんので、簡単に珍しいイチコー製2代目スカイラインのブリキをご紹介しますNE☆☆☆


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★1963年(昭和38年)9月12日にプレス発表された後、同年11月2日より「プリンス・スカイライン1500デラックス」として発売された2代目スカイライン。第2回日本グランプリでの2代目スカイラインにグロリアの6気筒を詰め込んだ最初のスカG(S54)とポルシェ904のバトルはあまりにも有名です。

リアルタイムに発売されたブリキ玩具は、バンダイ製とイチコー製の2種類があり、バンダイ製は本シリーズ第10回記事でご紹介しましたが、今回はバンダイ製よりレアなイチコー製スカイラインです。


【主要データ】
イチコー(一宏工業) 1/15スケール 1964年プリンス スカイライン 1500 デラックス (型式S50D)

・イチコー品番: 3664(イチコーの4桁品番の下二桁は恐らく西暦の下二桁で、64は1964年を示し、上二桁は1964年の36番目の製品の意味でしょうか。ちなみに、イチコー製スカイラインスポーツの品番は下二桁が62=1962年、名作の誉れ高いプリンスグロリアS40Dの品番は下二桁が63=1963年です。)
・全長: 27.2cm (実車4100mm・実車比:1/15.0スケール)
・全幅:10.0cm (実車1495㎜・実車比:1/14.9スケール)
・ホイールベース: 15.6cm (実車2390mm・実車比:15.3スケール)
・基本素材:ブリキ
・動力: 後輪フリクション・モーター
・室内ハンドル位置: 右のみ
・カラーバリエーション: 赤、青、緑、緑ルーフ/薄緑ボディ、赤ルーフ/白ボディ、淡青メタ等
・裏板(シャシー)刻印: なし: 室内リアトレイにイチコーロゴマークとMADE IN JAPAN表示
・商品パッケージ(箱): 1種 (実車写真使用)
・発売時期: 1964年(昭和39年)?月
・当時定価: 都内350円・地方最低売価380円・全国売価390円
・推定市場評価額 : イチコー製2代目スカイラインは、バンダイ製2代目スカイラインよりも現存数は少なく、玩具としての使命を全うしたようなジャンクでさえも滅多に見かけません。箱付で状態の良い物の現存数は10台には満たない可能性があります。そのため、箱付の美品なら40万円以上(2018年現在)。


緑ボディ(1st)・・・・・イチコー倒産時に関係者から出た個体


1stモデルはトランク上にアンテナが付く。










室内プリント



緑ルーフ/薄水緑ボディ(2nd)






室内プリント


室内リアトレイにイチコー商標


シャシー裏面



2台の並び












手前は大きさ比較用のトミカ・ケンメリ



●東京玩具商報1965年4月号に掲載されたイチコー(一宏工業)のプリンス スカイライン1500 広告
国立国会図書館の蔵書より。白黒広告ですが、掲載されている個体は赤ルーフ白ボディのツートン塗装のようです。



●1965年一宏工業 製品カタログに掲載されたスカイライン1500
品番、都内・地方売価のみならず仕入れ用の数までが記載された貴重な玩具史料。製品の写真が間に合わなかったのか、実車の写真が使われています。






★オマケ(その1): 1965年4月発行 プリンス スカイライン ディーゼル 英文リーフレット (A4判・英文・表裏1枚)
これは「自動車カタログ棚から」シリーズの記事で紹介すべき実車カタログですが、既に2代目スカイラインは紹介済のため補足としてご紹介します。国内販売はされていない、1900cc/55psエンジンを搭載した国内向けスタンダードをベースとした珍車。2代目スカイラインにディーゼルがあったことはあまり知られていないと思います。1960年代の日本でディーゼル乗用車というと、いすゞのベレットやベレルは国内で販売され、ディーゼル車専用の日本語版カタログも発行されています。車両型式はライセンスナンバーに記載の「S56E」。


裏面


D6型ディーゼルエンジン


スペック




★オマケ(その2): トミカNo.82-1番 1/64スケール1972年ケンメリ「プリンス&スカイライン ミュージアム特注品2種」
イチコーのスカイラインの大きさ比較用に載せたトミカをオマケに。全長7cm。ダイキャスト製。白/青は箱に岡谷のP&Sミュージアムと水海道のレッドパークの両者の印字あり。ボンネットに「ファイナルラン2004.1.18」のタンポがあるので、2004年発売。ワイドホイールを履いていい感じ。青1色は1997(平成9年)年開館のP&Sミュージアム10周年記念のタンポがあるので2007年発売。どちらも発売された年にP&Sに行って購入したものではなく、都内のリサ店で1000円位で購入したもの。82-1ケンメリは1980年代初頭発売の「栄光のスカイライン」4台セット以降は全てGT-R仕様のオーバーフェンダーとなっていますが、バリエーションが多くコンプリートに集めるのはちょっと大変ですよね~。






★トミカリミテッドヴィンテージ173番1959年スバル360 ~ トミカはとバス70周年限定品

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10月も半ばとなり、風が心地よく、ちょっと秋めいてきましたね~♪
この10月のトミカリミテッドヴィンテージ(TLV)の新製品として1959年式スバル360が発売され、出来も上々のため、スバル360ファンの私としては狂喜乱舞しているところですよ~♪♪
そこで今日は私が幼い頃に家にあったスバル360の秘蔵写真と共にTLVの新製品、当時物などのスバルのミニチュアをご紹介しますNE☆☆☆


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★私が幼い頃に初めて家にやって来た自動車=初めてのマイカーは1960年後期型のまだデメキン時代のスバル360でした。
私の家の近所の住宅街で1960年(昭和35年)にマイカーがやってきたのは割合早い方で、しかし、数年を経た1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催の頃には隣近所の家にも1台、また1台とマイカーがガレーヂに収まっていきました。1964年、私はまだ幼稚園児でしたが、近所の家のガレーヂにあったマイカー達のことは今でも鮮やかに覚えています。隣の家はヘッドライトのデザインが一新された新しいスバル360、2軒隣は日野ルノー4CV、5軒隣は日野コンテッサ900といったように。
・・・という訳で、私の家に初めてやって来たスバル360(特にデメキンタイプ)というクルマに私は幼少時の思い出も重なり強烈なノスタルジーを感じるのです。1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)の初めまで―私が0歳~7歳まで―、数年も乗ればガタが来て買い替えるのが一般的だった当時としては驚異的とも言える7年の歳月を家族と共に過ごしたのです。週休2日ではなかった当時、日曜日がやって来ると余程の悪天候でもない限りは家族でドライブに出かけ、平日は家のガレーヂで大人しく眠っているブルーグレイのスバル360に幼い私は家族の一員であるかのような何とも言えない深い愛着を感じていたのです。7年乗ってついにフロアに穴が開き、走りながら地面が見えるというボロボロの状態になっていたのですが、それでも、どうしても欲しいという人が現われて、ある日、私の家のガレーヂから愛しのスバルはいなくなってしまったのでした。

●1966年3月20日 雪の降りしきる夜叉神峠 (山梨県南アルプス市) にて
以下は私の家にあったスバルの当時の写真(全て亡父撮影)。



●1966年3月20日 桃の木鉱泉 (山梨県南アルプス市) にて





●1962年8月26日 丹沢 (神奈川県北西部) にて
この写真は一番のお気に入りで以前にも載せていますが、軽自動車のフロントにライセンスナンバーが不要だった時代の貴重な写真です。



★トミカリミテッドヴィンテージ173番1/64スケール1959年スバル360
2018年(平成30年)10月13日(土)発売の新製品(都内では一部専門店等で既に11日の木曜から店頭に並んでいます)。全長4.7cm。ダイキャスト製。何とこのサイズでリアのエンジンフードが開閉し、エンジンが再現されています。品番LV173aが茶/肌色ツートンでルーフに60周年タンポが入り60周年プレート付(税抜2500円)、品番173bが幼い頃、私の家にあったのと同じ青/青灰ツートン(税抜2300円)。但し、年式はフロント1本バンパーとなった私の家にあったスバルより古いフロント分割バンパー時代の1959年式。フロントウインド前にカウルベンチレーターが新設された年式です。あえて記念すべき最初期型をモデル化しなかったのはディテールがその後のスバルとは異なる点が多いためでしょうか。まずは1959年式を出せば、1本バンパーになった後のスバルもバリエーションとして作りやすいということなのかもしれません。今後、年式違いやコンバーチブルなどのバリエーションが出るのも楽しみです。














エンジン再現




173a肌色は記念プレート付



★萬代屋(現バンダイ)・米澤玩具(ヨネザワ)・旭玩具モデルペット3番・トミカ21番との並び
一番大きいのは萬代屋・赤函シリーズのルーフが塗り分けられた1stモデル(全長20cm・1/15スケール)、次に大きいのが米澤製(17.5cm・1/17スケール)、モデルペット(全長8cm・1/42スケール)、明るい青系ツートンのトミカ(全長6cm・1/50スケール)、新発売のTLV(全長4.7cm・1/64スケール)の順です。トミカ21-4番のスバル360は実車販売終了から10年以上を経た1983年(昭和58年)6月に往年の名車として発売された金型。萬代屋、米澤、モデルペットといった当時物は箱絵にもブルーグレイのスバルが描かれており、初期のスバルではメジャーなボディカラーであったことが判ります。











萬代屋 1/15スケール



米澤玩具 1/17スケール



モデルペット 1/42スケール






★オマケ(その1): トミカ1/156スケール いすゞガーラはとバス70周年限定品
全長7.8cm。ダイキャスト製。2018年10月1日発売。6000台限定品。はとバスエージェンシーでの通販と東京駅丸の内口のはとバス売店で販売(税込900円)。購入台数制限なし。はとバスは大好きなので、東京駅の売店で最初10台位買おうかと思ったのですが、そんなにいらないかな~と思い直して縁起の良い数で7台購入。




70th文字入り




★オマケ(その2): 集英社「月刊りぼん」2018年11月号
定価:税込600円。ちびまる子ちゃんの連載第1回と最終132回や色々なエピソードが掲載された、さくらももこさん追悼小冊子付。さくらももこファン、ちびまる子ちゃんファンにはお薦め。


★Your Mother Should Know ピアノ3曲 ~ 伊メーベ1/43ポルシェ912

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人間として生まれたならば、誰しも人生最大の目標は結婚(=愛の暮らし)である訳ですが、その人生最大の目標を私のような歳になっても達成できない悲惨な独り者もいる一方で20代半ばで達成してしまう幸福な人もいますよNE☆
つい先日もジョン・レノンの78回目の誕生日である10月9日に20代前半で結婚した人がいたり、現在50歳前後の人の中にも20代半ばで結婚して絵に描いたような幸せな人生を送っている人がいますよNE☆☆


サラリーマンではもう定年間際という私の歳ではもう結婚は諦めた方がいいと言うのが一般的な意見だとは思います。実際、「その歳で結婚を諦めないだなんてポルシェさんも変ってるね~」と人から言われることもあります。でも、私は夢は諦めない人なんですよね~♪いつか夢は叶うと信じているというか。もし、独身でこのまま年老いて例え90になったとしても、まだ結婚したいと言っているかもしれませんYO~(爆)

結婚相手の条件として、出来ることなら「音楽が嫌いでない人」(ロック・クラシック等のジャンルを問わず)というのがあります。
私の場合、ギターやピアノといった楽器を弾くのが趣味ですので、家で楽器を弾く度に「ウルサイからやめて!!」だなんて言われたら辛いです。まあ、しかし、相手が音楽嫌いでも絶世の美女だったりしたら、案外、音楽の趣味はやめちゃうかもですがNE(爆)
今日はYoutubeに3曲、ピアノ演奏をアップしてみましたので、よかったら聴いてみてくださいね~!今回アップしたのはビートルズとジョン・レノンのかなりメジャーな曲ですので、おそらく原曲を知っている人は多いと思います☆☆
全て耳コピ&適当なマイアレンジで弾いてますので楽譜はありません。
ピアノの上に載せてあるのは、伊メーベ製1/43スケール・ポルシェ912です。




●Your Mother Should Know (piano arranged by porsche356A)
1967年 The Beatles「Magical Mystery Tour」より。クレジットはレノン/マッカートニー作ですが、実質的にはポールが作った曲です。




●All You Need Is Love (piano arranged by porsche356A)
1967年6月25日 世界初の宇宙中継特別番組『アワ・ワールド』で演奏された、1960年代のアイコン的なTheBeatlesの楽曲。クレジットはレノン/マッカートニーですが、実質的にはジョンが作った曲です。



●Love (piano arranged by porsche356A)
1970年、ビートルズ解散後のジョン・レノンの名盤「ジョンの魂」収録曲。オリジナルの音源にもフィル・スペクターのピアノが入っています。




★オマケ: 伊メーベトーイ(MEBETOYS) 1/43スケール・ポルシェ912
今回のYoutubeでピアノの上に載せてある赤いポルシェのバリエーションをオマケに。全長9.7cm。ダイキャスト製。カラーバリエーションは、赤、シルバー、青メタ、緑メタ、青灰メタなど。1960年代に発売されたビンテージミニカーらしく、キラキラ輝くジュエル・ヘッドライトにフル開閉アクション付。緑メタリックは1967年6月に刊行されたJMAC会長・中島 登氏著・カラーブックス「世界のミニカー」の表紙に使われて、日本一有名なポルシェのビンテージミニカーかもしれません。ノーマル以外にスキーキャリア、ラリーバージョン等、バリエーションが沢山出ています。後にスピードホイール化され、その際にノーマルはカタログ落ちしています。






緑メタはカラーブックス「世界のミニカー」の表紙に登場


フル開閉アクション


ヘッドライトはキラキラ光るジュエル





★1955年みずしまTM5型三輪トラック ブログ8年目! ~ 自動車カタログ棚から 375

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前回の記事をアップしてから2日後に追記したのですが、東日本大震災の起きた2011年(平成23年)の10月15日に始めた本ブログが先週10月15日で7周年を迎えることが出来ました。ブログ開始時、私は50の峠を越えたばかりの51歳だったのが、来年は還暦!普通のサラリーマンの場合は定年退職となり収入が激減(あるいは年金支給年齢になるまではゼロ)することから、映画館はシニア割引き料金となり、上野動物園や多摩動物公園では老人週間(9月15日~21日)期間中の開園日は「60歳以上の老人」の入場は無料となるといった、安く済むことは嬉しい反面、老人の烙印を押されるのは悲しいような気分であったりもします。しかし、1954年生まれで現在64歳の安倍さんや1955年生まれで現在63歳の明石家さんまさんに郷ひろみさん、1958年生まれで現在60歳の玉置浩二さん、もっと歳上でも1945年生まれで現在73歳のタモリさんあたりも老人ということになりますが、60歳を過ぎても現役バリバリの人は老人というイメージはないですよね。芸能人でなくとも、雇われではなく自分で興した会社の経営者や開業医、弁護士といった職業の人も基本的には定年がないので心身ともに元気であれば例え90歳でも現役でいられる訳で実際にウチの近所に今年御年88歳となってもまだ歯科医院を開業していて今でも古くからの患者さんが来ているという例があります。ただ、あまり高齢になると自分では大丈夫と思っても腕は確実に落ちている場合があり、特に歯医者のような謂わば技術がモノを言う仕事は危ない気もしますがNE☆☆

という訳で、もうすぐ誕生日が来ると何と59歳!
20代や30代の頃にはこのような年齢になった時の自分を想像することさえもなかったのですが来年は還暦となってしまうのですから、時が過ぎるのは早いものです。この歳になっても18歳位の頃と心の内は大して変わっていない気がしますが(←永遠の18歳? )。
今回はブログ8年目最初の記事となりますが、今後も自動車・鉄道の旧いカタログや新旧のミニチュア、旧い乗物絵本のコレクション、そして、ビートルズやショパンなどの音楽関連など、なるべく資料性の高い記事をアップしていきたいと思います。本ブログの看板記事である「自動車カタログ棚からシリーズ」については、このところ更新頻度が極端に落ちていますが、Web上に画像をアップされていないようなレアなカタログが底をついたという訳でもありませんので、今後も少しずつ更新していきたいと思います。しかし、実車カタログ記事以上にブリキ自動車コレクションの記事も何れ書籍化が出来るようなレベルまで更新回数を伸ばしていきたいと思います。博物館をつくったり自費出版で写真集などの書籍を出すには資金が必要ですが、Web上に画像や文字データを公開することは時間さえあれば出来ることですので、まだまだ頑張りたいと思います。
と言う訳で、皆さま8年目も引き続き、どうぞ宜しくお願いいたします!!!☆☆

閑話休題
今日は西武池袋線・狭山ヶ丘駅近くのところざわ自動車学校 敷地内で開催された、「第22回クラシックカーフェスティバルinところざわ」でレアな旧三菱の三輪トラックの現存車両を見てきましたので、その現存車両の画像と併せて旧三菱「みずしま」三輪トラックのカタログを簡単にご紹介しますNE☆☆☆


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★1943年(昭和18年)9月に岡山県倉敷に設立された三菱重工業の水島航空機製作所は、戦後、平和産業への転換に伴い水島機器製作所と改称し、終戦から1年にも満たない1946年(昭和21年)5月に早くも三輪トラック1号車TM1型を試作した。
量産/市販モデルは翌1947年(昭和22年)7月のTM3A型が最初であった。車名は水島機器製作所の社名に因み「みずしま」と命名された。他社の三輪トラックが屋根も風防も持たずモーターサイクルに荷台を付け足したような戦前からのスタイルであった時代に、「みずしま」は当初から開閉式の風防やキャンパス製の屋根とドライバー背後のカバーを持っていた。1951年(昭和27年)にはTM4型、1954年秋には従来の1つ目からロンパリ2灯ヘッドライトを持つTM5型へと進化した。1955年には革新的なTM7型(1.5屯積)/TM8型(2屯積)をデビューさせるも、マツダ・ダイハツの牙城を崩せないまま、1962年(昭和37年)7月には三輪トラックの生産を停止した。「みずしま」の名称が使用されたのは1956年(昭和31年)までで、それ以降、終焉までは単に「三菱3輪トラック」とされ、型式名称(レオのみペットネーム)のみが付されて市販された。
今回は手元のカタログ棚から「みずしま」を名乗っていた時代の三輪トラックのカタログを駆け足でご紹介します。


【主要スペック】みずしま三輪トラックTM5F型 (MIZUSHIMA 3Wheel truck typ.TM5F)
全長3810㎜・全幅1550㎜・全高1780㎜・ホイールベース2460㎜・車重875kg・空冷4サイクル単気筒SV886cc・最大出力20.5HP/3400rpm・変速機3速MT・乗車定員2名・最大積載量1000kg・燃費18km/ℓ・最高速度55km/h・販売価格:不明(調査中)


●1949年?みずしまTM3型 カタログ(B5判・英文2つ折4面)
表紙と裏表紙が一続きとなった魅力的な表紙。背後の海は倉敷・水島製作所の近くの瀬戸内海でしょうか。このTM3型のホイールキャップには後の三菱マークではなく、MIZUSHIMA ENGINEERING WORKSの頭文字MEWを図案化したマークが入っています。全長3098㎜・ホイールベース2057㎜。


表紙・裏表紙で一続きの写真


【中面から】



裏面: スペック



●1950年 みずしま大型TM3F型 カタログ (縦18×横12.5cm・日本語2つ折4面)
従来のTM3C型より荷台を延長したモデル。


【中面から】
「3輪トラックのクイーン!」のコピー。


TM3Cとの比較



●1953年1月 みずしまTM4E型三輪トラック カタログ(縦20.2×横25.2cm・英文2つ折4面)
全長3610㎜・ホイールベース2360㎜・886cc/20.5HPエンジン。


【中面から】



裏面: スペック



●1953年8月 みずしまTM4E型三輪トラック カタログ(縦17.2×横19cm・2つ折4面)
荷台に荷物を積み込む光景を描いた魅力的な表紙。


【中面から】






●1953年12月 みずしまTM4E型三輪トラック カタログ(縦20×横25.5cm・4つ折8面)
この1954年式より、正面のみだったカバーが左右に若干延長された。


【中面から】





裏面: スペック&図面



●1954年1月 みずしまTM4F型三輪トラック カタログ(縦17.2×横19cm・2つ折4面)
TM4E型のホイールベースを100㎜、全長を200㎜延長し、全長3810㎜・ホイールベース2460㎜とした長尺車。スーツを着て帽子を被った紳士が補助席に乗り、遠景には長靴を履いて傘を差す男女を描いた魅力的な表紙。中面には下方風防の装備と題して「運転者は勿論助手の方も走行中雨にも濡れず風にも当らない快適な車になりました」との記載があるものの、まだドアの付かない状態では表紙に描かれたような本降りの雨ではビショ濡れになったことは間違いないでしょう。


表紙アップ


【中面から】







裏面: スペック&図面



●1954年8月 みずしまTM4E・TM4F・TM4G型三輪トラック カタログ(縦20×横25.5cm・4つ折8面)
材木を積み込む光景を描いた魅力的な表紙。この時期のTM4にはホイールベース2360㎜の4E型、2460㎜の4F型、2575㎜の4G型の3種のバリエーションが存在し、これはその3種を紹介した、TM4総合カタログ。


【中面から】



フロント車幅灯新設


テールライト改良、バックライト新設


エンヂン


裏面: スペック&図面



●1954年9月 みずしまTM5型三輪トラック カタログ(縦20.5×横25cm・2つ折4面)
1955年型として2灯ヘッド化されたTM5型。ホイールベース2360㎜のE型はなくなり、ホイールベース2460㎜のTM5F型とホイールベース2575㎜のTM5G型の2種となった。


【中面から】



補助席


裏面: スペック&図面




★1955年みずしまTM5F型三輪トラック 実車画像
2018年(平成30年)10月21日(日)開催、「第22回クラシックカーフェスティバルinところざわ」の展示車両。三菱の3輪は、みずしま時代、三菱3輪トラックと称した時代を問わず現存車両はマツダ・ダイハツあたりに比べて少ないのでは。今回のイベントの他の出展車両は時間が出来ましたら別の機会に改めてご紹介したいと思います。


























★オマケ: トミカ №21-3番1/50スケール ダイハツミゼットMP
TM7/TM8は萬代屋(バンダイ)がリアルタイムでトラック・ダンプ・タンクローリー等のブリキを発売していますが、その他の立体造形物としては、みずしま時代にアンチモニー製の置物が存在するようです(現物未確認)。オマケにミニチュアが何もないのは寂しいということで、最後にトミカのミゼットの画像を1枚。「キョロちゃんオート三輪」として森永製菓が発売したChupa Chups入りは1999年製、空色ボディ/白幌の「とみか鮨」は2018年トミカ博イベント限定品。Chupa Chups入りトミカは、6-2いすゞボンネットバスなど色々出ていますが、キャンディが経年で溶けだしてしまい、あわてて開封して処分しました(汗)。

★1980年7月発売ライト付トミカ ステージセット~ 6代目鬼クラウン トミカクラブ

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昨日、2018年10月27日(土)付け朝日新聞に「私の好きな山口百恵さんの歌」として読者1396人に訊いたアンケート結果が掲載されていました。ベスト5は以下のとおりだったとのことです。

第1位「いい日旅立ち」(谷村新司作詞作曲・1978年11月発売)

第2位「秋桜」(さだまさし作詞作曲・1977年10月発売)

第3位「横須賀ストーリー」(阿木燿子作詞、宇崎竜堂作曲・1976年6月発売)

第4位「プレイバックpart2」(阿木燿子作詞、宇崎竜堂作曲・1978年5月発売)

第5位「さよならの向う側」(阿木燿子作詞、宇崎竜堂作曲・1980年8月発売)

1974年6月の「ひと夏の経験」など青い性路線の曲がトップ5には一つも入っていないのは、特別、百恵さんのファンでなくてもデビュー時から自然とリアルタイムで耳に入って聴いていた私などは意外な感じもしますが、楽曲の良さで選べば1位と2位は妥当なところでしょうか。
旧国鉄が「いい日旅立ち」をテレビCMに使っていたので、あの時代を生きた世代ならば、「ああ~日本のどこかに わたしを待ってる人がいる」の感動的なサビの歌詞を知らない人はいないでしょう。


★閑話休題
1980年(昭和55年)10月5日、武道館でのコンサートで引退した百恵さんですが、今日はちょうど同じ頃に発売されたちょっと珍しいトミカが倉庫から出てきましたのでご紹介しますNE☆☆☆



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★1980年(昭和55年)、1970年(昭和45年)9月に発売されたトミカが10周年を迎えるに当たって記念モデルとして選んだのは、1979年(昭和54年)にデビューしたばかりの当時最新の国産車3種類でした。
No.6-3シルビア2000ZSE-X、No.13-4セドリック280E、No.55-3クラウン2800ロイヤルサルーンが何れもテールライトなどにクリアパーツを奢られて1980年の夏に一斉に発売されたのです。3代目クラウンに始まったトミカのクラウンは、実車のモデルチェンジ毎にトミカ化されていましたので、トミカでは6代目が4回目のクラウンのモデル化となりました。

★トミカの6代目クラウンはパールホワイトで発売された後、通常品は赤、赤茶メタ、茶メタ、緑メタとボディカラーが目まぐるしく替わり、並行して新宿小田急デパートオリジナルで黒、スーパーギフトセットで青メタが市場に出ています。
以上とは別に通常品の発売と殆ど同時期に東京モーターショーのステージをミニチュア化した「ライト付トミカ ステージセット」が発売されています。森山義明氏著「ミニカー大百科 トミカコレクションのすべて」(1987年講談社発行)ではギフトセットの一つとして「G-70」の品番が与えられているものです。このG-70は、トミカ1台の定価が280円~320円(1981年に値上げ)の時代にトミカ4台分のギフトセットと同じ価格(1120円~1280円)と高価だったため、私は少々購入を迷ってしまい、発売の翌々年1982年(昭和57年)になってそろそろ市場から消えるかなという時期に首都圏の某私鉄駅前の玩具店で在庫していたものを購入しました。このセットは4台入りの普通のギフトセット等と異なり、恐らく生産は1回のみだったのではと思います。

●トミカ1980年7月発売G-70番「ライト付トミカ ステージセット」1/65スケール6代目クラウン2800ロイヤルサルーン入り
箱サイズ:縦14.5cm×横14.5cm×高さ7.5cm。ミニカーサイズ:全長7.3cm。当時定価1120~1280円。前後ライト点灯アクション付。単2電池2本使用。恐らく初回のみで再生産なし。発売から2018年で38年、私が購入してから36年以上を経てブリスター未開封の状態でしたが(外箱はそれなりに経年の傷みが見られます)、今回倉庫で発見した際、今開封しないと一生ライト点灯ギミックを見ないまま終わってしまうと思いブリスターを開封し、前後ライトを点灯させてみました。一緒に写っているのは通常品や小田急オリジナルの黒ですが、ウン十年開けてなかったので新品同様です。何故か一番最初に市場に出て沢山売れたはずの通常品のパールホワイトが見つかりませんでした(汗)。


箱正面


箱横面


箱背面


箱底面


未開封


ブリスター密閉状態


ブリバリ、開封!


底面に単二電池2本を入れます。


クラウンをステージの金具と合うようステージに載せます。


完成!スイッチを入れて前後ライト点灯!








コンパニオンのお姉さんがいい感じです♪


トミカ55-3番6代目クラウン通常品etcと一緒に♪




黒は小田急デパート限定品






テールライトはクリアパーツで再現



●ライト付トミカ ステージセット 動画
山村聡さん(1910年2月24日-2000年5月26日)出演の1979年6代目クラウンCMをバックミュージックにして動画を撮ってみました☆




●トミカクラブ 1977年~1984年
これも今回倉庫から出てきたトミーが出していたトミカファン向けの広報誌の創刊号からVol.39まで。創刊号はスーパーカーブーム真っ只中の1977年(昭和52年)7月1日発行。B4判・両面印刷の1枚ペラでスタートし、途中から判型は同じまま2つ折見開き4面に変っています。2~3ヵ月おきの不定期発行。金メッキなどの限定トミカが入手出来るトミカファンクラブ(=TFC)に入会すると郵送してもらえた他、都内ではデパートのミニカー売り場やミニカーショップの店頭でも一定数が配布されていました。今回出てきたものは1984年3月10日発行のVol.39クラウン特集までですが、1980年代後半になっても判型が小さくなって続いていたように思います(現在、行方不明)。判型から内容まで、1970年代前半から朝日通商が出していたマッチボックスファンクラブの広報誌と酷似しており、時系列的にも明らかにマッチボックスを真似て発行したものと思います。内容は新製品紹介の他、実車解説、コレクター訪問、ファンの座談会などで、1983年1月発行のVol.32では25歳の森永卓郎さんが所有台数5000台のコレクターとして座談会に出ていたりして今見ても楽しめます。実車解説については初期のカーグラフィック誌のような1号1車特集が多く、ロールスロイスやミニの特集などカタログなどの紙物で手を抜かないトミーらしく実車史料としても内容がかなり濃いという印象です。

青いファイルに発行順にファイルして保管してありました。


1977年7月1日発行の創刊号「ロータスヨーロッパ特集」


創刊号の奥付


1980年8月発行Vol.18に掲載された6代目クラウンの発売予告


1983年1月発行Vol.32の座談会に掲載された25歳(無名時代)の森永卓郎さん。「近々結婚することになっているのですが、フィアンセの理解が得られなくて・・・、この間も1万5000円である所の絶版車を買ったのですが、反対され、ミニカーを買うくらいなら私の靴を買ってよ!と言われてしまいました。」


1984年3月発行Vol.39クラウン特集号


トミカコレクター垂涎の白クジラや28-1日本交通も掲載されています。







★オマケ: 山口百恵「いい日旅立ち」 1978年11月
いい曲ですね。山口百恵さんは1959年(昭和34年)1月17日生れなので、私より学年が一つ上のお姉様です。

★1960年バスのいろいろ ポール・マッカートニー東京ドーム2018 ~ 乗物絵本棚から 009

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もう11月ですね☆今年も残り2ヵ月。何だかあっという間に1年が過ぎる気がしますyo☆ハロウィンが終わり年賀葉書が発売され、神宮やお台場での旧車イベントも終わると師走に突入、そして忘年会やクリスマスが終わると大晦日がやって来ますne☆。
さて、今日は2年ぶりの乗物絵本、そしてポールの来日の2本立て豪華スペシャル?!でお送りしますね☆☆☆
 




【chapterⅠ】 乗物絵本棚から 009

●乗物絵本「ばすのいろいろ」
・判型/頁数: B5判・表裏含め12頁
・シリーズ名: トッパンの愛児絵本1-3才 第26巻
・発行所: 株式会社フレーベル館 (1907年創業)
・印刷所: 凸版印刷株式会社 (1900年創業)
・編集兼発行者: 小高龍治
・絵: 小山泰治・木村定男・中島章作・藤田正純
・発行時期: 記載なし。内容から1960年代前半(1960年~1964年)と推定。
・当時定価: 70円

古い乗物絵本では実車が存在しないような、適当に描かれたバスの絵も比較的多いですが、この絵本はかなり実車に忠実に描かれています。恐らく画家が編集サイドから実車の写真を提供され、「このバスを描いて下さい」というように指定されて描いたものでは?と推察します。表紙の行先表示に「つばめ」のバスは特定事業者の車両ではなく、側面には「KANKO BUS」と書かれてます。車両は1959年(昭和34年)のいすゞBC151系でしょうか。後続する白と青のツートンは日野コンマースのようです。


日本初のセミデッカーバスとして有名な1954年(昭和29年)11月に西鉄が日野ブルーリボンBD11を改造して観光用に運用を開始した車両。実車の画像が見つからないのですが、実車もこの絵本のようなオレンジとシルバーのツートンだったのでしょうか。海岸沿いの道路の後方に小さく描かれている白と青のツートンのバスは同じ西鉄が1958年(昭和33年)5月に運用を開始したデラックスバス。いすゞBA341Pシャシー、ボディデザインはスバル360のデザインで有名な佐々木達三氏による有名な超デラックスバス。対向する緑色の車は初代セドリック、セミデッカーに後続する黒と黄色のツートンは1960年のMCで4灯となった初代プリンス・スカイライン。


赤い乗用車は1960年デビューの2代目トヨペットコロナPT20、白と緑濃淡の築地行の国際興業バスは同時期のいすゞBA351あたりでしょうか。国際興業バスが現在も続くこの白と緑濃淡のカラーに変ったのは1959年からとのことです。


1959年のフルモデルチェンジ後のいすゞBX系ボンネットバス。特定事業者の車両を描いたものではなく、側面には「日本遊覧バス」「N.Y.B.」と書かれています。後続する緑と赤の車は大盛屋のミニカーで有名な初代プリンスクリッパーのマイクロバス、対向する緑濃淡の乗用車は初代プリンススカイライン。遠景に描かれたデッキ付電気機関車が牽く貨物列車もよい感じです。


小松製作所KC20-3雪上車「ぎんれい」の雪上バス。小松のKC20-3は日本初の量産型雪上車で1954年(昭和29年)から1970年(昭和45年)にかけて計272台が造られたとのことです。この頁の下部には変わり種バスとして、いすゞの双子バス、日野トレーラーバス、英国のダブルデッカーが描かれています。


池袋東口前の東京都交通局「都営トロリーバス300型」。現在、西武デパートとパルコのある場所です。都営トロリーバスの103系統と104系統は鉄道線路と平面交差するため、いすゞDA78型エンジンを搭載した300型が製造され、交差区間のみディーゼルエンジンで自力走行しました。そのため、キャブオーバーエンジン(COE)のバスのようにフロントグリルが付いています。この絵の中に描かれている他の都営バスは肌色に赤帯の新塗装となっています。トロリーバスの後続の乗用車は1960年にデビューしたフォードファルコンにみえます。


裏表紙: 街頭テレビバス? 宣伝車のようにも見えますが、子供たちが紙芝居ではなくテレビに見入っています。皇太子(平成天皇)ご成婚パレードの行われた1959年以前のテレビ普及前の時代には、このように車にテレビを積んで巡回した車両が実在したのでしょうか。




●オマケ: いすゞ自動車特注1/50スケール1959年いすゞBC151?
全長17cm・全幅5cm。稀少なバスのアンチモニー製煙草入れ。リアエンジン部が引出し式の灰皿、ルーフを開くと煙草入れとライターが現われます。一緒に写っているのは、1950年代の西独siku製ポルシェ356です。










開閉式シガレットケース&ライター&灰皿






【chapterⅡ】 PAUL McCARTNEY ~ FRESHEN UP JAPAN TOUR 2018

●2018年10月31日(水)東京ドームでのポールの来日公演初日に行ってきました。
現在、日本人の平均寿命が男性81.09歳、女性87.26歳であるのに対して、英国人の平均寿命は男性79.2歳、女性82.9歳とのデータがあり、英国人は日本人より男性で約2年、女性で4年以上短命ということになります。ポールは現在76歳と5ヵ月位ですので、英国人男性の平均寿命まで3年を切っていることになりますが、本当に元気でパワフル。あと10年経っても今と同じようにライブをしているような気もします。ライブでは2時間40分くらい相変わらず水1杯飲まずに全力投球で突っ走ります。あとあとのために力を温存して出し惜しみするといったことはしません。常に「今」を全力投球している感じがします。ポールのライブに行くといつも元気を貰えます。ジョンも空の上で「ポールには負けたよ」と言っていそうな気がします☆
並みのミュージシャンであれば、1曲でもヒット曲があれば一生その栄光にすがって細々と生きていくなんてこともよくありますが、ポールの場合はビートルズ時代を含めて過去のヒット曲が多過ぎる上に今年リリースしたエジプトステーションも全米1位となっていますので、ライブでの選曲には明らかに困るような状況です。今年の東京ドームでも初日のAll My Lovingとアンコール1曲目のYesterdayが2日目にはCan’t Buy Me LoveとI Saw Her Standing Thereに替えられて、2日目のセットリストの方がロックンロール色が強いものとなっていました。こうなるとファンとしては初日と2日目と両方観なければ欲求不満が残ります。果たして両国国技館と名古屋ドームではどんなセトリになるでしょうか。

17時30分、東京ドーム着






水道橋駅前の非オフィシャルグッズ露店


18時、開演30分前


開演前、スクイリーンに写されたポールの生家と1961年~63年の英フォード・コンサル・クラシックの映像






ウクレレでサムシング






アビイロードB面メドレー


日の丸にハロウィン姿のポール







●2018年ジャパンツアー・フライヤー(B5判・両面印刷1枚)


裏面



●FRESHEN UP JAPAN TOUR 2018 プログラム(縦33×横24.1cm・日本語70頁)
販売価格3500円と安くはないですが、価格だけの価値はあるプログラム。掲載されているポールの最新インタビューで、コラボレートする相手で好きなのは?と訊かれて、一言「ジョン」と答える箇所には思わずこみ上げます。ジョンのファンならこの1行を読むだけでも価値あり。


ここを読むだけでも価値あり




●オマケ(その1): 1975年6月BCC発行ビートルズ・ニュースレターVol.1
ビートルズ・シネ・クラブが1975年6月に発行したニュースレターの第1号。2018年現在、43年前の私が高1の1学期だった時のもの。ジョンがアルバム「ロックンロール」を、ポールは「ヴィーナス・アンド・マース」をリリースした頃の発行。PCはおろかワープロも普及前の時代、手書きで編集されています。一緒に写っているのは2018年11月最新号。昔の号を読み返すことは殆どないのですが、処分しないで全て保存しています。








●オマケ(その2): ビートルズ系ミニカーなど
1960年代にジョンもポールも実車に乗っていたサイケデリック・ミニは2000年英コーギー04440番、イエローサブマリンはホットウィールの2018年現行品、ポールが乗っていたアストンマーチンDB5の「007仕様」は2014年英コーギー04204番。








●オマケ(その3): 「Another Girl 」2015年4月28日・日本武道館
オフィシャル映像も出ているのに、私がyoutubeにupしたこの映像が再生回数17万回を超えているのは何故?返信できていませんが、世界中からコメントも沢山入っています。


★ジタン・ブルーのミニカー達 ~ ジョン・レノン ~ ボウイ ~ みずしま三輪カタログ追補

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★有名なアビイ・ロードのアルバム・ジャケット写真でポールは煙草を手に持っていますが、1960年代、ビートルズのメンバーは4人全員が喫煙者でした。
1960年代、私が子供の頃の日本人男性の喫煙率は80%を超えていましたので、非喫煙男性は10人に1人程度というレアな存在であった訳で、非喫煙の男性は周りから「君は煙草吸わないの?随分変わってるねえ~。」などと言われとても肩身が狭かった時代です。サザエさんの家でもちびまる子ちゃんの家でも昭和のお父さんは誰しも喫煙者でした。
私が子供の頃、日曜日に友達の家に遊びに行けば、どこの家でもお父さんはタバコをプカプカ美味しそうにふかしていたものです。勿論、私の育った家でも亡父が1日中家の中で煙草をふかしていて、窓から差し込む陽の光にキラキラとゆらめく煙草の煙を子供心に綺麗だなとは思っても煙草の煙が嫌だなと思ったことは一度もないのです。また、他の家族や家政婦さんなどにも煙草を嫌がるような人は1人もいなかったのです。

★今回の記事は2013年7月のジタン記事のセルフ・リブログとしてアップしますne
その記事は愛煙家かつ嫌酒家&嫌賭博家であることを表明した、ある種のカミングアウト的な記事だったのですが、10人以上の方からコメントを戴き、割合反響が大きかったものです。
東京オリンピックの開催される2020年(新元号2年)の4月1日より、東京都内では従業員のいる飲食店では全面禁煙となるそうですが、従業員のいない(≒オーナーとその家族だけで経営という意味?)飲食店というのは少ないと思いますので、都内では外食に出かけた際の喫煙は相当に難しくなるようです。外食でなくとも、ドトールコーヒーなどの喫茶店に立ち寄っても、マクドナルドのように完全禁煙となるのでしょうか。近頃は客室内全面禁煙というホテルも増えてきており、喫煙者は出張や旅行などしても泊まるホテルに困るような世の中になってきました。

★嫌酒家の私としては、全面禁煙とするなら同時に従業員のいる飲食店は全面禁酒としてほしいところです。
しかし、それでは全国の居酒屋チェーンなどは全て廃業ということになり、現実的な話ではないでしょう。ところが、お酒の話ではなく賭博の話ですが、韓国では2006年にパチンコを全廃しており、国家が主導権を採って戦前のアメリカのような禁酒法を施行することは可能でしょう。尤も禁酒法時代のアメリカではニューヨークだけでも闇酒場は3万2000箇所も存在したとのことですから、呑兵衛を法律で封印することは難しいようです。
私は若い頃には上司などの年配の人から、「お前、男が酒も呑めなくて情けないないねえ。俺が鍛えてやる。」などと言われてよく無理矢理飲まされたものです。それが最近は、「君はお酒という人生最大の楽しみも知らず、その上、恋女房や家族もなくて実に気の毒だ。」といった趣旨のことを言われることが多いのです。恋女房もいないことは確かに悲惨な人生だなと思いますが、嫌酒家の私としては、他人様がお酒を飲むのは全く構わないのですが、お酒を飲まないことを気の毒と言われると少々答えに困ってしまいます。

●1947年から現在までデザインが変わらないジタンのパッケージ



★ジタン (Gitanes)
ジタンはフランスでゴロワーズと人気を二分するメジャーな煙草のブランド。ジタンという言葉は「スペインのジプシー女」を意味する。パッケージには扇を持ったジプシー女性のシルエットが描かれている。 1947年(昭和22年)にマックス・ポンティによってパッケージがデザインされ、踊り子が青い背景の中で紫煙を纏って踊る秀逸な絵柄は「ジタンブルー」として世界的に有名であり、煙草パッケージのデザインでは度々代表作として例に挙げられる。かつてはフランス煙草業界ナンバー1シェアを誇ったセイタ社が製造を行っていたが、1999年(平成11年)10月に同社がスペインのタバカレラ社と合併しアルタディス社となり、現在はフランス国内での生産はされずスペインで生産されている。フランス語の正確な発音は女性形への変化がなされるため「ジターヌ」が近いが、現在日本国内においては「ジタン」の呼称が一般的であり、庄野真代の楽曲『飛んでイスタンブール』の歌詞にも「ジタン」として登場する。
ジタンに使われる葉は一般的な葉ではなく、発酵した黒い葉を使っているため、香りや味は葉巻に近い。 そのため、本人はともかく、周りの人の評価は賛否が別れるところである。煙は色が薄く、比較的少ない。
ジタンは、モータースポーツのスポンサーとしても有名であり、1976年(昭和51年)~1995年(平成7年)までリジェチームのメインスポンサーとしてフォーミュラ1マシンをジタンブルーに染めていた。1978年(昭和53年)のモンテカルロ・ラリーに優勝したポルシェ911のプライベートチームはジタンがスポンサーを務めた。
ジタンは、俳優のジャン・レノやセルジュ・ゲンスブール、ミュージシャンではジョン・レノン、デビット・ボウイ、元ガンズ・アンド・ローゼズのギタリスト・スラッシュ等が好んだことでも有名である。フィクションの世界ではルパン三世、ブラックラグーンの張維新、NANAの一ノ瀬巧、紅の豚のポルコ・ロッソ、ダブルブリッドの帆村夏純などもジタンを好んでいる。(以上、Wikipedeiaより抜粋)


●ジョン&ヨーコ
1980年、篠山紀信氏撮影。ジョンはジタンを手に持っています。


●デビット・ボウイ「ヤングアメリカン」
ジョン・レノンもAcross The UniverseとFameの2曲に参加したボウイの1975年のアルバム・ジャケットはジタンを吸うボウイ。



★ジタン・ブルーのミニカー達
ここからが本題。手元にあるジタンブルーのミニカー達の一部をご紹介しますyo。







●仏スターター1/43スケール 1978年ポルシェ911モンテカルロ・ラリー優勝車
品番R114。全長10cm。レジン製。1990年代の製品。当時定価8280円。







●ユニバーサルホビー1/43スケール 1978年ポルシェ911モンテカルロ・ラリー優勝車
品番E3699。全長10cm。ダイキャスト製。1990年代に京商が国内販売した中国生産の製品。当時定価2400円(税抜)。






スターター(奥)と比較



●トミカダンディ1/43スケール ルノー4TL「ジタン」
品番F15。全長8cm。ダイキャスト製。1981年発売。ダンディの傑作モデルの1台。ボンネット・ドア・リアゲート開閉アクション付。







●青箱トミカF30-1-9番 1/60スケール BMW3.5CSL「ジタン」
全長7.5cm。ダイキャスト製。1977年9月発売。当時定価240円。ドア開閉アクション付。







●青箱トミカF17-2-10番 1/71スケール シトロエンHトラック「ジタン」
全長6.5cm。ダイキャスト製。1979年8月発売。当時定価280円。リアゲート開閉アクション付。バリエーションが多くコンプリートに蒐集することが難しい青箱の1台です。












★2018年10月21日 自動車カタログ棚からシリーズ第375回「みずしま三輪」カタログ追補

●1949年?みずしま三輪TM3型カタログ(縦21×横24cm・2つ折+英文)
上記記事にうっかり掲載が漏れていたカタログです。英文ですが実に魅力的なライトバンTM3E型を斜め後方から写したカラー表紙のカタログ。掲載型式は全長3100㎜(荷台長1500㎜)のTM3C型トラック、全長3400㎜(荷台長1800㎜)のTM3F型トラック、全長3500㎜のTM3E型ライトバン、全長3500㎜のTM3D型乗用車(パッセンジャーセダン)、全長3500㎜のTM3G型オープンワゴンの5種。乗用車やオープンワゴンは中国地区でタクシー用途に使用されたのでしょうか。


解説


TM3C型と3F型トラック


TM3Eライトバンと3D型セダン


TM3D型セダンと3G型オープンワゴン


裏面: スペック

★2018トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑 ~トミカ新製品フェラーリ広電

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2018年(平成30年)11月17日(土)、明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前 (東京都新宿区霞ヶ丘町1-1)で開催されたトヨタ博物館主催の「2018クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑」(略称:CCF)に行ってきました。
東京では2007年(平成19年)から開催されており、今回が12回目。今年は11月とは思えない20度程度の暖かな陽気で好天に恵まれたイベント日和の1日でしたyo☆☆

★今年のイベントの参加資格は「1988年以前に生産された国産車・輸入車(除く、二輪車)」とされており、日本車で言えばS13シルビアや初代エスクードあたりまでが参加資格ありということになります。
この「車齢30年以上」という参加資格のハードルは毎年同じで1年ずつハードルが下げられることから、来年2019年には1989年のR32や初代ロードスター(NA)にも参加資格が与えられることとなります。今回は平成最後の開催となることから、平成の始まりを告げた1989年、即ち平成元年は「日本車のヴィンテージイヤー」であるとして、今年はまだこのイベントの参加資格を持たないR32GT-R、ユーノスロードスター、初代ホンダNSX、初代セルシオなども特別展示されました
個人的には1980年代後半の自動車をクラシックカーと呼ぶのにはどうにも違和感があり、1975年以前に生産された車両あたりと限定した方がクラシックカーと呼ぶには相応しいと思うのですが、将来は参加資格のハードルが車齢30年ではなく「20世紀に生産された自動車」、あるいはガソリン自動車が新車で売られない時代が到来すれば「内燃機関を動力とする自動車」といった形となるのかもしれません。
例年、一般参加車(募集台数100台前後)と共に愛知県長久手市から大型トラックで陸送されてきたトヨタ博物館所蔵の貴重な車両も併せて展示されます。
ミニカーなどを売る物販がトヨタ博物館のオフィシャル・グッズコーナー以外にはなく、その分、1926年(大正15年)築の歴史ある絵画館を背景とした落ち着いたロケーションの中でじっくりと1台ずつ古いクルマを見て回れるのがこのイベントの美点です。他のイベントの場合にはプロ・アマ入り混じった大量の物販(実車パーツ、実車カタログ、ミニカー・プラモデル等)があることで、どうしても気が散ってしまい実車をじっくり見るのが後回しとなりがちです。また参加車両については、他の旧車イベントではあまり見られない戦前を含む珍しい外国車が多いのが特色です。
今回はイベント参加車両の画像を個人的な視点から抜粋して掲載しますne☆☆☆


外国車

●1958年ポルシェ356Aカブリオレ











●1961年ポルシェ356B1600スーパー90カルマンHT





●1973年ポルシェ911E・・・ナロー911最終の2.4リッター







●1975年ポルシェ911カレラ





●1958年フェラーリ196S・・・残念ながらレプリカとの由







●1956年ロータスMk.XI






●1965年ASA1000GT・・・何とも美しいブルー







●1961年ジャガーEタイプ





●1956年ACエース ブリストル







●1962年アルファロメオ・ジュリア・スパイダー





●1958年フォルクスワーゲン・カルマンギア





●1966年フォルクスワーゲン・ビートル・・・新車時から日本で時を経た貴重な車両





●1965年フォルクスワーゲン・タイプ2マイクロバス





●1963年フォード・フェアレーン500





●1962年フィアット・アバルト850TC







●1928年ベントレーW.O. 6.5リッター・・・車齢90年となった現在でも160kmで巡航可能な当時のル・マンを走った車両と同一スペックのベントレー





●1927年ロールス・ロイス・ファンタムⅠ





●1961年ロールス・ロイス・シルバークラウドⅡ・・・6m位の巨体





●1913年ACソサイアブル三輪・・・円形のステアリングなしで、どのように運転するのでしょうか。博物館の所蔵車両ではなく何と日本人の個人所有車両。





●1946年MG-TCミジェット





●1953年MG-TF1500・・・戦後、アメリカ人にモータースポーツの楽しさを教えた英車





●1961年BMWイセッタ・・・前面から乗降





●1960年FMRメッサーシュミットKR200・・・ルパン3世で有名かも



●1958年パナール ディナZ・・・熱帯魚を思わせるデザイン




日本車

●1961年トヨペットクラウン1900デラックス・・・貴重な神戸5ナンバー





●1965年ダットサン ブルーバード1600SSS・・・当時のフェアレディSP311、シルビアCSP311と同じ90psエンジンを積んだ羊の皮を被った狼の初期型DR411







●1967年日野コンテッサ1300クーペ・・・伯爵夫人の車名の通りの60年代の日本車きってのハイソ美人







●1969年マツダ・コスモスポーツ ・・・珍しいレザートップ仕様の後期型







●1973年ニッサン スカイライン ハードトップ2000GT(ケンメリ)





●1977年トヨタ スプリンターリフトバック・・・アグネスラムをCMに起用したスプリンター





●1967年トヨタ ランドクルーザーFJ45・・・ランクルのトラック仕様は基本的に輸出専用だった中で新車で国内登録された超稀少車








特別展示:日本車のヴィンテージイヤー1989年


●ホンダNSX


●ユーノスロードスター ・・・このロードスターは今年(2018年)90歳になる方が60歳の誕生日に買って30年間共に過ごしたクルマをマツダ本社が引き取った車両との由。


●ニッサン スカイラインGT-R(R32)


●初代セルシオ




【会場点描】






















★オマケ: 2018年11月発売 トミカ&トミカプレミアム新製品
恒例の第三土曜日11月17日(土)はトミカの新製品発売日。今月は、64番フェラーリ488GTB(通常品の赤と初回限定の黄色)、66番広島電鉄650形(各税抜450円)。トミカプレミアムが18番スバルBRZ R&D SPORT(税抜900円)とプレミアム初の1/43スケールモデルとしてランボルギーニ・カウンタックLP500S(税抜3500円)。トイザらス限定トミカとして、マツダ・ロードスター「メディア対抗ロードスター4時間耐久レースCARトップロードスター」(税抜599円)も発売。トミカはフェラーリということで争奪戦になるとの噂でしたが、都内の某トイザらスでは何と初回も購入台数制限なしで販売され、開店と同時にカゴ一杯に爆買いする人もいて即完売したようです。プレミアム43のカウンタックは往年のミニカー同様にフル開閉で遊べるのがマルなのですが、内装などの造り込みは色分けやメーターパネルの文字も一切なく価格相応もしくは少々プアな感ありです。




64番フェラーリ488GTB・・・フェラーリの版権表示が付いているのに箱にも本体にもフェラーリとは書いていないのは何故?






最初にフェラーリと名付けられた「1947年フェラーリ125S」(赤:1/43スケール・書店売りブックアイテム)、フェラーリ最初の市販車「1948年フェラーリ166MM」(白:1/43スケール伊ART MODEL)との饗宴










トミカの新製品と一緒に手に届くところにあった他のフェラーリとフェラーリ三昧♪・・・とは言っても個人的にはポルシェ贔屓ですので、フェラーリのミニカーはあまり持ってはいないのですyo


トミカプレミアムRS 1/43スケール ランボルギーニ・カウンタックLP500S








内装はのっぺり


トミカ66番1/162スケール「広島電鉄650形」・・・個人的にはフェラーリよりも発売が楽しみで待ちに待っていたトミカの広電650形。Nスケールに近いためNゲージのジオラマにも使用可能では。パンタグラフ昇降アクション付。内装シートまで造り込まれています。他の車番や多数の行先表示のシールが同封されているため、バリエーションを作って楽しめます。他のトミカ同様にとりあえず3両買いましたが、これはもう少し買い足す価値がありそうです。


パンタ上昇時


パンタ下降時


本体裏面



★1954年オートサンダル 黎明期の軽自動車 お台場旧車天国 ~ 自動車カタログ棚から 376

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昨日11月22日は「いい夫婦の日」ということで、夫婦水入らずでディナーに行ってきたなんて方も多いのでしょうね。「いい夫婦」と言うと仲が非常に良い、愛情に溢れた理想の夫婦というイメージですよね♪人間誰しも、いつかは「いい夫婦」になってみたいものですよね♪いい夫婦の反対は「悪い夫婦」ということになりますが、夫婦揃って窃盗などの前科があるとか、あるいは、夫婦揃って大酒飲みでアル中だとか、夫婦揃って賭けマージャンやパチンコに狂ってるとかといったイメージでしょうか☆

11月23日(金)は勤労感謝の日ですね。土日と続けて3連休という方も多いことと思います。せっかくの3連休ということで遠方に旅行に出かけるといった方も多いのでしょうね。しかし、もう1ヵ月ちょっとすると年末年始休暇になりますので、中には年末年始までは旅行はお預けなんていう方もいるのでしょうね。かく言う私も幸い3連休なのですが、貧乏暇なしと言いますか、やるべきことが多くてなかなか遠方には出かけられそうにありません(汗)☆☆

閑話休題
11月18日(日)のお台場旧車天国で大変稀少なオートサンダルの現存車両を見てきましたので、今日は簡単に実車の写真及び動画と併せて1954年のオートサンダル最終版カタログをご紹介しますne☆☆☆
 



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★名古屋市在住の中野嘉四郎(生没年不詳:調査中)は、大正時代中期に自動車部品業界に身を投じ30歳になる前の1926年(大正15年/昭和元年)時点では名古屋でのフォード車純正部品販売店を営む成功を収めたが、その傍らで秘かに自動車製造の野心を抱いていた。
1931年(昭和6年)より、個人企業「ヂャイアントナカノモーター」を経営し、オート三輪トラック「ヂャイアント号」を開発・製造した。ヂャイアント号は1937年(昭和12年)に帝国精機産業に製造移管(翌1938年、同社が帝国製鋲に社名変更)、さらに戦後、愛知航空機の後身である新愛知起業、そして愛知機械工業に三輪トラックの生産を移管した。


★日本初の軽自動車「オートサンダル」の誕生から終焉まで

【試作・前期型】


中野嘉四郎が戦後1947年(昭和22年)より開発を始め、1951年(昭和26年)に自らの経営する中野自動車工業にて完成させたのが、リアエンジン・リアドライブ2人乗りの「オートサンダル」であった。当時、戦後に日本にも出現したスクーターが「走る椅子」として世間に喧伝されていた向こうを張って、「走るサンダル」というべき軽便さを売りにした生活感溢れるネーミングである。 1951年(昭和26年)に完成したオートサンダル試作車は、ボンネットおよびリアのエンジンフードが全体に円弧を描いた、玩具じみたスタイルで、デザイン以前のデザインと言うべきものと言えた。翌1952年(昭和27年)から市販を開始したモデルは、ボンネットのフロントノーズを高くし、ダミーグリルを与えるなどのリデザインで、いくぶん自動車らしい形態を備えるようになっていた。ただしハンドメイドのため個体の仕様違いが多かったようで、九州に現存するFS型実車はボンネット蓋を持たない、試作車に近い形状である。ボンネット高の嵩上げは、フロントのトランクスペース確保のための策でもあった。 エンジンは、旧・三菱重工系の中日本重工業が定置動力・農業用などの汎用として製造した「セントラルコミパワーCE30」(空冷4ストローク・サイドバルブ単気筒348 cc・5PS/2,700 rpm「メイキエンジン」とも)を搭載した。二輪車では社外製エンジンをアッセンブリー式に搭載することが当たり前であった当時、三菱製エンジン搭載はむしろステータスと考えられていた節があり、カタログにも堂々と「強力なエンジン」として紹介されていた。セルフスターターが無く、運転席側後方の外板から露出したキックスターターを、車外で蹴り下ろしてエンジン始動させてから乗り込む必要があった。変速機は当初、円盤2枚を組み合わせた原始的無段変速機のフリクションドライブ式だった。構造は簡単だが変速機内における摩擦・空転のロスが避けられないシステムである。フリクションドライブ車「FS型」はカタログスペックで車重390kg、最高速度45km/hとされた。全長2,280 mm、ホイールベース1,430 mmであるが、全長についてはハンドメイドボディの形状によって多少の差異があったものと見られる。このフリクションドライブ仕様車はエンジン搭載位置が後車軸より前方にあるミッドシップ・レイアウトだったことが挙げられる。当時の日本にはそのような自動車用語は無く、またミッドシップ・レイアウトがオートサンダルのような超小型車において有利であったのかどうかは疑問でもあり、ミッドシップによる操縦性を考慮した自覚的な配置・設計というより、フリクション変速機の構造的制約(非常に嵩張ってスペースを取る)によるやむを得ないレイアウトであったものと言える。オートサンダルはFS型・FN型とも前後輪を単純な縦置き半楕円リーフスプリングで支持していたことがカタログ側面図からわかるが、懸架方式について言及・検証した文献は見られない。非駆動輪の前輪は固定車軸とみられるものの、後輪については独立懸架もしくはド・ディオンアクスルであった可能性もある。FS型の駆動系は、出力側フリクションディスクから左横方向にシャフトを引き出し、スプロケットを介してローラーチェーンで前方のディファレンシャル・ギアに動力を伝達する構造で、そこからハーフシャフトが出ており、ジョイントを介して後輪を駆動している(右シャフトはフリクションディスクユニットの真下を通る)。この場合、リーフスプリングとは別にトレーリングもしくはリーディングアームを設けて左右の後車輪を位置決めするなら独立懸架にできたが、むしろ縦置きリーフスプリングのみで駆動シャフトとは別の車軸を支持するド・ディオンアクスルの方が技術的に容易である。

【中期型】

続いて2速手動変速機仕様の「FN型」が追加された。こちらはホイールベースをそのまま、シャーシを前後オーバーハングで合計110mm延長、座席位置を後車軸寄りにずらし、エンジン搭載位置を車体後端とした一般的なリアエンジン式で、車重は407kgに増えたが最高速度は50km/hに向上した(尤もこの最高速度はあくまでカタログスペックである)。FS、FNは併売されていた模様で、それが事実であれば日本初の「同シリーズ車におけるマニュアル車とオートマチック車(セミ・オートマチック車)の併売」であったことにもなる。1953(昭和28)年型からは手動変速機を3速化したとされるが、現存する唯一のFN型は1952(昭和27)年式ながら3速式で、これまた少量生産ゆえの仕様ぶれと言える。
当時のカタログには、リッターあたり25kmという経済性、取扱・修繕容易という特徴に加え、「200 kg積載」「箱根、鈴鹿を楽々と越える」という楽天的な売り文句が掲載されていた(驚異的な高性能ミニカーである、本当に事実だったならばの話だが)。空車でオートサンダルとほぼ同程度の車重(385kg)があり、エンジン出力は3倍の16PSあった1958年(昭和33年)発売のスバル・360ですら、急勾配をオーバーヒートなしに登坂できるまでには多くの困難があったことを考えると、果たしてどれほど信頼に値する惹句であったかは甚だしく疑問が残る。またカタログには様々な派生車種が掲載された。基本型の2座オープンである「ロードスター・ロリー」のほか、「ピックアップ」「トラック」「ジープ」「4座セダン」など多彩な内容であったが、「ロリー」以外の派生型については果たして本当に製造/市販されたかすらも怪しい(後述する1954年の前輪駆動モデルであれば貨物車のバリエーションは展開可能であったろうが、前期型のリアエンジン・オートサンダルの場合、構造・スペースの面から自在な設計は不可能であると見るほかない)。ただし、「4座」モデルは実際に写真が残っており、一見するとオープン2シーターだが、普通であればトランクである場所に2シートスペースが設けられていた。この4シーター型がFS・FN型のバリエーションであったのか、後述する前輪駆動のFN-L型ベースであったのかは明確でない。

【後期型】

1954年(昭和29年)にはフルモデルチェンジが計画され、従来の「FN-L型」が前輪駆動化されることとなった。同時にエンジンも新型に変更された。前車軸前方に縦置きオーバーハング搭載される新エンジンは、水冷2ストローク・直列2気筒238cc・10HP/5,000rpmを公称した(自社製かエンジンメーカー製かは不明)。排気量が小さくなったのは、当時の軽自動車規格が2ストロークエンジンだと240 cc以下に制限されていたためである。セルフスターターも装備された。
当時のカタログによれば、新モデルの2ストロークエンジンはガソリンと2ストロークオイルの混合を配管上で行う分離給油仕様(後発の軽自動車メーカーより10年近く進んでいた)で、旧FN型同様に2座・3段手動変速が基本だが、最大積載量250 kg、最高速度70 km/hを公称しており、後発の日本自動車工業が製作した「NJ号」に匹敵するスペックであった(しかし車重は400kgと重く、多分に現実味の薄い数値であった)。全長2,810 mm、ホイールベース1,570 mmと大型化されており、シャーシは引き続きボディと別で、前後車軸とも縦置きリーフスプリング支持の固定軸を持つ(カタログ平面図から判別される)が、前輪駆動の構造制約上から「特許」を称する「自由関節ドライブ」を装備することがカタログに書かれており、前輪ドディオンアクスルであった可能性は否定できない(ドディオン式の前車軸を持つ前輪駆動車は、1930年代以前の前輪駆動車黎明期に幾つかの先例がある)。しかしこの前輪駆動モデルは、カタログは残っているものの試作車のみで量産/市販はされなかった可能性もある。カタログ写真およびシャーシ平面図では左ハンドル仕様となっていたが、その意図も不明である。結局オートサンダルは、リアエンジン型がわずかに196台製造されたのみだった(200台以上とする文献もあり)。福岡県久留米市の旧車販売業者「セピアコレクション」が保有するFS型とFN型各1台(何れもナンバープレート取得済)が2012年(平成24年)時点で現存しているが、その他の現存車両は草ヒロを含め未確認である。(以上、Wikipediaより抜粋・一部加筆)

【主要スペック】 1954年オートサンダル ロードスター・ロリー(1954 Auto Sandal Road Star Rolly)
全長2810㎜・全幅2810㎜・全高1240㎜・ホイールベース1570㎜・車重400kg・FF・水冷2ストローク・直列2気筒238cc・最高出力10HP/5,000rpm・変速機3速MT・最低地上高180㎜・乗車定員2名または250kg・最高速度60km/h・販売価格36万5000円


●1954年オートサンダル カタログ(B5判・日本語3つ折り6面)
オートサンダルは3年に満たない生産期間にカタログは確認されているだけで5種類もあり、コンプリートに揃えることはハードルが高い。手元のカタログ棚にあるのは現在この1部のみ。現存車両が確認されていない、FFとなった最終型もこれとは異なるカタログが発行されており、ウィキペディアでは「市販されていない可能性あり」と記載されているが、カタログが2種も発行されていることから現存車両がゼロではあっても未市販ということは考えにくい気がします。


日本オートサンダル自動車株式会社本社の住所は名古屋市昭和区小針町。


【中面から】

ロードスター・ロリー・・・・・36万5000円




ピックアップ・・・・・34万円




軽ジープ・・・・・33万円




「1リットルで20kmも走れる世界一燃料のいらない経済的な四輪自動車です。・・・」


図面


スペック


説明書




●オートサンダルのセールス・カタログ一覧
・最初期型・・・・・オールドタイマー2018年12月号(No.163)に掲載された画像


・中期型・・・・・同上


・後期型・・・・・同上


・黎明期の軽自動車の研究で著名なI氏のコレクション・・・・・稀少な1952年部品カタログを含む4種類




★お台場旧車天国2018に現れた黎明期の軽自動車たち

1952年オートサンダルFS型・・・・・福岡県久留米市荒木町のセピアコレクション所蔵車両




















フリクション・ドライブ


簡素な運転席



●1952年オートサンダルFS型エンジン始動~走行動画
ちょうど会場から出るFS型に遭遇したので撮影。セルの装備はなく、エンジン始動は2輪のようなキック式。



1953年オートサンダル ・・・・・前後オーバーハングを110㎜延長。これも福岡県久留米市荒木町のセピアコレクション所蔵車両。














左サイド


右サイド






エンジン


フロント・エンブレム


サイド・エンブレム


ホイールキャップ


運転席



1954年 住江製作所フライングフェザーFF7型・・・・・林 克巳コレクション




エンジン




運転席


スタイリッシュなサイドビュー


ワイヤーホイール



1955年富士自動車フジキャビン・・・・・左側のみに乗降ドアの付いた初期型。これも林 克巳コレクション。レストアを施さずに自然に時を重ねてきた佇まい。










ドアは左側のみ


運転席・・・・・左右のシートは前後方向にずらして配置






★オマケ(その1):BOS MODEL 1/43スケール 1953年フォルクスワーゲン ダウネンハウアー&スタウス カブリオレ
オートサンダルのミニカーはレアな日本車のモデル化で有名なスタジオKAN製にもなく、かと言ってオマケにミニカーなしでは少々寂しいということで、オートサンダルと同時代の珍しいVWのミニカーを1台。全長10cm。ダイキャスト製。フロント周りはポルシェ356にそっくり。少々太った356といった風情の珍車です。












★オマケ(その2): 森永製菓チョロチキ先輩LEDキーホルダー
今、ファミリーマートでチョコボールなど3つを買うとLEDキーホルダー1つが貰えるキャンペーンをやっていることをmonkinさんのブログで知って買ってきました。キーホルダーは4色あって選べますが、4つ揃えると4は死を意味して縁起が悪いかもと思って、空色・ピンク・オレンジの3色まででやめておきました(他にライトグリーンあり)。


LEDは結構明るいです。




★オマケ(その3): 映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」
2018年11月23日(金)全国ロードショー作品。1975年から日本公演に行っているエリックファンの私としては、これは是非観に行きたい映画です♪

★物流博物館2018年企画展「トレーラーと牽引車(トラクター)」日通の車両~エリック・クラプトン

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もう12月。1年が早いですよne☆
ところで、皆様は年賀状を出していますか~???
今年も師走に入り年賀状の準備を始めてるよ~なんて方も多いことと思います。私は小6だった1971年(昭和46年)の暮れから父親が他界した昨年以外はずっと出してきたのですが、最近は概ね70枚出しても返信があるのは10人位でして―返信確率7分の1位(大汗)―、中にはメールやラインで返信を下さる方もいますが、殆どの方はメールなどでの返信さえもなく完全無視という感じですので、私のような性根・性格の悪い嫌われ者の場合ですと年賀状を出すのも精神的には結構辛いものがありますよne~☆


年賀状を出しても無視ならまだしも、中には「年賀状なんて送るな!昔から何を考えてるか判らない斜に構えたようなポルシェさんのことが大嫌いなんだから!」などと正月早々怒りの電話をしてくださる方もいたりします。そんな時は、一応、「仰る通りです。どうもあいすいません。来年はなるべくお送りしないようにしますので、どうかお許しくださいませ」などと謝る訳なのですが、出すなと言われると出したくなるのが私の性格の悪さと言いますか私の性分でして怒られても怒られても毎年出してしまったりしますyo☆

あと年賀状で困るのは私の場合、人並み外れたパソコン音痴、機械音痴と言いますか、ご承知の通り学生時代の理数系の偏差値が軒並み「25」でセンセイも呆れる大変な不良&劣等生&落ちこぼれでしたので学校に教科書を持って行ったこともなくテストはほぼ0点しかとったことがありませんので、住所・氏名のエクセルへの入力までは楽に出来るのですが宛名を自動的に印字する方法が皆目判りませんでして(と言うか、パソコンは持ってますが、そもそもプリンターを持っていないのです)、手書きの宛名書きだけでも70枚書くには相当な時間がかかり、一人一人に丁寧にコメントを入れたりしていると数日かかってしまいますので、それでも返信は殆どもらえない訳なのですので、私の場合、誰が見ても年賀状は苦労して出すだけ時間が無駄という状況にあると言える気がしますよne☆

唯一、出して良かった!と思うのは年賀状が宛先不明で戻ってきてしまい、調べてみたら、その方は亡くなっていたといったケースでして、年賀状を出して殆ど返信がなくとも宛先不明で戻って来なければ「生きていらっしゃるんだな」ということだけは判ります。ただ、そもそも何十年も会っていない、あるいはメールや電話でのやりとりも全くないような方に年賀状を出す意味があるのか疑問であったりもします。と言う訳で、年賀状は今年からやめるべきか、少なくとも生存確認の意味があるので続けるべきか迷っているところであったりもしますyo。
あるいは、返信のない人にまで出さずに返信のある人だけに出すという手もあり、そうしますと私の場合は10通くらい書けば済むという話にもなります。でも、夢としては年賀状が100通あるいは300通位来るような人気者=人から好かれる人間=人生の成功者になりたいというのが一つありまして、皆様も御存知の通り結婚についても同じなのですが、他人から「ポルシェさん、もう結婚は諦めた方がいいよ。悪いことは言わないから諦めなよ。」などと言われても、なかなか夢を捨てきれない性格ですので年賀状についても大いに悩みますよne~。


でもね、このアメブロが頑張っても週一しか更新できないのは、平日は忙しくて疲れてしまうのと睡眠時間を削ってまで文字数や画像の多いブログをアップできないという判断もあるのですが、実は生来の無精者であることも一つ大きな理由なので、年賀状もやめてしまえば無精が出来て楽になれるなあ~、もう年賀状出すのはやめちゃおうかなあ~、と実は密かに思っていたりしますyo☆☆
と言う訳で、2019年から年賀状は「貰った人にだけ年賀状を書く」ことになるかもですyo☆☆


閑話休題
現在開催されている、物流博物館の企画展「トレーラーと牽引車(トラクター)」を見てきましたので、今日は簡単に記録をしておきますne☆☆☆



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★品川駅高輪口徒歩7分の場所にある「物流博物館」は1958年(昭和33年)に日本通運本社内に設立された「通運史料室」を前身とする1998年(平成10年)8月に開館した物流全般に関する博物館で現在は公益財団法人利用運送振興会が運営を行っています。

【物流博物館】
住 所: 東京都港区高輪4-7-15
開館時間: 午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日: 毎週月曜・毎月第4火曜・年末年始
入館料: 高校生以上200円、65歳以上100円

★企画展「トレーラーと牽引車(トラクター)」
残念ながら、企画展の撮影は不可とのことでしたので、フライヤーと博物館News最新号の画像のみ御紹介します。企画展の内容は、日通の元社員で自動車輸送やトレーラーの研究を行い戦後は荷役研究所を主宰した平原 直(ひらはら・すなお)氏の所蔵していた戦前のトレーラー車の実車カタログ等の史料(現在その大半は流通経済大学物流科学研究所 平原 直 物流資料室に保管)、青木裕子氏所蔵の戦前の写真史料等、貴重なものが多く、古いトラック・トレーラー、特に戦前物に興味がある向きには必見と言えます。2018年12月末までには今回の企画展の展示内容を収めた図録を売価400~600円で発行/販売予定で、物流博物館まで行かれない地方の人などには送料実費にて図録の通販も可とのことです。

フライヤー(A4判・両面印刷1枚)




1958年 日通名古屋支店のヂャイアント三輪トレーラー


1959年 黒四ダム建設用セメント トレーラー



物流博物館NEWS Vol.15 「トレーラーと牽引車(トラクター)」特集号(A4判・2つ折4面)




1964年 三菱ふそうフルトレーラー日本通運


1962年頃 大阪梅田駅のヂャイアント三輪



【物流博物館】


地図


品川駅高輪口を降ります。


1967年(昭和42年)12月の高輪口。102系統池袋駅前行の都営トロリーバスが走っていますが、現在も低層のままであるためこの頃と雰囲気はあまり変わっていません。


高輪口前の第一京浜を品川プリンス側に渡り、西に真っ直ぐ伸びる坂を上り切ったところで道路が大きく右へカーブするこの地点で右へは行かずに左へ曲がるとすぐ左側に物流博物館があります。


物流博物館






チケット


常設展示・・・・・模型も沢山あります。






1/40スケール 240トン トレーラー


Nスケールの動くジオラマ・・・・・藤沢のいすゞプラザのように見えるレールなしではなくレールありながら大量の自動車が動く様は壮観です。夜から朝への転換もあります。





●Nスケール動くジオラマ 動画




★1950~1960年代前半の日通車両たち
貴重な古い日通車両たちの秘蔵画像を駆け足でご紹介します。

ダイハツ三輪・・・明らかに過積載に見えます。


ダイハツ三輪の後ろにヂャイアント三輪


日通東京支店の三輪トラックの並び


いすゞTX


雨の日のいすゞTX


日通豊岡支店のいすゞTX


ドーム式屋根が印象的な大阪駅の日通大阪支店の車両たち(1961年撮影)。手前にニッサン180らしき古参が写っています。


いすゞTX 1960年式


ニッサン580?等の日通連隊。最後尾にヂャイアント三輪が見えます。


いすゞ4輪駆動車




トヨタ


三菱ふそう重量物運搬トレーラー


ニッサン・・・日東紡富久山工場にて。専用線のDLに比べると大型トラックが小さいことが判ります。


三菱ふそう他


ヂャイアント三輪トレーラー。1961年8月撮影。日通東京支店が国立国会図書館の引越しに伴う運送を請け負った際のスナップ。


日通横浜支店のミンセイUD




日通八王子支店の車両運搬車。載せられている乗用車は全て日野ルノー4CVです。


日通水戸支店のマツダ三輪のせかえ車


国鉄コンテナを運ぶダイハツ三輪トレーラー




マツダK360が4台。輸送のためかK360は全てグラスエリアが外されています。



1959年日通式300トントレーラー。製造メーカーはどこでしょうか。


いすゞTX、日野TH、三菱ふそう


日通小田原支店の三菱ふそう。東海道新幹線開業へ向けての工事でのスナップ。


鉄路と日通。トヨタ、いすゞ、2代目トヨエースなどが写り込んでいます。






★オマケ(その1): デンマーク テクノ434番 1/56スケール ボルボ セミトレーラタンクローリー「SHELL」&「BP」
全長23.5cm。ダイキャスト製。当時定価1600円。ギミックなしのミニカーながら、ズッシリと冷たく重いダイキャストの質感が最高に魅力的なお気に入りのミニカーです。SHELLが先にカタログ落ちし、BPのみ1970年頃まで売られたようです。一緒に写っているのは大きさ比較用のトミカのポルシェ356。






SHELLのBox Artは何とも秀逸です。




★オマケ(その2): シンセイ605番 1/60スケール 三菱ふそう バントレーラー
全長22.5cm。ダイキャスト製。当時定価1500円。1977年2月発売。同時期にリリースされたトミカダンディの日野トレーラーは荷台がプラスチックでしたが、このシンセイは荷台部分までズッシリと重たいダイキャスト製でとても魅力的です。惜しまれるのは、トミカダンディのように企業違いのバリエーションがないことでしょうか。












フル開閉


エンジンも再現♪






★オマケ(その3): 野村トーイ 1/18スケール 1957年ダイハツRKO型 日本通運ダンプ
全長27cm。ブリキ製。当時定価:不明。オート三輪の当時物ブリキの中で最も出来がよく人気もある1台。ホイールがプリントされている画像のものが1stモデルで2ndではホイールが無垢のクロームメッキに変更されています。箱付ミントの市場評価額は80万円前後で推移していましたが、最近はこの年代の日本車に思い入れのある世代の高齢化もあり、少し下がっている感じがします。ただ、人気がある故に高値はつきますが意外に現存数は多い感じがします。




左サイドの赤いレバーを引くと荷台が跳ね上がります。


運転席






★オマケ(その4): 増田屋齋藤貿易 1/14スケール 1957年ダイハツ ミゼット日本通運
全長21.5cm。ブリキ製。当時定価:都内200円・地方220円。マスダヤからはミゼットMPも出ていますが、これは初期の所謂バーハンドル車。大阪ブリキが増田屋のバーハンミゼットは1990年代に復刻していますが、残念ながら、この日通仕様や郵便仕様は復刻されていません。箱付ミントの現在の市場評価額は30万円程度でしょうか。




2輪のようなバーハンドル






★オマケ(その5): 萬代屋(現バンダイ) 1/24スケール 1956年ニッサン ジュニア日通パネルバン
全長30cm。ブリキ製。当時定価:不明。バンダイの初代ジュニアのノーマルバージョンは右ハンドル、左ハンドル共に結構な数が残っているのに対して、この日通パネルバンと郵便パネルバンは稀少で殆どアンティーク玩具市場で見かけません。レア度を10段階で評価するなら、9~10の激レアと思います。萬代屋で既存製品の荷台部分をジュニアと接合させたため、恐らく実車には存在しない超ロングホイールベース車です。箱付ミントが発見された場合の現在の市場評価額は35~45万円位でしょうか。










運転席




★オマケ(その6): エリック・クラプトン 12小節の人生
2017年 英国映画。135分。観てきました。考えてみると、ビートルズのメンバーを観たのは1990年のポール来日が最初なのですが、エリックは1975年、私が高校1年の秋に武道館で観ているので、もう軽く40年以上、何だか一緒に歳を重ねてきたような感覚があります。映画はジョージの妻だったパティとの恋や息子コナーの死などよく知られたエピソードも丁寧に描かれています。幼い息子コナーの転落死~葬儀に参列するエリックの場面ではさすがに周りからすすり泣きが聞こえました。印象的だったのはエンドロールが個人的に一番好きなエリックのアルバム「461 オーシャン・ブールヴァード」収録のメインライン・フロリダ(Mainline Florida)だったこと。高校生の頃にコピーしてよく演奏した曲でしたので。
今回は近所の吉祥寺でなく日比谷TOHOシネマズシャンテにネット予約もしないまま行きましたが、ほぼ満席でチケットを買う際、残り2席ですと言われてビックリしましたyo☆

新聞広告(第二弾)


映画プログラム(縦18.2×横18.2cm・日本語40頁)


★都電の記憶 北区飛鳥山博物館 企画展 ~ Oゲージ都電5501 PCCカー

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★昨日2018年12月8日(土)は北区飛鳥山博物館の平成30年度秋期企画展「都電の記憶」を観てきました。
実は飛鳥山には、ちょうど40年前の1978年(昭和53年)に引退する都電6000形を撮影に行き、路上に居合わせた510ブルやスバル1300G等のクルマ達を写真に撮ったことがあり、その写真を今回の記事の目玉として載せるつもりで今日12月9日(日)はその写真を数時間かけて探してみたのですが、どこに仕舞ったものか、ついに見つかりませんでした。
その写真は何れ出てきたらご紹介することとして、週末1回の記事更新を1週飛ばさないように、やっつけ記事となりますが(大汗)、企画展のレポートを簡単にしておきますne☆☆

★JR王子駅・・・・・・都電荒川線の併用区間が見られます♪


★飛鳥山公園モノレール ・・・・・飛鳥山博物館へは歩かなくとも2009年(平成21年)7月17日より運行している嘉穂製作所のスロープカー「アスカルゴ」に乗って18m上の山頂まで行くことができます(乗車無料・車椅子可)。


★北区飛鳥山博物館・・・・・1998年(平成10年)3月27日に開館した主に北区の郷土資料を扱う博物館。常設展以外に定期的に企画展が開催されています。今回の企画展「都電の記憶」は10月27日(土)~12月9日(日)の期間で開催されました(企画展は入場無料)。元フリーカメラマンの西山英明氏が1967(昭和42年)~1968年(昭和43年)にかけて撮影した都電19系統(王寺駅前~通三丁目間)と32系統(早稲田~荒川車庫前)の白黒写真をメインに構成された展示となっていました。同じ西山氏撮影による都電写真を使用した企画展「都電残照1967」が2015年(平成27年)に開催されており、その際はカラー写真がメインで今回以上にインパクトのある内容だったようです。既に完売している企画展「都電残照1967」図録の博物館保存分を見てきたのですが、とても魅力的な内容で2015年に観に行かなかったことが少々悔やまれます。









●企画展「都電の記憶」図録(A4判・71頁)
1967~68年の東京の路上のクルマ達と都電の白黒写真が満載。クリアホルダーのオマケ付で売価550円は割安感ありです。




通三丁目


ハチマキ グロリアワゴン


飛鳥山



●飛鳥山博物館だより「ぼいす」41号(A4判・8頁)
2018年9月20日発行号の表紙は都電と初期のいすゞベレットセダン。



●飛鳥山公園の都電6000形と国鉄D51
何れの車両も丘の上のこの場所までどうやって運んだのか不思議。


都電6080






国鉄D51853












★オマケ(その1): ST.-Petersburg Tram Collection 1/43スケール1954年 都電5501
全長32cm。100両限定生産の稀少品(26/100)。神田ケンクラフト販売。銅製?一緒に写っているのはエブロの1/43初代トヨエース・バン「崎陽軒」。このメーカーの都営トロリーバス同様に博物館展示モデルの雰囲気です。動力なしながら室内まで丁寧に造り込まれています。








100台生産中のNo.26を証明するカード。




★オマケ(その2): 米澤玩具 都電5502
全長25cm。PCCカーをモチーフとした珍しいブリキ玩具。一緒に写っているのはマルサン商店の1/50スケール初代トヨエース(ダイキャスト製)。






桜にYの字の米澤ロゴ




★オマケ(その3): 三浦トーイ 都電6012
全長35cm。3つドア電車玩具の金型を流用して都電に仕立て上げたブリキ玩具。都電のブリキは寺井商店(ダイヤ)の大小サイズが有名ですが、この三浦トーイ製はあまり見かけません。方向幕に「電車」とプリントされているのが笑えます。一緒に写っているのはモデルペットのスバル360。






三浦トーイのロゴマーク


室内には新聞を読んでいるサラリーマンさんもいます♪




★オマケ(その4): サクラ1/150スケール程度 ちんちん電車
全長7.5cmの2両セット。ダイキャスト製。品番226。都電6000形をモチーフとした1970年代の鉄道玩具。概ねNスケール。








★オマケ(その5): トミカリミテッドヴィンテージ・ネオ 1/64スケール いすゞエルガ「東京都交通局」
2018年12月8日(土)発売の新製品。定価: 税抜9800円。品番LV-N139g。品番末尾がgということは、この東京都で7種類目?この定価ではバリエーションを全て揃えるのは大変です。一緒に写っているのは2009年発売LV-N09dのいすゞBU04型東京都交通局・美濃部カラー。2009年のTLVのバスはまだ3000円台前半位の定価だったと思います。現在は何故か3倍位の価格にまで上がっています。2台のバスの実車には40年の歳の差があります。












★旭玩具1957年 初代トヨエース 田宮模型 木製キット ~ブリキ自動車コレクションから 014

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2018年12月14日(金)、来年2019年10月に予定されている消費税率引上げへの対策として政府与党は自動車税減税や住宅ローン減税延長などを打ち出しましたが、そもそも消費税は万人に平等に課されるものなのに自動車や住宅というものは持っていない人も大勢いる訳で対策としては疑問に思います。例えば、自動車については私の住む住宅街で自動車を持っている家はどちらかというと少なく、何軒かは持ってはいても普段の通勤に使うといった生活必需品としての所有ではなくメルセデスGクラスやポルシェボクスターといった趣味として所有しているクルマが大半だったりします。そもそも路線バスは5分おき位に来ますし、駅まで歩いても10分位ですから、近所の家でクルマで通勤をしているという人は見たことがありません。尤も重役級の人で毎朝お抱え運転手が迎えに来るという家はあるのですが。住宅ローンにしても、そもそもローンには縁のない先祖代々の家に住んでいるとか賃貸暮らしだという人も世の中には多いはずですよね~☆☆

閑話休題
もう今年2018年も残すところ半月ですが、貧乏暇なしといいますか、色々と用事が多くあまり時間がとれませんため、今日は簡単にブリキ自動車コレクションの第14回記事として旭玩具の初代トヨエースをご紹介しますne☆☆☆
 


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★1955年(昭和30年)、日本の小型トラックは三輪トラック(オート三輪)のシェアが8割を超えていました。
それが廉価なトヨタの小型四輪トラック「トヨエース」(初代SKB型)の大ヒットにより、1957年(昭和32年)には四輪トラックのシェアが三輪を上回り、三輪トラックは市場から駆逐され、やがて消滅することとなったのです。

★初代トヨエース は当初1954年(昭和29年)9月に「トヨペット ライトトラック」の名称でデビューし、発売から約2年後の1956年7月にトヨエースの愛称が付けられています。
トヨエースは質実剛健な造りと度重なる値下げによりトラックの国民車としての地位を不動のものとしました。トヨエースというと僅か5年弱で製造を終えた初代よりも、1959年(昭和34年)3月から1971年(昭和46年)7月にかけての行動経済成長期に12年間も製造販売された2代目の方が存在感は大きく、リアルタイムで販売されたモデル玩具も2代目トヨエースの方が遥かに種類が多いのですが、初代は何と言っても上述のとおり三輪トラックを国内市場から駆逐したという歴史的な意味が大きい世代であったと言えます。

【主要スペック(実車)】
全長4237mm・全幅1675mm・ホイールベース2500mm・水冷4気筒S型995cc・30馬力(デビュー時。MC後はパワーアップ)


★旭玩具の初代トヨエース
リアルタイムに製造された初代トヨエースの模型玩具等の立体造形物としては、旭玩具製作所の大サイズ(全長23.5cm)と小サイズ(全長19cm)の2種類、マルサン商店の1/50表記のダイキャストミニカー、田宮模型等の木製ソリッドモデルの存在が確認されています。
旭玩具の初代トヨエースの大小2種類のうち、今回ご紹介するのは大サイズのノーマルバージョンがメインです。大サイズにはノーマルバージョン以外に幌付、日通仕様幌付が存在しますが、幌付は何れも極めてレアで手元にはないため、書籍やお借りした画像にてご紹介することとします。


【旭玩具 1/18スケール初代トヨエース 大サイズ 概要】

・全長: 23.5cm(実車比1/18.0スケール)
・全幅: キャブ9.5cm・荷台10.5cm(キャブ実車比1/17.6スケール)
・ホイールベース: 13.7cm(実車比1/18.2スケール)
・当時定価(ノーマル): 都内230円・地方最低小売250円
・当時定価(幌付き): 都内270円・地方最低小売300円
・発売年: 1957年(昭和32年)
・カラーバリエーション: 灰緑、灰/赤ツートン、緑/赤ツートン、緑/黄ツートン 等
・市場評価額(2018年現在、箱付ミントコンディションの場合): ノーマル20万円~、幌付き50万円~、日通仕様80~100万円程度。
ノーマル仕様の箱なしは比較的アンティーク玩具市場に流通していますが、元箱付は滅多に見かけません。幌付きの場合は子供が遊んだジャンクでさえ殆ど市場に現れず、箱付ミントは極めて稀少。日通仕様の幌付きは過去40年で、状態を問わず現物を一度も見ていませんので文字通り幻の逸品と思います。


●1958年旭玩具製作所 自動車玩具製品紹介リーフレット(B4判・両面1枚)
トヨエースの表記は「トヨ・エース」と中黒が入り、名作と言われるエドセルは「エゼル」と表記。裏面は「おもちゃの与え方」と題して法政大児童心理学者・早川元三氏等の解説や生後3ヵ月から6才までの平均身長等のデータを掲載。




裏面



●東京玩具商報1958年1月号掲載「旭玩具製作所 自動車玩具広告」
国立国会図書館の蔵書より。この号で初めてトヨエースが広告に登場。但し、車名はトヨエースではなく、何と「トヨペット・エース」と記載。





●東京玩具商報1958年5月号掲載「旭玩具製作所 自動車玩具広告」
これも国立国会図書館の蔵書より。幌付きトヨエースが登場。





●旭玩具 初代トヨエース大サイズ「ノーマル仕様」
現在、4色のカラーバリエーションが手元にありますが、カラバリはまだあるかもしれません。

灰緑・・・・・実車に即したカラーはこれのみで他のツートンカラーは実車には存在しなかった旭玩具のオリジナルカラーと思われます。








運転席




近年のエブロ1/43スケール初代トヨエース(全長10cm)との大きさ比較









灰/赤ツートン





緑/黄ツートン ・・・・上掲のカラーリーフレットに掲載されているカラー





緑/赤ツートン




小サイズとの比較。左サイドのTOOL BOXに至るまで大サイズをそのまま小さくしたような造り。大サイズより小サイズの方が現存する数は少ないと思われます。






大サイズ4色の並び





●旭玩具 初代トヨエース大サイズ「幌付き」 (S氏コレクションより)
ジャンクでさえまず現物にはお目にかかれない非常にレアな幌付きの箱付ミント品。





●旭玩具 初代トヨエース大サイズ「日通幌付き」
1959年5月10日 国際文化情報社発行「画報科学時代第10集 自動車の驚異」より。日本橋高島屋にて撮影と印字があるため、高島屋で売られたモノのようです。私は一度も現物を見ていませんが、果たして現存するのでしょうか。




●田宮模型 初代トヨエース木製ソリッドキット
タミヤがプラモデル製造に乗り出す前の1950年代の木製組立キット。存在自体が貴重なキットで地球儀にT.M.K.文字のタミヤ旧ロゴが箱や組立説明書に見られます。箱サイズ:縦11cm×横26cm×縦2.5cm。全長20.5cm程度。模型史的な価値は高くとも、トヨエースに見えるように作り上げることは至難と思われるキットです。




T.M.K.の旧ロゴ入り




●初代トヨエースの実車画像

1)東京玩具商報1959年1月号(国立国会図書館蔵)に掲載された阿我妻商店の広告は荷台に「よい子のままごと」の文字が入った初代トヨエース。阿我妻商店は1962年(昭和37年)に商号をアガツマに変え、21世紀に入り米澤玩具のミニカー「ダイヤペット」ブランドを引き継ぐこととなります。


2)1958年 数寄屋橋の自動車の群れの中のトヨエース
先頭に1台と中央の旧緑塗装の都電の2台右側に1台、初代トヨエースが写り込んでいます。



※初代トヨエースの実車カタログについては、2012年7月16日の自動車カタログ棚からシリーズ第23回記事をご参照ください。




★オマケ(その1): 2018年12月15日(土)発売トミカ新製品
今月のトミカの新製品は、No.57 マクラーレン 720S(通常および初回限定)、No.13 日産 GT-R NISMO GT500、No.127 メルセデスベンツ 4850 240型 シュナーベル式トレーラー「日本通運」、トミカプレミアムNo.17 フェラーリ512 BB(通常:赤および発売記念仕様:黄色)、フェラーリセット(4台セット)。アメブロのトミカコレクターの方に倣って、このところ原則1種3台入手していますが、転売する訳でもないのにこんなに沢山はいらないかもですね。今月の白眉は何と言っても大迫力のNo.127 メルセデスベンツ 4850 240型 シュナーベル式トレーラー「日本通運」。スケール表示はありませんが、概ねNスケール程度でしょうか。国内で使用されている日通車両でもあり、日本型Nゲージのレイアウトに置けば良いアクセントになりそうです♪




日通マークがそそります♪




★オマケ(その2): 最近ハマってる動画
最近ハマっているブライアンのyoutube。1人で3役位をこなし、案外奥深い内容と見る者を飽きさせないスピード感に引き込まれますyo☆

芸名:ブライアン
本名:○○・ジェシー・ブライアン
在住:神奈川県
身長:178cm位
誕生日:1995年(平成7年)8月29日
年齢:23歳(2018年12月時点)
家族:父、母、兄
国籍:日本。但し、ブライアンは日本とアメリカのハーフ。

●ピカソのフルネームとか


●女は顔・男は金、しかし、普通に彼女欲しいw

★1959年汽車製造/日本車輛 修学旅行電車 カツミOゲージ ~ 鉄道車輛カタログ棚から 008

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早いもので、もう今年も残り1週間ちょっとですよね~☆
明日12月24日(月)はクリスマスイブ、明後日25日(火)はクリスマスということで恋人さんやパートナーさんとデートだよという方も世の中多いことと思います♪私は例によって吉祥寺駅前の不二家でケーキを買ってきて1人で爆食いするという悲惨なパターンになりそうです(大汗)。


ところで、皆様は中高生の時に修学旅行に行きましたか~??
私の中高生時代は、修学旅行での移動が1960年代の修学旅行電車利用ではなく新幹線利用に切り替えられた1970年代なのですが、中高共に新幹線で京都・奈良に行きましたyo。寺社を巡ることもそれなりにはしたのですが、高校の時の自由時間は殆ど悪友達と喫茶店で紫煙に巻かれていたことを思い出します(汗)。


閑話休題
今回は久々に鉄道車輛カタログのご紹介です。1960年代に活躍した懐かしの修学旅行電車をピックアップしますne☆☆☆
 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★国鉄の修学旅行用電車は153系をベースに1959年(昭和34年)3月に82系電車としてデビューしています。
デビューから3ヵ月後の同年6月の国鉄車両称号規程の改正により155系に改称され、東京から関西に向かう列車が「ひので」、関西から東京に向かう列車が「きぼう」と呼称されたことから俗に「ひので形電車」と呼ばれています。当時のダイヤを見ると、東京~京都間に7時間も要しており修学旅行の新幹線利用への移行により専用電車が消滅したことは自然な流れだったと言えます。
修学旅行用電車の鮮やかなカラーリング、即ちライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄1号)のツートンカラーは、警告色としての役目と共に子供たちに明るい印象を与える目的で設定されています。この鮮やかなカラーリングが修学旅行用電車の1番の魅力と言えます。外観上では先頭車の前面にスカートが付かないこと、中央本線での運用を想定し全高3514㎜(通風機上面まで3779㎜)と153系より12cm低くフラットなルーフを持つことも特徴です。
室内では、1両あたり100名の座席定員を輸送上要求されたことから、与えられた条件を最大限に生かして定員増加を図り、当時の中学生の体格も考慮した上で通路幅を標準よりも削り片側の座席の横幅を広げて3人掛けとし横5列としたこと、荷物置き場が枕木方向の各席上に設けられたことなどが特筆されます。
1971年(昭和46年)4月より国鉄が修学旅行利用の新幹線特急料金の割引を開始したことを受け公立高校や私立高校の修学旅行が新幹線利用に移行したため、「ひので」「きぼう」は同年10月の運転を最後に廃止されます。以後の155系は車体塗色を湘南色、5列掛け室内を一般的な4列にするなどの改造を受けたのち、冷房化はされないまま1980年(昭和55年)~1982年(昭和57年)にかけて惜しくも全車が廃車となっています。
(以上、Wikipediaより抜粋・加筆・再構成)


【主要諸元】 1959年国鉄修学旅行電車クハ155
全長19900㎜・全幅2900㎜・全高3514㎜・自重30トン・出力(1時間定格)775KW・歯車比1:4.21・最大運転速度95km/h・最大運転許容速度130km/h


●1959年3月 修学旅行電車82系カタログ (縦14.7×横20.2cm・2つ折4面)
155系となる前のデビュー時の製造メーカー発行(汽車製造株式会社東京製作所/日本車輛製造東京支店のダブルネーム)のカタログ。これ以外にも似た体裁の簡素な2つ折カタログを国鉄が発行しています。


【中面から】



簡易医務室(左)と洗面台(右)


おもな特色


枕木方向に網棚が設置された客室


クハ客室端に設置された時計と速度計(左)、男子用便所(右)


図面・諸元


クハ89図面


モハ82図面




【155系の模型・玩具】

●その1: 野村トーイ/山崎玩具 全幅比1/36スケール程度 修学旅行専用車「ひので」
全長41cm・全幅7.8cm。ブリキ製。当時定価:都内230円・全国250円。湘南電車や地下鉄電車(丸ノ内線)等との共通金型で発売された製品。飾り映えのするサイズと共にヘッドマークがプリントでなく別パーツとなっているのが魅力です。1960年代の鉄道玩具としてはレアな部類で、あまり現存個体を見かけません。画像の個体は元箱が失われていますが、まずまずのコンディション。1960年代に子供が少し遊んだあと捨てずに押し入れ等に仕舞いこんであったモノと想像します。






左側面後端に野村トーイのTN、後端左に山崎玩具のIYロゴマーク





●その2: カツミ模型店 1/45スケール 修学旅行形電車
全長36cm・全幅6.5cm。金属製。当時定価:不明(調査中)。国産三線式Oゲージ末期の1965年(昭和40年)の夏に東海形・通勤形(中央線オレンジ・山手線ライトグリーン・京浜東北線ブルー)と共に発売されたジュニア向けの17m級ショーティー製品。同時発売の中央線や山手線に比べてあまり現存個体を見かけないので、売れた数は少ない感じがします。画像の個体は恐らく前面カプラーと窓ガラスが失われています。元箱は修学旅行形のスタンプだけが押された車両にピッタリサイズの横長ダンボール箱。








鉄道ファン1965年8月号表3掲載 カツミ模型店Oゲージ国電シリーズ新発売広告
カツミ本社が魚籃坂下電停前(芝白金志田町=現在の港区高輪1丁目)にあったオールドファンには懐かしの時代。翌1966年に発売された新幹線(0系)も「製作中」と印字があります。





●その3: サクラペット1/80スケール 修学旅行電車「167系わかくさ」
全長18cm・全幅3.5cm。ダイキャスト製。サクラペットNo.206。箱にHOサイズ鉄道シリーズと印字されています。軌間は16.5㎜ながら、車体は日本型のHO(16番)より小さ目。急行形電車や地下鉄電車(丸ノ内線)等と金型が共用されたショーティーです。サクラやダイヤペットのダイキャスト製の鉄道玩具は一般の鉄道模型ファンからは無視されている関係か長い年月を経ても安価で流通しています。




ドア開閉アクション付


HOのレール上を快走します♪


●その1~その3の並び





●その4: アシェットコレクション国産鉄道VOL.42 Nスケール155形修学旅行用直流電車クハ155形
全長13.5cm・全幅2cm。プラ製。2015年9月9日(水)発売。当時定価:税抜1895円。2014年2月から延々とバリエーションを増やし続けているNスケールモデル付の書店売り分冊百科シリーズ。このシリーズはクロ151等どうしても気になるモノだけ購入しています。








その3との大きさ比較






★オマケ(その1): おもいで列車155系ひので修学旅行用電車
155系などオレンジ/イエロー塗色の修学旅行用電車の現役時に撮影された動画が見当たらず、これは当時の貴重な画像を散りばめて創られた動画。




★オマケ(その2): 1966年 東京
ビートルズが来日した年の東京の素顔を写した貴重な映像。登場するクルマ達、都電、国電、赤電話、テレビ、割烹着姿のお母さん達、道路標識、路上の靴磨き、C2コルベット?のプラモデルを作る少年の姿など、この時代のモノも人も空気も個人的には全てがあまりに懐かしく文字通り感涙モノの映像です。2018年現在で52年を経ていることから、撮影時に30歳だった人も現在は80代になられていることになります。




★オマケ(その3): 香港トイザらス限定トミカ№55 日産フェアレディZへリテージエディション白
トミカ新製品。国内のイオン限定で2018年7月に黄色が発売されたZヘリテージエディションですが、最近、カラバリの白が香港トイザらスで発売され、都内ではミニカーショップ等で売られています(1000~2000円程度)。トミカも海外版まで集めるのは大変ですが、こうした誰にでも分かりやすいバリエーションはつい入手したくなります。




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