★戦後の雨の被害というと、誰しも犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)を記録した1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風を思い出しますが、今回は台風でもないのに大雨が続いて西日本を中心に大きな被害が出ていますね。テレビの字幕で死亡者数が刻々と増え続けるという状況は、東日本大震災以来ではないでしょうか。
★昨日7月7日は七夕でしたが、みなさんは何をお願いしましたかあ??
その歳になってまだ結婚を諦めないのか!と叱られそうですが、私は勿論、恋女房=愛妻を貰うことをお願いしましたYO。人生というものは誰しも人を愛することに一番の価値がありますからね(→世の中にはそうは思わない人もいるでしょうかw)。ジョン・レノンが言ったように、「愛こそはすべて」「生きることは愛」なのです。
そう言えば、私とそう変わらない年齢になって今年初めて結婚した知人がいまして、ところが、何と2ヵ月でスピード離婚!!何でも、「一緒に住んでみたら相手の嫌なところばかりが目についてとても一緒に暮らしてはいけなかった」との由。独身生活が長いと自分の生活スタイルというのが確立してしまっていて、相手に合わせて永年の習慣を簡単に変えることは出来ないといったところでしょうか。しかし、そんなことなら、籍を入れる前にまずは暫く同棲してみれば良かったのにという気がしますよね。
★閑話休題
今週から来週にかけては鹿児島など西日本方面に2回出張の予定が入っていまして、東京に戻れるのは次の土曜日1日だけとなりそうです。例によって時間がありませんため、今日は簡単にブリキ自動車コレクションの第8回記事として萬代屋(現バンダイ)の最初のスカイラインをご紹介しますNE☆☆☆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★2014年(平成26年)2月26日に発売された現行のV37型スカイラインは、日産の国内商品企画を担当した日本商品企画部リージョナルプロダクトマネージャーの寺田美穂氏によれば、「年齢でいうと40代前半の男性。共働きの奥さんがいて、娘さんが1人。外資系企業で管理職をしており、非常にタフな環境の第一戦で活躍している人。都心のタワーマンションに住んでいる。」をターゲット層としてイメージしているという。現行のスカイラインが真のスカイラインと言えるのかという議論は置いておくとしても日本国内でインフィニティQ50の世界統一呼称を用いずにスカイラインの名称を過去のものとして消滅させずに残したことは英断といえるでしょう。
★歴代スカイラインでは何が一番好きですか?と訊かれたら、R30・31・32あたりを挙げるブロ友さんが多い感じで、古くてもジャパンまで、ケンメリ以前は旧過ぎるよという意見が大多数でしょうか。個人的には、スカイラインは最初の2000GT(S54)の出た2代目と3代目ハコスカ、そして、精々ケンメリまでがツボで高3の時にデビューしたジャパン以降は新し過ぎる気がしてあまりそそられません(汗)。
★初代スカイライン最初のスカイラインが一般にお披露目されたのは、1957年(昭和32年)4月24日、発売は同年6月1日である。当時の国産ライバルはトヨペットクラウンデラックス(RSD)とライセンス生産の日産オースチンA50の2車であった。直列4気筒OHV1484ccのGA30型は当時の国産乗用車最強の60馬力、カタログ上の最高速度も国産最速の125km/hを誇り、後輪懸架にド・ディオンアクスルを日本で初めて採用するなど基本設計も新しいスカイラインがライバル2車に勝っていた。
外観の変更はないまま、2年半を経た1959年(昭和34年)10月にエンジン出力を70psに引き上げたALSID-2型(デラックス)及びALSIS-2型(スタンダード)となり、翌1960年(昭和35年)2月にデラックスモデルのみ国産初の4灯デュアルヘッドライトの外観に変更された。
★萬代屋のスカイライン山科直治氏(1918年-1997年10月28日)が現在のバンダイの前身である萬代屋を起業したのは、戦後5年が経過した1950年(昭和25年)7月5日、山科氏が弱冠32歳の時であった。初代スカイラインを市場に投入したのは、企業から7年後の1957年(昭和32年)12月のクリスマスシーズン、山科氏39歳の時のことである。萬代屋は国産乗用車のスケールモデルとして既にトヨペットクラウンRSを市場に出していたが、スカイラインはクラウンRSより遥かにスケール感に優れたモデル玩具として市場に投入された。この最初のバンダイ製スカイラインは、1961年(昭和36年)初頭に実車のマイナーチェンジに合わせて4灯ヘッドライトに変更されるまで約3年に亘り生産された。
●東京玩具商報1958年3月号 萬代屋プリンス スカイライン デラックス 広告
国立国会図書館 蔵。1957年(昭和32年)12月17日付でプリンス自動車が萬代屋に出した型・名称・販売の使用権の証書の写真、プリンスの広報誌に萬代屋スカイラインの製造工程等が紹介された記事の写真と共にプリンスとの提携によって企画・玩具化した旨が記載されている。
●プリンス広報誌「プリンス」1958年1月号に掲載された萬代屋スカイラインのグラフ記事1957年12月25日発行・第5巻第1号。
「スカイラインが日産1800台、月産にしてその30倍の生産量で、而も尚、需要に追い付けない。クリスマスから新年にかけての時ならぬスカイラインブームを捲き起こしています。然しこれはスカイラインデラックスの玩具のお話。万代屋という日本でも屈指の玩具メーカーがスカイラインデラックスの玩具を市場に出し、小さな自動車ファンは勿論、年配の人達迄もすっかりスカイラインファンにしています。世界一の自動車生産量を誇る?このスカイラインの夢の向上をチョットのぞいてみました。
この道のベテラン、渋谷さんの話によると、『スカイラインは子供にも大人にも全く憧れの乗用車なので(註: 1957年当時のスカイラインデラックスの新車価格120万円は現在の貨幣価値に換算すれば2500万円程度)、この夢を壊してしまってはと全力を挙げて、まず原型製作をやりました。ですから、120枚もの各部の写真を用意し、プリンス自動車からの図面をもとにして出来るだけ忠実に、そして玩具として子供達が充分楽しめるように苦心しました。最近の自動車玩具はただ動くだけでは駄目なので本物にそっくりな様に要求されて来ています。この点からもスカイラインは今迄にはない難しさがありました。フロントグリルにしろ、テールフィンにしろ、スカイラインの特徴を実物通りのものにまとめるのは随分苦労もしましたし、玩具としての役目や楽しさを持たせる様に外目には解からない苦心がありました。ですから、試作品が出来上がったときの嬉しさは今迄にない位でした。苦労のあげくが、プリンスさんはどうしてこんなに玩具にしにくい車を出したんだろうと思った事もありました。3ヵ月間全く悪戦苦闘の末、やっと原型が出来、大量生産に入りました。第1号が完成した時、私は今迄作った玩具は大抵第1号は子供にやるのですが、その訳は子供が初めて見た時の喜び様や飛びつき方が今迄の例をみていると割合とその玩具の売れ行きと云うのでしょうか、嗜好の模様を暗示しているからです。子供の喜び様ったら、全く今迄にない飛び上がり方、<スカイラインだ!!> 後は夢中で手のつけようがない。』
こんな話を聞きながら、流れ作業で手早くまとめられてゆく様子はどうも玩具も本物の自動車と同じ様な工程を辿っている様です。とにかく、1日1800台のスカイラインが生れる工場です。非常な活気がみなぎっていました。」
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ルーフシール貼り作業
★生産数上掲の通り、プリンス自動車の広報誌「プリンス」1958年1月号には「日産1800台」と記載されている。週休2日ではなかった時代であるので年間休日が日祝・お盆・年末年始を75日差引き、年間の工場稼働日が約290日。単純計算で萬代屋のスカイライン生産数は、290日×1800台×販売期間約3年=156万6000台という計算となる。しかし、日産1800台造るほど爆発的に売れたのは記事に掲載された発売当初の話で、萬代屋製のクラウンRSも1959年(昭和34年)春にはスケール感の優れたRS21型に移行、新車スバル360や初代310ブルーバードを追加、あかばこ「世界の自動車シリーズ」として外国車も夥しい種類がリリースされたことから、スカイラインばかりが継続して爆発的に売れたとは思われないことと、現存する数は数百台程度と思われ1000台に1台程度は子供の玩具として潰されずに生き残っていると考えられることから、推定される総生産数は精々数十万台といったところではないでしょうか。
※註: 現在、バンダイに初代スカイラインに限らず、バンダイブランドで販売された1950年代から1960年代にかけてのブリキ自動車の生産数もしくは販売数の記録が残っているのか否かは不明です。
【主要データ】バンダイ 1/19スケール 1957年プリンス スカイライン デラックス
・萬代屋品番: 558
・全長:22.9cm (実車4280mm・実車比:1/18.7スケール)
・全幅8.8cm (実車1675㎜・実車比:1/19.0スケール)
・ホイールベース12.8cm (実車2535mm・実車比:19.8スケール)
・基本素材:ブリキ
・動力: 後輪フリクション・モーター
・室内ハンドル位置: 国内向け:右、輸出向け:左
・カラーバリエーション: 灰ルーフ/青灰、灰ルーフ/黒、灰ルーフ/赤メタ、ピンクルーフ/オレンジ、卵黄ルーフ/青灰、黒単色、クリーム/青緑(輸出専用)等
・商品パッケージ(箱) : 3種(国内向け前期・後期国旗箱、輸出向け英文)
・発売開始時期: 1957年(昭和32年)12月
・当時定価: 都内200円・地方最低売価220円
・市場評価額: 平成の初め、バブルの頃は下北沢のアンティークトイショップで時たま箱付が出ると25万円位付けていたのが、萬代屋の国産自動車玩具の中では現存数が比較的多いことと、この年代の日本車に郷愁を感じる世代の高齢化も手伝い2018年現在は半値程度に下落しています。
●グレイ/青灰ボディ
実車のイメージカラーでもあり、当時一番沢山売れており現存数も一番多い。
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運転席のプリント
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初代スカイライン前期型は萬代屋のブリキ自動車としては現存数は多いものの、約60年の時を経ても尚、箱、専用カタログ、タグ、保証券、車を包む透明ビニール袋と工場出荷時のまま現存するスーパーミント(=タイムマシーンコンディション)は少ない。
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萬代屋とプリンス自動車のダブルネームの専用カタログが付属
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左右の2台は一見同じに見えますが、ルーフシールの貼り方が逆という子細なバリエーション。
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●灰ルーフ/黒ボディ
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●ピンクルーフ/オレンジボディ前期のレアカラー。
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●前期3色: 青灰・黒・オレンジルーフに貼られた工場出荷時の楕円形シール「プリンススカイライン」が剥がされずに残っていることがポイントです。
●卵黄ルーフ/青灰ボディ萬代屋が1959年8月に「世界の自動車を集めましょう」のキャッチフレーズでアメ車・欧州車・日本車と車種を大幅に増やした時代のカラーバリエーションで現存数は少ない。箱も所謂、国旗箱に変更。初代スカイラインの箱は圧倒的に前期のものが多く、この国旗箱はあまり見かけません。本体にはルーフの楕円シールが貼られなくなっています。
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萬代屋とプリンス自動車のダブルネームの専用カタログも変更
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●クリーム/青緑ボディ(輸出専用左ハンドル)国内では売られていない左ハンドル仕様。初代スカイラインは実車にも左ハンドルが存在するため実車に則した玩具。ライセンスプレートの文字が品番を示すB-558となり、裏板は前期プリントタイプながらあかばこ等の日本語の印字が消えている。同時期の萬代屋製国産車では、クラウンデラックス(RS21)やスバル360でも輸出用左ハンドル仕様が生産された。国内では滅多に見かけません。
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左ハンドル。但し国内向けの室内プリントのまま左ハン化したため助手席の前にメーターパネル。
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裏板。BCの商標とMADE IN JAPANの文字のみで日本語なし。
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※1957年初代スカイラインの実車カタログについては、2012年10月29日の自動車カタログ棚からシリーズ
第77回記事をご覧ください。
★オマケ(その1): 今井科学1974年マッハバロン1/24スケール「マッハトリガー」
S30初代フェアレディZのキャラ車として国産旧車ファンとしては外せないプラモデル。1999年に復刻されているため、70年代のオリジナルも安価で流通しています。同じマッハバロンでも超合金のポピニカは箱付なら最低5桁以上するようです。
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箱の右下に版権シール付
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★オマケ(その2): バンダイ1994年ブルースワット1/15スケール「ストライカー」
オートザムAZ-1&スズキCARAベースのキャラ車。恥ずかしながらこのキャラ車の存在を全く知らず、最近リサ店で箱なしミラー欠品ジャンクを300円で衝動買いして初めて知りました(大汗)。調べてみると、バンダイはこの1/15スケール以外にエクセレントポピニカとして1/24スケールでも商品化しているようです。実車とリアルタイムに出たAZ-1&CARAの立体造形物として案外貴重かも。一緒に写っているのは、AZ-1とは30年の時を隔てた1/15スケール1963年ホンダS500(本田技研特注品)。
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★オマケ(その3): 1974年マッハバロン・エンディングテーマ「眠れマッハバロン」
70年代ムード満点のなかなかの曲。