★★さて、もう今日は松の内も過ぎた1月21日ですが、みなさんはもう今年2018年の目標を決めましたか~??
ボクは一応ですが、以下のような今年の目標を掲げましたですよ~!!
今年の目標(1)●婚・・・これはまあ人として生まれてきた以上は誰しも人生最大の目標でしょう。しかし、ボクのように定年退職が僅か2年後に迫っても、まだ●婚を諦めないというのはかなりの少数派で、1人で生きていく方が何かと面倒がなくて気楽だし僅かな年金生活ではそもそも経済的にも●婚生活は成り立たないから、もう●婚なんかしないと考えている人の方が多数派のようです(大汗)。ボクの場合、人を愛する、あるいは愛されるということは、基本的には経済的なこと=お金の有る無しや年齢とは無関係だろうという思いがあるのですYO(大汗)☆☆
今年の目標(2)コレクション整理・・・ここ数年でモノが増え過ぎておりまして、創刊号から買い続けている雑誌オールド・タイマー、ノスタルジックヒーロー、モデル・カーズなども一部を残して処分しようかと思いまして買取値を幾つかの古書店&ショップに訊きましたところ、読み皺の少ない美品/切抜きなしなら1冊10円、100冊で1000円位とのことで、100冊売ってやっと1冊の代金程度ではちょっと勿体ないかもですね。しかし、ボクの場合、何故かヤフオクは永久出品禁止処分となっていて出品することが出来ませんのでメルカリなどで1冊100~200円位で自分で売った方がまだいいかもです。あるいは月刊誌なら1年分、隔月刊誌なら2年分の12冊を纏めて一括1500円~2000円位で売る方が1冊ずつ売るよりは手間は省けそうです。
雑誌と同じような超低額買取りの状況は1980~1990年代のミニカー(トミカを除く)の世界にもあり、伊ブルム(brumm)のポルシェ356は日本に初入荷した1985年(昭和60年)から、クーペ・カブリオレ・スピードスター等各種ボディの色違いは勿論、シートカラー違いなどのバリエーションに至るまで1台2500円~3000円超の定価で160~180台前後買って持っていますが、現在は全く人気がないようです。1980年代当時、ポルシェ356のミニカーはディンキー・キラル・メルクリンあたりのビンテージ品を除けば、カドーのスピードスターなど少量生産のホワイトメタルモデルしか存在しなかったためブルムの356の登場が嬉しくてバリエーションまで集めていたのです。ところが、比較的コレクターの多いポルシェ356であってもブルム製は売り値で現在は平均1000円、買取りは当時定価の10分の1の精々300円程度だそうです。足繁く専門店に通って40~50万円程度かけてコツコツ集めたものが、今売れば5万円程度にしかならない計算となりますが、ブルムの中でも値段が付くだけ356は良い方だと聞きますので、こんなモノはタダでも買い取らないと言われるよりはマシなんでしょうか。ブルムと同時代のトミカなら、例えばポルシェ959あたりは当時定価の軽く20~30倍程度で流通しているのとは好対照です。当時2500円~3000円程度のブルムの356を1台買う代わりにトミカのポルシェ959や356や930ターボあたりを8台(320円×8台=2560円)買って、今売ったなら大儲け出来たことになります。ポルシェ356の1/43スケールのミニカーは、1990年代に入り、ブルムより遥かに出来の良いモデルがディテールカーズやミニチャンプスから出た影響で現在のポルシェのミニカーコレクターさんでブルム製を買い集めるような人は殆どいないようです。
実はもっと困っているのは、書店売りのアシェットコレクション1/43スケールの国産名車と日産名車でして、ボクは国産名車は200号を超えて外車が混じってくるまで書店で定期購読していまして、日産名車は全号コンプリートに買っていますが、とにかく買取りは安いのです。現在、大半は未開封のまま部屋に山積みにして6畳間のほぼ半分が天井まで埋まったままなのですが、税込定価1790円で買ったものが買取りは頑張っても400円、ショップによっては嵩張って置き場所に困る上に800~1000円で置いておいてもなかなか売れないので買取り自体しないそうです(大汗)。1台ずつWebで自分で売れば、世の中にはピンポイントで欲しい車種・ミニカーがある人もいるはずなので、例えば他にミニカーが存在しないプリンスホーミーあたりは定価より高い3000円位でも買う人はいそうな気もします。ですので、ボクが出品禁止処分とされているヤフオクではなくメルカリで一定の値段を付けて売却するか、将来ショップをOPENするまでは保管しておくかといったところでしょうか。
今年の目標(3)ライブ出演・・・これは例年のことですが、今年も3回程度は人前に出たいと思います。
今年の目標(4)バレンタインチョコ・・・これも例年のことですが、義理でもいいので1個以上貰うことが今年も目標です。長年、義理チョコさえもゼロという年が続いています(大汗)。
今年の目標(5)アメブロ週末1回更新・・・これは記事の内容を簡略化することさえ出来れば楽にクリアできそうですが、生来の凝り性的な性格と何か価値のある内容を残さなければという強迫観念が災いしまして、簡単にアップしたくてもすぐに長文&画像多数となってしまいがちです(大汗)。何とか週1回更新が止まらないように記事の簡略化にも取り組みたいと思いますYO☆☆
★閑話休題
明日は東京でも雪となる予報ですが果たして積もる程に降るのでしょうか?記事の簡略化に取り組みたいなどと書きながら、既にここまでの前置きだけで結構な長文となっていますが(大汗)、今日は極く簡単に1960年代三菱ふそうのフルトレーラートラックのカタログをご紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★フルトレーラー・トラック(full trailer truck)というものを僕が知ったのは、円谷プロのウルトラQや初代ウルトラマンのテレビ放送が始まりビートルズが来日した1966年(昭和41年)のことだ。
その年にレゴ(LEGO)のトラック・ギフトセットを新宿・小田急で買ってもらったのだが、それはプラ製HOスケールのセミボンネット型メルセデスのトラックが7,8台入ったセットで、セミトレーラーのシェルタンカーなどと共にフルトレーラーの冷凍車などが含まれていた。繋げたり外したりという、連接遊びに僕は熱中したものだった。
★フルトレーラー車というのは、道路の整備が進んでいた欧米では戦前から存在したようであるが、日本での登場は名神が開通した1960年代のことと思われる。
尤も特殊用途に限れば、1937年(昭和12年)にいすゞTX重連トレーラー(4両程度の長大なトレーラーを牽引した通称「路面列車」)といった例がある。フルトレーラー車の場合、セミトレーラ車以上に走行可能な道路は限られ、元々狭隘路が多い上に高速道路どころか舗装道路も少なかった1960年代初頭あたりまでの日本でフルトレーラーの運行は考えにくい状況にあった。
日本では長年19mまでと規定されていたフルトレーラー車の長さ制限が2013年(平成25年)11月に21mに変更され、更に2017年(平成29年)秋からヤマト運輸や福山通運が全長25mのフルトレーラー車の新東名での実証実験を始めており、近い将来25mに変更となる模様である。この相次ぐフルトレーラー車長大化の背景には宅急便の配達個数の爆発的な増加(アマゾンや楽天といったネットでの物品購入の増加が大きな要因)と人手不足があるようだ。
【主要スペック】 1965年三菱ふそうT380-S フルトレーラトラック
全長15140㎜・全幅2480㎜・全高2830㎜・ホイールベース:前4700㎜/後3400㎜・荷台全長:前5940㎜/後5250㎜・車両重量:前6450kg+後3150kg=9600kg・最大積載量:前8トン+後7トン=15トン・車両総車重24710kg・FR・三菱6DB10AT型水冷4サイクル6気筒ディーゼル8550cc・最高出力220ps/2300rpm・最大トルク78kg-m/1400rpm・変速機5速フロアMT・エアブレーキ装備・乗車定員2名・燃料タンク容量130ℓ・電装系12V・登坂能力20%・タイヤ10.00-20 14PR・最高速度110km/h
●1965年6月 三菱ふそう高速トラック 総合カタログ(A4判・日本語3つ折6面)
掲載車両はT390型(高速型単車)、T380-S型フルトレーラ、T386-S型セミトレーラの3種。T380型/T390型(後ろ2軸)は1960年(昭和35年)に登場した三菱ふそう大型トラック初のC.O.E.車でキャブをティルト式として整備性を高めた。夕日をバックに登り坂を進むフルトレーラ車のシルエットという表紙写真が何とも秀逸なカタログ。
【中面から】
高速トラック解説
T380-S型フルトレーラ
三菱6DB10AT型水冷4サイクル6気筒8550ccディーゼルエンジン
図面
ジャックナイフ防止装置
裏面スペック
●1969年 三菱ふそう雑貨輸送用トレーラトラック総合カタログ(A4判・日本語14頁)
1967年(昭和42年)4月デビューの前2軸T910型ベースのフルトレーラT910Q-P型(全長17980㎜/18トン積/V8・265ps搭載)が表紙。中面にはキャンターベースのT626、ボンネット型T410、同T800FR、C.O.E.セミトレーラT811AR、C.O.E.フルトレーラT811N-P(全長17340㎜・14.5トン積)等の三菱ふそうのトレーラ車全種を掲載。
【中頁から】
フルトレーラトラックT811K-P・T811N-P
フルトレーラトラックT911K-P・T911Q-P
トレーラ組み合わせと図面
フルトレーラトラックの特長
★オマケ(その1):英ディンキー917番 1/43スケール メルセデスベンツ・フルトレーラートラック
全長39cm・全幅5.5cm。ダイキャスト製(幌:プラ製)。1970年代初頭に国内定価が2500円もした高額ミニカーで当時買えなかったので大人になってから入手したもの。両ドア開閉、ミラー可動、幌取り外し、荷台後部開閉などのアクション付。外箱を開けると背景の描かれた内箱が現われるなど箱も凝っています。一緒に写っている赤いポルシェは伊メーベ製912。本当は1966年に入手したレゴのメルセデス・フルトレーラーを紹介したかったのですが、簡単には見つかりませんでしたので今回はこのディンキーだけです。1960年代のミニカーではマッチボックスのレギュラーシリーズで出ていたメルセデスのフルトレーラーやキングサイズで出ていた各種フルトレーラーも思い出深いです♪
★オマケ(その2):SSSインターナショナル商事 1/28スケール程度 1959年 ニッサン680型 幌付きフルトレーラートラック「US.ARMY」
これは2015年3月の日産680型トラックの記事で一度紹介していますが、3年も経っているので画像を替えて再度掲載します。全長54.5cm・全幅8cm。ブリキ製。当時定価:不明。フリクション走行。布製の幌が味わい深いです。非常にレアですが、黄橙塗装の日本通運仕様のフルトレーラーも出ています。画像のモノには本体・箱共に玩具メーカーを示す商標やロゴが全く入っておらず、箱に印字された「No.106-1-2-023(5358)」という独特の長い品番からすると、これはSSSインターナショナル商事から浅草玩具に金型が流れて売られた際の製品かもしれません。国産セミトレーラー車の玩具は沢山ありますが、国産フルトレーラートラックの玩具は非常に少なく、このニッサン680型以降は2010年のトミカいすゞギガダンプ(オマケ3)の登場まで存在しなかったかも(?)。
★オマケ(その3):トミカ127番 1/110スケール 2010年いすゞギガ・フルトレーラーダンプ
全長14cm・全幅2.3cm。ダイキャスト製。近年のトミカでは傑作の1台だと思います。赤茶メタはギフトセット「はたらくトミカセット」(2011年発売)に入っていたもの。1970年代のトミカ日野ダンプが高騰しているところからすると、これも将来は高値が付く可能性ありでは?
★1960年代 三菱ふそうフルトレーラー・トラック 英ディンキー ~ 自動車カタログ棚から370
★マルシン工業ポルシェ928 スーパーカーブームの落し子たち~玩具・模型カタログ棚から 033
★こんばんはです
しかし、今週は寒かったですね(@_@;)東京都心でも最低気温がマイナス4~5度、都下府中や埼玉(さいたま市)ではマイナス8度とかで、48年ぶりの寒さとか観測史上最高の寒さとか、都内でも水道管の破裂多発だとかと色々報道されていてビックリです(@_@;)
平日の朝は基本5時起きなのですが、朝、外に出てみてもマイナス5度ってこんなもんかっていうのが正直な感想であったりもします。しっかり着込んで出かければ路面の凍結にだけ気を付ければマイナス5度位の寒さは大したことはなかったりもします。この時期、個人的に困るのはヒビ・あかぎれが出来やすくてハンドクリームが手放せないことだったりもします。ワタシの場合、手を洗い過ぎるからヒビワレなどするんじゃないと人から言われたりもします。かと言って、手を洗わずに真黒な爪で人前でギターやピアノを弾いたり出来ないですよね~
明日1月28日(日)は、海風の冷たいお台場で新年恒例のニューイヤーミーティングですが、幸い寒さも多少は和らぎ風も少し弱くなる予報ですよ~♪
★閑話休題
今年のワタシの目標の一つは、週末1回の更新を止めないこと。そのために記事を簡略化するという方針に沿って今回は極く簡単にマルシン製のミニカーやスーパーカーブーム時代のモノ達をご紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★マルシン工業のミニカー
そのホンワカと暖かい癒しの人柄からアメブロで大人気・人気爆発中のmaroさんの情報によれば、スーパーカーブーム時代にミニカーを作っていたマルシン工業というのは、当時も現在もモデルガン・メーカーとして有名なんだそうです。ワタシの場合、恥ずかしながら子供の頃からあまりモデルガンにはあまり関心がありませんでして、マルシンと言えば「マルシン、マルシン、ハンバ~ク」ってCMでお馴染みのあのマルシンですか??という位のレベルで(ハンバークは別会社のマルシン・フーズ)、全く知りませんでしたが(大汗)、ウィキ君などで調べるとマルシン工業は埼玉県川口市飯塚に本社を置く1958年(昭和33年)10月の創業のモデルガン製造をメインとするメーカーで、今年2018年で創業60周年となるようです。
JMAC会長の故・中島 登氏が著書の中で、サーキットの狼が火付け役となった1976年(昭和51年)~1977年(昭和52年)にかけて日本列島を襲った猛烈なスーパーカーブームは国産ミニカーの歴史の中ではファッドな(一時的な)出来事であり功罪も多かった旨を書かれていますが、高校生だったワタシはバンドの練習の帰りにたまたま通りかかった国鉄・高円寺駅前のオモチャ屋さんの店頭に山積みされていたサクラの1/43のミウラの出来の良さに感動して、当時熱中していた鉄道模型からミニカーのコレクションに趣味の比重を移すきっかけとなった経緯があります。ブームに便乗して一儲けを企みダイキャスト・ミニカー業界に新規参入したメーカーは数多く、永大(グリップテクニカ)・バンダイ(BEC43)・マルシン工業(ミニスター/キングスター)・中嶋製作所(ウルトラ合金)・関西のモリタニ・トイラジで有名な亀有のニッコーなどが相次いでスーパーカーをメインとするミニカーを発売しています。
★そのような中でマルシン工業の残したミニカー、1/43スケールの「ミニスター」と3インチ/小スケールの「キングスター」はダイキャスト素材でのモデルガン製造に長けたメーカーだっただけにダイキャストの質がよく造りもしっかりしている印象があります。
1/43スケールではボタンを押すとカチッと開く、しっかりとしたアクションがモデルガン・メーカーのミニカーであることを思わせます。同時期の米澤玩具のダイヤペットあたりではダイキャスト製ボディ塗膜の浮きや割れが生じている個体も見かけますがマルシン製のミニカーではダイキャストの劣化があまり見られません。
●1978年? マルシン工業「ワラビーのミニカー キングスターシリーズ」 リーフレット (A4判・日本語・表裏1枚)
マルシン工業が1978年頃に出した小スケールミニカー「キングスター」シリーズの珍しい1枚物カタログ。カンガルー科のワラビーをキャラクターにしてブロックケース付で売り出したものの販売は伸びず、後にワラビーのキャラを外し普通の紙箱での販売となった。ポルシェ930ターボ、フェアレディ280ZT、BMW M-1、ポンティアック・ファイアーバード・トランザム、メルセデスベンツ450SLCとスポーツカーが5種類、メルセデス450SLCポリス、フォードエコノラインバン「コカコーラ」、同「救急車」の働く車が3種類、いすゞバスや三菱ふそうの消防車等大型車が6種類(タンクローリーのみイラストのため未発売かも)。リアルタイムでは930ターボと280ZTしか買わなかったのですが、三菱ふそうのダンプの現存数は同時期のトミカの日野ダンプの100分の1以下ではないでしょうか。現物を一度も見たことがないというコレクターも多い気がします。オークファンで調べると、稀にヤフオクに出現すると三菱ふそうダンプで5桁近いお値段となっていますが、遊び傷有の箱なしならフリマやリサ店の100円均一コーナーあたりに人知れず転がっていそうな気もします。
現在も変わらない埼玉県川口市のマルシン工業の住所
●1978年?マルシン工業「1/43ミニスターシリーズ」 ミニカタログ
(縦5×横9.1cm・英文4つ折8面)
ミニカーの箱に封入されていた英文ミニカタログ。何故か最初に各車のデザイナー名が記載されています。ミニカーの写真でなくイラストの車種は未発売に終わった可能性があります。
No.1「ランボルギーニ・カウンタックLP500S」ベルトーネ
No.2「フィアット・アバルト2000クーペ(ドリームカー)」ピニンファリーナ
No.3「フェラーリ ディーノ206 コンペティツィオーネ」ピニンファリーナ
No.4「ランチア・ストラトス・サファリタイプ」ベルトーネ
No.5「ランチア・ストラトス・モンテカルロタイプ」ベルトーネ
No.6「BMWターボ・ガルウィング」
No.7「BMW E-26」ジウジアーロ
No.8「ランボルギーニ・シルエット」ベルトーネ
No.9「ポルシェ928」
No.10「アルファロメオ・ナバホ(ドリームカー)」ベルトーネ
No.11「アルピーヌ・ルノーA-310レーシング」(次期発売予定)
●朝日通商のラジコン「アトコミシリーズ」リーフレット
(B5判・日本語・表裏1枚)
これはマルシン製ではありませんが、maroさんがカレラRSを紹介されていたので、ついでにこのカタログも紹介しておきますね~。マルシンのミニカーと同時期、1970年代末あたりのものと思います。1号、2号という呼び名がB級感溢れてますね~♪
・アトコミ1号「ポルシェ917K」
・アトコミ2号「フェアレディ240Z」
・アトコミ3号「ホンダシビック1500CVCC」
・アトコミ4号「ポルシェ911カレラRS」
・アトコミ5号「レオパード・タンク」
★オマケ(その1): マルシン・キングスター3番1/60スケール日産フェアレディ280ZT
全長7.1cm。ダイキャスト製(シャシー:プラ製)。当時定価250円。左右ドア開閉アクション付。ヘッドライトに透明パーツが奢られています。カラーバリエーションは、赤・青メタ・緑メタの3色。当時、ポルシェ930ターボも買っているのですが、すぐには見つからなかったので今回は280Zのみアップしておきます。2代目Zの小スケールミニカーはトミカやマッチボックスと競作でしたが、どこにでもあるトミカと比べてキングスターは売っている店が少なく当時でも見つけたら買っておかないとなかなか集まらないミニカーでした。
シャシーは残念ながらプラ製
★オマケ(その2): マルシン・ミニスターNo.9 1/43スケール・ポルシェ928
全長10.5cm。ダイキャスト製。当時定価:不明(1000円前後だった気がします)。左右ドア開閉・リアゲート開閉・ヘッドライト昇降アクション付。リアゲートは後部中央のボタンを押すと跳ね上がります。カラーバリエーションは黄色と白の2色?
ストラトスは同じマルシン・ミニスターシリーズNo.5のストラトス・モンテカルロタイプ。
★オマケ(その3): ニッコー・スーパーエース1/30スケール・ランチア・ストラトス・ターボ「マルボロ」
全長13cm。ダイキャスト製。当時定価:不明。左右ドア、リアフード開閉、ヘッドライト昇降アクション付。ラジコンで有名な葛飾区亀有ニッコーの出した珍しいストラトス。なかなか良い出来です。永大グリップテクニカより少し小ぶり。ストラトス以外の車種が発売されたのかどうかは不明。
マルシン1/43とトミカ1/62のストラトスとの並び
★オマケ(その4): 二見書房「カード式ザ・スーパーカー第1弾・第2弾・第3弾」 (縦15.5×横10.5cm・写真カード多数入り)
第1弾1977年4月11日発行(690円)、第2弾1977年5月11日発行(690円)、第3弾1977年7月30日発行(490円)。何れも当時爆発的に売れています。第3弾はランボルギーニ特集でミウラ・カウンタック・ウラッコ・エスパーダの各縮刷カタログも封入されており、ランボルギーニファン必携の内容です。
★オマケ(その5): 山海堂オートテクニック別冊「スーパーカーの世界」 (B4判・82頁)
1977年5月5日発行。当時定価690円。スーパーカーブームに便乗して出たジュニア向け書籍の1つ。モータースポーツ専門紙の別冊らしくミウラなどスーパーカー各車のロードインプレッションに始まり、スーパーカーの写真の撮り方、プラモデルの作り方、池沢さとし先生(当時26歳)のインタビューなどの記事が大判のスーパーカーのカラー写真多数と共に掲載されており、かなり楽しめます。
26歳の池沢先生とポルシェターボ
★オマケ(その6): エヌケー 1/37ポルシェカレラRSRターボ
最後のオマケは池沢先生繋がりで「サーキットの狼」仕様のポルシェ。全長12.5cm。プラ製。プルパックモーター内臓。船橋市のエヌケーというあまり知られていないメーカー製ながら版権シールも貼ってあり、プロポーションも良いモデルです♪
★1964年 三菱ふそう高速バスMAR820 コレクターの分類 ~ 自動車カタログ棚から 371
★こんにちはです
さて、今日2月3日は節分で明日はもう立春ですね!節分と言えば、小さな子供のいる家では、例の「鬼は外!福は内!」の掛け声と共に豆まきをしているお宅も多いものと思います。小生は豆まきはもう50年位していない気もしますが(大汗)、大人になっても毎年豆まきをしているという人は少ない気もします。でもね、大人だからやらないっていうのもおかしな論理なので、ゲロマブ恋女房でも出来たら小生もまた豆まきをしたいなあなんて夢見たりもしますYO☆☆
★2月のスケジュール
小生は次のような感じで~す(^_^)/
① 2月3日(土)・・・・・ホットウィール新製品発売日(HWは前夜から並ぶ位の気合いがないとなかなか買えないよと聞くのと、そもそも小生の近くでどこにHWを売っている店があるのか全く情報がないので行かれませんが・・・)
② 2月14日(水)・・・・・聖バレンタインデー(St. Valentine's Day)。義理チョコでもいいので1個確保を目指します。例年通りゼロの場合はチョコ爆買いして自爆します(大汗)。
③2月17日(土)・・・・・トミカ新製品発売日。今月はランボルギーニ・ウラカン(通常オレンジ・初回イエロー)とメルセデスGクラス(ドア開閉アクション付)で激しい争奪戦が予想されますね。個人的にはランボよりGクラスの方がそそられるミニカーなのですが。
④2月17日(土)~18日(日)・・・・・ノスタルジック2デイズ。今年も初日がトミカの発売日と重なっているのが痛いですね。TLV510ラリーの先行販売もあるようです。
★自動車カタログ・コレクターの分類
自動車カタログのコレクター諸氏は、概ね以下のような分類が出来るだろうと思います。
①トラック・バス・乗用車・二輪・重機とカタログなら何でも集めるという何でもござれのオールマイティー・コレクター
②トラックカタログ専門コレクター
③消防車・パトカー・救急車等の緊急車カタログ専門コレクター
④重機カタログ専門コレクター
⑤二輪カタログ専門コレクター
⑥バスカタログ専門コレクター
⑦乗用車カタログ専門コレクター
⑧スポーツカーカタログ専門コレクター
⑨フェラーリ・ランボルギーニなどのスーパーカーカタログ専門コレクター
⑩タクシーカタログ専門コレクター
⑪教習車カタログ専門コレクター
⑫ポルシェ、ロールスロイスなど特定のブランド(メーカー)だけに絞って集めるカタログコレクター
⑬スカイライン、セリカなど特定の車種だけに絞って集めるカタログコレクター
⑭ 戦前モノ・1960年代モノなど車種は何であれ時代を特定して集めているコレクター
小生の場合は、①のオールマイティー派の一種とも言えるのですが、二輪には殆ど関心がなく、また、御承知の通り、時代的には戦前~1960年代あたりまでを主な芸風としていますので、特に1980年代以降のカタログ(スズキマイティボーイだとか初代シティだとかR30スカイラインだとか3代目セリカだとか・・・)はリアルタイムで集めたカタログがそれこそ山のように手元にありますが、小生のような年寄りともなりますと1980年代には懐かしさ=郷愁を感じないため、あまりカタログにも執着がありません。そんな訳でR30スカイラインのRSターボインタークーラー付のカタログなどは同じものを当時5部も6部も貰って持っていたのですが、保存用の1部を残して売ってしまったりしています(汗)。
★入手の難しい国産自動車カタログ
小生は基本的には日本車メインのカタログコレクターなのですが、40年程度集めてきて入手が難しいと感じるのは以下の6つのカタログです。小生は何れも本物は持っていません(大汗)。これらのカタログを全て所有しているような知人もいますが、そのような人は正に一流の自動車カタログコレクターと言えるでしょう。小生の場合、この歳で持っていなければ、もう一生入手出来ない可能性も大いにありますが、見方を変えれば、これらのカタログが入手出来れば一流の自動車カタログコレクターに仲間入りすることとなり、もう自動車カタログのコレクションは完成したとして、コレクションから足を洗っても良いということにもなるだろうと思います。
① 1936年トヨダAA型カード式カタログ(以前の記事で御紹介したものはレプリカで残念ながら本物は持っていません)
② 1931年ダットソン號小型自動車カラーカタログ
③ 1959年日産初代フェアレディS211日本語版カタログ
④ 1968年日産スカイライン2000GT(S54最終)菅原文太表紙のカタログ
⑤ 1967年マツダコスモスポーツ横尾忠則氏制作の英文カタログ(カー&ドライバー誌の出した判型の小さな復刻有)
⑥ 1970年ハコスカGT-R(4ドア)のカード式カタログ
このうち、①のトヨダAAと②のダットソンはヤフオクに出てきたことがありますが、20万円を大幅に超える価格となりました。③の初代フェアレディは小生はこれまで一度たりとも売り物を見たことのない幻のカタログなのですが、知人の高名なコレクター数名が所有しています。④の菅原文太のS54はヤフオクで15万円也でした。⑤のコスモ横尾カタログと⑥のハコスカGT-Rは5~8万円程度を覚悟すれば時たまヤフオクに出てきます。⑤はC&D誌の復刻版があるので要注意です。
★閑話休題
ついついまた前置きが長くなってしまいましたが、今日は時間もないので極く極く簡単に1964年の三菱ふそう高速バスのカタログをご紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★日本道路公団により1957年(昭和32年)に名神高速道路の建設計画が具体化されると、国鉄主導で試験用バス車両による高速走行の実験が始められた。
即ち、1958年(昭和33年)の日野BC10に始まり、1960年(昭和35年)の日野RX10、1961年(昭和36年)のいすゞBU20PAといった試験車両達である。これらの車両による試験結果を踏まえ問題点を改良し、1963年(昭和38年)7月16日の日本初の高速道路「名神」の開通に合わせて国鉄は三菱ふそうMAR820型と日野RA120P型を営業運転用に投入した。特に三菱ふそうMAR820(ボディ:富士重工業)のうちの1台は日本初のトイレ付バスとして国産バスの歴史に残る車両となった。
【主要スペック】 1964年 三菱ふそうMAR820型 高速バス(1964 Mitsubishi Fuso highway Bus Type.MAR820)
全長10870㎜・全幅2490㎜・全高3040㎜・ホイールベース5400㎜・車両重量10200kg(冷暖房装備車)・RR・三菱8DB20AT型 過給機付V型8気筒11404ccディーゼルエンジン(重量1000kg)・最高出力290ps/2300rpm・最大トルク98kgm/1600rpm・変速機5速MT・乗車定員:71名(立席有) or 43名(リクライニングシート装備10列立席なし)・燃料タンク容量250ℓ・最小回転半径9600㎜・登坂能力27%・タイヤサイズ:11.00-20 12PR・最高速度134km/h
●1964年1月 三菱ふそう高速バスMAR820/MAR870 専用カタログ
(A4判・日本語8頁)
三菱ふそうカタログNo.B602。過給機付290psのMAR820型と過給機なし220psのMAR870型の専用カタログ。カタログに掲載されているのは全長10870mmだが、名神用には当時の法規限度枠一杯の12mトイレ付車両も造られた。
【中頁から】
ハイウェイ時代のトップをいく・・・・・
フロントビュー及び図面
ステアリング、ブレーキ、サスペンション
リクライニング付客室シート他
運転席
デラックスな室内(最前列の女性はギャオス似?ww)
エンジン
最高のディーゼルエンジン
エンジンスペック
裏面: スペック
スペック拡大
★オマケ(その1): 三菱ふそう特注 1/56スケール程度 1964年 三菱ふそう高速バスMAR820型 シガレットケース
全長20.5cm・全幅4.5cm。アンチモニー製。上部を開けるとシガレットケースとライターが現われます。フロントの朱入れされた三菱マークがそそります♪1960年代のトヨタ、日産、プリンス、いすゞ、三菱、富士重工等の国産乗用車のシガレットケースは沢山現存しており、ヤフオクではアンティーク~自動車等のカテゴリーに1年中出品されていますが、バスのモノは珍しいと思います。三菱ふそうバスのこの種のバス形シガレットケースは少なくとも1970年代末頃までは作られていたようで数種類の存在を確認しています。スケールは1970年代末の永大テクニカコレクションの日野RV550Pエアポートバスあたりと同じ位です。一緒に写っている乗用車は少し時代が違いますが、シンガポー「マンダリン」品番110の初代コロナマークⅡハードトップです。
フロント
リア。小さなテールライトが可愛くて、そそられます♪
左サイド
右サイド
上下に開くとライターとシガレットケース
★オマケ(その2): ダイヤペット 1/50スケール三菱ふそう「日本高速バス」「静鉄バス」「はとバス」
全長22.5cm・全幅5cm。ダイキャスト製。当時定価1500円~2200円(販売時期により異なります)。前輪ステア機構、後部エンジンフード・前部ドア開閉アクション付。
ふそう繋がりで米澤ダイヤペットの有名な名作バス。東名急行バス、国鉄バス、東急バス、東海バス、静鉄バス、はとバスなど他にもバリエーション多数。東海、東急、静鉄は特注品。初期はズッシリ重かったボディがダイキャストの材質変更で後期モノは驚くほど軽くなっています。
★オマケ(その3): 1964年 高速道路の正しい走り方
この動画は以前にもアップしてますが、何度見てもナイスな名神開通翌年の映像。バスは出てこないのですが、個人的には登場するクルマ達がどれも皆懐かしくてそそられます~♪
★1974年 ランボルギーニ・カウンタック スーパーカーの代表格 ~ 自動車カタログ棚から372
★さて、第23回冬季オリンピック大会「平昌オリンピック」(ピョンチャンオリンピック)が始まりましたね~!ボクは冬季オリンピックというと、例の「日の丸飛行隊」の呼称が付いたスキージャンプ70m級で笠谷幸生さんが金メダルを取り2位・3位にも日本人が入った1972年(昭和47年)の札幌オリンピックと里谷多英さんと上村愛子さんがスキーモーグルで活躍した1998年(平成10年)の長野オリンピックが思い出深いです。ボクのような年寄りともなると、長野オリンピックはついこないだという気がするのですが、あれから既に丸20年も経つんですね~!ボクは上村愛子ファンだったので彼女の写真がプリントされた缶コーヒーなんかまで集めて持っていましたが、彼女の結婚を機に悔しくて捨てちゃいました~(大汗)
★しかし、今年のオリンピックを観ているとスノーボードの選手など16歳とか17歳とか長野オリンピックの時にはこの世に生れていなかった選手も多いことには驚きますよね~!葛西紀明さんのように45歳でもスキージャンプに出る人もいる一方でスノボの場合はボクのような素人が観ていても、やはり若くないと出来ないような気がしますね~。派手な競技を観てると、スノボってカッコいいなあ~と思ったりもします。カッコいいって凄いことだし、人生に於いて大事なことですよね~!
手縄毛出、ボクも婦女子の皆さんにカッコいいわあ~♡と思われたりしてモテたくて仕方がありませんでして、今でもそれを一番の目的に人前で楽器を弾いたりしている訳なのですよ~!ところが、戸故路蛾です!幾ら頑張ってライブなどに出ていてもボクの下劣な下心が見え見えなのか??全然婦女子の皆さんにはモテませんでして、この歳になっても恋女房もいないというのは、やはりボクの性格とかキャラが悪いからなのでしょうね~(大汗)。アメブロを見ていても婦女子の皆さんが寄ってたかって大勢コメントに集まってくるセリカさんのような立派な人もいるのとは好対照で、やはり、ボクの場合はアメブロに於いてさえ人生の負け組から抜け出すのは容易なことではありません(大汗)☆☆
★閑話休題
さて、世間は三連休ということでスキーやスノボをしに出かけているよ~!なんて人も多いのでしょうね。相変わらず纏まった時間もないので今回もヤッツケ記事となってしまい大変申し訳ないのですが、「自動車カタログ棚から」シリーズ第372回記事としてスーパーカーブーム時代の代表選手ランボルギーニ・カウンタックを極々簡単にご紹介することとしますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ウィキ君によれば、「カウンタック」=Countachという言葉はイタリア語の方言の一つピエモンテ語(Piemontèis)の驚きを示す感嘆詞で、主に美女を見た時に男性が発する言葉だそうである。
日本語に訳すなら、「ゲロマブ~!」「カワユス~!」「うおっー、いい女!」といったニュアンスの言葉のようです。言語の発音「kunˈtɑʃ」を片仮名で書けば「クンタッシュ」が近く、英語の発音では「クーンタッチ」が近く、「カウンタック」というのは日本独特の表記のため、欧米ではまず通じないようです。
★1971年 ランボルギーニ・カウンタックLP500
1971年(昭和46年)のジュネーブショーで初公開。ミウラの後継車として開発されたモデルで、LP500というのは縦置き後ろ置き5リッターを意味する。ミウラ以上によい重量配分と整備性の改善を目指し、4971cc・V12エンジンを前後逆にミッドシップに縦置きした。ベルトーネのチーフデザイナー「マルチェロ・ガンディーニ」(Marcello Gandini:1938年8月26日-)による未来的かつアグレッシブなデザインは極めて個性的であり、垂直から70度近くまで寝かされたフロント・ウインドと酷く限られた後方視界、前ヒンジで上に開くドアを持つ。プロトタイプ1台のみ生産。クラッシュテストに使用された後、廃棄処分され残念ながら現存しない。
★1974年 ランボルギーニ・カウンタックLP400
1973年のジュネーブショーでデビューし、1974年(昭和49年)3月より生産に入った量産型カウンタック。5リッターエンジンはオーバーヒート対策がネックとなり、ミウラに搭載されて実績のある4リッターエンジンに換装された。モノコックのLP500とは異なり、強度面を考慮し強固な鋼管スペース・フレームを組みアルミの外皮をリベット留めする構造に変更された。基本的なデザインはLP500と同じながら、斜め後方視界確保のため左右後方に窓を追加、エンジンルームの過熱防止のため左右ドア後方に大きな排気口が開けられた。またテールには小さいながらもトランクルームを装備した。生産台数150台。
●1975年 ランボルギーニ・カウンタックLP500S
石油王ウォルター・ウルフがLP400をベースに3台のみ製作したカウンタックの改造車でスーパーカーブーム時代の日本では何故かLP500Sと呼ばれた。このウォルター・ウルフ・カンタックの人気が高かったことから、1978年より謂わばメーカー純正のウォルター・ウルフ仕様がランボルーニ・カウンタックLP400Sとして237台生産された。
【主要スペック】
1974年 ランボルギーニ・カウンタックLP400 (1974 Lamborghini Countach LP400)
全長4140㎜・全幅1890㎜・全高1070㎜・車重1200kg・ホイールベース2450㎜・ミッドシップ縦置き3929cc水冷V12 DOHC・最高出力375hp/8000rpm・最大トルク36.8kg-m/5500rpm・変速機5速MT・乗車定員2名・最高速度315km/h
●1974年 ランボルギーニ・カウンタックLP400 カタログ
(A4判・伊英仏独4ヵ国語併記8頁)
これは残念ながら本物ではなく精巧なレプリカ。1981年(昭和56年)に運航停止となるまでイタリアのメジャーな民間航空会社であったイタビア航空機とのツーショットをメインに構成されたカタログ。
【中頁から】
室内
V12エンジン
裏面スペック(4ヵ国語で記載)
★オマケ(その1): モリタニ 1/42スケール ランボルギーニ・カウンタックLP500S
全長10cm。ダイキャスト製。当時定価:不明。ドア開閉、ヘッドライト開閉、ワイパー可動(別パーツで付けてあるワイパーが動くだけのことですが・・・)、コクピットカード付。モリタニ=守谷?という関西に拠点を置くメーカー製のカウンタック。スーパーカーブームに便乗した一発屋的なモデルでしたが(モリタニはスーパーカーブーム期にトイラジもリリースしています)、残っていないようでいて意外に沢山現存しています。カラーバリエーションは赤・黒など。ウォルター・ウルフ・カウンタックをモデル化しています。ダイキャストの品質が悪い上にドアのチリの合いも悪くクォリティの低いミニカーですが、ホイールやテールライトに何故か金メッキを奢るなど個人的には妙にそそられるミニカーです。
下: 謎のコクピットカード(付録)
トミカとの大きさ比較
箱裏面
謎のモリタニの商標
★オマケ(その2): 三友(サンユー) 1/24スケール ランボルギーニ・カウンタックLP500
全長17cm。ブリキ製。当時定価:不明。ドア開閉。フリクション駆動。東京台東区に本社を置く株式会社三友の製品。三友は20カローラのブリキで有名ですが、このカウンタックも当時爆発的に売れたようで意外に現存しています。ブリキでドアを開閉させたのは凄いです。スーパーカーブームの1970年代後半、既にブリキ製の自動車玩具はマイナーな存在でしたが、ブリキのカウンタックはトミーもリリースしていました。箱にLP500と印字されていますが、1971年のLP500ではなく明らかにウォルター・ウルフ・カウンタックをモデルにしているようです。
ドア開閉
トミカとの大きさ比較
シール付
★オマケ(その3): 永大グリップテクニカ17番 1/28スケール ランボルギーニ・カウンタックLP500S
全長15cm。ダイキャスト製。当時定価1800円。ミニカー、プラモデル、ブリキと怒涛のように造られた日本製カウンタックの中では、大きさからくる迫力と重量感、細密感で個人的には一番良いと思えるモデルカーです。カラーバリエーションは赤、黄、黒など。
トミカとの大きさ比較
オマケ1~3+トミカの並び
★オマケ(その4): 僕はカウンタックマン 1977
歌:山田隆夫/作詞作曲:山田隆夫/編曲:宮川 泰。妙に長いイントロ、ナンセンスな歌詞が笑えます♪
★オマケ(その5): 虹と雪のバラード 1971
歌:トワエモア/作詞:河邨文一郎/作曲:村井邦彦。この曲を聴くと、ある世代以上ならば、1972年の札幌オリンピックを思い出しますよね。
★2018年 第10回ノスタルジック2デイズ ~ スバル360増加試作型 ~ 羽生結弦ショパン
★平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)9日目の2018年2月16日、4ヵ月ぶりに実戦に復帰した羽生結弦(1994年12月7日-)のショートプログラム(SP)での勝負曲はショパンのバラード1番だった。4曲存在するショパンのバラードのうち、1番は私が唯一弾くことが出来る曲でもある。この俗に言うショパンのバラ1が羽生クンのお気に入りで相性がいいことは、よく知られている。誰の心にも残る旋律、深淵な美しさと流麗、華美、激しさといった側面を持ちながらも高い品格、気品を備えているショパンのバラ1が、羽生クンのキャラクターあるいは洗練された美意識ともよく似合っている。
★そして、翌2月17日のフリーで羽生クンは、1952年(昭和27年)にオスロ五輪でのディック・バトン(米国:1929年7月18日~現在も存命)の2連覇以来、何と実に66年ぶりとなる男子フィギュアスケート・オリンピック2連覇を成し遂げた。2連覇した時点で羽生クンの年齢は23歳と2ヵ月。この23歳という年齢で思い出すのは、1964年(昭和39年)4月4日付のビルボード誌 全米ヒットチャートで以下のシングル曲によりビートルズが1位から5位を独占した際、事実上のリーダーであったジョン・レノン(1940年10月9日~1980年12月8日)が23歳と5ヵ月であったこと。世の中には遅咲きの人というのもいますが、分野を問わず天才というのは23歳位で一度その才能のピークに達することが多いものなのかもしれません。
【1964年4月 ビートルズ全米ヒットチャート1~5位独占曲】
1位: Can't Buy Me Love
2位: Twist And Shout
3位: She Loves You
4位: I Want To Hold Your Hand
5位: Please Please Me
このビートルズが全米制覇を成し遂げた1964年4月というのは日本の自動車界に目を転ずれば、4月28日にいすゞ自動車が日本初のGT「ベレット1600GT」を発売し、そのベレGから僅か3日だけ遅れて5月1日にプリンス自動車がスカイラインGT(S54-Ⅰ型)を発売した時期に当ります。
★今や国民的スーパースターあるいは国民的アイドルに留まらず、オリンピック2連覇により文字通り世界的なスターでもある羽生クンですから、送り先住所が公開されればバレンタインチョコなど軽く10万個くらい届きそうな気がします。我が身を顧みれば、今年の2月14日もついに義理チョコさえもゼロの記録を更新したという、世界中の誰からも愛されない私のような世にも悲惨な人間から見れば、羽生クンは何と幸せな人生なのだろうと憧れてしまいます☆☆
★閑話休題
さて、昨日は10回目の開催となるノスタルジック2デイズに行ってきましたので、今日は珍しい車両を中心に簡単にレポートすることとしますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★2009年(平成21年)から例年2月にパシフィコ横浜で開催されている、旧車雑誌ノスタルジックヒーローとハチマルヒーローを出版している芸文社主催の「ノスタルジック2デイズ」。今年2018年(平成30年)は記念すべき第10回として2月17日(土)・2月18日(日)に例年通りパシフィコ横浜・展示ホールにて開催された。
今回のトピックは旧車イベントとしては初めてスバルとマツダといった国内自動車メーカーが協賛し、広いブースを確保して展示を行ったこと。マツダ(旧東洋工業)はコスモスポーツやルーチェREクーペを展示しスバル(旧富士重工業)はスバル360最初期型の新たにレストアが完成したばかりの車両等を展示した。温故知新という言葉があるが、メーカー自らがメーカーオリジナル状態に仕上げた過去の製品を展示することは意義深い。
●1958年5月 スバル360増加試作型
今回の2デイズの文句なしの目玉。車体番号1006~1065までの60台が製造され内10台は富士重工で研究試験用等に使用され残りの50台が市販されたスバル360の最初期車両の1台。富士重工では増加試作型の肌色の個体も保存しているが、この個体は、神田須田町の旧万世橋駅駅舎跡敷地に2006年5月まで存在した「交通博物館」に展示されていた肌色の車両をフルレストアしたもの。交通博物館が閉館し、鉄道に特化した大宮の鉄道博物館が開館することに伴い、鉄道以外の実物及び史料は元の持ち主や車両を製造したメーカーに戻されることとなったが、このスバルに関しては元のオーナーの意向によりメーカーである富士重工に里帰りしていた。その車両が2018年のスバル360生誕60周年を目標にフルレストアされ、今回の2デイズにて初公開された。交通博物館では初期型スバル360のイメージカラーである肌色に塗られていたが、会場でスバルのレストア担当の方に伺ったところ、実はこの個体の元色は肌色と並ぶ初期のスバルのボディカラーであったブルーグレイであることが判明したため、レストアに当っては外装塗色を変更し、また、交通博物館時代にはエンブレム類その他の外装パーツが盗難され悲惨な状態にあったが、パーツの欠損については極力オリジナルパーツを探して組み付け、オリジナルパーツが存在しないモノ(例えば増加試作特有のサイドウインドのベンチレーターなど)はワンオフで作って仕上げたとのこと。レストアが完成した現在は元気に走行可能な状態にある。ブルーグレイのスバル360は私が幼少時に1960年後期型が実家にあったため、何とも懐かしく感涙ものであった。
この増加試作のみ右後ろに三角のベンチレーターが付かない。
エンジン
3本スポークステアリングのシンプルな運転席
増加試作のみのサイドウインド形状
フロントウインド前のベンチレーターもまだ付かない。
スバルブースに大きく掲げられたスバル60周年の表示
●1971年スバルff-1 1300Gバン4WD
計11台が試作され、東北電力、長野県飯山農協、防衛庁等に納入された。正式に販売された富士重工の四駆は1972年9月のレオーネ4WDエステートバンが最初であり、これはその1年前の試作車両。
●1957年三菱みずしま三輪TM12F型
クラシックカー名古屋の出展車両。三輪の中で「みずしま」の生き残りは少ない。税抜300万円のプライスは稀少価値を勘案すれば法外な高値ではないかも。
●1957年ダイハツミゼットDSA型
258万円。荷台の文字からすると実働時のままの車両のようです。
●1978年日野HEトラクタ+1965年コマツD30-8型ブルドーザ
長野県伊那の「はたらく自動車博物館」の出展車両。長野から自走してきたとの由。
●1978年 童夢 零
1978年の第48回ジュネーブショーで公開され世界中から注文が入っていたにも関わらず当時の運輸省の許可が下りず市販には至らなかった悲劇の和製スーパーカー。エンジンは日産L28を搭載。
●1979年 童夢 P-2
国内での市販が無理ならばと、DOME USAを設立し日本では逆輸入の形で市販を計画したものの、これも市販には至らなかった2年目の童夢。このクルマもエンジンは日産のL28。
●510ブルーバード1600SSS第18回サファリラリー優勝車
言わずと知れた国産車初のサファリ優勝車両。日産自動車(株)の保存車両。
●1967年マツダ コスモスポーツ
珍しい前期型。(株)マツダ保存車両。
●1969年マツダ ルーチェロータリークーペ
(株)マツダ保存車両。
●空冷ポルシェ軍団
岡山の(有)オールドボーイ出展の空冷カスタム・ポルシェ達。
●イベント公式パンフレット (A4判・40頁)
第1回から第9回までのポスター一覧など第10回を記念する内容。ポスターの変遷を見ると、何と今回を含め10回中の5回までがハコスカ/ケンメリのGT-Rを主役として制作されており、スカイライン人気の程が窺えます。
●パシフィコ横浜会場入り口の電光看板
★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ)1/15スケール/旭玩具モデルペット1/36スケール 1959年スバル360ブルーグレイ
2台写っている萬代屋のスバル360は全長20cmでブリキ製。当時定価:都内140円/地方150円。工場出荷時点でルーフが塗り分けられてスモールランプなどにも色差しされた右側が1stモデル。2ndモデルではルーフの塗り分けと細かな色差しが省かれ、更に左側の3rdモデルでは窓枠とバンパーが実車通りの黒塗りからクロームメッキに変更されています。私は幼い頃にこの3rdモデルを持っていました(以前にアップしていますが証拠写真多数有)。旭玩具のモデルペット3番のスバル360は全長8cmでダイキャスト製。当時定価150円(全国均一)。このモデルペットのスバル360はJMACの中島 登会長が最初に開いたミニカーショップ「イーストランド」で1977年(昭和52年)に1万円で買ったもの。当時まだ私は高校生でバイト代を思い切って注ぎ込んだ思い出がありますが、この時代の日本車を懐かしむ世代の高齢化で絶版価格は今後1977年の水準まで落ちる可能性もあります。モデルペットより遥かに大きな萬代屋製のスバルがモデルペットと殆ど同じ価格で売られていたのは不思議と言えば不思議なのですが、亜鉛合金=ダイキャスト製ミニカーが如何に高価な玩具だったかを物語っていると思います。当時は私のようにモデルペットではなく大きな萬代屋製のブリキのスバルをねだる子供の方が多かったのではないでしょうか。
萬代屋スバル360(1stモデル)
旭玩具モデルペット3番スバル360・・・箱絵は実車カタログの表紙絵が流用されています。
★オマケ(その2): 2018年2月16日 平昌五輪フィギュアスケート・ショートプログラムの羽生結弦
ピアノ曲はショパン「バラード第1番」(Ballade No. 1 in G minor, op. 23)の短縮版。1831年頃、ショパン21歳頃の作品。貼付不可となっているようですので、youtubeに飛んでご覧ください☆☆
★1965年カワイモデル 日本最古の鉄道模型メーカー・ハリスン展~玩具・模型カタログ棚から034
★私のような歳になって恋女房もいないというのは、どうにも体裁が悪く気まずい思いをすることも多いですし、人から「なんだ、君はいまだに独り者なのかね。」などと馬鹿にされ、所帯持ちでないという理由で社会的に信頼されないといったこともありますよね~。極く稀に「人生の楽しみを最後に残してあって、君はいいねえ~♪」なんて言ってくれる人もいるのですがNE。
でもね。私のような歳の独身者さんって、もうこのまま独身でいる方が人生気楽でいいなんて思っている人の方が多数派であって、私のようにいつまでも結婚願望があるなんていうのは少数派なんだろうなあwと思います。
1980年代の後半、30歳に近づいた頃、前にも書きました通り、周りから「30までに身を固めないと人生終わりだぞ!」などと言われたことをよく覚えていますが、その頃は崖っぷちという意識はあまりありませんでして、まあ、焦らなくても、そのうちいい人と出会えるだろうと何となく思っていたのです。しかし、もうあれから30年近くもの時間が流れてしまい、崖っぷちというよりは完全に崖から落ちている年齢(爆)となってみて、若い頃にはなかった焦りが出てきているのですYO(大汗)☆☆
★で、夢の恋女房を貰うためには何より自分磨きだと思って、人前でギターやピアノを弾いたりしている訳なのですが、いくら頑張ってみても、やはり私の人柄が悪すぎる所為か誰も愛してはくれない訳なのですよNE(大汗)
ここだけの話、実は私は惚れっぽい方なので惚れてしまうことは多々あるのですが、思い切って、「世界中で一番魅力的!是非お付き合いしてください。いや、最初はお茶だけでいいので是非お話しましょう♡」などと声をかけてみても、「自分の歳わかってるの?歳考えて話してくれるw」などと言われてしまうこともあり、なかなか厳しい状況です。中には「キモっ」の一言で終わってしまうこともあります(大汗)。これは30代半ば位までの相手の場合ですので、40代・50代、あるいは60代の相手だったなら恐らく返答は違うのでしょうがNE☆☆しかし、いつまでも誰からも愛されずに、このような女性に惚れては声かけるっていうのを、私は80歳位になっても続けていそうな気もしたりして怖いですYO☆☆
★閑話休題
貧乏暇なしとはよく言ったもので、今日も時間がないので、「玩具・模型カタログ棚から」シリーズ第34回記事として日本最古の鉄道模型メーカー「カワイモデル」の1965年版カタログを簡単にご紹介します。また、3月11日(日)まで渋谷ヒカリエ8Fで開催中のジョージ・ハリスン「アイ・ミー・マイン展」に行ってきましたので併せて簡単にレポートしますNE☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★カワイモデルは1928年(昭和3年)に創業し、今年2018年に創業90周年を迎えた日本最古の鉄道模型メーカーである。
川合兼之、延之兄弟により川合模型製作所として創業し、当初は精密な展示用模型を製作していたが、1928年に動力付の鉄道模型も製作するようになり、弟の川合延之が1934年(昭和9年)現在地の神田須田町に店舗を構え本格的に鉄道模型の製造販売を行うようになった。当初は当時の主流であった1/40スケール・35㎜ゲージを取り扱い、1938年(昭和13年)の夏頃より戦後まで続く1/45・32㎜ゲージ=零番=Oゲージに軸足を移した。戦後、TMS(鉄道模型趣味誌)の創刊後は1/80・16.5㎜=16番=HOゲージに移行し、1948年(昭和23年)に16番第1作となる自由形EB凸型電機、1950年(昭和25年)には初の16番スケール機ED14電機を発売した。そして、1956年60形蒸機、1957年マンモス電機EH10、1961年157系電車、1962年C59形蒸機、1964年151系特急電車、1965年ED91形電機、1966年101系/103系、1968年111系/113系、1971年2120形蒸機と続々と日本型16番モデルを製品化した。
★カワイモデルの16番製品の特徴としては、精密・細密であることをいたずらに追うよりも独特の味わいと走行性能を重視したこと、ソフトメタルの多用、電車・客車に於ける木製床板といった事項が挙げられる。
また、根本的なアップデートはされないまま半世紀前後も製造されている製品が存在することは特筆に値する。旧態依然とした製品群は21世紀の16番鉄道模型ファン層の大多数の嗜好≒精密/細密至上主義とは合致しないものの、人数は少なくともカワイモデルの独特の味わいに惹かれるファンや考古学的な興味や強烈なノスタルジーを感じるファンにより支持され続けている。
特筆事項として、カワイモデルは日本初の鉄道模型専門誌「模型鉄道」を1936年(昭和11年)4月に創刊し、1943年(昭和18年)9月第29号(ドイツ特集号)を最後に廃刊となるまで発行し、戦前期の日本の鉄道模型の普及に大きく貢献した。また、万世橋駅舎跡に2006年まで存在した交通博物館内にカワイモデル系列の工房があり、交通博物館の1/20スケール展示用模型等も多数製作した。
●1965年 カワイモデル 総合カタログNo.9 (A5判・日本語52頁)
1965年4月発行。カワイモデルの総合カタログは恐らくOゲージがメインであった戦前は作成されず、戦後、1950年代に入ってから作成され、1~2年毎に更新されカタログナンバーが変更された模様である。Web上をカワイモデル・カタログで検索するとカタログNo.5から揃いで持っている方もおられるが、No.1から全てを揃えることは至難だろう。なお、カワイモデル自身では古いカタログの保存はされてはいない。最終カタログは1971年8月発行のNo.13で、その後はカタログ自体は更新されず、近年に至るまで別刷りの価格表だけを配布(領価50円)するという対応が採られていた。手元にある中で最も古いカワイのカタログはこのNo.9で、表紙は当時の花形製品151系こだま形とC59形蒸機である。
【中頁から】
「カワイ製品とは」
従来より模型の製品、部品の中には不備なものがよくあり、お困りになられることをよく聞きます。カワイモデルでは、趣味を同じくする皆さま方のため、そのようなご迷惑をおかけしないよう『できるだけ完全なものを・・・』との信条のもとに、昭和3年創業以来現存する最古の鉄道模型メーカーとして、また戦前よりのただ一つのメーカーとしてのプライドを重んじ、常に研究を怠らず、設計に、製作に、豊富な経験をいかして製品の向上につとめ、安心して使える製品としてご好評をいただいております。
国鉄C59形 2C1 テンダ機関車
国鉄C60形 2C2 テンダ機関車
このカタログには分売パーツの価格のみ掲載されているが、科学教材社発行の工作ガイドブック1966年版によれば、1966年時点のC60の定価は完成品10500円、塗装済キット9700円。カワイモデルの製品は何れも登場時の価格が漸次値上げされており、このC60も1990年代には定価46000円程度まで上げられていた。
C11スタイルタンク機関車 (キット2725円)、Cタンク機関車 (キット1795円)
国鉄60形Bタンク機関車 (キット1300円)、サザンパシフィック鉄道Cテンダ機関車 (キット4000円)
リオ・グランデ鉄道2-6-0 (キット3600円)、リオ・グランデ スタイル2-8-0 (キット3880円)
ボールドウィン電気式機関車 (キット3315円)
国鉄EH10形電気機関車
これも分売パーツの価格のみ掲載されているが、工作ガイドブック1968年版によれば1968年時点の価格は未塗装キット4050円、塗装済キット4675円、完成品5150円。競作となった、つぼみ堂のEH10の完成品は同時期の定価が5900円で、ソフトメタル製のカワイ製品の方が安価だった。
国鉄ED91形電気機関車 (キット4615円)
国鉄ED14形電気機関車 (キット1800円)、サウスショアーライン85トンBB凸形電気機関車 (キット1995円)
自由形EB20形電気機関車 (キット1070円)、自由形EB凸型電気機関車 (キット1220円)
国鉄151系こだま形
1964年に11型式発売されたカワイのこだま形。東海道新幹線デビュー直前に0系新幹線ではなく151系を製品化したのは、開発期間が長かったためなのだろうか。1965年時点の塗装済完成品の定価はクロ151とクハ151が3800円と同時期の天賞堂製品の定価4250円より450円安かった。連綿と再生産され、1988年の定価はクロ21500円まで上げられた。クロとクハの頭部はディーテール・パーツが多い上に人工ダイヤが輝き、個人的には古くから市場評価の高い天賞堂製よりも魅力的に思える。
157系ひびき号 特急電車
157系日光形 電車列車
153系東海形電車、155系修学旅行形電車ひので・きぼう
80系湘南形電車、70系スカ形電車、73系通勤形電車
電車定価表
客車各種
国鉄標準形20m級客車が塗装済完成品1500円、自由形16m級スハ43/44タイプ客車が同1350円、自由形9m級2軸客車が同530円。
古典客車 下等車ハ・上等車イ(塗装済完成品 ハ:620円、イ:770円)
国鉄2軸ボギー貨車ワキ1/ワムフ1、2軸有蓋車ワム70000
ワム70000は妻面の表現が秀逸で評価が高い。
国鉄2軸貨車
塗装済完成品390円~480円。カワイの2軸貨車は連綿と再生産はされず、1960年代あたりまでで生産を終了したものと思われる。
一世を風靡したDCモーター群
木製道床の完成レール
カワイモデル案内図ほか
現在も同じ須田町交差点そばの地図。1965年時点の営業時間は平日AM9時~PM6時半。オールドファンからよく聞くカワイのお姉さんが店頭にいた時代だろうか。
裏表紙: 特急とき
●1971年 カワイモデル 総合カタログNo.13 (A5判・日本語56頁)
1971年8月発行の最終版。表紙はC60形蒸機。上掲のカタログNo.9に掲載のない製品のみご紹介します。
国鉄2120形C1タンク機関車
現在でも評価が高い2120形。
国鉄C56スタイル1Cテンダ機関車
路面電車 ピューゲル付新製品
111系近郊形電車
113系横須賀線電車
101系/103系 新・通勤形電車、湘南形クモユニ81
キハ35系 通勤形気動車
コンテナ貨車コラ1、自由形コム1
エンドウのコラ1よりもスケールに近いカワイのコラ1。エンドウのブリキ製の固定に対してカワイのベークライト製のコンテナは取り外し式でコンテナ1個単位での分売もされていた。但し、エンドウ製はコンテナの文字がプリントされていたのに対してカワイ製はシールを貼りつける。エンドウのブリキ製コラ1が600円だった1970年代初頭にカワイ製の定価はコラ1が1150円、コンテナ2個積みの自由形コム1が600円。自由形コム1は早期に市場から消え、コラ1は定価が2800円まで上げられた1990年代まで連綿と売られた。
●2018年2月現在のカワイモデル店舗
神田駅からも秋葉原駅からも徒歩で気軽に行ける距離にある。現在も新品のカワイモデル製品が店頭で購入できる他、手数料2割で中古品の委託販売も受け付けている。現在の営業時間はお昼過ぎから午後6時頃までと短いため、直接行く場合には電話確認要です。
カワイビルのプレート。戦前から所在地は同じながら残念ながら当時の建物ではなく、戦後一度建て替えられている。
旧製品が並べられたショーウインド。2代目社長に伺ったところ、売って欲しいと言われることは多いが売ってしまうと手元に1両も残らなくなってしまうので売れないとの由。また、スケール機(電車、蒸気機関車、電気機関車)は既に金型がないものが大半で再生産は不可能との由。自由形ではEB20も金型が既にないが、B凸はまだ再生産の可能性はあるとの由。懐かしい木製道床のレールはコストが掛かり過ぎてもう今は作れない、作っても売れる値段では出来ないだろうとのお話だった。現在は自社ビル経営の傍らで細々と営業を続けている状況にあるが、何とか2028年のカワイモデル創業100周年までは存続して欲しいと思う。
★オマケ(その1): カワイモデル1/80スケール自由形EB20形電気機関車
近年になりED14共々、茶色以外に近江色、西武色も作られたカワイの入門者向けロングセラー機。現在の鉄道模型では完全に失われた素朴な味わいは捨てがたい。カワイモデルの魅力の一つは独特の色調の箱にもある。自動車は仏ノレブ製1/87スケールのルノー4CV。
★オマケ(その2): カワイモデル1/80スケール自由形EB凸形電気機関車
これもロングセラー。2018年現在でも下請けに金型があり、再生産も不可能ではないらしい。
★オマケ(その3): カワイモデル1/80スケール国鉄コンテナ貨車コラ1
現在でも市場に沢山出てくるエンドウのブリキのコラ1に比べて遥かに数が少ないカワイのコラ1。ズッシリと重たい取り外し式のベークライト製のコンテナが何とも味わい深い。
コンテナは取り外し可能
オマケ1・2・3の並び
★オマケ(その4): カワイモデル1/80スケール国鉄EH10型電気機関車
これは2016年7月10日の川崎車輛のカタログ記事のオマケで紹介したもの。
★オマケ(その5): ジョージ・ハリスン生誕75周年「アイ・ミー・マイン展」
今日2月25日はジョージの75回目の誕生日。ジョージが2001年に58歳で亡くなってから、もう17年も経つのかという気がします。個人的には高校時代までは、ヒア・カムズ・ザ・サンやアイ・ミー・マインなどジョージの曲も結構熱心にカバーしていたので、ジョージにはジョン程ではないとは言え思い入れがあります。その頃の自分のカバーは録音が残っていて今回は最後のオマケにyoutubeにアップしようと音源を探したのですが簡単には見つかりませんでした(汗)。
ジョージ・ハリスン生誕75周年ということで、渋谷ヒカリエ8Fにて2月17日(土)~3月11日(日)まで開催中の「アイ・ミー・マイン展」。入場料は当日1200円、前売り1000円。土日は混雑を避けるため入場日と時間帯が指定されたチケットとなります。目玉は何と言ってもジョージが1969年1月のビートルズ最後のルーフトップ・コンサートの際に着たマリー・クワント製フェイク・ファー・コート。このコートの展示は「特別展示品」とされていますが、イベントの主催者であるザ・ビートルズ・クラブの所蔵品なのでしょうか。あとは、ジョージが12歳だった1955年に2輪レーサーに乗ってご機嫌になっている写真が見物です。ジョージの作詞原稿も沢山展示されていますが、残念ながら殆どは紙の劣化まで本物そっくりに作られた精巧なレプリカの展示で、本物ではないため個人的にはあまり価値は感じませんでした。お金を取ってまで展示するなら精巧な偽物ばかりではなく、数は少なくてもいいので本物を展示して欲しいなあと思ったりしました。ジョージと同じ1943年(昭和18年)生まれの有名人というと、ビートルズ日本公演の前座にドリフターズの一員として出演し2011年には45歳差婚で沸かせた加藤 茶さんが3月1日生れで何とジョージとは生年月日が1週間と違いません。
アイ・ミー・マイン作詞原稿のレプリカを販売・・・大:15万4400円、小:9万2200円という価格でレプリカを買うのは余程のジョージ・ファンでしょうね。
ジョージがルーフトップ・コンサートで着たコートの本物を展示
1955年リバプール・エイントリー競馬場で2輪レーサーに乗るジョージ・・・ジョージは楽しそうです。右後ろに写っているトラックはやはり英車でしょうか。
★1960年 マッチボックス 金属ホイールの小さなミニカー達 ~ 玩具・模型カタログ棚から035
★しかし、昨日3月3日(土)の雛祭りあたりから随分と暖かくなりましたね。今日3月4日(日)の東京の気温は既に20度を超えています。でも、今週半ばには最高気温が一桁に戻る予報ですので、寒暖の変化で風邪など引かないようにしないといけませんよね。
★で、気温が上がると花粉症が出るので昨日は花粉症の薬を貰いに耳鼻科に行ってきたのですが、帰りに寄った薬局の薬剤師さんが凄いゲロマブ!!例によって、「世界一綺麗ですね!」「13時30分に薬局が閉まる時間になったら外で待ってますから、是非お食事でも行きましょう」なんて声を掛ける訳ですが、何とワタスの声が聞こえてるハズなのに顔色/表情一つ変えずに無視(@_@;)まあ、そんなことがあっても意外にメゲないワタスですがNE。まあ、しかし春めいた陽気になると誰しもナンパの一つもしたくなるものですよね~。ワタスのように還暦が近い年齢になってもまだナンパしてるって人は案外レアなのかな~(笑・笑・笑☆)。ワタスの場合、80歳になってもナンパしてそうな気もしますがNE。でも、まあ、普通はワタスの歳ならゲロマブ恋女房がいてナンパなんてしなくなるものですよNE~(笑・笑・笑)☆☆
★閑話休題
さて今日は手元にある中で一番古いマッチボックスのカタログをご紹介します。マッチボックスについては、2015年4月12日に玩具・模型カタログ棚からシリーズの第24回記事として1966年日本語版カタログ、2016年5月8日に同第25回記事としてスーパーファースト・ホイールとなった後の1971年マッチボックス日本語版をご紹介していますが、今回は1960年の金属ホイール時代のUK版です。例によって時間がありませんので、簡単にアップしますNE☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★1960年代、私が子供の頃に遊んだミニカーの代表格といえば何といっても朝日通商が輸入していたマッチボックス (MATCHBOX)。
1970年(昭和45年)9月、私が小5の二学期に国産小スケールミニカーのトミカが発売されるまで、マッチボックスは子供のお小遣いでも買える安価なミニカー(1960年代後半で1台150円)の代表として全国津々浦々で売られ日本中の子供達に遊ばれた。私の生まれ育った都内でも街のオモチャ屋さんは勿論、模型屋さん、駄菓子屋さん、文房具屋さん、雑貨屋さん、あるいは本屋さんなどでもマッチボックスは売られていた。要するにマッチボックスは置いておけばどこでも羽が生えるように売れる商品だったのだ。
★1972年(昭和47年)4月、中学生になった私は熱狂的なミニカー・コレクターのクラスメイトY君と出会った。
Y君は両親が共働き(両親共に大学教授:御父様はその世界では知らない人はいないという程の著名な哲学者、御母様は英文学者)で御祖母ちゃん子だったのだが、御祖母さんから彼の望むミニカーは何でも買ってもらえる環境にあった。初めて吉祥寺に程近いY君の家に遊びに行った時、オモチャ屋さんにあるのと同じマッチボックスの展示ケース2つ(平面型と判子屋さんにあるような回転式タイプ)に大量に飾られたレギュラーシリーズに文字通り腰を抜かした。何でも近くの文具店で展示ケースごと全部買ってもらったという話だった。Y君はマッチボックスだけでなくモデルペットやダイヤペットといった国産ミニカーも山のように持っており、しかも小学生の頃に買ってもらったモノなのに普通の子供のようには遊ばず、全て箱付ミントの綺麗な状態で保管していることに更にまた猛烈なカルチャーショックを受けた。Y君から故 中島 登JMAC会長の著書カラーブックス「世界のミニカー」(1967年初版)を見せてもらった。それが私がミニカーをコレクション・アイテムとして明確に意識するきっかけとなった。Y君は朝日通商のマッチボックス・コレクションクラブに入会していて、定期的に発行されていた会報に掲載されたコレクター座談会といった記事に彼が顔写真入りで出ていたりしたこともあって、彼から大きな影響を受けた私は絶版となっても当時はまだ市場在庫があって容易に入手出来た旧ホイールやスーパーファストとなった新時代のマッチボックス・レギュラーシリーズを乏しいお小遣いで買い集めたものだった。当時マッチボックスの蒐集に夢中になっていたため、現在高額プレミアモデルとなっている1Aホイールや香港製などの初期トミカは数える程しか入手しなかった。1973年(昭和48年)、中2になるとY君はミニカーコレクションよりも音楽に夢中となって、サディスティック・ミカ・バンドやELPやTレックスといったロック・ジャンルのレコードを買って聴き始め、後に音楽プロデュースの道に進むこととなった。中2の時にその彼から譲ってもらったテレキャスター・コピーの国産エレキは記念すべき?私の最初のエレキギターだった(現在も手元にあり)。その彼は、1999年(平成11年)、ジョン・レノンと同じ40歳の時に不慮の事故死を遂げた☆☆
★英国レズニー(Lesney)社の最初のマッチボックスは1953年(昭和28年)、エリザベス女王が戴冠式に乗られた8頭立て馬車のミニチュアが始まり。
そのミニチュアが100万台以上も売れたことを契機にマッチボックス・シリーズは順次バリエーションを増やし、1960年(昭和35年)までには1~75番の有名な小スケールのレギュラーシリーズが完成した。その後、イエスターイヤー(Yesteryear:オールドカー)、メジャーパックおよびキングサイズシリーズといった非小スケール・モデルもラインナップに加えた。
マッチボックスの特徴は同一品番で新旧モデルが世代交代をすることで、「The Definitive Guide to Matchbox Toys 1-75 Series 1953-1969」等のコレクター向けガイド本では例えばレギュラーシリーズ34番のVWタイプ2であれば、1a、1b、1c、1d・・・というように市場に出た順にアルファベットが振られて世代区分されている。後年のトミカもマッチボックス同様に同一品番で世代交代させる手法を採り、トミカの場合には一般に1-1、1-2、1-3・・・・というような世代区分の表記がされている。また小スケールのレギュラーシリーズにおいては価格を統一するため概ね箱の大きさを統一した所謂 箱スケールで各モデルのスケールはマチマチとなっている。これも後年のトミカが踏襲した手法である。歴史に「もし」はないとは言え、もしマッチボックスの日本でのヒットがなかったなら現在のトミカは生まれていなかっただろう。
(以上は、2015年4月12日のマッチボックス1966年版カタログ記事より一部加筆して再録。)
★今回ご紹介する1960年UK版カタログは、日本に朝日通商が正規輸入を開始する前の時代のもの。
朝日通商の正規輸入以前も新橋のステーションホビーや上野~御徒町間のアメ横で売られていたとの話を伝え聞くけれども、実際に当時買ったという人から話を聞いたことはなく、日本国内でマッチボックスが果たしていつどこで最初に売られたのかは謎である。尤も渡航する人に頼んだり、海外コレクターとの交流で独自に入手した人は少数存在したようである。
マッチボックスのコレクションでは文字通り日本一のミスター・マッチボックスのJMAC関西の吉瀬拓雄氏の蒐集開始は1968年(昭和43年)と決して早くはない。何しろ1968年の時点で小3だったこの私でさえ、1967年秋の東大病院胸部外科入院に際してお見舞いに戴いたモノを中心に30台程度のマッチボックスを持っていたのだから。朝日通商による正規輸入開始以前のマッチボックス蒐集はミスター・マッチボックス吉瀬氏の辿った半世紀のうちの少なくとも半分の1990年代前半までのインターネットのない時代には海外のコレクターとの交流もしくはトイショーでの購入以外には手立てがなかったのが、現在では国内の絶版ミニカー専門店や家に居ながらにしてeBayなどでの入手が可能となった。しかも海外オークションも手数料15%と比較的高額ながらセカイモンなどの代行業者を通せば日本語のみでの取引まで可能な時代なのです。レズニー時代のマッチボックスに関しては蒐集のための資料も整備されており、レアカラー、企業特注品等を除くレギュラーシリーズの代表的なモデルを1台ずつ蒐集することは左程ハードルが高くはないようにも思えます。但し、箱付ミントに拘ってコンプリートするなら、それなりの軍資金が必要となるでしょう。トミカなど他のミニカーやアンティーク・トイ全般に同じことが言えますが、古いマッチボックスも箱付と箱なしとでは流通価格には雲泥の差があります。例えば箱付なら1万円以上するものが綺麗な状態の箱なしなら1000円とか2000円といったことはよくあります。そこで、マッチボックス蒐集のための資金が少なく、また、箱付ミント・コンプリートを目標とはしていない自分の場合は古いマッチボックスについては綺麗で安価な箱なしを入手すれば箱がなくともそれでよしとしているのです。
●1960年 マッチボックス U.K.3版 カタログ (縦14×横18.4cm・英仏独3ヵ国語併記32頁)
漸くレギュラーシリーズ1~75番が完成した時期のカタログ。レギュラーシリーズ75種、メジャーパックシリーズ6種、イエスターイヤーシリーズ14種、アクセサリーパックシリーズ4種、キングサイズパックシリーズ4種、発売予定品6種、世界22ヵ国の売価表で構成されている。レギュラーシリーズ以外は抜粋し、イエスターイヤーシリーズについては省略して掲載することとします。表紙には、「all the MATCHBOX pocket money toys by Lesney」の印字。マッチボックスのカタログの美点で全てのモデルにスケール(縮尺)が記載されています。
【レギュラーシリーズ】
品番1a 1/90 ディーゼル・ロードローラー
品番2b 1/75 ダンパー
品番3b 1/66 セメントミキサー
品番4a 1/75 マージーファーガソン・トラクター
品番5b 1/150 ダブルデッカーバス
品番6b 1/108 ユークリッド・クォーリートラック
品番7a 1/125 ホースドロウンミルクフロート
品番8d 1/102 キャタピラD.8トラクター
品番9b 1/93 メリーウェザー消防車
品番10b 1/150 メカニカルホース&トレーラー
品番11b 1/100 ERFエッソ・タンクローリー
品番12c 1/68 ランドローバー
品番13c 1/100 ベッドフォード・レッカー車
品番14a 1/100 ダイムラー救急車
品番15b 1/138 スーパーアトランティック・トラクター
品番16b 1/138 スーパーアトランティック・トレーラー
品番17b 1/150 ベッドフォード・リムーバルバン
品番18d 1/108 キャタピラD.8ブルドーザ
品番19b 1/69 MGA
品番20b 1/125 ERF 8輪トラック
品番21b 1/133 ベッドフォード長距離バス
品番22b 1/74 ボクスホール・クレスタ
品番23b 1/80 ベーカリーキャバリアー・キャラバン
品番24b 1/75 エクスキャベーター・ショベル
品番25a 1/70 ベッドフォード12cwlバン「ダンロップ」
品番26a 1/123 ERFコンクリートミキサー
品番27b 1/133 ベッドフォード・ローローダー
品番28b 1/75 フォードテームズ・コンプレッサートラック
品番29a 1/75 ベッドフォード・ミルクデリバリーバン
品番30a 1/71 フォード・プリフェクト
品番31a 1/75 フォードカスタムライン・ステーションワゴン
品番32a 1/75 ジャガーXK140クーペ
品番33a 1/71 フォード・ゾディアックMkⅡ
品番34a 1/75 フォルクスワーゲン・タイプ2マイクロバン
品番35a 1/118 マーシャル競走馬運搬車Mk.7
品番36a 1/75 オースチンA50ケンブリッジ
品番37a 1/89 キャリヤーバンタム・コカコーラ運搬車
品番38a 1/87 清掃車
品番39a 1/71 フォード・ゾディアック・コンバーチブル
品番40a 1/93 ベッドフォード7トンチッパー
品番41b 1/70 ジャガーDタイプ
品番42a 1/70 ベッドフォード・イブニングニュースバン
品番43a 1/64 ヒルマン・ミンクス
品番44a 1/80 ロールスロイス・シルバークラウドⅠ
品番45a 1/72 ボクスホール・ビクター・シリーズⅠ
品番46a 1/72 モーリス・マイナー1000
品番47a 1/75 トロージャン・ブルックボンドバン
品番48a 1/75 スポーツボート&トレーラー
品番49a 1/60 陸軍ハーフトラック・・・スケールは誤植?
品番50a 1/64 コマー ピックアップトラック
品番51a 1/150 アルビオンチーフテン・セメント運搬車
品番52a 1/63 マセラティ4CLT/1948年
品番53a 1/68 アストンマーチンDB2/4
品番54a 1/86 サラセント・パーソネルキャリアー
品番55a 1/70 DUKW アンフィビアン
品番56a 1/137 ダブルデッカー・トロリーバス
品番57a 1/70 ウーズレー1500
品番58a 1/139 BEAコーチ
品番59a 1/64 フォードテームズ・シンガーバン
品番60a 1/75 モーリスJ2ピックアップトラック
品番61a 1/67 フェレット・スカウトカー
品番62a 1/110 ジェネラルサービス陸軍ローリー
品番63a 1/100 フォード3トン4×4救急車
品番64a 1/98 スキャメル陸軍ブレイクダウントラック
品番65a 1/72 ジャガー3.4Mk.Ⅰサルーン
品番66a 1/74 シトロエンDS19
品番67a 1/75 サラディン・アーマードカー
品番68a 1/87 オースチンMk.Ⅱ陸軍無線車
品番69a 1/91 コマー30cwt ネッスルバン
品番70a 1/76 フォードテームズ15cwl エステート
品番71a 1/87 オースチン給水車
品番72a 1/62 フォードソン・トラクター
品番73a 1/126 RAF10トン清掃車
品番74a 1/80 移動飲料販売車
品番75a 1/80 フォード・サンダーバード
【メジャーパック・シリーズ】
【アクセサリー・パックス】
【キングサイズ】
【発売予定製品】
VWビートル、キャデラック等
【世界22ヵ国定価表】 (1958年7月現在)
★オマケ(その1): 1950年代のマッチボックス達
手元にある鉄ホイールの初期マッチボックスは残念ながら殆どが箱なし。コレクターとしてはミント・イン・ボックス(箱付完品)を集めないのは志が低いと笑われそうですが、箱付ミントより遥かに安価で気軽に素朴な味を楽しむのも悪くはありません。画像に写っているモデルの殆どが今回ご紹介したカタログに掲載されています。このあたりの素朴な造りのマッチボックスは現在のイグニッションモデルやスパークなどのレジン製ミニカーとは凡そ対極にあり、両者を併行して集めているような人は殆どいない気がします。尤も私の場合はスパークのポルシェも好きで集めているというレアケースですが。
Nスケールに近いモデル達。NスケールのEF58は大きさ比較用。
メジャーパック6番1/116 ピックフォード・スキャメル18輪トラクタ&トレーラー
21番ベッドフォード長距離バスの1955年製21a(手前)は1/160程度、1958年の21b(後方)になり1/133スケールに拡大された。
今回のカタログでは既に絶版で掲載されていない9aのデニス梯子消防車。
ERFトラック達の顔
キャディとキャンピングトレーラーにアクセサリーパック1番の1/75エッソスタンド。
52a 1/63 マセラティ4CLT
品番5b 1/150 ダブルデッカーバス
★オマケ(その2): マッチボックスニュース第16号に掲載されたモデルチェンジ歴史一覧表
1973年11月1日・朝日通商発行の日本のコレクターズクラブ向け会報にMBコレクター・ケン・ホエットン氏のデータを基に品番・abcd等のモデル世代番号・車名・カラー・スケール・全長・発売年を日本語で一覧として掲載された。マッチボックスの変遷を纏めた日本語の資料は貴重です。
★オマケ(その3): プレミアムX 1/43スケール 1973年マスタング・マッハ1栃木県警パトカー
全長11cm。これは発売されたばかりの新製品ですが、人気があり完売した店が続出しているようです。定価税抜3600円というのは、トミカリミテッドヴィンテージ&ネオの定価と比較すると割安に思えます。実際に東北道で使用された有名な車両のモデル化。アメ車や国産パトカーマニアならずとも思わず欲しくなる1台。マッハ1パトから逃げるクルマはマキシチャンプスのナロー911S。
★オマケ(その4): ホットウィール 1/60スケール程度 ポルシェ917LH
全長8cm。これはHWの2018年新製品。917のGulfカラーにはそそられます♪グリーンメタは半世紀近い時を隔てた1969年製のHWポルシェ917。
★オマケ(その5): 1957 「マッチボックス」 ポール・マッカートニー リハーサル・バージョン
マッチボックス記事の時のお約束で最後はこの曲。オリジナルは1957年のカール・パーキンスで1964年にビートルズがリンゴのボーカルでカバー。これは、ポールがレスポールを弾きながら歌っているバージョン。何度見てもカッコイイ(≧∇≦)
最初のマッチボックスが1953年に発売された時、1942年生まれのポールは11歳、今回の1960年版カタログの発行時には17~18歳だったことになります。
★1971年米澤玩具ヨネザワ タテグロ 大震災7年 ~ 玩具・模型カタログ棚から 036
★2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分に発生した東日本大震災から今日で7年ですね。あの日、あの地震が起きた時、皆さんはどうしていましたか??私は仕事中でオフィスにいたのですが、東京では地震発生後殆どの公共交通機関がストップしましたので、あの日はそのままオフィスに泊まり翌朝動き出した中央線で帰宅しました。
★東日本大震災の2018年(平成30年)3月9日時点で確認されている死者・行方不明者の数は1万8434人(死者1万5895人、行方不明者2539人)とのことです。行方不明の人については7年経った今も尚、遺体が見つからずに家族が捜し続けているというケースもあるようです。東日本の犠牲者数は国内の地震による犠牲者数としては、1923年(大正12年)9月1日11時58分に発生した関東大震災の10万5000人、1896年(明治29年)6月15日19時32分に発生した明治三陸地震の2万2000人に次ぎます。
しかし、人災に目を転じれば、大日本帝国の誤った国策により戦争を始めた結果、1945年(昭和20年)3月10日未明に325機の米軍B-29により東京が大空襲を受けた際の死者数8万3793人(当時の警視庁発表、実数は10万人以上)という数字や1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍B-29エノラ・ゲイにより投下された広島原爆の9~12万人、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、米軍B-29グレート・アーティストにより投下された長崎原爆7万4000人といった東日本大震災を大きく上回る悲惨な数字があります。
★さて、今週水曜日3月14日はホワイト・デーですね♪
沢山チョコを貰った人は沢山お返しして、大勢の人から喜ばれるのが楽しみですよね♪私も人に何かプレゼントして喜ばれるのが大好きなんですが、ご承知の通り、ここ毎年、義理チョコさえもゼロですので、プレゼントしたくてもプレゼントする相手がいないという悲惨な状況です(大汗)
いや、しかし、バレンタインデーに何も貰ってなくても、いきなりプレゼントしちゃうっていう手も「アリ」でしょうか??☆☆
★閑話休題
さて今日は米澤玩具の1971年版カタログをご紹介します。米澤玩具については、2014年12月28日に玩具・模型カタログ棚からシリーズの第18回記事として1963年・1964年・1965年の米澤玩具カタログ、2015年2月15日に同第22回記事として1966年・1967年の米澤玩具カタログ をご紹介していますが、今回は1971年の米澤玩具総合カタログです。例によってあまり時間がありませんので、以前の記事も再録しながら簡単にアップしますNE☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★米澤玩具(ヨネザワ)の歴史は戦前1932年(昭和7年)4月に初代社長米沢喜孝氏が台東区浅草2-19にて米沢商店を開業して玩具の卸し業を始めたことに遡る。
終戦後、1948年(昭和23年)1月に個人商店から法人組織となり、1956年(昭和31年)6月には北米の玩具買主(バイヤー)の依頼により北米輸出の専門会社として株式会社トーキョー・セントラル・トイズを設立すると共に国内向け販売及び北米向けを除く輸出業務を行う米澤玩具株式会社が設立された。1950年代から1960年代のブリキ玩具黄金時代には米澤玩具は幾多の名作を世に送り出した。大盛屋酒井通玩具の業務停止に伴い大盛屋のアンチモニー製ミニカー「チェリカ フェニックス シリーズ」の全ての残存金型を引き継ぎ、1965年8月9日、ダイヤペット・ブランドとしてミニカーの製造販売を開始。1994年(平成6年)5月、セガトイズに買収され株式会社セガ・ヨネザワとなった後、2000年(平成12年)3月にはダイキャストミニカーの商標をアガツマに譲渡し玩具事業から撤退した。国産ミニカー「ダイヤペット」は2018年(平成30年)現在も製造販売元が米澤玩具からアガツマに替わりはしたもののブランド自体は消滅しないで生き残っていることは喜ばしい限り。
●1971年 米澤玩具 総合カタログ (A4判・日本語40頁)
以前ご紹介した米澤玩具の1963年から1967年までのカタログと同様にこのカタログにも表紙の「’71」以外に発行年月を示す印字はなく、自動車カタログが新年型を前年の夏ないし秋口に出していたのと同様に米澤玩具のカタログ発行時期も1971年(昭和46年)の前年1970年(昭和45年)の秋口から暮れにかけて発行されたものかもしれません。
1960年代の米澤のカタログと同様に品番・製品名・全長・都内売価・全国売価が記載されており、玩具史料としての価値は高いです。不特定多数の一般向けに配布されるクラウンやカローラのような乗用車の自動車カタログなどとは対照的に玩具問屋、玩具小売店向けで一般には配布されていないため、こうした玩具メーカーのカタログは残っている数は少ないと思います。
1970年代に突入し3代目MS50クラウンを始め全体にプラスチック素材を主体とする玩具が増えていますが(3代目クラウンは一宏、野村トーイはブリキで出していますが、米澤とバンダイはプラ製に移行しています)、ブリキ製品もまだ沢山カタログに残っています。ダイヤペットは150番のプレジテント茶色など表紙には沢山写っていますが、ダイヤペット専用のカタログが別に発行されていた関係かこの総合カタログにはパーキングタワー等の関連アクセサリー以外は掲載されていません。頁数が多いため、自動車・鉄道関連を中心に抜粋して掲載することとします。
※以前の記事では品番・製品名・全長・都内売価・全国売価を全て記載しましたが、時間が掛かり過ぎることと新エディターに移行し画像が大きくなり情報は画像で確認可能なことから今回の記事では原則として品番と品名のみ記載します。
【中頁から】
《ミニカーアクセサリー》
品番855 ガレージ
品番866 整備リフト
品番877 ガソリンスタンド
品番916 B/Oパーキングタワー
《ニューフリクショントーイ》
品番377 シュッポ汽車
品番564 リニヤモーター
品番494 シグマレースカー
品番612 ニューふそうダンプ
品番613 ニューふそうミキサー
品番642 ニッサンダンプ
品番614 コンベア付ダンプトラック
《レールセット各種》
1960年代のブリキレールがプラ素材のレールに変っています。
《バッテリートーイ》
品番497 1966年ビュイック・リビエラ・ハイウェイポリスカー
品番701 グランプリレーサー
品番760 ピットイン・シャパラル2F
品番762 サンダージェットレースカー
品番984 ロータスF-1・・・・・傑作モデルです。
品番772 スピードキングレースカー
《オールマイティシリーズ》・・・・机の端に来ても落ちないアクション
品番773 シャパラル2F
品番774 ベンツ250SE
品番779 コミックトレーン
《ダンプトラック》・・・・砂場遊びの定番「ダンプ」は10種掲載
品番640 キングダンプ
品番593 大トヨタダンプ
品番631 ふそうダンプ
品番656 中トヨタダンプ
品番597 大トヨタキャブオーバーダンプ
品番611 マイティダンプ
品番621 いすゞリフトダンプ
品番664 日野レンジャーダンプ
品番607 リフトダンプ
品番596 フォードリフトダンプ
《トラック》
品番720 No.1シャベルトラクター
品番757 No.2シャベルトラクター
品番605 大トヨタミキサー
品番603 中トヨタミキサー
品番630 ふそうミキサー
品番591 パワーシャベル
品番610 プリンスホーマートラック
品番615 日通プリンスホーマー
品番639 チャイルドシャベルトラック
品番598 フォードシャベルトラック
品番591 大日通トラック(日野COE似)
品番619 マンモストラック・・・・・全長67cm!
《フリクションじどうしゃ》
品番455 22インチ1962年キャデラックポリス・・・・・全長56cm
品番416 22インチ1962年キャデラック・・・・・9年落ちでもカタログに載っていたとは驚きです。
品番552 20インチ ベンツ
品番560 20インチ ベンツ警視庁パトカー
品番660 大パトロールジープ
品番553 15インチ1968年トヨペットクラウンMS50(ABS製)
品番440 1967年日産グロリア警視庁パトカー(タテグロ)・・・・・230へのフルチェンジは1971年2月なので、このカタログが発行された頃はまだタテグロは現行車
品番475 1967年日産グロリア(タテグロ)・・・・・タテグロのノーマルは販売期間が短く稀少
品番526 10インチ1968年トヨペットクラウンMS50(プラ製)
品番527 10インチ1968年トヨペットクラウンMS50警視庁パトカー(プラ製)
品番544 1966年初代トヨタカローラ
品番545 1966年初代トヨタカローラ警視庁パトカー
品番466 1965年初代ニッサンシルビア警視庁パトカー(プラ製・ボンネット開閉アクション付)
品番980 14インチ ポルシェカレラ10(プラ製)
品番478 13インチ ベンツ警視庁パトカー
品番981 12インチ バギーカー
品番766 フォーミュラレーサー
品番495 グランドチャンピオンレーサー
《バス》
品番721 No.1東名高速バス(全長38cm)
品番797 No.3東名高速バス(全長44cm)
品番777 No.50はとバス(全長43cm)・・・・・室内も造り込まれた良心的なはとバス
品番728 No.10はとバス(全長59cm)・・・・・60年代半ばの初版「ジャイアントはとバス」では丁寧に室内が造り込まれていたが窓が乗客のプリントに変った。
品番729 大国鉄バス(全長47cm)
品番785 東名高速バス(全長43cm)
品番719 日航バス(全長38cm)
品番763 大日航バス(全長59cm)
品番780 No.3日航バス(全長44cm)
《しょうぼうしゃ》
品番649 グランドリフト消防車
品番652 フォードリフト消防車
品番570 いすゞTX消防車
品番622 リフト消防車
品番629 ふそう消防車
《フリクションでんしゃ》
品番385 No.7ひかり号(全長61cm)
品番563 No.12ひかり号(全長72cm)
品番351 発車ベル付大東海電車(全長59cm)
品番373 No.2東海電車(全長56cm)
品番383 No.2快速電車(全長54cm)
品番389 小・食堂車(全長37cm)
品番381 小・中央線電車(全長37cm)
品番372 マンモストレーン(全長48cm)
品番360 発車ベル付大食堂車(全長59cm)
《デンワ・ままごと》
品番958 牛乳販売機・・・・・面白そうなオモチャです♪
品番950 ジュース販売機
品番930 菓子販売機 他
《トライアング・レールセット》
英国から直輸入のHO鉄道模型セット各種。写真に写っているホームや建物といったストラクチャー類も輸入されたのかどうかは不明。
《ロボット》
品番839 バクショーロボット
品番827 火星人ロボット
品番829 ゼンマイ・ルナーロボット
品番811 ゼンマイ・マイティロボット
品番805 アクロボット
《新製品》
品番974 №5特大ディズニーパチンコ
品番964 ダイヤモンドボーリング
《バッテリートーイ新製品》
品番376 発煙・ライト・音入り機関車・・・・・なかなか良いスタイル
品番648 消防車
品番496 ドア開閉ポルシェカレラ10
品番279 にわとり
品番599 ウルトラキャリヤー
【裏表紙】
ぬいぐるみ各種をバックに米澤玩具本社(台東区浅草橋)・大阪支社(生野区)・内地部倉庫(墨田区石原)・輸出部倉庫(江東区深川)の住所・電話、ヨネザワのオモチャの唄「シャポロポロンマーチ」のコードネーム付楽譜。
★オマケ(その1): 米澤玩具440番 1/12スケール1967年日産グロリア警視庁パトカー
全長41cm。ブリキ製。今回の1971年版カタログに掲載されている製品をオマケに少し。短期間でノーマルが絶版になった後もパトカーは暫く売られ1970年代後半になっても市場在庫があった。画像のモノは1979年(昭和54年)7月12日に甲府駅近くの玩具店で見つけ定価で購入。
★オマケ(その2): 米澤玩具652番1/20スケール程度 フォード・リフト消防車
全長43cm。ボディ:プラ製、シャシー他:ブリキ製。プラ/ブリキ混合時代の製品。米澤はフォードのCOEを消防車、ダンプ、パワーシャベルとバリエーション展開していた。そもそも米澤が何故フォードキャブを作ったのかは謎です。小さい消防車は1970年代後半の米澤玩具ダイヤペット1/60スケール三菱ふそう。
★オマケ(その3): 雑誌「昭和40年男」2018年4月号
2018年3月10日発売号。税込定価700円。ジャンクなプラモ特集。ジャンクというのは、A級ではないB級C級プラモの意味で使われています。このブログでもご紹介した1961年(昭和36年)発売の田宮模型のミゼットハウスを始め珍キットが沢山カラーで出ていて楽しめます。昭和40年男という言葉は1965年生まれを意味するようですが、雑誌の内容は1965年の前後10年位に生れた年齢層なら楽しめそうな内容です。
この本に掲載された山のようなプラモを見ていて個人的に気になったのは、このマルイ製の「歩く生首」「歩く手首」。柳 柊二画伯(1927年-2003年)の描いた箱絵がそそります♪
駄プラモ。カウンタックとサンダーバード2号。
★1972年 米澤玩具ヨネザワ 初代マークⅡパトカー ~ 玩具・模型カタログ棚から 037
★昨日3月17日(土)、東京では平年より9日早く桜(ソメイヨシノ)が開花したそうです。でも、まだ今週3月20日(火)・21日(水)には真冬の寒さが戻り、暑さ寒さも彼岸までの言葉通りに彼岸明けの3月24日(土)あたりからは暖かな陽気となるようですよ~♪♪
★昨日はトミカの発売日でしたね♪ロータスの初回は購入出来たのですが、トイザらスは1時間以上かけてサンシャインまで行ったのですが何と午前中に完売したとかで、トイザらスオリジナル トミカ トヨタ86 レーシングシリーズ トヨタ86というのは1台も購入出来ませんでした(大汗)。夕方、中野に行ったら、もう86を1300円で並べているレンタルショーケースがありましたが、トイザらスまで行く時間と交通費を考えれば高くはないのかもという気もします。そんな風に考えて買う人がいるから、転売屋さんもホクホクなんでしょうね~(笑・笑・笑)
★しかし、年度末で忙しくブログどころではないという人も多いことと思います。考えてみると今年は全く問題なしなのですが、来年の今頃は新年度を元号では何と表記するべきか大いに悩みそうですよね~。平成31年度とすると4月の1ヵ月だけで天皇陛下が交代して元号が変ってしまう予定なのですから、年度が4月~3月の場合には元号での年度表記は新元号で表記するといった規則を作って貰わないと困りますよね~(>_<)
★と言うか、まあ、年度の表示・表記なんてどうでもいいんじゃないの~という人の方が世の中、大多数かもですよね~。そもそも西暦で2018年度、2019年度と表記するなら何も問題はない訳ですしね。でも、現在、日本の役所を始めとして何にしても文書は全て元号表記というケースは意外にあるので4月の1ヵ月だけ元号が異なる場合に元号での年度をどのように表記するか決めないと困りますよね~<(_ _)> ☆☆
★閑話休題
今回は前回の1971年版に引き続き、1年新しい1972年版の米澤玩具(ヨネザワ)のカタログをご紹介します。例によって時間がありませんので、簡単にアップしますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★1972年
2018年現在、1972年(昭和47年)は46年前ですので、1972年に生れた人は誕生日が来れば今年満46歳と云う事になります。私は1972年の1月~3月が小6で4月から中1になった年でした。自動車の世界ではポルシェ911は2.4ナローの時代、国産車ではC110ケンメリ、C130ブタケツローレル、27レビン/トレノといったクルマがデビューした年です。個人的にはカタログを貰いに行ったりプラモデルを作ったりした思い出が鮮明で46年を経ても1972年はまだついこないだのことのようでもあります。
ビートルズは既に解散し、ジョン・レノンはサムタイム・イン・ニューヨーク・シティをリリースし、8月30日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでワン・トウ・ワン・コンサートを行った年です。日本の総理大臣は佐藤栄作から7月7日に田中角栄に替わっています。
この年、仮面ライダーが30%の視聴率を採り、ウルトラマンA(TBS系4月7日~)、超人バロム・1(読売テレビ系、4月2日~)、変身忍者嵐(NET系、4月7日~)、人造人間キカイダー(NET系、7月8日~)、アイアンキング(TBS系、10月~)、突撃!ヒューマン!!(日本テレビ系、10月~)といったヒーロー物の放映が始まった年です。テレビドラマでは、「太陽にほえろ!」や「木枯し紋次郎」の放送がこの年始まっています。
●音楽の世界では、1972年に以下のような曲がヒットしています。私は後年聴いたものも含めて全ての曲を知っていますが、皆さんの知っている曲もあるでしょうか?あるいは1曲も知らないでしょうか??
ちあきなおみ「喝采」
古井戸「さなえちゃん」
遠藤賢司「カレーライス」
猫「地下鉄に乗って」
五輪真弓「少女」
小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」
よしだたくろう「結婚しようよ」
天地真理「ひとりじゃないの」
沢田研二「許されない愛」
山本リンダ「どうにもとまらない」
トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」
麻丘めぐみ「芽ばえ」
郷ひろみ「男の子女の子」
上條恒彦「だれかが風の中で」
三善英史「雨」
森昌子「せんせい」
森田健作「友達よ泣くんじゃない」
アグネス・チャン「ひなげしの花」
アンディ・ウィリアムス「ゴッド・ファーザー・愛のテーマ」
Tレックス「メタル・グゥルー」
ディープ・パープル「ハイウェイ・スター」
●1972年 米澤玩具 総合カタログ (A4判・日本語28頁)
このカタログにも表紙の「’72」以外に発行年月を示す印字はなく、自動車カタログが新年型を前年の夏ないし秋口に出していたのと同様に米澤玩具のカタログ発行時期も1972年(昭和47年)の前年1971年(昭和46年)の秋口から暮れにかけて発行されたものかもしれません。
前年のカタログまで掲載されていた全長の記載がなくなり、カタログ上で製品の大きさが判らなくなっていることが玩具史料的には残念です。前年のカタログに掲載されていた、3代目MS50クラウン、初代カローラ、初代シルビアが消え、縦目グロリアと1962年キャデラックもパトカー/ポリスを残しノーマルはカタログ落ちしています。名作ロータスF-1やいすゞリフトダンプも消えています。一方、1970年コロナマークⅡハードトップ・パトカーやミニサイズのトヨタボンネットダンプなどが追加されています。コレクション・トイ「ダイヤペット」は、この年は製品に封入されたミニカタログのみの発行であった関係か、5頁掲載されています。
【中頁から】
《ビッグシリーズ》
品番905 乗用ウルトラマン
品番618 ドア開き特大トヨタダンプ
品番988 乗用ショベルトラック
《パチンコシリーズ》
品番975 トーキング・ウルトラマンパチンコ (全国1600円)
品番909 No1 ウルトラマン・パチンコ (全国420円)
品番879 No.2 ウルトラマン・パチンコ (全国800円)
品番938 No.3 スペクトルマン・パチンコ (全国1000円)
《ゲーム》
品番854 電動トーキングクィーンズ・ボーリング (全国2000円)
品番966 電動トーキングスロットマシン (全国2500円)
品番855 ダイヤモンド・ゴルフゲーム (全国1500円)
品番893 ダイヤモンド勝馬ゲーム (全国1500円) ・・・・・etc
《電動玩具》
品番315 スーパーソニック日航 (全国1150円)
品番976 ミステリー白バイ (全国1260円)
品番940 リモコン・白バイ (全国1370円)
品番977 サイドカー付白バイ (全国1470円)
品番616 DXハシゴ消防車 (全国1050円)
品番617 DXスノーケル消防車 (全国1050円)
品番624 電動スノーケル消防車 (全国900円)
品番276 電動ミステリー・スペクトルマン (全国1050円)
《フリクション・トーイ》
品番609 No.2三菱ふそう梯子消防車 (全国990円)
品番366 特大汽車 (全国1100円)
品番989 ローラースキー (都内売価設定なし全国1000円)
品番720 No.1ニューシャベル (全国700円)
品番952 警視庁サイドカー (全国1100円)
品番347 ジャンボジェット (全国600円)
《レールセット各種》
《電動玩具各種》
品番487 流星タロー (全国890円)
《怪 獣》 ・・・・・一部製品は無版権の可能性有?
品番898 怪獣ヘルメット (全国650円)
品番881 ウルトラセブンヘルメット (全国650円)
品番880 ウルトラマンヘルメット (全国650円)
品番889 レッドキングヘルメット (全国650円)
品番890 ゴモラヘルメット (全国650円)
品番866 スペクトルマンヘルメット (全国650円)
品番235 仮面ライダースケート (全国750円) ・・・・・etc
《自動車》
品番490 1970年トヨペットコロナマークⅡパトカー (東京450円・全国490円)
品番482 発火ポルシェカレラ10 (東京450円・全国490円)
品番980 14インチ ポルシェカレラ10 (東京550円・全国600円)
品番983 14インチ ポルシェカレラ10パトカー (東京550円・全国600円)
品番981 サンドバギー (東京650円・全国710円)
品番440 1967年ニッサングロリア警視庁パトカー (東京650円・全国710円)
品番494 シグマレースカー (東京700円・全国770円)
品番560 20インチ ベンツ (東京1000円・全国1100円)
品番455 22インチ 1962年キャデラック・ポリス (東京1200円・全国1320円)・・・・・実車では10年落ちでも販売継続
品番620 No.2パトロールジープ (東京600円・全国660円)
品番545 大パトロールジープ (東京1100円・全国1200円)
《消防自動車》
品番634 ベビートヨタ消防車 (東京230円・全国250円)
品番624 №1三菱ふそう消防車 (東京450円・全国490円)
品番609 №2 三菱ふそう消防車 (東京900円・全国990円)
品番570 16インチ いすゞTX消防車 (東京700円・全国770円)
品番622 リフト消防車 (東京700円・全国770円)
品番652 フォードリフト消防車 (東京1000円・全国1100円)
品番649 グランドリフト消防車 (東京1100円・全国1200円)
《ダンプ》
トヨタのボンネットだけで大中小の3種。品番632のトヨタベビーダンプ(東京220円・全国240円)が追加された。
《トラック》
ビンテージトイとして現在人気の高いプリンスホーマーは1972年の時点ではまだ現行車だったためかノーマル・日通仕様共に販売が継続されている。
《バ ス》《鉄 道》
前年から多数がカタログ落ちし、大幅に製品数が減少。
《ダイヤペット》
150番プレジデント~217番ローレルHT
220番ルーチェREクーペ~254番ローレルHTラジオカー
255番ポルシェ911パトカー~266番東名高速バス(いすゞと印字されているが、三菱ふそうで発売)
《ダイヤペットABSシリーズ》
軟らかな樹脂製素材を使用してコストを抑えた新シリーズだったが人気が出ず、現在の絶版ミニカー市場でもダイキャスト製ダイヤペットに比べ不人気。
《ダイヤペット・サブロン》
ベルギー製サブロンを輸入し米澤独自のパッケージに入れて販売。サブロンのミニカーは経年でホイルが溶けてしまう大きな難点有。1番のポルシェタルガは編集ミスか213番の縦グロと写真が入れ違っている。
《ダイヤペット50シリーズ》
品番504の初代フェアレディZ(300円)は試験的に市場に出たのみで数が少ない。
《ダイヤペット・ヨーロッパ》
《ダイヤモンド・ミニカー》
K‐1番の130後期セドリック(500円)とK-2番のVWビートル(450円)の2種のみに終わった香港生産シリーズ。
【裏表紙】
表紙と同じダイヤペットの大群に71年版カタログと同じヨネザワのオモチャ「シャポロポロンマーチ」のコードネーム付楽譜に米澤玩具の本社・支店等の住所/電話番号の印字。
★オマケ (その1): 米澤玩具490番 1/12.8スケール1970年トヨペット・コロナマークⅡハードトップ1900SL警視庁パトカー
全長34cm。ブリキ製。初代マークⅡハードトップ(型式RT72S)のブリキはアオシン44cm、野村トーイ31㎝との競作。米澤自身でも他にダイヤペットのダイキャスト製184番とABSシリーズでもリリースしており、当時の花形国産車だったことが判る。米澤製のこのマークⅡは何故かノーマル仕様が販売された形跡がない。トミカ2‐1の1/62マークⅡ黒赤ツートン(7cm)は大きさ比較用。
リア右にTOYOPET文字のプリント
室内: シートバックに桜にYの字の米澤マーク
★オマケ (その2): 野村トーイ 1/14スケール1970年トヨペット・コロナマークⅡハードトップ1900SL警視庁パトカー
上掲の米澤製より一回り小さい全長31㎝。ブリキ製。トミカとよく似たカラーリングの黒赤ツートンのノーマルも出ている。早期に市場から消えた米澤製より野村製の方が現存数は多く、1970年代末頃まで市場在庫があった。巨大なアオシン製のマークⅡもキャラクターを載せたバリエーション以外は1980年代初頭頃まで市場在庫が見られた。
リアトレイに菱形にTNの野村マーク
室内プリント
オマケ1と2の並び。米澤製の方が頭一つ大きい。
★オマケ (その3): 米澤玩具ダイヤペット1/40スケール 1970年ニッサンスカイライン2000GT-R警視庁パトカー&救急車
今回のカタログに掲載されているダイヤペットを最後に少し。全長11.5cm。ダイキャスト製。ボンネット・トランク・前ドア開閉アクション付。当時定価650円。No.230のパトカーは1971年2月発売、No.239の救急車は1971年3月発売。他にNo.238の消防指令車のバリエーションあり。実車では有り得ないところが今となっては面白いハコスカ4ドアGT-Rの緊急車シリーズ。
開閉アクション付
★オマケ (その4): 地下鉄に乗って by 猫 1972
作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎。赤坂見附が歌詞に出てくるのはこの曲だけかも?
★オマケ (その5): 芽生え by 麻丘めぐみ 1972
作詞:千家和也/作曲:筒美京平。元祖カワユス系。この曲、好きだったなあ♪1955年(昭和30年)10月11日生まれの麻丘めぐみさん16歳の時の映像。
★1976年「生きるといふこと」 TULIPカバー ~ ランボルギーニ・ミウラのミニカー達
★例年より10日早く、昨日、東京の桜が満開(=8分咲き)となったそうです。近所の桜並木にもお花見の人が大勢訪れています。先週は雪が降ったというのに、これからは今週木曜日(29日)には東京の最高気温が25度と予報されているなど例年以上に暖かい日が続き、来週末まで桜が持つのか微妙な感じもします。
★昨日、女性にモテモテのミニカーおやじセリカさんが「とどめの1曲」として、TULIPの「青春の影」をアップされていましたが、今日は私が1976年に自分で唄ったTULIPの「とどめの1曲」を第1部でご紹介します。そして、私のブログでは音楽系の記事はアクセス数が急落する傾向にありますので、第2部として昨日、京商のファミリーマート等のコンビニ限定ランボルギーニ・コレクションが発売になったことに因んで、お気に入りのミウラのミニカーをご紹介しますNE☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★Chapter1: 生きるといふこと
女性にモテモテのミニカーおやじセリカさんが昨日、「とどめの1曲」として、TULIPの青春の影をアップされていましたが、私の「とどめの1曲」はこの曲。1975年(昭和50年)4月5日に東芝EMIからリリースされたチューリップ5枚目のオリジナル・アルバム「無限軌道」収録曲。
財津さんの世界観がよく表れている佳曲です。名曲と言いたいところですが、セリカさんも知らないと言われてましたし、シングルヒットを聴いているだけでTULIPのアルバムまでは聴いていないよという人は知らない隠れた名曲といったところでしょうか。
今回の音源は私がアルバムリリースの翌年、1976年(昭和51年)、高2の時にギター1本で弾き語りしたものです。この曲は歌詞もメロディも当時の自分の気持ちにとてつもなく馴染む歌でした。まるで自分でつくった歌のように。みなさん、そんな曲ってありませんか?
この曲と共にビートルズのヒア・カムズ・ザ・サン、マザー・ネイチャーズ・サン、自作の「愛の灯」(ともしび)などを私は高校の学園祭でギター1本で唄っていたのです。しかし、財津さんのこの曲は、チューリップファン以外の人、特にストーンズやツェッペリン、キャロルあたりが好きな人にはウケが悪く、「キモイ」という言葉は当時はまだなかった気がしますが、「軟弱」とか「ダサイ」と思われていた気がします。尤も私自身は自分の気持ちにしっくりくる曲なので何と言われても堂々と唄っていたのですがNE☆☆☆
●チューリップ「無限軌道」 LPジャケット
このアルバムがリリースされた1975年というのは自動車の世界では330セド/グロやコスモAPあたりがデビューした年ですが、2300円というLPレコードの価格は貧乏高校生の私には安くはなかったので、実はチューリップのLPは自分では1枚も買ったことがなく、クラスメイトのチューリップ・ファンの女の子から新譜が出る度に1日だけ借りてカセットに録音して聴いていました。
●チューリップ「無限軌道」 収録曲
「生きるといふこと」はB面の5曲目に収録。ヒットした「サボテンの花」の1曲あと。
【生きるといふこと】 TULIPカバー by porsche356A 1976
録音: 1976年。もう2018年で42年の時が流れています。今アップしないと永久にアップしない気がするのでアップしちゃいます(→誰も聴きたくはないかもww)。財津さんは声が高いので私がオリジナルキーのDで唄うのは少々無理がありますが、キーを変えるとギターが弾きにくくなるため、オリジナルキーで無理矢理唄っています。ギターはナイロン弦のガットギターです。16歳の私のガラスのように繊細な内面(実は今も大して変わっていないw)が見えるような録音で聴く人によっては相当にキモイかもしれません??キモイと思った人はキモイよ~って是非正直な感想をコメントくださいね~☆
【生きるといふこと】 歌詞
1975 TULIP 作詞・作曲 財津和夫
何度死んでしまえと思ったろう
信じるものは何もなかった
風はよそよそしく 通り過ぎて
太陽が怖かった
何度生まれ変われと願ったろう
たった一度の人生だから
花はきどって 咲き誇り
青空が憎かった
でもあなたとめぐり会い
心の狭い 私を知りました
この世のすべてのものは
私のもの 私たちのもの
太陽は勇気だったのです
青空は真実だったのです
風はやすらぎ 雨は二人のために
小さな世界をつくってくれる
棘のある薔薇の花は
いま 棘を落としました
永遠に消えないで
この幸せよ このうれしさよ
どんなつらい別れが来ても
私は泣いたりしないでしょう
だってあなたがこんなすばらしい
勇気をくれたのだから
★Chapter2: ランボルギーニ・ミウラのミニカー
昨日2018年3月24日(土)、ファミリーマート/サークルK/サンクスの一部店舗で京商ランボルギーニ・コレクションの販売が始まりました。1/18ウラカンを含めて25種類あり、そのうち10種は2台もしくは3台の同色ランボのセットになっています。1回800円(税込)でハズレくじなしです。Webで取扱い店となっていた最寄りのファミマに昨日午前11時過ぎに行ってみたところ、ちょうど商品を並べているところでした。お店の人にくじは全部で何枚あるのかと訊いたところ、「全部で70枚、まだ一人も買ってませんから800円×70=56000円で全部Get出来ます」旨を言われて、ランボの新車価格や最近の1/12レジン製ミニカーなどの価格を考えたら全部買った方が良いぞよ~という悪魔の声?が聞こえたのですが、同じミニカーが5台とかダブっても処分に困ると思ったのと後から来た人が買えないのは悪いとも思い大人買いは止めておきました(汗)実際、今回は入荷数が限られているため、そっくり大人買いした人がいたようで、出して即完売となった店があったようです。
今回のくじでは、京商1/64新金型のアヴェンタドールSVクーペとチェンテナリオは数の少ない2台ないし3台のセット物がメインで入手が難しく、ミウラやカウンタックは数が多く入手はしやすいようです。私はどこか爬虫類のようなイメージもある最近のランボよりミウラ、カウンタックの方がそそられるので、ミウラのオレンジとカウンタックの黄色の2台がすぐに出たところで散財しないうち止めました。今回のくじ、確率的には同じモノが5回続けて出るといった悲惨なことも有り得ます。単品でなくセット物が当たれば大当たりでしょうね。しかし、京商の1/64は正規の単品販売定価では2000~2500円位もするのに、800円で1/18ウラカンや2台・3台という当たりも考えると1台800円を大幅に下回る価格であることが不思議です。恐らく相当に数を沢山作っているのでしょうね~
●伊ポリトーイ552番 1/43スケール ランボルギーニ・ミウラ・ベルトーネP400
全長10cm。ダイキャスト製。ここからはビンテージミニカーのミウラの中からお気に入りを少し。現行品に至るまでミウラのミニカーは山のように出ていますが、私が一番好きなのはこのポリトーイ製。人気の高いソリドやメーベもありますが、カラフルで凝ったパッケージ一つとってもポリトーイ製が個人的には好きです。フル開閉アクション付。
フル開閉アクション
●英コーギー319番 1/43スケール ランボルギーニP400 GTミウラ
全長10cm。ダイキャスト製。スピードホイールですが妙に魅力的なミウラです。牛のフィギュアが付いたものや後年はシルバーなどのカラバリが出ています。前後カウル開閉アクション付。
前後カウル開閉
●英マッチボックス・キングサイズ K-24番 ランボルギーニ・ミウラ
全長10cm。ダイキャスト製。1年程度でスピードホイールに移行した後、黄/青などの珍妙なカラバリが出ています。この旧ホイールは数が少ないと思います。リアカウル開閉+前輪ステア・アクション付。
リアカウル開閉
●ランボルギーニ・ミウラのお気に入りミニカー達
★1978年 ランチア・ストラトス・ピレリレーシングの国産ビンテージミニカー達 ~ タイヤの寿命
★さて、1年の4分の1が終わり、もう今日から4月ですね~(>_<)
東京の桜は既にピークを過ぎて葉桜になりつつありますですよ~m(__)m 4月6日(金)の区立小学校の平成30年度入学式までは桜は持ちそうにない感じです(>_<)今年は平年より10日早く咲いたということですので、平年通りなら丁度満開の頃に入学式ということになりますね~♪♪
★しかし、前にも話しましたが今年は平成30年度入学式と堂々と言えますが、来年は本当に困りますよね~(汗)。新元号の発表が2019年(平成31年)2月24日以降の早い時期とのことで新元号が5月1日施行の予定ですので、4月の1ヵ月だけが平成31年度で5月から翌3月末までの11ヵ月は新元号の年度に変えるのか、あるいは、新元号が発表された時点で4月の1ヵ月は新元号の年度に組込むこととするといった通知をして、平成31年度は失くし、新元号の○○元年度入学式あるいは○○元年度予算といった形とするのか。その反対に新元号は無視して、2020年3月までを平成31年度で通してよいのか??
そもそも、生前退位なのに年度替わりの4月1日ではなく5月1日に元号を変えるというのが摩訶不思議なことですよね~(大汗)。まあ、そもそも、日本中で年度の元号表記は失くして、来年度以降の年度表記は原則、西暦表記とすると決めるのならば何も問題はないですよね~(笑)(笑)(笑)
★閑話休題
実はこの土日は色々と忙しく仕事になってしまいまして、記事を書いている時間がありません。しかし、週末1回更新のペースを崩さないように、今日はランチア・ストラトス・ピレリ仕様のミニカーを簡単にご紹介しますね~☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★タイヤの寿命
自家用車(マイカー)を所有している皆さんはタイヤをどんなタイミングで換えてますかぁ?溝が1.6ミリとなってスリップサインが出ると車検を通らなくなりますから、スリップサインが出たら換えるという人もいるでしょうね~。新品のタイヤの溝は8ミリで5000キロ走行すると1ミリ減ると言われていますので、スリップサインが出るまでに大体3万2000キロ走れる計算となります(新品8ミリ-スリップサイン1.6ミリ=6.4ミリ消耗×5000キロ=32000キロ)。ところが、タイヤメーカーは新品の半分の残り溝4ミリで交換を推奨しているようです。4ミリ×5000=大体2万キロ走ったらタイヤ交換が良いということになります。また、極端な話、例え走行キロゼロで溝が全く減っていなくともゴムは経年劣化するため、メーカーの示す耐用年数=推奨交換年数は4~5年といいます。
★ところが、私の場合、普段、自転車で15分程度の吉祥寺などに行くのにわざわざ渋滞にハマり駐車場代もかかる自家用車で行くことはなく、大渋滞にハマって電車(中央線快速)の2倍位は時間も掛かる上に勤め先には駐車場もないため通勤に自動車を使うことも全くありません。そのため、自家用車があっても年間の走行キロは多くても3000キロ、10年乗っても3万キロ以下ですから、メーカーの推奨年数の4~5年を過ぎてもタイヤの溝はたっぷり残っているという状況になります。しかし、目視で全く問題はなくともゴムの経年劣化が怖いので、現在は大体5年履いたら溝もたっぷり残っていても交換するようにしています。タイヤの購入に当っては、安売りなどで2年前など製造時期が古い在庫タイヤをうっかり掴まされないように注意した方が良いようですよ~。2年以上前の製造ならメーカー推奨耐用年数では残り2年位しか使えないタイヤということになりますからね~☆☆
★ピレリ (PIRELLI)
イタリア・ミラノに本社を置くピレリは、1872年(明治4年)にジョヴァンニ・バッティスタ・ピレリが創業した世界第5位のタイヤメーカー。タイヤの製造は1890年(明治23年)に自転車用タイヤにより開始。第二次大戦後、1950年(昭和25年)にF1世界選手権が開催された当初から参入したタイヤメーカーであり、古くからWRCにもタイヤを供給してきている。モータースポーツ・ファンにはよく知られたタイヤメーカーである。バブル景気時代の日本車に於いては、ピレリタイヤをOE(メーカー純正)装着、もしくはオプション装着を設定する車種/グレードが何と軽自動車に至るまで存在した。
【タイヤメーカー世界シェア・ランキング】 (ブリジストン2017年発表データ)
第1位 ブリヂストン・・・・・15.0%
第2位 ミシュラン・・・・・13.8%
第3位 グッドイヤー・・・・・9.2%
第4位 コンチネンタル・・・・・6.7%
第5位 ピレリ・・・・・4.3%
以上のようにタイヤの世界シェア・トップはブリジストンの15%。ところが、国内シェアではブリジストンが57.2%と圧倒的に強く、それにダンロップ(住友ゴム)、ヨコハマ(横浜ゴム)が続き、世界シェアで5位のピレリは国内ではあまり売れてはいない。
★ランチア・ストラトス
1974年(昭和49年)2月に市販車としてデビューしたストラトスは、全長3710㎜・全幅1750㎜・全高1110mm・車重960kgと小さな体にフェラーリ・ディーノ246GTと同じV6DOHC2418ccエンジンを搭載し、最高出力190ps/7000rpmを絞り出し最高速度230km/hに達した。発売開始直後より数々のインターナショナルラリー、レースに参戦し、中でも1974年から1976年までは3年連続でワールドラリーチャンピオンの栄冠に輝き、ラリーの王者と言われた名車である。
【ワークス・ストラトスのスポンサーの変遷】
1974年: マルボロ
1975年~1977年: アリタリア
1978年: ピレリ
●1978年サンレモラリーのストラトス・ピレリ仕様
★ランチア・ストラトス「ピレリカラー」の国産ミニカー達
ストラトスのラリーフィールドでの活躍も晩年となった1978年はスポンサーがアリタリアからピレリに替わり、第8戦サンレモラリーではワークス・ストラトスとしては最後の優勝を飾った。リアルタイムで出たミニチュアのストラトスはアリタリア・カラーとマルボロ・カラーが圧倒的に多く、ピレリ・カラーをモデル化したものは稀少な存在です。大:永大グリップテクニカ、中:米澤ダイヤペット、小:トミカ。
●永大グリップテクニカ20番1/28スケール ランチア・ストラトス・ピレリレーシング
全長14cm。ダイキャスト製。当時定価1800円。リアカウル、左右ドア、ヘッドライト開閉アクション付。ヘッドライト開閉はグリップテクニカ特有の室内レバーを引いて行う。グリップテクニカではマルボロ、アリタリアもリリースしているが、ピレリについては専用の箱が作られず、20番ストラトス・マルボロと同じ箱の短辺にPIRELLI RACING TYPEのシールを貼ってバリエーションモデルに対応していました。ピレリ仕様の参戦が日本のスーパーカーブームも終焉を迎えた1978年と遅かったことに加えて1980年代初頭の永大の倒産の影響もありピレリ仕様は極く短命だったようです。
箱にPIRELLI RACING TYPEのシール
●米澤玩具ダイヤペットG-108番 1/40スケール ランチア・ストラトスターボ・ピレリーレーシング
全長10.5cm。ダイキャスト製。リアカウル、左右ドア開閉。存在感のある妙に魅力的なミニカーです。当時定価1200円。ダイヤペットもストラトスを沢山出していますがピレリ仕様は永大同様、短命だったようです。
●青箱トミカF19-2-4番 1/57スケール ランチア・ストラトス・ラリータイプ・「ピレリーレーシング・モンテカルロラリー」
全長6.5cm。ダイキャスト製。全国津々浦々で売られた通常品ではなく、ホビーショー・オリジナル限定品。当時定価280円。
★ポルシェ356生誕70周年 シュコースキー積ミニカー ~ 珍品タカトク・ストラトス・ターボ
★さて、明日は都内の中学で入学式、明後日は高校で入学式ですよね。入学式っていうのは、式には出ているはずなのにワタシどうも何も覚えてないのですが(汗)、校長先生が挨拶をしたり、学年主任の先生がこれからの予定、学校生活の注意点などを話したり、校歌を唄ったりするって感じなのでしょうか~??
★みなさんは花粉症ですかぁ~??
関東地方の花粉の飛散自体は5月末まで続き、ピークは4月上旬~中旬までとのことです。しかし、今年のヒノキ花粉の飛散量は例年の400倍とのことですから、これまで何ともなかった人が急に花粉症になるなんてケースもあるのではないでしょうか。かく言うワタシも40歳前後で突如として花粉症になりまして、この数日は花粉症薬を飲んでいてもティシュの箱が2日程度でなくなるペースで鼻をかんでいます。また、喉や気管支に花粉が入ってくるためか、喉の痛み・違和感や咳が止まらないといった風邪のような症状があり、一応、耳鼻科に行ってみたところ、風邪ではなく花粉症=アレルギー症状との診断で、咳や喉の痛みもやはり例年以上に花粉が多い影響のようです。
★噂によるとスマップのメンバーなどは男子なのに料理が上手いそうですが、私は日本古来の「男子厨房に入らず」あるいは「男子厨房に入るべからず」派でして、キャンプなどでカレーを作った経験はありますが、自ら進んで料理をしたいと思ったことは一度もありません。とどのつまりは、料理をするよりは楽器を弾く時間が欲しく、料理をしたり後片付けをするのも面倒でインスタント食品や店屋物で済ますのが一番楽ということなのですが、そういう食生活だととても長生きは出来ないから、早く普通に料理の出来る恋女房を貰った方がよいなどと言う知人もいたります。まあ、アメブロでもmaroさんやセンセイなど料理が凄く上手な人は人柄もよいことは誰の目にも明らかな訳ですから、ワタシのように料理が出来ないあるいは料理をしない派は人柄も悪いということが一般的に言えるでしょうNE(大汗)。
★閑話休題
さて、今年はポルシェ356の生誕70周年ということで、ポルシェAGからも公式なアナウンスがされていますが、ミニカーの世界でも70周年記念の356が発売になっています。そこで今日はポルシェ70周年に因んだ話題と最後に1台オマケとしてランチア・ストラトスのちょっと珍しいミニカーをご紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト・現代表: オリバー・ブルーメ=Oliver Blume :1968年6月6日~)は、過去70年に亘り、世界最高水準のスポーツカー製造を行ってきた。
ポルシェのビジョンは、次の3つ。高速で走ること、純粋であること、情熱的であること。ポルシェの名を冠する最初のモデル、356「No.1」ロードスターは1948年(昭和23年)6月8日に車両登録され(ユーザーの手に渡ったのは9月)、この日にポルシェ・ブランドが誕生した。今年2018年はブランド生誕70周年のメモリアルイヤーに当る。タイプ356は、Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)とその息子であるフェリー・ポルシェ(Ferdinand Anton Ernst Porsche;1909年9月19日-1998年3月27日)の親子が自らの名を冠したスポーツカー発売という夢を現実へと変えた。
★今年2018年のポルシェ ミュージアムでのニューイヤー・レセプションの席上、ポルシェAGの代表取締役オリバー・ブルーメは、「1948年当時のフェリー・ポルシェのビジョンは、現在も変わらずポルシェ・ブランドの特徴となって続いている、ポルシェの価値観の全てを備えていました」と述べた。
またブルーメは次のようにも述べた。「伝統とは、謂わば公的な責任とも言える約束です。伝統や基本的な価値観がなかったなら、ポルシェが現在の地位を築くことはできなかったでしょう。私たちは、フェリー・ポルシェが設定した極めて高い技術水準を今後も守り抜きます。クレバーかつ世にもダイナミックな感動的な走りを今後も実現させます。このために、ポルシェにはしっかりとした技術的な専門知識あるいは創造力に富んだ優れた従業員が多数在籍し、他社では類を見ないチーム・スピリットを保持しています。このような理由により、ポルシェ・ブランドはこれまでの過去70年と同様にこれからの70年も世界の人々を魅了し続けることでしょう」。
★ポルシェ ブランドの歴史は356デビューの1948年に始まったとされる。
但し、スポーツカー・メーカーであるポルシェの技術的な基礎は、創業者Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)の生涯に亘る優れた仕事の過程で築かれており、息子フェリー・ポルシェはこれを受け継いだのである。フェルディナンド・ポルシェは、20世紀が始まる直前に、自動車産業における先駆的な革新技術を生み出した。即ち、1900年(明治33年)、フェルディナンド・ポルシェは「ローナー・ポルシェ」として知られるホイールハブ駆動の電気自動車を作り、世界初の全輪駆動を採用した乗用車を作ることを計画した。同年、ガソリンと電気を組み合わせたパワー・トレインを開発し、現在のハイブリッドカーの思想的かつ技術的な基礎を作った。1931年(昭和6年)、フェルディナンド・ポルシェは設計事務所を設立、1939年(昭和14年)に競技用に3台だけが試作された「ベルリン・ローマ カー」(所謂、ポルシェ・タイプ64)は、ポルシェの名を冠したスポーツカーのアイデンティティのルーツとなったが、この夢は前述の通り1948年(昭和23年)、息子フェリーが市販車タイプ356を造ることによって実現した。
★そして、フェリー・ポルシェの息子、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが設計した、356の後継モデルであるポルシェ911のデビューは、技術的にもデザイン的にも、世界を代表するスポーツカー・メーカーとしてポルシェが大躍進を遂げる契機となった。
1963年(昭和38年)にワールドプレミアされたポルシェ911は、空冷・水冷を含め何と累計100万台以上が生産されている。現ポルシェAG代表のブルーメは次のように述べている。
「911は数十年の間、一貫して開発が続けられ、何度も新しい革新技術を用いて改良が重ねられてきました。しかし、911に匹敵するほど、当初からの本質を守ることに成功したクルマは他に存在しません。現在、また未来にわたって開発されるポルシェの全モデルは、この911をベースとすることになります。ポルシェ・ブランドの中心的存在である911は、夢のスポーツカーとして過去50年以上に亘り世界中のファンの心を虜にしています。ポルシェはこれからもずっとポルシェであり続けます。エクスクルーシブでスポーティなモビリティのためのトップ・ブランドであり続けます」。
★ブランド生誕70周年の今年、ポルシェは世界中で多くのイベントを開催または開催を予定している。
2月3日には、ロサンゼルスのピーターソン自動車博物館で「ポルシェ エフェクト」を開催、ドイツでは、3月20~31日、ベルリンの「DRIVE.フォルクスワーゲングループフォーラム」に於いて初めての「ポルシェスポーツカーの70年」展示会を開催した。ポルシェ ミュージアムでも、6月9日に特別展を開催。また同じ日、ポルシェは世界中のスポーツカーファンのために「Sports Car Together Day」を開催する。6月16~17日の週末には、ポルシェ従業員、ツッフェンハウゼン地区の住民、そしてポルシェ・オーナーをシュトゥットガルトのポルシェ ミュージアム内外での70周年公式祝賀会に招待する。7月12~15日には、英国のグッドウッドサーキットでの「Festival of Speed」、9月27~30日にはカリフォルニアの「Rennsport Reunion」により70周年を祝う。70周年行事の締めくくりとして、10月13日には初めてシュトゥットガルトのポルシェ・アリーナにおいて「Sound Night」イベントが開催される。
★ポルシェとスキー
ポルシェ356や911のエンジンフードにキャリアを付けてスキーに行く姿に憧れて、私も1980年代にはナロー911にわざとスキーキャリアを付けて走っていた時期があります。正確には私の前のオーナーがスキー用リアキャリアを付けたままにしてあったのです。が、例えスキーを積まなくても911にスキーキャリアは何ともカッコよく絵になるのでそのまま付けていました。ところが、私はちびまる子ちゃんの登場キャラ藤木君と同じでスケートを除けば大のスポーツ音痴でして、スキーも何とかV字ボーゲンで滑ることは出来ても止まり方が判りませんでして、スピードが出てしまうと何しろ止まることが出来ませんので、信州・車山に行った時にはゲレンデで休んでいる人にかなりのスピードで衝突した経験もあります(大汗)。「うわー!ぶつかる~!!どいて~、どいてくださ~い!!!」と叫んでも間に合わずに激突(大汗)。幸い、お互いに大した怪我などもなかったのですがNE。
●手縄毛でポルシェとスキーの話ですが、まずは手元にある1959年(昭和34年)10月発行ポルシェAGの1960年版オフィシャル・カレンダーからスキーを背中に積んだポルシェ356Aクーペの何とも美しい写真2枚です。
★独シュコー1/43スケール ポルシェ70周年記念 ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア+ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア
全長9.5cm。ダイキャスト製。シュコーが1990年代に造った金型の356Aクーペにスキーを載せた仕様(品番Nr.45 025 5900)と356Aカブリオレにサーフィンを載せた仕様(品番Nr.45 025 6900)がポルシェ70周年記念として発売されました。何れも世界限定777台で日本への入荷数は少な目のようです。スキーやサーフィンといった小物が付く上にカラーリングもとても魅力的です。内箱にスキーキャリアには白銀のアルプス、サーフィンキャリアには海の写真が付くのも泣かせます。国内定価は税抜10500円と高目ですが、TLV-NEO43のY31セドリックパトカーが税抜9500円することを考慮すれば法外な値段ではない気もします。
●ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア
●ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア
●356Aクーペ&カブリオレ2台の並び
黒いシックな箱入り
★伊メーベトーイ A-64番 ポルシェ912スキーキャリア
全長10cm。ダイキャスト製。スキーを積んだポルシェと言えばこのミニカー。スピードホイール化された1970年代後半まで連綿と売られたモデルですが、画像はジュエルライトに旧ホイールの貴重な1960年代モノです。
フル開閉アクション
★青箱トミカF9-3番 1/59スケール ポルシェ356Aスピードスター特製品
全長6.5cm。ダイキャスト製。赤箱89番に移行した後も1990年代後半の中国製になっても売られたロングセラーですが、これはアメブロで前人未到の驚異の毎日1回定時更新記録を現在も伸ばし続けている、 monkinさんの手による特製品です。ボディの塗装が何とも美しく、細部まで色差しがされている上に裏板には「monkin magic」の綺麗なロゴが入っています。市場に出たトミカの356は特注品を含めて多分殆ど全部買って持っていると思いますが、こういう世界に1台だけのプロレベルの特製品はまた格別の魅力があります。赤い方は全国津々浦々で売られた通常品です。
しかし、トミカと言えば今日4月8日(日)夜、ヤフオクで22時過ぎに終了の80台入りスーパーギフト、終了1日前で既に60万円を超えていましたが、幾らで終わるのでしょうね。スーパーギフトは発売当時、定価より安い割引き価格2万円強で購入して一度も中味を出さずに保存してあったものを、15万円でどうしても欲しいという人に譲ってしまいましたので現在手元にないのですが(スーパーギフトはバラ売りするお店も多かったので気に入った車種のバラだけは今も手元にあり)、こんなに高値になるのではもう買い戻せませんね(汗)
高額といえば、マルサンの円谷ウルトラ怪獣プラモデルのギャンゴの未組立が712万8000円スタート、同レッドキングの未組立が297万円スタートで「まんだらけ」のオークション本「まんだらけZENBU」(売価1000円)の最新号に出ていますが、貧乏コレクターの私では幾ら欲しくともスタート価格であっても高価過ぎてちょっと手が出ないですね(大汗)
裏板=monkin magic のロゴ入り
★オマケ: 高徳(タカトク) Dh2番 1/39スケール ランチア・ストラトス・ターボ「マルボロ」
最後にmaroさんやyousanが好きなストラトスの珍しいミニカーをオマケに。全長11cm。ダイキャスト製。ドア開閉、前輪ステアリング、ライト点灯アクション付。箱絵にはお約束のアリタリア仕様のバリエーションも出ています。あのブリキ玩具で有名な高徳(タカトク)がストラトスのミニカーを出していたことは、あまり知られておらず珍品かも??高徳は、戦後、高木得次郎氏が東京台東区浅草蔵前3丁目で興したブリキ玩具製造会社で高木氏のイニシャルを社名にしているが、名前の損得の「得」は「徳」に変えて、高徳玩具製作所とした。
箱には「ダイカホビー」の印字があり、超合金キャラ玩具のノリを感じます。また箱にはスーパーカーカード付の印字もあります(手元にあるモノは残念ながらカード欠品)。
裏板: 松代工業株式会社(?)の刻印。高徳が販売会社で製造は松代というメーカーだったようです。松代は1960年代の玩具メーカーの一覧に金属モデルガン製造メーカーとして掲載されている、松代玩具工業株式会社(松代章男社長・文京区弓町1-23)と思われます。
青い911は同じ高徳(タカトク)製の1960年代1/15スケール・ナロー911(全長27cm)。
ドア開閉
★1955年 フォード・サンダーバード 初代Tバード ~ 自動車カタログ棚から 373
★みなさんは1日、何時間くらい眠ってますかぁ~???
私は去年あたりまで1日5時間位が平均だったのですが、歳も重ねてもっと眠らないと体に悪いかなと考えまして、現在は1日6時間眠るように(努力)しています。平日の朝は大抵5時起きですので、夜11時に眠れば6時間眠れる計算です。
日本人の平均睡眠時間は、1960年(昭和35年)の時点で8時間半を超えていたのが、2014年(平成26年)の調査では約1時間減の7時間40分にまで減っているそうです。調査によれば、都道府県別で平均睡眠時間が最も長いのは秋田県で8時間2分、反対に最も短いのは神奈川県の7時間31分だそうです。一方、都道府県別の平均通勤時間の調査結果では、神奈川県が最長の1時間40分であったことが、神奈川県の睡眠時間が短い要因の一つのようです。要するに通勤に時間を割かれて眠る時間が減っているという構図です。
★何れにしても1日の睡眠時間が8時間を切る日本人は世界的にみても睡眠時間が少ない方だそうです。OECD(経済協力開発機構)が行った国際調査では、世界各国の15歳~64歳までの男女の睡眠時間を比較すると、最も長いのが南アフリカの9時間22分、次いで中国が9時間2分、アメリカが8時間36分などという結果となっており、日本人は男女問わず世界標準より睡眠時間が短いとのことです。
しかし、もし1日9時間睡眠を達成しなさいと命令(←誰に?)されたなら、朝5時起きの私の場合、夜は8時には寝ないとダメYO~という話になります。平日は帰宅が夜7時を過ぎることも多いですので、もし無理矢理にでも9時間睡眠を確保するなら、帰ったら即シャワーを浴びて何もせずに寝るという生活に変えないとダメですよNE~(大汗)
★閑話休題
貧乏暇なしと言いますか、ゆっくりブログを書いている時間がありませんでして(汗)、しかし、週末1回更新はストップさせたくないですので、今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第373回記事として初代サンダーバードを簡単にご紹介しますNE☆☆このブログの読者諸兄は日本車の好きな方が多いと思いますので、アメ車なんてつまらんよ~と言われそうですが、どうか勘弁してくださいNE~(笑)(笑)。最近、急降下している、このブログのアクセス数もアメ車の記事ですと更に大幅に減りそうですが、まあいいでしょう(笑)(笑)(笑)www☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★サンダーバード
サンダーバードと聞いてクルマを思い浮かべる人は少ないかもしれませんよね。かく言う私の場合も、サンダーバードという言葉で一番に思い浮かべるのは、クルマよりも1960年代後半にテレビで見たジェリー・アンダーソン制作の英国製特撮人形劇であったりします。今井科学のサンダーバードのプラモデルを沢山作ったことと共に小学生の頃を思い出します。サンダーバードの名称は近年の日本ではJR西日本の運行する特急列車の愛称としても使用されています。しかし、サンダーバードという言葉の本来の意味は、「雷を引き起こすと信じられている巨大なワシに似た鳥」=「雷神鳥」だそうです。
★自動車のサンダーバード
第2次世界大戦後、G1が持ち帰ったMG、ジャガー等の欧州製スポーツカーがアメリカでブームとなった。欧州製スポーツカー人気に触発されたGMは1953年(昭和28年)にシボレー・コルベット(C1)を発売した。フォードもサンダーバード(T1)を開発しコルベットより2年遅れて市場に投入した。この最初のサンダーバードはスポーツカーよりのパーソナルカーというコンセプトを持ち、コルベットと同じく二人乗りながらV8エンジンをも選べるスポーティで高級なパーソナルカーとして販売された。コルベットのようなアグレッシブなデザインではなく上品かつシンプルなエクステリアに加えて普通の乗用車に近い快適性も備えていたことから市場に好感を持って迎えられた。当初からルーフは着脱式グラスファイバー製ハードトップが標準で付き、ユーザーはオープンカーとクーペの2種類を楽しむことが出来た。布製の幌は別途オプションで用意された。
★初代サンダーバード
初代Tバードは、1954年(昭和29年)のデトロイト・ショーでデビューした。ショー出品時の車両には派手なサイドモールが付けられていたが、発売に当ってはサイドモールは取り去られ、よりシンプルで美しい姿に変えられた。日本では初代クラウンRSやダットサン110セダンがデビューした1955年(昭和30年)、サンダーバードの販売は開始された。何と発売初年の1955年は、販売目標1万台に対し、1万6000台以上を売り上げる大ヒットとなった。エンジンは292Yブロック(4.8ℓ)のV8、排気口は2ピースのリア・バンパーの間に設置した。
●発売2年目の1956年モデルは、スペア・タイヤがトランク外側に取り付けられ、トランクスペースが拡大し、排気口はバンパー・エンドに位置が変更された。また、車内換気向上のため、前輪の後ろに通気口が設けられ、リアクォーター部の視認性向上のため、ハードトップにポートホールと呼ばれる丸窓が設置された。この年には、312Yブロック(5.1ℓ)のV8エンジンがオプション設定され、販売は好調で2年目の販売台数も1万5000台を上回った。
●発売3年目、初代最終の1957年モデルでは、比較的大きなモデルチェンジを受けた。即ち、フロントグリル・フロントバンパーの形状変更、テイルフィンの延長、大型のテールライトの装備等が為された。最終年はスペア・タイヤが再びトランク内に収納され、垂直にタイヤが収納できるように設計された。エンジンは292と312が用意されていたが、312には更にチューンが施され、極く僅かながらスーパーチャージャー仕様も生産され市場に投入された。この年の販売は何と2万1000台を越えた。この1957年モデルが20世紀のサンダーバードでは最後の2シーターモデルとなった。2002年(平成14年)に初代をリスペクトした11代目サンダーバードがデビューするまで45年間、2シーターは製造されなかったのである。
【主要スペック】 1955年フォード・サンダーバード (1955 Ford Thunderbird)
全長4453㎜・全幅1783㎜・全高1326㎜・ホイールベース2590㎜・車重1457kg・FR・水冷V型8気筒OHV4778cc・最高出力198ps・最大トルク38.75kgf-m・変速機3速MT・電装系6V・パワーウインド/パワーステアリング標準・乗車定員2名・0-400m:17.3秒・最高速度165km/h(103mph)
●1955年 フォード・サンダーバード 本カタログ (縦19.7×横27.9cm・英文12頁)
1954年8月発行。最初のTバードのカタログ。カタログに登場するボディカラーは、赤・黒・ミントグリーンの3色。初代Tバードは年式別に最低3種類のカタログが出ていると思われますが、残念ながら手元のカタログ棚にはこの最初のカタログしかありません。
【中頁から】
シャシー
V8エンジン
トランク
室内
魅力的な運転席
ハードトップ
スペック
裏面: 左下に8-54=1954年8月の印字
★オマケ(その1): 嗹馬(デンマーク) テクノ820番 1/43スケール 1956年フォード・サンダーバード
全長11cm。ダイキャスト製。品番809としてオープン(ハードトップなし)も出ています。後ろに写っているのは同時代のテクノ803番ポルシェ356。この時代のテクノは造形に独特な味わいがあります♪
★オマケ(その2): 西独 プラリーネ 1/87スケール 1956年フォード・サンダーバード各種
全長5.2cm。プラ製。所謂HOスケール・ミニカー。このサンダーバードの品番は、5200~5600で丸窓ハードトップ付ナチュラルカラー、丸窓ハードトップ付メタリックカラー、布ルーフ付、オープン等で振り分けられています。整理をしていたら、ベルリンの壁があった時代、30年以上前の西独製プラリーネのC1コルベット、57年ベルエア、59年キャデラック、この初代サンダーバード等のアメ車が150台程度、ポルシェ356が60~70台出てきました。経年で個々のケース内のスポンジの劣化が進行してポロポロに崩れてしまっているものもあり、あまりにも酷いものはスポンジを捨てて応急的にティシュを入れてあります。しかし、こんなに同じものが沢山は不要なため、銀座・天賞堂4Fの中古ショップで買取り値を訊きましたら、基本ミニカーは1台10円だそうです。「100台あれば1000円になりますから、都内なら交通費程度にはなるでしょう」との由。鉄道模型がメインのためミニカーについては、元々天賞堂が輸入代理店をしていた西独ヴィーキング(ヴァイキング)製品でさえもタダでもいいなら引き取るというスタンスのようです。実際、天賞堂4Fでは自動車プラモデルの完成品も沢山売られていますが、鉄道模型マニアさんが亡くなった後の買取りの際に御遺族から一緒に引き取って欲しいと言われてタダで引き取ってきたものとのことです。ちなみにTMS等の書籍も基本買取りはしないとのことで、店頭に沢山置いてある中古書籍は全て鉄道模型と共にタダで引き取ってきたものとのことです。ということで、このプラリーネも1980年代に1台700~1000円定価だったものが、30年以上を経て1台10円(@_@;)ということですから、売るに売れません(プラリーネでもポルシェ356だけは売りませんがNE)。当時、このプラリーネではなく黒箱/青箱から赤箱に移行した時期のトミカを大量に入手して今売ったなら大儲け出来るのとは対照的ですよね(大汗)。
こんなにTバードはいらないのですけど(笑)、買取り1台10円で手放すのは勿体ないですよね~
オマケ1との並び
★オマケ(その3): 1955年フォード・サンダーバード テレビCM
発売初年のテレビコマーシャル。
★オマケ(その4): 1956年フォード・サンダーバード テレビCM
トランクにスペアが積まれた発売2年目のテレビコマーシャル。
★オマケ(その5): 1957年フォード・サンダーバード テレビCM
発売3年目、少々アグレッシブなルックスに変った、初代最終型のテレビコマーシャル。
★1967年マルサン商店 ギャンゴ プラモデル & 第100回横浜ワンダーランドマーケット
★しかし、4月だというのに今日は夏のような暑さでしたね。この土日、4月21日(土)と22日(日)は、30度超えの場所も多かったようです。これだけ急に気温が上がると、体調が狂ってしまうという人も多いのではないでしょうか。明日からは気温は少し下がるようですが、それでも平年より最高気温が高い日が続くようです。これから晩春、初夏と季節が進んで夏に入ると、今年は例年以上に暑い日が続くと予想されていますので気が重いですよね~
★閑話休題
貧乏暇なしとはよく言ったもので、記事をゆっくり書いている時間がありませんでして、かと言って、週末1回更新を飛ばしたくはないので、今日は極く簡単にマルサン・ギャンゴのプラモデル等と今日開催された記念すべき第100回ワンダーランド・マーケットの様子をご紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★Chapter1: ギャンゴなど円谷モノ
●ギャンゴとは
ウルトラシリーズに登場する怪獣で別名「脳波怪獣」という。身長は、人間に近い2.2mから巨大化した場合の50mまで。体重は60kg~6万トン。実はギャンゴは怪獣ではなく、宇宙から降ってきた不思議な隕石が変身した姿なのである。この隕石には半径2m以内にいる人間の脳波を受信して、その人が思った通りの物体に変化する力があり、様々な経緯を経た結果巨大な怪獣ギャンゴに変貌してしまったのである。妙な音を鳴らしながら回るアンテナ耳、ゲームセンターのクレーンキャッチャーのような長い手、トーテムポールのような超派手な腹の絵柄など個性的な外見が特徴である。怪力が自慢だがそれ以外の能力は何も無く、ウルトラマンとの戦いでは騙し討ちなどセコい手ばかりを使う。ウルトラマンを真似して飛ぼうとして失敗していじけたり、スペシウム光線を嫌がったりと動作の可愛さにも定評がある。なお、初代ウルトラマン登場時の着ぐるみは「ウルトラマン第1話」に登場した怪獣ベムラーの改造品である。
●1966年(昭和41年) 9月 杉並公会堂前のギャンゴと児童
国鉄(現JR)中央線・荻窪駅北口を西に少し進んだ青梅街道沿いの同じ位置に現在も存在する杉並公会堂前の横断歩道を渡るギャンゴと児童。荻窪警察署と杉並区が共同で行った秋の交通安全運動の一コマ。右端にヘッドライトカバーの付いたホンダS600、左側に西武バス(日産ディーゼル?)と65年型クラウンが確認出来る。(ジェネオン エンタテイメント2005年刊「ウルトラマン1966」より転載)
●1967年初頭のマルサン商店ショーウインド
中央にギャンゴ、エビラといった500万円級以上の極めてレアな、1960年代円谷プラモマニアなら卒倒しそうなプラモデルが写りこんだマルサン商店のショーウインド。左上のカネゴンとウルトラマンの箱が巨大であったことが判る。左端のカネゴンは大規模販売店用のディスプレイ?ギャンゴの発売は1967年(昭和42年)に入ってからで、同年、株式会社マルサン商店は株式会社マルザンに商号変更しているため、1967年の早い時期の撮影と推定。(この画像もジェネオン エンタテイメント2005年刊「ウルトラマン1966」より転載)
●1966年12月 マルサン商店プラモデル怪獣シリーズ広告
東京玩具商報1966年12月号(国立国会図書館蔵)より。ゴジラ650円(モーター別)、ゴメス450円(モーター別)、バラゴン500円(モーター別)、ガラモン650円(モーター付)、ゴロー450円(モーター別)、パゴス650円(モーター付)、ウルトラマン800円(モーター付)、ペギラ650円(モーター付)、ネロンガ500円(モーター別)、トドラ650円(モーター付)、カネゴン800円(モーター付)、大魔神650円(モーター付)、科特隊ビートル400円(モーター付)。下にブリキ製電動歩行のゴジラ、バラゴン、ウルトラマン。プラモデルは未組立なら現在は7桁超えのプライスが付くものが多いと思います。これらの殆どを当時作ったという恵まれた環境で育った知人もいますが、リアルタイムで当時小1だった私が作ったのはビートルのみで怪獣やウルトラマンのプラモは高価で手が出ませんでした。しかし、当時買えなかったから今買おうと思っても、現在はモノが殆ど残っていないのに欲しい人は多いため需要と供給のバランスから超高額となってしまい、当時以上に手が届かない高嶺の花になってしまった感ありです。
●マルサン商店 品番593 ギャンゴ プラモデル未組立
ここからは、まんだらけ中野店に展示中の5月6日終了のオークション品。誰でも1000円でID/PWを入手すればWeb上からも入札することが出来ます。ギャンゴはオークションのスタート価格が712万8000円(600万円+手数料10%+消費税8%)。スタート価格でもポルシェのボクスターやケイマンが買えます。貧乏コレクターの私には文字通り高嶺の花。しかし、ポルシェはお金されあればいつでも買えますが、ギャンゴはこれを逃したら次はいつ絶版市場に出るか判りませんから、もし、お金は出すからポルシェとギャンゴとどちらか選んで~などと言われたとしたら私ならギャンゴを選ぶでしょうね。
●マルサン商店 品番488 レッドキング プラモデル未組立
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格297万円(250万+手数料10%+消費税8%)。このプラモデルは成形色違いがあるようですが、成形色のバリエーションまで集めるとしたら大変です。
●マルサン商店 品番174 1961年日産エコー「ウルトラQバス(ナメゴン対ゴメス)」元箱付
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格23万7600円(20万+手数料10%+消費税8%)。ウルトラ怪獣のプリントや箱絵が泣かせます。開始価格でこの箱付未使用品が買えれば、お買い得な気もします。
●米澤玩具(ヨネザワ) 品番798 ウルトラマン スペースカー元箱付
これも5月6日オークション終了。オークションスタート価格59万4000円(50万+手数料10%+消費税8%)。電動走行する上にベムラーが暴れ、ウルトラマンの目とカラータイマーが光るギミックまで付いた、なかなか魅力的な玩具です。
★Chapter2: 第100回ワンダーランドマーケット
1981年8月に第1回を開催した横浜サンセット主催のワンダーランドマーケットがついに2018年4月22日に第100回を開催。当初は夏のみの開催だったのが1980年代半ばには夏冬2回になり、近年は春夏冬の3回開催となっています。私は100回中、行かなかった(行けなかった)のは数える程で95回以上は行っていると思います。最初にワンダーランドで買ったのは、湯島のパニポート故・坂本氏のテーブルに並んでいた萬代屋(現バンダイ)の1961年クラウンRS31東京駅構内タクシーで確か3万円だったと記憶しています。
第100回だけにかなりの人出
高徳ポルシェ911(35000円也)ほか
米澤オリエント他レアブリキ各種
トミカ黒箱(6000円均一)
トミカ青箱
洋物プラモ
ホットウィール
観音クラウンパトロールカーゲーム(8000円也)他
中京地区の大コレクターK氏のテーブル
マッチボックスの第一人者Y氏のテーブル
主催サンセットのテーブルに並んだブリキベンツ軍団
トミカダンディ各種(オークション品)
実車展示(1) コブラ&1964年クラウンカスタム・オリジナル車
実車展示(2) 1964年クラウンカスタム・ドレスアップ車
★オマケ(その1): 第100回ワンダーランド限定トミカ シビックタイプR & ニッサンGT-R
今回の第100回ワンダーランドマーケット限定トミカ。各50台がアイアイアドのブースで限定販売。2次加工品ながら以前アイアイアドがよく出していた、単にワンダーランドの日付と文字を入れただけのモデルではなく今回は100回記念だけに手が込んでいます。シビックは白と黒、GT-Rはシルバーメタと金メタの各2色計4種が販売され、1台税込2500円とTLV並みの価格ながらイベント開始早々に完売していました。
★オマケ(その2): 1966年ウルトラマン第11話「宇宙から来た暴れん坊」 【ストーリー】&【英語版動画】
・テレビ初放送: 1966年(昭和41年)9月25日
【ストーリー】
●工場の近くの広場で遊んでいた大勢の子供たちの1人・イサムが、空で何かが光ったのを発見し、その方向に向かうと、見慣れない奇妙な石が地面に落ちているのを見つけた。こんな石ころなんかよりビー玉の方がいい、とイサムが石を投げると、なんと石は彼の思った通り、ビー玉に変った。しかし、すぐに元に戻ってしまったが、今度はレーシングカーになったら面白いのに、と考えると、その通りに当時流行っていた家庭用スロットレーシングのセット(コース及びレーシングカー)に姿が変わった。 その後、友達達を呼んで様々な実験を行ったところ、彼らの前で、奇妙な石は美味しそうな巨大なケーキやグランドピアノに変身。しかし、しばらくすると、元の石に戻ってしまうのだった。
●その後、イサムは科学特捜隊にこの謎の石を届けた。受け取った科特隊は科学センターの山本博士に分析・精査を依頼。そして、精査結果発表の記者会見の場で、この隕石は地球上にない未知の物質で構成された「生きている石」(生物のような石)である事が判明した。その効力の実験をしてみましょうということとなり、結婚願望のある新聞記者(後年、東京都知事となった青島幸男)が思うと、石が世にも美しい花嫁に変身した。嬉しがる記者であったが、そんなことで喜んでいては怖い上司に怒られると思った途端、今度は日頃怖れている怖い上司に変ってしまう。
ところが、そんな盛り上がる記者会見場の近くに怪しい男が潜んでいた。金儲けを企む悪人・鬼田であった。彼はこっそり記者会見場の机の裏に小型通信機を設置し、あの不思議な石を自分の物にしようとしたのだ。そして通信機に向けて、液体になるように指示を出し、ドロドロに溶けた石を部屋の外に出した後、今度は小型ロケットに変身させて、まんまと石を手に入れることに成功したのであった。そしてホテルに滞在していた鬼田がちょっと人を驚かしてやろうという遊び心から、「怪獣になれ」と願った事で『ギャンゴ』が登場した。人間サイズで現れたギャンゴを利用して、鬼田はホテルのボーイや滞在客を驚かしたのだった。すっかり楽しくなった彼は調子に乗って、ギャンゴをもっともっともっと大きくな~れと『巨大化』させた。だがそれがまずかったのである。いきなり大きくなったギャンゴのせいでホテル自体が崩壊してしまい、鬼田も瓦礫の山に埋もれて意識を失ってしまったのである。その結果、鬼田が意識を取り戻して怪獣の事を忘れない限りギャンゴは絶対に消えない、という大変な事態となってしまった。
●この緊急事態に防衛隊や科学特捜隊が出動。防衛隊の熱線砲でギャンゴの右耳が吹き飛ばされ、科特隊に右目も攻撃されたが暴れん坊ギャンゴの大暴れは止まらず、科特隊のビートルが海に落とされてしまった。ビートルを操縦をしていたハヤタ隊員は、水中でウルトラマンに変身。いきなり水中から現れたウルトラマンにギャンゴはたまげて腰を抜かしてしまう。空を飛んで駆けつけるウルトラマン。準備体操をして飛び立とうとしたギャンゴだが当然そんな事は出来ず、すっかりいじけてしまう。その後、空から地上に降り立ったウルトラマンとギャンゴが戦いになるも、チョップ一発で弱ってしまうギャンゴ。だがそれは何と騙し演技であり、騙されたウルトラマンはギャンゴに吹っ飛ばされ、腹の上に座られてしまう。しかしウルトラマンはギャンゴの脇の下をくすぐるという少々セコい戦法で反撃。そして体勢を立て直してギャンゴに突進したウルトラマンだが避けられてしまい、盛大に海に飛び込んでしまう。その様子を馬鹿にしたように見つめるギャンゴに、ウルトラマンは何だこの野郎とばかりに水をぶっかけて応戦した。陸に戻ってきたウルトラマンのスペシウム光線のしぐさを見て嫌、嫌よと嫌がるそぶりを見せたギャンゴだが、その直後、ウルトラマンに左耳をへし折られてしまう。そしてフラフラしながら歩いていた所でウルトラマンに背中を蹴られ、今度はギャンゴが海の中に落ちてしまった。その後、ギャンゴが陸に戻り仕返しとばかりに腕をクロスさせるが、ウルトラマンのように光線は出ず、自分がダメージを負うだけであった。その後もウルトラマンに馬飛びされたり顔をぶん殴られたりと、戦いは完全にギャンゴの劣勢。戦車を投げて攻撃しようとしてもギャンゴは自分の脳天に落としてしまう始末。それでもウルトラマンがカラータイマーを点滅させるまで持ちこたえ、近くのビルの一部をはぎ取り、ウルトラマンに投げようとした時であった。 「おい、早く怪物の事を忘れるんだ!おい!」意識が回復し、山本博士に詰め寄られた鬼田の頭からギャンゴのことが消えたのであった。その結果、コミカルな効果音と共に巨大なギャンゴは元の小さな石に戻り、戦いはようやく終わりを告げたのだった。
「この石はやはりウルトラマンに頼んで宇宙に返してもらったほうが良い。」
その後、石はハヤタ隊員=ウルトラマンによって宇宙の彼方へ返されたのであった。(終)
★1966年ウルトラマン第11話「宇宙から来た暴れん坊」 (The Ruffian from Outer Space) 英語版動画
Youtubeをみたところ、オリジナルの日本語版がありませんでしたので(youtube以外の動画はあり)、とりあえず、英語版を貼っておきます。
★1968年 菅原文太 スカイラインS54最終版カタログ 超高額 ~ スパーク初期ポルシェ356
★さて、今年もゴールデンウイーク(GW)が始まりましたね~♪♪
今日4月28日(土)から5月6日(日)まで9連休というところも今年は案外多いようです。私は暦通りで5月1日(火)2日(水)の平日は仕事で、前半3日と後半4日の計7日の休みです。もっとも5月1日と2日は本来休みでなくとも仕事の都合を上手く付けて9連休にして海外に行くなんて人も多いのでしょうね~☆☆
★閑話休題
明日は信州の方へ出かける用事がありまして、今夜は極々簡単に今週、超高額で終了したスカイラインのカタログとオマケにスパークの新製品1951年ポルシェ356のミニカーをピックアップしますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★菅原文太のスカイラインS54最終版を含む7部セット 45万1000円
S54スカイライン6部とスカイラインスポーツ本カタログの7部セットが4月20日(金)にヤフオクに1000円スタートで出品され、4月27日(金)夜に何と45万1000円で終了しました。
オークションのタイトルは「日産旧車、プリンススカイラインカタログ8点、2000GT」となっていましたが、8点のうち1点はモーターファンのロードテストの切抜きと思われるもので、実質カタログは7部。7部の内訳は次の通り(括弧内は個人的に妥当と思われる市場評価額)。
1)1962年スカイラインスポーツ本カタログ(右下:8万5000円)
2)1965年スカイラインS54本カタログ(下右から2つ目: 1万8000円)
3)1965年スカイラインS54A 専用見開き 簡易カタログ(左上: 7000円)
4)日産と合併後の1966年スカイラインS54B専用 本カタログ(右上: 1万5000円)
5)日産と合併後の1966年スカイラインS54A専用本カタログ初版(上右から2つ目: 1万2000円)
6)日産と合併後の1966年スカイラインS54A専用本カタログ改訂版(上右から3つ目: 1万2000円)
7)菅原文太が運転席で煙草に火を点ける表紙の1968年スカイラインS54最終本カタログ(下左から2つ目: 15万円)
●実は私は菅原文太の有名なレアカタログである7)以外は全て手元にあり、今回のオークションでは 7)だけを入手したかったのです。
上記の括弧内の金額の通り個人的な評価額は7点を合計しても29万9000円でしたので、30万円前後までの金額で落札して、7)以外はカタログ専門店に売却することを考えていたのです。ところが、よく考えてみるとスカイラインスポーツの正方形の本カタログも、手元にあるものを含めても過去に売り物は3~4回程度しか見ていないことから、現存する数は相当に少ないようなのです。ちなみにスカイラインスポーツは横長で判型の小さな簡易カタログであっても、殆ど市場に現れません。
ですので、今回の45万1000円という金額は、菅原文太のS54最終版カタログとスカイラインスポーツの本カタログの両方が欲しいというコレクターさんが競った結果の金額という解釈が出来るのではないでしょうか。今回このセットを落札されたのは関西一の自動車カタログコレクターと言われるK氏でしたが、K氏とは私も何度もヤフオクで(特にオート三輪のカタログ)でバッティングしています。どうしても入手したいレアなカタログに、ちょっと気合い入れ過ぎかも~?というような金額で入札しておいても、終了10分前になると必ずドカン!!と入札してこられて、あっさり抜かれること数知れずという強者コレクターさんです(大汗)。
●菅原文太のS54最終版カタログは私の知る限りヤフオクでは今回を含めて3回出品され、以下の落札結果となっています。
1)2010年5月: 15万円 (美品)
2)2016年8月: 13万9000円(右上角にボールペンによる数字書込み有)
3)2018年4月: 他のスカイライン・カタログとの7部セットで45万1000円(美品)
この菅原文太のS54最終版は何と2部持っているという知人もいるため、現存5部以下という噂以上には残っているように思えますが、滅多に絶版カタログ市場に出て来ません。この菅原文太カタログを持っていれば、国産車カタログコレクターとしては一流と胸を張って言えるような気もします。私は勿論、3流コレクターですので、持っていませんが(大汗)。
★オマケ: スパーク1/43スケール 1951年ポルシェ356クーペ&カブリオレ
全長9cm。レジン製。国内定価:税抜6800円。製品番号は、クーペがS4919、カブリオレがS4920の連番。茶赤の356クーペと深みのある落ち着いたブルーの356カブリオレが相次いで発売されています。どちらも、356ファンなら手元に置きたくなるような魅力的なミニカーです。国内入荷数が少なく既に完売しているミニカーショップもあるようですので、もし入手されたいという場合には急いだ方がよいかもしれません。
クーペ
カブリオレ
※今回のミニカーの画像は透明な保護膜を取っていない買ったままの状態で写してあり、見づらくて申し訳ありません。
★2018年長野ノスタルジックカー フェスティバル ~ 411ブルーバードSSS未再生原形車
★小田急電鉄は去る4月27日、3年後の2021年春、神奈川県海老名市に同社の歴代特急車両などを展示する「ロマンスカーミュージアム」を開館すると発表した。1927年(昭和2年)4月1日の小田急開業当初のモハ1形(熊本電気鉄道から1980年代初頭に買い戻し、復元した車輛)や1957年(昭和32年)~1992年(平成4年)まで運行されたSE(3000形)を始めとする歴代ロマンスカー5車輛を展示し、ミュージアム2階には小田急沿線のジオラマ(16番かNかは不明)や運転シュミレーター、各種グッズショップ、来訪者がゆったりくつろげるカフェも併設される予定とのこと。小田急ファンなら3年後の開館が今から楽しみなニュースです。
★朝日新聞の調査によれば日本人が移住したい都道府県のランキングは以下の通りとのことです。「・・・・・」以下は私が推測した、その都道府県を選択した人の理由です。
1位)沖縄・・・・・気候温暖・長寿
2位)北海道・・・・・食べ物が美味しい・雄大な大自然
3位)京都・・・・・古都・心が安らぐ
4位)東京・・・・・ビッグネームの音楽会/コンサートが観れる・美術館や映画館が多い・何と言っても日本の中心
5位)神奈川・・・・・湘南はいいイメージ・サザンオールスターズの熱烈なファン
6位)長野・・・・・槍ヶ岳や穂高など名峰多数・豊かな自然・軽井沢はジョンレノンも長期滞在した名避暑地
7位)静岡・・・・・富士山の麓・タミヤなど模型産業のメッカ
8位)岡山・・・・・選択意図不明(どうして選ばれたのでしょうか?気候温暖?)
9位)奈良・・・・・京都と並ぶ古都・心が安らぐ
10位)福岡・・・・・有名ミュージシャンが多数生まれた日本のリバプール・政令指定都市
みなさんはどこに住んでみたいですか??ちなみに、私が移住したいと思えるのは大林宣彦監督の1985年公開の映画「さびしんぼう」の舞台となった尾道(広島県)ですかね~。逆に移住したくないのは、ランキング第2位の北海道かなあ。あまり寒いのは苦手ですし雪かきも面倒ですからね~。現実の生活を考えると、私の場合、何かと不便の少ない東京でこのまま暮らすのがベストなのかも☆☆
★閑話休題
さて、ゴールデンウィーク(GW)も今日で前半が終了ですね。この連休、私はあまり出掛けずに際限なく増え続けるモノの整理を進めたいと思っているのですが(大汗)、昨日はちょっと長野まで行って旧車イベントを見てきましたので、今日は簡単にレポートしますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★2018年 Gulf長野ノスタルジックカー・フェスティバル
長野オリンピックの会場の一つエムウェーブで毎年4月に開催されているイベント。今年2018年は4月29日(日)・30日(月/振替休日)に開催され、私は初日29日に行ってきました。このイベント、調べてみると一番古い記録は2005年というものがあり、2005年が第1回とすると今年は第14回ということになるのでしょうか。東京~長野間は220キロ以上の距離があり、渋滞するGWにクルマ移動はどの位時間がかかるか読めず難行苦行となりますので、新幹線で行ってきました。新幹線だと東京~長野間は僅か1時間20分強です。このところの東京は暑いですが、長野でも半袖Tシャツ1枚でちょうどいい位の陽気の1日でした。
●4月29日(日) 朝7時20分東京駅発 北陸新幹線かがやき
北陸新幹線はグランクラス・グリーン・普通と往年の1等・2等・3等と同様に3種類の座席があり、普通車で行く場合の約2倍の料金となるグランクラスは芸能人や重役などのお金持ち向け、グリーンはアッパーミドル向け、普通は庶民向けといった感じでしょうか。私は勿論、庶民ですので普通車に乗りました。フェラーリやポルシェも手掛けた奥山清行氏がデザインを監修し、ブルーリボン賞を受賞したE7系・W7系新幹線車輛は美しいです。普通車を含む全座席にコンセントが付いているのが美点です。
●朝9時45分 長野市・エムウェーブ着
地方都市の旧車イベントということで、そんなに並ばないかと思っていましたが長蛇の列です。私が会場に入ったのは10時の開場から10分位過ぎていました。
●会場内
・・・広いです。このイベントのレギュレーションは「参加車両資格は1990年代までに生産された車両(輸入・国産・2輪を問わず)」となっており、私の眼にはとても旧車とは思えないクルマも沢山ありました。
●以下、気になったクルマを中心に駆け足でご紹介します。
●1967年ダットサン・ブルーバード1600SSS未再生原形車(型式:DR411)
このクルマ、オーナーの方に伺ったところではこれまで雑誌等の取材を受けたことはなく、旧車イベントに出るのも今回が初めてとのお話でしたので文字通り初公開車両のようです。1967年(昭和42年)の夏、私が小2の時、私の実家でも510デビュー直前の特別値引き価格でSSSではないながらも同じ年式のブル411を買って乗っていましたので懐かしいです。走行距離は63000キロ強、車齢51年ですから年に1200キロ程度しか走っていない計算になります。普段は屋根付の車庫に保管し、時たまエンジンをかける程度で殆ど乗ってはいないそうです。ボディは再塗装などしておらずオリジナルのまま。ホイールがオリジナルでないのが気になったので伺ったところ、車庫にオリジナルのホイルキャップなども残してあるとのお話でした。このクルマを見ただけでも、長野まで行った価値はあった気がします。
410初期の尻下がりのプロポーションは1966年4月のMCで大きく改善されています。
フロントSSSバッチ
状態の良いリアナンバープレート。
CピラーのSSSバッチ
フェアレディSP311や初代シルビアCSP311と同じR型1595cc/90psエンジン。
室内
オドメーターは63278km
●1967年いすゞベレット2ドアDX (PR-20)
これも貴重な松本5ナンバーのワンオーナー車。
●1967年トヨペット・コロナ(RT40)
これまた貴重な長野5ナンバー。
●1962年ニッサン・セドリックカスタム
●1965年ニッサン・セドリックバン
●1961年マツダR360クーペ
屋外走行
●1969年スズキフロンテ (LC-10)
●1963年ダットサン・ブルーバード (DP312)
●1964年ダットサン・フェアレディ1500 (SP310)
魅惑のコクピット
後席 横掛け3座席
●1966年ダイハツ三輪ダンプ (CO10D)
貴重な大阪城のエンブレム
トラックではなく何と野村トーイのブリキと同じダンプ!
●1968年トヨペット・クラウン・スーパーDX (MS50)
●後期型タテグロ軍団
●いすゞ117クーペ軍団
●マツダロータリー軍団
●トヨタ・ソアラ軍団
●ニッサン・レパード軍団
●西部警察劇中車 模倣軍団
屋外走行・・・ライフルまで構えてるのが素晴らしいm(__)m
●ホンダモンキー
●ダックスホンダ
●ホンダスーパーカブ
●パンテーラ、フェラーリ、ストラトスを積んだ三菱ふそうグレートさん
【イベント協賛のGulf車両】
・フォードGT40
・ヨタハチ
・1999年ホンダ・インサイト
●1/4スケールのRCヨタハチ
全長89cm!税抜38万円で販売。
●夜6時28分東京駅着 北陸新幹線かがやき
★オマケ(その1): 1978年トヨタ・クラウン教習車 専用カタログ
これは今回の長野のイベントで入手したカタログ。1978年7月発行の5代目クラウン後期型の教習車専用カタログ。ちょうど私が教習所に通った頃の教習車のカタログなので懐かしいです。私が実際に乗った教習車は5代目クラウンと330セド/グロがメインで、まだクジラクラウンや230セド/グロの教習車も現役で残っていた時代でした。当時、教習所で写真を1枚たりとも撮らなかったことが今更ながら悔やまれます。この5代目クラウンの教習車のカタログは同時期のタクシーのカタログよりも現存するものは少ないようです。5代目クラウンでも前期型の教習車専用カタログは見たことがありません。このカタログの詳細についてはダイヤペットの5代目クラウン教習車などと共に改めて「自動車カタログ棚から」シリーズでご紹介したいと思います。
★オマケ(その2): 中国WELLY 1/36スケール ポルシェ911ターボ
これも今回のイベントで入手したミニカー。全長11.5cm。ダイキャスト製。高速道路のSA/PAの売店でよく1000円前後で売っているのを見かけるWELLYのミニカーですが、これは初めて見ました(新製品?)。プルパックモーター内臓ながら、カラーリングも細部の造りもよく、左右ドアも開閉します。赤い小さなターボは大きさ比較用の青箱トミカです。
ドア開閉
★オマケ(その3): ながの東急百貨店 トミカ・プラレール フェスティバル
帰りの新幹線まで少し時間があったので長野駅善光寺口をブラブラしていたら、東急百貨店にトミカの文字!!東急に入ってみると去年夏の横浜トミカ博で売っていたイベント限定モデルが1人5台までの制限で売られていました。せっかくなので、去年横浜で入手したシビックタイプR(黒/赤ツートン)をまた1台入手しました。
イベント限定トミカ各種
★オマケのオマケ: 長野駅前のバス達
ノンステップ車の比率はまだ低目のようです。
★1960年山田模型1/24ダットサントラックG222型 ~ プラモデル・コレクションから007
★ジミー・ペイジ(1944年1月9日~)のトレードマーク的な存在であるレスポール(Les Paul Model)やエリック・クラプトン(1945年3月30日~)が1974年(昭和49年)に初来日した際に武道館公演で使用したエクスプローラー(Explorer)といったエレクトリック・ギターで極めて有名なギターメーカー・米国ギブソン社が2018年(平成30年)5月1日、日本の民事再生法に当る米連邦破産法第11条の適用を裁判所に申し立てた。負債額は最大5億ドル(日本円:約545億円)に上り、事実上の経営破綻に当たると報じられた。
ギターをあまり使わない「ヒップホップ」が人気を集める一方、「ロック・ミュージック」が低迷し、エレキギター市場の縮小傾向が続いていることが経営破綻の原因と見るメディアもありますが、実はギブソン社のギター製造事業は黒字であり、オンキョー、ティアックといった音響機器メーカーの買収といった経営拡大路線が裏目に出たことが経営破綻の原因のようです。今後はギターをメインとした本来のギブソンに戻し、経営を立て直すことになるようです。
★ゴールデンウィークも残り1日ですね~。国内旅行や海外旅行で楽しかった~という人も多いことと思います。私はあまり出かけずモノの整理を進めるつもりが、あまり整理も進んでいなくて一寸困っています。御承知の通り、モノを売りたくてもヤフオクは何故か永久出品禁止処分となっているので(ヤフージャパンに理由を訊いても「出品禁止の理由は開示出来ない」の一点張りなのです)、ヤフオクより出品手数料が少し高い(10%)メリカリに不用品を出そうかと思案中です。メルカリは送料込み価格での出品が大半で、あまり安価なモノでは宅急便で送ると足が出そうですので、例えばHOスケールミニカー100台セットとかいうように、ある程度、数を纏めての出品にしようかな~と考えています。
★閑話休題
さて、実は昨年、国産レアプラモの研究で著名な「プラモッタ氏」のコレクションの1つが縁あって私の手元に来ました。嬉しくて早く記事にしようと思っていたのが、あっという間に今年も5月。そこで今日はプラモッタ氏の手元から来た山田模型のダットサントラック222型のプラモデル、そしてオマケに東京ドームでのトミカイベント、自動車カタログの新入荷レア物、メルカリの激安ブリキ自動車を御紹介しますNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★神林久雄氏(1918~2010年)が東京で模型の箱絵(Box Art)を描く仕事をされていた1950年代後半に山田氏と出会い、木製ソリッドキットメーカー「山田模型」を創業したのは1958年(昭和33年)のこと。
木製キットからプラモデル製造への移行は創業から2年後の1960年(昭和35年)。未だ国産プラモデル黎明期のことである。その後、東京オリンピックの前年1963年(昭和38年)頃まで、山田模型の殆ど全てのキットの商品企画、設計、箱絵や製品に封入する組立説明図の制作に至るまで神林氏が1人で行っていたという。
★今回ご紹介するキットは神林氏が山田模型で手掛けたキットの一つ。
国産ビンテージプラモの研究家として著名な「プラモッタ氏」が2012年11月にWeb公開された現物が縁あって私の手元にやってきた。工場出荷時/小売店販売時のままの未組立ではなく成形色のままで組まれた状態ながら、箱・組立説明書が共に現存しているのは奇跡的。国産プラモの黎明期を現代に伝える、存在すること自体が貴重な「博物館級プラモ」だろうと思います。細部のディテールは省略されているものの基本的なプロポーションは優れており、また実車同様にボンネット内にモーターを納めプロペラシャフトとデフを介して後輪を駆動させるギミックや前輪ステア機構を持つことは、1960年代初頭という時代を考慮すれば驚異的な内容です。
【山田模型 1960年ダットサントラックG222型 プラモデル】 データ
・商品名: ダットサントラック222型
・本体サイズ: 全長172㎜×全幅60㎜
・スケール: 約1/24 (実車サイズは全長4040㎜×全幅1466㎜)
・箱サイズ: 縦11.2×横26.7×縦3.6cm
・発売時期: 1961年(昭和36年)?
・卸価格: 118円
・小売価格: 180円(?)
・電動走行: TKKマブチ15モーター、単2乾電池使用
・前輪ステア アクション
・プロペラシャフトドライブ
実車のようなシャフトドライブ
ホイルキャップにはDATSUNの「D」の浮彫
シャシー後端裏にKYの山田模型の商標とmade in japanの刻印
箱に描かれた222型トラックのドアには「KY」の山田模型の商標。山田模型の社有車として実際に使われたクルマだったのでしょうか。
組立説明書
箱と組説には山田模型の少年キャラクター
モデルとなった1960年ダットサントラックG222型 (実車カタログより)
●山田模型 1960年縦目セドリック プラモデル初版箱との並び
ダットサントラックG222型と同時期に発売された縦目のセドリックは、同様の電動シャフトドライブでスケールも同じく大凡1/24。何れも神林氏の筆によるものだったのか箱絵のタッチも似ています。セドリックの箱は縦13.3×横32cmとダットサン222型より一回り大きいです。
どちらの箱にも山田模型の下膨れ顔のキャラクターが付いています。
●関東トイズ/ツクダヤ 1/24スケール 1958年ダットサンG220型トラック
全長162㎜、全幅60㎜と山田模型のG222型と殆ど同じ大きさの1958年G220型トラックのハイゼックス製玩具(ヘッドライト、フロントグリルはブリキ製)。前輪フリクション駆動。G220型は、ボンネット上にウインカーが付き、1000cc1トン積となったモデル。1959年の221型でウインカーがボンネット上からフロント左右に移され、222型ではグリルデザインがダットサン1000乗用車(211)と似た意匠に変更されています。カラーバリエーションは空色、ウグイス、黄色、赤の4色の存在が確認されています。画像の空色とウグイスは1stモデルでグリルの穴が抜けホイルキャップがメッキされたブリキ、黄色の2ndではグリルの穴が塞がれホイルキャップが白いプラ素材に変更されています。このハイゼックス・シリーズは、このダットサン220型トラック以外に1959年310ブルーバードと1960年2代目コロナラインライトバンがリリースされています。
箱・・・2016年7月、ヤフオクに「箱のみ」で出品され、2万5000円を超える金額で落札された際の画像。箱絵のタッチは山田模型とは180度異なるメルヘン風です。
モデルとなった1958年ダットサントラックG220型 (実車カタログより)
山田模型G222型(左)と関東トイズG220型(右)の並び
★オマケ(その1): 東京ドームシティ・トミカスタンプラリー
第4回キッズ・モーターショー記念の限定トミカ「トヨタ2000GT」が販売されていることをmonkinさんのブログで知り、5月4日に行ってきました。こうしたイベントの情報は耳に入ってこないため、monkinさんの記事がなければ全く知らないうちにイベントが終わってトヨタ2000GTも定価では入手出来ないところでした。今回のイベントでは、限定トミカの販売以外にチラシに記載されたドームシティ内の4か所でスタンプを押すとトミカ・オリジナルDVDが貰え、更に抽選で東京ドームホテルの宿泊券やトミカが当るくじを引くことが出来ます。
トヨタ2000GT・・・1会計につき5台まで購入可。と言うことは、並び直せば何台でも購入可?
世田谷ベーストミカのトラック系は完売
ドームホテル前の鯉のぼりと夏のような太陽
★オマケ(その2): 連休に入手したレア・カタログ
今回の連休中に横浜で自動車カタログ愛好家の集まりがあり、持ち寄られたカタログをくじ引きで入手しました。この会合では自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏の親友でおられた故・内山 勇氏とも懇意にして戴き、内山氏からは貴重な自動車カタログやミニカーカタログをお譲り戴いたことがあります。
(1) 1963年トヨタ クラウン ノルウェー語版カタログ
A4判・3つ折6頁。何と左ハンドルのノルウェー語版です。セダン、ワゴン(国内のカスタム)、ピックアップ(国内のマスターライン・ピックアップ)の左ハンドル車が掲載されています。日本で印刷されたカタログではなく、写真も現地で撮られたもののようです。国内向け車両との外観上の差異は、フェンダーミラーが付かない、国内では1965年まで付かなかったサイドマーカーが付く、アンテナが左でなく右フェンダーに設置されていること等。スカンジナビア半島にこの2代目初期型クラウンは実際にどの程度上陸したのでしょうか。
裏面はワゴン(カスタム)
(2) 1968年ダットサン1300(510) 英文カタログ
縦27.8×横29.6センチのLPレコードのようなビッグサイズ。8頁。車両型式L510。所謂、喧嘩ワイパーの510初期型の輸出向け左ハンドル車のカタログ。
中頁から
★オマケ(その3): メリカリに出品された激安ブリキ自動車
この連休に今後メルカリへの出品に向けて、ブリキの自動車がメルカリにどの位出品されているのか調べるつもりで検索していたら、既に売れた後でしたが驚異の激安商品が出てきました。メルカリは出品者が決めた価格で納得したら即買えるシステムですので、特にその分野に詳しくはない人が安価で出品すると、ヤフオクのように競り上がることもなく、たまたま見つけて買った人は激安で良い物が買えて嬉しくて笑いが止まらないor転売したら大儲けということになりますね~☆☆
(1) カナメ産業金型 1958年ポルシェ356Aハードトップ
箱付完品が何とゼロが一つ少ないと思える、まさかの1万2800円!全長20cm。
(2) 米澤玩具(ヨネザワ) 1960年C1コルベット・コンバーチブル
これも箱付完品で下手するとゼロが一つ少ないとも思える9800円!全長25cm。
★1967年 松竹「宇宙大怪獣・ギララ」 緑商会プラモ ~ レコード・ソノシート棚から 002
★東京都港区のマンション一戸当たりの平均販売価格は9,132万円とのことで、例えば麻布十番駅徒歩6分のブランズ六本木飯倉片町が一戸平均2億7,800万円台、青山一丁目駅徒歩3分のサンウッド青山が一戸平均2億1,700万円台といった私のような普通のサラリーマンではとても手が届かないような高価格帯のマンションが多数存在することが、港区内にも4000万円台といった庶民でもローンが組めるレベルの価格帯のマンションもあるにも関わらず港区全体の平均販売額を押し上げているようです。
★1億、2億もお金を出すなら23区内でも地価の安い場所で広い一戸建てを買う方が余程良いと思うのはどうも庶民的な浅はかな考えで、セレブでなくともセキュリティー面や維持管理の手間を考えて、私の知合いでも高齢になり戸建の維持管理が困難となり都心の一戸建てを3億で売って山手線の外側の広いマンションに移り住んだがマンションの方が戸建より余程暮らしやすいと話していたりもします。
★私の場合は見晴らしの良いタワーマンションの高層階に住むということは、大地震発生時のミニカーなどのコレクションの保護を考慮すると出来るだけ避けたいところであったりもします。しかし、将来、もし恋女房が出来て、『見晴らしの良いタワーマンションの高層階以外では暮らしたくないわ♪』なんて言われたものなら、即、タワーマンションの高層階に移り住むかもしれませんがね(←そもそも、その歳でまだ結婚を諦めないのがポルシェさんの謎だとよく言われますがww)☆☆☆
★閑話休題
さて、今日は宇宙大怪獣・ギララのソノシート等をご紹介します。昨年2017年4月9日に怪奇大作戦を「レコード・ソノシート棚から」の第1回としてアップしてから1年以上を経て漸く、第2回記事として1967年の宇宙大怪獣・ギララのアップです☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★1967年松竹「宇宙大怪獣・ギララ」映画データ
●劇場公開日: 1967年(昭和42年)3月25日
●上映時間: 1時間28分(カラー)
●製作費: 1億5000万円
●スタッフ
監督:二本松嘉瑞(にほんまつ かずい:1922年4月9日~)
製作:島田昭彦
脚本: 二本松嘉瑞、元持栄美、石田守良
特技監督: 池田 博
科学監修: 光瀬龍
撮影: 平瀬静雄
特殊撮影: 大越千虎
美術監督: 重田重盛
音楽: いづみ・たく (1930年1月20日~1992年5月11日)
作詞:永六輔(1933年4月10日~2016年7月7日)
●配役 (キャスト)
佐野: 和崎俊也 (1938年11月14日~2011年2月15日)
道子: 原田糸子 (1949年2月14日~)
宮本: 柳沢真一 (1932年12月19日~)
塩田: 園井啓介
加藤博士: 岡田英次 (1920年6月13日~1995年9月14日)
対策本部長: 北 竜二 (1905年1月1日~1972年4月16日)
FAFC技官: 穂積隆信 (1931年7月20日~)
月ステーション通信員A: 藤岡 弘 (1946年2月19日~)※後年、仮面ライダーの主人公役で人気俳優となる。
月ステーション通信員B: 小田草之助
『宇宙大怪獣・ギララ』 概説
松竹が制作した唯一の怪獣映画である。本作以前の日本映画界に於いては円谷英二(1901年7月7日~1970年1月25日)の元で東宝により「ゴジラシリーズ」を含めた「怪獣映画」が年2本のペースで公開されていた。しかし、高額予算と特撮を駆使する怪獣映画への参入には他社は及び腰であった。このような怪獣映画い=東宝という状況の中で1965年(昭和40年)に大映が『大怪獣ガメラ』を制作し怪獣映画市場に参入して大ヒットさせた。
1966年(昭和41年)初頭より円谷監督の興した円谷特技プロダクションにより制作されたテレビ番組『ウルトラQ』(TBS系列)が放映されると、これをきっかけに子供たちの間で、空前の「怪獣ブーム」が巻き起こった。同年3月には大映が前年の『大怪獣ガメラ』の続編として『大怪獣決闘ガメラ対バルゴン』を『大魔神』と二本立てで公開し、前作を大きく上回るヒットとした。
1967年(昭和42年)に入ると怪獣ブームは益々過熱し、テレビでは怪獣の登場する特撮番組が目白押しとなり、映画界では東宝の「ゴジラシリーズ」、大映の「ガメラシリーズ」が両社のドル箱の様相を呈していた。この一大社会現象を背景に当時斜陽化しつつあった邦画界の中で日活と松竹もこれを好機と捉え競い合って特撮怪獣映画を製作するに至った。こうして日活が『大巨獣ガッパ』を製作し、これに対抗し松竹が製作したのが『宇宙大怪獣・ギララ』である。公開時期は大映の『大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス』が1967年3月15日に公開された丁度1週間後の3月25日で春休み時期にピタリ合わせられた。これは日活が1967年4月22日に『大巨獣ガッパ』を劇場公開するよりも約1ヵ月早い劇場公開となった。
時の日本政府もこの一大「怪獣ブーム」を背景に海外に売れる怪獣映画を創り外貨を獲得するという目的/狙いで映画制作のための特別融資を実施した。この『宇宙大怪獣・ギララ』は社団法人映画輸出振興協会による輸出映画産業振興金融措置の融資を受けて制作された映画であった。製作費は松竹の公表では1億5000万円であった。
松竹は本作の制作に当り次のようにプレス発表している。
(原文のママ。題名の「宇宙大怪獣」と「ギララ」の間には「・」が入るのが正しい)
「松竹では、このほど、SF(サイエンス・フィクション)的要素を盛りこんだ初の本格的特撮映画「宇宙大怪獣・ギララ」(監督二本松嘉瑞・特撮監督池田博)の製作を開始しました。すでに数年前より、大船撮影所に特殊ステージを設け、フィルム合成、色彩テストなど慎重な準備をすすめてきたのが初めて結実したものです。脚本は、元持栄美、石田守良、二本松嘉瑞の共同オリジナルで、演出には、アメリカのエール大学で映画演劇を研究、「恋人よ」、「いたずらの天才」を発表した新鋭二本松嘉瑞があたり、また特撮監督として俊英池田博監督が起用されております。(中略)出演者は、和崎俊也、原田糸子、藤岡弘、岡田英次、木村功、園井啓介、柳沢真一、北竜二、穂積隆信のほか外人タレント、ペギー・ニール、フランツ・グルーベル、マイク・ダニングなど多彩なキャストで描く超娯楽大作でもあります。なお、現代最高のSF作家光瀬龍氏が監修にあたるのも大きな話題のひとつです。」
●「宇宙大怪獣・ギララ」は宇宙を舞台にしたSF映画の体裁を採り、東宝や大映の怪獣映画とは明確な差別化が図られた。
科学考証には光瀬龍(みつせ りゅう:1928年3月18日~1999年7月7日)が当たり、前半部では月面基地や宇宙空間でのメカ描写などが丹念に撮影された。一方で月面基地に檜風呂が登場したり、恋愛ドラマも盛り込まれるなど、「松竹大船調」の演出により他社とは異質な作風でもあり、「メロドラマの本家でも怪獣製作!」などとマスコミに報じられた。ストーリーは、謎の円盤の正体が結局明かされないまま終わるなど、やや構成の難な箇所が指摘されている。怪獣のデザインが決定すると、前年12月17日に東急ホテルで製作発表会が開かれ、島田プロデューサー、二本松監督、池田特撮監督、光瀬龍の4人が出席し、「宇宙怪獣」の模型を囲んで大々的に宣伝が行われた。脚本準備稿は当初『宇宙大怪獣』と仮題され、マンモス植物も登場する予定であった。次に『SF宇宙大怪獣』と仮題され、アストロボートの設定が盛り込まれて「SF」が全面に押し出され、この後の最終決定稿で『SF宇宙大怪獣ギララ』と表記された。ところが、劇場公開から僅か9日前の3月16日に「SF」を削除し『宇宙大怪獣・ギララ』と題する完成試写台本が刷られ、これが正式な本作のタイトルとなった。
●週刊少年マガジン1967年3月12日号 (1967年第11号)
B5判・238頁。講談社発行。当時定価60円。劇場公開に先立ち、少年マガジンで表紙及び巻頭カラーグラビアとしてギララが掲載された。この時期の少年マガジンの掲載漫画は、巨人の星、サイボーグ009、ハリスの旋風、悪魔くん、丸出ダメ夫、楳図かずお版ウルトラマンなど。1967年も後半に入るとウルトラセブンが少年マガジンの表紙を飾る頻度が高くなった。この号の表3は円谷怪獣プラモのマルサン商店広告。
巻頭カラーグラビア
ギララ 内部図解
マルサン商店広告・・・・・・現在では天文学的なプライスが付くプラモデルの広告。この広告の時点でギャンゴ、レッドキング、エビラのプラモはまだ発売されていなかったようだ。
当時の箱絵が判る貴重な広告
●勁文社(ケイブンシャ)フォノシート「宇宙大怪獣・ギララ」 (縦19.2×横20.8cm・12頁+ソノシート1枚)
1967年(昭和42年)発行(発行年月日は未記載)。勁文社フォノシート第7巻第244号。製品番号KSC-2811。当時定価280円。編集人:西野智博。発行人:石田信人。印刷:鋼版印刷。ソノシートA面に主題歌「月と星のバラード」(唄:倍賞千恵子)と「ギララのロック」(唄:ボニージャックス)の2曲、B面には物語を収録。ソノシート番号SU-570。
【STORY】(勁文社フォノシート掲載版)
宇宙は数知れぬ謎を秘めている。人類が果て知れぬ広大な宇宙に飛び出してから、予想もつかぬ数々の奇怪な出来事が我々を襲っている。
日本宇宙開発局が、その最高の科学的頭脳を傾けた原子力宇宙船、AAB(アトミック・アストロ・ボート)ガンマー号は、今、火星に向けて飛び立った。
しかし、またもや、いつも火星旅行の計画を妨害する空飛ぶ円盤が現われたのだ・・・・・。
AABガンマー号は、強引にその円盤型宇宙飛行体に向かって突き進んだ。
だが、その円盤は自由自在に方向を変え辺りに放射能の微粒子をまき散らすと、遥かな暗黒星雲の方に逃げ去ってしまった・・・・・。
『不思議な七色の物体がAABガンマー号の周りを包んだ』
謎の円盤がまき散らした放射能の微粒子でアストロボートの推進が停止してしまった。噴射をやめた主力エンジン原子炉の周りにはキラキラ光る七色の胞子状の物体が無数に煌めいている。
AABガンマー号は火星行きを一時中止すると、謎の発光物体の落していった、この不思議な未知の発光体を研究するため、その一つを真空容器に採集して、地球に引き返した。そして、極秘の中にその研究を続けた。
ところが・・・・・。
『ギララがくるぞ・・・・・早く逃げろ!!』
いつの間にか容器が割れ、宇宙からアストロボートが持ち帰った謎の発光体は、身長60メートル、体重1万5000トン、赤い複眼とぐるぐる廻る触角を付け全身緑色のウロコに覆われた巨大な怪獣となって現れたのだ――。
人々はこの宇宙大怪獣をギララと呼んだ。ギララには、エネルギーを利用した武器はエサと同じなのだ。エネルギーを吸収してギララの背びれは青白く光り、口から吐くエネルギーの塊は戦車や建物を一瞬のうちに灰にしてしまう。宇宙大怪獣ギララは、火の玉を吐きながら東京を襲った。
このままでは日本はギララのために全滅してしまう。宇宙開発局はやっきになって怪獣発生の原因追求に当った。問題はギララを包んでいた光る物質に違いない。あの光る胞子でギララをつつめばギララはエネルギーを吸収できなくなって弱るかもしれない。
AABガンマー号は再び隕石の降る宇宙へ飛んでいった。
その頃、猛威を振るうギララは東京を荒らし回ると、ついにエネルギーを求めて東海村の原子力研究所を襲い原子炉を破壊した。
東海村の原子炉を襲った宇宙大怪獣ギララはエネルギーをふんだんに吸い込むと空中に舞い上がり今度は宇宙飛行研究所のロケット発着所に近づいていった。
「危険だ!全員退去するんだ!!」
「そんなことは出来ない。それではアストロボートが帰還できないぞ・・・・」
その時、再び宇宙へ飛び立ったAABガンマー号が新物質ギララニュームを持って帰ってきた。
「見ろ!ギララがロケット発射場を襲うぞ。早くギララニュームを届けるんだ!」
ギララはガンマー号の原子力エネルギーを狙って追って来るに違いない。ガンマー号は怒り狂うガンマー号に接近していった。
【発光体に戻ったギララは宇宙空間へ消えていった――】
AABガンマー号が自らオトリとなっている間に、ギララニュームの弾頭を付けたジェット爆撃機が次々と攻撃態勢に入っていく。
ジェット爆撃機のギララニューム弾の急降下爆撃によってエネルギーの吸収をギララニュームで遮断されたギララは、もがきながら次第に縮まっていき、ついには元の発光体に戻った。
小さくなったギララはロケットの先端に内蔵されて遥か彼方の宇宙空間に向けて発射された・・・・・・・・。
主題歌2曲「歌詞」
ソノシートA面 (主題歌)
ソノシートB面 (ドラマ)
ジャケット裏
★勁文社(ケイブンシャ)フォノシート「宇宙大怪獣・ギララ」A面収録 主題歌2曲【月と星のバラード】【ギララのロック】
1)月と星のバラード
作詞: 永 六輔、作曲:いずみたく、唄:倍賞千恵子
2)ギララのロック
作詞: 永 六輔、作曲:いずみたく、唄:ボニージャックス
★勁文社(ケイブンシャ)フォノシート「宇宙大怪獣・ギララ」B面収録【ドラマ】
★1967年 松竹 『宇宙大怪獣・ギララ』 予告編
半世紀以上を経ていますが、恐ろしくクリアな映像です。
★童友社「1967年緑商会 宇宙大怪獣ギララ復刻版プラモデル」
国産プラモデル誕生50周年を記念して童友社が2008年にリリースした、1967年緑商会製「宇宙大怪獣ギララ」(小サイズ・ゼンマイ歩行)の復刻版。税抜定価2000円。残念ながら大サイズは復刻されていない。大小サイズ共に緑商会のオリジナルは工場出荷時/小売店販売時のままの未組立状態でなくとも入手は非常に困難なため復刻を出してくれた童友社に感謝。
★童友社「1967年緑商会 アオミック・アストロボート復刻版プラモデル」
国産プラモデル誕生50周年を記念して童友社が2008年にリリースした、1967年緑商会製「アトミック・アストロボート」(大サイズ・ゼンマイ動力)の復刻版。税抜定価2000円。残念ながら小サイズは復刻されていない。これも大小サイズ共に緑商会のオリジナルは工場出荷時/小売店販売時のままの未組立状態でなくとも入手は困難なため、これも復刻してくれた童友社に感謝。アストロボートの大サイズは私がリアルタイムで作った想い出のプラモ。当時作ったものは1970年頃までには失くしてしまったため(親がガラクタとして捨てたのだろうと思います)、この復刻が出た時には狂喜乱舞したものです。このアストロボートと科学特捜隊のビートルは現在の目で見ても十分に美しく魅力的なメカだと思います。
★オマケ(その1): トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ&ネオ新製品
2018年5月12日発売のトミーテック新製品。LV-N167(a)の日野HE366ウイングルーフトレーラ(日本フルハーフFPR239)は、トラーラ部が往年のトミカダンディ同様に軽いプラ製であることが惜しまれますが、ダイキャストでは細密表現やコストの面で無理だったのかもしれません。それと個人的にTLVやTLV-Nで前々から非常に残念なのは、箱にも本体にも年式表示がないこととナンバーが緑地のノッペラボウであること。前者は100年、200年後の人がこのミニカーを見た時に1970年代半ばの車両を2018年にリリースしたモノであることが俄かには判らないでしょうし、後者のノッペラボウのナンバーについては自ら文字入れが出来るユーザーは非常に限られていると思われるためです。トレーラ部がプラにも関わらず税抜定価16000円と高額ですが、以前リリースされたトランスポーター数種がどれも軒並み定価の2倍を超えるプレミアが付いていることを考えると、このあたりの大型車にそそられるなら無理しても定価のうちに買っておく方がよいかもしれません。LV150(c)と(d)の1969年いすゞベレット1600GTRは同年式GTRの黒/オレンジと赤1色が2015年に出て3年ぶりのバリエーション追加。2015年には1台税抜1800円だったのが、現在は税抜2300円。なお、TLV-N170として2000年式の34スカイライン25GT-Vのベイサイドブルーとブラックが税抜2300円で同時に発売されましたが、そちらは御存知の通り当方の芸風(コレクション対象)からは大きく外れるため購入していません(汗)。
日野の荷台にはベレGがすっぽり入ります。
★オマケ(その2): ミニチャンプス 1/43スケール1967年ポルシェ911Rモンツァ速度記録車+2016年ポルシェ911R 2台入りセット
これはPMAの最近出たセット。品番412 066220。国内定価:税抜16000円。2016年911Rの白に赤ライン2本は既に単品で出ている物とはドア下にPORSCHE文字の入った細いストライプが入る点が異なります。67年911Rモンツァ仕様はこのセットのみでPMAでは珍しく実感的なウェザリングが施されています。LV-N167(a)の日野HE366ウイングルーフと同じ価格で43スケールのこのポルシェ2台が入手出来るというのは相対的に割安感ありです。911のミニカーコレクションとしてはマスト・アイテムと言えますが国内入荷数は少ない模様ですので、そそられる向きは急いだ方がよいかもしれません。
1967年911R
2016年911R
★追悼「西城秀樹はミニカーコレクターだった!?」~ 1965年ダイヤペット120番セドリック家宝
★しかし、ヒデキが亡くなったと思ったら、星由里子さん、朝丘雪路さんと、このところ、昭和の大スターの訃報が続くような気がするのは私だけでしょうか。人間、寿命というものがあり、既に30年以上の時を経た昭和の時代に大活躍した人は1人また1人と姿を消すのは今後も避けられないことだと思いますが、ヒデキの63歳はちょっと早かった感じがします。今日はヒデキに関する話題とオマケに最初期のダイヤペットの日産セドリックなどをご紹介しますNE☆☆☆
★実は週明けから次の日曜5月27日まで1週間、西日本への出張が入ってしまい、次の週末は記事の更新が出来ません(汗)。でも、長期間に亘り更新なしも寂しいので極く簡単な記事を下書きしておいて定時更新する予定ですので、もしお時間がありましたら御覧くださいNE☆☆☆
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★日本武道館で初めて公演を行った日本人ソロアーティストは誰?と訊かれれば、「永ちゃん?」と思う人が多いかもしれない。でも、実は永ちゃんが一番乗りではなく、武道館ソロ公演の一番乗りはヒデキ。
矢沢の武道館公演は1977年(昭和52年)8月のことで、ヒデキは永ちゃんより2年近く早く、弱冠二十歳だった1975年(昭和50年)11月に最初の武道館公演を行なった。但し日本人のソロではなくグループでの武道館使用は1968年(昭和43年)3月のタイガースが最初である。
武道館公演を成し遂げた前年の1974年(昭和49年)に西城秀樹(1955年4月13日~2018年5月16日)は、「傷だらけのローラ」で『第16回日本レコード大賞』歌唱賞、『第25回NHK紅白歌合戦』初出場、ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、松竹映画『愛と誠』映画初主演、と日本人では知らない人はいないという文字通りスーパースター/スーパーアイドルの座にあった。
★ヒデキと聞いて誰しも一番に連想するのは、ちびまる子ちゃん(1965年5月8日生れ)のお姉ちゃん「さきこ」が熱烈なヒデキファンだったことだろう。
1963年(昭和38年)3月21日の雪が降る明け方に生まれた「さきこ」は、ヒデキが大スターとなった1974年(昭和49年=アニメ「ちびまる子ちゃん」の時代設定)の時点で小学校五年生。ヒデキのお嫁さんになることを夢見る場面、あるいはヒデキにファンレターを送るといった場面が国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」では頻回に見られる。この大のヒデキファンという設定は、実は作者のさくらももこさんの実像と被っているらしい。1991年(平成3年)4月、アニメ版「ちびまる子ちゃん」第1期2代目エンディングテーマとして使用された、「走れ正直者」をヒデキが唄ったのも作者のさくらももこさんのラブコール&オファーによるものだったようだ。
★旺文社「月刊・高一時代」1975年8月号掲載の西城秀樹ミニカーコレクション記事
旺文社が1964年(昭和39年)から1991年(平成3年)まで発行していた学年別月刊誌「高一時代」の1975年(昭和50年)8月号に掲載されたコラム記事。
【記事全文】
「★西城秀樹★
マニアというか、とにかくミニカーに目がない。今まで集めたミニカーが二千台。時間をみつけては、新種を求めて歩き回っているからオドロキ!いくら仕事で疲れていても、新しいミニカーをみつけたら、とたんにニコニコ。あの激しいステージからは想像もつかないネ。ミニカーのことならヒデキに聞くといいよ。」
私は旺文社の学年別月刊誌を定期購読していて、高1の夏に読んだこの記事を大切に切り抜いて保存していた。何故なら、親から「高校生になったんだから、もうミニカーなんて集めるのはやめなさい!」などと言われた時に「ミニカーならヒデキだって沢山集めてるよ!」とこの記事を以って反論出来たからなのです。
この記事が掲載された1975年の時点で国内のミニカー専門店というのは、高島平にまだミニカーショップイケダが開店する前で東京代々木のポストホビーか横浜元町の千代田ママストア位しか存在せず、ミニカー販売の主流は大手デパートと街の玩具店・模型店がメインだった時代。恐らくヒデキは銀座三越、池袋西武、東京駅大丸といった百貨店のミニカー売り場に新入荷があったら送ってもらうように頼んでおいて、コレクションを増やしたのではないだろうか。蒐集対象は、ソリド、メーベ、ポリトーイ、ディンキー、コーギー、テクノといったあたりの欧州製1/43スケールモデルがメインだったのではないだろうか。
ところが、ヒデキがミニカーを集めているという記事はこの高一時代以外では見たことがなく、恐らくはマスコミとのインタビューで「ミニカー2000台集めてます」とでもヒデキが口を滑らせたのが、高一時代のコラムに載った・・・しかし、事務所サイドとしてはワイルドなヒデキのキャラに合わない、謂わば根暗なイメージ(ちびまる子ちゃんのキャラで言えば藤木君のような)のあるミニカーをチマチマ集めてニヤニヤしているなどという趣味は隠ぺいした方がよいと考えたのではあるまいか。ミニカーではなく実車についてもヒデキに関しては情報が殆ど見当たりません。しかし、元々クルマ好きだったヒデキは押しも押されぬ大スターとなった1970年代半ばには若干二十歳にしてフェラーリやランボルギーニといったスーパースポーツを持っていたとしても何の不思議もないでしょう。恐らくヒデキのミニカーや実車に纏わる事情は、公私共に親しかった近藤真彦さんあたりが知っているのでしょうね。
●西城秀樹の片輪走行映像
写り込んでいる日本車からすると1980年頃の映像と思われます。秀樹は910ブルで片輪走行を成功させます。
【西城秀樹 お通夜・告別式の日時/場所】
お通夜: 2018年(平成30年)5月25日(金)18時~ 青山葬儀所
告別式: 2018年(平成30年)5月26日(土)11時~13時 青山葬儀所
●1991年4月 走れ正直者
唄:西城秀樹、作詞:さくらももこ、作曲/編曲:織田哲郎。日本で最初にヒットしたスカ(Ska:1950年代にジャマイカで発祥したポピュラー音楽で2、4拍目を強調したリズムが特徴)。
★オマケ(その1): 米澤玩具ダイヤペット120番 1/40スケール1965年セドリック・カスタム
全長11.5cm。アンチモニー製。1965年(昭和40年)8月発売。当時定価380円。大盛屋の金型を改修して初代最終の1965年型としたミニカーですが、フロント周りが上下にグラマラスとなり大盛屋時代の1963/1964年型とは結構印象が異なります。大盛屋時代よりダイヤペットの方が魅力的なモデルになっているように感じます。このミニカーの発売から僅か2ヵ月後の1965年10月に実車は2代目130にフルチェンジし、ダイヤペットでも145番として130型を出したため、この120番の販売期間は極く短く古くからダイヤペットの中で入手の難しい1台と言われています。今回ご紹介する色違い3台は長い年月をかけて漸く揃ったもので、個人的な感覚では家宝レベルのミニカーなのです。ところが、このカラバリ3台を同様に揃いで持っているという知人が数人いますので、稀少ではあっても初代セドリックが心底好きなコレクターであればカラバリも揃いで持っているミニカーといったところでしょうか。
リア
リア右にCEDRIC Customの文字
★オマケ(その2): トミカ76-?番 トイザらスオリジナル1/64スケール ホンダシビックTYPE R
全長7cm。ダイキャスト製。税込定価646円。2018年5月19日(土)発売の新製品。アメブロを見ていると、トミカコレクターの人はこうした限定品はとりあえず3台購入するというのが主流派のようでして、私も影響されて3台もいらないかもと思いつつ3台購入。今回のシビックはリアドアに世界のサーキットに於ける6つのタイムが小さな文字でプリントされていますが、これのモデルとなった実車が存在するのでしょうか。
ニュル他6つサーキットでのスピードレコードの印字
★1986年トミカ・グループAフェア(その1)ホンダ ワンダーシビック2種
★トミカを買ったあと、私の場合、箱から出して飾るなどしないままダンボール箱などに入れてそのまま保管してしまいます。そうして仕舞い込んでから、一度も開けないまま、あっという間に30年以上の時が過ぎていたモノの一つが1986年のグループAフェアのトミカ全12種です。これを買った当時、私はまだ20代の半ばを過ぎたばかり。長いこと触りもせずに、ただ寝かしておいたものを久々に開けるのは浦島太郎の気分です((>д<))
★グループAフェアの第1回は1983年9月にデビューした3代目、所謂ワンダーシビック2種です。1/58スケール。品番は赤いキャビン仕様がNo.17-5-8、無限仕様がNo.17-5-9。定価より少し割引きして貰い1台280円で1986年(昭和61年)12月に購入。買った後は一度も触らずに寝かせていたのでスーパーミント状態。2018年現在の市場価値は不明。
★私にとって1980年代の日本車は新し過ぎて懐かしさを微塵も感じないのですが、少なくとも現在30歳以下位の世代(平成生まれ)であればリアルタイムには見ていないクルマということになる訳ですから、時が経つのは早いものですNE(;°皿°)
でも、現代のシビックよりはこのワンダーシビックの方がデザイン的にはそそられるクルマだったりします。



★今日のビートルズ(1) 「Your Mother Should Know」 1967
その日の気分で1曲ずつビートルズナンバーをアップするシリーズです。これは何気に昔から好きな曲なんですよね~(>_<)
Lyrics:
Let's all get up and dance to a song
That was a hit before your mother was born
Though she was born a long, long time ago
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...know)
Sing it again
Let's all get up and dance to a song
That was a hit before your mother was born
Though she was born a long, long time ago
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...know)
Lift up your hearts and sing me a song
That was a hit before your mother was born
Though she was born a long, long time ago
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...aaaaah)
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...aaaaah)
Sing it again
Da da da da...
Though she was born a long, long time ago
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...know)
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...know)
Your mother should know (Your mother should...)
Your mother should know (...know)
※5月27日(日)まで出張中は毎朝、タイマー定時更新します。
コメ欄は閉じませんので、是非お気軽にコメントくださいね~♪