★都内(≒日本国内)でブリキやソフビなどアンティークトイ(骨董玩具=古いオモチャ)を扱う専門店の草分けはどこかと言うと、南青山のM氏主宰の「ビリケン商會」と下北沢のU氏主宰の「懐かし屋」あたりとなるだろうか。
何れも1970年代半ばから後半にかけて店舗主宰の現在のオーナーが未だ20代後半だった頃のオープンで2017年現在で既に40年の時を経ている。御茶ノ水から聖橋を渡った先の湯島の坂の途中に「ハニポート」という店もあったが店主の他界により廃業して既に久しい。ビリケン商會はM氏と共に「こち亀」にも登場したことがあるが、その頃の昔ながらの買取り中心のアンティークトイショップの形態から脱却し現在ではオリジナルの怪獣製品や現代アート作家モノの方面にも事業を拡げ盛業であることはよく知られている。一方、下北沢は懐かし屋を皮切りに高田馬場の「ねずみ小僧」が下北沢に移転して店名変更した「ヒーローズ」、最近店舗営業を停止した「オムライス」、店主の他界により廃業した「2丁目3番地」など、かつての下北沢は謂わばアンティークトイ専門店のメッカの如くの様相を呈していた。
私自身、下北沢ではどの店でも1980年代から、かなりの数のアンティークトイ(但し殆どは自動車の旧い玩具)の買い物をした。ヤフオクのようなインターネット・オークションのなかった時代、こうしたアンティークトイ専門店やミニカー専門店、骨董市を廻る以外に旧い玩具は入手する術がなかったのだ。しかし、現代はネットオークションで家に居ながらにして逸品・珍品が入手できる時代になった影響でアンティークトイを店舗営業で売るメリットが薄くなりつつあるようだ。それでも尚、ブラっと入った店で捜していた想い出の品を見つけた時の喜びというのは格別なものがある。現在でも骨董ジャンボリーに代表される所謂骨董市やフリーマーケットで思わぬ掘り出し物に巡り合うといった機会は残されてはいるものの、自分の足で捜し回るよりもネットオークションで入手する方が手っ取り早いと考えているコレクターは多いことだろう。
★長年、下北沢で営業してきた「懐かし屋」が下北沢駅周辺の大規模な再開発の影響でこれまでの店舗での営業継続が不可能となり阿佐ヶ谷に移転したと聞き先日訪ねてみた。
下北沢時代の2階にあった店舗と同程度の広さの新店舗はJR阿佐ヶ谷駅から中杉通りを北に10分程歩いた中杉通り沿いの1Fにある。急な階段を登って息を切らして入る形だった下北沢時代の店舗よりもずっと入りやすく、周辺には大手チェーン店ではない普通の街の古本屋さんや骨董屋さんもあり、また1駅隣のJR高円寺の高架下にはK氏主宰のアンティークトイショップ「ゴジラや」もあるので、休日に纏めてブラブラ廻ってみるのも一興だろう。現在は営業時間が短く何れも午後6時閉店であることに注意されたい。夏場など暗くなるのが遅いので、時計も見ずにまだ明るいからと行ってみたら既に閉店していたということになるので要注意である。
【懐かし屋】阿佐ヶ谷新店舗
住所: 東京都杉並区阿佐ヶ谷北4-9-20-102
営業時間:午後1時~6時
定休日:火曜日
東京・新宿方面から中央線で来た場合、右手の北口に降りる。
北口を出るとすぐに関東バスのバスターミナルとイトーヨーカドーが見える。
私が子供の頃から変わらない関東バスのカラーリングにはそそられます♪
中央線と垂直に交わる中杉通りを北に歩くと、まず右手に世尊院正覚寺。
やがて歩道橋があり、左手にお地蔵さまとお墓が見える。
右手に阿佐ヶ谷神明宮。
左右に樹木が多くなり道は下り坂となる。
左手にホンダの看板。
出た!!「懐かし屋」の阿佐ヶ谷新店舗!
凝った木製の看板。
※店内は残念ながら撮影不可ですが、自動車・飛行機などのブリキ、怪獣系ソフビ、ミニカー、看板、果ては初期型のホンダモンキーの本物まで売り物として置いてあります。
★オマケ: 米澤玩具1/14スケール 1961年スバルサンバートラック (型式K151)
全長21.5cm、全幅9.5cm。ブリキ製。当時定価:全国190円。この米澤の初代サンバーは私が3才の頃に遊んだ思い出の玩具で、その子供の頃に持っていたモノは砂場で遊ぶなどして玩具としての使命を全うして消滅してしまったのだが、これに再会できたのは30年の時を経た1990年代前半の下北沢時代の「懐かし屋」に於いてであった。元箱がないにも係わらず国産大衆車の5年落ち位の中古が楽に買えそうなプライスに大いに悩みつつも、思い出はお金には換えられないと考え、腹をくくって購入。アンティークトイショップでは、どこの店でもよく店主から「お金は働けばまた稼げるけど、古い貴重な思い出のオモチャは売れてしまったらもう二度と手に入らないですよ」と言われたものだが、それが殺し文句となっていたとも言える。しかし、その後、この米澤の初代サンバーはズタボロのジャンクを含めても3台位しか見ておらず、オリジナルの「箱」に至ってはいまだに一度も見たことがなく幻である(もし箱付のこの米澤の初代サンバーをお持ちの方がおられましたら是非画像を拝見させてください)。
このサンバーは、先に発売されていた「くろがねベビー」の金型を改修した安直な製品ながら、リアルタイムに造られた初代サンバーの唯一の立体造形物として非常に貴重な存在である。ちなみに、最初に発売された「くろがねベビー」の方は幌付き・幌なしの2種があり、何れも時たま箱付ミントがヤフオクなどに現れるのだが、サンバーは元々の生産数が少なかったのか、個人的には箱付を一度も見ていないのである。
一緒に写っているのは大きさ比較用のトミーテック1/64スケールTLVの初代サンバーバン後期型。
室内: インパネ中央に桜にYの字の米澤マーク
★甘辛人生劇場「懐かし屋」1960年代専門店 ~ 阿佐ヶ谷移転新店舗 ~ 米澤玩具スバルサンバー
★1925年 パッカード 戦前 日本語版カタログ ~ 自動車カタログ棚から 356
★8月に入りましたね。しかし、ここ東京は蒸し暑いです。72年前に広島に原爆が投下された今日2017年8月6日の東京の最高気温は35度の予報ですので夏本番ですね☆
この暑さでも年金暮らしのウチのハス向かいの家は昭和30年代初頭に建てた家で、いまだにエアコンはなく南北の窓を1日中全開にして扇風機を廻していたりしますYO
★ボクが初めて人妻に惚れたのは、1966年(昭和41年)、小1の時のクラスメートK君の家に遊びに行った時であった。K君の御父様は誰もが知る有名企業のオーナー社長で文字通り御殿のように大きく、しかし洋風でとても洒落た造りの家に住んでいた。アニメちびまる子ちゃんに出てくる花輪君の家をちょっと小さくした感じといえばイメージ出来るだろうか。K君の家に行くと御母様がバヤリスオレンジなどを出してくれたのだが、その御母様に小1のボクは一目見て惚れてしまった。というか、心臓がドキドキした。日本人離れした美貌は恐らくハーフかクォーターだったのでは?と今になって思うのだが、社長になれば大きな御屋敷に住んで、あんな綺麗な奥さんが貰えるんだと子供のボクは思ったものだった。
ところが、会社社長でなく、ボクのウチの近所のクリーニング屋さんの奥様と御嬢様がまた物凄い美人だったのである。御主人はスポーツ刈りでシャキシャキとして妙に早口で口数が多くて元気がよく、いかにも男気も覇気もあるといった感じの人だったのだが、会社の社長でもない個人商店なのにあんなに綺麗な奥さんが貰えることもあるのか!と子供だったボクは不思議に思ったりしたものだった☆☆
★閑話休題
今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第356回記事として、1925年(大正14年)のパッカード日本語版カタログをピックアップします。こんな古いクルマには興味がない、もっと新しい年代のクルマのカタログをアップして欲しいとお叱りを受けそうですが、情報の稀少性の観点から、例え見る人が殆どいなくとも戦前の物はなるべく優先的にWeb上にアップしておこうと思います。実は356回目ということで、ポルシェ356関係のカタログでとも思ったのですが、過去に手持ちのポルシェ356のカタログは既に大半を御紹介してしまっていますので、日本ではポルシェと同じ三和自動車が輸入していたという理由を無理矢理付けることとして今回は戦前のパッカードをアップすることとしますNE☆☆
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★自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924~2000)はネコ・パブリッシングの月刊誌スクランブルカーマガジン(後のカーマガジン)1981年4月号に掲載された「人力車と日本人とパッカード」と題する記事の中で「現在の若い人々でもその車名を知らぬ人は居ないだろう」と書かれている。しかし、その記事の掲載から36年を経た2017年現在ではパッカードと聞いて自動車のブランドを連想する人は少なく、むしろPCのヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard Company)を連想する人の方が多いのではあるまいか。
★「パッカードの良さはオーナーに聞け」(Ask the Man Who Owns One)という宣伝コピーほど自信に満ちてフェアなものはないだろう。
19世紀末(1899年)の創業したパッカードはこの有名なコピーを用いて高級車市場での業績を伸ばした。1935年(昭和10年)に廉価版120を出すまでのパッカードは映画スターや大富豪が主な顧客であったが、中流向けの廉価版を販売したことは、ロールス・ロイスのように絶対的な高級車であり続けたパッカードのブランドイメージを大きく低下させる結果となり、戦後の凋落、ひいては、あろうことか1957年(昭和32年)にスチュードベーカーのOEMによる兄弟車となった後、1958年(昭和33年)のパッカード・ブランド自体の消滅に繋がった。創業から数えて約60年でパッカード・ブランドはその歴史に終止符を打ったのである。
★戦前の自動車界に於いてロールス・ロイス、イスパノ・スイザ、ピアスアロウ、キャデラック、メルセデス・ベンツなどと並ぶ高級車の代表的なブランドであったパッカードは、戦前の日本においても高級車の代表格であり皇室、華族、警察を含む官公庁の公用車、大企業の社用車等として相当な台数が輸入された。
CG初代編集長 小林彰太郎氏(1929年11月12日-2013年10月28日)の著作によれば、1930年(昭和5年)の東京にパッカードは254台も登録されていたという。トラック・バスも含めた東京の自動車登録台数が21063台だった時代の話である。何と100台に1台以上がパッカードだったことになる。ちなみに現在2017年の東京の自動車登録台数は1930年の210倍の442万台程度であり、単純に全自動車の100分の1強という比率で現在の東京に置き換えれば、東京の街に5万台近いパッカードが走っているという計算になる。それに対して1930年の東京にキャデラックは僅か66台、リンカーンに至っては28台のみの登録であったという。当時、既にキャデラックは日本GMが、リンカーンは日本フォードが設立されていたにも関わらず、である。いかに戦前の日本でパッカードが高級車として人気が高かったかが分かる数字である。戦前、多数国内登録されたパッカードだが、車齢を重ねた戦後は1960年代に至るまで持ち前の頑丈な造りから霊柩車に改造されて余生を送る例が多かった。
★パッカードは1915年(大正4年)にV12エンジンを搭載して登場したのち、日本には1920年代に入って6気筒及び8気筒車の輸入が開始された。
五十嵐平達氏の著作に宮内庁への納入は1930年頃からとの記述があるが、今回ご紹介する1925年のカタログに宮内省御納入車の写真が掲載されており、五十嵐氏の記述より早い輸入極く初期の段階から皇室にもパッカードが入った模様である。但し、五十嵐氏の著作によれば宮内省(現宮内庁)への納入車両は8気筒以下に限られ何故か12気筒は納入されなかった関係で、皇室に遠慮してか日本国内の社長族や大富豪も12気筒車はあえて購入しなかったとのことである。
パッカードの当初の国内輸入元はウィキペディア等では有楽町の三柏商会とされているが、今回ご紹介するカタログには、東洋総代理店「内外興業株式会社」の印字がある。内外興業の住所も麹町区有楽町とあり、同じ有楽町に存在したという三柏商会との関係は不明である。尚、その経緯は不明ながら1931年(昭和6年)にパッカードの輸入元は三和自動車に変更となった。三和自動車は、戦後1953年(昭和28年)よりポルシェの輸入により極めて有名となったが、パッカードについてもその終焉に至るまで輸入代理店を務めた。
●1937年パッカード・エイトと1950年ダットサン・スリフトDS-2型
1959年(昭和34年)3月、宮内庁ガレーヂにて。五十嵐平達氏撮影。入念に手入れをされた宮内庁ガレーヂの車両は何れも新車のような状態にあったが、当時9年落ちのダットサン・スリフトは既に大半が廃車となっていたはずでこの車が日本で最も状態の良い個体であったに違いない。パッカードは今回ご紹介のカタログより12年新しい年式。
【主要スペック】 1925年 パッカード6気筒 セダンリムジン333型 (1925 Packard 6 Series Sedan Limousine Type.333)
ホイールベース3378mm(133インチ)・水冷直列6気筒4735 cc(289cu.in)・最高出力65ps(S.A.E.29.4馬力)・車重1874kg・変速機3速MT・乗車定員7名・最高速度:不明・米国内販売価格$2885(日本国内販売価格:1万5500円※)
※1925年(大正14年)時点の大卒初任給が50円、平均年収700円というデータがあるので、15500円という価格は平均年収の約22倍という計算となり、現在の貨幣価値では1億円前後になるものと思われる。
●1925年パッカード・シックス/エイト総合カタログ (縦13×横18.6cm・日本語44頁)
V12以外のパッカードを掲載した判型は小さいながらも稀少な日本語版カタログ。但し、総頁数の半分近い20頁が「パッカードの良さはそのオーナーに聞け」という宣伝コピーを実践した形の当時の国内愛用者28名によるアンケート回答と写真の掲載となっている。諸元の掲載もあるが車両自体の解説箇所は少なく、購入検討者には本国版の英文カタログと共にこの日本語の冊子を渡す形であったのではないだろうか。アンケートに回答した愛用者の氏名には三越会長の倉知誠夫氏、三菱合資会社代表の江口定條氏、東京市長(現都知事)を務めた阪谷芳郎氏といったウィキペディアで検索できるような人物の名が見られ、その他、日本郵船、鉄道省神戸改良事務所、長野県警、三重県警、栃木県警、奈良ホテルといった法人名でのアンケート回答も掲載されている。警察での購入は県警トップの送迎用だったのだろうか。
表紙にはパッカードの有名な2つのコピーが躍っている。「Ask the Man Who Owns One」の日本誤訳は、「パッカードの眞價は其の所有者に就て聞かるべし」。「Only Packard Can Build a Packard」は「パッカード會社にして初めてパッカードを製造し得」と略されている。この1925年のカタログは2017年現在で発行から92年の時を経ており、当時20歳だった人でも現在はギネス並みの112歳となっている計算となるので、当時この車の販売に携わった人、オーナーとなった人、運転をした人などは全員が鬼籍に入られているはずだが、この時代のパッカードを所有していた華族などの子弟で当時子供であった人の中には、もしかすると現在でも90代半ば前後以上のお歳で御存命の人がおられるかもしれない。
【中頁から】
表紙をめくると現われるのは、「1924年11月9日、パッカード製リバチー飛行機で世界一周をした飛行家6名にシカゴ市長よりパッカード8気筒車が賞品として贈呈された」という内容の記事。
パッカード會社の沿革と現状(全5頁)
警視庁消防部御使用パッカード
【1コマ漫画】
子供「母ちゃん、あれよ。のろいパッカードが来てるじゃありませんか」
母「あれはパッカードじゃありませんよ」
子供「それじゃあの後から来るのがほんとのパッカードでしょう。御覧なさい。何故同じように見えてる自動車で先のは違っているのでしょう。」
母「一つは偽物ですよ。後から来るのがほんとのパッカードで世界中で一番善い自動車なの。パッカード會社だから初めてパッカードが出来るのよ。」
【ポートリコに於ける街童批評の流行言】
「向こうに田舎娘が来た。不別嬪だね」「あら、パッカード。美人だわ・・・・・」
【アンケート設問と回答】(計28件・全20頁)
設問
回答頁例
宮内省御買上
神奈川県警御使用
栃木県警御使用
新潟県警御使用
清水正己氏御使用
6気筒エンジン解説
構造説明(スペック)
1925年式6気筒パッカード幌型(フェートン)
1925年式6気筒パッカード箱型(セダン)
パッカード乗用車定價表
裏表紙: 東京市麹町区有楽町1丁目5番地の東洋総代理店「内外興業株式会社」と芝浦工場、大阪支社、名古屋出張所、大連代理店、京城代理店の住所及び電話番号の印字。
★オマケ(その1): 映画ルーズベルト物語に登場した1925年パッカード243型
★オマケ(その2): レストアされた1925年パッカード・リムジン333型
★オマケ(その3): ホワイトボックス1/43スケール 1976年 トヨタ・ランドクルーザー・ダブルキャブトラック
全長12cm。ダイキャスト製。定価4500円(税抜)。1920年代のパッカードのミニカーは手元に1台もなく、しかしオマケにミニカーがなしは少々寂しいということで、これは最近の新製品です。WHITE BOX品番322732。何ともそそられるミニカーながら限定1000台と少な目なので興味がある向きはお早めに。一緒に写っているのは、これまた新製品のミニチャンプス廉価版MAXICHAMPSの1979年ポルシェ911ターボ3.3(定価税抜4800円)。パッカードと同じく三和自動車が輸入していた時代のポルシェ。
左ハンドル
★2017年トミカ博in横浜 スズキキャリイ豚運搬車ほか ~ 1977年ギフトふるさとシリーズ
★8月10日(木)~20日(日)までの11日間 パシフィコ横浜展示ホールBで開催中のトミカ博2017 in Yokohamaに行ってきましたYO!!
●パシフィコ横浜 2017年トミカ博in横浜の看板
●2017年トミカ博in横浜イベントチラシ (A4判・表裏1枚)
●イベントチラシ裏面の2017年夏の新規販売車種
No.8のマツダRX-7神奈川県警パトカー、No.9のトヨタプリウス赤茶メタ、No.10のUDトラックスクオン「トミカ乳業タンクローリー」、No.11のトヨタFJクルーザー「サファリ仕様」、No.12のランボルギーニ ヴェネーノ青メタ、No.13のスバル360てんとう虫塗装、No.14のBMW i8青メタにフェアレディZコンバーチブル「横浜DeNAベイスターズ×トミカ」を加えた計8車種が今回の横浜で新登場。
★トミカ博では架空車と実在車2種類のうち1台を選べる入場記念トミカの実在車バージョンが昨年はダイハツミゼットMPだったのが今回はUDトラックス・コンドルさん、そして、組立工場3車種のうちの1車種が昨年はいすゞボンネットバスBXさんだったのが今回はランエボⅣ、メルセデスベンツSLS AMG、ダイハツウェイクと私の芸風にピッタリンコのミニカーは何もなかったのですが、惰性で初日についフラフラっと行ってきました。
まあ、しかし、また今年も人が多いこと。ボクは午前8時前に「みなとみらい」に着いて、トミカ博に来る地方や海外在住の人も多く泊まるというインターコンチネンタルホテルで少し休んでから行列に並んだのですが、入場列整理のお兄さんに「早い人は何時から並んでいるのですか?」と伺いましたら、「僕らが会場入りした午前7時にはもう長い行列が出来ていましたので何時から並んでいたのかは判りません」とのお話でした。入場列があまりにも長くなり列の処理が不可能となったためか、初日の開場時間は30分早められて午前9時半には入場が開始されました。例年通り、トミカ組立工場他のアトラクションは全て長蛇の列が出来て1~2時間待ち、レジもまた30分待ち以上という具合なのでした。ボクも耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、例年通りミニカー(トミカ)捕獲大作戦を決行してきたのです。会場をざっと見渡すと未就学児と思われる小さな子供のいる家族連れが9割、コレクターもしくはトミカ転売屋さんらしき大人は人数的には精々1割位でしょうか。それにしても家族連れで子供も一緒に長時間並んで待っている姿にはタマゲます。例年トミカ博で思いますが、ニッポン人は基本皆さん頑張り屋さんで忍耐強いのですね。
そうした行列に並んでいる時に大抵の人はスマホをいじってますが、ボクは行列の中に綺麗な人妻さんを探すのが楽しみでスマホなど全く見ません。まあ大雑把に言って10人に1人位はそこそこ綺麗な奥さん(シングルマザーも?)がいるので、目が合ったりしたらすかさずウインクで返しちゃったりします(嘘)まあ実際のところ、トミカさんよりも大勢の人妻さんを見る方がずっと楽しいのは正直なところですよね。あとは、夫婦で来ている人の場合、どういった物語があってこの二人は夫婦になったのだろうかとか、仲良し夫婦なんて羨ましいなあ、とかボクは行列に並びながら考えたりしている訳なのです☆☆
●トミカ組立工場第19弾 三菱ランサーエボリューションⅣ「待ち時間120分!!」
●トミカ組立工場第19弾「三菱ランサーエボリューションⅣ」 3色
組立工場はイベントトミカと同じく税込1台600円。でも1000円のイベントチケットを買うと100円券11枚綴りの1100円分のチケットを貰えるので、1000円の11枚綴りチケット3枚と100円券のバラ3枚の計3300円で組立工場は6台出来る(1台当り550円)。1回並んで作れるのは1人3台まで。シートは3色選べるうち、一番実車に近いイメージの黒シートばかり3台組立。
●トミカ組立工場第20弾メルセデスベンツSLS AMG「待ち時間100分!」
ランエボ程は待たないにしても1時間40分待ち(汗)・・・と思いつつ、またもやボクは行列に並んだのであった。
●トミカ組立工場第20弾「メルセデスベンツSLS AMG」 3色
シートは3色選べるうち、一番派手な赤シートばかりで3台組立。ガルウィングが開閉するのには、ボクもmaroさん同様ハアハアしちゃいます♪子供の頃にフル開閉アクションのダイヤペット149番のポルシェ911やテクノのEタイプ・ジャガーで遊んだボクの場合、ミニカーって開閉ギミックがあってナンボのモノ、どこも開かないミニカーは全て良くないとも言えませんが、どこも開かないミニカーってつまらないですよね。
ガルウィング開閉
●入場記念トミカ UDトラックス コンドル「TOMICA EXPO TRUCK」さん
●2017年夏 横浜デビューのイベントトミカ8種類
税込1台648円。個人的にはこの8台の中ではUDトラックスクオン「トミカ乳業タンクローリー」が一番そそられます♪イベント限定トミカは360円定価の時代でも500円していましたが、現在も通常品より3割程度も高価なのは謎です。1人同じものを5台まで購入可というトミカ博での購入台数制限は転売のし易さに繋がり少々多過ぎる気がします。実際、カゴ一杯に全て5台ずつ買っているような人も見かけましたが、自分のコレクション用に5台も買わないでしょう。
新車の中で個人的には一番そそられるトミカ乳業タンクローリー♪
●2017年横浜以前にデビューのイベントトミカ2種類
スズキキャリイ豚運搬トラックと三菱ふそうエアロキング「トミカ博オープンルーフバス」。今年、横浜以前のトミカ博でデビューしたこの2台は何とも魅力的でそそられます♪今年のトミカ博のミニカーでは個人的にはイチオシ。
●1970年代のトミカ展示
1970年9月に発売された最初のトミカ6種類
1971年トミカビル(当時定価2800円)
1973年フェアレディZケース(当時定価1300円)
青箱トミカF31-1-12ポルシェ935ターボの貴重な輸出向けワイドホイール仕様
●恒例の実車展示
2017年はスカイライン・デビュー60周年にちなんで、maroさん主宰・赤黒同好会御用達1983年RSターボ(前期)。
スペック
●人の海
出口近くのレジ待ちも30~1時間の長蛇の列。
★オマケ: トミカG-17 ふるさとシリーズ ギフトセット
1977年3月発売。当時定価960円。6-2いすゞBXボンネットバス、38-2トヨタダイナ保冷車、50-2トヨタダイナファームトラック、92-1クボタトラクターの通常品とは仕様違いの4台セット。ボクが高校生の頃に買ったトミカギフト。今年でもう発売から40年!これを買った青春時代に戻れるものなら戻って、もう一度人生やり直したいですよNE(大汗)
★1951年フォード 成功した最初の戦後型 観音クラウンパトカー ~自動車カタログ棚から 357
★今の時期はお盆休みで帰郷中、あるいは国内・海外の旅行中という方も多いことと思います。都内は道路がウソのように空いていて普段からこんなに空いていたらいいのにと思ったりもします。しかし、ここ東京では向こう1週間の最高気温が30度に届かない日が続き天気も曇りか雨の予報となっており、文字通り冷夏の様相を呈していますが、やはり夏は35度を超えるような猛烈な暑さの日が多い方が夏らしいとは言えますよね。これでは、せっかくのお盆休みに海水浴をしてガッツリ日焼けしたいという人など困ってしまいますよNE☆
★自動車カタログの熱心なコレクターさん達にとって、お盆は自動車販売店(カーディーラー)が長期休業だったりするため苦難の日々。カタログ集めに廻れないと嘆いている向きも多いことと思います。
一般にここ日本では自動車販売店で配布される自動車販促用説明冊子のことを古くから「カタログ」(型録)と言っていますが、このカタログという言葉は海外の自動車販売店(カーディーラー)では殆ど通じないようです。カタログ=catalog(US)、catalogue(UK)という言葉は一般に図書館の蔵書目録だとかオークションの出展品目録といった場合に、Library catalog、Auction catalogといった使われ方をし、アメリカでは単にカタログと言う場合には大学要覧を指す場合が多いようです。ですから、アメリカのディーラーに入って「ギブミーカタログ~!」などといきなり言うと「大学要覧ください」の意味となりキチガイかと目を丸くされることが多いようです。しからば、欧米では自動車カタログのことを何と言うのか?というと、一般にはブローシャ(brochure)あるいは少し丁寧に言うならセールス・ブローシャ(Sales brochure)というのが一般的であるようです☆
★閑話休題
今日は1949年式としてデビューした初の戦後型フォード(の最終年式である1951年式フォード)のカタログと共に都内で撮影された1951年式フォードの貴重な写真をご紹介することとしますNE☆☆
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●桜田門・警視庁内庭で撮影された1951年フォード・カスタムライン4ドアセダン6気筒の秘蔵写真
これらの写真に丁寧に書き添えられたキャプションによれば、撮影日は1957年(昭和32年)2月22日、品川(鮫洲)試験場で使用のため1951年フォード6気筒を警視庁に納入、とある。6年落ちのフォードを試験場の教習車もしくは技能試験用車両として購入したのだろうか。時系列的には国産車では初代クラウンとダットサン110は1955年(昭和30年)に既にデビューしているが、プリンス・スカイラインのデビューは翌々月の57年4月であり、まだデビュー前である。当時の他の主要な国産乗用車は日産オースチン、いすゞヒルマン、日野ルノーのノックダウン組だけだった時代である。フルサイズ中型の運転技能検定用に国産車には存在しないサイズのこの大きなフォードが必要であったのかもしれない。フロントフェンダーに「V8」のバッチがないため、V8とシックスの2種が選べた中の6気筒車と判る。当時の6年落ちとしてはすこぶる程度が良さそうな個体である。注目すべきはクラウンRSのボディシェルを使用してF型乃至B型の強馬力エンジンを搭載したパトカー用モンスター・トヨタFH26型乃至BH26型(セントラル自動車架装)の警視庁パトカーが6,7台も写りこんでいることである。1950年代後半(昭和30年代前半)あたりの邦画やニュース映画では比較的見ることの多いパトカーであるが、大抵は1台単独での登場であり、これだけ纏まった台数が一度に写った写真は警視庁内庭での撮影以外では有り得ないのではないだろうか。1枚の写真には車種の判別は出来ないがフォードの左奥にくろがね四起より少し大きそうな4駆タイプの車両とボンネットトラックの姿が確認出来る。
★初の戦後型となったフラッシュサイドの1949年式フォードについて、自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924-2000)は1971年8月30日二玄社発行「フォード2」の中で次のように記している。
「『ヤング・フォードの7200万ドルのギャンブル』。これはニューズウイーク誌1948年6月14日号ビジネス欄の見出しである。この週刊誌が1企業の新車発表に2頁特集することすら異例と言えたが、最初の頁には未来都市から来たようなモダンな車の正面と見るからに若い30歳のヘンリーフォード2世社長、及びGMから引き抜いた新副社長アーネスト・ブリーチの写真が載っていたのを筆者は昨日のごとく記憶している。同じ1948年6月6日号のライフ誌は、このニュー・フォード(人と車の両方を意味するタイトル)特集に5頁を割き、49年型フォードが社長も経営陣も含めて全く新しい車であることを報じていた。
7200万ドルという開発費を注ぎ込んだこの新型は、ヘンリー2世が終戦後の1946年9月から発足させた大計画で、最初はX2900(設計目標とされたポンド重量を意味する)と呼ばれていたが、後に98BAという最終モデルとなり、最初のスケッチが画かれてから僅か14ヶ月でヘンリー2世のOKが出たという。最初の生産車は1948年4月12日にオフラインし、6月18日には各地のディーラーのショールームで公開されたが、これはモデルTをモデルAにモデルチェンジした時以上のビッグチェンジであって、同じものはフォードという名前だけと言われ、ジャーナリズムはヤング・フォードと呼んで、その成功を5分5分としか考えず、エスクワイアー誌などは『親に似ない子』と皮肉った程だが、当のヘンリーはこのモデルに社運を賭けていて、彼は父エドセルの理性と祖父の気骨を兼ね備えたような人物であった。そして1946年にはクライスラーより下に落ちていたフォード社を復活させる大仕事に乗り出ず決心をさせたのはフォード家の威信だと説明し、自分は常に祖父や父ならどうするかを考えて行動していると答えていたが、そのヤング・フォードは立派に成功した。49年型発売後、フォード社は赤字から抜け出し、5年間に売上総額が20年振りでシボレーを上回るに至った。米国の市場シェアでも1950年度にクライスラーを抜き返して24%、1954年度には30%を越して往年の貫録を取戻し、1957年度にはトップシェアとの差を僅か130台まで追い込んで約150万台を生産、1959年度には一時的とはいえ遂にシヴォレーを上回るに至った。現在、ヤング・フォードと呼ばれるのは同名の祖父と区別する以外の意味はなくなっているが、戦後型デビュー時に於いては明らかに三代目若社長への皮肉が込められていたのである。
1949年型フォードはV8と6気筒のエンジンが開発期間の不足で小改良に止められたとはいえ、シャシーとボディは全く新しいポリシィで設計され、往年の有名な楕円のフォードマークすら用いられなかった。前の型と同じなのは車体全長とフロントトレッド位のものとなり、低く長いスタイルは、フォードより早くフラッシュサイドの戦後型を発表していたカイザーやスチュードベーカーと同じスタートラインに立って戦後型競争に参加することとなったが、この大メーカーの新型切換えが世界の自動車設計に影響するところはすこぶる大きく、イギリスでコンサル、西ドイツでタウヌス、フランスではヴデットとなって生産され、ヨーロッパの自動車界を合理的な真の戦後型へと脱皮させたリーダーとなったのである。」
【主要スペック】 1951年フォード・カスタムライン4ドアセダンV8 (1951 Ford Custom Line 4door Sedan V8)
全長5011㎜・全幅1860㎜・全高1620㎜・ホイールベース2896㎜・車重1448kg・FR・水冷V型8気筒SV3923cc・最高出力100ps/3600rpm・変速機3速フォードマチックAT(ボルグワーナー製)/3速MT・前輪独立懸架・乗車定員6名・最高速度133km/h(83mph)・ゼロヨン21.8秒・燃費6.4 km/ℓ
●1951年フォード デラックス&カスタム 本カタログ (縦22.3cm×横29.5cm・英文28頁)
1950年10月発行版。カタログNo.7261。表紙はこの年に初めて採用された自動変速機「FORDOMATIC」が付き意匠も一新されたステアリングを強調し、右に一新されたフロントグリル意匠の判る正面を描いたイラスト。この1951年型までのフォードはまだ前面2枚窓である。1949~1950年型ではグリル中央に派手な砲弾型のクロームが付いていたのが、この1951年型では左右両端に分けられた。エンジンはV-8と6気筒が選べたが、6気筒は新設計のOHV(95ps)ながらV-8(100ps)は何と1932年(昭和7年)より連綿と造られた旧弊なSVで新型V8エンジンが完成する1953年末までにT型フォードの生産台数を超える1600万基も生産された。この時代、大衆車フォードでさえ全長は5mを越えていたのに対し、日本では1965年にデビューした日産プレジデントでさえ(1960年代当時は日本でも随分と大きなクルマが出来たものだと驚いたものだが)、何とかこの時代のフォードに近いサイズというレベルだったのである。このような巨大な自動車を戦前から量産していた国力に雲泥の差があるアメリカに真珠湾で挑んだ大日本帝国の愚かさは言うまでもないことであろう。
【中頁から】
フォードマチックAT新採用
悪路走破性も良い
43の改良点とシャシー
車種バリエーション
2ドアセダン
クラブクーペ
4ドアセダン
ビジネスクーペ
コンバーチブル
木目張りステーションワゴン「カントリースクワイアー」
ツートン塗装のスペシャリティグレード「クレストライナー」。51年後期に2ドア・ハードトップ「ヴィクトリア」がデビューし入れ替えられため、このクレストライナーは51年前期のみの生産に終わった。
ダッシュボードには夥しい数の丸型メーター。
リアビューは1957年にデビューしたトヨタの初代コロナST10型がパクっている。
V-8と6気筒の2種のエンジン
高品質な造り
スペック
裏表紙
★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/20スケール 1956年トヨタパトロール(BH26/FH26型)
これは前にもご紹介していますが、今回の記事で実車写真をアップしたので再度ご紹介します(画像は撮り直しています)。全長21cm。萬代屋品番543。当時定価:不明(調査中)。フリクション駆動。実在する国産パトカーの恐らく最初のモデル玩具。ボンネットサイドのビュイックのような3連楕円のスリットやノーマルとは異なるフロントグリルも忠実にモデル化された萬代屋の傑作。旧字体の警視「廳」の文字にそそられます。本体は実車同様のノーマルのクラウンとは異なるグリルが付いていますが、箱絵のフロントグリルはノーマルのものが描かれています。さすがに実車のように大きなエンジンを搭載するためのフロント部分の延長まではされておらず、ボディサイズはノーマルのクラウンと同一です。姉妹モデルとして、このパトカーと同じBH26/FH26の赤十字マークの付いた白一色の救急車仕様も同時期に販売されています。
警視庁の丁が実車同様に旧字体の「廳」であることに注意
★オマケ(その2): トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ1/64スケール 1959年トヨタ パトロールFS20型(警視庁パトロールカー・移動電話車)
全長7cm。ダイキャスト製。定価:各税抜2500円。品番:警視庁パトカーLV-166a、移動無線車LV-166b。2017年8月発売の新製品。クラウンベースのパトカーのモデル玩具は初代観音の時代からリアルタイムにも沢山出ていますが、実車通りにフロントオーバーハングを延長して造られたのはこれが初めてでしょう。比較写真の通りTLVでは東宝名車座デラックスとしてノーマルクラウンを白黒に塗り替えただけの愛知県警パトカーを出していますが、全長は3~4mmも短い67㎜前後です。
クラウンノーマルベースのパトカーとの比較
★オマケ(その3): 1951年フォード テレビCM
1950年の半ばあたりから流されたと思われるテレビCM。前輪独立サスで悪路走破性の良いことが強調されている。日本でのテレビ放送は1953年(昭和28年)2月1日開始のため、日本では未だテレビが存在しなかった時代のCM。
★1967年 ホンダTN360 バンダイ プラモデル ~ 自動車カタログ棚から 358
★★さて、今日8月20日(日)でお盆休みもお仕舞いという人も多いことと思います。お盆休みは8月11日(金・祝)~20日(日)の10連休という知人や夏は丸2週間連続して仕事を休むことを推奨されているという知人もいますが、日本のサラリーマンの平均は5日程度のものじゃないでしょうか(ワタシは3日だけ)。その点、ニセコのスキー場でペンションを経営している知人などは春~秋の5~10月は要望がない限りは基本閉めていて1年の半分は休みなんていう話もありますが、半年間楽にやっていける位に本業で稼げなければ何か副業でもしなければ厳しいかもですよね。これは例えば映画監督だとか俳優だとかは1作撮れば数年は遊んで暮らせる位の収入が得られるといったケースとも似ていますよNE。
★しかし、ワタシが子供の頃に夏休みと言えば、7月20日に1学期が終わってから9月1日の2学期が始まるまでの40日間というのが普通でしたが、これは実は関東以南のことであって、北海道・東北などの寒冷地では7月21~8月20日までなどと期間が異なるようです。何れにしても学校の夏休みは長いのでクラブ活動を担当しない学校の先生は休みが長くて羨ましいよね~という話になりがちでしたが、現在では授業がなくとも自宅研修は不可で学校に出勤することが原則となっているような噂を聞きます。しかし、授業がなく子供もいないのに学校に出勤して果たして意味があるのか?と内情を知らないワタシなどは不思議に思ったりもしますよNE☆
★閑話休題
今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第358回記事として本田技研の2代目軽トラック・ホンダTN360をご紹介することとしますNE。
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★2016年の自動車メーカー世界ランキングでホンダ(本田技研工業)は生産台数471万台で7位(2輪では首位)となっている。そのホンダ初の四輪は1963年(昭和38年)8月発売の軽トラックT360であった(2012年8月22日 本シリーズ第42回記事参照)。
T360はホンダスポーツ同様の当時としては異例に高出力な30psのDOHCエンジンを搭載していたことから後年レーシングトラックの異名が与えられたが、日常ユースにはピーキーで神経質なエンジンは扱い難く、4連キャブから2連、そしてシングルキャブへと順次デチューンされた。T360には姉妹車として1964年(昭和39年)9月には500cc38psのT500が追加され、併せて16万1215台が生産されたのち、1967年(昭和42年)11月にフルキャブオーバー型TN360にバトンを渡した。
★ホンダTN360は1967年(昭和42年)3月デビューの軽乗用車N360に搭載されたエンジンをベースとした空冷2気筒SOHCユニットを後車軸直前に搭載したミッドシップ・レイアウトを採用した。その他、リアサスペンションはド・ディオンアクスルの独立懸架とするなどホンダらしい個性的なメカニズムを持っていた。30ps/最高速度100kmの性能は前代T360のまま落とされず、高性能かつ扱いやすい軽トラックとして市場に好感を持って迎えられた。
★ホンダTN360の変遷
・1967年(昭和42年)11月・・・発売
・1968年(昭和43年)4月・・・豪華仕様TN360M追加
・1968年(昭和43年)?月・・・パネルバン追加
・1969年(昭和44年)1月・・・TN360デラックス追加
・1969年(昭和44年)4月・・・保安基準改正に合わせシートベルト・ハザードランプを追加
・1969年(昭和44年)?月・・・雪上走行仕様スノーラ追加
・1970年(昭和45年)1月・・・小改良
・1970年(昭和45年)4月・・・TNⅢ360にマイナーチェンジ
・1971年(昭和46年)4月・・・27psに10%落としたTNⅣ360発売
・1972年(昭和47年)5月・・・縦4灯のTN-Ⅴにマイナーチェンジ
・1973年(昭和48年)8月・・・三角窓廃止
・1975年(昭和50年)7月・・・50年排ガス規制適合のTN-7にマイナーチェンジ
・1975年(昭和50年)12月・・・新保安基準対応ボディ強化
・1977年(昭和52年)7月・・・アクティ550にバトンを渡し生産終了
(TNシリーズ総生産台数73万6000台)
【主要スペック】 1967年ホンダTN360軽トラック (1967 Honda TN360 Light Truck)
全長2990㎜・全幅1295㎜・全高1595㎜・ホイールベース1780㎜・ミッドシップ・強制空冷4サイクル2気筒SOHC 354cc・最高出力30ps/8000rpm・最大トルク3.0kg-m/5500rpm・圧縮比8.5・変速機4速MT・乗車定員2名・最大積載量350kg・舗装平坦路燃費25km/ℓ・最小回転半径3800㎜・ボディカラー3色(アストラルブルー・ジンジャーホワイト・エイボングリーン)・鈴鹿工場渡し現金定価29万3000円
●1967年11月 ホンダTN360 リーフレット (A4判・表裏1枚)
左上に「新製品」、右下に「この性能!この価格!29万3000円」(三重県鈴鹿・工場渡し現金価格)の印字。
●1967年11月 ホンダTN360 本カタログ(縦25.5×横26.2cm・8頁)
【中頁から】
広い荷台
低床三方開
室内
SOHCエンジン
重量配分の良いミッドシップレイアウト
図面・スペック・ボディカラー3色
図面・スペック
●1968年4月 ホンダTN360M 専用カタログ(縦24.7×横25cm・2つ折4面)
フロントグリル、バンパーを白塗りからクロームメッキとし、フロントからサイドにかけてクロームのモールを付け、熱線吸収ガラス、ラジオ、バックライトなども装備した豪華仕様。フロントパネル右下に「M」のバッチが付く。
【中面から】
メッキグリル、メッキバンパー、運転席側フロントにMのバッチ
M仕様、プラス3万円の装備一覧
●1968年?月 ホンダTN360パネルバン 専用カタログ(縦25.2×横25.6cm・2つ折4面)
実在する企業のカラーリングを一堂に集めた表紙写真は圧巻。鈴鹿渡し価格は標準車プラス3万円の32万3000円。
ペプシコーラ他
ビクター他
東芝ユニカラーテレビ他
【中面から】
パネルバン4種(後部ドアのみの標準・左スライドドア付SD・左右スライドドア付WD・天井幌のオープンバン)
図面
●1970年4月 ホンダTNⅢ360 簡易カタログ(縦28×横22cm・4つ折8面)
マイナーチェンジでヘッドライトとグリルが繋がったTNⅢデビュー時の簡易カタログ。グレード構成はスタンダード・デラックス・スーパーデラックスの3種となった。ダッシュパネルは丸型2連メーターに変った。
【中面から】
上からスタンダード・デラックス・スーパーデラックス。室内は丸型2連メーターに意匠変更。
リアビュー
●1972年4月 ホンダTNⅤ 簡易カタログ(縦28×横22cm・4つ折8面)
ビッグマイナーチェンジで縦目4灯となり、すっかり印象を変えたTNⅤデビュー時の簡易カタログ。ダッシュパネル等の内装も大きく変更。エンジン出力は27psに落とされた。
【中面から】
ウインカーをオレンジに変更
乗用車然とした角形メーターに意匠変更
★オマケ(その1): バンダイ 1/20スケール ホンダTN360プラモデルの広告
月刊モデルアート1970年3月号掲載。当時、この450円のTN360のプラモと同じバンダイの500円のトヨタ7のプラモとどちらを買うか迷った末にトヨタ7の方を買って作ってしまったため、残念ながらいまだにこのプラモは作ったことがありません。モンキーZ50Mが付いてくるところが味噌。是非再販して欲しいプラモですが、発売から47年も経っては、もう金型がないでしょうね。TN360は当時物ではこのバンダイのプラモ以外にトミカ、光球商会、野村トーイ、サクラペット、近年の物ではエブロの初期型デラックス、トミカリミテッドヴィンテージのTN-Ⅴがあり、商用車としては異例にモデル化に恵まれた車種と言えます。
モンキー付がそそります。
★オマケ(その2): トミカ18-1番 1970年ホンダTNⅢ360トラック
全長5.7cm。ダイキャスト/荷台・幌プラ製。1971年9月発売。当時定価180円。有名なトミカのTN360はヘッドライトとグリルが繋がったTNⅢ360をモデル化(箱の車名表記はTN360トラック)。18番パネルバン「PEPSI」の黄色と白、19番で郵便車と初期トミカのバリエーション拡大に貢献した上、マスコミトミカのケーキ屋ケンちゃんバージョン、近年のイトーヨカードー特注パトカー仕様など現在までにバリエーションは多数。
幌は取り外し式
★オマケ(その3): 野村トーイ 1/9.3スケール 1970年ホンダTNⅢ360トラック
全長32cm・全幅14cm。ブリキ製。当時定価:都内570円・全国630円。野村トーイ製品番号771。ホンダT360を唯一当時モデル化した野村トーイが、TNⅢ360も発売。迫力のサイズ、パーツの多い細かな造りが魅力的な1台。室内の丸型2連メーターも再現されています。実車同様の淡い空色のカラーリングがそそります(色違いとして赤塗装も発売)。幼児が砂場などで遊ぶには大き過ぎるサイズ。この個体は残念ながら左ミラーの上方部分が欠損していますが、右ミラーが無事なので型取りして複製・修復できそうです。
正確に再現された室内プリント
★オマケ(その4): 1970年ホンダTN360 テレビCM
ヘッドライトが独立したMC前のテレビコマーシャル。髪が薄くてニコニコしているオジサンはカタログの表紙にも登場。
★結婚相手の条件 2017 ~ ジョン・レノン「Love」
★定年退職まで残り僅か2年となったこの歳で結婚したいなどと言うと、「頭がおかしい」「気でも狂ったのか」と言われるのが普通ですが、ワタシの場合は、まだまだこれから恋に落ちて結婚もできるはずと夢見ているのですYO☆ (→やはり頭のネジがブッ飛んでますか??)
・・・・・そこで今日はワタシの考える結婚相手の条件を書いてみますYO☆☆
1)美人・・・・・これは外面的なことですが、世の中にはあっと驚くように顔が似ている夫婦が意外にいることから、「美」の感覚は人それぞれだろうと思います。勿論、誰が見ても美人という人もいると思いますが、寧ろポイントとなるのは、笑顔が可愛い、笑顔があったかい、表情が可愛いといった点であって、決して美人でなくとも惹かれることはあります。
2)スタイルが良い・・・・・これも外面的なことですね。相撲取りのような体型の人とかあまりにも痩せた人は苦手です。西欧人や東南アジア系に多いボンキュッボンが理想的ですが日本人には少ないですね。
3)心根が優しい・・・・・これは内面的なことですが、換言すれば、思いやりがある、人の気持ちを考えることが出来るといったことになるでしょう。反対に性格がキツイ、怒るとメチャ怖い、といった人はなるべくなら避けたいところです。
4)言葉遣いがよい・・・・・・これは3)とも連動することと思いますが、不良女子中高生が多用する「スゲー」「ヤベー」「ウチラ」は御法度です。「そうでございますか」「・・・でございますわね」などと過剰に上品では逆に引いてしまいますが、男言葉が自然と出てしまうような人ではなく女性として普通の言葉遣いが出来る人が理想です。
5)音楽に関心がある・・・・・これはワタシの趣味とも関係がありますが、例えば音楽も楽器の音も嫌いという人だと、ピアノやギターを弾くのが趣味のワタシの場合は共同生活が出来ません。ワタシの好きなビートルズやショパンを相手も好きなら理想的ですが、ジャンルを問わず音楽に関心がある人なら取り敢えずはOKです。ワタシの場合、ピアノは基本的に毎日弾きますので、ピアノの音を聴くだけでゾッとするなんて人ではやっていけないでしょう。
6)モノに関心がある・・・・・例えばディズニーグッズ、キティちゃんグッズ、ペコちゃんグッズなどを集めている、あるいはグッズには興味があるといった人なら理想的です。ワタシはミニカーや鉄道模型といったモノを集めるのが趣味ですので、コレクションにある程度理解がある人でないと、ミニカーを買う度に「また買ってきたの!」などと怒られてはやっていけない気がします。
7)自動車に関心がある・・・・・これもワタシの趣味と関係がありますが、クルマ好きである必要はないですが、クルマが大嫌いという人だとやはり共同生活が難しい気がします。
8)収入は不問・・・・・年収ウン億であってもニートで無収入あるいは生活保護受給者であっても全く構いません。
9)年齢は不問・・・・・但し、20歳から65歳位まで。理想としては子供が産める年齢の人ということになりますが(→その歳で子供つくるのか?というツッコミはなしで)、年齢が高くても魅力的な人は世の中大勢いるのであまり拘りません。女性の方が平均寿命は長いことから、ワタシの場合、若い相手ほど一緒に生きることが出来る時間が少なくなる可能性は高いと言えます。例えばワタシがあと30年生きるとして、20歳の女性なら相手が50歳位まで、30歳の女性なら相手が60歳位まで、40歳の女性なら相手が70歳位までといったように、です。しかし、小林麻央さんのように癌で夭折することも有り得ますし、もし30歳年が離れていてもワタシが100歳、相手が70歳で同じ年に死ぬ可能性だってゼロではありません。
10) バツは不問・・・・・バツ3位までの人なら構いません。バツが多い人程、魅力的というのは一面の真理かもしれません。逆にワタシのような戸籍真っ白の誰とも結婚も出来ないバツなしの人間は「クズ」「カス」「負け犬」といった風に言われることが世の中多いと思います。勿論、バツなしの未婚も構いません。但し、未成年の子供が3人いるとかとなると、ちょっと考えてしまう場合もありそうな気がします。
【総括】
以上の事項以外に喫煙者であることあるいは嫌煙者でないことといった条件もあったのですが、現在は禁煙外来もありますので、相手が煙嫌いであれば止めることも出来るので現在はお相手の条件から外しています。飲酒については余程の酒乱でもない限り全く構いません。但し、ワタシが全くお酒を飲まないので飲む人からは一緒に飲んでくれないとつまらないと言われることがあります。あと書き忘れましたが、中卒・高卒・専門学校卒・大卒・大学院卒といった学歴も不問です。但し、ワタシは頭が悪いので東大理Ⅲだとかあまりに高学歴の人では話が噛み合わないかもしれません。
1)~10)のうち、8)~10)は何れも「不問」としているので条件ではないとして、1)~7)は上位の番号ほど重視します。例えば、1)の美人であれば、他の条件は全てアウトであっても可というように、です。勿論、全ての条件をクリアするような人はなかなかいないでしょうから、例えば6)のモノに関心があるという1点のみでも合致すれば仲良くやっていける可能性は大いにあると思います。
しかし、男は度胸、女は愛嬌とはよく言ったもので、例え多少顔の造形が悪くても愛嬌がある人は案外美人に見えるものだという気もしますYO☆☆
さて、みなさんは、以上のように考えているこのワタシが今後結婚できると思いますか??えーっ!何?、絶対無理だって??ワタシは理想が高過ぎますかNE~☆☆☆
Love John Lennon 1970
Lyrics:
Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved
Love is touch, touch is love
Love is reaching, reaching love
Love is asking to be loved
Love is you
You and me
Love is knowing
We can be
Love is free, free is love
Love is living, living love
Love is needing to be loved
Grow Old With Me John Lennon 1980
Lyrics:
Grow old along with me
The best is yet to be
When our time has come
We will be as one
God bless our love
God bless our love
Grow old along with me
Two branches of one tree
Face the setting sun
When the day is done
God bless our love
God bless our love
Spending our lives together
Man and wife together
World without end
World without end
Grow old along with me
Whatever fate decrees
We will see it through
For our love is true
God bless our love
God bless our love
★1967年三菱ふそうT910前2軸大型トラック 高額カタログ ~ 自動車カタログ棚から 355
★東京では梅雨も明けて文字通り盛夏です。みなさんは夏と言えば何を連想しますか??かき氷?アイスクリーム?花火?肝試し?スイカ割り?海?プール?麦わら帽子?冷やし中華?甲子園?高校野球?盆踊り?浴衣?夏の日の恋?などでしょうか。ワタシは今でも東京音頭を聴くと小中学生の頃の夏休みの切ない恋を思い出しますYO。しかし、これだけ暑いと誰しも水が恋しくなって近所の公営プールは1日中混んでいたりもしますYO
★みなさんは職場だとか会合だとかでは挨拶をする方ですか?
ワタシは勤め先では毎朝、「おはようございます!」と必ず挨拶をするのですが、私の声が聞こえているのに完全無視で全く返答しない人、返答があっても蚊の鳴くような聴こえるか聴こえないか判らないレベルの極めて小さな声で「・・・ざいます」と語尾だけが聞こえてくるような人が大半だったりしますYO。派遣のお姉さん達だけは、みなさんキチンと挨拶を返してくれるのですが、しかし、私が面と向かって明るく挨拶をすると普段から「キメー」「ヤベー」「スゲー」「ウチラ」を連発している毎日ジャージで来る40過ぎの独身女性SANなどは逆切れして、「キメーなー」などと言われることもありますYO。そんな時は、「キモくてどうもあいすみません (汗)」と謝ってみるのですがね。そうしますと今度は、「テメー、そういうことを言うところが益々キメーんだよー!」などと言われて収拾がつかない状況になりがちですYO(大汗)。
基本的には、現在の勤め先では朝来る時も声を出さずにヌーッと現れ、帰る時も「お先に失礼します!」などとは言わずに、やはり無言でヌーッといつの間にかいなくなっているという人が大多数(概ね9割以上)という感じなのですYO。私の場合は元々口ベタなのに、例えば、「今日はまた暑いですね」などと何気ないお喋りをしたり、何よりまずは挨拶をしないとどうにも気分が落ち着かないところがありまして、会話でコミュニケーションを取ったり挨拶をしたりしないのが当たり前、会話や挨拶は一切しないという人が大多数という中にいますと、どうにも息が詰まるようで居心地が悪くて仕方がありませんYO(大汗)。
★閑話休題
さて、今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第355回記事として、1967年デビューの2代目三菱ふそうCOE大型トラック前2軸T910型のカタログをご紹介します。併せて最近ヤフオクで予想を遥かに超える高額プライスとなった1970年代の三菱ふそうのトラックカタログを記録として残しておきたいと思います☆☆
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★三菱ふそうの大型キャブオーバートラック(COEトラック)のルーツは1959年(昭和34年)9月に登場した2軸8トン積みのT380型と同年12月に登場した前1軸後2軸11.5トン積みのT390型である。この三菱ふそうの初代大型COEトラックは他社のCOEと同様に既存のボンネット型車をベースとして製作されたもので、エンジン上部が室内中央に大きく突き出していた影響で2名定員であった。
この初代COEトラックは1966年(昭和41年)~1967年(昭和42年)にかけて型式名称は従来型のままで新キャブ・デザインの2代目に順次変更された。この際、エンジンをシート下に納め乗車定員を3名とした。1967年4月には今回ご紹介する前2軸後1軸のT910が新たにデビューした。T910はT911へのMCを経て1973年(昭和48年)12月の三菱ふそう大型COEトラックの3代目F系へのフルモデルチェンジに伴い前2軸車はFT型に進化した。
【主要スペック】1967年 三菱ふそうT910Q型 前2軸11トン積み大型トラック (1967 Mitsubishi-Fuso Truck Type.T910Q)
全長10480㎜・全幅2480㎜・全高2695㎜・ホイールベース6280㎜・荷台長8160㎜・車重7325kg・FR・水冷4サイクル予燃焼室式V型6気筒9955cc三菱6DC20A型エンジン・最高出力200ps/2500rpm・最大トルク67kgm/1200rpm・最大積載量11000kg・乗車定員3名・変速機オーバードライブ付5速MT(2~5速シンクロ付)・電装系12V・燃料タンク容量100ℓ・タイヤサイズ10.00-20-14PR・最小回転半径11600㎜・登坂能力24.0%・最高速度95km/h
●実働中の三菱ふそうT910前2軸大型トラック
Web上で拾ったもので出典や詳細は不明ながら稼働中のいかにも「働くクルマ」といった雰囲気の魅力的な写真です。
●1967年4月? 三菱ふそう11トン大型トラックT910専用カタログ (A4判・日本語12頁)
1967年8月の速度表示灯設置義務化前の初期型T910。1960年代後半の東名高速開通等に備え連続高速走行性能を重視して開発された。新たに開発された10リッターV型6気筒の三菱6DC20A型エンジンは200馬力の高出力を発した。ホイールベースは長短2種あり、5250㎜(全長9320㎜)がT910K型、6280㎜(全長10480㎜)のロングがT910Q型であった。
【中頁から】
概説
3人乗りとなった室内
国際規格のベット(オプション)
運転席
大径スピードメーターの表示は100kmまで
ベンチレータ・ウインド
シャシー解説
片手で楽々操作のティルトキャブ
10リッターV6・200馬力エンジン
エンジン解説
水冷式オイルクーラー、ACジェネレータ、エアクリーナー等解説
タンクローリー等 特装車各種
図面・スペック
図面(T910Qロングホイールベース車)
図面(T910K標準車)
スペック
★オマケ(その1): トミカ7-2他 1/127スケール 三菱ふそうT911前2軸大型トラック各種
全長7.5cm。ダイキャスト/プラ製。当時定価220円~320円。トミカ7-2の三菱ふそうパネルバントラックの発売が1975年3月であるため、3代目FTのモデル化が間に合った時期ながら2代目T911をモチーフとしたようです。フロントウインドは中央で左右に分割されたモールドが入っています。90-1番(後に24-3に改番)の国鉄コンテナトラック、91-1番LPGトラックにも同キャブが流用され、特にパネルバンは横浜高島屋やダイエーの特注品、トラックフェアの限定品など膨大なバリエーションが出ています。今回はすぐに取り出せたものだけをアップします。
黄緑の国鉄コンテナがそそる90-1「ふそうコンテナ運搬車」
24-3ふそうコンテナ運搬車
フロントの造形
★オマケ(その2): 米澤玩具ダイヤペットT-83番 1/60スケール 三菱ふそうT911梯子消防車
全長15cm。ダイキャスト製。当時定価1800円。商品管理番号No.014-01791。1970年代から1990年代半ば頃まで売られていたダイヤペットのロングセラー製品。これはホイールが玩具然とした末期製品。
★オマケ(その3): 1976年三菱ふそう大型トラックの超プレミア・カタログ達
国産大型トラックのカタログは現在1960年代モノより1970年代モノの方が人気が高いにも係わらず絶版自動車カタログ市場での流通量が極端に少なく、10~15年位前までは殆ど人気がなく市場に出ても1部500~1000円程度でゴロゴロしていたのが、最近は1970年代の国産大型トラック人気からカタログも高騰しています。この年代の国産大型トラックのカタログは私も以前は殆ど興味がなく残念ながら値段の安い時期には殆ど購入しなかったため是非入手したいのですが、現在は高価過ぎておいそれとは手が出せないというのが正直なところです。以下のカタログ群は全て最近ヤフオクに出品されたものですが、東京モーターショー開催時に自工会(日本自動車工業会;Japan Automobile Manufacturers Association, Inc.)が業界関係者に乗用車・商用車に分けて国産全メーカーの車種別カタログを網羅し頑丈な表紙を付けて綴じた形で配布していた「カタログ合本」の恐らく1976年版をバラしたもので、表紙と裏表紙に合本バラ特有の貼り跡・剥がし跡が付いているものが大半という状態でした。それでも1部の単価が15000円超えのカタログが多く、100部以上のカタログが綴じられた合本1冊まるごとなら、猛烈な高値がつく計算となります。1970年代半ばあたりの国産大型トラックの含まれている商用車編であればバラして1部ずつ売れば軽く合本1冊7桁(100万円)以上のプライスになる可能性もあるのではないでしょうか。
知合いの60代の自動車カタログコレクターの中にはこの自工会のカタログ合本を1950年代のモノから乗用車編・商用車編の毎年全てを揃いで持っているといった強者もいますが、それはたまたま業界関係者から纏めて譲り受けたものであり、自工会のカタログ合本がバラされないままで市場に出ることは極めて稀です。1970年代の国産車カタログで以下の三菱ふそうトラック群以上の高値が付くものはケンメリGT-R専用カタログの本物(復刻も有)や初代セリカGTの幻の豹柄初版カタログ、各種パトカー等緊急車両のカタログといったあたりしかないのではないでしょうか。但し、個人的には時代の若い1970年代の国産大型トラックのカタログは幾ら絶版カタログ市場での流通量が少ないとはいえ、適正価格は1部3000~5000円程度のものだろうと思います。
●三菱ふそう構内専用ダンプFW型専用カタログ(4つ折)・・・・・19500円 (送料別)
この時代の国産ダンプの専用カタログはメーカー問わず何故か押しなべて人気が高いようです。合本として貼りつけてあった表紙左側がかなり剥がれている状態にしてこの価格。表紙の剥がれがなしの綺麗な状態なら3万円位でしょうか。1976年発行。発行月不明。
●三菱ふそう後2軸FU型大型トラック専用カタログ(22頁)・・・・・16750円 (送料別)
表紙は綺麗な状態ですが裏表紙右側は糊付け跡で剥がれています。1976年8月発行版。
●三菱ふそう前2軸FT型大型トラック専用カタログ(22頁)・・・・・16230円 (送料別)
表紙左側がかなり剥がれている状態です。1976年8月発行版。
●三菱ふそうFP型大型トラック専用カタログ(22頁)・・・・・15150円 (送料別)
表紙は綺麗ですが裏表紙右側は剥がれている状態です。1976年8月発行版。
●三菱ふそう高速トラックトラクタFP型 (8頁)・・・・・15240円 (送料別)
表紙左側がかなり剥がれている状態です。1976年11月発行版。
●三菱ふそうフルトレーラートラック(8頁)・・・・・15110円 (送料別)
これも表紙左側がかなり剥がれている状態です。1976年11月発行版。
●三菱 トラッククレーンキャリヤ K400 ワンサイドキャブ (3つ折)・・・・・14110円 (送料別)
これも表紙左側が少し剥がれ裏表紙の右側は酷く剥がれている状態です。1976年1月発行版。
★ある夏の日の恋の夢 ~ 2017年 夏
★2017年7月26日(水)
朝、いつものように5時過ぎに目覚める。
何故か今朝は夢をリアルによく覚えていた。
それは、こんな夢だった・・・・・
僕は、麻衣と手を繋いで海岸沿いにある遊園地の中を歩いていた。
小麦色の肌に優しい瞳、ちょっと愁いを帯びた表情が何とも魅力的な彼女とどこで出会ったのだったかはサッパリわからない。
僕は彼女と一緒にいるだけで胸がキュンとした。
これが恋というものだろうと思った。
「ポルちゃん、次はメリーゴーランドに乗ろうよ」
「麻衣ちゃん、メリーゴーランドに乗るならお馬さんでなくて2人で並んで座れるのに乗ろうね」
「私、ポルちゃんがピアノで弾く別れの曲がすごく優しくて好きだよ」
「別れの曲だなんて縁起が悪いけど、綺麗なメロディだよね」
「私、ポルちゃんのこと好きだよ」
「僕も麻衣ちゃんが好き」
「私、ポルちゃんに世界一幸せになってもらいたいんだ」
「僕も麻衣ちゃんを世界一幸せにしたい」
「ポルちゃん、ソフトクリーム食べようよ」
「いいね。食べよう。僕、麻衣ちゃんにならヴィトンでも何でも買ってあげたいな」
「ダメダメ、ポルちゃん、そんな無駄遣いしちゃ。私たちの将来に備えて貯金した方がいいよ」
「えっ!将来って麻衣ちゃん、ホントに僕と結婚してくれるの? 」
「もちろん!私はポルちゃん以外の人とは結婚しないよ。だってポルちゃんは世界一優しい人だから」
「ポルちゃん、子供は何人欲しい?」
「そうだな、1人だけだと将来寂しくなるから2人かな。でも、僕は男の子を育てる自信はないから女の子がいいな」
「私は男の子でも女の子でもポルちゃんの子供だったらどっちでもいいよ」
ここで、いきなり夢は場面が変り、僕と麻衣ちゃんは2人でジャグジー風呂に入っていた。
と思ったら、麻衣ちゃんは泡の中に消え姿が全く見えなくなり、僕は只一人で風呂に入っていた。
「麻衣ちゃん、麻衣ちゃん!どこに行ったの!!!」
と、ここで夢が覚めた。
やれやれ、今朝は仕事を始めても、僕はこの切なくもラストの悲しい夢に気分が引きずられていた。
●Michelle The Beatles 1965
★1969年 夏の自作漫画「ドライブ」 ~ siku フェラーリ/ランボルギーニ エスパーダ
★前回の記事「ある夏の日の恋の夢」はその日に見た夢を忘れないうちに記録しておくつもりで寝る前のホンの15分位でアップしたものだったのですが、何とアメブロ人気記事40位!!
どういう基準でそんなに順位が高いのか皆目不明ですが、自動車カタログの記事など下手をすると丸1日かけてアップしている記事よりも遥かに注目度や順位が高いことにビックリです(@_@;) もしかして、ワタシは自動車カタログの記事などを時間をかけて書くよりも、恋の話をさらっと書いた方が一般受けは遙かに良いのかもしれませんNE☆
★しかし、もう7月も終わりですね。8月はお盆の帰省や国内旅行、海外旅行やらで忙しくも楽しい1ヵ月になるという人も多いのでしょうね。ワタシなどは元々東京生まれで帰郷すべき故郷もない上に出不精でして、基本、家で楽器を弾いていたり、ミニカーや自動車や模型や玩具などの旧いカタログを眺めたりしていることの方が多いのですが、やはり近場でもいいのでこの夏の間に風光明媚な場所に一度位は行ってみたい衝動に駆られたりもしますYO☆☆
★閑話休題
さて今日はワタシが小4の夏休み、1969年(昭和44年)の夏に描いた「ドライブ」という漫画絵本をアップしますね。9歳のワタシが描いたモノですから誰が見ても下手糞ですが、この漫画絵本を描いた夏から、この2017年の夏で既に48年の時を経て、ワタシにとってはかけがえのない宝物なのです。こうした子供が作ったモノというのは子供の成長に伴い親が捨ててしまうのが普通なんだろうと思いますが、ワタシの場合は自分で作って気に入っていたモノは自分で長年大切に保存してきたという感じです。ちなみに子供の頃に描いた絵は絵日記など他にもまだまだ沢山大切に保存してあります。そんなモノはワタシ以外の人にとっては価値ゼロ間違いなしですが、ワタシにとっては子供の頃をリアルに思い出すことが出来る宝物なんですYO。ジョン・レノンも子供の頃の絵を残していて、それらは数千万といったプライスが付きますが、ワタシのような一般人の場合にはもし死んでしまえば子供の頃の絵などゴミとして捨てられることはまず間違いないでしょう。
・・・という訳で今回は殆ど自分の思い出のためだけにアップするような記事となりますので、興味のない方はガンガンスルーしてくださいNE☆☆☆
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★漫画絵本「ドライブ」 (B5判・水彩16頁)
製作時期:1969年(昭和44年)8月。製作者:ポルシェ356A(アメブロネーム)。製作時の年齢:9歳10ヵ月。基本的に1頁を上下で2分割して1コマをB6(B5の半分)のサイズで作成してあります。登場する赤いスポーツカーは下手糞ながら、そのプロポーションは1960年代らしいロングノーズ・ショートデッキで丸いテールライトは日本車で言えばS54のスカG、欧州車ではフェラーリなどに影響を受けている感じがします。メクラ面積の広いリアクォーターは初代ムスタング(マスタング)のファーストバックやロータスヨーロッパ風、ヘッドライトは1960年代のフェラーリ風です。
●表紙
【中頁】
前の日、ドライブの相談(地図を見てルートを決める)
次の日
ブイーン 「行ってらっしゃい」 「行ってきます」
「人が多いな」
ブイーン 「やっと静かな所に来たぞ」
「あっ、パンクだ。」
「海だ。綺麗だな、釣りをしよう。」
~釣りをしている時、海の中で魚の友情~
(1)「食べようかな」
(2)「やめな」
(3)「ジョキ ジョキ」
(4)「ザリガニさん、ありがとう。」
「工事中だ」
ウ~ウ~ 「まてっ」 「あっ、白バイだ~」
「凄い森だ」
「あっ、故障だ。」
「直った」
トンネルに入る
「?」 (どれがどれ)
「やっとトンネルを出た。」
「ガソリンが切れた。」
エッソのガソリンスタンドで給油
チンチンチン 「踏切だ。」
「お帰りなさい。」 「ただいま。」
寝る 「グーグー~」
夢の中で・・・
ブイーン・・・衝突しそう!
ガチャン・・・夢で車が衝突
ギャー 「なんだ、夢か。」
―終り―
●裏表紙 (タイヤ&ホイールの絵)
★オマケ(その1): siku 小スケール フェラーリベルリネッタ275/GTBとランボルギーニ400GTエスパーダ
何れも全長約8cm。ダイキャスト製。品番:フェラーリV269、ランボルギーニV317。1960年代後半~1970年代初頭の製品。何れも後年はレタリングホイールに変更されて販売されています。国内当時定価230円。エスパーダはじゅんいちさんからのギフト品(嬉)。淡い水色のボディカラーが泣かせます。今回の漫画絵本の赤いスポーツカーのプロポーションはこのフェラーリに近い気がします。
フェラーリベルリネッタ275/GTB
ランボルギーニ400GTエスパーダ
★オマケ(その2): ひみつのアッコちゃん 1969
この漫画絵本を描いた年に放送されていたアニメ。原作:赤塚不二夫(1935年9月14日―2008年8月2日)。主題歌は文句なしの名曲だと思います。作詞: 井上ひさし、山元護久 / 作曲: 小林亜星 / 歌: 岡田恭子。ひみつのアッコちゃんは、1969年1月6日から1970年10月26日までNET系列で放送された、魔法使いサリーに続く東映魔女っ子シリーズの第2作。80年代にもリメイクされて幅広い世代に知られているアニメですね。「魔法使いサリー」も「ひみつのアッコちゃん」もその後の「魔法のマコちゃん」も私はよく観ていました。本来は女の子向けのアニメだったのかもしれませんが、小学校の時のクラスメイトは男の子もみんなが観ていた気がします。
★甘辛人生劇場「懐かし屋」1960年代専門店 ~ 阿佐ヶ谷移転新店舗 ~ 米澤玩具スバルサンバー
★都内(≒日本国内)でブリキやソフビなどアンティークトイ(骨董玩具=古いオモチャ)を扱う専門店の草分けはどこかと言うと、南青山のM氏主宰の「ビリケン商會」と下北沢のU氏主宰の「懐かし屋」あたりとなるだろうか。
何れも1970年代半ばから後半にかけて店舗主宰の現在のオーナーが未だ20代後半だった頃のオープンで2017年現在で既に40年の時を経ている。御茶ノ水から聖橋を渡った先の湯島の坂の途中に「ハニポート」という店もあったが店主の他界により廃業して既に久しい。ビリケン商會はM氏と共に「こち亀」にも登場したことがあるが、その頃の昔ながらの買取り中心のアンティークトイショップの形態から脱却し現在ではオリジナルの怪獣製品や現代アート作家モノの方面にも事業を拡げ盛業であることはよく知られている。一方、下北沢は懐かし屋を皮切りに高田馬場の「ねずみ小僧」が下北沢に移転して店名変更した「ヒーローズ」、最近店舗営業を停止した「オムライス」、店主の他界により廃業した「2丁目3番地」など、かつての下北沢は謂わばアンティークトイ専門店のメッカの如くの様相を呈していた。
私自身、下北沢ではどの店でも1980年代から、かなりの数のアンティークトイ(但し殆どは自動車の旧い玩具)の買い物をした。ヤフオクのようなインターネット・オークションのなかった時代、こうしたアンティークトイ専門店やミニカー専門店、骨董市を廻る以外に旧い玩具は入手する術がなかったのだ。しかし、現代はネットオークションで家に居ながらにして逸品・珍品が入手できる時代になった影響でアンティークトイを店舗営業で売るメリットが薄くなりつつあるようだ。それでも尚、ブラっと入った店で捜していた想い出の品を見つけた時の喜びというのは格別なものがある。現在でも骨董ジャンボリーに代表される所謂骨董市やフリーマーケットで思わぬ掘り出し物に巡り合うといった機会は残されてはいるものの、自分の足で捜し回るよりもネットオークションで入手する方が手っ取り早いと考えているコレクターは多いことだろう。
★長年、下北沢で営業してきた「懐かし屋」が下北沢駅周辺の大規模な再開発の影響でこれまでの店舗での営業継続が不可能となり阿佐ヶ谷に移転したと聞き先日訪ねてみた。
下北沢時代の2階にあった店舗と同程度の広さの新店舗はJR阿佐ヶ谷駅から中杉通りを北に10分程歩いた中杉通り沿いの1Fにある。急な階段を登って息を切らして入る形だった下北沢時代の店舗よりもずっと入りやすく、周辺には大手チェーン店ではない普通の街の古本屋さんや骨董屋さんもあり、また1駅隣のJR高円寺の高架下にはK氏主宰のアンティークトイショップ「ゴジラや」もあるので、休日に纏めてブラブラ廻ってみるのも一興だろう。現在は営業時間が短く何れも午後6時閉店であることに注意されたい。夏場など暗くなるのが遅いので、時計も見ずにまだ明るいからと行ってみたら既に閉店していたということになるので要注意である。
【懐かし屋】阿佐ヶ谷新店舗
住所: 東京都杉並区阿佐ヶ谷北4-9-20-102
営業時間:午後1時~6時
定休日:火曜日
東京・新宿方面から中央線で来た場合、右手の北口に降りる。
北口を出るとすぐに関東バスのバスターミナルとイトーヨーカドーが見える。
私が子供の頃から変わらない関東バスのカラーリングにはそそられます♪
中央線と垂直に交わる中杉通りを北に歩くと、まず右手に世尊院正覚寺。
やがて歩道橋があり、左手にお地蔵さまとお墓が見える。
右手に阿佐ヶ谷神明宮。
左右に樹木が多くなり道は下り坂となる。
左手にホンダの看板。
出た!!「懐かし屋」の阿佐ヶ谷新店舗!
凝った木製の看板。
※店内は残念ながら撮影不可ですが、自動車・飛行機などのブリキ、怪獣系ソフビ、ミニカー、看板、果ては初期型のホンダモンキーの本物まで売り物として置いてあります。
★オマケ: 米澤玩具1/14スケール 1961年スバルサンバートラック (型式K151)
全長21.5cm、全幅9.5cm。ブリキ製。当時定価:全国190円。この米澤の初代サンバーは私が3才の頃に遊んだ思い出の玩具で、その子供の頃に持っていたモノは砂場で遊ぶなどして玩具としての使命を全うして消滅してしまったのだが、これに再会できたのは30年の時を経た1990年代前半の下北沢時代の「懐かし屋」に於いてであった。元箱がないにも係わらず国産大衆車の5年落ち位の中古が楽に買えそうなプライスに大いに悩みつつも、思い出はお金には換えられないと考え、腹をくくって購入。アンティークトイショップでは、どこの店でもよく店主から「お金は働けばまた稼げるけど、古い貴重な思い出のオモチャは売れてしまったらもう二度と手に入らないですよ」と言われたものだが、それが殺し文句となっていたとも言える。しかし、その後、この米澤の初代サンバーはズタボロのジャンクを含めても3台位しか見ておらず、オリジナルの「箱」に至ってはいまだに一度も見たことがなく幻である(もし箱付のこの米澤の初代サンバーをお持ちの方がおられましたら是非画像を拝見させてください)。
このサンバーは、先に発売されていた「くろがねベビー」の金型を改修した安直な製品ながら、リアルタイムに造られた初代サンバーの唯一の立体造形物として非常に貴重な存在である。ちなみに、最初に発売された「くろがねベビー」の方は幌付き・幌なしの2種があり、何れも時たま箱付ミントがヤフオクなどに現れるのだが、サンバーは元々の生産数が少なかったのか、個人的には箱付を一度も見ていないのである。
一緒に写っているのは大きさ比較用のトミーテック1/64スケールTLVの初代サンバーバン後期型。
室内: インパネ中央に桜にYの字の米澤マーク
★1925年 パッカード 戦前 日本語版カタログ ~ 自動車カタログ棚から 356
★8月に入りましたね。しかし、ここ東京は蒸し暑いです。72年前に広島に原爆が投下された今日2017年8月6日の東京の最高気温は35度の予報ですので夏本番ですね☆
この暑さでも年金暮らしのウチのハス向かいの家は昭和30年代初頭に建てた家で、いまだにエアコンはなく南北の窓を1日中全開にして扇風機を廻していたりしますYO
★ボクが初めて人妻に惚れたのは、1966年(昭和41年)、小1の時のクラスメートK君の家に遊びに行った時であった。K君の御父様は誰もが知る有名企業のオーナー社長で文字通り御殿のように大きく、しかし洋風でとても洒落た造りの家に住んでいた。アニメちびまる子ちゃんに出てくる花輪君の家をちょっと小さくした感じといえばイメージ出来るだろうか。K君の家に行くと御母様がバヤリスオレンジなどを出してくれたのだが、その御母様に小1のボクは一目見て惚れてしまった。というか、心臓がドキドキした。日本人離れした美貌は恐らくハーフかクォーターだったのでは?と今になって思うのだが、社長になれば大きな御屋敷に住んで、あんな綺麗な奥さんが貰えるんだと子供のボクは思ったものだった。
ところが、会社社長でなく、ボクのウチの近所のクリーニング屋さんの奥様と御嬢様がまた物凄い美人だったのである。御主人はスポーツ刈りでシャキシャキとして妙に早口で口数が多くて元気がよく、いかにも男気も覇気もあるといった感じの人だったのだが、会社の社長でもない個人商店なのにあんなに綺麗な奥さんが貰えることもあるのか!と子供だったボクは不思議に思ったりしたものだった☆☆
★閑話休題
今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第356回記事として、1925年(大正14年)のパッカード日本語版カタログをピックアップします。こんな古いクルマには興味がない、もっと新しい年代のクルマのカタログをアップして欲しいとお叱りを受けそうですが、情報の稀少性の観点から、例え見る人が殆どいなくとも戦前の物はなるべく優先的にWeb上にアップしておこうと思います。実は356回目ということで、ポルシェ356関係のカタログでとも思ったのですが、過去に手持ちのポルシェ356のカタログは既に大半を御紹介してしまっていますので、日本ではポルシェと同じ三和自動車が輸入していたという理由を無理矢理付けることとして今回は戦前のパッカードをアップすることとしますNE☆☆
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★自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924~2000)はネコ・パブリッシングの月刊誌スクランブルカーマガジン(後のカーマガジン)1981年4月号に掲載された「人力車と日本人とパッカード」と題する記事の中で「現在の若い人々でもその車名を知らぬ人は居ないだろう」と書かれている。しかし、その記事の掲載から36年を経た2017年現在ではパッカードと聞いて自動車のブランドを連想する人は少なく、むしろPCのヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard Company)を連想する人の方が多いのではあるまいか。
★「パッカードの良さはオーナーに聞け」(Ask the Man Who Owns One)という宣伝コピーほど自信に満ちてフェアなものはないだろう。
19世紀末(1899年)の創業したパッカードはこの有名なコピーを用いて高級車市場での業績を伸ばした。1935年(昭和10年)に廉価版120を出すまでのパッカードは映画スターや大富豪が主な顧客であったが、中流向けの廉価版を販売したことは、ロールス・ロイスのように絶対的な高級車であり続けたパッカードのブランドイメージを大きく低下させる結果となり、戦後の凋落、ひいては、あろうことか1957年(昭和32年)にスチュードベーカーのOEMによる兄弟車となった後、1958年(昭和33年)のパッカード・ブランド自体の消滅に繋がった。創業から数えて約60年でパッカード・ブランドはその歴史に終止符を打ったのである。
★戦前の自動車界に於いてロールス・ロイス、イスパノ・スイザ、ピアスアロウ、キャデラック、メルセデス・ベンツなどと並ぶ高級車の代表的なブランドであったパッカードは、戦前の日本においても高級車の代表格であり皇室、華族、警察を含む官公庁の公用車、大企業の社用車等として相当な台数が輸入された。
CG初代編集長 小林彰太郎氏(1929年11月12日-2013年10月28日)の著作によれば、1930年(昭和5年)の東京にパッカードは254台も登録されていたという。トラック・バスも含めた東京の自動車登録台数が21063台だった時代の話である。何と100台に1台以上がパッカードだったことになる。ちなみに現在2017年の東京の自動車登録台数は1930年の210倍の442万台程度であり、単純に全自動車の100分の1強という比率で現在の東京に置き換えれば、東京の街に5万台近いパッカードが走っているという計算になる。それに対して1930年の東京にキャデラックは僅か66台、リンカーンに至っては28台のみの登録であったという。当時、既にキャデラックは日本GMが、リンカーンは日本フォードが設立されていたにも関わらず、である。いかに戦前の日本でパッカードが高級車として人気が高かったかが分かる数字である。戦前、多数国内登録されたパッカードだが、車齢を重ねた戦後は1960年代に至るまで持ち前の頑丈な造りから霊柩車に改造されて余生を送る例が多かった。
★パッカードは1915年(大正4年)にV12エンジンを搭載して登場したのち、日本には1920年代に入って6気筒及び8気筒車の輸入が開始された。
五十嵐平達氏の著作に宮内庁への納入は1930年頃からとの記述があるが、今回ご紹介する1925年のカタログに宮内省御納入車の写真が掲載されており、五十嵐氏の記述より早い輸入極く初期の段階から皇室にもパッカードが入った模様である。但し、五十嵐氏の著作によれば宮内省(現宮内庁)への納入車両は8気筒以下に限られ何故か12気筒は納入されなかった関係で、皇室に遠慮してか日本国内の社長族や大富豪も12気筒車はあえて購入しなかったとのことである。
パッカードの当初の国内輸入元はウィキペディア等では有楽町の三柏商会とされているが、今回ご紹介するカタログには、東洋総代理店「内外興業株式会社」の印字がある。内外興業の住所も麹町区有楽町とあり、同じ有楽町に存在したという三柏商会との関係は不明である。尚、その経緯は不明ながら1931年(昭和6年)にパッカードの輸入元は三和自動車に変更となった。三和自動車は、戦後1953年(昭和28年)よりポルシェの輸入により極めて有名となったが、パッカードについてもその終焉に至るまで輸入代理店を務めた。
●1937年パッカード・エイトと1950年ダットサン・スリフトDS-2型
1959年(昭和34年)3月、宮内庁ガレーヂにて。五十嵐平達氏撮影。入念に手入れをされた宮内庁ガレーヂの車両は何れも新車のような状態にあったが、当時9年落ちのダットサン・スリフトは既に大半が廃車となっていたはずでこの車が日本で最も状態の良い個体であったに違いない。パッカードは今回ご紹介のカタログより12年新しい年式。
【主要スペック】 1925年 パッカード6気筒 セダンリムジン333型 (1925 Packard 6 Series Sedan Limousine Type.333)
ホイールベース3378mm(133インチ)・水冷直列6気筒4735 cc(289cu.in)・最高出力65ps(S.A.E.29.4馬力)・車重1874kg・変速機3速MT・乗車定員7名・最高速度:不明・米国内販売価格$2885(日本国内販売価格:1万5500円※)
※1925年(大正14年)時点の大卒初任給が50円、平均年収700円というデータがあるので、15500円という価格は平均年収の約22倍という計算となり、現在の貨幣価値では1億円前後になるものと思われる。
●1925年パッカード・シックス/エイト総合カタログ (縦13×横18.6cm・日本語44頁)
V12以外のパッカードを掲載した判型は小さいながらも稀少な日本語版カタログ。但し、総頁数の半分近い20頁が「パッカードの良さはそのオーナーに聞け」という宣伝コピーを実践した形の当時の国内愛用者28名によるアンケート回答と写真の掲載となっている。諸元の掲載もあるが車両自体の解説箇所は少なく、購入検討者には本国版の英文カタログと共にこの日本語の冊子を渡す形であったのではないだろうか。アンケートに回答した愛用者の氏名には三越会長の倉知誠夫氏、三菱合資会社代表の江口定條氏、東京市長(現都知事)を務めた阪谷芳郎氏といったウィキペディアで検索できるような人物の名が見られ、その他、日本郵船、鉄道省神戸改良事務所、神奈川県庁、長野県庁、三重県庁、栃木県庁、奈良ホテルといった法人・役所名称でのアンケート回答も掲載されている。県庁での購入は県知事の送迎用だったのだろうか。
表紙にはパッカードの有名な2つのコピーが躍っている。「Ask the Man Who Owns One」の日本誤訳は、「パッカードの眞價は其の所有者に就て聞かるべし」。「Only Packard Can Build a Packard」は「パッカード會社にして初めてパッカードを製造し得」と略されている。この1925年のカタログは2017年現在で発行から92年の時を経ており、当時20歳だった人でも現在はギネス並みの112歳となっている計算となるので、当時この車の販売に携わった人、オーナーとなった人、運転をした人などは全員が鬼籍に入られているはずだが、この時代のパッカードを所有していた華族などの子弟で当時子供であった人の中には、もしかすると当時乗車したことがあり現在でも90代半ば前後以上のお歳で御存命の人がおられるかもしれない。
【中頁から】
表紙をめくると現われるのは、「1924年11月9日、パッカード製リバチー飛行機で世界一周をした飛行家6名にシカゴ市長よりパッカード8気筒車が賞品として贈呈された」という内容の記事。
パッカード會社の沿革と現状(全5頁)
警視庁消防部御使用パッカード
【1コマ漫画】
子供「母ちゃん、あれよ。のろいパッカードが来てるじゃありませんか」
母「あれはパッカードじゃありませんよ」
子供「それじゃあの後から来るのがほんとのパッカードでしょう。御覧なさい。何故同じように見えてる自動車で先のは違っているのでしょう。」
母「一つは偽物ですよ。後から来るのがほんとのパッカードで世界中で一番善い自動車なの。パッカード會社だから初めてパッカードが出来るのよ。」
【ポートリコに於ける街童批評の流行言】
「向こうに田舎娘が来た。不別嬪だね」「あら、パッカード。美人だわ・・・・・」
【アンケート設問と回答】(計28件・全20頁)
設問
回答頁例
宮内省御買上
神奈川県庁御使用
栃木県庁御使用
新潟県庁御使用
清水正己氏御使用
6気筒エンジン解説
構造説明(スペック)
1925年式6気筒パッカード幌型(フェートン)
1925年式6気筒パッカード箱型(セダン)
パッカード乗用車定價表
裏表紙: 東京市麹町区有楽町1丁目5番地の東洋総代理店「内外興業株式会社」と芝浦工場、大阪支社、名古屋出張所、大連代理店、京城代理店の住所及び電話番号の印字。
★オマケ(その1): 映画ルーズベルト物語に登場した1925年パッカード243型
★オマケ(その2): レストアされた1925年パッカード・リムジン333型
★オマケ(その3): ホワイトボックス1/43スケール 1976年 トヨタ・ランドクルーザー・ダブルキャブトラック
全長12cm。ダイキャスト製。定価4500円(税抜)。1920年代のパッカードのミニカーは手元に1台もなく、しかしオマケにミニカーがなしは少々寂しいということで、これは最近の新製品です。WHITE BOX品番322732。何ともそそられるミニカーながら限定1000台と少な目なので興味がある向きはお早めに。一緒に写っているのは、これまた新製品のミニチャンプス廉価版MAXICHAMPSの1979年ポルシェ911ターボ3.3(定価税抜4800円)。パッカードと同じく三和自動車が輸入していた時代のポルシェ。
左ハンドル
★2017年トミカ博in横浜 スズキキャリイ豚運搬車ほか ~ 1977年ギフトふるさとシリーズ
★8月10日(木)~20日(日)までの11日間 パシフィコ横浜展示ホールBで開催中のトミカ博2017 in Yokohamaに行ってきましたYO!!
●パシフィコ横浜 2017年トミカ博in横浜の看板
●2017年トミカ博in横浜イベントチラシ (A4判・表裏1枚)
●イベントチラシ裏面の2017年夏の新規販売車種
No.8のマツダRX-7神奈川県警パトカー、No.9のトヨタプリウス赤茶メタ、No.10のUDトラックスクオン「トミカ乳業タンクローリー」、No.11のトヨタFJクルーザー「サファリ仕様」、No.12のランボルギーニ ヴェネーノ青メタ、No.13のスバル360てんとう虫塗装、No.14のBMW i8青メタにフェアレディZコンバーチブル「横浜DeNAベイスターズ×トミカ」を加えた計8車種が今回の横浜で新登場。
★トミカ博では架空車と実在車2種類のうち1台を選べる入場記念トミカの実在車バージョンが昨年はダイハツミゼットMPだったのが今回はUDトラックス・コンドルさん、そして、組立工場3車種のうちの1車種が昨年はいすゞボンネットバスBXさんだったのが今回はランエボⅣ、メルセデスベンツSLS AMG、ダイハツウェイクと私の芸風にピッタリンコのミニカーは何もなかったのですが、惰性で初日についフラフラっと行ってきました。
まあ、しかし、また今年も人が多いこと。ボクは午前8時前に「みなとみらい」に着いて、トミカ博に来る地方や海外在住の人も多く泊まるというインターコンチネンタルホテルで少し休んでから行列に並んだのですが、入場列整理のお兄さんに「早い人は何時から並んでいるのですか?」と伺いましたら、「僕らが会場入りした午前7時にはもう長い行列が出来ていましたので何時から並んでいたのかは判りません」とのお話でした。入場列があまりにも長くなり列の処理が不可能となったためか、初日の開場時間は30分早められて午前9時半には入場が開始されました。例年通り、トミカ組立工場他のアトラクションは全て長蛇の列が出来て1~2時間待ち、レジもまた30分待ち以上という具合なのでした。ボクも耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、例年通りミニカー(トミカ)捕獲大作戦を決行してきたのです。会場をざっと見渡すと未就学児と思われる小さな子供のいる家族連れが9割、コレクターもしくはトミカ転売屋さんらしき大人は人数的には精々1割位でしょうか。それにしても家族連れで子供も一緒に長時間並んで待っている姿にはタマゲます。例年トミカ博で思いますが、ニッポン人は基本皆さん頑張り屋さんで忍耐強いのですね。
そうした行列に並んでいる時に大抵の人はスマホをいじってますが、ボクは行列の中に綺麗な人妻さんを探すのが楽しみでスマホなど全く見ません。まあ大雑把に言って10人に1人位はそこそこ綺麗な奥さん(シングルマザーも?)がいるので、目が合ったりしたらすかさずウインクで返しちゃったりします(嘘)まあ実際のところ、トミカさんよりも大勢の人妻さんを見る方がずっと楽しいのは正直なところですよね。あとは、夫婦で来ている人の場合、どういった物語があってこの二人は夫婦になったのだろうかとか、仲良し夫婦なんて羨ましいなあ、とかボクは行列に並びながら考えたりしている訳なのです☆☆
●トミカ組立工場第19弾 三菱ランサーエボリューションⅣ「待ち時間120分!!」
●トミカ組立工場第19弾「三菱ランサーエボリューションⅣ」 3色
組立工場はイベントトミカより消費税分が安い税込1台600円。でも1000円のイベントチケットを買うと100円券11枚綴りの1100円分のチケットを貰えるので、1000円の11枚綴りチケット3枚と100円券のバラ3枚の計3300円で組立工場は6台出来る(1台当り550円)。1回並んで作れるのは1人3台まで。シートは3色選べるうち、一番実車に近いイメージの黒シートばかり3台組立。
●トミカ組立工場第20弾メルセデスベンツSLS AMG「待ち時間100分!」
ランエボ程は待たないにしても1時間40分待ち(汗)・・・と思いつつ、またもやボクは行列に並んだのであった。
●トミカ組立工場第20弾「メルセデスベンツSLS AMG」 3色
シートは3色選べるうち、一番派手な赤シートばかりで3台組立。ガルウィングが開閉するのには、ボクもmaroさん同様ハアハアしちゃいます♪子供の頃にフル開閉アクションのダイヤペット149番のポルシェ911やテクノのEタイプ・ジャガーで遊んだボクの場合、ミニカーって開閉ギミックがあってナンボのモノ、どこも開かないミニカーは全て良くないとも言えませんが、どこも開かないミニカーってつまらないですよね。
ガルウィング開閉
●入場記念トミカ UDトラックス コンドル「TOMICA EXPO TRUCK」さん
●2017年夏 横浜デビューのイベントトミカ8種類
税込1台648円。個人的にはこの8台の中ではUDトラックスクオン「トミカ乳業タンクローリー」が一番そそられます♪イベント限定トミカは360円定価の時代でも500円していましたが、現在も通常品より3割程度も高価なのは謎です。1人同じものを5台まで購入可というトミカ博での購入台数制限は転売のし易さに繋がり少々多過ぎる気がします。実際、カゴ一杯に全て5台ずつ買っているような人も見かけましたが、自分のコレクション用に5台も買わないでしょう。
新車の中で個人的には一番そそられるトミカ乳業タンクローリー♪
●2017年横浜以前にデビューのイベントトミカ2種類
スズキキャリイ豚運搬トラックと三菱ふそうエアロキング「トミカ博オープンルーフバス」。今年、横浜以前のトミカ博でデビューしたこの2台は何とも魅力的でそそられます♪今年のトミカ博のミニカーでは個人的にはイチオシ。
●1970年代のトミカ展示
1970年9月に発売された最初のトミカ6種類
1971年トミカビル(当時定価2800円)
1973年フェアレディZケース(当時定価1300円)
青箱トミカF31-1-12ポルシェ935ターボの貴重な輸出向けワイドホイール仕様
●恒例の実車展示
2017年はスカイライン・デビュー60周年にちなんで、maroさん主宰・赤黒同好会御用達1983年RSターボ(前期)。
スペック
●人の海
出口近くのレジ待ちも30~1時間の長蛇の列。
★オマケ: トミカG-17 ふるさとシリーズ ギフトセット
1977年3月発売。当時定価960円。6-2いすゞBXボンネットバス、38-2トヨタダイナ保冷車、50-2トヨタダイナファームトラック、92-1クボタトラクターの通常品とは仕様違いの4台セット。ボクが高校生の頃に買ったトミカギフト。今年でもう発売から40年!これを買った青春時代に戻れるものなら戻って、もう一度人生やり直したいですよNE(大汗)
★1951年フォード 成功した最初の戦後型 観音クラウンパトカー ~自動車カタログ棚から 357
★今の時期はお盆休みで帰郷中、あるいは国内・海外の旅行中という方も多いことと思います。都内は道路がウソのように空いていて普段からこんなに空いていたらいいのにと思ったりもします。しかし、ここ東京では向こう1週間の最高気温が30度に届かない日が続き天気も曇りか雨の予報となっており、文字通り冷夏の様相を呈していますが、やはり夏は35度を超えるような猛烈な暑さの日が多い方が夏らしいとは言えますよね。これでは、せっかくのお盆休みに海水浴をしてガッツリ日焼けしたいという人など困ってしまいますよNE☆
★自動車カタログの熱心なコレクターさん達にとって、お盆は自動車販売店(カーディーラー)が長期休業だったりするため苦難の日々。カタログ集めに廻れないと嘆いている向きも多いことと思います。
一般にここ日本では自動車販売店で配布される自動車販促用説明冊子のことを古くから「カタログ」(型録)と言っていますが、このカタログという言葉は海外の自動車販売店(カーディーラー)では殆ど通じないようです。カタログ=catalog(US)、catalogue(UK)という言葉は一般に図書館の蔵書目録だとかオークションの出展品目録といった場合に、Library catalog、Auction catalogといった使われ方をし、アメリカでは単にカタログと言う場合には大学要覧を指す場合が多いようです。ですから、アメリカのディーラーに入って「ギブミーカタログ~!」などといきなり言うと「大学要覧ください」の意味となりキチガイかと目を丸くされることが多いようです。しからば、欧米では自動車カタログのことを何と言うのか?というと、一般にはブローシャ(brochure)あるいは少し丁寧に言うならセールス・ブローシャ(Sales brochure)というのが一般的であるようです☆
★閑話休題
今日は1949年式としてデビューした初の戦後型フォード(の最終年式である1951年式フォード)のカタログと共に都内で撮影された1951年式フォードの貴重な写真をご紹介することとしますNE☆☆
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●桜田門・警視庁内庭で撮影された1951年フォード・カスタムライン4ドアセダン6気筒の秘蔵写真
これらの写真に丁寧に書き添えられたキャプションによれば、撮影日は1957年(昭和32年)2月22日、品川(鮫洲)試験場で使用のため1951年フォード6気筒を警視庁に納入、とある。6年落ちのフォードを試験場の教習車もしくは技能試験用車両として購入したのだろうか。時系列的には国産車では初代クラウンとダットサン110は1955年(昭和30年)に既にデビューしているが、プリンス・スカイラインのデビューは翌々月の57年4月であり、まだデビュー前である。当時の他の主要な国産乗用車は日産オースチン、いすゞヒルマン、日野ルノーのノックダウン組だけだった時代である。フルサイズ中型の運転技能検定用に国産車には存在しないサイズのこの大きなフォードが必要であったのかもしれない。フロントフェンダーに「V8」のバッチがないため、V8とシックスの2種が選べた中の6気筒車と判る。当時の6年落ちとしてはすこぶる程度が良さそうな個体である。注目すべきはクラウンRSのボディシェルを使用してF型乃至B型の強馬力エンジンを搭載したパトカー用モンスター・トヨタパトロールFH26型もしくはBH26型(セントラル自動車架装)の警視庁パトカーが6,7台も写りこんでいることである。1950年代後半(昭和30年代前半)あたりの邦画やニュース映画では比較的見ることの多いパトカーであるが、大抵は1台単独での登場であり、これだけ纏まった台数が一度に写った写真は警視庁内庭での撮影以外では有り得ないのではないだろうか。1枚の写真には車種の判別は出来ないがフォードの左奥にくろがね四起より少し大きそうな4駆タイプの車両とボンネットトラックの姿が確認出来る。
右端のトヨタパトロールのトランク上の警視庁の丁が旧字体の「廳」であることに注意
★初の戦後型となったフラッシュサイドの1949年式フォードについて、自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924-2000)は1971年8月30日二玄社発行「フォード2」の中で次のように記している。
「『ヤング・フォードの7200万ドルのギャンブル』。これはニューズウイーク誌1948年6月14日号ビジネス欄の見出しである。この週刊誌が1企業の新車発表に2頁特集することすら異例と言えたが、最初の頁には未来都市から来たようなモダンな車の正面と見るからに若い30歳のヘンリーフォード2世社長、及びGMから引き抜いた新副社長アーネスト・ブリーチの写真が載っていたのを筆者は昨日のごとく記憶している。同じ1948年6月6日号のライフ誌は、このニュー・フォード(人と車の両方を意味するタイトル)特集に5頁を割き、49年型フォードが社長も経営陣も含めて全く新しい車であることを報じていた。
7200万ドルという開発費を注ぎ込んだこの新型は、ヘンリー2世が終戦後の1946年9月から発足させた大計画で、最初はX2900(設計目標とされたポンド重量を意味する)と呼ばれていたが、後に98BAという最終モデルとなり、最初のスケッチが画かれてから僅か14ヶ月でヘンリー2世のOKが出たという。最初の生産車は1948年4月12日にオフラインし、6月18日には各地のディーラーのショールームで公開されたが、これはモデルTをモデルAにモデルチェンジした時以上のビッグチェンジであって、同じものはフォードという名前だけと言われ、ジャーナリズムはヤング・フォードと呼んで、その成功を5分5分としか考えず、エスクワイアー誌などは『親に似ない子』と皮肉った程だが、当のヘンリーはこのモデルに社運を賭けていて、彼は父エドセルの理性と祖父の気骨を兼ね備えたような人物であった。そして1946年にはクライスラーより下に落ちていたフォード社を復活させる大仕事に乗り出ず決心をさせたのはフォード家の威信だと説明し、自分は常に祖父や父ならどうするかを考えて行動していると答えていたが、そのヤング・フォードは立派に成功した。49年型発売後、フォード社は赤字から抜け出し、5年間に売上総額が20年振りでシボレーを上回るに至った。米国の市場シェアでも1950年度にクライスラーを抜き返して24%、1954年度には30%を越して往年の貫録を取戻し、1957年度にはトップシェアとの差を僅か130台まで追い込んで約150万台を生産、1959年度には一時的とはいえ遂にシヴォレーを上回るに至った。現在、ヤング・フォードと呼ばれるのは同名の祖父と区別する以外の意味はなくなっているが、戦後型デビュー時に於いては明らかに三代目若社長への皮肉が込められていたのである。
1949年型フォードはV8と6気筒のエンジンが開発期間の不足で小改良に止められたとはいえ、シャシーとボディは全く新しいポリシィで設計され、往年の有名な楕円のフォードマークすら用いられなかった。前の型と同じなのは車体全長とフロントトレッド位のものとなり、低く長いスタイルは、フォードより早くフラッシュサイドの戦後型を発表していたカイザーやスチュードベーカーと同じスタートラインに立って戦後型競争に参加することとなったが、この大メーカーの新型切換えが世界の自動車設計に影響するところはすこぶる大きく、イギリスでコンサル、西ドイツでタウヌス、フランスではヴデットとなって生産され、ヨーロッパの自動車界を合理的な真の戦後型へと脱皮させたリーダーとなったのである。」
【主要スペック】 1951年フォード・カスタムライン4ドアセダンV8 (1951 Ford Custom Line 4door Sedan V8)
全長5011㎜・全幅1860㎜・全高1620㎜・ホイールベース2896㎜・車重1448kg・FR・水冷V型8気筒SV3923cc・最高出力100ps/3600rpm・変速機3速フォードマチックAT(ボルグワーナー製)/3速MT・前輪独立懸架・乗車定員6名・最高速度133km/h(83mph)・ゼロヨン21.8秒・燃費6.4 km/ℓ
●1951年フォード デラックス&カスタム 本カタログ (縦22.3cm×横29.5cm・英文28頁)
1950年10月発行版。カタログNo.7261。表紙はこの年に初めて採用された自動変速機「FORDOMATIC」が付き意匠も一新されたステアリングを強調し、右に一新されたフロントグリル意匠の判る正面を描いたイラスト。この1951年型までのフォードはまだ前面2枚窓である。1949~1950年型ではグリル中央に派手な砲弾型のクロームが付いていたのが、この1951年型では左右両端に分けられた。エンジンはV-8と6気筒が選べたが、6気筒は新設計のOHV(95ps)ながらV-8(100ps)は何と1932年(昭和7年)より連綿と造られた旧弊なSVで新型V8エンジンが完成する1953年末までにT型フォードの生産台数を超える1600万基も生産された。グレードはデラックス(下位グレード)とカスタム(上位グレード)の2種で各々にV-8と6気筒が搭載出来た。2つのグレードの外観上の識別点としては、カスタムではボディ左右にサイドモールディングが付くことが挙げられる。
この時代、大衆車フォードでさえ全長は5mを越えていたのに対し、日本では1965年にデビューした日産プレジデントでさえ(1960年代当時は日本でも随分と大きなクルマが出来たものだと驚いたものだが)、何とかこの時代のフォードに近いサイズというレベルだったのである。このような巨大な自動車を戦前から量産していた国力に雲泥の差があるアメリカに真珠湾で挑んだ大日本帝国の愚かさは言うまでもないことであろう。
【中頁から】
フォードマチックAT新採用
悪路走破性も良い
43の改良点とシャシー
車種バリエーション
2ドアセダン
クラブクーペ
4ドアセダン
ビジネスクーペ
コンバーチブル
木目張りステーションワゴン「カントリースクワイアー」
ツートン塗装のスペシャリティグレード「クレストライナー」。51年後期に2ドア・ハードトップ「ヴィクトリア」がデビューし入れ替えられため、このクレストライナーは51年前期のみの生産に終わった。
ダッシュボードには夥しい数の丸型メーター。
リアビューは1957年にデビューしたトヨタの初代コロナST10型がパクっている。
V-8と6気筒の2種のエンジン
高品質な造り
スペック
裏表紙
★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/20スケール 1956年トヨタパトロール(BH26/FH26型)
これは前にもご紹介していますが、今回の記事で実車写真をアップしたので再度ご紹介します(画像は撮り直しています)。全長21cm。ブリキ製。萬代屋品番543。当時定価:不明(調査中)。フリクション駆動。実在する国産パトカーの恐らく最初のモデル玩具。ボンネットサイドのビュイックのような3連楕円のスリットやノーマルとは異なるフロントグリルも忠実にモデル化された萬代屋の傑作。旧字体の警視「廳」の文字にそそられます。本体は実車同様のノーマルのクラウンとは異なるグリルが付いていますが、箱絵のフロントグリルはノーマルのものが描かれています。さすがに実車のように大きなエンジンを搭載するためのフロント部分の延長まではされておらず、ボディサイズはノーマルのクラウンと同一です。姉妹モデルとして、このパトカーと同じBH26/FH26のディテールで赤十字マークを付けた白一色の救急車仕様も同時期に市販されています。
【2017年 評価額】 45~70万円程度(箱付き美品の場合)。国産パトカーの玩具の中で入手難易度の高さではトップレベルにあり、大盛屋の横目セドリック警視庁パトカーより市場に現れる数は少なく、とにかくモノが出ないので相場的な価格はあってないような品物。100万と言われれば、それでも納得出来るレベルのレアモノと言える。
警視庁の丁が実車同様に旧字体の「廳」であることに注意
★オマケ(その2): トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ1/64スケール 1959年トヨタ パトロールFS20型(警視庁パトロールカー・移動電話車)
全長7cm。ダイキャスト製。定価:各税抜2500円。品番:警視庁パトカーLV-166a、移動無線車LV-166b。2017年8月発売の新製品。クラウンベースのパトカーのモデル玩具は初代観音の時代からリアルタイムにも沢山出ていますが、実車通りにフロントオーバーハングを延長して造られたのはこれが初めてでしょう。比較写真の通りTLVでは東宝名車座デラックスとしてノーマルクラウンを白黒に塗り替えただけの愛知県警パトカーを出していますが、全長は3~4mmも短い67㎜前後です。
クラウンノーマルベースのパトカーとの比較
★オマケ(その3): 1951年フォード テレビCM
1950年の半ばあたりから流されたと思われるテレビCM。前輪独立サスで悪路走破性の良いことが強調されている。日本でのテレビ放送は1953年(昭和28年)2月1日開始のため、日本では未だテレビが存在しなかった時代のCM。
★1967年 ホンダTN360 バンダイ プラモデル ~ 自動車カタログ棚から 358
★★さて、今日8月20日(日)でお盆休みもお仕舞いという人も多いことと思います。お盆休みは8月11日(金・祝)~20日(日)の10連休という知人や夏は丸2週間連続して仕事を休むことを推奨されているという知人もいますが、日本のサラリーマンの平均は5日程度のものじゃないでしょうか(ワタシは3日だけ)。その点、ニセコのスキー場でペンションを経営している知人などは春~秋の5~10月は要望がない限りは基本閉めていて1年の半分は休みなんていう話もありますが、半年間楽にやっていける位に本業で稼げなければ何か副業でもしなければ厳しいかもですよね。これは例えば映画監督だとか俳優だとかは1作撮れば数年は遊んで暮らせる位の収入が得られるといったケースとも似ていますよNE。
★しかし、ワタシが子供の頃に夏休みと言えば、7月20日に1学期が終わってから9月1日の2学期が始まるまでの40日間というのが普通でしたが、これは実は関東以南のことであって、北海道・東北などの寒冷地では7月21~8月20日までなどと期間が異なるようです。何れにしても学校の夏休みは長いのでクラブ活動を担当しない学校の先生は休みが長くて羨ましいよね~という話になりがちでしたが、現在では授業がなくとも自宅研修は不可で学校に出勤することが原則となっているような噂を聞きます。しかし、授業がなく子供もいないのに学校に出勤して果たして意味があるのか?と内情を知らないワタシなどは不思議に思ったりもしますよNE☆
★閑話休題
今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第358回記事として本田技研の2代目軽トラック・ホンダTN360をご紹介することとしますNE。
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★2016年の自動車メーカー世界ランキングでホンダ(本田技研工業)は生産台数471万台で7位(2輪では首位)となっている。そのホンダ初の四輪は1963年(昭和38年)8月発売の軽トラックT360であった(2012年8月22日 本シリーズ第42回記事参照)。
T360はホンダスポーツ同様の当時としては異例に高出力な30psのDOHCエンジンを搭載していたことから後年レーシングトラックの異名が与えられたが、日常ユースにはピーキーで神経質なエンジンは扱い難く、4連キャブから2連、そしてシングルキャブへと順次デチューンされた。T360には姉妹車として1964年(昭和39年)9月には500cc38psのT500が追加され、併せて16万1215台が生産されたのち、1967年(昭和42年)11月にフルキャブオーバー型TN360にバトンを渡した。
★ホンダTN360は1967年(昭和42年)3月デビューの軽乗用車N360に搭載されたエンジンをベースとした空冷2気筒SOHCユニットを後車軸直前に搭載したミッドシップ・レイアウトを採用した。その他、リアサスペンションはド・ディオンアクスルの独立懸架とするなどホンダらしい個性的なメカニズムを持っていた。30ps/最高速度100kmの性能は前代T360のまま落とされず、高性能かつ扱いやすい軽トラックとして市場に好感を持って迎えられた。
★ホンダTN360の変遷
・1967年(昭和42年)11月・・・発売
・1968年(昭和43年)4月・・・豪華仕様TN360M追加
・1968年(昭和43年)?月・・・パネルバン追加
・1969年(昭和44年)1月・・・TN360デラックス追加
・1969年(昭和44年)4月・・・保安基準改正に合わせシートベルト・ハザードランプを追加
・1969年(昭和44年)?月・・・雪上走行仕様スノーラ追加
・1970年(昭和45年)1月・・・小改良
・1970年(昭和45年)4月・・・TNⅢ360にマイナーチェンジ
・1971年(昭和46年)4月・・・27psに10%落としたTNⅣ360発売
・1972年(昭和47年)5月・・・縦4灯のTN-Ⅴにマイナーチェンジ
・1973年(昭和48年)8月・・・三角窓廃止
・1975年(昭和50年)7月・・・50年排ガス規制適合のTN-7にマイナーチェンジ
・1975年(昭和50年)12月・・・新保安基準対応ボディ強化
・1977年(昭和52年)7月・・・アクティ550にバトンを渡し生産終了
(TNシリーズ総生産台数73万6000台)
【主要スペック】 1967年ホンダTN360軽トラック (1967 Honda TN360 Light Truck)
全長2990㎜・全幅1295㎜・全高1595㎜・ホイールベース1780㎜・ミッドシップ・強制空冷4サイクル2気筒SOHC 354cc・最高出力30ps/8000rpm・最大トルク3.0kg-m/5500rpm・圧縮比8.5・変速機4速MT・乗車定員2名・最大積載量350kg・舗装平坦路燃費25km/ℓ・最小回転半径3800㎜・ボディカラー3色(アストラルブルー・ジンジャーホワイト・エイボングリーン)・鈴鹿工場渡し現金定価29万3000円
●1967年11月 ホンダTN360 リーフレット (A4判・表裏1枚)
左上に「新製品」、右下に「この性能!この価格!29万3000円」(三重県鈴鹿・工場渡し現金価格)の印字。
●1967年11月 ホンダTN360 本カタログ(縦25.5×横26.2cm・8頁)
【中頁から】
広い荷台
低床三方開
室内
SOHCエンジン
重量配分の良いミッドシップレイアウト
図面・スペック・ボディカラー3色
図面・スペック
●1968年4月 ホンダTN360M 専用カタログ(縦24.7×横25cm・2つ折4面)
フロントグリル、バンパーを白塗りからクロームメッキとし、フロントからサイドにかけてクロームのモールを付け、熱線吸収ガラス、ラジオ、バックライトなども装備した豪華仕様。フロントパネル右下に「M」のバッチが付く。
【中面から】
メッキグリル、メッキバンパー、運転席側フロントにMのバッチ
M仕様、プラス3万円の装備一覧
●1968年?月 ホンダTN360パネルバン 専用カタログ(縦25.2×横25.6cm・2つ折4面)
実在する企業のカラーリングを一堂に集めた表紙写真は圧巻。鈴鹿渡し価格は標準車プラス3万円の32万3000円。
ペプシコーラ他
ビクター他
東芝ユニカラーテレビ他
【中面から】
パネルバン4種(後部ドアのみの標準・左スライドドア付SD・左右スライドドア付WD・天井幌のオープンバン)
図面
●1970年4月 ホンダTNⅢ360 簡易カタログ(縦28×横22cm・4つ折8面)
マイナーチェンジでヘッドライトとグリルが繋がったTNⅢデビュー時の簡易カタログ。グレード構成はスタンダード・デラックス・スーパーデラックスの3種となった。ダッシュパネルは丸型2連メーターに変った。
【中面から】
上からスタンダード・デラックス・スーパーデラックス。室内は丸型2連メーターに意匠変更。
リアビュー
●1972年4月 ホンダTNⅤ 簡易カタログ(縦28×横22cm・4つ折8面)
ビッグマイナーチェンジで縦目4灯となり、すっかり印象を変えたTNⅤデビュー時の簡易カタログ。ダッシュパネル等の内装も大きく変更。エンジン出力は27psに落とされた。
【中面から】
ウインカーをオレンジに変更
乗用車然とした角形メーターに意匠変更
★オマケ(その1): バンダイ 1/20スケール ホンダTN360プラモデルの広告
月刊モデルアート1970年3月号掲載。当時、この450円のTN360のプラモと同じバンダイの500円のトヨタ7のプラモとどちらを買うか迷った末にトヨタ7の方を買って作ってしまったため、残念ながらいまだにこのプラモは作ったことがありません。モンキーZ50Mが付いてくるところが味噌。是非再販して欲しいプラモですが、発売から47年も経っては、もう金型がないでしょうね。TN360は当時物ではこのバンダイのプラモ以外にトミカ、光球商会、野村トーイ、サクラペット、近年の物ではエブロの初期型デラックス、トミカリミテッドヴィンテージのTN-Ⅴがあり、商用車としては異例にモデル化に恵まれた車種と言えます。
モンキー付がそそります。
★オマケ(その2): トミカ18-1番 1970年ホンダTNⅢ360トラック
全長5.7cm。ダイキャスト/荷台・幌プラ製。1971年9月発売。当時定価180円。有名なトミカのTN360はヘッドライトとグリルが繋がったTNⅢ360をモデル化(箱の車名表記はTN360トラック)。18番パネルバン「PEPSI」の黄色と白、19番で郵便車と初期トミカのバリエーション拡大に貢献した上、マスコミトミカのケーキ屋ケンちゃんバージョン、近年のイトーヨカードー特注パトカー仕様など現在までにバリエーションは多数。
幌は取り外し式
★オマケ(その3): 野村トーイ 1/9.3スケール 1970年ホンダTNⅢ360トラック
全長32cm・全幅14cm。ブリキ製。当時定価:都内570円・全国630円。野村トーイ製品番号771。ホンダT360を唯一当時モデル化した野村トーイが、TNⅢ360も発売。迫力のサイズ、パーツの多い細かな造りが魅力的な1台。室内の丸型2連メーターも再現されています。実車同様の淡い空色のカラーリングがそそります(色違いとして赤塗装も発売)。幼児が砂場などで遊ぶには大き過ぎるサイズ。この個体は残念ながら左ミラーの上方部分が欠損していますが、右ミラーが無事なので型取りして複製・修復できそうです。
正確に再現された室内プリント
★オマケ(その4): 1970年ホンダTN360 テレビCM
ヘッドライトが独立したMC前のテレビコマーシャル。髪が薄くてニコニコしているオジサンはカタログの表紙にも登場。
★ニチモ1/22スケール1959年トヨタパトロール ~ プラモデル・コレクションから 001
★しかしなあ、旦那はん、毎日お暑うおますな。この暑さはほんにワテ敵わんさかいに、どこか涼しいところに行きたいおますな。しかし、旦那はん、何でんな、お盆休みの週は雨続きで海水浴も花火も出来んかったさかいが、休みが開けたらカンカン照りっちゅうのは皮肉なもんやな。
ところでな、最近、都内(23区と武蔵野市・三鷹市)のタクシーは初乗りが1.052キロまで410円に値下げされたやさかい、炎天下でバスもないところへの外出にはついついタクシーに手を挙げてしまうのんや。実際、35度や36度の焼け付くような炎天下を1キロも歩いたら汗だくになるばってんが、タクシーちょい乗りすればクーラー効いた車内で楽ちんやんか。旦那はんは根っからのケチやさかいに金出してタクシー乗るよりは汗だくになって歩いた後でコンビニでお安いアイスでも食べた方がお得やなあと思ってるんやろ?な、図星やろ?ばってん、旦那はんも騙されたと思ってワテのようにたまにはタクシーに乗ってみいや。束の間の極楽気分を味わえること請け合いやで☆☆
★閑話休題
この週末は出かける用事がありまして、記事の更新が出来なくなる可能性がありますので、今日は新シリーズ「プラモデル・コレクションから」の第1回としてニチモ(日本模型) の1/22スケール 1959年トヨタパトロールFS20型をサクっとご紹介しますNE。最近、トミカリミテッドヴィンテージからも発売されたFS20型の当時物プラモです☆☆
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★日本模型(ニチモ) 1/22スケール 1959年トヨタパトロールFS20型 警視庁パトカー プラモデル
当時定価350円。箱サイズ:縦20.5cm×横30.5cm×高さ5cm。本体全長19cm。プラスチックとブリキの混合組立キット。バンパー、窓枠、サイドモール等のクロームメッキされたブリキパーツをツメを折ってボディに組み付けるというブリキ製自動車玩具製品と同じ組立方法が採られている。製品名は「トヨタパトロールカー」となっており、あくまで初代クラウンではなくF型エンジン搭載のトヨタパトロールを真面目にモデル化したプラモ。
このキットの再販箱バージョンは1990年(平成2年)の初夏に模型問屋で大量のデットストックが発見されて、都内および神奈川県内の模型店(恵比寿ミスタークラフト、吉祥寺ウェーブBe-J、海老名ホビーBOX、ポストホビー各店)に1個3000円で山積みされて売られた。発見された数は当時10ダース以上と聞いたが、当時の絶版価格の10分の1程度のプライスで店頭に山積みされているのを見た時は本当にたまげたものだった。何人かの知人は皆1人で1ダース位買い、私も約1ダース買って地方のマニアの人と三和模型や緑商会などのビンテージプラモとのトレードに使ったりした(現在でもまだその時に買ったものが5~6箱残っている)。デッドが大量入荷した際に海老名のホビーBOXは模型雑誌モデルグラフィックスに広告まで出したので、その年の夏の終わり頃にはどの店の店頭からも綺麗に消えていた。
大量にデッドの出た再販箱の箱絵は小松崎茂氏(1915年2月14日-2001年12月7日)の筆によるもの。賑やかで明るい夜の銀座が小松崎氏一流のPOPな筆致で描かれている。初版の箱絵も同じ夜の銀座を描いたもので画家不明ながら、初版の絵の方がしっとりと落ち着いた雰囲気でより魅力的に見える。しかし暗く渋すぎて恐らく子供ウケはしない箱絵だったがために、小松崎氏のよりインパクトのある箱絵に変えられたのだろう。箱サイズは初版・再版共に同じながら、初版の箱の方がよりガッチリとした厚手の紙が使われている。中身は室内パーツの成形色が初版は渋緑、再販は明るい緑である以外の差異は見られない。Toyota Patorolや警視庁の転写式デカールが付属。
販売時期は恐らく1962年頃~1968年頃。科学教材社の工作ガイドブックでは1967年版まで掲載されている。1990年の夏に大量のデッドストックが発見されたのは1967年~1968年あたりに生産された末期製品の在庫だったと思われ、1990年の時点では22~23年前のプラモのデッドだったということになる。時系列的に2017年現在で考えるならば、1994年~1995年あたりのプラモが大量に問屋に残っていたという話になり、今から思えばそれ程驚くほどに古い時代の在庫品でもなかったと言える。
【2017年評価額】
初版箱・未組立: 8~12万円
再販箱・未組立: 2~3万円
●初版箱
初版は滅多に絶版プラモ市場に現れない貴重品。
組立説明図
●再販箱
小松崎茂・画。1990年の夏にデッドストックが大量に出てから2017年で既に27年の時を経ていますが、デットの出た数が多過ぎたのか、まだゴロゴロ中古市場で見かけます。
デッドだけに工場出荷状態が保たれている。
ダッシュボードも正確に再現されている。
初版と再版の箱の大きさは全く同じ。
★オマケ(その1): 野村トーイ 1/16スケール1960年くろがねベビー幌付き
全長19cm。ブリキ製。ビニール製の「くろがねベビー」の文字の入った幌が泣かせます。あまり高くなければ欲しいなと思ってましたが、元箱なしの本体のみで何とヤフオクで30万円オーバー。もし箱付なら50~60万円はいくでしょうか。幌骨だけ残っていてビニールの幌が欠品している同じ野村のくろがねベビーが手元に1台あるので、このオークション画像を参考に幌を複製してみたいと思います。
★オマケ(その2): 毎日ニュース1962年12月19日 首都高1号線開通時の動画
トヨタパトロールFS20も多数登場。
★1971年 野村トーイ トヨタ2000GT他 ~ 玩具・模型カタログ棚から 031
★このところの東京は暑いです。最高気温はそんなに高くはないのですが、湿度が高いのはさすがに堪えますよね。しかし、今日が8月最後の日曜日。もう2017年の8月も残すところ数日!夏休みの宿題も追い込み時期ですね。
★あなたの街には本屋さんがありますか?
幸いワタシのウチの近くの駅前には街の普通の本屋さんが今でもあります。しかし、1999年(平成11年)に22,296 店だった国内の書店数が18年を経た今年2017年(平成29年)5月には何と約1万店近くも減って12,526 店となっているそうです。インターネットの普及で従来型の紙に印刷した本や雑誌が以前のようには売れないことと、大衆向け雑誌はコンビニでも買えること、そしてアマゾンなどのネット通販の拡大などが書店大幅減少の要因と言われますが、ワタシなど今でも尚、本屋さんにブラっと読みたい本を探しに行くということがありますYO
★閑話休題
さて、今日は「玩具・模型カタログ棚から」シリーズ第31回記事として、野村トーイの1971年版カタログをサクっとご紹介しますNE
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★戦前から大手玩具メーカーとして存在し1992年(平成4年)に米ハチブロ(HASBRO)に吸収され2002年(平成14年)には玩具業界から撤退した巨星「野村トーイ」については、その歴史を纏めた資料や情報が見当たらず、創業年や会社の沿革といったことが残念ながら不明です。しかし、1960年代、私が子供の頃にはバンダイ、アサヒ玩具、米澤玩具(ヨネザワ)、増田屋(マスダヤ)あたりと並び玩具業界では巨星的な存在であり、忘れ得ぬ玩具を多く輩出したメーカーです。
野村トーイの年次製品カタログは「玩具・模型カタログ棚から」シリーズ第14回記事(2014年10月11日付)で1965年版、第23回記事(2015年3月21日付)で1968年版を既にご紹介していますが、今回はその続編として1971年版カタログをご紹介します。
国内の各玩具メーカーが発行した年次製品カタログは恐らく玩具問屋・小売店といった業界関係以外には配布されなかったため、例えばパトカーなど余程特殊な車両以外はディーラーで不特定多数に配布された自動車カタログあたりに比べると現存数は遥かに少なく、ネットオークションや古書市場に現れることも稀です。今回ご紹介するカタログは1971年版と比較的新しい年代のモノながら、縁あって現在手元にあるもの以外は同じカタログを一度も見たことがない謂わば一期一会的なシロモノで、恐らくこれまで印刷物やWeb上でも公開されたことのない貴重な玩具史料と思います。
★今回のカタログは1960年代後半から1970年代初頭に子供時代を過ごした世代にとっては懐かしい製品(自動車・飛行機等の乗物系玩具、ボウリング・ダービー等のゲーム類、お天気坊や等のロンパールーム物etc)が満載されているように思いますが、全頁の紹介は困難なため例によって自動車関係の頁を中心に個人的な視点から抜粋して掲載します。
野村トーイのカタログには品番・品名・サイズ・都内および全国売価という玩具史料的に貴重な情報が満載されています。そこで、今回は資料価値を重視する観点から画像と併せてカタログに掲載されている情報を可能な限り記載することとします。
●1971年 野村トーイ 総合カタログ (縦28×横21cm・リング綴じ66頁)
この年のカタログの表紙及び裏表紙は野村トーイがスポンサーともなっていた子供向けテレビ番組「ロンパールーム」の収録風景。ロンパールームは1963年(昭和38年)10月7日から1979年(昭和54年)9月28日まで日本テレビ系列局で 放送されていた子供向け番組。私自身も初期のロンパールームを見ていましたが、1960~70年代に子供時代を過ごした世代にとっては今や懐かしの番組の一つではないでしょうか。
裏表紙もロンパールーム収録風景。下部に野村トーイの商標と東京・大阪の住所・電話番号印字。
【中頁から】
品番357 ボーイング727日航機 全長75cm (都内1000円・全国1100円)
品番227 ダグラスDC-8日航機 全長63cm (都内900円・全国990円)
品番767 コンコルドSST日航機 全長62cm (都内700円・全国770円)
品番373 YS-11全日空 全長41cm (都内500円・全国550円)
品番752 電動大型ボーイング747日航 全長44cm (都内1100円・全国1160円)
品番693 電動YS-11TWA 全長41cm (都内750円・全国800円)
1971年の新商品は既存製品に花柄プリントを施した「ファンシー」シリーズ。
品番① ファンシー1968年シボレーカマロ 全長28cm (予価都内400円・全国440円)
品番793 ファンシージャガーEタイプ 全長29cm (都内350円・全国380円)
品番797 大ファンシー1970年シボレーカマロ 全長34cm (都内500円・全国550円)
品番787 ファンシースバルサンバー 全長24cm (都内300円・全国330円)
品番670 1968年フォードトリノGT 全長40cm (都内640円・全国700円)
品番248 1966年トヨタカローラ1100 全長27cm (都内330円・全国360円)
品番351 1968年シボレーカマロ 全長28cm (都内360円・全国400円)
品番671 12インチ1968年トヨペットクラウンMS50 全長29cm (都内320円・全国350円)
品番3759 フォードムスタング・ファストバック 全長40cm (都内600円・全国660円)
品番3997 フォードムスタング・スポーツ(レーシング) 全長40cm (都内600円・全国660円)
品番3805 フォードムスタング・ポリス 全長40cm (都内600円・全国660円)
品番3997 フォードムスタング・ファイアーチーフ 全長40cm (都内600円・全国660円)
品番198 1963年シボレーインパラ 全長44cm (都内750円・全国830円)
品番200 1963年シボレーインパラ・ポリス 全長44cm (都内750円・全国830円)
品番① 1970年コロナマークⅡハードトップ 全長35cm (都内480円・全国530円)
品番231 ジャガーEタイプクーペ 全長29cm (都内350円・全国380円)
品番232 ジャガーEタイプ・ポリス 全長29cm (都内350円・全国380円)
品番231 ジャガーEタイプ・スポーツ(レーシング) 全長29cm (都内350円・全国380円)
品番359 1965年大キャデラック・ポリス 全長64cm (都内1300円・全国1430円)
品番239 1965年大キャデラック・セダン 全長64cm (都内1300円・全国1430円)
品番① 1970年クラウンハードトップMS51 全長46cm (予価都内900円・全国990円)・・・MS51のブリキはイチコー製のみでこの野村製は予告のみで未発売
品番228 プラ製1966年ダットサンサニー1000 全長22cm (都内210円・全国230円)
品番240 プラ製1966年前期130セドリック 全長26cm (都内350円・全国380円)
品番225 プラ製1966年前期130セドリック警視庁パトカー 全長26cm (都内350円・全国380円)
品番755 プラ製1969年ホンダN360(NⅡ) 全長31㎝ (都内500円・全国550円)
品番726 1967年トヨタ2000GT 全長49cm (都内1000円・全国1100円)・・・当時物トヨタ2000GT玩具では最もサイズが大きい。電動エンジン音ギミック付も別品番で販売。
品番795 1967年トヨタ2000GTポリス 全長49cm (都内1000円・全国1100円)
品番353 1968年電動ミステリーシボレーカマロ 全長28cm (都内650円・全国690円)
品番293 小トヨエース 全長26cm (都内330円・全国360円)
品番294 小トヨエース郵便 全長26cm (都内330円・全国360円)
品番250 中トヨエース 全長38cm (都内700円・全国770円)
品番238 中トヨエース郵便 全長38cm (都内700円・全国770円)
品番377 音入り三方開きトヨエース4灯 全長48cm (都内1100円・全国1210円)
品番537 音入り三方開きトヨエース4灯日通 全長48cm (都内1100円・全国1210円)
品番375 2代目スバルサンバー 全長24cm (都内270円・全国300円)
品番463 2代目スバルサンバー郵便 全長24cm (都内270円・全国300円)
品番787 2代目ファンシースバルサンバー 全長24cm (都内300円・全国330円)
品番765 タイガートラック6点セット 箱18×22cm (都内750円・全国830円)
品番783 いすゞTDダンプ/ミキサー2点セット 全長17cm (都内330円・全国360円)
品番771 1970年ホンダNⅢ360トラック 全長32cm (都内570円・全国630円)
品番367 1966年マツダボンゴトラック 全長32cm (都内580円・全国640円)
品番475 1966年マツダボンゴ郵便 全長32cm (都内580円・全国640円)
品番① プラ製1969年3代目トヨタダイナトラック 全長33cm (予価都内600円・全国660円)
品番700 小ハイエース 全長29cm (都内400円・全国440円)
品番707 中ハイエース 全長40cm (都内800円・全国880円)
品番713 大ハイエース 全長48cm (都内1000円・全国1100円)
品番363 小タイガーダンプ 全長28cm (都内450円・全国500円)
品番416 中タイガーダンプ 全長34cm (都内750円・全国820円)
品番289 小いすゞTXダンプ 全長23cm (都内230円・全国250円)
品番230 ヰセキトラクター 全長31㎝ (都内360円・全国400円)
品番221 プラ製中いすゞTDダンプ 全長27cm (都内330円・全国360円)
品番358 プラ製三菱ふそうダンプ 全長30cm (都内430円・全国470円)
品番192 プラ製ワンサイドキャブヘビーダンプ 全長36cm (都内640円・全国700円)
品番745 プラ製トヨタCOEダンプ 全長34cm (都内650円・全国710円)
品番696 プラ製 三菱ふそうダンプ 全長57cm (都内1400円・全国1540円)
品番199 シボレーダンプ 全長48cm (都内1100円・全国1210円)
品番574 プラ製ダイナミックダンプ 全長49cm (都内1200円・全国1320円)
品番374 プラ製ジャイアントダンプ 全長57cm (都内1700円・全国1870円)
品番217 マンモスダンプ 全長65cm (都内2000円・全国2200円)
品番796 プラ製ワンサイドキャブミキサー車 全長35cm (予価都内700円・全国770円)
品番769 プラ製いすゞTDオートキャリア 全長36cm (都内550円・全国600円)
品番226 プラ製いすゞTDミキサー車 全長26cm (都内330円・全国360円)
品番571 プラ製三菱ふそうミキサー車 全長24cm (都内400円・全国440円)
品番577 プラ製トヨタCOE梯子消防車 全長36cm (都内680円・全国750円)
品番360 プラ製フォードCOE梯子消防車 全長46cm (都内1050円・全国1150円)
品番256 梯子消防車 全長18cm (都内200円・全国220円)
品番768 ダイナミック梯子消防車 全長47cm (都内1450円・全国1600円)
品番220 プラ製ニッサン680ポンプ消防車 全長27cm (都内330円・全国360円)
品番219 プラ製ニッサン681ポンプ消防車 全長33cm (都内450円・全国500円)
〈ポリ製乗用シリーズ〉
品番371 ハンドル付トヨエース 全長48cm (全国統一価格1450円)
品番735 ハンドル付トヨタボンネットトラック 全長49cm (全国統一価格1450円)
他各種
品番770 ファミリーボウリング・ジャンボ 寸法86cm (全国統一価格1300円)
品番699 ファミリーボウリング 寸法62cm (全国統一価格850円)
品番721 電動ダービーゲーム 寸法30×43×8cm (都内1800円・全国1890円)
お天気坊や他 ロンパールーム商品
★オマケ(その1): 野村トーイ 1/26スケール1964年ニッサン680型ポンプ消防車
今回の野村トーイのカタログに掲載されている2代目トヨエース、初代ハイエース、初代ボンゴ、130セドリック等は当該自動車カタログ記事のオマケとして大半を紹介済のため、未紹介のプラ素材を使った製品を今回はオマケに掲載します。全長27cm。プラ、ブリキ混合製品。野村トーイ製品番号220。縦目680のマルサン、米澤、浅草等のブリキが1960年代までに姿を消した後もこの野村のプラ製680消防車のみは連綿と売られ続け1980年代初頭頃まで市場在庫があった。
横目セドリックの消防指令車が描かれた箱絵がそそります。
★オマケ(その2): 野村トーイ 1/28スケール 1966年いすゞTDミキサー車
全長26cm。プラ、ブリキ混合製品。野村トーイ製品番号226。フリクションに連動してミキサーが廻るギミック付。
平仮名の「いすゞ」エンブレムがそそります。
★オマケ(その3): 1978年野村トーイ「ダンシングプレーヤー」テレビCM
野村トーイのテレビCMはロンパールームで多数流されたようですが、動画はこれしか見当りません。レコードに合わせて平面人形が踊る製品のようですが、定価8000円もして果たして売れたのでしょうか。
★1969年アビイ・ロード ビートルズ書店売りレコード ~ 1938年タルボ・ラーゴ
★2017年8月29日(火)、デアゴスティーニ・ジャパンが「ザ・ビートルズ・LPレコード・コレクション」の第1号「アビイ・ロード」を全国の書店で発売した。税込定価1990円というのは、48年前の1969年(昭和44年)10月21日に東芝音楽工業が日本で最初にアビイ・ロードを発売した際の定価2000円より10円安い。
ボクは1990年代までビートルズをメインとするロック系アナログレコードのコレクターだったので、アビイ・ロードも「全世界同時発売!」の文字の入った初回帯のものから1973年中2の時にリリースから4年近く遅れて自分で買って初めて聴いた時のフォーエバー帯、その後の国旗帯、限定販売されたピクチャーレコード、消費税導入による消費税帯版など国内盤に限っては沢山持っている(ここ20年位は倉庫に仕舞いっぱなしだが)。
ビートルズor洋楽マニアの人に伺うと、やはりビートルズはUKオルジナル盤で聴くのが一番と言われて、国内盤というのはどうにも評価は低いのだが、ボクは日本語の文字が踊った紙帯にはその懐かしさと味わいにどうにも惹かれるものがあってコツコツとビートルズの国内盤を集めていたのだった。尤も1990年代でもヤア!ヤア!ヤア!(ア・ハード・デイズ・ナイト)までの初期3作の初版に付いていた半掛け帯の国内盤LPは50万とか100万とかという途方もない値段が付いていた上に、高値が付くが故に紙帯の偽物が出回っているとの話を聞いてから急に買い集める気力が失せてしまったのだった。
★という訳で、ボクはアナログレコードのコレクションからはもうとっくに足を洗ったつもりだったのだが、今週本屋さんでアビイ・ロードが山積みにして売られているのを見て、ついつい1枚買ってしまった。これで恐らくアビイ・ロードのLPは7,8枚目にはなるだろう。今回のデアゴスティーニのシリーズは隔週刊で全23回というから約1年で完結することとなるが、第2号のサージェント・ペパー以降も買い続けるかどうかは微妙。このシリーズ、アビイ・ロードで見る限り、レコード以外に日本語の解説が付いているのは良いのだが、歌詞カードや訳詩が付いていないのが惜しまれる。著作権の絡みなどで歌詞カードが付けられなかったのだろうか。
★とっくにアナログレコードのコレクションからは足を洗っているのに、またアビイ・ロードを1枚買ってしまったのには実は訳がある。
CDがメインとなる前のアナログ・レコードの時代に、「もし無人島に1枚だけレコードを持っていくなら何?」というフレーズを聞く機会は多かった。実際、音楽雑誌等でこの質問をミュージシャンや著名人にしてその回答を掲載していることもあった。しかし、これは日本だけのフレーズ(設問)ではなくて、英語では「デザート・アイランド・レコード」という言葉があり、「もし無人島に持っていくことが少しだけ許された時に持っていきたいレコード」といった意味のようである。
で、ボクの場合の無人島レコードは、1枚に絞るなら、正にこのアビイ・ロードなのである。それは1970年代の半ば頃から40年以上も変わらない。もし無人島に持って行けるのが3枚までとなるのなら、ラバーソウルとヤアヤアヤア(ア・ハード・デイズ・ナイト)あたりが入るかもしれない。ビートルズの最高傑作とも言われるサージェント・ペパーは何故かボクはビートルズの中でそんなに飛びぬけて好きなレコードではなくて、2枚組でもいいなら順位的にはホワイト・アルバムの方がサージェントより上にいくような気がする。
という訳で、ボクにとってビートルズのアビイ・ロードは無人島に1枚だけ持っていくことが許された場合の1枚のレコードそのものなので、今回は本屋さんでまたアビイ・ロードを見かけてつい手が出てしまったのである☆
★アビイ・ロードというと、2017年現在でもポールがライブのアンコールでいつも演奏しているB面最後の黄金メドレーが素晴らしいという話になりがちだが、基本ジョンのファンであるボクとしてはA面最初のカム・トゥゲザーのクールさ、A面最後のアイ・ウォント・ユーの狂おしさ、B面2曲目のビコーズのこの上もない美しさ、B面のサン・キング、ミーン・ミスター・マスタード、ポリシーン・パンからシー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウインドーへと繋がるジョンがメインのメドレーも最高☆☆
第1号のアビイ・ロードのみ1969年10月に新譜として発売された時より安い1990円
お馴染みのアップルマークのレーベルにレコード盤は黒
レコード規格番号PCS7088
解説ページから。ジョンの白いロールスと4人。
この写真も魅力的。
ポールだけが裸足で目を閉じていて左利きなのに右手に煙草を持っている、左後方のVWビートルのライセンスナンバーがIF28なのはポールが生きていたら数え歳で28歳を意味しているなどを根拠にポール死亡説の元となった有名なジャケット写真。白いビートルは後年オークションに出されて高値が付いたらしい。
●販促用パンフレット(縦15×横10.5cm・4つ折)
●アビイ・ロード日本国内盤レコードの数々
2016年7月7日シンコーミュージック・エンタテイメント発行ミュージックライフ「ザ・ビートルズ日本公演1966」より。
●Because
★オマケ(その1): 英国ウェスタンモデル 1/43スケール 1938年タルボ・ラーゴT150C-SS フィゴニ・エ・ファラッシ「ティアドロップ」
今回はビートルズということで英国製ミニカーを幾つかオマケに。
全長10.5cm。ホワイトメタル製。製品番号WMS21。ウェスタンモデルはマスプロミニカーのHWに端を発したスポードホイール化、玩具化に対するアンチテーゼ的な真に大人向けのミニカーのブランドとして1973年に英国で立ち上げられた。ホワイト・メタル製で塗装済完成品とキットの両者あり。輸入時の価格は5桁を超える高額であったのが2017年現在では中途半端に古い素朴な造りのモデルとしてしか評価されず流通価格は低目のようです。
タルボは20世紀初頭に英国で誕生した英国のブランドですが紆余曲折を経て現在はPSA(プジョー・シトロエングループ)がブランド使用権を持っています。またタルボは1950年(昭和25年)のル・マンでT26GSが優勝もしています。この1938年のモデルは当時フランスで盛んだった贅を尽くした自動車の華美を競うコンクール・デレガンスに出展された車両。生産台数僅か16台。ボディの曲面が何とも美しいクルマです。もし仮に同じような値段でこのクルマとトヨタ2000GTが売られていたとしたなら、2000GTよりもこのクルマを買う方が遥かに価値は高いでしょう。極く最近、CMCより1/18スケールの非常に出来の良いこのクルマのミニチュアがリリースされています(カラーバリエーション5色、国内定価1台59400円なので、全色揃えたら天賞堂の16番真鍮製機関車も買えそうです)。
シャシーは別パーツ
★オマケ(その2): 英国ディンキー 1/43スケール ロールス・ロイス・ファンタムⅤ
全長13.5cm。ダイキャスト製。1977年製のコストダウンされた最終製品。1960年代の初版はボディカラーが黒でヘッドライトにジュエリーが入り後席にもオーナーのフィギュアが付いていました。
★オマケ(その3): 英国ロンスター 1/76スケール程度 レイランド・ボート積みトラック
全長9cm。ボデイ:ダイキャスト製、ボート:プラ製。ブリスター台紙に輸入元マスダヤ、販売元クラウン、印刷・東京と印字あり。ということは、ミニカーだけを裸の状態で輸入して日本で台紙&ブリスターを付けて売られたのでしょうか。
★1960年トヨペット コロナライン 木製キット珍品パトカー ~ 自動車カタログ棚から 359
★ブログとは?
「個人または特定の集団が意見や感想を書き綴ったり、撮影した写真などを掲載したりする日記的なウェブサイト。簡単に作成・公開できるアプリケーションソフトやサービスが存在し、日本では2002年(平成14年)頃から広まった。多くのブログには、記事に対する感想を書き込めるコメント機能、他のブログの記事と連携できるトラックバック機能、内容を要約して配信するRSS機能などがある。ブログという言葉は「web(ウェブ)」と「log(記録)」の混成語「weblog」が由来であり、「Web上の記録」を意味する。」
ブログについて上記のように辞書には記載されています。しかし、ブログ最大の効果・効能というのは、Web上に自分の気持ちや情報を発信することにより発信した本人の心の浄化(カタルシス)が行われることに尽きるのではないでしょうか。とにかくブログをアップしないでいるとストレスが溜まって仕方がないので、どんなに忙しくても、あるいは体調が悪くて39度の熱が出ていても毎日1度は必ずアップする、極端な人になると1日に10回も20回も感じたこと考えたことなどを写真も付けて怒涛のようにアップしているという例もあります。1日10回以上のアップともなると、これは謂わばブログ中毒といった感がありますが、FacebookやTwitterでも自ら情報を発信することがあまりに気持ちよくてSNS中毒となってしまう人は案外いるのではないでしょうか。
★翻って本ブログの場合は週末1記事更新を基本にしていますが、最近は私の人柄の悪さも手伝ってかあまりコメントも入らなくなっていることもあり(涙)、毎日更新してストレスを発散させたい、憂さ晴らしをしたいという衝動に駆られています。例えば、「今日のビンテージ・ミニカー」、「今日のビンテージ鉄道模型」、「今日のビンテージ・プラモデル」、「今日のビンテージ乗物絵本」、「今日のレコード」といったタイトルで何か1個のモノの写真を5・6枚貼って極くあっさりした解説を数行付ける程度ならば私でも毎日更新することが出来る気もします。毎日更新をするために使える時間は限られています(休日に1週間分作り貯めておくという方法もありますが)。私の趣味であるピアノやギターといった楽器を弾く時間や眠る時間を削ってまでブログを更新したいとまでは思いません。また、仕事でクタクタになっている日や高熱を出してうなされているといった日にまで毎日必ず更新したいとまではさすがに思いません。
ところが、上記のようなタイトルで毎日更新を基本スタンスとした場合、相当に薄っぺらい内容の記事になってしまう可能性があり、それはなるべく避けたいという気持ちもあります。という訳で、毎日ブログ更新をしたいのは山々だけれども、情報量の多い内容の濃い記事を毎日アップすることは時間がなく不可能なため、一体どうすれば良いのだろうかと迷っているのが現状であったりもします☆☆
★閑話休題
今日は久々に本ブログのメインとなる自動車カタログの記事です。今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第369回記事として1960年デビューの2代目コロナラインをご紹介します。2013年8月10日に「自動車カタログ棚から」シリーズ164回記事として初代コロナ&コロナラインをご紹介してから4年以上経って漸く次の世代の2代目コロナラインのご紹介です。実は2代目コロナラインには田宮模型の木製キットのピックアップ仕様があり、昔入手したそのキットを2代目コロナラインのカタログ記事のオマケに載せたいと思いずっと探していたのですが、それがなかなか見つからないので今回は見切り発車でもし今後出てきたら田宮製キットの画像を追加することとしますNE(大汗)☆☆
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★日産自動車のダットサン・セダン110系のライバルとしてトヨタ自動車は1957年(昭和32年)5月にトヨペット・マスターRR型のドア等のプレスを流用して初代コロナST10型を急造し、翌1958年(昭和33年)にはその商用車版であるコロナラインST16V型を追加発売したが、大苦戦を強いられライバルである日産が1959年(昭和34年)8月に初代ブルーバード310系を発売するとコロナのシェアは更に大きく落ち込んだ。
トヨタとしてはあくまでも妥当日産を目標に設計企画を練り直し新型コロナの開発を進めた結果、2代目コロナPT20型を1960年(昭和35年)3月19日にプレス発表、次いで4月1日より市販に移された。2代目コロナの市販開始から3ヵ月遅れて1960年7月1日に商用車2代目コロナライン・ライトバンPT26Vがデビューした。エンジンは2代目コロナセダンと同じ初代最終型から引き継いだP型1000cc45psを搭載していた。尚、トヨタはコロナライン・ライトバンのデビューと同じ7月1日付にて2代目スタウトRK45型と初代ダイナのマイナーチェンジ車RK95型も発表・発売している。
コロナライン・ライトバンのデビューから更に約3ヵ月後の1960年9月30日にはトラック型のシングル・ピックアップPT26型がデビューした。2代目コロナラインは初代コロナラインと同様にセダンのボディプレスを流用した商用車であったが、初代に比べて低く広く長くなったボディは大幅に近代化し同時期のブルーバードバン、ダットサンバン、ダットサントラック320系よりもずっと垢抜けていた。トラックに於いてはダットサンではキャブと荷台が完全に分離独立したデザインであったのに対してコロナラインは同じトヨタのマスターラインと同様にキャブと荷台が一体となった流麗なデザインを採用したことで無骨さを嫌う小洒落た(あるいは小洒落た商品を取り扱う)商店主などに人気が高かったようである。初代コロナラインの販売店はトヨペット店であったが取扱い車種の増加により2代目コロナラインでは大型トラックがメインのトヨタ店の販売車種に換えられた。
★ライトバン、シングル・ピックアップの2種が出揃ったコロナラインは1961年(昭和36年)9月に1200cc55ps2P型エンジンに載せ替え、併せてダブルシートのピックアップ(ダブルピックアップ)がデビューした。
この時、型式名称はPT36系とされた。翌1962年(昭和37年)8月にはPT36系のマイナーチェンジが行われ、外観上は全車にサイドモールとフロントグリル中央に横一線のメッキバーが追加された。更に1963年(昭和38年)8月にはセダン同様、2代目コロナライン最後のマイナーチェンジが行われ、外観上はフロントグリル内の左右のスモールライトが円形から楕円形に変りホイルキャップの意匠も変った他、それまで輸出向け左ハンドル車との互換性を保っていたメーターパネル等の室内意匠も輸出撤退のため一新された。この最後のMCの際に漸くオールシンクロとなりクラッチレスのサキソマット(独ザックス社)付がバリエーションに加えられた。そして、1964年(昭和39年)9月の3代目コロナRT40系への移行と同時にコロナラインもフルモデルチェンジされ、その際に名称はコロナラインからコロナバン/コロナピックアップに変更された。
【主要スペック】 1960年トヨペット・コロナライン・ライトバンPT26V型 (1960 Toyopet CoronaLine Lightvan Typ.PT26V)
全長4100㎜・全幅1490㎜・全高1490㎜・ホイールベース2400㎜・車両重量1040kg・FR・P型997cc直列4気筒OHV・最高出力45ps/5000rpm・最大トルク7kg-m/3200rpm・圧縮比7.5:1・変速機3速コラムMT(1速ノンシンクロ)・乗車定員/最大積載量:5名乗車300kg/2名乗車500kg・平坦路燃費15km/ℓ・最小回転半径5200㎜・最高速度100km/h・製造工場:関東自動車工業(株)田浦工場・販売価格:東京61万5000円・大阪62万4000円・名古屋62万円・福岡64万4000円・札幌68万1000円(ヒーター等冬期付属品付)
●1960年10月? トヨペット・ティアラ ステーションワゴン/ピックアップ 専用カタログ (A4判・英文4つ折8面)
先ずは珍しい輸出向けカタログから。トヨタカタログNo.3016。2代目コロナとコロナラインはトヨペット・ティアラ(TOYOPET TIARA)の名称で左ハンドル車が輸出されたが振るわず、1963年までには撤退したようだ。国内向けのコロナラインが1000cc45psだったのに対してクラウンと同じR型1500cc75psエンジンを搭載していた。フロントフェンダーに付くバッチも国内向けのコロナラインではなくTOYOPET TIARAとなっている他、国内向けとは異なるオーバーライダー付バンパーを装着。
国内向けカタログでは見られない鮮やかなカラーリング
ステーションワゴン
ピックアップ
コロナラインの輸出仕様ティアラはクラウン用R型エンジン搭載
表紙にはステーションワゴン/ピックアップの印字がなく、一見ティアラセダンの輸出用カタログに見える。
●1960年7月 トヨペット・コロナライン 本カタログ (A4判・日本語8頁)
トヨタカタログNo.637。2代目コロナライン・デビュー時のカタログ。ピックアップはまだ発売されておらず、掲載されているのはライトバンのみ。
【中頁から】
テールゲートは下開き
初代最終型から引き継いだP型45psエンジン
図面: ライトバン
スペック
●1960年10月 トヨペット・コロナライン 本カタログ (A4判・日本語8頁)
トヨタカタログNo.655。ピックアップが追加された際のカタログ。ミラーの中にピックアップ、遠景に汽船という凝った表紙フォト。
【中頁から】
有料道路も少ない時代、どこの料金所でしょうか。
ピックアップ
図面: ピックアップ
●1961年9月 トヨペット・コロナライン 本カタログ (A4判・日本語12頁)
トヨタカタログNo.692。1200cc55psの2P型エンジンに換装したPT36系デビュー時の本カタログ。ダブルピックアップもデビュー。
【中頁から】
テニスをするカップル
室内
1200cc55psエンジンに換装
シングルピックアップ
ダブルピックアップ。手前の軌道敷はどこの路面電車のものでしょうか。
図面: ダブルピックアップ
●1961年9月 トヨペット・コロナライン1200ライトバン リーフレット (A4判・日本語・表裏1枚)
トヨタカタログNo.693。1958年あたりから1960年代の初頭にかけてトヨタではこのような1枚物カタログを多数発行している。
●1961年9月 トヨペット・コロナライン1200ピックアップ リーフレット (A4判・日本語・表裏1枚)
トヨタカタログNo.694。
●1962年8月 トヨペット・コロナライン 本カタログ (A4判・日本語12頁)
トヨタカタログNo.C-19。PT36系1回目のMC。表紙写真のようにフロントグリル中央に横一線に短めのメッキバーが付きサイドモールも全車種に付けられた。この年式までフェンダーミラーは右運転席側1個のみ。
【中頁から】
雨上がりの作業
ダッシュボード
シングルピックアップ
ダブルピックアップ
●1963年8月 トヨペット・コロナライン 本カタログ (A4判・日本語12頁)
トヨタカタログNo.TAC44-6。PT36系2回目のMCを受けた2代目コロナライン最終型。フロントグリルやホイルキャップが変った他、ダッシュパネルも一新された。
【中頁から】
花屋の若奥さん
花屋の若旦那
ダッシュボードが輸出を考慮しないものに一新された。
シングルピックアップ
ダブルピックアップ
★オマケ(その1): メーカー不詳(SKロゴ) 1/21スケール 1960年トヨペット・コロナライン・ライトバン警視庁パトカー 木製組立キット
箱サイズ:横21×縦15×厚さ3cm。木製ボディパーツの全長19.5cm。当時定価150円。コロナラインのデビュー時、まだパブリカのデビュー前でトヨタの乗用車は事実上クラウンとコロナの僅か2車種のみだったが、大衆はマイカー時代の到来を夢見て自動車に飢えており子供・少年向けの玩具・模型として自動車は花形であった影響で2代目コロナラインのような商用車であっても立体造形物(模型・玩具等)はリアルタイムに多数がリリースされた。トヨタ自身がアンチモニー製ライトバンPT26Vの煙草入れを出した他、田宮模型からは唯一ピックアップの木製キットもリリースされた。多数が競い合うように発売された2代目コロナラインの立体造形物の中でもこのSKロゴの木製組立キットは珍品。箱にはコロナラインの記載がどこにもないものの、中身の木製パーツもコロナラインの特長を捉えた造形となっている。
★オマケ(その2): 旭玩具1/18スケール 1960年トヨペット・コロナライン・ライトバン
全長22.5cm。ブリキ製。旭玩具製品番号3561。当時定価:全国240円。同時期に旭玩具より発売されていた縦目セドリックバンと同様にリアゲート及びリアウインド昇降ギミック付。
リアゲート開閉アクション
★オマケ(その3): 関東トイズ 1/23スケール 1960年トヨペット・コロナライン・ライトバン
全長18cm。ハイゼックス製。当時定価:不明。箱は同シリーズの310ブルーバードと共用品。コロナラインの印字がされたビニール袋に入れた上で紙箱に納めて売られたようだ。
★オマケ(その4): 旭玩具モデルペットNo.11S 1/42スケール1960年トヨペット・コロナライン・ライトバン
全長9.5cm。ダイキャスト製。当時定価170円。これは残念ながら初版ではなく品番にシート付を示す「S」が付けられた室内シート付の再販品。初版のNo.11はシートなしの素朴な造り。
★オマケ(その5): 大盛屋酒井通玩具 ミクロペット・フリクションシリーズNo.F-8番 1960年トヨペット・コロナライン・ライトバン
全長9cm。アンチモニー製。フリクション機構付。当時定価150円。モデルペットに比べてズングリムックリした印象ながら妙に味わいあり。これは塗装ハゲハゲのジャンク品ながら、箱付美品となると大盛屋のフリクションシリーズの国産車はどれも高額(スバル360は30万円以下では買えないでしょう)。これはジャンクながらもまだ半分位オリジナルの塗装が残っているので、上手く色合わせをして仕上げてみたいところです。
モデルペット(オマケ4)との並び
★三和模型1/24ポルシェ356A 日本初のポルシェのプラモ~プラモデル・コレクションから002
★こんばんは~♪
台風が近づいていますね(@_@) 東京も台風の進路によってはこの週末は雨の3連休となりそうな気配です。
しかし、4日も5日も記事のアップをしないでいるとやはりストレスが溜まる気がしますよね。今夜は少し時間があるので週末までアップを我慢しないで、日本初のポルシェのプラモデルをご紹介することにしますNE!!
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★恐らく日本で最初に発売されたポルシェのプラモデルは今回ご紹介する三和模型(サンワ)のポルシェ356Aカブリオレ (もしくはスピードスター)である。しかし、Web上を検索してみてもキットの画像は皆無であるため、本記事が少なくともWeb上初公開となるはずである。それだけ現存するキットの数も少ないということであろう。
業界誌「東京玩具商報」1961年1月号に本キットの広告が新製品として出ていることから、発売時期は業界誌が発行された1960年(昭和35年)12月の年末商戦向けだったものと推察できる。もし広告掲載までにタイムラグがあったとしても、このポルシェの発売時期は1960年の秋口か少なくとも夏以降であったと推察できる。三和模型が木製ソリッドキットからプラモデルに移行した時期は1959年(昭和34年)秋から1960年(昭和35年)春あたりにかけてと思われるので、このポルシェは三和模型のプラモ参入まだ1年目あたりのキットと推察できる。世界的に見てもポルシェのプラモデルはレベルの356スピードスター位しか存在しなかったため、世界で2番目に出たポルシェのプラモデルであったのかもしれない。日本製のポルシェのプラモデル第2号は恐らく今井科学の1/32スケール程度の1960年ポルシェ718スパイダーRS60。
★三和模型のキットには3桁の製品番号が印字されており、大雑把に以下の区分けがされていたようである。
No.100番台: 飛行機
No.200番台: 戦車・自動車・モーターサイクル
No.300番台: 戦艦・潜水艦・モーターボート
No.400番台: 風車・灯台・ピストル等の乗物以外
このポルシェ356Aのキットの製品番号は、No.210であるから200番台10番目のキットということになる。
★三和模型、日本文化教材(NBK)、三共製作所といった1960年代初頭に木製ソリッドキットからプラモデルに移行したメーカーは何れも東京台東区に本社を置いていた。
三和模型の住所は東京都台東区浅草蔵前2の17。創業者は高橋英夫氏である。三和模型は東京オリンピックの行われた1964年(昭和39年)には倒産し、多くの金型が東京プラモに引き継がれた。三和ブランドでプラモデルが販売されていた期間は5年に満たないと思われる。
【プラモデル・データ】
●発売元: 有限会社三和模型(1961年6月に株式会社に変更したため、再販品は株式会社化した後の製品)
●製品番号: No.210
●製品名: ポルシェ356A (PORSCHE356A)
三角窓のない造形はスピードスターにも見えるが、ウインドフレームが湾曲していないため普通のカブリオレのようにも見える。
●スケール: 1/24 (ちょうど1/24スケールとなったのは偶然?)
全長: 約16cm
全幅: 約7cm
●箱サイズ)
初版: 横25.2×縦11×厚さ4cm(横開けキャラメル箱)
再販: 横19×縦11×厚さ4cm(上下開き被せ箱)
●ボデイ成形色) 初版: 青、 再販: 赤
●モーターライズ: TKKマブチNo.15、単三電池2本使用(別売り)
●当時定価: 不明
●初版発売時期: 1960年(昭和35年)12月?
●三和模型1/24スケール 1959年ポルシェ356Aカブリオレ(スピードスター) 初版
何とも味のあるボックスアート。国内販売向けと輸出向けで外箱は共用されたらしく、組立説明書は日本語ながら箱に日本語の印字は全く見当たらない。
品番No.210
意外に良い感じの水転写式デカール
組立説明図
「有限会社三和模型」の印字
●三和模型1/24スケール 1959年ポルシェ356Aカブリオレ(スピードスター) 再販
カブリオレ乃至スピードスターの模型にも関わらず、あろうことか356Bクーペの広報写真が箱絵に使用された再販。箱が小さくなった以外に、パーツの成形色がケバケバしい色合いになり、初版に付いていたデカールが省かれ組立説明書も変更されている。
箱は変っても品番はNo.210のまま
パーツの色味がケバケバしくなりデカールが省略された。
デカールの貼り方説明が省略された組立説明図
●初版と再版のボディ比較
手前は大きさ比較用のトミカ1/59スケール・ポルシェ356スピードスター
●業界誌「東京玩具商報」1961年1月号 三和模型ポルシェ356Aの広告(国立国会図書館蔵)
これは三和模型自身が出した広告ではなく、大手玩具模型問屋の株式会社日本玩具(台東区南稲荷町82)が今井科学の鉄人28号プラモデルなどと一緒に掲出した広告。ポルシェが何と「ポリシュ」とされているのは、初版のパッケージには日本語がなかったため、広告制作者サイドではPORSCHEの読み方が判らなかったのであろう。既にモーターファンやモーターマガジンでポルシェ356が紹介されていた時代だが、特別カーマニアでもない普通の日本人にはポルシェの車名がまだあまり知られていなかったことを物語っているのではないだろうか。
「走るプラモデル スポーツカー ポリシュ」
★オマケ: デアゴスティーニ 1/8スケール マツダ・コスモスポーツ組立キット
2017年9月26日(火)に発売される第1号のみ490円、第2号以降は1790円で全100号というから全部買うと17万7700円。全長52cmの巨大なコスモスポーツ後期型が出来上がる。ウインカーの点滅を含め灯火類は全て点灯。1/2スケールのロータリーエンジンも付属する。今回のコスモスポーツでは、忙しくて作る時間がない、あるいは組み立てる自信がないという人のために組立サービス(組立工賃:一括払い5万9400円・分割払い7万5600円)も用意されている。組立サービスを申し込んだ場合には、マガジンのみ100号まで届き完成品は100号発売後の2019年9月以降順次お届けで遅延する可能性も有(組立依頼が殺到した場合など?)と記載されているから完成品が届くまで最低丸2年は待たなければならない。尤も以前のトヨタ2000GTの65号位まで続いたキットも私の場合は全て買うだけ買ってまだ部屋に未開封・未組立の箱の状態で山積みにしたままで今後どうすべきか困っているので(汗)、少々高い気もしますが組立サービスというのは意外に需要がありそうな気もします。でも、せっかく作るならMATカー仕様にした方がいいかもですね。
1/2スケールのロータリーエンジン付
★1976年 日野HEトラクタ トミカ・ダンディ ~ 自動車カタログ棚から 360
★台風の方は大丈夫ですかー?風雨が酷くて、せっかく予定していたおデートを止む無く中止にしたなんて人もいるかもしれませんね。ここ東京は台風の進路が北寄りだったため大した被害もなしで済みましたが、昨日は気温が低かったです。夕方、Tシャツ1枚で出かけたら寒くて震えてしまいました(汗)。それが、台風が過ぎた今日はカンカン照りでいきなり35度の猛暑日になるというので、たった1日で猛烈な温度差ですね(@_@)
★さて今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第360回記事としてトミカやトミカダンディのミニカーでよく知られている日野HE後期型のカタログをご紹介しますNE☆☆
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★大型貨物自動車を運用する運輸業界の賃金は1980年代後半から1990年代初頭のバブル期に於いてはかなりの高額で、月収80~100万、年収では軽く1000万円を超えるというドライバーも多くいたそうだ。
中でも海コン(=カイコン: 海上コンテナ)のドライバーなら年収1000万円は確実に保証されたそうなのだが、現在では輸送運賃が低下し、特に孫請け会社などのドライバーなどでは海コン以外に近・中距離輸送なども併せてやらない限り、福利厚生を天引きした手取りでは月収20万円前後まで暴落しているそうだ。しかし海コンの場合は荷役作業がクレーンなどの機械作業で基本力仕事がなく、業界で長い経験があって心身も健康であれば70代半ばの後期高齢者で尚現役というドライバーもいるそうである。私など牽引免許どころから大型免許さえ持っていないので、幾ら海コンは荷役がないから歳とっても楽に出来るよ~などと聞いても(あくまでWeb情報で真偽の程は?ですが)、おいそれとは海コン・ドライバーにはなれず、簡単になれそうなのは普通2種免許さえ取れば出来るタクシードライバー位であったりするのですが(汗)
しかし、トレーラー車を咥え煙草で鼻歌交じりに何のストレスもなしに左右後方へバック駐車させたり交差点を左折したり出来るような技能を持つ人にはやっぱり憧れてしまいますよね☆
★日野自動車がドライバーの着座位置・アイポイントの高いハイキャブのトラクタ「HE」をデビューさせたのは1971年(昭和46年)7月。ONE・UP赤いエンジンと言われた新型の直噴V8のEF100型(ターボ350ps・ノンターボ280ps)とEG100型305psを搭載しての登場であった。
当初のHEは全長の長いトレーラーを牽引させる目的でフロント・オーバーハングが極めて短いレイアウトを採っていた。1975年(昭和50年)7月にはフロントオーバーハングが延長され、翌1976年(昭和51年)4月には内装が変更されてドライバーを包み囲むように湾曲した「悠々キャビン」となった。そして、1981年(昭和56年)5月のスーパードルフィン登場と入れ替えに生産を終了した。
【主要スペック】 1976年 日野HE346トラクタ9トン (1976 Hino HE346 tractor 9ton)
全長5545㎜・全幅2490㎜・全高2965mm・ホイールベース3200㎜・最低地上高250㎜・車両重量5720㎜・第5輪荷重9000kg・車両総重量14885kg・HMMS(日野マイクロ・ミシキング・スワール)EF100T型直接噴射式ディーゼル4サイクルV型8気筒13804cc・最高出力350ps/2400rpm・最大トルク110kgm/1600rpm・圧縮比16.2・噴射順序1-8-4-2-7-3-6-5・車両最前端からカプラまでの寸法4190㎜・カプラオフセット470mm・前廻り半径1900㎜・後廻り半径1540㎜・変速機6速MT・バッテリーNS150-140Ah×2個・燃料タンク容量150ℓ・タイヤサイズ10.00-20-14PR
★1976年4月 日野HEトラクタ 専用カタログ (A4判・日本語16頁)
掲載型式はHE336・356・366・346。1970年代の日野大型トラックのカタログは総じて入手が難しくヤフオクなどに出品されても1部当り5桁以上の高額となることが多いようです。手元の自動車カタログ棚にはHEのカタログは残念ながら、この1976年4月の「悠々キャビン」採用時の1部しかありません。昔からミニカーマニアの間では、「ミニカーになっている実車のカタログだけは集めておきたいよね~」といった話をすることが多かったのですが、このカタログもトミカやトミカダンディでミニカー化されていた関係で入手したものです。ミニカーと実車カタログを見比べて、ミニカーの出来不出来を観察するのは楽しいものです。
【中頁から】
「輸送革新の花形・HE、数々の新機軸を満載、注目の登場。」
輸送の大型化による効率アップ、中継輸送・ピストン輸送などの本格的システム化、コンテナリゼーションによる合理化等、輸送革新は確実な歩みを続けています。それと同時に、明日の輸送革新の担い手として、総合的に優れたトラクタの出現が強く待ち望まれていました。こうした要請に応え、日野技術陣が激しい意欲を燃やして取り組んだのが、日野HEトラクタ・新シリーズです。新しいキャビン、新しいエンジンを搭載。トラクタの新境地を開拓しました。さらに、一新された外観イメージ、各種のキメ細かい配慮が施された機構・連結装置・・・。満身に新機軸を秘め充実し切っての登場です。
第5輪荷重9トンの海コン用車・・・海コン用車は前バンパー左右にオーバーライダーが付く。
「エンジンの日野がキャビンを変えた。悠々設計、コクピット出現。」
「充実感が全身をつつむ。一分のスキも見せない信頼の操縦席。」
「Hino Micro Mixing Swirl=HMMS。燃焼効率を飛躍させた新・赤いエンジンの精鋭たち。-きわだつ燃焼効率・ミクロの渦流。」
EK100型/270ps・EF500型/315ps・EF700型/330ps・EF100T型350psの4種。
EF100T諸元
「信頼性を高め、トレーラ連結作業を一気にスピード化。」
・連結ホース部を1コック化、スライドレールを標準装備。
安全性確保のため、左ミラーを大型化・・・しかし、ハイキャブは左前方の死角が大きく危険との声が多かったこともHEの生産中止に繋がった。
カプラ解説
「堅牢・安全・耐久の一体化。日野技術の粋を集めたその機構。」
・トレーラへの連結適合性向上、安全性を高めたブレーキシステム(マキシ・LSV標準装備)
「輸送システム化の主役=HE汎用・海コン、充実のシリーズ。」
図面: 9トン
図面: 8.5トン
スペック
裏表紙
●1971年日野HEトラクタ
自動車ガイドブックVol.18(1971~1972年版)掲載の初期のHEトラクタ達。後期型に比べてフロントオーバーハングが極く短いことが判ります。
★オマケ(その1): 1974年日野ハイキャブトラクタHE 動画
この動画をアップされた「星一番」さんによる詳細な解説: 「映画「トラック野郎」シリーズでは一番星号のライバル車としてたびたび銀幕にも登場した日野ハイキャブトラクタ。実車を見たことがない世代の方でも、劇中でその姿を見て、このアメリカンコンボイ風のフェイスに見覚えがあるという方も多いのではないでしょうか?冒頭に紹介します写真は1986年に撮影したもので、製材を積んで現役で走っていた頃の姿です。引いている台車は2014年5月に処分されましたが、ヘッドは走り始めてから40年以上の時を経た現在も健在です。動画の最後にこのHEのオーナーさんの知人の方が80年代当時に乗っておられた非常に稀少なHHのダンプの写真も紹介しておきます。「HHのダンプ??何それ???」と思われる方も多いかと思います。それもそのはず、HHといえばHEのツーデフバージョンのトレーラーヘッドに与えられた型式で、カタログ上にはダンプの設定はありませんでした。そこを特別注文によりHHのシャーシにダンプボディを架装し製作された、単車なのにハイキャブというたいへん珍しいダンプが私の住む町に2台走っていました。今回紹介しているのと同じ会社が所有されていたのですが、もう1台のほうは撮影する機会に巡り合えず、記憶に残るだけとなってしまったことが悔やまれます。このHHダンプ、フロントのぼかしガラスやヘッドライトの丸4灯→角2灯化、それに伴いライトベゼルをウロコステンレスで製作、さらにフロントグリルもウロコステンレス製に換装と、細かなところにも手が加えられています。リアバンパーに「さそり」のアンドンが組み込まれていますが、このアンドンは後にHEのオーナーさんに譲り渡され、現在も大切に保管されています。それではノスタルジックな7分間をお楽しみください。」
★オマケ(その2): トミカダンディ50番1/60スケール日野HEセミトレーラーパネルバン「ナショナル」
全長23cm。ボディ&シャシー:ダイキャスト製、荷台プラ製。当時定価1350~1500円。このナショナル以外にもバリエーションは多数。風吹裕矢のロータス・ヨーロッパ・スペシャルは2017年9月発売のドリームトミカ新製品(1/59スケール)。
★オマケ(その3): トミカダンディ52番1/60スケール日野HEセミトレーラータンクローリー「日本石油」
全長21.53cm。ボディ&シャシー:ダイキャスト製、タンク部プラ製。当時定価1350~1500円。これも石油会社違いのバリエーション等多数。
★オマケ(その4): トミカダンディDT-031番 1/60スケール日野HEカートランスポター
全長25.5cm。ボディ:ダイキャスト製、荷台プラ製。当時定価1350~1500円。これは改番された最終製品。これもカートランスポーターセットに入っていたモノを含めてカラーバリエーションは多数。
●オマケ2~4の並び
★オマケ(その5): トミカ11-2-11 日野HEセミトレーラートランスポートタンク「牧場牛乳」スーパーギフト特注他
全長7.5cm。ボディ:ダイキャスト製。当時定価220円~360円。トミカでは1975年9月に11-2でHEトレーラーのタンクローリー、24-2でパネルバンが発売され、翌1976年10月にはロングトミカL1海コン20トン×2個積み、L2カートランスポーター、L3ダンプトレーラ、更に1977年10月にはL5海コン40トンコンテナ積みにもHEキャブが流用された。11-2のタンクローリーは中国製になった1990年代後半まで売られていたので発売から20年以上もの長寿を誇ったモデルです。何れもバリエーションが多数あり今から遡ってコンプリートに集めることは相当にハードルが高いと思います。画像はすぐに取り出せたモノのみ写しています。郵便車はイトーヨーカドーの2004年特注品。