Quantcast
Channel: ポルシェ356Aカレラ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 822

★戦前1936年 野村トーイ パッカードセダン ~ブリキ自動車コレクションから 遂に200回目!

$
0
0

★引続きコレクション縮小のため委託出品中!!
手許のコレクションでダブって持っているモノや不要なモノなどを2月9日(木)夜終了のヤフオクに色々委託出品していますので、是非ご覧ください (以下は抜粋。赤字クリックでヤフオクに飛びます)☆☆


1)ブリキ 旭玩具 1962年プリンス スカイラインスポーツ 薄青メタ 約26cm 1/18程度 難有 箱無
フロントウインドクリアパーツが欠品していたため、応急的にクリアを入れてあります。ルーフに凹みもありますが、メッキパーツが綺麗で全体としては悪くない状態と思います。







2)ブリキ 野村トーイ 1965年 トヨタDA100 日本石油タンクローリー 約38cm 1/28程度 欠品多数 箱無
野村のトヨタDA100は同一キャブ流用でダンプ、ミキサー車、クレーン車等多数のバリエーションがリリースされた中で郵便車と共に数が少ない品番179の日石タンクローリー仕様。欠品有ですが十分レストアベースにはなりそうな状態で約38cmと大きいため飾り映えがします。




【参考】野村トーイ1968年版カタログよりトヨタDA100のバリエーション



3)プラモデル三共1/32いすゞベレットデラックス白成型・未組立
箱違いが3種はある三共のベレット1500デラックス4ドアセダンのうち、箱サイドのラインナップに発売の遅かったスバル1000も出ていることから、三共版としては恐らく最後に市場に出た箱。



4)オダカ(尾高産業) 1/32いすゞベレットデラックス茶成型・未組立
三共倒産後の再販品。三共のベレットはオダカ以外にミドリ(緑商会)からも再販されていますが、このオダカ版は割合残っているように思います。



5)大盛屋24番1/40プリンスグロリアデラックス黒/緑シート 傷有 箱無





6)ダイヤペット154番1/40スケール 1966年 初代サニー1000 B10 緑青 傷有 箱無
当時物唯一のB10サニーセダンのミニカー。





7)モデルペット25番410ブルーバード赤メタ 傷有 箱無





8)ダイヤペット124番1stモデル1965年いすゞベレット1600GT 青銀/水色シート 傷有 箱無





9)ダイヤペット124番1stモデル1965年いすゞベレット1600GTクリーム/水色シート 傷有 箱無





10)ダイヤペット124番2ndモデル横長テール 程度まずます 箱無





11)ダイヤペット1/40 ホンダ1300クーペ警視庁パトカー実在モデル 赤色灯伸縮アクション付 箱無



12)ダイヤペット1/55日野オートキャリア ホンダNSX等積載車4台付 日焼け有 中国製 箱付





13)英CORGI CLASSICS 1/43 1927年ベントレー3リッター ル・マン 箱付 説明書付







14)MINICHAMPS 1/43ポルシェ911ターボ 1995年993 箱付



15)バンダイBEC43 1/43フェラーリBB512赤 シール付フェラーリディーノキーホルダー付 箱付




★閑話休題
今日は「ブリキ自動車コレクションから」シリーズ第200回記事として、野村トーイの1936年パッカードをご紹介します。2016年8月12日に「イチコー試作コンテッサタクシー&縦目セドリックタクシー」をブリキ自動車コレクションシリーズ記事の第1回としてアップしてから約6年半で漸く200回目に到達したことになります。これまで1記事当り50枚以上の画像を掲載している記事も多いですが、写真を厳選し見開き2頁に1記事を纏めたとすると400頁のブリキ自動車の書籍が出来上がる計算となります☆☆
・・・という訳で今回は記念すべき(?) 第200回記事ということで、手元にあるブリキ自動車コレクションの中では超大物クラスと言える戦前の野村トーイ製パッカードをご紹介することとしますne☆☆☆
   



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



★「パッカードの良さはオーナーに聞け」(Ask the Man Who Owns One) 
この広告コピーほど自信に満ちてフェアなものはないでしょう。19世紀末(1899年)に創業した米国のパッカードはこの有名なコピーを用いて高級車市場での業績を伸ばしました。1935(昭和10)年に廉価版120を出すまでのパッカードは映画スターや大富豪が主な顧客でしたが、中流向けの廉価版120を市場に投入したことは、ピアスアロウやイスパノスイザと比肩するような絶対的な高級車であり続けたパッカードのブランドイメージを大きく低下させる結果となり、戦後の凋落、ひいては、あろうことか1957(昭和32)年にはスチュードベーカーのOEMによる兄弟車となった後、1958(昭和33)年のパッカード・ブランド自体の消滅へと繋がる結果となります。創業から数えて約60年でパッカード・ブランドはその歴史に終止符を打ったのです。


★戦前の日本に多数棲息したパッカード
第二次世界大戦前の自動車界に於いてロールス・ロイス、イスパノ・スイザ、ピアスアロウ、キャデラック、メルセデス・ベンツなどと並ぶ高級車の代表的なブランドであったパッカードは、戦前の日本においても高級車の代表格であり皇室、華族、警察を含む官公庁の公用車、大企業の社用車等として相当な台数が輸入されています。
CG初代編集長 小林彰太郎氏(1929年11月12日-2013年10月28日)の著作によれば、1930(昭和5)年の東京にはパッカードが254台も登録されていたという。トラック・バスも含めた東京の自動車登録台数が2万1063台だった時代の話です。何と100台に1台以上(約1.2%)が超高級車パッカードだったことになります。東京の自動車登録台数は2018年3月末時点で1930年の約210倍の442万台程度であり、現在の東京に置き換えれば、東京の街に何と5万台以上ものパッカードが棲息している計算となります。このように1930年当時、東京でパッカードは登録台数が非常に多かったのに対し、キャデラックは66台、リンカーンに至っては28台のみの登録であったのです。当時、既にキャデラックについては日本GMが設立され、リンカーンについては日本フォードが設立されて、日本国内で両社の中級車種についてはノックダウン生産が開始され積極的な販売も行われていたにも関わらず、キャデラック/リンカーンの登録台数がパッカードに比べると遥かに少なかったことは、戦前の日本では高級車と言えば誰もがパッカードを思い浮かべるという高級車ブランドとしての人気が定着していたことを表しています。戦前、多数の車両が国内登録されたパッカードでしたが、戦火を逃れ車齢を重ねた戦後は車齢30年を迎えた1960年代あたりに至るまで持ち前の頑丈な造りから、廃車とされずに霊柩車に架装改造されて余生を送る例が多かったようです。


●1959(昭和34)年3月 宮内庁ガレーヂの1937年パッカードと1950年ダットサン スリフトDS-2型2ドア
撮影: 自動車史/自動車文化史研究の第一人者・五十嵐平達氏(1924~2000)。初出:ネコパブリッシング「カーマガジン」1986年9月号「1950年代のアルバムから」。この時点でパッカードは車齢22年、スリフトは9年と当時の日本人所有の自家用車より遥かに長く使用されています。1959年時点で戦前のパッカードは、この1台だけではなく他にも数台在籍していたようです。



★廉価版パッカード「120」
パッカードはV12エンジンに代表される大出力エンジンを搭載した高級車でしたが、1929(昭和4)年に始まった世界大恐慌の煽りを受けて売り上げが著しく減少したことへの対策として、1935((昭和10)年1月に品質は落とさずにホイールベース120インチ(3048mm)の従来より小柄なボディに8気筒エンジンを搭載した廉価版中級車種「パッカード120」(ワントゥエンティ)を追加発売しています。
廉価版とはいえ、3mを超えるホイールベースに8気筒エンジンを搭載し、今日の目で見れば120であっても威風堂々とした大型乗用車でした。本国で980ドルから1095ドルという価格帯で販売されたパッカード120は1935(昭和10)年の1月から10月までの僅か10ヵ月間に2万4,995台、翌1936年(昭和11年)には若干値上げされたにも関わらず5万5,042台が販売されるというヒット作となります。
今回ご紹介する野村トーイ製のパッカード大小2台は何れもこの廉価版120のセダンをモデル化したものと思われます。


●1935年パッカード120ツーリングセダン 雑誌広告
前後ドアが前開きなのは、この年式だけの特徴。1935年のパッカードは、ホイールベース120インチの廉価車「120」(110ps)、ホイールベース127~139インチの「スタンダード8」(130ps)、ホイールベース132~144インチ(3657mm)の「スーパー8」(150ps)および最上級の「V12」(175ps)というラインナップであった。2年後の1937年からは120より一回り小さなホイールベース115インチで6気筒エンジンを積んだ最廉価車が追加されます。



●1936年パッカード120ツーリングセダン 雑誌広告
前後ドアが観音開きに変更されています。




右下の枠内には米国内の中産階級向けに価格がパッカードとしては初めて1000ドルを切った990ドルから1115ドルと低廉であることがアピールされています。




【1936年 パッカード120 ツーリングセダン 実車主要スペック】 (1936 Packard 120 Touring sedan Specifications)
ホイールベース3048mm・水冷直列8気筒4622cc・最高出力120ps/3800rpm・変速機3速MT・乗車定員5名・電装系12V・最高速度137km/h・米国内販売価格$990~$1115(日本国内セダン価格:1万1450円)・生産台数:1936年パッカードブランド全体6万1027台中、120シリーズは90%を占める5万5042台


【野村トーイ(小菅製造) 大1/17(小1/23)スケール 1936年(1935年) パッカード120 セダン 主要データ】 (1/17scale/1/23scale prewar 1936/1935 Packard 120 sedan by Nomura Toy/Kosuge Tinplate Model Toy)
※(註):実車のボディサイズのデータが見当たらないため、スケールはホイールベースのみでの算出。

・基本素材: ブリキ(タイヤ含む)
・製造会社: 小菅製作所(KSG/コスゲ)
・野村トーイ品番(管理番号): 不明
・発売時期: 1936~1939年頃(市場在庫は戦後1948年頃まで)
・販売価格: 不明(当時の価格で大サイズで1円台程度?)
・全長:大サイズ29.5cm 、小サイズ22.4cm 
・全幅:大サイズ10.3cm、小サイズ7.4cm
・ホイールベース:大サイズ17.6cm (実車比:1/17.3スケール)、小サイズ13.3cm(実車比:1/22.9スケール)
・箱サイズ:大サイズ縦11.5×横31.8×厚さ10.0cm、小サイズ縦7.8×横22.7×厚さ7.1cm
・ボディカラー: 大サイズ マルーンのみ?、小サイズ 赤・青の2色?
・動力: ゼンマイ
・ギミック: 前輪左右操舵
・入手難易度: 大サイズ(1936年式)10段階評価で9~9.5、小サイズ(1935年式)10段階評価で8~8.5 ※(註)箱付完品の入手難易度は戦後のバンダイ大マツダR360クーペや米澤玩具オリエント三輪ホロ付あたりの方が数段高い。
・2023年現在のアンティークトイ市場の推定評価額: 大サイズ45~90万円程度、小サイズ15~25万円程度(箱付未使用ミントコンディションの場合)



●野村トーイ(小菅製造)1/17スケール 1936年 パッカード120 ツーリングセダン
2004年発行のブリキ自動車資料本「The Big Book of TIN TOY CARS -Passenger,sports,and Concept Vehicles」(ISBN:0-7643-1,948-5) によれば、戦前の日本でパッカードのブリキのオモチャは、米澤玩具の1931年式4ドアセダン(21cmサイズ)と小菅製造(販売は野村?)の1932年式4ドアセダンと今回ご紹介する1935年式および1936年式の野村/小菅の計4種が造られたようです。4種の中で最も出来が良いのはこの野村/小菅の観音開きドアの1936年式パッカードであり、プロポーション、細部の再現等、自動車のスケールモデルとして現在の目で見ても決して悪い出来ではありません。
日本のブリキ自動車蒐集の先駆者で萬代屋(現バンダイ)赤函「世界の自動車を集めましょう」シリーズの製品化企画をされた朝田隆也氏(1934-2021年)がモデル・カーズ8号(カーマガジン1989年10月号増刊)に書かれた自伝的文章「想い出の中の戦後ティン・トイ小史」によれば、「終戦後の1946(昭和21)~1947(昭和22)年頃に鎌倉の老舗玩具店では戦時中に仕舞いこんであったと思われる1932年パッカード(コスゲ製)が店頭に並んでいた」旨の記載をされており、戦後になっても戦前製のブリキ玩具の市場在庫がみられたことが判ります。その1932年製パッカードもこの1936年式パッカード120ツーリングセダンも朝田氏は幼少時に所有していたけれども、1936年式の方は人に差し上げたのか壊してしまったかで手元から消えていた旨をモーターマガジン誌1957(昭和32)年5月号に7頁に亘り掲載された当時23歳の朝田氏のコレクションを紹介したグラフ記事と併せて「自動車模型玩具のコレクション」と題して氏が書かれた文章に記載されています。
2023年現在、モデルとした実車の年式1936年から既に87年の時を経ていますがボンネットサイドのエンジンルーバーに少しメッキの剥げが発生していることを除けば、箱を含めて昨日小菅の工場から出荷されたばかりのようなタイムマシーン・コンディションを保っています。




















美しいプロポーション




手前は大きさ比較用 青箱トミカF52-1番パッカードクーペロードスター


左前ドアにTN野村商標






右後ドアにKSGコスゲ商標


室内はフロントシートのみでリアシートやハンドルやダッシュ廻りの再現はなし。


左後ドアの穴にゼンマイを差し込む仕様


現在もゼンマイを巻くと元気よく走り出します。




シャシー裏。前輪は操舵可能。


タイヤもブリキ製


しっかりした造りの箱


内蓋付の下箱




●野村トーイ(小菅製造)1/23スケール 1935年 パッカード120 セダン
上掲の1936年式より二回り位小ぶりながらパッカードのグリルを再現しエアエンドにはキャリアが付けられているのが魅力的なモデル。残念ながらルーフに剥げが見られますが、貴重な元箱付の個体。












リアキャリア付






ルーフに色剥げあり。


手前は大きさ比較用 青箱トミカF52-1番パッカードクーペロードスター


左後ドアにKOSUGE商標




右後ドアにTN野村商標


室内の再現はなし


シャシー裏。こちらも前輪操舵可能。


裏面にゼンマイねじ造り付け。タイヤはブリキ製。




●野村トーイ(小菅製造)1/17スケール1936年パッカード120ツーリングセダンと1/23スケール 1935年 パッカード120 セダンの並び






貴重な元箱2種


ブリキ2台と一緒に並んでいるのは、小さい方から1/72 青箱トミカF52-1番、1/47?英DINKY TOYS 39A 1939年パッカード・エイト、1/43ixo 1934年パッカード V12 ル・バロン スピードスター 。








※戦前パッカード120の実車カタログについては2014年5月17日の自動車カタログ棚からシリーズ第224回記事をご参照ください。






●オマケ(その1):モーターマガジン1957年5月号掲載「朝田隆也氏のコレクション記事」
本文に記載している朝田隆也氏(1934-2021年)のコレクションが恐らく最初に世に公開されたモーターマガジン誌の7頁に亘る記事。1934年生れの氏はまだ23歳になったばかりながら、この号で初めて広く同好の士に情報交換を呼びかけ、後の日本を代表するミニカーコレクタークラブ「JMAC」の誕生に繋がったと言われます。オマケ扱いとして掲載しては少々失礼でもあり、何れ改めて内容を詳しくご紹介したいと思います。








朝田コレクションの戦前の日本製ブリキ達。左から1932年パッカード、フランクリン、ビュイック。何れも1970年代に欧州のオークションで売却し、戦前のCIJやメルクリンのブリキに比べて安価で落札された旨が1989年のモデル・カーズ8号の朝田氏の記事に書かれています。


1957(昭和32)年のモーターマガジンに掲載された記事をベースに朝田氏が書かれた1989(平成元)年のモデル・カーズ8号に掲載された「想い出の中の戦後ティン・トイ小史」。この時点では朝田氏が大量に所有されていたブリキ自動車は殆ど処分され、コスゲのジープと1935年フォードの2台を残すのみとなっていました。巡り巡って、現在、朝田氏が幼少期に遊んで傷だらけとなった赤いフォードは鎌倉在住で戦前モノに造詣の深いI氏が所有されています。




●オマケ(その2):戦前パッカードのカタログ
手元にある戦前のパッカードのカタログ各種。戦後、ポルシェの輸入代理店となった三和自動車発行の日本語版は現存するものが少なく貴重。既に過去の記事でご紹介しているカタログもありますが、未紹介のものについては、何れ詳しくご紹介したいと思います。


1937年パッカード三和自動車発行 総合カタログ日本語版(縦30.5×横22.8cm・2つ折4面)




下部に三和自動車の印字




●オマケ(その3): 今日のビートルズ「Baby It's You」1963
60年前の1963年録音。ジョンのボーカルが魅力的なカバー曲ですが、例によってビートルズバージョンがオリジナルよりもずっと有名なため、ビートルズ・オリジナル曲と錯覚してしまいますne☆☆

Viewing all articles
Browse latest Browse all 822

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>