★中央線の1970年代風ロック野郎
先日、仕事帰りの結構混んだJR中央線快速に新宿駅で1970年代ロックンローラー風スタイルの長髪にジーンズでサンダル履きの野郎さん(推定年齢30代位)がマスクなしで乗ってきました。混んだ電車にマスクなしで平然と乗ってくることだけでも既に狂ってますが、更に頭のネジが吹っ飛んでいる人らしく、乗ってくるなりヤクザ風の口調で訳の判らないこと(何だテメー、ヤルかー等々)を結構大きな声で喋りまくるのです。居合わせた他の乗客に対して話しかけているという風でもなく、独り言のような形で。問題はその人が私の真後ろでマスクなしで大きな声を発しているので飛沫がガバガバ首筋などに飛んで来ていることでした。うわっ、変異株の無症状感染者だったらどうしようと怖くなり、私が次の停車駅で無理矢理下車したことは言うまでもありません。☆
★死ぬ前に乗るクルマ
JAF加入者へ送られてくる月刊JAFメイトの最新号(2021年6月号)にユーミンパパこと松任谷正隆さん(1951年11月19日-)が「死ぬ前に乗るクルマ」のタイトルでコラムを書かれています。今年古希(70歳)となるユーミンパパがまだ20代だった1970年代に首都高速で見かけたポルシェに乗った老夫婦のことを思い出すのだけれど、今思うと歳をとって空冷ポルシェに颯爽と乗るなんてことは、それなりの体力と反射神経を持ち合わせいなければ出来ないので尊敬すべきことだなと思うといった趣旨のことを書かれています。
単に「最後に乗る車」というと実際には救急車になる可能性が高いので、正確には「最後に所有するクルマ」について書かれています。ユーミンパパ的には子供時代に排ガスの匂いにさえ興奮した世代としてはやはりエンジン付きの自動車という本音を採るか、体裁を採って最先端のエコなEVとするべきか大いに迷う。もし死にそうになってフェラーリやランボルギーニといったスーパーカーを所有していても、それは年老いて嚥下も出来ないまでに弱った体でフレンチのフルコースをどうぞと言われるようなものといった趣旨のことも書かれています。
私の場合、ユーミンパパのように自分の所有車について他人の目や体裁や世間体はあまり気にならないため、やはり自分が本当に好きなクルマと共に人生を終えるのがベストかなあと思います。私の場合、本当に好きなクルマは1956~1959年のポルシェ356A(出来ればツインカムのカレラ)、1965~1973年のナロー時代のポルシェ911(出来れば911S)、1965年のベレット1600GTといったあたりです。空冷ポルシェは近年高騰が激しいため現実的には356Aのカレラやナローの911S(出来るだけオリジナルコンデディションの車両。911Sの場合は三和正規輸入車で都内の当時の5ナンバー付車両が望ましい)を所有することは殆ど不可能かもしれません。私の場合、好きなクルマ=美しいクルマなので乗らなくともガレージに置いて眺めているだけでも満足できますので、もし運転が危なくなり免許を返納したとしても、クルマの美を感じられるレベルで頭が冴えていれば、例え運転をしなくとも好きなクルマを所有し続けるのが幸せだなあと夢見たりします。
ところで、皆さんが人生最後に所有したいクルマ、あるいは死ぬまでに1度は所有したいと思っているクルマは何ですか???☆☆
★閑話休題
今日は「ブリキ自動車コレクションから」シリーズ第123回記事として、米澤玩具(ヨネザワ)の1954年ビュイック・ステーションワゴンと併せて1950年代半ばまでのビュイックの手元にある実車カタログを簡単にご紹介しますne☆☆☆
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★ビュイック
世界の自動車ブランドの中でベンツの1886年、プジョーの1889年、ルノーの1898年、フィアットの1899年と並び19世紀末の1899年(明治32年)にその歴史の幕を開けたのがアメリカ車「ビュイック」(Buick)。ビュイック・モーター・カンパニーの設立は1903年であるもののカンパニー設立の4年前の1899年には事実上ビュイックはスタートしたとされており、アメリカ車ではキャデラックの1902年、フォードの1903年よりも歴史が若干長いこととなります。何れにしても19世紀から20世紀に変わる頃にビュイックもキャデラックもフォードも産声を上げています。
GMブランドの中でビッイックは大衆車のシボレーより上の中級ブランドに位置づけられ、保守的なアッパーミドル層向けの上品な中級の上~高級車としてのポジションを担っていました。戦後1950年代から1960年代にかけてのビュイックは、戦前の1930年代と並び魅力的な車が多数世に出ています。
●ます美の洋児保育絵本「のりもの」表紙
B5判・12頁。ます美書房(東京都中央区八重洲6-7)発行。当時定価35円。絵:寺田ひろし画伯。表紙には1954年式の赤いビュイック2ドアHTと後方に湘南顔の青に白帯の私鉄電車(どこの車輛でしょうか)が描かれています。ビュイックのナンバーは1954年以前の国内ナンバーとなっています。

●吉田茂首相の1950年ビュイック・スーパーと運転手さん
輸入外車を買うことを禁じられていた日本人が、購入が禁じられていない第三国人(外国人)から名義を借りて登録した車を3万台ナンバーとして分けていた時代の1台(このビュイックのナンバーは31927)。日本で最も有名なビュイックはこの吉田茂首相(1878年9月22日-1967年10月20日)の車と思われます。吉田首相の在任期間は1946年(昭和21年)5月22日~1952年(昭和27年)4月30日。1950年時点の国産乗用車は非力で小さなダットサンDB(20馬力)とトヨペットSD(27馬力)程度しか存在せず、車格からしても首相の公用車として使えるシロモノではなく、選択肢は自ずと外車に限られた訳ですが、GM最高級のキャデラックではなく格下のビュイックとしたのは、吉田首相在任と同時期に連合国軍最高司令官のマッカーサーが日本でGHQ公用車としてキャデラックを使用していたことに配慮したものでしょうか。

●都内で撮影された1954年ビュイック
撮影: 自動車史/自動車文化史研究の第一人者・五十嵐平達氏(1924年-2000年)。ネコ・パブリッシング「カー・マガジン」1992年3月号(通巻165号)掲載「1950年代のアルバムから」より転載。当時の英国の自動車専門誌からは「クロームのナイヤガラ」と評され、揶揄されたフロントグリルも現在の目で見ると異様な迫力と存在感があります。

【1910年代から1950年代前半のビュイックのセールスカタログ】
手元の自動車カタログ棚にある1950年代前半までのビュイックのカタログの表紙をメインにご紹介します。何れも貴重なカタログのため、何れは1部ずつ詳しくご紹介したいと思います。1950年代後半から1960年代までのビュイックのカタログも手元にありますが、今回は割愛し何れ改めてご紹介することとします。
1)1910年代のビュイックのカタログ
左上:1914年、右上:1915年、左下:1917年、右下:1918年。下2部は梁瀬発行版。2021年現在、既に100年以上の時を経たカタログの原本。元々の紙質が良いのか目立つ経年劣化は見られません。この4部ついては2014年1月2日の自動車カタログ棚からシリーズ第201回記事でご紹介していますのでご参照ください。

2)1920年代のビュイックのカタログ
左:1923年、右:1924年。2部共に米本国版。

3)1930年代のビュイックのカタログ
手前:1934年、前から2列目左:1933年、同右:1935年、前から3列目左:1936年(米本国版)、同右:1936年、奥左:1938年、同右:1937年。3列目左の黒地の1936年版以外は全て日本ゼネラル・モータースと梁瀬自動車のダブルネームで発行された貴重な日本語版。手前の1934年版のみ簡易カタログ。全て第二次大戦の戦火を逃れて生き残った貴重品ですが、奥右の1937年版については元ディーラー等でデッドストックが発見されたのか比較的沢山現存している模様です。

●1933年ビュイックカタログ日本語版(縦223×横305㎜・16頁)
青紫の上質紙を用いた表紙にBuick文字部分は金色で浮彫りされています。


アメリカ本国版カタログの言語換えカタログではなく、何とイラストも日本で描かれたもので構成されています。

4)1940年代~1950年代前半のビュイックのカタログ
手前左:1951年、手前右:1949年、前から2列目左:1942年、同右:1946年、奥左:1951年、奥中央:1954年、奥右:1953年。奥左右の白地の1951年と1953年のみ梁瀬発行版。2列目左右の1942年と1946年のカタログは第二次世界大戦の前後に当たり、日本への輸入は止まっていたためリアルタイムでは日本に入っていないと思われます。しかし、大判で上質紙を使用し分厚く豪華で溜息が出る程に魅力的なカタログです。

●1942年ビュイック・カタログ(縦240×横343㎜・英文36頁)
真珠湾攻撃直前の1941年(昭和16年)秋に発行された1942年式カタログ。厚い紙を使用し大判で分厚く豪華でイラストも素晴らしい傑作カタログです。


●1946年ビュイック・カタログ(縦230×横305㎜・英文24頁)
終戦の年、1945年の秋発行の1946年式カタログ。上掲の1942年式カタログよりは紙質が落ちていますが、それでも当時のペラペラの粗悪紙を用いた日本車のカタログとは比較にならないクォリティで、2ドアコンバーチブルもラインナップに含まれるなど終戦直後の混乱で食うや食わずだった当時の日本の庶民にとっては異次元の世界だったと言えるカタログです。

2ドア・コンバーチブル

●1954年ビュイック・カタログ(縦260×横210㎜・英文24頁)
今回のメインテーマである米澤玩具のビュイック・ステーション・ワゴンがモチーフとした1954年式の実車カタログ。

ワゴン



1954年式ビュイックの中で最もスポーティかつスタイリッシュなSkylark(スカイラーク)

【1954年ビュイック・シリーズ40スペシャル・エステートワゴン 実車主要スペック】 (1954 Buick Series 40 Special Estate Wagon Specification)
全長5239mm・全幅1930㎜・ホイールベース3099㎜・車重1771kg・FR・ボディタイプ:5ドアワゴン・水冷V型8気筒4330cc・最高出力145ps・最大トルク31.5kg・変速機コラム3速MT・乗車定員6名・0-400m:19.1秒・電装系12V・燃費5.6km/ℓ・最高速度150km/h・米国内新車販売価格:調査中
【米澤玩具 1/23スケール1954年ビュイック ステーションワゴン ブリキ製モデル玩具 主要データ】 (1/23scale 1954 Buick Station Wagon by Yonezawa Toys Tinplate model Toy KEY DATA)
・商品名: BUICK STATION WAGON
・米澤玩具 製品番号(製品管理番号): 不明
・主要素材: ブリキ
・全長: 220㎜(実車比1/23.4)
・全幅: 85㎜(実車比1/22.7)
・ホイールベース: 128mm(実車比1/24.2)
・スケール表記: なし
・箱サイズ: 縦95×横225×厚さ79㎜
・動力: 後輪フリクション
・ギミック: リアゲート上下分割開閉・前輪左右ステア
・カラーバリエーション: クリームルーフ/茶ボディ、クリームルーフ/明青ボディ 等
・シャシー再現: 若干あり(デフ・プロペラシャフト等の浮彫あり)
・発売時期: 1955年(昭和30年)頃
・販売価格: 不明
・入手難易度: 10段階評価でレベル7程度
・2021年現在のアンティーク・トイ市場での推定評価額: 5~9万円程度 (箱付未使用美品の場合)。
●米澤玩具 1/23スケール1954年ビュイック ステーションワゴン (クリーム/明青・箱なし美品)
箱はオリジナルと言われて入手しましたが、残念ながらよくよく見ると擦れなどの傷みもコピーされたリプロダクション。ドアノブやサイドモール等のメッキパーツも多く、ホイールにはBUICKのレタリングが入るなど造りが細かく凝縮感のある魅力的な製品。米澤製ブリキ自動車の傑作の一つと思います。ホイールに車名のレタリングが施されているのは同じ米澤の傑作ジャガーXK120と共通した仕様であり、このビュイックワゴンとジャガーXK120は同じ米澤の下請け工場が生産した製品だったのかもしれません。同時代のブリキ玩具の通例で国内販売数は少ないと思われます。





実車同様のクロームのナイヤガラ


リアゲート開閉




手前は大きさ比較用HOスケール(1/87)Praline1950年ビュイック


ホイールにBUICKのレタリング入り

室内


シャシー裏

桜に「Y」文字のお馴染み米澤玩具の商標

●DINKY1/47スケール1953年ビュイック・ロードマスター、Praline1/87スケール1950年ビュイック・リムジンとの並び
DINKYは残念ながら2011年のアトラス製復刻。1/43より小さ目。





●ヤフオク出品画像から1/23スケール1954年ビュイック ステーションワゴン (クリーム/茶・箱付美品)
ヤフオク2021年4月30日(金)夜終了オークションの画像。落札価格8万4300円。この個体の箱には昭和31年(1956年)1月15日付の日本国内の販売店のシールが付いていることから、遅くとも1955年(昭和30年)のクリスマス時期には市場に出た製品であったと推定出来ます。


落札額8万4300円

★オマケ(その1): トミカ2021年5月新製品
2021年5月15日(土)はトミカ新車とトイザらスオリジナルトミカの発売日ということで一通り入手してきました。115番1/62スケール スバルWRX S4 STI スポーツ#(通常品:青メタ、初回:純白)、44番1/73スケール日産NV400EV救急車(以上、各1台税込495円)、トイザらス限定トミカ76番1/64スケール日産スカイライン400Rスプリント・コンセプトカラーリング仕様(税込み769円)の4種。スカイライン400Rスプリント・コンセプト2020年2月の大阪オートメッセ2020に展示された車両。


今月のイチオシはやはりこの救急車になりますが、ドアがどこも開かないのは何とも残念です。



★オマケ(その2): 今日のビートルズ「All My Loving」 1963
1964年6月17日、Live At The Festival Hall in Melbourne。ビートルズ初期のポールの名曲の一つ。この動画では演奏難易度高めのジョンの3連符のリズムギターが鮮明に聴き取れます。この曲、私は気づけば無意識に鼻歌を唄っていることがあり、コロナ前には時たまステージでも唄っていました☆☆