★2時間
今週までで終わる予定の在宅勤務では往復2時間の通勤時間がなくなり、時間の余裕が出来ましたので、記事を一つサクっとアップしておこうかと思います。私の記事作りはカタログ等の資料を探すことから始めることが多いのですが、元来整理が不得手なこともあって記事に必要な資料を1つ探し出すのに1~2時間掛かるようなこともあります。実は記事が完成するまでに丸1日以上時間が掛かるようなことも珍しくはないのですが、今日は通勤で浮いた時間を使ってアップするつもりで簡単にアップしますne☆☆
★閑話休題
今回は「ブリキ自動車コレクションから」シリーズ第93回記事として、谷口商店/宮沢模型(ダブルネーム)の1952年ナッシュ・アンバサダー(ピニンファリーナ・デザイン)をご紹介しますne☆
このところ外国車の記事ばかりが続いていますので、「古い日本車以外は全く興味がないのよね、つまらないなあもう」という読者の方も居られると思いますので、今回もオマケとして前回に引き続き昔の中古車情報を国産車中心にUPしますので御笑覧頂ければ幸いです☆☆☆
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●1952年式ナッシュ
ナッシュ(Nash)というアメリカの自動車ブランドが存在したのは1902年(明治35年)~1957年(昭和32年)の55年間であり、既にブランド消滅から長い年月を経た現在の日本では殆ど知られていないと思います。1902年に生産を開始したナッシュ・ランブラーは米国内ではオールズモビルに次ぐ2番目の量産ガソリン車でした。ナッシュはアメリカの自動車メーカーの中で量産車への様々な先進技術導入の先駆者であったことで知られ、極めて革新的な設計の直列8気筒エンジン(1920年代後半)、モノコック構造採用(1941年)、冷却水廃熱による自動車用ヒーターと通気(ベンチレーション)総合システム搭載(1938年)、シートベルト装備(1950年)などがあります。
戦後型として発表された1949年型ナッシュは先進的なデザインで市場に好感を持って受け入れられ、特に前後のホイールハウスを半分覆ったスタイルは回転半径の増大をもたらす欠点はあったものの遠目にも一目でナッシュと判る極めて個性的なものでした。
前後ホイールハウスを囲うなどの特徴は変えない正常進化形ながら1952年型ではナッシュ50周年記念としてピニンファリーナ・デザインにフルチェンジします。この時代のナッシュには上からアンバサダー(Ambassador)、ステイツマン(Statesman)、ランブラー(Rambler)の3種があり、それぞれに2ドア・4ドア・2ドアHT「カントリークラブ」、サイドウインド枠を残してルーフが全開する「コンバーチブル・ランドー」等のボディが存在しました。1952年式ナッシュ3種の全長・全幅・ホイールベース・排気量・出力は以下の通り。最下位のランブラーはアメリカ製コンパクトカーの嚆矢となったクルマながら同時代の小さく非力な日本車(トヨペットがS型28馬力エンジン、日産自動車のダットサンが25馬力エンジンの時代)と比べれば彼の地ではコンパクトカーであっても日本人には正に夢の世界のクルマだったと言えます。
【1952年式ナッシュ 実車3グレード基本スペック】(1952 Nash Specification)
1)アンバサダー(Ambassador):全長5315㎜・全幅1981㎜・WB3080㎜・4139cc・120hpHP/3400rpm
2)ステイスマン(Statesman):全長5137㎜・全幅1981㎜・WB2902㎜・3205cc・88HP/3800rpm
3)ランブラー(Rambler):全長4470㎜・全幅1860㎜・WB2540mm・2828cc・82HP/3800rpm
●1952年ナッシュ セールスカタログ本国版より
1952年ナッシュ・ステイツマン・カントリークラブ2ドアHT

1952年ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ2ドアHT(リアビュー)

1952年ナッシュ・アンバサダー4ドアセダン

1952年ナッシュ・アンバサダー2ドアセダン(山にて)

1952年ナッシュ・アンバサダー2ドアセダン(海にて;ナッシュ生誕50周年)

●1952年ナッシュ セールスカタログ日本国内配布版(縦214×横140㎜・2つ折4面・英文) ※筆者蔵
英文表記ながら裏面に国内正規販売店(Authorized Distributors)として東京港区麻布の東急モータースと大阪市北区の東急ウエスタンモータースの印字があり、国内で配布されたカタログであることが判ります。



裏面には日本国内の正規販売店が印字されています。


【谷口商店/宮沢模型1/22スケール 1952年 ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ2ドアHT ブリキ玩具 主要データ】(1/22scale 1952 Nash Ambassador Country Club 2door HT Tinplate Toy KEY DATA)
・商品名: Nash (箱の印字)
・谷口商店/宮沢模型 製品番号(管理番号): №1031?(本体リアナンバーの印字)
・基本素材: ブリキ
・発売時期: 1953年(昭和28年)~1954年(昭和29年)頃
・販売価格: 不明(都内・地方共)
・全長210mm (実車比:1/25.3スケール)
・全幅90mm (実車比:1/22.0スケール)
・ホイールベース114mm (実車比:1/27.0スケール)
・箱サイズ: 縦95×横216×高さ72㎜
・ボディカラー: 赤・黒・ベージュ 等
・動力: 後輪フリクション
・シャシー再現: 細かくFR車風にプリント表現あり
・入手難易度: 10段階評価で6~7程度
・特記事項: 箱・本体裏板共に菱型にTとSの字が重なった谷口商店(谷口光二社長)と菱型にMSK文字の宮沢模型と思われる商標2つが見られます。大物玩具の問屋として知られた谷口商店が販売、鉄道模型で有名な宮沢模型が製造した製品と推定。
・2020年現在のアンティーク・トイ市場の推定評価額: 2~3.2万円程度 (箱付未使用ミントコンディションの場合)
※1/22スケールは全幅比。
●谷口商店/宮沢模型1/22スケール 1952年 ナッシュ・アンバサダー・カントリークラブ2ドアHT
フロントグリルとフェンダーの造形から一応ナッシュには見えるというレベルの製品ながら、ピニンファリーナデザインのナッシュは他にマルサンが1954年式ワゴンを出している程度で立体造形物が少なく貴重な存在。実車にはフロントウインドにセンターピラーはなかったのにピラーが付いているのはピラーが付いているのが普通だった時代を表しています。





テールライトは赤塗りの別パーツが奢られているものの残念ながら実車とは全く異なる丸型。



手前は大きさ比較用トミカF2-1キャデラック(全長77mm)

上箱右下に谷口商店の商標

1950年代の玩具会社商標一覧に掲載された谷口商店のデータ

上箱左下にMSK文字の宮沢模型の商標


室内にはハンドルやメーター機器等が細かくプリントされていますが実車の意匠とは異なります。

シャシー裏。細かくプリントされています。

シャシー裏には谷口商店(左)と宮沢模型(右)の商標が並んでプリントされています。

ボロボロながら工場出荷時の保護紙に包まれたままです。

時代もスケールも近い萬代屋トヨペットマスタータクシーとの並び






★オマケ(その1): 1931年ナッシュ90型8気筒車 本カタログ日本語版 (縦303×横230㎜・日本語20頁)
恐らく1930年(昭和5年)の秋発行。手元にあるナッシュのカタログでは一番古いもので、2020年現在90年を経ています。しっかりとしたアート紙に印刷され、紙の劣化は殆ど見られません。ナッシュ日本総代理店だった赤坂溜池の合資会社葵自動車商会発行。このカタログはオマケとするには大物過ぎるので、改めて別記事として全頁をご紹介することとし、今回はラインナップの中で最もスタイリッシュなクーペの頁のみ御紹介します。
表紙には立派な浮彫りがされています。

クーペ

溜池・葵自動車商会の印字

★オマケ(その2): ピットイン1976年(昭和51年) 11月の中古車相場
芸文社のピットイン1976年11月号に掲載された中古車販売店の広告から12台を抜粋。1976年11月、私は高2の2学期でまだ運転免許は採れない年齢でした。前回1971年の中古車記事から5年の時が流れ、トヨタ2000GTは新車価格の1.5倍程度、エスハチやヨタハチも新車価格より高い80万円台、フェアレディ240ZGが新車価格150万円より遥かに高い200万円以上になるなどオイルショック前の牙を抜かれる前の絶版スポーツカーの流通価格が上がり始めています。一方、1960年代のクラウンやセドリックといった古い乗用車は中古車広告からはすっかり消え去っています。1976年の初任給は約9万円、平均年収は約220万円でしたので今回ご紹介する中古車の価格は現在の貨幣価値では2倍以上にはなると思います。
この号の表紙は山口百恵さん。百恵さんは私と同じ1959年生まれながら私よりも学年は1つ上のお姉さんでした。所謂、「花の中三トリオ」と言われた山口百恵、桜田淳子、森昌子には私は当時からまるで惹かれるものがなく、何故人気があるのか不思議に思ったものでした。

この号の巻頭カラーは何と1955年からの国産自動車カタログでかなりレアなカタログも紹介されています。しかし、この雑誌の出た1976年の時点では、インターネット・オークションはおろか国内に古い自動車カタログを扱う専門店もなく、古い自動車カタログの蒐集は雑誌の売買欄などで「買います」の投稿をする位しか入手する手立てはなかったと思います。

(1) 1968年トヨタ2000GT・・・・・370万円
8年落ち。走行キロ記載なし。発売時の価格238万円の約1.5倍と高騰しています。

(2) 1973年フェアレディ240ZG・・・・・228万円
3年落ち、走行距離3万9500キロ。新車価格150万円の1.5倍程度に高騰しています。

(3) 1969年マツダコスモスポーツ・・・・・148万円
7年落ちの後期型。走行距離8.2万キロと走り込んでますが、新車価格とピッタリ同額での販売。

(4) 1968年フェアレディ2000・・・・・120万円
8年落ち、走行6.4万キロと走り込んでいますが、5年前1971年の中古車情報では20万円台だったのが高騰し、新車価格の96万円より上がっています。

(5) 1966年ホンダS800クーペ・・・・・84万円
10年落ち、走行距離の記載なしですが、5年前1971年の中古車情報では10万円台前半(11万円など)だったのが、急激に高騰しています。

(6) 1965年トヨタスポーツ800・・・・・82万円
11年落ち、走行5985キロは恐らく印字ミスで5.9万キロでしょう。ヨタハチも新車価格よりかなり高騰してきています。

(7) 1967年スカイライン2000GTB・・・・・28万円
9年落ち、走行距離8万6000キロ。スカGはハコスカ、ケンメリと世代交代しているためか2世代前のS54は高騰しなかったようです。

(8) 1974年クラウンスーパーサルーン・・・・・185万円
2年落ち、走行1.5万キロ。5代目初期型はこの広告の1976年の時点ではまだ現行車だっただけに高価です。エアコン、カーステ共に純正と記載されています。

(9) 1973年セドリック4ドアHT2600GX・・・・・125万円
3年落ち、走行距離4万1430キロ。3ナンバー、日本初の4ドアHTというアドバンテージのある車でしたが、この広告の時点では既にセドグロは330にフルチェンジしていたため、230のフラッグシップも値落ちしています。

(10) 1974年ジャガーEタイプ・・・・・450万円
2年落ち、走行距離記載なし。5.3リッターV12を搭載したEタイプ最終のシリーズ3。Eタイプは1975年2月に生産を終えているため、この1974年登録は末期の車両。Eタイプはやはり3.8リッター乃至4.2リッターのシリーズ1が一番美しいですが、今となってはこの最終型シリーズ3であってもそこそこ魅力的に見えます。

(11) 1972年ポルシェ911S・・・・・420万円
4年落ち、走行距離記載なし。1972年というと2.4リッターのナロー最終911Sでしょうか。

(12) 1973年フォルクスワーゲン・ビートル1303S・・・・・119万円
3年落ち、走行距離4万8600キロ。この時点でドイツ製ビートルはまだ現行車だっただけにやや高価な印象。

★オマケ(その3): 今日のビートルズ「Run for Your Life」 1965
アルバム「ラバーソウル」」B面ラスト。ジョン自身は晩年のインタビューで書き殴りの1曲で好きではないと言っていたけれど、俗に「ビートルズに駄作なし」とも言いますが、やっぱりいいです、この曲も。邦題「浮気娘」。