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★1966年マセラティ・ミストラル 南仏の季節風 ~ 自動車カタログ棚から 328

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さて、もう10月ですね。今年も残り、4分の1。まだ台風が来たりなど、すっきりとした秋晴れにはならないようですが、さすがに少し涼しくなってきたのは助かります。急な気温の変化と睡眠不足が原因かワタシは風邪気味になってしまいました。クシャミ、鼻水位の段階で止まるようちょっと大事にしたいと思います☆

2020年の東京オリンピック/パラリンピックの開催時を目標に政府も後押ししてクルマの自動運転が目指されています。自動運転の分野の先進国であるドイツに負けじと国内の自動車メーカーも本腰を入れて開発に取り組み始めているようです。一方、ITの巨人グーグルは自動運転の要となるソフト面での世界制覇を本気で目論んでいるようです。
4年後のオリンピック開催の秋にレベル4の完全自動運転が実現できる可能性があるのは、東京でも恐らく限られた地区のタクシーだけとなり、例えば湾岸地区に滞在するオリンピック選手団が競技会場までの移動に使用するなどといったことが想定できます。日英仏伊独蘭語あたりの音声を自動認識し、認識した目的地まで人を運ぶといったことも想定されているようですが、現段階では技術面のみならず運転手不在の自動運転がそもそもジュネーブ道路交通条約で禁止されているなど法制面でも課題が山積していることは間違いないようです。
今後、レベル4の完全自動運転車が日本国内で市販に移されるのは2020年代の前半とも予想されています。四半世紀後の2040~2050年あたりには自動運転車が路上を走るクルマの主流となり、人が運転する現在のスタイルのクルマは過去の遺物となると予測する向きもあります。現にヤマト運輸でも完全無人自動運転配送の研究が始まっているそうです。現在のように人が五感を使ってクルマを運転するということは原則としてなくなり(あるいは禁止され)、タクシーやバスやトラックなどのクルマを運転するという職業もなくなり、運転そのものを楽しみたい場合には専用のサーキットが用意されるといったことになる可能性もあります。しかし、これでは自動運転ではない(過去の)クルマを自ら運転したい場合には、専用のサーキットにクルマを持ちこむしかないという話となり、日常的な運転の楽しみを人から奪う形となってしまうので反対論が出ることは必至でしょう。



閑話休題
ワタシは何事でも丁寧に取り組む悪癖がある所為か記事のアップには実はかなりの時間がかかっています(汗)。やりたいこと、やるべきことがブログの他にも沢山あり時間があまりありませんので、今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第328回記事として1960年代のイタリア車「マセラティ・ミストラル」をサクっとアップしますね☆☆
 



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★イタリアのカーデザイナー「ピエトロ・フルア」(Pietro Frua;1913年5月2日-1983年6月28日)は、70歳の誕生日を過ぎ癌宣告を受けて死を目前とした1983年(昭和58年)5月に長年彼に寄り添ってきた女性ジーナ(Gina)と結婚したという。
彼が死を目前としてジーナと籍を入れたのは、遺産を相続させることが目的ではなく、この世で彼の正式な妻としての立場を与えたかったからではあるまいか。このことは、自動車史/自動車文化史の第一人者であった五十嵐平達氏が、当然、氏の養子にすべき関係にあった人を養子縁組しないまま逝ってしまったことを、あの世で悔やんでいるに違いないであろうことを想起させる。
デザイナー・フルアの代表作というと、ルノー・フロリード、ボルボP1800、そして今回ご紹介するマセラティ・ミストラルの3車が挙げられるであろう。


★1914年(大正3年)に創業したマセラティ(Maserati) は、その100年を超える歴史の中で数々のレーシグカー、スポーツカーを産み出してきた。
マセラティには創業以前の前史が存在し、その物語の始まりは19世紀にまで遡る。1880年(明治13年)~1898年(明治31年)までに生を受けたマセラティ家6人兄弟のうち、芸術家となった1人を除く5人が力を合せて築いたメーカーがマセラティであり、戦前から1957年(昭和32年)まではF1GPを中心に活躍し、1960年代以降はフェラーリと並ぶ豪華グランツーリスモのメーカーに転身した。
マセラティは1957年のジュネーブ・ショーに2+2ボディの市販車3500GT(6気筒DOHC3485cc/230hp・WB2600㎜)を登場させた。この3500GTのフレーム付シャシーをベースにホイールベースを2400㎜に縮め、フルアが斬新な2座ハッチバック・ボディを架装して1963年(昭和38年)11月のトリノ・ショーに登場したのが「ミストラル」(MISTRAL=仏南東部に吹く冷たく乾燥した季節風の意味)である。日本では第10回東京モーターショー(当時の正式名称は全日本自動車ショー)が開催されて最初のベレットGTが展示され2代目スカイライン50系やホンダS500がデビューした時期に当る。
最初のミストラルは、3500GTIと同じ3500cc/235hpを搭載していたが、1966年(昭和41年)3月に3700GTI(3700cc/245hp)及び4000GTI(4014cc/255hp)が標準となり、そのMCの際、外観上はフロントフェンダーに開閉式エア・アウトレットが付いたことで初期型3500GTIとの識別ができる。ボディタイプとしては、HBクーペのデビューより4ヵ月遅れて1964年のジュネーブ・ショーでフルオープンのスパイダーがデビューし、エンジンは基本クーペと同じ変遷を辿るが外観上はフロントフェンダーのアウトレットが最後までスパイダーには取り付けられなかった。
マセラティとしては長寿車で1963年秋~1970年まで約7年間もカタログに載り続け、クーペ828台、スパイダー120台が製造・販売された。日本にも新東洋モータースの手により少数が上陸している模様。なお、ミストラルは英米向けでの販売名称で、当初イタリア本国では単に「デュエポスティ」(=2Posti=2座席)の車名で販売された。


【主要スペック】 1966年マセラティ・ミストラル4000GTI クーペ (1966 MASERATI MISTRAL 4000GTI Coupe)
全長4500㎜・全幅1650㎜・全高1280㎜・ホイールベース2400㎜・トレッド:前1390㎜/後1360㎜・フレーム付2ドアHBクーペ・車重1350kg・FR・水冷直列6気筒DOHCフロント縦置き燃料噴射4014cc・圧縮比8.8:1・最高出力255ps/5200rpm・最大トルク37.0mkg/4000rpm・変速機5速MT・四輪ディスクブレーキ・乗車定員2名・燃料タンク容量70ℓ・最高速度255km/h・国内販売価格:調査中



●1967年マセラティ・ミストラル4.0と美女
1967年ミストラルと美女


●絵本に描かれたマセラティ・ミストラル
ひかりのくに絵本「じどうしゃ」より。絵:村瀬有紀 画伯。絵本に登場するミストラルは珍しい。上の白いクルマは1964年ダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ。
絵本


●1964年マセラティ・クーペ3500GT 広報写真
モーターマガジン1964年5月号新車紹介グラフ記事より。フロントフェンダーにアウトレットの付かない初期型。記事には、「3.5GTに新しく加えられた2座のヴァリエーションでシャシは3500GTのものを使っているがリアの板バネをコイルバネに換え、ボディはフルアのデザインによるもので曲面ガラスを用いたサイドや大容量のトランクルームが特徴。直6・260馬力エンジンに5速ギアボックスで最高速度245kmをマークする。」とある。この時点ではミストラルの車名は使われていない。
モーターマガジン



●1966年3月? マセラティ・ミストラル 本カタログ (縦16×横32cm・英独仏伊4ヵ国語併記10頁)
1960年代後半のマセラティ・カタログのフォーマットであった白地に横長大判サイズ。
(1)表紙

(2)表紙アップクーペ

(3)表紙アップスパイダー


【中頁から】

「快適性と信頼性を併せ持つ最も権威と名声のあるスポーツカー」
(4)2台

フロント、リア、クーペとスパイダー
(5)前後+スパイダー

スパイダー・ソフトトップ
(6)ソフトトップ

スパイダー・ハードトップ
(7)ハードトップ

室内及びリアハッチ
(8)室内リアハッチ

上質な室内
(9)室内アップ

リアゲートを開けると2人には十分広いラゲッジスペース
(10)リアハッチアップ

図面及び7連メーターのインパネ
(11)図面インパネ7連メーター

6気筒DOHCエンジン
(12)6気筒エンジン

スペック(英語記載部分): オートマチック・トランスミッションとエアコンはオプションとして記載されている。
(13)スペック英文

裏表紙
(14)裏表紙





★オマケ(その1): 日本模型(ニチモ) プロコン・ミニ1/24スケール 1966年マセラーティ3700GT
全長19cm。プラ製ラジコン完成品。当時定価:5200円。1966年12月発売。定価が高かったため、模型店の長期不良在庫となったケースが多かったのか(?)、半世紀を経た2016年現在でもヤフオクなどでは当時の定価以下で相当数が流通しています。箱絵及び裏面の使用説明はプリムス・バラクーダと共用で、マセラティは楕円シールを貼っただけというのが少々残念。マセラーティ3700GTの文字のみでミストラルの表記はなし。成形色のくすんだ薄水色が何とも冴えないながらも出来は良いので、ボディを上手くペイントすれば見違えるような良いモデルになりそうです。1960年代後半のニチモというと、個人的にはエレキギタートリオやハワイアンバンド、ドラムスなどの楽器シリーズを作ったことが懐かしいです。
ニチモ(1)

ニチモ(2)

ニチモ(3)

紙箱を開けると更にプラ製アタッシュケースに入れられており持ち運んでも遊べるようになっている。しかし、大量の電池やアンテナのセッティング作業など少々面倒で子供が気楽に遊べるシロモノではなかった感じがします。
ニチモ(4)佐野市アタッシュケース



★オマケ(その2): 仏ソリド139番 1/43スケール マセラティ3.5L
全長10.5cm。ダイキャスト製。ボンネット、ドア開閉。シャシー裏面には、「Maserati 3.5」とありミストラルの刻印はないものの、フェンダーにエアアウトレットが付いた3700/4000をモデル化している。ジュエルライトにワイヤーホイールの魅力的なミニカー。画像の赤の他にシルバー、金茶、エンジメタなどカラーバリエーションは多数。1/43の当時物ミニカーは伊メーベからも出ていた。
ソリド(1)

ソリド(2)

ソリド(3)

リアハッチ以外は全て開閉
ソリド(4)



★オマケ(その3): 「そんな本日のホットウィール」 1/66スケール程度 マセラティ・ミストラル
全長6.8cm。ダイキャスト製。ボンネット開閉。エンジンはV12に見える。シャシー裏面には、「MASERATI MISTRAL 1969 MATEL.INC. HONG KONG」の刻印あり。遊ばれて傷だらけながら、HW初期のレッドラインのようです。
HW(1)

HW(2)赤リア

HW(3)


●オマケ1~3の並び
HW(4)集合1

HW(5)集合2



★オマケ(その4): マセラティ・ミストラル 実車動画




★オマケ(その5): コレクター 朝田隆也氏 紹介記事
冒頭の写真の掲載されたモーターマガジン1964年5月号に日本を代表するミニカーコレクターズクラブJMACの草創期からのメンバー朝田隆也氏の興味深い紹介記事が出ている。当時、朝田氏は30歳位?戦前ブリキ3台の写真が貴重。残念ながら朝田氏は1980年頃に戦後のモノも含めてブリキモデルは全て手放されたようだ。何時だったかの横浜ワンダーランドマーケットで萬代屋などブリキの話をお伺いした際、もし今も売らずに持っていたらフェラーリが買えますと言って笑っておられた。休日用には1960年ライレー1.5、普段の通勤用にはブルーバードを使用と記事にあるので、1964年当時としてはかなり裕福に暮らしておられたようだ。
朝田氏(1)

戦前の貴重な日本製ブリキ3台。左から倉持商店1936年ポンティアック、小菅(コスゲ)1932年パッカード、野村トーイ1928年フランクリン。
朝田氏(2)ブリキ

朝田氏と1960年ライレー1.5。「神」ナンバーは神戸ではなく神奈川を示します。
朝田氏(3)神奈川ライレー


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