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★1958年マーキュリー 米澤玩具・東京駅構内タクシーこち亀展 ~ 自動車カタログ棚から 327

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さて、雨に祟られたシルバーウィークも今日でお仕舞い。シルバーウィークは雨が多くて涼しくて良かったという向きもおられると思いますが、悪天候のために予定していたハイキング(←死語?)や山登りなどが出来なかったという向きもおられるかもしれません。一般には明日からまたいつもの忙しい日々がやって来ますから、休みで緩んだ気持ちを切り替えてガンバリンコしないとダメですよね☆
ワタシはこの休みに日本橋高島屋での「こち亀展」と9月22日から上映が始まったビートルズのワールドツアーの日々を追った映画「EIGHT DAYS A WEEK」( エイト・デイズ・ア・ウィーク)の2つを当初の予定通りに観ることが出来たので、まあまあ良いシルバーウィークだったかなあ?という感じです(今回の記事のオマケに少し載せておきます)。


閑話休題
もう9月も残すところ1週間なのに振り返れば今月は、「玩具・模型カタログ棚から」と「乗物絵本棚から」の記事などで、「自動車カタログ棚から」の記事を1回もアップしていませんでした。実は今年2016年の初めに「自動車カタログ棚から」シリーズ第300回記事をポルシェ356B/Cでアップした時には今年は350回目まで頑張ろうとも思っていたのですが、ライブなど休日はブログ以外に時間を割くことが沢山あり、これからも月に1記事程度のペースとなる可能性も高いので年内に330回目位が限度かもしれません(汗)
という訳で今回は久々に「自動車カタログ棚から」シリーズの記事です。第327回記事として1950年代のアメ車、1958年のマーキュリーをピックアップします☆



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★1930年代初頭、ヘンリー・フォードの持ち駒は実用大衆車フォードと高級車リンカーンという両極端の2車種しかなかった。
これに対してGMは中級車という持ち駒をビュイック、ポンティアック、オールズモビルの3車種も持っていた。ヘンリー・フォードはその事実の本当の意味に気付かぬまま歳月を重ねていたが、フォード2世エドセルが成人して経営に参画するようになると、GMのラサールに対抗する車種としてリンカーン・ゼファーを出して成功したが、GMのビュイック40型が大ヒットするとフォードとしても中級車市場の存在を無視できなくなっていた。こうした状況の中、1938年(昭和13年)6月にフォード・デラックスとリンカーン・ゼファーとの中間クラスとしてエドセルが登場させたのが最初のマーキュリー(MERCURY)であった(一般発売は1938年11月)。デビュー当初のマーキュリーの販売は好調で1938年11月・12月の僅か2ヵ月で16,632台が生産され、1939年(昭和14年)の登録台数は65,884台を記録した。マーキュリーのボディタイプは4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアコンバーチブルと当初から4種類もあり、更に1939年7月には4ドアコンバーチブルも追加された。戦前のマーキュリーは第二次世界大戦の影響で1941年10月3日~1942年2月10日までの約4ヵ月間のみ生産された1942年型が最終となった(1943~1945年型は存在しない)。マーキュリーの発売は日本での外車輸入禁止とタイミングがピタリ合ってしまったため、アメリカ本国ではかなりの台数が生産販売されたにも係わらず戦前の日本で見る機会は極めて稀であり、自動車史研究/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924年-2000年)の著作によれば、日本フォードの正規ルート以外で入った車両が1台存在したのみであったという。


★ヘンリー・フォード(Henry Ford:1863年7月30日-1947年4月7日)の一人息子エドセルは、フォード社の社長職を1918年(大正7年)12月にヘンリーから譲り受けたが最終決定権は依然としてヘンリーが持ち続けていた。
しかし、1943年(昭和18年)にエドセルは心労が原因の胃癌により50歳で逝ってしまう。既に80歳となっていたヘンリーがいったん社長に返り咲くがエドセルの妻が老ヘンリーの社長復帰には猛反対し、画策した末、エドセルの若い長男ヘンリーフォードⅡ世(1917 –1987)を社長職に就かせることに成功した。
戦後のフォードは、ヘンリーフォードⅡ世が中級車マーキュリーの生産を再開するに当り、高級車リンカーンとマーキュリーを同一部門とし、1945年(昭和20年)10月に「リンカーン・マーキュリー・ディヴィジョン」を立ち上げることから出発した。マーキュリーは、1946年~1948年型までは戦前型の化粧直しモデルとして発売され、1948年8月登場の1949年型よりフラッシュサイドの真の戦後型となった。1949年~1951年が戦後の第一世代、1952年~1954年が第二世代、1955年~1956年が第三世代、1957年~1959年が第四世代と1950年代までは凡そ3年周期でフルモデルチェンジを繰り返し、更に毎年マイナーチェンジもされた。今回ご紹介する1958年型はマーキュリーの戦後第四世代の中期モデルということになる。戦後のフルサイズ・アメリカ車がギラギラ輝くクロームメッキにテールフィンを生やした黄金時代の1台である。1958年のマーキュリーは現代のクルマが持つ装備は(オプションを含めれば)既に殆ど備えており、その巨大なボディとオーバーデコラティブな外観が醸し出すムードは好みが分かれるところでもあるが、一種異様な凄みさえ感じさせる。
その後のマーキュリーブランドは、マスタングベースの1967年登場のマーキュリー・クーガーがヒットするなどしたが、1970年代後半以降は販売不振に陥り、ブランド誕生から約73年を経た2011年1月4日の生産車をもってブランドの歴史に幕を下ろした。


★マーキュリー車名の由来: ローマ神話に登場する12人の最高神=ディー・コンセンテス(Dii Consentes)の1人、商人や旅人の守護神メルクリウス (Mercurius)の英語名がマーキュリー (Mercury)。


【主要スペック】 1958年マーキュリー パークレーン フェートンセダン  (1958 Mercury Park Lane Phaeton Sedan)
全長5593㎜・全幅2060㎜・ホイールベース3175㎜(125in)・車両重量1991kg・ボディタイプ:4ドアハードトップ・標準ボディカラー16色・FR・水冷V8/7046cc(460cubic inch)・最高出力360hp・最大トルク58.65kgf-m・変速機3速押しボタン式AT(Merc-O-Matic)・パワーステアリング/パワーウインド/4ウェイパワーシート/オートクルーズ/エアコン装備・乗車定員6名・最高速度201km/h(125mph)・0-402m:16.2秒・燃費4.3km/ℓ(平坦路)・米国内販売価格:調査中



●1958年 マーキュリー 総合カタログ (縦15.5×横22.8cm・英文32頁)
1957年9月発行。カタログNo.M58-104。判型が小さ目なフルライン本カタログ。イラストとカラー写真が併用されている。この年のマーキュリーは大別して上から360hp(オプションで400hpの高出力エンジンも選択可)のパークレーン(Park Lane)、330hpのモンテクリア(Montclairs)、312hpのモンテリー(Monterey)の3つのグレードがあり、ボディタイプは各々4ドアセダン、2ドアセダン、4ドアハードトップ(フェートンセダン)、2ドアハードトップ(フェートンクーペ)、2ドアコンバーチブルの5種が選択できた。更にボイジャー(Voyager)及びコミューター(Commuter)という2つのグレードの4ドアハードトップ及び2ドアハードトップのワゴン(!)が存在し、総計22種に及ぶワイドバリエーションであった。
前年1957年型では最上級グレードのターンパイクにのみ採用された4灯ヘッドライトが1958年型では全車に標準となり、前後の左右分割で大きな口を開けたバンパーグリルがデザイン上のポイントとなっている。機構的には変則レバーなしのキーボード(押しボタン)式変速機やオートクルーズ(巡航速度自動保持装置)、パワーシートといった装備が全車にオプションとなった。1958年型マーキュリーの生産台数は同年デビューの新型車エドセルの影響で前年より半減したが、それでも月産1万台を軽く超える13万3271台を記録した。
日本では僅か1500cc/55hpのクラウンデラックス(RSD)が庶民には高嶺の花であった時代であり、オールパワーアシストの300hpを軽く超えたこの時代のマーキュリーのようなアメリカ車は正に宇宙船のような夢の存在であったことだろう。
(1)表紙


【以下、中頁から】(抜粋)

上級グレード「パークレーン2ドアハードトップ」
(2)上2H

上級グレード「パークレーン4ドアハードトップ」(フェートンセダン)
(3)上4H

上級グレード「パークレーン2ドアコンバーチブル」
(4)上コンバチ

V8エンジン3種
(5)エンジン

押しボタン式変速機「Merc-O-Matic」
(6)押しボタン

リアシート
(7)リアシート

中級グレード「モンテクリア4ドアハードトップ」
(8)中4H

中級グレード「モンテクリア2ドアハードトップ」(ターンパイク・クルーザー)
(9)中2H

中級グレード「モンテクリア2ドアコンバーチブル」
(10)中コンバチ

下位グレード「モンテリー4ドアハードトップ」
(11)下4H

下位グレード「モンテリー4ドアセダン」「2ドアハードトップ」「2ドアコンバーチブル」「2ドアセダン」
(12)下4セダン他

4ドアハードトップ・ステーションワゴン
(13)ステーションワゴン

4ドアハードトップワゴン「ボイジャー」
(14)ボイジャー

2ドアハードトップワゴン「コミューター」
(15)コミューター

運転席
(16)運転席

裏面: スペック
(17)スペック





★オマケ(その1): 米澤玩具 1/19スケール 1958年マーキュリー・モンテクリア4ドアハードトップ 東京駅構内タクシー
全長29cm。ブリキ製。当時定価:不明。大量に輸出されたノーマルとポリス仕様(オマケ2)とは異なる国内販売専用モデルで元箱の有無を問わず現存個体が少ない一期一会的な逸品。実車は存在しない左ハンドルの東京駅構内タクシーながら事業者が米澤の桜印のロゴマークになっているのが楽しい。リア左ドアの「自動ドアー」のプリントも良い味を出している。
タクシー(1)

タクシー(2)

タクシー(3)

「自動ドアー」のプリント
タクシー(4)自動ドアー



★オマケ(その2): 米澤玩具 1/19スケール 1958年マーキュリー・モンテクリア4ドアハードトップ ポリスカー
全長29cm。ブリキ製。当時定価:都内300円・地方330円。米澤製品番号:No.10532。実車は既に7年落ちとなった1965年版の米澤玩具カタログにも掲載されていた長寿モデル。ノーマルが絶版となった後、金型使い回しで、まずオマケ1の構内タクシーが短期間生産され、このポリスカーだけが連綿と売られていたと推察される。
ポリス(1)

ポリス(2)

ポリス(3)

オマケ1との並び
ポリス(4)2種の1

ポリス(5)2種の2



★オマケ(その3): 1958年マーキュリー テレビCM




★オマケ(その4): 日本橋高島屋 「こち亀展」
会場限定で展示された作品「想い出」を読むためだけでも行く価値あり。「想い出」はシンプルながら思わずホロッとさせられる作品。模型好きには外せない会場限定オリジナルグッズ「アクリルジオラマおばけ煙突」(税抜1200円)は何と完売していて残念でした。日本橋では9月26日(月)まで。年末には大阪でも開催されるようです。

日本橋高島屋・・・・・1933年(昭和8年)築のこの80年以上の歴史を持つ建物は2009年(平成21年)に国の重要文化財の指定を受けている。こち亀展の垂れ幕は会期中だけのもの。
亀(1)全景

垂れ幕
亀(2)垂れ幕

入口看板
亀(3)入口看板

こち亀展ポスター
亀(4)展示会ポスター

御馴染みキャラ達
亀(5)おなじみキャラ達

御神輿
亀(6)御神輿

どこを読んでも面白い「こち亀新聞」(350円で販売)
亀(7)こち亀新聞

こち亀新聞の天気予報: 地獄の天気が降水確率100%で暴風雨のち雷雨、最低気温50度・最高気温100度。
天気予報

こち亀展限定の200巻カバー(グッズ1000円以上お買上の方、先着1万名プレゼント)
カバー表

カバー裏



★オマケ(その5): 映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』
9月22日から全国で上映が始まった映画。アップルの公式作品であるという1点のみでもビートルズファンなら観る価値あり。アメリカ公演ではビートルズが人種差別の壁も壊したこと、PAのなかった時代のスタジアム公演では4人(特にリンゴ)が勘を頼りに演奏していたことなどが印象深いです。

映画チラシ
ちらし

アナログLPジャケット風のケースに入れられた、なかなか魅力的なプログラム(税込900円)。青がケース、黒が中味。
プログラム

プログラム裏表紙の珍しいフォト: デビュー直後のビートルズと一緒に写っているのは何と1961年6月デビューの英国の大衆車フォード・コンサル・クラシック(OHV1340cc54ps)。既にEタイプ・ジャガーもデビューしている時期にこのクルマというのは、まだ彼らが爆発的に売れる前であることを示している。
自動車

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