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★1950年代 黎明期の国産電気自動車達 ハスキー&ピアノ ~ 自動車カタログ棚から 329

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さて、今日10月9日はジョン・レノンの76回目の誕生日ですね。1975年10月、ジョンが35歳になった時、15歳の私はジョン・レノンも歳をとるということに何故か不思議な、堪らなく寂しいような、言葉では上手く表現しにくい感覚に見舞われたことが昨日のことのようです。
東京も涼しくなりました。半袖で外を出歩くのはちょっと寒いかなという感じです。漸く今年も秋が訪れたというところでしょうか。



ある調査によれば男性が結婚したくない女性は以下の4つのタイプだそうです。

1)家事が苦手
2)気が強くて男勝りで性格がキツい
3)自分勝手で些細なことでも怒る
4)浪費家

なるほど、という感じでしょうか。個人的に1)は、苦手な彼女の代わりに自分がやれば済むことなので案外大丈夫かもしれません。2)と3)は見た目がドストライクなら多少は許せちゃう場合もありそうな気もします(汗)。でも、まあ基本的には避けたいところではあります。4)は資産100億とかいったレベルの大金持ちでもない限り普通は避けたいところではないでしょうか☆



また、別のとある調査によると私と同じ50代の未婚男性が希望する相手の年齢層は以下の通りだったそうです。

1位: 40代前半=29.0%
2位: 30代後半=23.6%
3位: 30代前半=17.4%
4位: 40代後半=12.0%
5位: 20代後半=6.2%
6位: 50代(同世代)=6.2%

おやおや、30代~40代前半までの相手を希望するという1位~3位までで何と7割を占めていますね。エリック・クラプトンの現在の夫人との年の差32歳と同じレベルの20代後半を希望という5位の6.2%を加えれば、8割弱位の人が40代前半以下の女性を希望しているということになります。この結果は、おそらく結婚するなら子供が産める年齢の相手がよいという意味が含まれてもいそうです。
それで、君の場合はどうなの?という話になる訳ですが、人として相性が良いことと、こんなロクでもない自分を本気で好いてくれる人であれば、もうオカチメンコでも誰でも良いです!とまでは言いませんが、年齢については正直あまりこだわりません。若くても歳がいっていてもお互い相性が良い人も良くない人もいるのです。実際、私がこれまでに好きになった女性は30歳位年下だったこともあれば、逆に20歳以上年上だったこともあります。20歳年上というのは若い頃の話で、実は私が25歳の時に好きだった彼女が48歳のシングルマザーでした(23歳年上)。その彼女は現在も元気でいるのですが(毎年、一目で彼女と判る達筆な文字の年賀状が届くのです)、今年で80歳となられており、さすがに彼女とヨリを戻して結婚したいとは思いません。でも、人として、女性として、彼女は魅力的だったなと今でも思います。
まあ、しかし、私のような歳で結婚したいだなんて言うと、前にも書きましたが、「フツーのサラリーマンが定年を目前にして気でも狂ったのか!」とか、「50代の未婚男性で結婚できる確率は統計的に1%(100人に1人だけ)なのにまだ結婚の夢を見ているのか!」とか言われるのがオチであったりするのも確かです。でも、正直な話、人に何と言われても本当にまだ諦めていないんですよね。諦めないから気も若く元気で生きられるという面も確実にあるような気もします。結婚を諦めてしまったら急に老け込みそうな感じがするというべきか・・・。
56歳で32歳差結婚をしたエリック・クラプトンと言えば、ストーンズの11年ぶりのニューアルバムに特別に参加したようですね。今から新譜のリリースが楽しみです☆☆



閑話休題
私が人前でピアノを弾く機会は年に2,3回あるのですが、今年のピアノ演奏はまだ動画をアップしていなかったので今回のオマケにアップしておきますね。ご興味がありましたら、ご覧ください。でも、8分位と長いのでビートルズやショパンに興味がない方は多分眠くなると思います。今回の本題は「自動車カタログ棚から」シリーズ第329回記事として戦後黎明期の国産電気自動車をサクっとご紹介します☆☆☆



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★ガソリン車のような自然界への有害排出物が皆無(=ゼロエミッション)で地球環境にやさしい電気自動車というと、2016年10月現在販売されている日産リーフやe-NV200、先般の燃費偽装問題で2016年8月より販売中止となっている三菱i-MiEV(アイ・ミーブ)を思い浮かべる向きも多いだろう。1回の充電で走行できる距離が限られること、充電時間も長いこと、車両価格が高いことなどガソリン車並みに普及するには、まだ乗り越えるべき課題は多く、現在はガソリンエンジンと電気モーター併用のハイブリッド車がメインとなっている。


★電気自動車の誕生は意外にもガソリン自動車より約半世紀も早い1830年代(天保年間)のことで、スコットランドの発明家ロバート・アンダーソンが充電不可能な一次電池を搭載した世界初の電気自動車を試作したことに始まると言われる。
一般向けの市販についてもガソリン車の市販よりも電気自動車の方が5年早く、1886年(明治19年)の大英帝国に於いてであったという。西暦1900年前後、自動車の黎明期には蒸気機関・内燃機関(主にガソリン)・電気モーターが覇権を争って開発にしのぎを削っていた。前輪ハブにモーターを搭載したインホイールモーターの原型とも言える4輪駆動車を当時ローナー社に在籍していた弱冠25歳のフェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)が1900年(明治33年)のパリ万博にローナー・ポルシェ(Lohner-Porsche)として出展した。ポルシェはこのクルマを競技用に改造し30PSの出力で当時としては驚異的な最高速度90km/hをマークしたという。
その後、電気自動車は航続距離の短さが致命的な欠点となり、T型フォードの普及によるガソリン車の台頭に伴い、屋内作業用や遊園地用乗物等の一部特殊用途を除き市場から駆逐された。しかし、ガソリンの供給難という事情が追い風となり電気自動車の製作は細々と続けられた。


★日本の電気自動車
日本で最初に走った電気自動車は、1900年(明治33年)5月10日、当時20歳の皇太子(明宮嘉仁、後の大正天皇、一夫多妻制だった明治天皇の側室の子15人のうちの1人、明治天皇は正妻との間には子供が出来なかった: 1879年8月31日-1926年12月25日)と15歳の九条節子(1884年6月25日-1951年5月17日)の御成婚に際して米国ウッズ社が献上した「ビクトリア号」であった。その後、1909年(明治42年)に東京電燈社長の佐竹作太郎が米国ベーカー社の2人乗り電気自動車を購入した。このベーカー社の車両は数台輸入され、1911年(明治44年)にはベーカー社の車両の分解精査及び詳細研究の結果に基いて国産電気自動車が製作されたとされる。この時の製作車両は恐らくコピーであり、然らば国産電気自動車の祖は何かとなると、SCCJの草創期の会員であり日本の自動車エンスージャストの祖とも言える野沢三喜三が1919年(大正8年)の畜産工芸博覧会に出品した「野沢式テルコエレクトリック」(60V・最高速度29km/h・充電時間6時間)であったという。昭和に入ると、1932年(昭和7年)に名古屋市電気局がSKS型バス(80V・15ps・最高速度48km/h)、1934年(昭和9年)に日本電気製作所がデンカ号、大阪車体製造がOS電気自動車、1937年(昭和12年)には日本輸送機がタカラ号、大阪乗合自動車が神戸製鋼に発注したモダンな電気バス等々、夥しい種類の電気自動車が製作された。 (参照→ 論稿「戦前の国産電気自動車」東海大学 森本雅之氏・稲森真美子氏) 


★第二次世界大戦(太平洋戦争)後の国産電気自動車
戦中から終戦後1949年(昭和24年)の3月までは戦時中に制定された軍・官公庁以外にはガソリンを配給しないという「石油製品配給規制」が敷かれ、ガソリンは一般には入手することが極めて困難な状況にあった。そのため、代用燃料車=代燃車(木炭・薪・石炭・コーライト等を燃やして機関を作動させるもの)が花盛りであった。バス、トラック、タクシーといった自動車の大半が代燃車という時代であった。この時代、ガソリン車を流用した代燃車に対抗して製造されたのが電気自動車である。メジャーどころでは、プリンスの前身、東京電気自動車~たま電気自動車により1947年(昭和22年)5月に製作された「たまE4S-47」とそのモデルチェンジ版「たま・ジュニア」、1948年~1950年の「たま・セニア」(初期2ドア、後期4ドア)、トヨタ自動車のトヨペットSDシャシーに日本電装が発注して関東自工が生産した「デンソー中型電気自動車SDEX型」等が造られた。なお、戦前に製造されていた幾多の電気自動車のうちの幾つかは戦後に入っても生産された模様である。
「石油製品配給規制」解除後にまず規制対象から外され割当制ながらガソリンが供給されたのはタクシー、ハイヤーといった事業用車両であった。そして、1950年(昭和25年)6月の38度線での朝鮮戦争勃発により国内自動車事情は急変した。
まず、供給が統制されていたガソリンが一般にも大量に出回ったためガソリン車が急激に増え、米軍による軍事物資の買占めに伴って電気自動車の要となる鉛の価格が10倍近くにも高騰したことから、あえて電気自動車を製造する意味も生き延びる道も失われたのである。昭和20年代半ばまでは一発を狙った中小企業による少数生産のみで終わったと思われる(今や歴史の闇に消えつつある)幻の電気自動車が幾つも存在したが、「たま」も含めこの時代の国産電気自動車の生産は1951年(昭和26年)の夏頃までには全てが終焉を迎えたものと思われる。


●月刊誌「モーターファン」1948年12月号 表紙
三栄書房 発行。表紙は発売されたばかりの電気自動車「たま・セニア」。
モーターファン1949年



●1949年 たま自動車「たま・セニア」 カタログ 表紙
これは2013年にヤフオクに出品された際の画像。カリスマ的な人気を誇るプリンス自動車の前身に当るメーカーのレア・カタログだけあり、5万円を超える高価格となっていた。2つ折4面、二~三色刷りの簡素なカタログ。表紙に1949の印字があるが、4ドア化した後期型ではなく2ドアの前期型カタログのようだ。
たまセニア表紙



●大阪バス1937年1月号 表紙
後年、大阪市営バスに吸収された民間事業者「大阪乗合自動車株式会社」発行。表紙は神戸製鋼所鳥羽工場で製作予定の電気バス。流線形が流行った時代のバス。戦前とは思えない斬新なデザインだが蓄電池搭載の関係か、サイドウインドが異様に天地方向に短い。表紙の説明として、「近くお目見えせんとする弊社電気自動車の理想的形式であります。実際は多少異なったものとなるかも知れませぬが、必ずや皆様の御期待に沿い得るものと確信いたして居ります。」と記載があり、イラスト通りのデザインの実車が製造されたかどうかは不明。
大阪バス(1)表紙

表紙についての解説箇所
大阪バス(2)解説

湯浅蓄電池 電気自動車用ユアサ蓄電池 広告: 丸囲いの中に映された小型電気バスに注意
大阪バス(3)ユアサ



●1951年 新田産業 サンセダン カタログ (縦21×横29.9cm・日本語・表裏1枚)
表面に新田産業の住所が「群馬県新田郡強戸村寺井841」、電話が「強戸2番」と印字があるのは貴重な情報。四駆の歴史研究で著名なYW氏によれば、新田郡強戸村寺井は現在の群馬県太田市寺井町に当り、メーカー名の新田産業というのは当時の新田郡に存在したということより寧ろ上野国新田荘=1951年当時の新田郡=2016年現在の太田市で育った新田義貞(1300年?-1338年:武将)に因んだ可能性が高いとの由である。また、新田産業の当時の社長は既に他界し親族は現在も健在であるが、新田産業について訊いても倒産時に色々あったのか固く口を閉ざしておられるとの由である。この前2輪・後1輪の奇妙な三輪乗用車の生産台数や生産期間は不明ながら、雑誌「自動車技術」の1949年12月号に三輪電気自動車「SUN」として広告、「モーターファン」の1950年2月号にサン軽三輪電気自動車と題して記事が出ているとのことである(この2冊は古書店等で探すより国会図書館の蔵書で調べた方が早いだろう)。このカタログの表紙に「The modern design for ’51」の印字、イラストの青いサンセダンのナンバーが「1951」であることから、1950年秋口以降に発行された1951年モデルと思われるが、このカタログでは何と電気自動車ではなく空冷単気筒TIA-80型500cc/5hpニッサンソレックス式キャブ付エンジンを搭載している。潤滑はガソリン・オイルの15:1の混合。サン軽電気自動車は上記の1949年末の雑誌広告からこのカタログの発行されるまでの1年程度は生産された可能性がある。ガソリン車の生産終焉時期は不明。ボディサイズは全長3300㎜・全幅1200㎜・全高1425㎜と現代の軽自動車より一回り小さく、車重は460kgと軽い。乗員4名と記載があるものの全幅1200㎜に大人4人乗車は相当厳しかったと推察される。
サンセダン(1)

新田産業の住所・電話番号 印字箇所。当時の電話番号の一番は役場が取得し、「(強戸)二番」という電話番号は、村一番の名家であることを示すもののようだ。
サンセダン(2)新田アップ

裏面
サンセダン(3)裏面

図面・機関スペック
サンセダン(4)図面機関

各部サイズ他
サンセダン(5)寸法等



●1950年? ユニバーサル電気自動車株式会社 電気自動車 広報写真
このクルマについては全く詳細不明(御存知の方は御教示ください)。写真の裏には「ユニバーサル電気自動車株式会社 横浜市鶴見区市場町588」の印字。住所や会社の登記関連書類を調査できれば、ユニバーサル電気自動車についての多少の情報は得られるかもしれない。しかし、このクルマは全体的なボディ・デザインが上掲の新田産業サンセダンとよく似ている。残念ながらリアからの写真はないのだが、サイドビューからするとこれはサンセダンのような三輪ではなく四輪であることは間違いなさそうだ。
ユニバーサル(1)

サンセダンと近似したサイドビュー
ユニバーサル(2)





★オマケ(その1): 英ハスキー ホリデータイム・ギフトセット
今回の記事に因む電気自動車のミニカーが手元にありませんので、今回はYI氏所蔵の非常に貴重なミニカーコレクションを一つ。コーギージュニアの前身ハスキー(HUSKY)の1969年発売のギフトセットで日本にも輸入された製品ながら絶版市場ではまずお目にかからない。Eタイプ、ビートル、スチュードベーカーワゴン、モーターボート牽引ジープなどセットに納められた旧ホイールの3インチ・ミニカー達はどれもとても魅力的。YI氏はリサ店で6000円程度で売られているのを見つけて救出されたとの由。
ハスキー(1)

箱裏面のイラストも魅力的
ハスキー(2)箱絵魅力的



★オマケ(その2): She's Leaving Home & Nocturne No.1 in B-flat minor, Op.9 No.1  (The Beatles 1967 & Chopin 1830)
最後に最近の私の演奏。ビートルズとショパンに興味がない方は観ると眠くなる睡眠薬です。ご注意くださいね。シーズ・リーヴィング・ホームは、今回もまたポールのナンバーを適当にアレンジして弾いたもの。アレンジと言っても、左手のコード分散に右手のメロディを載せただけという(大汗)。ショパンのノクターン1番はショパン作品としては割合易しい曲ですが自己評価で70点位の演奏。この2曲の発表された年には147年の開きがありますが、どちらも美しい曲です。ご感想、何か感じることなどありましたら是非コメントくださいね!




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