★昨日8月14日(金)は仕事を早目に切り上げて、8月8日(土)~16日(日)までパシフィコ横浜展示ホールBで開催中のトミカ博2015を覗いてきました。
調べてみると私がトミカ博へ行ったのは池袋サンシャインシティで行われていた2008年(平成20年)以来、何と7年ぶり。開催場所が気軽に行ける池袋でなくなってしまったことと、毎月第3土曜発売のトミカの新製品もポルシェ以外は買わなくなってから久しく私のトミカ熱もすっかり冷めてしまっていることがトミカ博へ行かなくなった原因です。
★今回のトミカ博は2車種のうちから選べる入場記念トミカの1台がコスモスポーツ消防指揮車だったことも久々にトミカ博へ行きたくなった理由でした。
1台税込648円と通常品より3割程度高価ながらイベント限定で販売されるトミカも魅力的ですが、既に都内のショップやレンタルショーケースで高値で売られているR35GTRゴールド、ランボルギーニ・レヴェントン・ポリスカー、クラウン・アスリート黒の3車種は会期中にも関わらず既に完売御礼となっていて入手することは出来ませんでした。イベント限定トミカは一人5台までとなっていてもレジに10回並び直せば50台買うことも可能なので、人気車種はミニカーショップや個人のバイヤーに買い占められている感じがします。会場では648円のものを実際に何と2500~3000円前後で売っているショップがあり、ヤフオクでも高値が付いている例もありますが、イベント限定トミカは再生産される例も多いので高値は一時的なもので数が出てくると値段は落ち着くだろうと思います。
●会場看板
パシフィコ横浜インターコンチネンタルホテル・・・・・天気予報は午後雨でしたが、幸い空は泣きだしませんでした。
●会場風景
人、人、人・・・凄い人出です。トミカ博の来場者は幼児を連れた家族連れが大半なので、いい歳をしたオヤジが一人で行くと場違いな感じがして正直かなり恥ずかしいです。エリック・クラプトンは50代半ばで再婚して子供をつくっていますが、私のような一般人では定年退職まで僅か4年2ヵ月となったこの歳で未婚では家族連れでトミカ博へ行くことはまず一生無理でしょう(T_T)サラリーマンが僅かな年金暮らしを目前として結婚するなんていうことは頭がイカれたキチガイ沙汰というのが世間の常識でしょうから、ここは一つ何か事業を始めて一旗揚げて経済的な余裕を作らなければ家族連れでトミカ博に行くなんて夢は叶わないでしょう。もっとも、幾らお金があっても人に愛されるような人柄でなければ、幸せな結婚は無理かもしれません。知人で入居世帯100戸のマンションなどを持っていて不労所得が月1000万あるなんて恵まれた人もいますが、何とその人は現在の奥さんが5人目だそうです。私は5回も結婚しなくていいので1回だけ結婚して一生添い遂げたいです。実際、戸籍真っ白なままで死にたくはないのです。・・・て、今回はトミカ博の記事なのについつい話が脱線しちゃいました。すみません。
●トミカ解説
●トミカ45周年
1970年秋にトミカが発売された時、私はまだ小5だったので残念ながら初期の白い1S(1A)ホイールは数台しか買っていません。トミカは1970年代後半から80年代にかけてはかなり真剣に集めていました。30-1の香港製ギャランGTOは方々探し回ってダース単位の数を集めたという人もいますが、私はついに1台も市場在庫は見つけられませんでした。GTOは70年代にJMAC故 中島登会長のショップ「イーストランド」で既に2700円~3000円位の当時の新品トミカ10倍以上のプレミアで売られていて手が出ませんでした。しかし、その後、1980年代に入るとGTOのプレミア価格は1万、3万、5万と鰻登りに上がったので今となっては3000円位の時に買っておけば良かった気もします。現在では20万円前後はするようですが、そんな金額では欲しいとは思えません。GTOさえ持っていれば一流のトミカコレクターの仲間入りが出来るのかもしれませんが。あと5年、東京オリンピックの行われる2020年にはトミカ発売50周年となりトミカ博も相当盛り上がることでしょう。
●トミカ45周年 トミカで創った壁画
●トミカヒストリー展示
1970年代から近年のものまで。各地を展示で廻るメーカー保存品は傷みが出ているものも見受けられます。
●アトラクション・トミカ各種
トミカ組立工場3種他。1枚100円のチケットを購入して参加。基本アトラクション1回600円で特製トミカが1台貰える。アトラクションで遊んでトミカを持ち帰れるのは嬉しいですが、特別ミニカー好きでない限りは同じ金額を出すならば浅草・花屋敷あたりで遊んだ方が楽しい気がします。
出動ゲーム
あみだゲーム
ピンボール
ルーレット
ドライバー工房
●トミカ組立工場
アトラクションの一つ組立工場は、RX-7(FD)、プリウス、ロンドンバスの3車種。イベント限定トミカより若干安い税込1台600円。各車種共にボディカラー3色、シートカラー3色を自由に組み合わせられるので、シートカラー違いまでコンプリートに集めるとなると3×3=1車種9台ということになります。列の待ち時間50分と表示されていてちょっと迷ったのですが、せっかく来たのだからと考え家族連ればかりの長蛇の列に並んでRX-7(FD)の黒シートを3色作ってきました。
ボディ、シート共に3色を自由に組み合わせてつくる。
カシメ工程
完成して持ち帰ってきた3台のFD
●イベント記念トミカ
イベントトミカ22種類(そのうち、横浜で新登場が7種類)。但し、何と3種は既に完売御礼。プラレールは5種+東京モノレール10000形。東京モノレールはそそられて迷ったが、嵩張るので結局買わず。トミカ・イベントモデルの箱は文字だけでクルマの絵が描かれていないのを残念に思うのは私だけでしょうか。
7台が横浜で初登場のイベントモデル
R35GT-R完売(T_T)
ランボルギーニ・レヴェントン・ポリスカー完売(T_T)
クラウン・アスリート完売(T_T)
イベント限定プラレール5種類
東京モノレール10000形
このモノレールは結構迷った末、買わず。
●実車展示
トミカ博恒例の実車展示はポルシェ911GT3(991)とニッサンGT-R(R35)の2台。
GT3の横に展示されていたトミカのポルシェ
ニッサンGT-R(R35)は今やイベントで人目を惹くクルマでもなくなった気がします。
●イベントのお土産
今回のトミカ博で入手したミニカー。入場記念のコスモスポーツ消防指揮車、組立工場のマツダRX-7(FD)赤白青の3台、イベントモデルNo.5ポルシェ911Sレーシング(白)、No.11ランクル70(赤茶)、No.12スバルBRZ(シルバー/ブルーライン2本)、No.18マツダRX-7(FD)黄色、N0.23コスモスポーツ(ブルー/ホワイトライン)、N0.30スカイラインR32GT-R(シルバー)の計10台。このうち、911Sレーシングは同じものが既に2台手元にあり、これで3台目(911は何台持っていてもいいのです。見かけるとつい買ってしまいますw)。気づけば入手した10台中、何と6台までがマツダ車でした。
個人的には今回のトミカ博の目玉はこのコスモスポーツ消防指揮車
★オマケ(その1): トミカ1/60スケール 16-1マツダコスモスポーツ&トミカ75-1コスモスポーツ「ウルトラマン・マットカー」
16-1が1971年8月発売、75-1が1972年8月発売。どちらも1970年代に定価で入手したもの。ボディカラーはノーマルの16-1がクリームなのに対して75-1マットカーは白。マットカーは短期間で絶版となった貴重品ですが、残念ながらシールは画像の通り貼付け済です。現在の絶版ミニカー市場では工場出荷状態のままのシール未使用品が珍重されますが、この頃のトミカのパトカーやタクシーも私がリアルタイムで入手したものは大抵シールを貼ってしまっています。今回のトミカ博で入手したコスモスポーツも1970年代のトミカも何れもスケールは1/60で実車の後期型をモデルとしています。但し、金型は全く異なり1970年代のオリジナルは全高が低く全体にスリムな印象です。
箱に貼られた円谷プロの版権シールが泣かせます。
トミカ新旧コスモスポーツの並び
1/40スケール米澤ダイヤペット275番マットカーコスモとの並び
★オマケ(その2): 1971年 帰ってきたウルトラマン
1971年(昭和46年)4月2日~1972年(昭和47年)3月31日にTBS系列で51回に亘り放送された円谷プロ作品。1:00前後でマットカーコスモが登場。
★オマケ(その3): アメリカから見た神風特攻隊
1945年(昭和20年)8月15日の終戦から今日で丸70年。私が生まれた1959年にはまだ戦後僅か14年だったのに時が経つのは実に早いものです。これは1945年4月~6月にかけて沖縄諸島の米軍艦隊に体当たりした特攻隊の実録映像。特攻隊員の年齢は17~24歳が中心で現在御存命なら87~94歳ということになります。広島・長崎の原爆投下でも同じですが、戦争を体験した世代の高齢化による日本人の戦争の記憶の風化を避け、戦争を知らない世代も不戦・平和への誓いを新たにしなければと思います。
※註1.本ブログでは実車カタログ記事のオマケにミニカーをアップすることはあってもミニカーをテーマとする記事は初めてでしたので、今回初めてブログ記事カテゴリーに「ミニカー」を追加しました。
※註2.マツダコスモスポーツの実車については自動車カタログ棚シリーズ第62回記事をご参照ください。
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★2015年トミカ博in横浜 コスモスポーツ消防指揮車 ~ トミカ75-1ウルトラマンマットカー
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