★早いもので、もう7月ですね。
来週は急に四国へ出張することになったのですが、四国というのは4つ県があることだけはボンヤリとは知っていても、恥ずかしながらどこが何県だったのか位置関係もよく分からないのでちょっと調べてみました。
(1) 四国の北東(地図では右上)に位置するのが「香川県」で人口97万7905人(2015年5月現在の推定)。全国一面積が小さい県で何と岐阜県高山市より狭い。人口密度は521人/km²で県庁所在地は「高松」。日本国内でも指折りの貯蓄率を誇り堅実な小金持ちが多い。香川出身の著名人は菊池寛、大藪春彦など。
(2) 四国の南東(地図では右下)に位置するのが「徳島県」で人口75万9150人(2015年5月現在推定)。人口密度は183人/km²で県庁所在地は「徳島」。阿波おどりが有名。徳島出身の著名人はアンジェラ・アキ、板東英二など。
(3) 四国の北西(地図では左上)に位置するのが「愛媛県」で人口138万7697人(2015年5月現在推定)。人口密度は244人/km²で県庁所在地は「松山」。道後温泉が有名。愛媛出身の著名人は草なぎ剛、眞鍋かをりなど。夏目漱石の坊ちゃんは漱石自身が教師を務めた松山が舞台といわれる。
(4) 四国の南西(地図では左下)に位置するのが「高知県」で人口73万2825人(2015年5月現在推定)。人口密度は103人/km²で県庁所在地は「高知」。日本最後の清流といわれる四万十川や有名な室戸岬、足摺岬がある。高知出身の著名人は幸徳秋水、横山やすし、広末涼子など。
★四国4県全体での人口は385万7577人(2015年5月現在推定)で人口密度は205人/km²。四国は一つの島として見た場合、世界でちょうど第50位の大きさとのこと。東京都の人口が1346万1531人(2015年5月現在推定)で人口密度は6140人/km²というデータなので、四国4県を合わせた人口は狭い東京の3分の1に満たず人口密度は東京の約30分の1程度ということになります。
★閑話休題
今回は「自動車カタログ棚から」シリーズの第272回として1970年代のフェラーリをピックアップします。来週は週末まで四国出張となってしまったので、ブログの更新は出来ないかもしれません。
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★フェラーリ創設者のエンツォ・フェラーリ(Enzo Anselmo Ferrari:1898年2月18日 -1988年8月14日)はヘンリー・フォード、フェルディナント・ポルシェ、本田宗一郎等と共にアメリカの自動車殿堂入りを果たしており間違いなく自動車史上に残る人物である。
フェルディナント・ポルシェが優れた技術者であったのに対し、エンツォ・フェラーリはレーシングドライバーとして出発した。1929年(昭和4年)にアルファロメオのセミワークス・チーム「スクーデリア・フェラーリ」として出発し、その名を冠した最初のクルマは戦後1947年(昭和22年)2月に完成した「フェラーリ125S」であった。ときにエンツォ49歳の時であった。厳密には、奇しくもポルシェ64が開発されたのと同じ1939年(昭和14年)に造られたティーポ815が存在するが、殆どのパーツがフィアット製だったことからフェラーリの出発は戦後の125Sとされる。1948年に最初の356で出発したポルシェと1947年に122Sで出発したフェラーリ、時系列的にはほぼ同時期にその歴史の歩みを始めたこととなる。
★1967年(昭和42年)、V12メインのフェラーリのラインナップにV6を搭載したスモール・フェラーリ「ディーノ206GT」(2L/180ps/最高速度235km/h)がデビューした。
ディーノとは1932年(昭和7年)、エンツォが34歳の時に誕生し1956年(昭和31年)6月に24歳の若さで夭折した一人息子アルフレードの愛称であった。エンツォは生涯、一人息子ディーノの死を悔やんでいたと言われる。
1969年には2.4L/195psとなった「ディーノ246GT」がデビューした。ディーノが想定したライバルはポルシェ911であり、911に存在したタルガに対抗しフェラーリは1972年(昭和47年)にタルガトップのディーノ246GTSをデビューさせた。
★フェラーリ・ディーノ246GTの後継車として1975年(昭和50年)10月のパリ・サロンでデビューしたのが今回ピックアップするフェラーリ308GTB。
308GTBはV8/3L/255psエンジンをミッドシップし新時代のボディを身に纏ってデビューした2人乗りスモール・フェラーリで、ボディ・スタイリングはピニンファリーナのチーフデザイナーであったレオナルド・フィオラヴァンティ(Leonardo Fioravanti:1938年1月31日-)が手掛けた。フェラーリでは1968年の365GTB/4デイトナや1987年のF40も手掛けたデザイナーである。1960年代に誕生した丸味を帯びた246GTに比べて、シャープでスクエアな直線基調でありながら抑揚の効いたデザインとなった。
308GTBはヒット車となり、1977年にはタルガトップのGTSなどバリエーションを増やしながら1985年(昭和60年)までの10年に亘り生産された(2L版の生産は1990年まで)。GTSデビューまでの初期モデルはイタリアの労働ストライキの影響で予定していたスチール製ボディの生産が間に合わなくなったためにグラスファイバー(FRP)製であった。FRPボディの初期車両は1977年以降のスチール製より200kg以上軽い。
308の初期車両は既に2015年現在で40年の時を経ているが、スーパーカーブームの影響もあり日本に入った台数が多く実車は現在でも比較的中古市場で流通している。同時代のV12フェラーリ、365GT4BBや512BBに比べれば308は元々安価でもあり、フェラーリ入門用あるいは「一生に一度はフェラーリ・オーナーに」という向きには打ってつけの存在のようだ。
【主要スペック】 1977年フェラーリ308GTB (1977 Ferrari 308GTB)
全長4230㎜・全幅1720㎜・全高1120㎜・ホイールベース2340㎜・車重1090kg・ミッドシップ後輪駆動・V型8気筒横置きDOHC2926cc・圧縮比8.8:1・最高出力255ps/7700rpm・最大トルク30.0kgm/5000rpm・全輪独立懸架・四輪ベンチレーテッドディスクブレーキ・変速機5速MT・タイヤサイズ205/70R14・乗車定員2名・燃費5.3~5.5km/L・最高速度252km/h・ゼロヨン14.1秒・日本国内コーンズ新車輸入販売価格:不明(調査中)
●1977年 ジャンプコミックス「サーキットの狼」第12巻【キバむく女豹の巻】
フェラーリ308GTBといえば、スーパーカーブームを生んだ池沢さとし先生の漫画「サーキットの狼」で主人公の風吹裕矢が操るフェラーリDino RSに挑んだ女性「フェラーリの女豹」(本名:田原ミカ)を思い出す人も多いのではないでしょうか。1970年代後半、私は既に高校生でしたが、ジャンプに載った「こち亀」や「サーキットの狼」は読んでいました。スーパーカーブームの影響で山のように発売されたミニカー(サクラ・永大グリップテクニカ・米澤ダイヤペット・トミカなど)は高校生の身ではとても全ては集められなかった思い出があります。
表紙はフェラーリDino ヤタベRS(1967年フェラーリDino206コンペツィオーネを原型とするオリジナル車)と風吹裕矢の正面にポルシェ911カレラRSRターボのリアビュー。
「風吹のディノR・Sのスリップ・ストリームにはいるフェラーリの女豹駆る308GTBはジリジリとその差をつめていた!」
「風吹くん 勝負!」
「スリップ・ストリームからとびだしたフェラーリ308GTBはディノR・Sの横にならび・・・」
「そしてグイグイその前にせりでていく!」
「逃がすか女豹!」
「フェラーリの女豹よ!もうおつきあいはゴメンだぜ!」
「いくぜーっ!」
「うわあっ」
「オッホッホホホホ」
「ふう・・・さすがだわ」
「男の中の男が命をかけてぶつかりあう熱気の渦から飛び出る スピード、スリル、興奮、緊張がこのあたしのハートにも入りこみそう」
「う うれしいわ この・・・この時の堪らない陶酔と快感 これに勝利の栄冠が加わればレースから抜けられない」
★1977年? フェラーリ308GTB/308GTS 本カタログ (縦24×横34cm・伊英仏独西亜日7ヵ国語併記・24頁)
発行年月・カタログNo.:記載なし。タルガトップのGTSが掲載されていることから、1977年以降のFRPでなくスチール製ボディとなった時期のカタログ。イタリア語・英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・アラビア語・日本語の何と7ヵ国語で同じ内容が併記されている。アラビア語は石油王のためとして、日本語の記載があるのはスーパーカーブームのため俄かに日本からの受注が増えたためと思われる。
【中頁から】
表紙をめくるとコクピットの写真
308GTB
308GTS
308GTBフロント
308GTS
V8エンジン
各国語エンジン解説
エンジン性能曲線
エンジン透視図、日本語・アラビア語解説
日本語エンジン解説箇所
室内
リトラクタブルヘッドライト他
シャーシー解説、日本語・アラビア語
日本語シャーシー解説箇所
裏表紙
★オマケ(その1): トミカF35-1 1/60スケール1976年 フェラーリ308GTB
全長7cm。1977年11月発売。当時定価240円。ダイキャスト製。室内のシルバーメッキのプラパーツが妙な印象。2台共に色差し有でオリジナル状態ではありません。通常品の赤以外にギフトセット用や輸出用でイエロー・ライトグリーン・ダークブルーメタ・ちりめんメッキなどのカラーバリエーション有。1970年代のフェラーリ・ロードカーはトミカではF57-1でBB512も出ています。トミカのフェラーリやランボルギーニは現在、中古市場での人気が高いようです。308GTBのミニカーは京商1/18スケールを始め多数出ています。一緒に写っているイエローボディは近年の京商1/64スケール1982年フェラーリ308GTB4バルブ。
リアハッチが開閉しV8エンジンが現れます。
★オマケ(その2): 伊ポリトーイ 1/43スケール フェラーリP.4
全長9.5cm。POLITOYS品番Art.574。ダイキャスト製。ドア開閉アクション付。1970年代のスピードホイール版。
★オマケ(その3): 伊ポリトーイ 1/43スケール フェラーリP.5
全長9.5cm。POLITOYS品番Art.566。ダイキャスト製。ドア開閉アクション付。これも1970年代のスピードホイール版。ドアが透明ガルウイングで前後デザインにとてもインパクトのあるデザイン・スタディモデル。
★オマケ(その4): 伊ポリトーイ 1/43スケール 1964年フェラーリ250GTベルリネッタ
全長10.2cm。POLITOYS品番No.504。ダイキャスト製。個人的にはこの1960年代のフェラーリの方が好みです。ポリトーイ黄金期のモデルでジュエルライトにドア・ボンネット・トランクのフル開閉アクション付。一緒に写っている緑のミニカーはマッチボックス75番(1/62スケール)。
★オマケ(その5): CARグラフィック 1962年9月号「特集:フェラーリへの招待」
1962年9月1日発行。B5判・162頁。恐らく日本で初めて出たフェラーリの本。初期のカーグラは気合いの入った月刊誌1号につき1車種の特集が組まれ、半世紀以上を経た現在読み返しても参考になる。この号もフェラーリ250GTベルリネッタのロードテストやエンツォ・フェラーリに面会した際の話など興味深い記事が多い。
★オマケ(その6): 1976年 フェラーリ308GTB 動画
※フェラーリについては、1965年フェラーリ330GTジョン・レノン所有車を第191回記事でピックアップしていますので御参照ください。
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★1977年 フェラーリ308GTB&GTS フェラーリの女豹 ~ 自動車カタログ棚から 272
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