★バー、クラブ、スナック、キャバクラ、ガールズバー等色々な名前を聞くけれど、全くお酒も飲まない私は行ったことがない。
ところが、昨夜は知人にたまにはスナックでも行こうと誘われて、あまり気が進まないまま行ってみた。2時間程過ごして会計の時に席料(テーブルチャージ)6000円、飲み放題料6000円、カラオケ使用料6000円の合計1人18000円、カード払いなら10%増しと言われてちょっと驚いてしまった。飲み放題6000円とは言っても私はお酒を飲まないのでウーロン茶を3杯飲んだだけ。だから、ウーロン茶1杯が2000円だった計算になる。楽器を弾きながら歌うのは好きでもカラオケはあまり好きじゃないのだけれど、拓郎ばかり歌いまくる知人に無理に勧められてビートルズを3曲歌った。だからカラオケは1曲当り2000円払って歌ったことになる。まあ、女の子に囲まれて外で飲んで歌う時の相場はこんなものなのか、あるいは少々ボラれたのか私にはよく判らないのですが、歌が上手いと褒められて悪い気はしなかったので、まあ良しとしましょう。でも、また行きたいとはちょっと思わないなあ(笑)。
★土曜日の朝日新聞に愛読する雑誌があるかないかを訊いたアンケートの結果が掲載されていた。
結果は雑誌を読む派と読まない派は殆ど半々だったそうだ。Webに押され、雑誌の発行部数はピークだった1997年(平成9年)の半分まで落ち込んでいるものの今でも愛読する雑誌があるという人が5割はいて、全然読まない人が5割なんだそうだ。
私は小学生の頃に学校の校門前で売っていた学研の「科学」と「学習」とか小学館の学年別月刊誌「小学○年生」や親が定期購読してくれていた誠文堂新光社の「子供の科学」あたりが雑誌との馴れ初めで、お小遣いで自分で買った雑誌となると、1968年(昭和43年)、小3の春に買った「カーグラフィック」(CG)の「第5回日本グランプリ特集号」が最初。ニッサンR-381、トヨタ7、ポルシェカレラ10などのレーシングカーの写真を見て胸がときめいた。その後、「鉄道模型趣味」(TMS)とか「オートスポーツ」あたりも小学生の頃に買い始め、中学生以降には「ミュージックライフ」、「音楽専科」、「ライトミュージック」(ヤマハ発行のポピュラー音楽雑誌)、「ヤングギター」、「ギターミュージック」(新堀音楽院が出していたクラシックギター専門誌)、「ロードショー」や「スクリーン」(映画雑誌)に加え、「GORO」、「週刊プレイボーイ」、「平凡パンチ」あたりの男性雑誌も加わり、1970年代末には更に「ポパイ」や「スクランブル・カーマガジン」(後のカーマガジン)や「カー&ドライバー」あたりが加わりました。勿論、興味のある雑誌を毎号全て買っていたという訳ではないのですが、「女性自身」だったか「女性セブン」だったか女性週刊誌も小野洋子さんのインタビュー記事が載った号などでは買ったことがあります。
現在読んでいるのは「オールド・タイマー」、「ノスタルジックヒーロー」といった旧車雑誌と「RMライブラリー」(鉄道研究書)、「レコードコレクターズ」あたり。1970~1980年代の音楽雑誌はビートルズ関連の記事のみ切抜きをして処分してしまったのですが、クルマ関係や鉄道模型趣味(TMS)などの乗物系の雑誌は小3の時に初めて買った1968年のCGから全てそのまま手元にあります。あまりに量が多くなってきたので、ある時近所の古本屋さんに売ろうと思って訊いたら、古いCGや鉄道模型趣味は100円で置いておいても売れないからタダでも引き取れないと言われ、かと言ってチリ紙交換に出すのも勿体ないのでそのまま捨てずに保管しています。実際、先日、銀座・天賞堂4階の中古店エバーグリーンショップで聞いたところでは中途半端に古い鉄道模型趣味はとにかく人気がなく1冊100円で売れないものは3冊100円にするか検討中とのお話でした。勿論、雑誌「鉄道模型趣味」だけの買取りはしておらず、現在在庫している雑誌は鉄道模型を纏めて処分される方からタダでも良ければという条件でオマケとして仕方なく引き取ったモノとのことです。
朝日新聞の記事に趣味系の雑誌の場合は、例えば、月刊「バスケットボール」を40年購読し続けている人はイコール、バスケットを40年間趣味としているというように雑誌の購読歴はそのままその人の趣味歴と重なる場合が多いとあり、それにはなるほどと思いました。私の場合も当てはまるからです。
さて、皆さんは何か愛読している雑誌がありますでしょうか?
★閑話休題
今回は「自動車カタログ棚から」は、前々回の1928年スチュードベーカーから時計の針を10年進ませて1938年(昭和13年)のスチュードベーカーです。こんな古いクルマには興味がないという向きはスルーしちゃってください。
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★第二次世界大戦の影響でアメリカ車は基本的に1942年(昭和17年)から終戦の年1945年(昭和20年)まではモデルチェンジが行われなかった。
1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)の大日本帝国海軍による真珠湾攻撃以降はアメリカにおいても日本同様に国を挙げての戦時体制となり、1941年秋までにデビューした1942年型が戦前最後となった。1943年型~1945年型のアメリカ車は基本的には存在しないか1942年型のまま極く少数のみの生産に止まったのである。スチュードベーカーでも戦前の正式なカタログ・モデルは1942年型が最後となった。
スチュードベーカーは戦後1947年型がデビューするまで1930年代後半から10年間ボディプレスの変更はされず、戦時中は乗用車の生産自体をストップ、乗用車用の6気筒エンジンを搭載した小型水陸両用車「ウィーズル」(Weasel)の生産などに携わった。
★1938年型スチュードベーカーは以下の3シリーズが存在した。
(1) 3.7ℓ直列6気筒90馬力エンジン搭載・WB2959mm「シックス」
(2) 3.7ℓ直列6気筒90馬力エンジン搭載・WB2959mm「コマンダー」
(3) 4.1ℓ直列8気筒110馬力エンジン搭載・WB3098mm「プレジデント」
シックスは廉価版、コマンダーは中級、プレジデントが上級シリーズで、全てのシリーズに4ドア「クルージング・セダン」、2ドア「クラブ・セダン」、2ドア「クーペ」の3種のボディが用意された。今回ピックアップするカタログには掲載されていないコンバーチブルも注文生産されている。ボディデザインは1936年から戦後に至るまでスチュードベーカーのスタイリングに携わったインダストリアル・デザイナー「レイモンド・ローウィ」(Raymond Loewy;1893年11月5日-1986年7月14日)の事務所によるもの。シックスシリーズのみは旧弊なフェンダーから独立したヘッドライトのままであったが、コマンダー及びプレジデントではフェンダー埋め込みのリンカーン・ゼファーばりのスタイリッシュな流線型となった。1938年型の機構的な特長としてはフロント3人掛けを可能とするためダッシュパネル中央下でリモート操作可能なミラクル・シフト(Miracles Shift)の採用があったが、1939年型では通常のコラムシフトが採用されたため僅か1年のみで消えたシステムとなった。その他、1935年型の途中から採用されて既に話題となっていた、坂道でブレーキを放してもすぐには後ずさりしない「オートマチック・ヒル・ホルダー」(automatic hill holder)が継続採用されるなど、スチュードベーカーは先進的な機構を備えていた。
【主要スペック】 1938年スチュードベーカー・コマンダー・クーペ ( 1938 Studebaker Commander Series 7A Custom Coupe)
全長4927㎜・ホイールベース2959mm・車重1403kg・FR・水冷直列6気筒Lヘッド3706cc
・最高出力90ps/3400rpm・最大トルク:不明・変速機3速フロアMT/ミラクルシフト・最高速度:不明・米国内新車販売価格$965・生産台数19260台(コマンダー・シリーズ・トータル)
●1938年スチュードベーカー・プレジデントとペンシルバニア鉄道S-1型蒸気機関車
レイモンド・ローウィ作品の自動車&機関車の魅力的なツーショット。
●1938年スチュードベーカー・コマンダー4ドアセダン 実働写真
周りに写り込んでいるクルマから撮影は新車から15年位の時を経た1950年代前半と思われる。
●1938年スチュードベーカー・コマンダー・クーペ 雑誌広告
中級シリーズ「コマンダー」の広告。
●1938年スチュードベーカー・シックス・クーペ 雑誌広告
廉価シリーズ「シックス」の広告。875ドルという低価格がアピールされている。シックスのみはヘッドライトがフェンダー埋め込みではない。
●1938年 スチュードベーカー 本カタログ (縦24.2×横27.5cm・英文24頁)
1937年9月発行。米本国版カタログ。戦時体制のため、1939年型からは日本へは輸入されなかった模様だが、この1938年型は未見ながら梁瀬発行の日本語版も存在するかもしれない。この本国版カタログは1930年代とは思えない美しく発色の良いフルカラーで構成されており、当時の日本の自動車カタログと比較すると車両本体のみならずカタログの印刷技術でもアメリカは日本の10年先をいっていたように思える。そのアメリカに真珠湾攻撃を仕掛けた大日本帝国は正に気違い沙汰であった。
【中頁から】
廉価版「シックス」4ドアセダン
廉価版「シックス」2ドアセダン
廉価版「シックス」クーペ
廉価版「シックス」のシャシーおよびスペック
中級シリーズ「コマンダー」4ドアセダン
中級シリーズ「コマンダー」2ドアセダン
中級シリーズ「コマンダー」クーペ
中級シリーズ「コマンダー」のシャシーおよびスペック
上級シリーズ「プレジデント」4ドアセダン
上級シリーズ「プレジデント」2ドアセダン
上級シリーズ「プレジデント」クーペ
上級シリーズ「プレジデント」のシャシーおよびスペック
運転席
トランクに荷物を詰め込む美男美女
ダッシュボード中央のミラクルシフト
坂道でも後ずさりしない「オートマチック・ヒル・ホルダー」
くつろげる後席・・・この老婦人は仮に当時70歳とすれば2015年現在は150歳近くとなる計算
裏表紙: プロカメラマンが構図を考え抜いて撮ったであろう秀逸なカラーフォト
★オマケ(その1): 英DINKY TOYS 1/47スケール 1939年スチュードベーカー・コマンダー・クーペ
全長10.5cm。メカノ社の戦前DINKY(ディンキー)製品。品番39F。ダイキャスト製。元々はアメリカ型Oゲージ鉄道模型の1/48スケールに使えるアクセサリーとして発売。後に英国型Oゲージに合わせた1/43スケールとなった。故 中島 登氏の著書「世界のミニカー」等では1938年型とされているが、ライトが左右に離れたフロント周りから1939年型をモデル化している。戦争を挟み1950年まで生産されたと言われ、初期ロットは既に75年以上の時を経ているが元々の生産台数が多いのか割合現存している。戦前ディンキーはかつては高プレミアが付いたが、この時代を懐かしむ戦前生まれの自動車趣味人の減少により暴落しているようだ。不人気故、現在、このスチュードベーカーのような小傷有のコンディションなら4桁(数千円)で入手できる。もし今、最近の懸賞トミカのドバイ警察仕様メルセデスあたりとこれが同じ値段で並んで売られていたら、私なら迷わず歳月を経たこちらを買うでしょう。現在は全般的に人気の高い1960年代のミニカーも将来的には趣味人の世代交代により暴落する可能性はある。ブルーグレイは同時代のディンキー39Eクライスラー・ロイヤルセダン。
クーペのおしりが魅力的
1939年型スチュードベーカー実車広告: ディンキー39Fでモデル化された顔
★オマケ(その2): 1938年 スチュードベーカー・コマンダー4ドアセダン 動画
アメリカらしい新車以上に綺麗なオーバーレストレーション気味の車両だが、無用なカスタマイズはされておらずオリジナル重視のレストアで美しい。
★オマケ(その3): 1938年生まれの有名人
最後のオマケとして1938年生まれの有名人をピックアップしてみました。御存知の名前もあるでしょうか。お元気なら2015年の誕生日で満77歳となられます。1940年生まれのジョン・レノンより2歳年長。あの美しく輝かしい激動の1960年代に20代の青春を過ごされた年代の方々です。
ジョルジェット ジウジアーロ(カーデザイナー)・クラウス フォアマン(ベーシスト/画家)・アストリッド キルヒヘル(ビートルズ写真家)・ジュリアーノ ジェンマ(俳優)・ベンEキング(歌手)・アリ マックグロー(女優)・大林宣彦(映画監督)・ジャイアント馬場(プロレスラー)・石ノ森 章太郎(漫画家)・松本零士(漫画家)・細谷四方洋(レーシングドライバー)・高島鎮雄(自動車史研究家)・小林 旭(俳優)・山城新伍(俳優)・梅宮辰夫(俳優)・島倉千代子(歌手) ・中島誠之助(古美術鑑定家)
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★1938年スチュードベーカー 戦前 レイモンド・ローウィ ~ 自動車カタログ棚から 271
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