★有楽町のザ・ペニンシュラ東京に滞在していたポールがH先生のS病院に入院しているとの情報もあり、とても心配です。ジョンが天に召された時には長いこと腑抜けになったことを思い出してしまい、ポールにもしものことがあったらと思うと心配でなりません。つい病院の前まで行きたい衝動に駆られますが、私のようなファンが大勢押しかけるとポールにも病院にも迷惑がかかるので自制したいと思います。ポールには例えライブが観れなくても、まだまだ元気で同じ空の下に生きていて欲しいと思います。
●5月17日に国立競技場に停まっていたポールの2014年日本公演ツアー専用トラック。車種は何でしょうか。 → この車両は2007~2010年のいすゞギガ低床4軸車との情報を戴きました。
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★プリンス自動車は現在の日産GT-Rのルーツとも言えるスカイライン2000GT(本シリーズ第177回記事参照)やレーシングプロト・プリンスR380(本シリーズ第119回記事参照)、 御料車ニッサンプリンスロイヤルを生んだ日本の自動車史上に燦然と輝く栄光のブランドである。
「栄光」という言葉が相応しい唯一の国産ブランドであり、モータースポーツにおける活躍や皇室御用達といった史実が証明する高い技術力に裏打ちされた孤高の魅力があり、1966年(昭和41年)に日産と合併した後もプリンス製品の熱心なファンは多い。
プリンスの歴史は戦後間もない1946年(昭和21年)11月に戦時中に陸軍の名戦闘機「隼」などを生んだ立川飛行機が自社の下請けであったオオタのトラックボディを使用して造った電気自動車に始まる。1950年(昭和25年)末までのガソリン統制下の時代に電気自動車「たまジュニア」および「たまセニア」を製造した。車名の「たま」は立川・府中・三鷹といった都下の多摩地区に工場があったことに由来する。ところが、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争を契機にGHQの買占めによって電気自動車に必要な鉛の価格が10倍にも急騰し、逆にそれまで供給が極度に統制されていたガソリンが大量に出回ったことから、電気自動車からガソリンエンジン車への転換を図ることとなった。1500ccのガソリンエンジンが戦時中にゼロ戦のエンジン「栄」を生んだ中島飛行機の荻窪工場を前身とする富士精密工業から供給されることとなり、1952年(昭和27年)3月7日~9日に東京・京橋のブリジストンビル・ショールームにてプリンスセダン(AISH-Ⅰ型)が発表展示された。セダンと同時にプリンストラック(AFTF‐Ⅰ型)も発表され、追ってプリンスライトバン(AFVA-Ⅰ型)、プリンスダブルピックアップ(AFPA-Ⅰ型)も発売された。
プリンスの車名は継宮明仁親王(今上天皇)が1952年(昭和27年)11月10日に満18歳にて立太子の礼を迎えることに因むものであったが、当初の車名はローマ字で「TAMA」を予定し、次に株主である「ブリジストン」に変更して発売する予定だったものを発売前に三転して最終的に「プリンス」と命名された。
★1952年(昭和27年)3月に最初のプリンスセダンがデビューした時点の国産車は、トヨペットセダンSF型が28馬力、ダットサンデラックスセダンDB4型が21馬力、オオタセダンPA型が23馬力、軽自動車オートサンダルに至っては7馬力と極めて非力であり、プリンスの45馬力は突出した高性能であった。
しかも、1500ccエンジン(FG4A型)はサイドバルブが主流の時代にOHVであり、1960年代後半までスカイラインを始めとするプリンス車に搭載される名機となった。4速シンクロのリモート式コラムシフトの採用も時代を一歩リードしていた。また、ボディデザインはアメリカ車の影響を受けつつもデザイン以前とも言える当時の国産車群の中では斬新なものであった。
【プリンスセダン年譜】
・1952年(昭和27年)2月15日・・・・・AISH‐Ⅰ型セダン試作車完成
・1952年(昭和27年)2月23日・・・・・AISH‐Ⅰ型セダン運輸省試験合格
・1952年(昭和27年)3月7日~9日・・・・・プリンス・セダンAISH‐Ⅰ型(及びプリンス・トラックAFTF型) 発表展示会開催
・1953年(昭和28年)6月・・・・・ プリンス・セダンAISH-Ⅱ型 発売(全幅を1596mmから1655mmに59mm拡大)
・1954年(昭和29年)6月・・・・・プリンス・セダンAISH-Ⅱ型を皇太子(今上天皇)に献上
・1954年(昭和29年)11月・・・・・プリンス・セダンAISH-Ⅲ型 発売
・1955年(昭和30年)1月・・・・・プリンス・セダンAISH-Ⅳ型 発売(圧縮比を6.5から6.8に上げ、出力を45psから52psにアップ、サイドモール及び室内意匠変更)
・1955年(昭和30年)10月17日・・・・プリンス・セダンAISH-Ⅴ型 発売(V字型フロントグリル、ツートンカラー採用)
・1956年(昭和31年)3月・・・・・プリンス・セダン・スペシャルAMSH-Ⅰ型 追加発売(前輪ダブルウィッシュボーン式独立懸架)
・1956年(昭和31年)12月・・・・プリンス・セダンAISH-Ⅵ型・AMSH-Ⅱ型 発売(エンジンをGA30型に換装)
・1957年(昭和32年)4月24日・・・・・初代プリンス・スカイライン(ALSI型=本シリーズ第77回記事参照)にバトンを渡す。
【主要スペック】 1952年プリンスセダン AISH‐Ⅰ型 (1952 PRINCE SEDAN AISH-Ⅰ)
全長4290mm・全幅1596mm・全高1624mm・ホイールベース2460mm・車重1136kg・FR・水冷4気筒OHV1484cc・最高出力45ps/4000rpm・最大トルク10.0kgm/2000rpm・変速機4速コラムMT・乗車定員6名・電装系6V・最小回転半径5300mm・最高速度110km/h・販売価格:調査中(トラックが90万円との資料があり、100万円以上の模様)
●軽井沢の今上天皇とプリンスセダンAISH-Ⅱ型 (自動車整備1954年10月号表紙)
当時20歳の今上天皇と最初の愛車プリンスセダンの表紙。モーターマガジン1956年1月号に掲載された警視庁運転免許試験場の平瀬和一技官とプリンス宣伝課長の宇佐美達夫氏の対談記事「皇太子さまと自動車」によれば、今上天皇は20歳になられた1954年(昭和29年)1月から3月末にかけて鮫洲試験場で宮内庁から持ち込んだ1938年パッカードで運転の御練習をされて正式に運転免許をおとりになられ、浅間、草津、小諸など軽井沢周辺や葉山御用邸のある三浦半島をドライブされていたという。さすがに当時でも渋滞の激しかった都内での運転は差し控えられたという。自動車には大変お詳しく、ドライブしていると走って来るクルマをご覧になって、あれは(三菱のノックダウンしている)ヘンリーJだとかマーキュリーの何年型だなどと車種や年式まで仰られていたという。また当時の宮内庁にはプリンス以外に年式の新しいビュイックも皇太子専用車として置かれていたという。
●プリンスセダンAISH-Ⅱ型と今上天皇および清宮様 (自動車整備1954年10月号中頁より)
エンジン点検をされる今上天皇
●1956年 プリンス・セダンAISH-Ⅴ型 (モーターマガジン1956年1月号表紙)
V字グリルにツートンカラーとなったⅤ型。プリンスセダンのカラー写真は意外に少なく色々捜して漸く見つけた1枚。
●1952年 プリンスセダン広告 (モーターファン臨時増刊「自動車ダイジェスト1952年版」より)
最初期のプリンス広告。バックに描かれているのは迎賓館。
●1952年3月 プリンス 総合カタログ (縦18.5×横26.5cm・4つ折)
プリンス・セダンAISH‐Ⅰ型及び同時発売のプリンス・トラックが掲載された最初のカタログ。まだ社名とロゴマークは「たま自動車株式会社」。実際には2分割のフロントウインドが1枚になっているなど味はあるが実車にはあまり似ていないイラストの表紙。
中面から
センターメーターは120kmまでの表示
「タクシーにも最適です」の文字
●1953年 プリンス 総合カタログ (縦18.5×横26.5cm・4つ折)
6月に全幅が拡がる前のプリンス・セダンAISH‐Ⅰ型及びトラックが掲載されたカタログ。表紙は迎賓館をバックにした1953ナンバーのセダン。
中面から
運転席
スペック。下部に三鷹シティ東京の印字
図面
●1953年6月 プリンスセダンAISH-Ⅱ型 専用カタログ (縦18.5×横26cm・2つ折)
全幅を59mm拡大したⅡ型のカタログ。3ヵ月後の1953年9月に48psのトヨペット・スーパーのデビューによりエンジン出力を3ps抜かれてしまう。表紙はボンネットのマスコット。
中頁から
図面&スペック
●1953年 プリンスセダンAISH-Ⅱ型 リアビュー (モーターファン臨時増刊「自動車ダイジェスト1953年版」より)
●1954年 プリンス 総合カタログ (縦18.5×横26.5cm・4つ折)
全幅が拡大されたプリンス・セダンAISH-Ⅱ型の他、トラック、ライトバン、ダブルピックアップが掲載されたカタログ。
中頁から
●1954年 プリンスセダンAISH-Ⅱ型のリアビュー (広報グラフ「プリンス自動車の出来るまで」より)
夜のガソリンスタンドに佇むAISH-Ⅱ型と女性。
●1955年1月 プリンス・セダンAISH-Ⅳ型 専用カタログ (縦20×横27.5cm・3つ折)
エンジン出力を52psにアップ。同月にデビューした初代クラウンRSより4psプリンスが出力では勝り国産最高性能車であった。外観上は2本に分かれていたサイドモールが1本となった。
中頁から
メーターを2連に変更
シャシー
52馬力エンジン
スペック&図面
●1955年10月 プリンス・セダンAISH-Ⅴ型 専用カタログ (縦20.8×横29cm・8頁)
V字型フロントグリルにツートンカラーとなり、リアデザインも一新された。
中頁から
ツートンカラーが標準に。
フロント&リアエンド
室内
後席&トランク
シャシー
エンジン
裏面はリアビュー
●1956年3月 プリンス・セダン総合カタログ (A4判・8頁)
プリンス・セダンAISH-Ⅴ型に加え、追加された前輪独立懸架のセダンスペシャルAMSH-Ⅰ型を掲載したカタログ。この後、1956年12月に最終型としてAISH-Ⅵ型およびAMSH-Ⅱ型がデビューしたという記録があるが、初代スカイラインのデビューが近づいた最終型は殆ど売れなかったと言われカタログが発行されているかどうか不明(販売期間の短いⅢ型もカタログの有無は不明)。
中頁から
フロント&リアエンド
前輪独立懸架のセダンスペシャルAMSH-Ⅰ型
★オマケ(その1): プリンスセダン 木製組立キット
全長17cm。メーカー:不明。当時定価:不明。プラモデル登場以前に模型屋や駄菓子屋で売られていた木製組立キット。プリンスセダンはノベルティのアンチモニー製シガレットケースもなくミニチュアモデルには現在に至るまで恵まれない存在。
★オマケ(その2): トミカリミテッド・ヴィンテージLV-141a 1/64スケール 1962年プリンス・スカイウェイ 消防査察広報車「荻窪消防署」
税込定価1836円。これは発売されたばかりのミニカー。プリンス自動車のお膝元「荻窪消防署」というのが素晴らしいのでついでに掲載。プリンス工場のあった青梅街道沿いの場所には現在は日産のディーラーがあり、その並びに現在も荻窪消防署が存在する。
★オマケ(その3): 1952年(昭和27年)生まれの有名人
今回ご紹介した1952年プリンスセダンと同年生まれの方を調べてみました(順不同・敬称略)。きっとご存知の方もいるかと思います。今年の誕生日を迎えると満62歳ということになります。
秋本 治(漫画家)・水谷 豊(俳優)・三浦友和(俳優)・村上 龍(作家)・河島英五(音楽家)・中島みゆき(音楽家)・小柳ルミ子(歌手)・しばた はつみ(歌手)・さだまさし(音楽家)・タケカワ ユキヒデ(音楽家)・松坂慶子(女優)・夏木マリ(女優)・風吹ジュン(女優)・キャシー中島(タレント)・ゲイリームーア(ギタリスト)・リーリトナー(ギタリスト)・シルビア クリステル(女優)
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★1952年 プリンス セダン 天皇陛下の最初の愛車 ~ 自動車カタログ棚から 225
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