★また戦前の自動車で興味がない方には申し訳ないのですが、何とかまた1つ新しい「自動車カタログ棚から」の記事が出来上がりましたので、これから国立競技場でのポール・マッカートニーの野外スタジアム・ライブに行ってきます。雨が降らなくて良かったです。僅か半年でのまさかの再来日。どんなセットリストになるのでしょうか。ポールに元気を沢山貰ってきます。楽しみです(>_<)すごく興奮してます(>_<)現在の外気温26度。初夏の陽気。半袖でいけそうです。今日はきっとポールも薄着でしょう。さて、もう出かけないと。では、行ってきます!
・・・・・・・と、期待に胸を膨らませて千駄ヶ谷まで行ったら、ポールが体調不良(ウイルス性炎症)でギリギリまで回復を待ったが、今日のライブは5月19日(月)に延期することになったとのアナウンス。遠方から仕事の都合をつけたり多額の費用をかけたりして苦労して来られた方には気の毒ですが、一番辛く心を痛めているのはポール自身だと思います。私は職場からも国立競技場は近いので19日に予定通り順延されたならば行くつもりですが、ポールには無理はしてほしくない気持ちです。。
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★「1935年パッカード120」 ~その良さはオーナーに聞け 戦前
~ 自動車カタログ棚から 第224回
★「パッカードの良さはオーナーに聞け」(Ask the Man Who Owns One)という宣伝コピーほど自信に満ちてフェアなものはないだろう。
創業初期よりパッカードはこの有名なコピーを用いて高級車市場での業績を伸ばした。
戦前の自動車界にあって、ロールス・ロイス、イスパノ・スイザ、キャデラック、メルセデス・ベンツなどと並ぶ高級車の代表的なブランドであったパッカードは、戦前の日本においては高級車の代表格で皇室、華族、行政府の公用車等として相当な台数が輸入された。CG初代編集長 小林彰太郎氏(1929年11月12日-2013年10月28日)の著作によれば、1930年(昭和5年)の東京にパッカードは254台も登録されていたという。トラック・バスも含めた東京の自動車登録台数が21063台だった時代の話である。何と100台に1台以上がパッカードだったことになる。ちなみに現在2014年の東京の自動車登録台数は1930年の210倍の442万台を超えており、単純に全自動車の100分の1強という比率で現在の東京に置き換えれば、5万台位は東京の街にパッカードが走っているという計算になる。それに対して1930年の東京にキャデラックは僅か66台、リンカーンに至っては28台のみの登録であったという。当時、既にキャデラックは日本GMが、リンカーンは日本フォードが設立されていたにも関わらずである。いかに戦前の日本でパッカードが高級車として人気が高かったかが分かる数字である。戦前、多数登録されたパッカードだが、車齢を重ねた戦後は1960年代に至るまで持ち前の頑丈な造りから霊柩車に改造されて余生を送る例が多かった。
パッカードは1915年(大正4年)にV12エンジンを搭載して登場したが、日本には1920年代に入って輸入が開始され(当初の輸入は有楽町の三柏商会)、1931年(昭和6年)からは戦後ポルシェの輸入で有名となる赤坂溜池の三和自動車 (戦後のポルシェ輸入の経緯については本シリーズ第38回記事参照)の手により輸入された。
★パッカードはV12エンジンに代表される大出力のエンジンを搭載した高級車であったが、1929年(昭和4年)に始まった世界大恐慌の影響で売り上げが著しく減少してきたことへの対策として、1935年(昭和10年)1月に品質はそのままでホイールベース120インチ(3048mm)の小柄なボディに8気筒エンジンを搭載した廉価版中級車種「パッカード120」を追加発売した。
廉価版とはいえ、3mを超えるホイールベースに8気筒エンジンを搭載しており今日の目で見れば120であっても威風堂々としたクルマである。980ドルから1095ドルという価格帯で販売されたパッカード120は1935年(昭和10年)の1月から10月までの僅か10ヵ月間に24,995台、翌1936年(昭和11年)には若干値上げされたにも関わらず55042台が販売されるという人気車となった。しかし、その後の歴史を顧みれば、パッカードが120のような中流向けの車を販売したことは、ロールス・ロイスのように絶対的な価値を持った高級車として信奉されていた「パッカード」のブランドイメージを低下させる結果となり、戦後の凋落、ひいては1958年(昭和33年)のパッカード・ブランド自体の消滅に繋がった。
【主要スペック】 1935年 パッカード120 (1935 Packard120)
ホイールベース3048mm・水冷直列8気筒4622cc・最高出力110ps/3850rpm・変速機3速MT・乗車定員5名・最高速137km・米国内販売価格$980~$1095(日本国内セダン価格:1万1450円)
●1935年パッカードセダン 雑誌広告
前後ドアが前開きなのは、この年式だけの特徴。1935年のパッカードは、ホイールベース120インチの廉価車「120」(110ps)、ホイールベース127~139インチの「スタンダード8」(130ps)、ホイールベース132~144インチ(3657mm)の「スーパー8」(150ps)および最上級の「V12」(175ps)というラインナップであった。
●1935年パッカード120ツーリングセダン 雑誌広告
右下の枠内には価格が980ドルから1095ドルと低廉であることがアピールされている。これはトランクがボディにビルトインされたツーリングセダン。
●1935年パッカード120ツーリングクーペ 雑誌広告
2ドアセダンはクーペと呼称されていた。
●1935年パッカード120ツーリングコンバーチブル 雑誌広告
浜辺の青いコンバチにコリー犬と脱ぎ捨てられたビーチサンダル
●1936年パッカード120セダン 雑誌広告
36年式ではセダンのドアがこのように観音開きに替えられた。
●1936年パッカード120コンバーチブルクーペ 雑誌広告
Just Married!の風景
●1935年パッカード120 簡易カタログ? (縦30×横23.5cm・英文2つ折4面)
英文カタログの裏面に三和自動車の印字が加えられた国内で配布されたカタログ。なかなか魅力的な表紙画。紫のスーツを着たママに赤い服の女の子が何やら話しかけ、パパはトレンチコートを着てトランクに荷物を積み込んでいる冬の情景。
中面から
パッカードのカタログには必ず印字されている、「Ask the Man Who Owns One」のコピーに注意。
一家でお出かけ
ピクニック
前開きドアのセダン
裏面はメカニズム説明
裏面下の三和自動車の英文印字が日本で配布されたカタログである証明。
●1936年パッカード120 簡易カタログ? (縦14.5×横25.5cm・英文6つ折12面)
これも英文カタログの裏面に三和自動車の印字が加えられた国内で配布されたカタログ。
中面から
観音開きに変更されたセダン
5ウインドのクラブセダン
魅力的なコンバーチブルクーペ
リアトランク付きツーリングセダン
2ドアセダンのツーリングクーペ
ビジネス&スポーツクーペ
戦後の日本では霊柩車に架装された頑丈なフレーム付きシャシー
裏面の三和自動車の英文印字
●1932年パッカード 簡易カタログ? (A4判・縦28×横20.cm・2つ折4面)
これは本題の120ではなく少々年式も古いが三和自動車発行の珍しい日本語版。8気筒110psの901型と902型を掲載。ロードスター、スポーツフェートンなど三和が戦後扱ったポルシェに負けず劣らずスポーティーな魅力に溢れている。1932年のパッカードには更に上級車種として903、904、905、906型があり、それらにも三和発行の日本語版カタログが存在するのかどうかは不明。
中面から
スポーツフェートン
フォーマルなセダン
日本語に翻訳された有名なコピー
スペック
★オマケ(その1): 1935年パッカード1200 動画
これは1935年式でもパッカード120ではなく、ホイールベース127インチのパッカード1200の動画。明るいツートンのペイントは恐らくノンオリジナルだろう。堂々とした佇まいがパッカードらしい。
★オマケ(その2): 野村トーイ 1/21スケール程度 1935年パッカード セダン
全長22cm。当時定価:調査中。ゼンマイ駆動。前輪ステアギミック付。製造は戦後の名作マルサン製1951年キャデラックで有名な墨田区寺島町の小菅松蔵氏主宰のコスゲ。ラジエターグリル、リアトランクキャリア、前後共に前開きのドアなど1935年パッカードのディテールが再現された好モデル。浅草蔵前の野村トーイからは観音開きドアとなった1936年のパッカード・セダンも二回り程大きなサイズでモデル化されている。この時代の玩具でオリジナルの箱が残っているものは貴重。
右サイドには野村トーイ=T.Nの刻印
左サイドには製造したコスゲの刻印
ゼンマイのネジ巻きは裏面に造りつけられている。80年近くを経た現在でも快調に動く。
★オマケ(その3): 1935年(昭和10年)生まれの有名人
今回メインにご紹介した1935年パッカードと同年生まれの方を調べてみました(順不同・敬称略)。きっとご存知の方もいるかと思います。お元気であれば今年の誕生日で満79歳ということになります。
大江健三郎(作家)・小澤 征爾(指揮者)・美輪明宏(歌手)・寺山 修司(劇作家)・赤塚不二夫(漫画家)・桑田次郎(漫画家)・田宮二郎(俳優)・野村克也(野球解説者)・吉行和子(女優)・朝丘雪路(女優)・芳村真理(タレント)・筑紫哲也(ジャーナリスト)・梶原一騎(作家)・エルビス プレスリー(歌手)・アラン ドロン(俳優)・ウッディ アレン(俳優)・ダライラマ14世(宗教家)
★オマケ(その4): 1964年10月15日発売 小林 旭 「自動車ショー歌」
世界中の車名を散りばめた歌ですが、冒頭にパッカードが登場します。現在では知名度が低いパッカードが半世紀前の日本では誰もが知る車名だったことが伺い知れます。
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★1935年パッカード120 その良さはオーナーに聞け 戦前 ~ 自動車カタログ棚から 224
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