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★1964年パブリカ・コンバーチブル トヨタ初の量産オープンカー ~ 自動車カタログ棚から218

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★トヨタ製オープンボディの乗用車は戦前の1937年(昭和12年)トヨタAB型フェートンまで遡り、当時のカタログには「スポーツカーとして最適」との印字があるものの1945年(昭和20年)の終戦までその殆どがカーキ色に塗られた大日本帝国陸軍用車両として353台が生産されるに留まった (本シリーズ第94回記事参照)。
時代は下り戦後6年目の1951年(昭和26年)8月に製作されたトヨペットSDYコンバーチブルという例もあったが、トヨタのデモカー的な位置付けの1台のみの生産に終わっている。


●1951年トヨペットSDYコンバーチブル (トヨタ広報誌「流線型」1952年3月号表紙)
流線型
戦前型オオタの優美なデザインで知られた太田祐一氏率いる品川のワイドフィールド・モータースにて6台製作されたといわれるトヨペットSD型の1台がこの表紙のSDYコンバーチブル。一緒に写っている人物は昭和の喜劇俳優・益田喜頓(ますだきいとん、1909年9月11日-1993年12月1日)とスウィングの女王と言われたジャズシンガー 池 眞理子(1917年1月2日-2000年5月30日)でこのコンバーチブルに乗ってお江戸日本橋から名古屋まで東海道(国道1号)をデモ走行するイベントを行った。トヨペットSD型はSB型トラックのシャシーを低床にして乗用車向けとした型式。この時代のトヨタ自工には乗用車のボディを自製する余力がなくボディ架装は基本的に外注されていた。


★1961年(昭和36年)6月30日に市販が開始された大衆車パブリカ (本シリーズ第195回記事参照) は、トヨタの思惑ほどには売れなかったが発売開始2年後の1963(昭和38年)7月に内外装を豪華にしたパブリカ・デラックスを追加発売すると70%も販売が伸びた。
デラックス発売から3ヵ月余り後の1963年10月21日にデラックスをベースとしてルーフを取り去ったオープンボディのパブリカ・コンバーチブル(当時のカタログ上の表記はコンバーティブル)が追加された。
1963年は日本の本格的なモータースポーツの幕開けと言える第1回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催された記念すべき年であるが、パブリカはその第1回グランプリにおいてC-Ⅱクラス(ツーリングカー401~700cc)で1位から7位を独占するという快挙を成し遂げた(ドライバーは細谷四方洋氏ほか)。日本グランプリでの余韻覚めやらぬうちに発売されたデラックスおよびコンバーチブルによりパブリカの販売は大躍進を遂げたのであった。日本の本格的なモータリゼーション進展初期の当時は人々が未だ自動車に限りない夢を抱いていた時代であり、国産量産車初のコンバーチブルをバリエーションに加えたことはパブリカが憧れの欧米のクルマに比肩するようなイメージを人々に与えた。
また、パブリカ・コンバーチブルの発売は、その1年半後の1965年(昭和40年)3月に同じくパブリカベースで開発され市販に移されたトヨタスポーツ800(型式UP15型)の伏線的な意味合いを持っていたとも言える。

★1966年まで3月まで約2年5ヶ月間の前期型パブリカ・コンバーティブルの生産台数は2332台であった。月産にすれば僅か80台程度という計算になり、当時まだ幼稚園児だった私も普通のパブリカは街中でウジャウジャ見かけたがコンバーチブルを見た記憶はなく、1960年代当時の東京の路上でも殆ど見かけることのない稀少車だったようだ。
パブリカ・コンバーチブルは1966年(昭和41年)4月のパブリカのビッグマイナーチェンジに際してトヨタスポーツ800と同じ790cc45psエンジンに換装したUP20S型となり、取り外し式ハードトップ「デタッチャブルトップ」仕様も追加された。

※註) 本項では前期型UP10Sのカタログのみをピックアップし、1966年以降の後期型コンバーチブルUP20S型は通常のセダンUP20型と併せて項を改めて御紹介いたします。



●1963年10月10日付 トヨタ プレスリリース 「パブリカ・コンバーティブル発売について」 より抜粋
トヨタ自動車販売株式会社では、パブリカ・コンバーティブルを10月21日から新発売する。パブリカ・コンバーティブルは、パブリカ・デラックスを基本に取り外しの出来る幌型の屋根を持つ4人乗りオープン・カーで、エンジンその他に若干の改良を施してスポーティーなスタイルと共に高い安全性と機動性を持った軽快で高性能な実用車である。
▲主な特徴: セミ・スポーツカーとしての高速性能を十分に楽しめるよう、高性能な二連キャブレター付きU-B型高速用エンジンを搭載しているほか、ミッション・ギヤ比の一部を変更、また重心高を更に低くしてある内外装は、パブリカ・デラックス同様の豪華なアクセサリーを備えているほか、フロント・シートはセパレート・タイプのバケット式であり、好評のリクライニング・シートや安全性を増すための安全ベルト(シートベルト)を装着している。



【主要スペック】 1964年 トヨタ・パブリカ・コンバーティブル (型式: UP10S)
全長3585mm・全幅1415 mm・全高1335mm・ホイールベース2130mm・車重620kg・U-B型 空冷水平対向2気筒697cc・最高出力36ps/5000rpm・最大トルク5.7kgm/4000rpm・変速機4速フロアMT・乗車定員4名・最高速120km/h・各地店頭渡し価格(幌、標準工具、スペアタイヤ付): 札幌50万9000円・東京48万9000円・名古屋49万3000円・大阪49万7000円・福岡50万7000円

(注)パブリカ・コンバーティブルは相模原市のセントラル自動車で製作されたため、最安店頭価格が上記の通り名古屋ではなく東京となっていた。



●1963年10月 トヨタ パブリカ コンバーティブル 専用カタログ (A4判・4つ折8面)
63表紙
中面から
64中(1)
64中(2)
64中(3)
64中(4)文2
スポーティーなバケットシートが標準
64中(5)バケットシート
当時はまだ珍しかったリクライニング・シート
64中(6)リクライニングシート
トランク
64中(7)トランク
幌の開閉は窓枠上部の3箇所にボルト留めする必要があり急な雨では困ったに違いない。
64中(8)幌
公称最高速度120kmながら160kmまでのスピードメーター
64中(9)160キロメーター
ツインキャブ36ps空冷フラット2エンジン
64中(10)ツインキャブ36psエンジン
4速トランスミッション
64中(11)4速ミッション
裏面スペック
64中(12)スペック
図面
64中(13)図面



●1965年? トヨタ パブリカ コンバーティブル 専用カタログ (A4判・4つ折8面)
65表紙
中面から
65中(1)
65中(2)
65中(3)
シート&フロアシフトレバー
65中(4)シート&シフトレバー
助手席グローブボックス&トランク
65中(5)グローブボックス&トランク
幌の開閉
65中(6)幌



●神戸「車楽」より1995年12月に発行された自動車カタログ蒐集家のバイブル「自動車カタログ・ガイドブックⅡ巻トヨタ」によれば、前期型パブリカ・コンバーティブルの専用カタログは更にもう1種類、船をバックにした表紙のもの(写真左側9番:1964年?)が発行されているという。
64車楽左9番




★オマケ(その1): ixo 国産名車 1/43スケール 1964年トヨタ パブリカ・コンバーティブル
定価1790円。ダイキャスト製。現在も続いている書店売りのアシェット・コレクション「国産名車」の2012年5月16日号(Vol.165)。唯一のパブリカ・コンバーティブルのミニチュアカー。国産名車シリーズにはこのような唯一のミニチュアモデルという例が意外にあって決して侮れない。
国産名車(1)
国産名車(2)
国産名車(3)
国産名車(4)


★オマケ(その2): 池 眞理子 「愛のスイング」 1946
冒頭のトヨタ広報誌「流線型」に登場した池 眞理子さんの終戦後すぐのヒット曲。これは池さんが50代となられた1970年前後の映像のようだ。


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