★昨日、鳥取で大きな地震があり、その後も余震が続いているようです。一方、今朝は大分・佐伯で震度4の揺れがあり、熊本地震からまだ半年でもあり、今、日本列島の地下では大きな変動が起こっているように思えてしまうのは私だけでしょうか。このような地震の多い日本において原発が危険であることは誰の目にも明らかなことと思うのですが、現在の日本政府与党を始め原発推進派が存在することは大変憂慮すべき状況といえます。
★ボブ・ディランのレコードは多分5,6枚は私のレコード棚にあったと思います。レコード棚にはビートルズやエリック・クラプトン、ショパンのピアノ曲あたりを中心としたアナログ盤レコードが今も数百枚(恐らく1000枚はないと思う)あるのですが、ディランを最初に買ったのはビートルズと同じく中学の時のことだったと思います。最初に買ったのは2枚組のベスト盤でした。
ノーベル賞受賞の表示をディランが自身のホームページから削除したことが報道されていますが、ジョン・レノンが勲章を返上したように、ある種、権力や権威あるものに表彰されることへの違和感もしくは嫌悪感を感じているのかな、という気もします。ディランは別にノーベル賞を取らずとも既に永遠に歴史に名を残す存在ですし、ノーベル文学賞ということであれば、素直に受け取ってもいいんじゃないのかなあとも個人的には思いますが。
★実はあと数日でまた1歳年をとります(大汗)。ここだけの内緒の話にして欲しいのですが、実は私はもうちょっと人には言えないような高齢です。しかも独身の所謂、高齢独身者です(大汗)。15~24歳をアラトゥー、25~34歳をアラサー、35~44歳をアラフォー、45~54歳をアラフィフ、55~64歳をアラシックスorアラカン(還暦周辺)、65~74歳をアラセブンorアラコキ(古希周辺)というように四捨五入で世代分けした場合、アラシックス3年目ということとなり、もう私の人生も愈々終わりに近づいてきたのかなあという暗い気持ちになります(鬱鬱&大汗)。
ブロ友さんでも20代半ばで結婚し、40代にして孫が出来そうだという絵に描いたように幸福な人生を歩んでいる人もいますが、私の同級生ともなると、もはや孫がいるのは当り前位のレベルに孫の出来た人はウジャウジャいて、片や幾ら心から望んでも結婚することが出来ず、天涯孤独、孤独死まっしぐらの悲惨な人生を送っているという、この私のような結婚も出来ないまま馬齢を重ねてしまった史上最低、史上最悪の「人間のクズ」もいるというのが現実であったりもします。
誕生日が来ると「何故私はこの世に人として生れたにも関わらず、世界中の誰からも愛されず独り者のままでいるのだろうか」と思い、寂しくて寂しくて涙が溢れて止まりません。男性39歳、女性29歳が崖っぷちで、男女共に40歳を過ぎてしまったら崖っぷちというより、もう結婚できる可能性が非常に低い「既に崖から落ちている歳」だとも言いますが、私の場合は崖から落ちて既に17年も経っており、世間の常識ではもう完全に人生に絶望すべき歳になっていることは間違いないでしょう。私が死ぬ時には、「寂しいよー!寂しいよー!誰か助けてー!誰か私を愛してー!」と泣き叫びながら死んでいきそうな予感がします(大涙)。
★今日は午後、仕事で会議に出て、その足で中央道経由で信州に向かう予定です。実は現在、首都圏と地方に幾つかの不動産を持っており、最低気温がマイナス5度以下になるといった寒冷地では水抜き作業をしておかないと普段住んでいない家の場合は水道管が破裂してしまうという面倒があるのです。以前、うっかり水抜きを忘れたら本当に破裂してしまい、7桁の修繕費用がかかって真っ青になったことがあります(大汗)
という訳で今日は殆ど時間がありませんので、「自動車カタログ棚から」シリーズの第330回としてランドクルーザー消防車の記事をサクッと簡単にアップしますね☆
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★トヨタの最初の四輪駆動車は、1943年(昭和18年)6月にKC型トラックをベースに4台が試作された「4輪駆動KCY型トラック」である。トヨタ2番目の四駆は同じ1943年11月から翌1944年(昭和19年)8月にかけて198台と比較的多数が生産された「スキ型4輪駆動水陸両用車」であった。無論、これらは民需用ではなく軍用車である。
そして、戦後のトヨタジープBJやランドクルーザーといった小型四駆の源流となったのは、終戦の前年1944年(昭和19年)7月に米軍のジープの対抗馬として6台が試作された、トヨタ3番目の四駆「AK10型小型4輪駆動トラック」であった。AK10型は戦争末期の物資が極度に不足した状況で製作され、本格生産を検討していた時点で終戦を迎えたためお蔵入りとなった。
●1944年 トヨタAK10型小型4輪駆動トラック (トヨタ75年史より)
この写真は普通に左右にヘッドライトが付いているが、物資不足と米軍のジープとの識別を容易とするため、1灯ヘッドライト車(一つ目)も生産された模様である。
★戦後6年目の1951年(昭和26年)、警察予備隊(現・陸上自衛隊)からの要請で各社が小型四輪駆動車両を製作することとなった。
1951年8月、トヨタは当時の小型トラックSB型をベースに、戦前、シボレーに範をとって設計された3.4ℓ・直6のB型エンジンを搭載したトヨタ・ジープBJ型を完成させた。警察予備隊の受注は最終的に米ウィリス・オーバーランド社のジープをノックダウンした三菱が受けることとなり、トヨタBJ(及びニッサンパトロール)は国家地方警察(現・各都道府県警)を中心に納入された。1954年(昭和29年)6月24日、「ジープ」の商標権がウィリス・オーバーランド社のものであったため、車名をトヨタ・ジープから、トヨタ・ランドクルーザー(TOYOTA Land Cruiser)に改名した。
★1955年(昭和30年)8月に20系にフルモデルチェンジ、1960年(昭和35年)1月に20系の正常進化型と言える40系となり、この40系は何と1984年(昭和59年)11月まで24年もの長寿を誇った。
40系とは別に乗用車ムードを持ったバンタイプのランクルFJ55系が1967年(昭和42年)7月にデビューした。1975年(昭和50年)1月、2F型エンジンへの変更に伴い型式名がFJ56系となり、1980年(昭和55年)8月まで生産された。
小型で四駆という高い機動力を持つランドクルーザーはBJ型の初代の時代から、消防車仕様が生産された。消防車の生産は、販売サイドとしては特に民需用の販売が難しかった初期には生産数そのものを伸ばすという目的も含まれていた。今回はこれらランクル消防車仕様のカタログをご紹介することとしたい。
●1954年? トヨタFJJ型消防車
トヨタ消防車総合カタログ(No.323) より。初代ランクルBJ型にFJ型6気筒3878cc105HPエンジンを搭載した消防車。ホイールベース2400㎜。シャシー重量1000kg。最高速度99km/h。トヨタ・ジープ並びにランクルに改名された時期のものは民需用販売が殆ど為されておらず、専用のセールスカタログも存在するが非常に稀少である。
図面
●1956年? トヨタFJ24JA型消防車
トヨタ消防車総合カタログ(No.370) より。2代目ランクル20系にFJ型6気筒3878cc105HPエンジンを搭載した消防車。ホイールベース2430㎜。シャシー重量1335kg。最高速度99km/h。
図面
●1958年? トヨタFJ24型消防車
トヨタ消防車総合カタログ(No.534) より。FJ型6気筒3878ccエンジンが110HPにパワーアップした。最高速度は99km/hのまま。
図面
●1959年? トヨタFJ24型消防車
トヨタ消防車総合カタログ(No.624) より。FJ型6気筒3878ccエンジンが125HPにパワーアップした。最高速度も113km/hにアップ。
図面
●1960年? トヨタランドクルーザー消防車 FJ45型 専用リーフレット (A4判・表裏1枚)
トヨタカタログNo.683。40系ベースにチェンジ。ホイールベース2650㎜。車両重量2160kg。最高速度120km/h。
裏面
図面
●1967年?ランドクルーザーFJ55-4型ベース森田式TJ型消防ポンプ自動車 リーフレット (A4判・表裏1枚)
大阪に本社を置く森田ポンプ株式会社発行の1枚物カタログ。全長4760mm、全幅1970㎜、全高2150mm。ホイールベース2700㎜。F型6気筒115ps。車重2930kg。FJ55及び56の消防車は自動車工業振興会発行の年鑑「自動車ガイドブック」に掲載されておらず、こうした架装メーカーのカタログでしか見られないものなのかもしれない。
裏面
図面
★オマケ (その1): 独オートカルト(autocult) 1/43スケール 1976年トヨタ・ランドクルーザー FJ56F 消防車
全長12cm。レジン製。333台限定。消防車独特の賑やかでメカニカルな魅力に溢れたミニカー。特定の消防署のロゴがないのが惜しい。このオートカルトなるメーカーは、何故この車を?よくぞ出してくれた!といった珍車のモデル化が多い。最近はミニチャンプスの通常品が国内価格税抜8500円等とコレクター向けミニカーの価格高騰が激しいが、このオートカルトもその例に漏れず現地価格でも1万円近い高額。日本に輸入されると更に高価格となるが(日本人以外でこれを買う人は消防車コレクターだけ?)、元々の生産台数が少なく輸入台数も少ないため、2016年9月に発売されたばかりのこのランクル消防車も既に国内市場ではほぼ完売している模様。ニッサンパトロールはTLVから消防車が出ているが、ランクル消防車のミニカー等の模型はこれのみ?
運転席
パッケージ内側には実車の写真
★オマケ(その2): Nobody Loves You (When You're Down And Out) John Lennon 1974
悲しみの誕生日がやって来るということで、いつものこの曲。実は自分でもこの曲はよく歌いますので、何れyoutubeにアップしますね。
●録音データ
1974年6月17日/ニューヨーク「レコードプラント」にて録音
John Lennon - Vocals and acoustic guitar
Jim Keltner - Drums
Jesse Ed Davis - Guitar
Ken Ascher - Organ
Nicky Hopkins - Piano
Klaus Voorman - Bass
【Lyrics】
Nobody loves you when you're down and out
Nobody sees you when you're on cloud nine
Everybody's hustlin' for a buck and a dime
I'll scratch your back and you scratch mine
I've been across to the other side
I've shown you everything, I got nothing to hide
And still you ask me do I love you, what it is, what it is
All I can tell you is it's all show biz
All I can tell you is it's all show biz
Nobody loves you when you're down and out
Nobody knows you when you're on cloud nine
Everybody's hustlin' for a buck and a dime
I'll scratch your back and you knife mine
I've been across the water now so many times
I've seen the one eyed witchdoctor leading the blind
And still you ask me do I love you, what you say, what you say
Everytime I put my finger on it, it slips away
Everytime I put my finger on it, it slips away
Well I get up in the morning and I'm looking in the mirror to see, ooo wee!
Then I'm lying in the darkness and I know I can't get to sleep, ooo wee!
Nobody loves you when you're old and grey
Nobody needs you when you're upside down
Everybody's hollerin' 'bout their own birthday
Everybody loves you when you're six foot in the ground
【和訳】
落ち込んでいるときには 誰も君を愛さない
有頂天になってるときには 誰も君を気にかけない
誰もがはした金のために夢中になっている
僕は君の背中を引っ掻く
そして君も僕の背中を引っ掻くだろう
向こう側へもずいぶん行った
僕の見たものは全部君に伝えてきたから、隠し事なんてない
けど、君は「愛してるの?」って僕に訊く
どうして?ねぇ、どうして?
僕はこう答えるさ
「すべてはショー・ビジネスさ」って
落ち込んでいるときには 誰も君を愛さない
有頂天になってるときには 誰も君を気にかけない
誰もがはした金のために夢中になっている
僕は君の背中を引っ掻く
君は僕の背中にナイフを突き立てる
何度も海を渡った
片目の魔女が目をつぶったまま本を読んでいた
けど、君は「愛してるの?」って僕に訊く
なんだって?ねぇ、なんだって?
すくい上げたと思った瞬間から、こぼれ落ちてゆく
すくい上げたと思った瞬間から、こぼれ落ちてゆく
朝、目が覚めて
鏡をただ覗き込んでいる
暗闇の中に横たわり
もう二度と眠れぬことを知る
年老いてグレイになった君を もはや誰も愛さない
ハイになったりダウンになったりしてる君を もはや誰も愛さない
誰もが話すのは自分の誕生日のことばかり
そして君が6フィート地下に眠ったら
良い人だったなんて言うものなのさ
★1950~60年代のトヨタ ランドクルーザー消防車 ~ 自動車カタログ棚から 330
★SSSインターナショナル商事1960年縦目のセドリック ~ ブリキ自動車コレクションから002
★もうすぐ神無月(10月)も終わり、今年も残るは霜月(11月)と師走(12月)の2ヵ月だけですね。実は11月はライブ出演があり、ビートルズなどカバー曲の歌詞を完全に覚えるのにヒイヒイ言ってます(汗)。日本語の歌詞はまだいいのですが、英語の歌詞の場合は、勿論ネイティブでもなく、特別英語が堪能な訳でもない私の場合、覚えるのは案外大変です。文字を見て覚えるより、むしろ原曲を耳で聴いて覚える方が手っ取り早かったりもします。そんなに大変なら歌詞カードを見ながら歌えばいいじゃない?って話になりますが、見ながら歌うのはちょっと失礼だし恥ずかしいような気持ちがあったりもします。まあ、基本ソラで唄えるくらいでないと私のようなアマチュアでは他人に聴かせることは難しいってこともあります。プロのミュージシャンではプロジェクターでステージ前に歌詞を映し出しながら唄っている人もいるとは聞きますが。
★冠婚葬祭がこのところ続けて何度かあり、3万ずつ包んでいくとなると結構な出費になったりします。でも、1年を通してみれば冠婚葬祭がない月の方が多い訳で、まあこればかりは、出費が大変だなんて言ってられないですよね。そう言えば、最近、お葬式は家族葬・親類葬が増えて以前より呼ばれることは減りましたよね。亡くなった年の暮れもしくは次の年の年賀状の御家族からのお返事で初めて亡くなったことを知るなんてパターンが増えています。有名人などでも、お葬式は家族・親類だけで済ませて、ファン向けに行う場合は「お別れの会」を後日、別に催すといったパターンが増えているようですよね。
★閑話休題
今年8月12日に1度だけアップした「ブリキ自動車コレクションから」の第2回記事として、今日はSSSインターナショナルの縦目のセドリック大中小3種類をアップします。あまり時間もないのでサクっとご紹介することとしますね☆
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★日産自動車は戦中戦後の技術の立ち遅れを取り戻す目的から戦後1952年(昭和27年)に英国BMCと技術提携契約を結び当初はオースチンA40サマーセット、1955年(昭和30年)からはオースチンA50ケンブリッジをライセンス生産していたが、BMCとの契約が切れる1960年(昭和35年)3月にオースチンに代わる純国産中型車として「ニッサン セドリック(Cedric)」(G30型)を発表、翌4月1日に発売した(「自動車カタログ棚から」シリーズ第59回記事参照)。
●白いボディに赤の内装のコントラストが非常に魅力的な1960年セドリック・スタンダード専用カタログの表紙
●最初のセドリックはタテ4灯の印象的なヘッドライトから「縦目のセドリック」として広く親しまれ、リアルタイムで夥しい種類の玩具・ミニカー・プラモデル等の実車を模した立体造形物が製品化された。
縦目のセドリックの金属玩具(ブリキ玩具)は、イチコー(一宏工業)、米澤玩具(ヨネザワ)、萬代屋(現バンダイ)、増田屋斎藤貿易(マスダヤ)、SSSインターナショナル商事(サンエス商事)から発売された。このうち、萬代屋製はオペルレコードの金型流用、増田屋製はプリムスあたりのアメ車の金型流用という手抜き商品であった。
SSSインターナショナル商事はサイズ違いで何と縦目のセドリックを大中小の3種類もリリースした。SSSインターナショナル製の縦目はイチコーあたりに比べて市場に出た数が少なかったとみられ、何れも現在のアンティーク市場に現れることは稀なブリキ自動車達である。今回ご紹介する大中小の3サイズを揃えるのに実は30年近くかかっており、一期一会的な製品群とも言える。
★SSSインターナショナル商事株式会社について
SSSインターナショナル商事株式会社と楕円にSSSロゴの株式会社塩路商店を同一の玩具メーカーとして記載した洋書もあり混同されやすいが、SSSインターナショナルと塩路商店とは全くの別会社である。SSSインターナショナルは当初の社名を株式会社サンエス商事と言い、東京都台東区浅草永住町73に本社を置く在京の会社であった。それに対して塩路商店は大阪市南区瓦屋町一番町4番地に本社を置く在阪(関西)の会社であった。SSSインターナショナルの創業年及び廃業年は不詳であるが、創業者は鈴木喜久夫氏、東京玩具商報等の業界誌に登場し製品が造られた時期は1950年代初頭から1962年頃までの10年程度という比較的短期間であったと思われる。
SSSインターナショナル製の世界的に評価が高い製品としては全長43cmの1961年キャデラック(セダン及びコンバーチブル)や全長30cmのボルボP1800が挙げられる。
●1950年代末頃の「全国玩具人形商標総覧」に掲載された、SSSインターナショナル商事株式会社のロゴマーク等
SSSインターナショナルは増田屋、旭玩具、野村トーイ、萬代屋、マルサン商店といった金属玩具の錚々たるメーカー達と同じ頁に掲載されている。旭玩具はまだサンタマークになる前の時代。
●サンエス商事時代の製品広告
東京玩具商報1953年11月号(通巻503号)より。SSSインターナショナル商事となる以前のロゴマークは3つ山の下にS.S.S.というシンプルなもの。製品写真は梯子消防車、クーペ型アメ車、コンバーチブル型アメ車、MPジープ、デッキ付電気機関車、SL、フォーミュラカー等。
●玩具業界誌「ニューデザイン」1961年2月25日号に掲載されたSSSインターナショナルの縦目のセドリック大サイズ
「ニューデザイン」は1958年(昭和33年)から1960年代にかけて財団法人輸出玩具登録協会が発行していた月刊の玩具業界誌で、新規に登録申請が出された金属玩具の意匠保全登録の業界への周知を目的としていた。新規登録された製品の写真と全長・全幅・全高のスリーサイズ、製品名、申請者名、登録年月日(元号表記)が1点ずつ掲載されている貴重な玩具史料。申請者名は玩具の販売会社である場合と製造者である場合、その両方が併記されたものがある。例えば、バンダイ名義で発売された名作1963年プリンス・グロリアスーパー6はバンダイの山科直治社長名義ではなく、生産を行なったYFロゴの八千代製作所代表・福田勲氏の単独名義で申請されている。このセドリック大サイズの申請者名はSSSインターナショナル商事社長の鈴木喜久夫氏、登録年月日は昭和36年1月24日と記載されている。「ニューデザイン」は1980年代前半に玩具収集家/好事家向けに限定復刻されたが、現在でも国立国会図書館に行けば原本が保管されており閲覧することが出来る。
ノーマル
ポリスカー
●SSSインターナショナル商事 1/15スケール 1960年セドリック 大サイズ
全長30cm。品番S-1350。アンテナは工場出荷時から固定されており伸縮はしない。カラーバリエーションは画像の薄いブルーメタリック以外に赤など。白いミニカーは大きさ比較用のトミカリミテッドヴィンテージLV-01番1/64スケール縦目のセドリック。
【2016年 鑑定額】 箱付ミント40~60万円程度。箱なし美品20~25万円程度。
リアエンドにはNISSAN deluxeのエンブレムが別パーツで付く。
実車に忠実なメーターパネルのプリント
Cedricのサイドエンブレムとアンテナ
●SSSインターナショナル商事 1/15スケール 1960年セドリック 大サイズ ポリスカー
全長30cm。品番:不詳。上掲、大サイズのバリエーション。残念ながら、この横文字のポリス仕様が国内でも販売され、警視庁バージョンは出ていない。
大サイズノーマルとポリスの並び
●SSSインターナショナル商事 1/25スケール 1960年セドリック 中サイズ
全長17.5cm。品番S-1341。カラーバリエーションは薄青メタ、赤、ライトグレイなど。大中小の3サイズの中ではこの中サイズが一番現存するものは少ない。
【2016年 鑑定額】 箱付ミント35~50万円程度。箱なし美品20~25万円程度。
室内プリント
中サイズの赤バージョン
中サイズ青メタと赤の並び
●SSSインターナショナル商事 1/32スケール 1960年セドリック 小サイズ
全長14cm。品番S-1272。小→中→大の順で品番が進むことから、この小サイズが最初に市場に出たものと思われる。小学館の「交通の図鑑」の裏表紙写真に掲載されていたモデル。カラーバリエーションは赤、黒、青メタがあり、単品ではなくセット販売専用品としてポリスカーとファイアーチーフもリリースされた。比較的残っているこの小サイズでも現存する個体数は大盛屋フリクションシリーズ5番の縦目のセドリックの10分の1程度では。
【2016年 鑑定額】 箱付ミント10~15万円程度。箱なし美品4~7万円程度。
小サイズの赤バージョン
小サイズ黒赤の並び
●SSSインタンーナショナル「TINY GIANT」(タイニイジャイアント=小さな巨人)シリーズ広告
東京玩具商報1960年12月号(国立国会図書館蔵)より。この時点でも社名は「サンエス商事」と旧名称が使用されている。タイニイジャイアント・シリーズは20種。沢山仕入れた小売店が貰えた専用棚の最下段右端がセドリック小サイズ。下は全長30cmのスペアタイヤを付け替えて遊べるメルセデスベンツ220S。
●小学館 「交通の図鑑」 裏表紙: 右列前から2台目がSSSインターナショナル小サイズの縦目、その他のクルマも大半がSSSインターナショナル商事のTINY GIANTシリーズの14cmサイズのもの。セドリックの左隣の空色は310初代ブルーバード、その他、緑のコルベア、白の356、黒のロールスなど。
●SSSインターナショナル 1960年セドリック 大中小の並び
★オマケ(その1): 「日本の防衛」 (Defense Of Japan)
オマケが全くないのは寂しいということで、これはアメリカ目線で製作された1950年代日本のドキュメント・フィルム。9分あたりからコスゲ(小菅)/マルサン商店の工場での1952年フォードのブリキ製造工程の非常に貴重な映像が見られる。
★オマケ(その2): 「神無月にかこまれて」 井上陽水 1972
10月も終わりということで、最後はこの1曲。1972年12月10日発売の陽水セカンドアルバム「陽水Ⅱ」のB面1曲目(アナログLPレコードの場合)。私が中1の2学期に出た古いレコードだが、どの楽曲も陽水の秀逸な作詞作曲と歌唱力で21世紀の今聴いてもけっして古くなってはいない気がする。
【歌詞】
人恋しと泣けば十三夜
月はおぼろ 淡い色具合
雲は月を隠さぬように優しく流れ
丸い月には流れる雲が
千切れた雲がよく似合う
風が騒ぐ 今や冬隣り
逃げるように 渡り鳥が行く
列についてゆけない者に
また来る春があるかどうかは誰も知らない
ただひたすらの風まかせ
神無月に僕は囲まれて
口笛吹く それは こだまする
青い夜の空気の中に生きてるものは
涙も見せず笑いも忘れ
息を潜めて冬を待つ
★1979年430セドリック教習車ほか 懐かしの教習車 ~ 自動車カタログ棚から 331
★さて、もう11月ですね。
昨日は東京も随分と冷えこみましたが、今日は20度位まで気温も上がるようです。今日11月3日は文化の日ということで、学園祭をやっているという学校も多いのでしょうね。11月は以下のように個人的に行ってみたいイベントが盛り沢山です。実はその合間に自分のライブもあったりします(大汗)。
・11月19日(土) 「鉄道模型フェスティバルin新宿~中古鉄道模型即売会」(主催:ホビーランドぽち、場所:AP西新宿、時間:午前10時~20日まで開催)
・11月20日(日) 「お台場旧車天国2016」(事務局:八重洲出版内、場所:お台場・船の科学館前 野外特設会場、時間:午前9時半~)
・11月26日(土) 「2016トヨタ博物館クラシックカーフェスティバルin神宮外苑」(主催:トヨタ博物館、場所:信濃町・聖徳記念絵画館前、時間:午前10時~)
やりたいこと、やるべきことが多く時間があまり取れませんので、今日は免許を持っている人なら誰でも一度は乗ったことのある教習車について、「自動車カタログ棚から」シリーズ第331回記事としてサクッとアップすることとしますね☆
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★教習車に纏わる話題となると、20世紀初頭からの免許制度の歴史や車両区分の歴史、少子化と若者のクルマ離れに伴う教習所の斜陽化の問題など日本国内に限っても1回の記事では到底書ききれない広がりがある。
例えば近年ではオートマ限定免許の追加(2016年現在では免許所持者の5割以上がオートマ限定、販売される乗用車の98%までがオートマ車)、中型免許の追加など話題に事欠かない。中型免許絡みでは2007年6月2日の中型免許が新設される以前に普通免許を取得した人の場合、免許証の「条件等」の欄に「中型車は中型車(8t)に限る」と記載されている。これは戦前生まれあたりの世代の人の免許証が大型自動二輪も運転可能という形で更新されていたのと同じで、免許区分の変更に際して従来の免許で運転可能であった車種を急に失くさずに移行措置としたものである。私の免許証にも「中型車は中型車(8t)に限る」と記載されているが、現実には4トントラックさえ運転したことがなく、これは1960年代以前に自動車免許を取得している戦前生まれ世代では単車には一度も乗ったことがなくとも大型自動二輪の免許があるというのと同じことである。
●1958年 三田自動車練習所のダットサン1000(210)教習車
国際文化情報社1959年5月10日発行 画報 科学時代 第10巻「自動車の驚異」より。この時代は教習所ではなく自動車練習所と呼称されている。
ナンバーに地域名が入らないのが当時の東京都内登録車。
●1963年 トヨペットクラウンRS40 教習車
1965年6月25日発行 玉川こども百科 第4巻「じどうしゃ」(五十嵐平達 編著)より。
★2016年現在の教習車の御三家はトヨタ・コンフォート、トヨタ・カローラアクシオ、マツダ・アクセラでシェアトップはマツダ・アクセラとのことですが、あなたが自動車免許を取得する時に教習所で乗った教習車の車種は何でしたか??
例えば、「教習車はY30のセドリックだった」と言われれば、Y30が1983年~1987年の生産だったことから、普通免許取得可能年齢の18歳を考慮すると大体1965年~70年生まれ位の年代の方かなと想像できたりもします。免許が取れる年齢に達してもすぐに免許をとらずに20代終わりとか30代になってからなど遅れて免許を取ったという人の場合は判りませんが、運転した教習車によってある程度は世代を特定することが出来るのではないでしょうか。しかし、7代目Y31セダンのように長期に亘って生産された車両もあるので簡単ではありません。尤もかなりの自動車好きでもなければ、教習所で乗った教習車の車種まではイチイチ覚えていないという場合が多いかもしれません。
子供の頃から自動車が好きだった私は、既に40年近い歳月を経ていますが自分が乗った教習車のことは昨日のことのようによく覚えています。私が教習所で乗ったのはセドグロは330がメインで230もまだ結構生き残っており、クラウンは5代目80系がメインで4代目クジラがやはりまだ結構生き残っていました。今回ご紹介するカタログの430セドリックがデビューする以前でしたので、残念ながら私は430の教習車には乗っていません。現在、教習車の償却は2年程度とも言われていますが、私が免許をとった70年代後半には4年位使っている車が結構存在していたように思います。しかし、自分が教習所に通っていた時期に1枚たりとも教習所で車両の写真を撮らなかったことは痛恨の極みです。
★教習車には、自動車教習所(狭義では都道府県公安委員会が道路交通法第九十九条に基づいて指定した指定自動車教習所、および届出自動車教習所を指し、広義では非指定自動車教習所を含む)の指導員が教習を円滑に行うための様々な機器装置や保護装置が装備されている。
東京都内では鮫洲や府中の運転免許試験場の技能試験に用いられる免許試験車も、教習車と基本構造は同一である。指導員の乗車する助手席足元に補助ブレーキペダル、インストゥルメントパネル周りに方向指示器・ブレーキランプに連動するランプと運転席側からは見えないデジタル式速度計、ミラーは車内にルームミラーが指導員用に追加され、フェンダーミラーやドアミラー上部にはアウトサイドミラーという指導員用のミラーが付く。オーディオ類は省かれるが、カーナビやバックモニターカメラを付けている車両も存在する。実技試験が免除となる所謂、指定自動車教習所で使用される、補助ブレーキペダルが装備されている教習車は特種用途自動車として区分され、自動車登録番号標(ナンバープレート)は8ナンバーとなる。
●2016年現在、教習車仕様が発売されている国産乗用車
・マツダ アクセラ
・トヨタ コンフォート
・ホンダ グレイス
・マツダ アクセラ
・スバル インプレッサG4
★過去に教習車仕様が発売されていた国産乗用車
以下の教習車の存在が確認されている車種には、各々、教習車仕様のカタログが発行されている、もしくはカタログが未発見であっても発行されている可能性がある。
●トヨタ自動車
クラウンセダン
マークⅡ
チェイサー
クレスタ
カリーナ
コロナ( 9代目のトヨタ教習車と10代目コロナプレミオを含む)
●日産自動車
セドリックセダン
グロリアセダン
ローレル
スカイライン
クルー
ブルーバードシルフィ
ブルーバード
ティーダラティオ
●本田技研工業
アコード
シビックフェリオ
ドマーニ
●マツダ(東洋工業)
ルーチェ(1960年代の初代から教習車専用カタログの存在が確認されている)
カペラ
ファミリア
●三菱自動車工業
ギャラン
ランサー
●いすゞ自動車
フローリアン(1960年代末の教習車専用カタログの存在が確認されている)
アスカ
※上記以外にもメーカーが教習車としては発売していないが、日本で教習車として使われた車種も存在する(BMW3シリーズ、メルセデスCクラス等)。
●1979年6月 ニッサン セドリック及びローレル 教習車 専用カタログ (縦30cm×横25cm・日本語2つ折4面)
5代目430セドリック初期の教習車と3代目C230ローレル末期の教習車を掲載した専用カタログ。収載型式:①E-430(L20搭載)②K-S430(SD20ディーゼル搭載)③E-PC231(Z18搭載)④K-SC230(SD20ディーゼル搭載)
このカタログに掲載された教習車で実際に教習を受けた人は1961年(昭和36年)~1965年(昭和40年)生まれあたりの世代が中心と思われる。マツダ(東洋工業)は初代ルーチェの時代に既に教習車専用カタログを出しているが、日産車では330以前のセドリック教習車仕様のカタログは現在に至るまで一度も見ていないので発行されていない(?)。このカタログでは指導員用ミラー等の教習車専用の装備がない状態の写真のみが掲載されており(裏面に「教官用補助ブレーキと教官用ルームミラー・フェンダーミラーは装着されていませんが、実際にご使用になる場合には装着する必要があります。」と注意書き有)、教習車のカタログとしては面白味に欠ける嫌いあり。カタログの入手難易度では、ダントツで入手が難しいのはパトカーで、次に営業車(タクシー)と教習車が概ね同レベルで続く印象。
【中面から】
解説頁
「効率経営をめざす教習所にぴったりの日産の教習車、新型セドリックとローレル。教習生にも教官の方にも満足してお乗りいただけます。」
上:セドリック、下:ローレル
「セドリックは快適ローデシベル空間」
「ローレルはザ・コンチネンタルサイズ」
裏面スペック
セドリック側面図
ローレル側面図
教習車として使用する場合には教官用補助ブレーキやミラーを装着する必要がある旨の注意書き。
●1990年1月 ニッサン スカイライン 32型 教習車 専用カタログ (A4判・日本語表裏1枚)
車両型式:E-FR32改。搭載エンジンCA18i・91PS。オーテックジャパンの製造車両。平成に入ってからの簡素な1枚物カタログながら一般には殆ど配布されていないため、同時期のGT-R(R32)のカタログより遥かに少ない。この32の教習車で実際に教習を受けた人は1972年(昭和47年)~1976年(昭和51年)生まれあたりの世代ではないだろうか。
裏面
教官用補助ブレーキ
教官用ルームミラー
教官用アウトサイドミラー
スペック
★オマケ(その1): トミカ13-4番 1/65スケール 430セドリック280Eブローアム
全長7.3cm。1980年7月発売。当時定価320円。ダイキャスト製。トミカ発売10周年としてテールライトやフロントウインカーにクリアパーツが奢られたモデル。青メタとパールホワイトは当時物。kmハイヤー仕様の紺メタは2003年巣鴨ガリバー特注品。430のミニカーは当時物から近年のTLVネオの西部警察物に至るまで夥しい種類が出ています。
1stカラー 青メタ
2ndカラー パールホワイト
km国際自動車ハイヤー
★オマケ(その2): トミカくじ20 1/59スケール トヨタ2000GT教習車「うつろ自動車教習所」
全長7cm。これはまだ捜せば市場在庫もありそうな2016年発売の製品。トヨタ2000GTの教習車、しかもタイムトライアルカーカラーという発想がイケてます。日本の教習車のミニカーというと、1970年代に5代目クラウンの教習車がダイヤペットから白黄と白赤の2色のカラーバリエーションで発売されたが、1回だけの生産と言われ現在の絶版ミニカー市場に出回る数は少ない。友情出演: SIKUのトヨタ2000GTさん。
★オマケ(その3): 1960年代前半の自動車教習所風景
名古屋自動車学校の1964年横目セドリック教習車が登場する貴重な動画。
★オマケ(その4): 1960年代後半の自動車教習所風景
多摩ナンバーを付けた130セドリックの教習車が登場する貴重な動画。オマケ3の動画より数年新しい時代の教習車が映っているが、よく見るとセドリックは31の初代も映っている。
★光球商会1959年 日産オースチンA50 旧車高騰 ~ ブリキ自動車コレクションから 003
★このところ、世界的な旧車人気の影響で往年の名車(主にスポーツカー)の流通価格が高騰しているようです。例を挙げれば以下のようになります。
・トヨタ2000GT・・・・・1億円オーバー
・ランボルギーニミウラ・・・・1億2000万円オーバー
・1967年ポルシェ911R・・・・・1億5000万円オーバー
・1973年ポルシェ911カレラRS・・・・・1億円オーバー
・1967~1973年ポルシェ911S・・・・・3000万円
・1965~1973年ポルシェ911(E/L/T)・・・・・1500万円
・ケンメリGT-R・・・・・3000万円
・ハコスカGT-R・・・・・1500万円
・フェアレディZ432R・・・・・2500万円
・マツダコスモスポーツ・・・・・1000万円
ナロー911でもRやRSといった元々生産台数の少ない車両は昔から高価でしたが、それでもこんなに高くはありませんでした。ナロー911が国内で200~300万円でも買えた時代が長く続いたことを考えると現在は約10倍に跳ね上がっており、これは少々異常な感じがします。ナローの911Sが現行の991型911が2台買えるプライス、最も大人しい911Tでも新車の991型911を上回るレベルです。日本人は自分のクルマを大切にする傾向があることから、特に三和自動車の正規輸入車両は「ミツワ物」として欧米の中古市場でブランド化しているとのことです。しかし、三和正規輸入の911が大量に海を渡って二度と日本に戻ってこなくなる可能性があるというのは懸念すべき事態とも思えます。実は私は以前、ナロー911を持っていたのですが、安い時に売らないで今まで持っていれば10倍で売れたかもしれないと思ったりもします。尤も買った値段も安く、ショート・ホイールベースの稀少な三和ディーラー車で状態も悪くはなかったので、その価値の判る熱烈なポルシェフリークの方が買った値段の5割増しくらいで引き取って下さったのですが。。。
旧車人気は80年代、90年代にまで波及し(特に15年落ち以前の輸入可能な年式の日本製高性能車両は北米で人気が高いとのこと)、R32 GT-Rで当時の新車価格並みの500万円、R34 GT-Rで程度の良いものはR35の新車並みの1500万円との話もあり、今後は初代ロードスター(NA)、RX-7(FD)、80スープラあたりの価格高騰も懸念(中には期待する人も?)されているようです。
★閑話休題
さて、今日は午後からスタリハもあり、これからアレンジしなければならない曲もあり時間があまりありませんので(大汗)、「ブリキ自動車コレクションから」の第3回記事として光球商会等の日産オースチンA50ケンブリッジをサクっとアップしますね☆今回はブリキに限定せず日産オースチンA50の当時物のミニカーやプラモデルも併せてご紹介することとします☆☆
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★戦中戦後の自動車技術の立遅れを取り戻すべく、英国オースチン社との技術提携契約を結び1953年(昭和28年)3月よりオースチンA40サマーセットのノックダウン生産を始めた日産自動車は、1954年(昭和29年)12月、英本国でA40サマーセットがA50ケンブリッジにモデルチェンジしたことに追随してノックダウン車両の切換えを行ない、日産オースチンA50ケンブリッジ サルーンを1955年(昭和30年)1月17日に発売した。
日産としては1200ccのA40を継続して生産するよりも、当時の小型車枠一杯の1500ccのA50を生産した方が、トヨタ・プリンスとの対抗上も得策だという判断があったようだ。A40の1年8ヶ月に亘る部品の国産化作業は水泡に帰し、A50への切換えは殆どゼロからの再スタートとなったが、A50の国産化は急ピッチで進められ、翌1956年(昭和31年)5月6日に全てに国産部品を使用したA50の完全国産化が達成された。しかし、当時の国産部品の品質は英国製に比べると明らかに粗悪で、英国製部品をふんだんに使用して組み上げられた1955年式の最初期のオースチンA50が後年の中古市場では高年式よりも人気が高かったのは少々皮肉なことであった。(実車については、「自動車カタログ棚から」シリーズ第104回記事参照)
●川上哲治と1957年日産オースチンA50
自動車経済新聞社1957年5月15日発行・自動車経済臨時増刊「日産の自動車」表紙(B5判)。巨人を1965年(昭和40年)~1973年(昭和48年)まで連続9年セ・リーグ優勝及び日本一の所謂「V9」に導いた日本プロ野球界のドン・野球の神様・川上哲治氏(1920年3月23日-2013年10月28日)と日産オースチン。川上氏はこの写真の時点で36~37歳。オースチンが当時の愛車だったのかもしれない。
●日産横浜工場オースチン生産ライン
自動車経済新聞社1957年5月15日発行・自動車経済臨時増刊「日産の自動車」より。
●東日本交通株式会社のオースチンタクシー
自動車経済新聞社1957年5月15日発行・自動車経済臨時増刊「日産の自動車」より。当時都内に300数十社あったタクシー会社の中で東日本交通はオースチンだけで営業することで異彩を放っていたという。「燃費がよく大きな故障もなく償却する際には町医者が買ってくれるので、営業はオースチンに限る」旨の榎本三右衛門社長のインタビューが掲載されている。東日本交通は現在も東京都渋谷区笹塚に存在するタクシー会社。
●光球商会 ロゴマーク他
1950年代末頃の全国玩具人形商標総覧より。住所は東京都台東区浅草蔵前3-2、代表者は中井茂幸氏、業種は金属玩具の製造問屋と記載されている。光球商会の創業年並びに廃業年は不詳ながら、1950年代~1970年代にかけて存在した玩具メーカーと思われる。光球の日本車のブリキ玩具では出来の良いダイハツミゼットDKA型(バーハンドル)や1967年ホンダN360と今回ご紹介する日産オースチンあたりが有名である。光球商会のカタログも手元にありますので、それはまた項を改めて「玩具・模型カタログ棚から」の記事としてピックアップすることとします。
●光球商会 1/20スケール 1958年日産オースチンA50ケンブリッジ
全長20.5cm。ブリキ製。1958年12月のクリスマス商戦に市場投入されたと思われるモデル。実車では1958年秋にマイナーチェンジした1959年式でリアウイドが拡大されたが、このモデルはMC以前の楕円のリアウインドを持つ。フロントフード・オーナメントまで正確にモデル化された傑作。リアナンバーが1stモデルは1959で1960となったものが2ndモデル。1stモデルはフロントエンブレムに「Austin」のロゴが入り、2ndの末期製品ではドアノブが省略されている。室内は何故か左ハンドルだが、カラーリングは日産製オースチンのものである。カラーバリエーションは何れもルーフが白でボディ下が赤茶、赤、空色、深緑など。
【2016年 評価額】 箱付ミント18~25万円程度。箱なし美品8~12万円程度。ヤフオクなどでは暴落していた古い国産車ブリキの価格がこのところ上向き始めており、その原因はトミカ同様に日本人ではなく外国人(中国人等)のコレクターが目を向け始めたためと言われる。
1stモデルにはフロントエンブレムに「Austin」のロゴが入る。
リアナンバーのバリエーション
実車通りのフロントフード・オーナメント
左ハンドルの室内プリント
「デラックス玩具 オースチンA50 丈夫でよろこばれる」の文字と桜に「K」の光球商会のトレードマークが入った工場出荷時に貼られたルーフのシール。
●米澤玩具 1/32スケール 1958年日産オースチンA50ケンブリッジ
全長12.5cm。ブリキ製。ブリキとしてはスモールサイズながらパーツ点数が多く手の込んだモデル。サイドモールは別パーツでフロントフード・オーナメントや左フェンダーミラーまで付いている。光球商会製と同様に何故か左ハンドルだがカラーリングは日産オースチンである。このモデルは殆どアンティーク玩具市場に現れないレア品で、これまでの数十年で2~3台しか見かけたことがなく、箱付は一度も見ていない。白赤ツートン以外は見ておらずカラーバリエーションがあるのかどうかは不明。現存数は上掲の光球商会のオースチンの10分の1以下と思われる。桜にY文字の米澤の商標は裏板に刻印されている。
【2016年 評価額】 箱付ミント30~50万円程度。箱なし美品15~25万円程度。
左ハンドルの室内
●旭玩具モデルペット8番1/42スケール 1960年日産オースチンA50ケンブリッジ
全長9.5cm。ダイキャスト製。1960年10月発売。初期のモデルペットによく見られたシート付の改番「S」モデルはなく、品番10としてセドリックがデビューしたこともあってかシートなしのまま絶版となった。現在も沢山流通しており日産オースチンのミニチュアモデルとしては一番入手はしやすい。しかし、カラーバリエーションは白/赤、紺、ライトグレイ、青メタ、薄青メタ等多数あり、全て揃えるのは案外ハードルが高いのでは。
【2016年 評価額】 箱付ミント2~3万円程度。箱なし美品8000~1万円程度。
●光球商会・米澤玩具・モデルペットの日産オースチンA50の並び
●マルサン商店 1/40スケール 1959年日産オースチンA50ケンブリッジDX プラモデル
全長9.5cm。当時定価100円。品番7035。国産プラモデル黎明期のキットで滅多に絶版プラモ市場には現れないレア物。現在の目で見れば完全なチープキットながら、リアウインドが拡大された1959年式を真面目にモデル化している。ビン入りの接着剤が泣かせます。
【2016年 評価額】 未組立完品20~25万円程度。
★オマケ: Girl ビートルズ 1965
オマケに何もないのは寂しいということで、25歳のジョン・レノンが歌うこの1曲。何とも魅力的なボーカルに鳥肌が立ちます。
【Data File】
使用楽器:
Gibson J-160E(John)
Rickenbacker 4001(Paul)
Framus 12弦Guitar(George)
Ludwig(Ringo)
録音:1965年10月~11月 アビーロード・スタジオ
【歌詞】
Is there anybody going to listen to my story
All about the girl who came to stay
She's the kind of girl
You want so much it makes you sorry
Still you don't regret a single day
Ah girl…girl…girl
When I think of all the times
I tried so hard to leave her
She will turn to me and start to cry
And she promises the earth to me
And I believe her
After all this time I don't know why
Ah girl…girl…girl
She's the kind of girl who puts you down
When friends are there
You feel a fool
When you say she's looking good
She acts as if it's understood
She's cool, ooh,…ooh,…ooh…
Girl…girl…girl
Was she told when she was young
That pain would lead to pleasure?
Did she understand it when they said
That a man must break his back
To earn his day of leisure
Will she still believe it
When he's dead
Ah girl…girl…girl
Ah girl…
【訳詩】
誰か僕の話を聞いてくれないかな。
僕と一緒に暮らしている女の子の話なんだけどさ。
彼女は男を夢中にさせる魅力の持ち主なんだ。
君だって彼女に会えば、
彼女の虜になってしまうはずさ。
でも、後で後悔しても僕は知らないよ。
ああ、あの娘は そんな娘
ふう…
ああ、あの娘は そんな娘!
何度彼女と別れようとしたことか。
でもそのたびに彼女は戻ってきて、
別れたくないって泣いてすがるんだ。
彼女は僕をがっかりさせないって、
命にかけて誓うって言うんだ。
結局彼女の涙に負けて、
許してしまったのが運のつき。
それがどんな結果をもたらすかなんて、
その時の僕にわかるわけがなかった。
ああ、あの娘は そんな娘
ふう…
ああ、あの娘は そんな娘!
彼女は、
人前で君に恥をかかせて平気なんだ。
君は彼女に馬鹿にされるよ。
君がどんなに彼女を褒めたって、
「あたしが可愛いなんて当り前よ」みたいな顔をして、
彼女は君に冷たくあたるんだ。
ああ、ああ
あああ、あの娘は そんな娘
ふう…
ああ、あの娘は そんな娘!
彼女にいじめぬかれると
男はやがて苦痛が快楽に変わっていくなんて、
そんな出鱈目を彼女に吹き込んだのは、
いったいどこのどいつだ?
たいていの男は、
恋をすると命がけになるってこと、
遊び半分で恋を楽しむ彼女には
永久にわからないんじゃないだろうか。
たとえ彼女に与えられた苦痛に耐え切れずに、
男が死んでしまったとしても…
ああああ、あの娘は そんな娘
ふう…
ああ、あの娘は そんな娘…
★米澤玩具1958年スバル360 最初のマイカー ~ ブリキ自動車コレクションから 004
★今週は東京でも木枯らし1号が吹き、急に寒くなりました。コートなどの冬物を引っ張り出した人も多いことと思います。でも、この週末はまた少し暖かくなるようです。寒暖の変化で風邪などひかないようにしたいですね。
★1945年生まれのエリック・クラプトンより1歳年下、1946年6月生まれの何と古希にして第45代アメリカ合衆国大統領当選者と決まったドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)は身長190cm、トランプの3人目の妻で1970年4月生まれ、トランプより24歳(二回り)年下の雑誌VOGUEの表紙を飾った経歴もある元スーパーモデル・メラニア・トランプ(Melania Trump)は何と身長180cmだという。
トランプ当選の要因は歯に衣着せぬ発言でアメリカ大衆の本音や鬱屈した気持ちを地滑り的に上手く掬い取ったことにあると言われるが、実際のところ、政治経験皆無の新大統領の舵取りには、前例に縛られない思い切った改革をしてくれるだろうという期待半分、暴走するのではという不安半分という向きも多いようだ。トランプの「アメリカは世界の警察をやめる」との発言は、超大国アメリカの過介入によって世界を混乱させてきたことの多い過去を振り返れば、良いことのようにも思える。
★新海誠監督の長編アニメーション映画「君の名は。」の興行収入が、200億円を超える勢いで、国産アニメーション映画としては308億円を記録した「千と千尋の神隠し」に次ぐ大記録を打ち立てそうだとのことです。周りで見ていない人は少ないといったレベルのメガヒットともなると、誰しも未見のままではいられないという心持ちにもなりますよね。ところで、あなたはもう観ましたか?えっ、観たって?ねえねえ、どうでした?私は実はまだ観てないんですよ(>_<)
この映画、実際のところ、3回、4回と繰り返し映画館に足を運んだ向きも多いとのことで、人の心をグイグイと惹きつける非常に魅力的な作品であることは確かのようです。映画は他人と一緒でなく一人でじっくり観る方が落ち着くという人もいるでしょうけれども、次のデートには是非この映画をと考えている向きもきっと多いことでしょうね。
★閑話休題
さて、ついつい前置きが長くなりましたが、ライブもありとにかく時間がなくてアメブロの記事を書いている場合でもないのですが(大汗)、今日は「ブリキ自動車コレクションから」の第4回として米澤玩具(ヨネザワ)のスバル360と併せて最初のマイカーのお話を極々簡単にアップしますね☆☆
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★まずは、いつも読んでくださっている方への質問です。
①あなたが幼い頃、家には自動車がありましたか?
②最初にあなたの家に来たマイカーは何でしたか?
★現在20代など若い世代の方なら生まれた時には家には既に何台も乗り継いできたマイカーが当然のことのようにあったという人が多いのかもしれません。私のように1960年代に幼少期を過ごした世代ならば、最初のマイカーは初代マツダキャロルの後期型だったとか、初代パブリカのバンだったとか、初代ブルーバードだったとか、初代カローラだったとかといった、胸がキュンとなるような懐かしさを覚える想い出のクルマが存在する人は多いだろうと思います。1960年代、もし親が自営業だったならば生まれた時から家には配達用の初代スバルサンバーがあったとか、三輪のダイハツミゼットMPがあったとか、もし親がちょっとした会社を経営していたといったお金持ちの家ならクラウンやセドリックやグロリアあたりがガレーヂにあったよという人もおられるかもしれません。
★私が幼い頃に初めて家にやって来た自動車=初めてのマイカーは1960年後期型のデメキン時代のスバル360でした。
私の家の近所の住宅街で1960年(昭和35年)にマイカーがやってきたのは割合早い方で、しかし、数年を経た1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃にはかなりの家にマイカーがガレーヂに収まっていました。1964年、私はまだ幼稚園児でしたが、近所の家にあったマイカー達のことは今でも鮮やかに覚えています。隣の家はヘッドライトのデザインが一新された新しいスバル360、2軒隣は日野ルノー4CV、5軒隣は日野コンテッサ900といったように。
・・・という訳で、私の家に初めてやって来たスバル360(特にデメキンタイプ)というクルマに私は幼少時の思い出も重なり強烈なノスタルジーを感じるのです。1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)の初めまで-私が0歳~7歳まで-、当時としては驚異的とも言える7年の歳月を家族と共に日曜ごとにドライブに出かけ、幼い私はいつも家のガレーヂにいるブルーグレイのスバル360に家族の一員であるかのような深い愛着を感じていたのです。7年乗ってついにフロアには穴が開いてしまい、走りながら地面が見えるというボロボロの状態になっていたのですが、それでも、どうしても欲しいという人が現われて、ある日、ガレーヂから愛しのスバルは消えてしまったのでした。
●私の実家の最初のマイカー「1960年後期型 スバル360」
1962年(昭和37年)8月26日(日)、丹沢にて。当時は週休2日ではなくサラリーマンの休みは日曜祝日だけだったから家族でドライブに行ったのは日曜日(または祝日)。現在のデジカメでは撮影日時が自動的に記録されるがフィルムカメラの時代はマメに記録をしておかないと何時撮影したものか判らなくなるケースも多かった。この写真を撮影した1928年(昭和3年)生まれの父(2016年現在88歳で存命、何と藤原紀香ファン)は幸いマメに記録を残しており、撮影日と撮影場所が特定できる写真が多い。
★名車スバル360が1958年(昭和33年)に発売された当初の価格 は42万5000円で大卒初任給1万3000円という時代に月収約33ヵ月分と高価であった。
僅か360ccの質素な軽自動車が現在の貨幣価値に換算すれば600~700万円というプライスであり、まだまだ庶民には高嶺の花であった。スバル360が爆発的に売れたのは、1960年代、高度経済成長期に入り日本人の所得が飛躍的に増えてからのことである。そのため、ヘッドライトの形状から所謂、デメキンと言われるスバル360の発売開始から2~3年までの初期の車両は生産台数は少ない。そのデメキンの中でもフロントバンパーが左右2分割の最初の1年半の期間にだけ生産販売された車両は特に稀少である。
★国産車史上に永遠に残るであろう名車「スバル360」を富士重工業が発表したのは、1958年(昭和33年)3月3日のことであった。
その日、正午過ぎに東京・丸の内にあった当時の富士重工業本社で記者発表会(プレス発表)が行われた。空冷2気筒2ストローク360㏄エンジンをリアにマウントしたRRで大人4人がゆったり乗れ、16馬力の出力で車重385kgを時速83km/hまで引っ張った。車体サイズは全長3m/全幅1.3mの当時の軽規格にきっちり収まっていた。エクステリア・デザインはインダストリアル・デザイナー佐々木達三氏(1906-1998)によるものであった。スバル360が名車たる所以 については、自動車専門誌CGの初代編集長 故・小林彰太郎氏が次の通り簡潔かつ的確に記されている。
「1950年代に登場した日本車の中で世界に誇れる車が1車のみ存在する。軽自動車のスバル360である。それは元中島航空機の技術者たちが航空機設計とまったく同水準の、重量/スペースに関する細心の神経をもって設計したもので、これほど小さく軽量なボディに、大人4人が楽に乗れ、快適でソフトな乗り心地を実現できたクルマは、自動車史上空前にして絶後だろう。一切の無駄を省いた合理的なスタイルも魅力的であり、時代を超えて世界に誇れる数少ない日本車である。 」
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★米澤玩具(ヨネザワ)の歴史は戦前1932年(昭和7年)4月に初代社長米沢喜孝氏が台東区浅草2-19にて米沢商店を開業して玩具の卸し業を始めたことに遡る。
終戦後、1948年(昭和23年)1月に個人商店から法人組織となり、1956年(昭和31年)6月には北米の玩具買主(バイヤー)の依頼により北米輸出の専門会社として株式会社トーキョー・セントラル・トイズを設立すると共に国内向け販売及び北米向けを除く輸出業務を行う米澤玩具株式会社が設立された。1950年代から1960年代のブリキ玩具黄金時代には米澤玩具は幾多の名作を世に送り出した。
1965年(昭和40年)8月9日には、大盛屋酒井通玩具の業務停止に伴い大盛屋のアンチモニー製ミニカー「チェリカ フェニックス シリーズ」の全ての残存金型を引き継ぎ、ダイヤペット・ブランドとしてミニカーの製造販売を開始した。1994年(平成6年)5月、セガトイズに買収され株式会社セガ・ヨネザワとなった後、2000年(平成12年)3月にはダイキャストミニカーの商標をアガツマに譲渡し、ヨネザワは創業68年目にして玩具製造販売事業に終止符を打った。
●米澤玩具1/17スケール 1958年スバル360
全長17.5cm。ブリキ製。米澤玩具のブリキ黄金時代の製品。ディテールの再現度では萬代屋(現バンダイ)のスバル360には遠く及ばないながらも、その独特のデフォルメされた造形が深い味わいと抜群に良い雰囲気を醸し出している。ボディカラーは実車通りの肌色と青灰色。フロントカウル・ベンチレーターが付いていないことから1958年型に見える。初期のデメキン・スバル360の当時物ブリキ玩具は米澤(ヨネザワ)・萬代屋(現バンダイ)・寺井商店(ダイヤ)・旭玩具製作所(アサヒ)の4社が競作しているが、現存する個体は米澤製が最も少ないことから、恐らく販売期間が短かったものと思われる。この米澤製スバルは、箱付・箱なし・ジャンクといった状態の如何を問わずアンティーク玩具市場に現れることは稀で、玩具本来の天寿を全うしかけたような箱なしズタボロ・ジャンクの状態であっても殆ど見かけない。
【2016年 評価額】 箱付ミント45~60万円程度。箱なし美品18~25万円程度。
フロント
テールライトも省略されたリア周り
室内プリント
リアトレイにプリントされた桜に「Y」の米澤マーク。
トミカ(小さい青色ツートン)との大きさ比較。
★オマケ(その1): 隔週刊スペシャルスケール1/24国産名車コレクション第5巻 1958年スバル360
アシェット・コレクションズ・ジャパン、2016年10月25日発売。税込定価3999円。全長12.5cm。ダイキャスト製。1958年の表記があるのは誤りで、フロントウインド手前にカウルベンチレーターが付いていることから1959年型をモデル化しているようだ。デメキンのモデル化ということで発売前から期待されたが、ヘッドライトが大き過ぎてフロントの印象が別のクルマのように見えるのが残念。黒ルーフに白のカラーリングも実車とは異なる。ドア開閉のギミックが付くのは嬉しい♪
2000年発売1/43スケール・メイクアップ製との並び
メイクアップ製のフロント周り
メイクアップ製のリア周り
★オマケ(その2): 1967年スバル360 テレビCM
アニメーションにスバルの唄のCMが懐かしい。
★オマケ(その3): 1968年スバルヤングSS/S テレビCM
スバル360のモデル末期に発売されたスポーツバージョンのCM。
★2016年BMW i8 ハイブリッド・スポーツ トミカ新車 ~ 自動車カタログ棚から 332
★さて、11月も半ばを過ぎ、気がつけば今年も残りもう1ヵ月と10日ですね。時が過ぎるスピードがあまりに速い気がするのは私の歳のせいだけでもなく、案外、体感時間というものが1960年代あたりに比べて現在は速くなっているのではと最近は思ったりもします。
今年も何度かのライブも無事終わり、何とか大恥をかかないレベルの演奏が出来たことは何よりでした。次のライブは2017年の年明け以降の予定ですので、ギター、ピアノ、歌と更なるレベルアップを図りたいと密かに思っていたりもします。
★誰しも人生の究極の目標は愛の暮らし=結婚であることは言うまでもないことですので(普通のサラリーマンで定年退職も迫ったその歳でまだ結婚したいだなんて、君は気でも狂ったのかい?と皆さんから言われることは百も承知なのですが)、早く独り身から脱出するためにも演奏の更なるレベルアップを図りたいと思います。
20代の時には30歳までには結婚、30代の時には40歳までには結婚、40代の時には50歳までには結婚と思っていたのが、今は何と終活を始めた同級生もいるという50代も後半となってしまい(大汗)、今の目標は60歳までには結婚!という訳なのです。尤も一般的には男女共に40歳を越えると統計学的に結婚できる確率=可能性が急激に低くなり、所謂、「崖っぷち」ではなく「崖から落ちた」状態になる訳ですが、既に崖から落ちてから長い年月を経ていても人として生まれてきた以上は愛の暮らし=結婚の夢はやっぱり捨てられないというのが私の正直な気持ちなのです☆☆
★以前にも書いたことの繰り返しになりますが、勿論、目標達成の暁には愛の暮らしに没頭し、愛の暮らしに専念するという、「愛こそはすべて」(All You Need Is Love by John Lennon 1967)の生活となりますため、人前で演奏をしたり、また、このようなマニアックなブログをアップしたりといった時間の余裕がなくなることは言うまでもありません(爆)
しかし、奥さん旦那さんや子供さんなど愛する家族がいて、愛の暮らしに没頭していると時間など全くないはずなのにブログを頻繁に更新しているような方もお見受けしますので、人生は案外、人それぞれなのかもしれませんよね☆☆
★閑話休題
「自動車カタログ棚から」シリーズの記事で現行車をピックアップするのは、ポルシェを除けばかなり異例なことなのですが(ホープスター、ダットサン320、オートサンダル、コルト800/コルト1000など実はもっとアップしたい車種が残っています)、今日は2016年11月19日(土)にトミカの新製品としても発売されたことで非常にタイムリーと言える「BMW i8」(アイエイト)をご紹介することとします☆☆
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★BMWのことを1970年代までの日本では「ベー・エム・ベー」と言うのが一般的だったが、1980年代以降は英語読みで「ビー・エム・ダブリュー」、略して「ビーエム」などと言われるようになった。私のような年代ともなると、いまだに「ビーエム」と言うのは何か1980年代に今風に気取ったニイチャンがカッコつけて言っていたのが思い出されて妙に気恥ずかしく、昔のままに「ベー・エム・ベー」と言う方がしっくりきたりもする。
★BMWというと個人的には1960年代の2000CSクーペがベストチョイスで、1970年代のマルニ・ターボや1980年代の六本木のカローラと言われてウジャウジャ繁殖した時代もあまり好きではなかった。
と言うよりも、BMWにはあまり関心がなかった。BMW買うんだったらスカGの方がいいんじゃないと思ったりもしていた。それは、ひとつには子供の頃から私が同じドイツ車でもポルシェファンであったことに関係があるかもしれない。実車カタログもBMWの車種別カタログは大判で分厚く嵩張ることもあり、現在に至るまで一部のスポーツモデルを除いては殆ど蒐集していない。
BMWの有名なプロペラのロゴマークが商標登録されたのは1917年(大正6年)10月5日とのことで、2016年現在、BMW誕生100周年を記念し限定車も出され、「THE NEXT 100YEARS」と印字された専用のカタログも多数発行されている。
★BMW i8(アイ エイト)は、2016年現在、BMWが製造・販売しているプラグインハイブリッド方式のスポーツモデルである。
最初の試作車は2009年9月のフランクフルト・ショーで「BMW Vision Efficient Dynamics」の名称で公開され、2年後の2011年には「BMW i8 Concept」として市販車により近いコンセプトカーに進化、そして更に2年後の2013年9月のフランクフルト・ショーで市販バージョンが公開された。同じく2013年の第43回東京モーターショーでも展示されたが、生産が追い付かなかったようで日本へのデリバリー開始は翌2014年の11月に入ってからとなった。
●2013年11月 第43回東京モーターショーのBMW i8
東京モーターショー会場に搬入された折の市販型i8。
★BMW i8のルックスはランボルギーニやマクラーレンといったスーパースポーツに近いものがあるが、内容的には大容量・高出力エンジンを積む20世紀型の旧弊なスーパースポーツではない。
即ち、リアミッドシップに1.5L直列3気筒ターボエンジン、フロントには電気モーターを配置するプラグインハイブリッドシステムが搭載され、両者のシステムトータル出力で362psを生み出しているのである。そして、レーシングカーやスーパースポーツの一部にだけ使用されるカーボン・ファイバー強化樹脂(CFRP)製のボディにより1510kgに抑えられた車体を0-100km加速4.4秒で走らせる。速度は250km/hでリミッターが作動するように設定されている。性能的には同じBMWでも、V型8気筒560psエンジンを搭載する20世紀型スポーツカーの進化形であるM6クーペが上回るが、タウンスピードでは寧ろi8の方が速く、何よりそもそもi8は開発コンセプトが全く異なる21世紀型のスポーツカーなのである。リッター20km弱という高燃費がそれを象徴している。V8エンジンを思わせるサウンドは最近のMモデルにも付いている、アクティブ・サウンド・デザインと呼ばれるもので、ダミーの合成音声は本物ではなく作り物であることの賛否はともかく、20世紀のスポーツカー的な味わいを持つ。ガソリンではなく電気で走る自動車がメインとなる近未来はこのような合成音声によるエンジン音が主流になるのかもしれない。ランボルギーニに見られるようなシザードア(バタフライドア)がi8のデザイン上のハイライトであり、ホテルの車寄せや高速のSAなどでオーナーが降り立つ姿は非常に目立つ。このクルマが似合うオーナーでないとクルマ負けしそうではある。
しかし、i8の場合、自宅に200Vの充電設備を設置する必要があり、心臓ペースメーカーを埋め込んでいる人には充電操作が出来ないといった問題がある。また、4人乗りとはいえ後席はポルシェ911のレベルで大人が長時間乗ることは厳しい。ラゲッジスペースはリアのエンジン背後に設けられているが間口が狭く大きな荷物は積めない(2名乗車ならリアシートが荷物置き場として使える)。全幅1940㎜は現代の標準では突出してワイドという訳でもないが、それでもミラーを含めて軽く2mを超える車幅は狭い日本の路地での取り回しは楽ではないだろう。
【主要スペック】 2016年 BMW i8 (2016 BMW i8)
全長4690㎜・全幅1940㎜・全高1300㎜・ホイールベース2800㎜・車重1510kg・4WD・直列3気筒DOHC1498ccツインパワーターボ+P250型電気モーター・システム総合出力362ps/5800rpm・最大トルク32.6kgm/3700rpm・変速機6速AT・乗車定員4名(2+2)・JC08モード燃費19.4km/ℓ・最低地上高120㎜・最小回転半径5800㎜・ステアリング:左右選択可・最高速度250km/h・日本国内車両本体価格:消費税込1966万円(諸費用別途)
●2016年 BMW i8 本カタログ (縦29.1×横23.4cm・ハードカバー日本語66頁)
カタログNo.411009084701。日本語版だがドイツ印刷。黒の表紙右下には「THE NEXT 100YEARS」の印字。
【中頁から抜粋】
扉頁: カーボン エレクトリックの文字
リア
「パワーと効率の両立」 複雑な造形をみせるリア周り。
「スペックは不要。この加速を堪能するには。」
「解説は不要。その美を感じるには。」
シザードア
運転席
バッテリー充電
カーボン製パッセンジャー・セル
レイアウト。フロントの電気モーターとリアのターボエンジンの間にはギッシリとリチウムイオン・バッテリーが置かれる。
ボディ色グレイ
ボディ色シルバー
ボディ色ブルー
ボディ色ホワイト
スペック
図面
●2016年5月発行 BMW i8 セレブレーション・エディション プロトニックレッド 専用カタログ (縦16×横29cm・日本語2つ折4面)
カタログNo.65FLY00200/V1。i8の標準ボディカラーは、グレイ・シルバー・ブルー・ホワイトの4色だけであったところに、BMW誕生100周年記念車として日本国内20台限定で発売された赤いi8。インテリアデザインも専用CARPOとなる。車両本体価格は標準車より234万円高い2200万円。
【中面から】
羨望の赤
価格・装備
★オマケ(その1): トミカ17-?番 1/61スケール 2016年 BMW i8
全長7.5cm。ダイキャスト製。税抜定価450円。2016年11月19日発売の新製品。赤茶/黒が実車の限定車セレブレーション・エディションを彷彿させる初回限定カラー、標準カラーがシルバー/黒。実車の複雑な造形を上手くモデル化。独特のドア開閉ギミックがないのは強度面を考慮すると致し方ないところ。ここ数ヵ月、トミカ新製品の発売日はヨドバシカメラなどの量販店では行列が出来る人気らしい。でも、私の行く都内の店ではヨドバシ程は安くないもののトミカの新製品は発売日前日、金曜日のお昼前後に店頭に並ぶ。但し購入台数の制限がないためにカートン箱で買うような人がいるらしく発売日前に完売してしまう。
BMW i8と同日発売の61番フェアレディZ NISMO パトロールカー(右)と入れ替えで、BMW Z4(左)が絶版となった。
★オマケ(その2): トミカF30-1番 BMW 3.5CSL
全長7.5cm。ダイキャスト製。当時定価240円。1977年9月発売。ジタンカラー。ジタンと言えば、ジョン・レノンやデヴィッド・ボウイが愛用した煙草として有名だが、ジタンカラーのミニカーだけ集めてみるのも面白そうだ。このBMWのジタンカラーは輸出用の白ボディ・青文字バージョンも出ている。黒ボディはギフト「スーパーカーAセット」に入っていたバージョン。他にも白、黄緑、イエガーマイスターのオレンジなどカラバリ多数あり。
オマケ1との並び。新旧のトミカBMWには39年の時が流れている。
★オマケ(その3): モーターマガジンMovie BMW i8
女性自動車ジャーナリスト竹岡圭さん(1969年3月30日-)のi8試乗解説 動画。
★お台場旧車天国2016 くろがね四起など ジョン・レノンの手紙
★昨日、2016年11月22日(火)午前5時59分頃に発生した福島沖M7.4の福島県沖地震、大丈夫でしたか?都内ではさほどの揺れではなかったのですが、それでも朝6時の時報直前の地震で飛び起きたという人は多かったようです。あまり大きな揺れでもなかった都内でしたが何故かその後の通勤時間帯の公共交通機関は遅れが生じた路線が多かったようで、電車遅延で8時半だとか9時だとかの会社の始業時刻に間に合わなかったという人も多いようです。
しかし、今回、津波警報が出され高台に逃げるクルマで大渋滞した箇所が多かったというのは、もし本当に大津波が来た場合にはクルマでは避難が間に合わなくなることを示しており、可能な限りクルマを使わず徒歩あるいは自転車、自動二輪車での避難がベターということですよね。
それにしても、原発の技術は核兵器製造にも転用できることを視野に入れつつ日本政府は原発を推進しているとの見解もあり、忌野清志郎と同様に私は常日頃から原発には反対なのですが、揺れ続ける日本列島に原発があることの危険を改めて感じたという向きはきっと多いことでしょうね☆
★ジョン・レノンが生前、ポールとリンダに宛てた手紙の下書きが米ボストンでオークションに出品され、2万9800ドル(日本円約330万円)で落札されたニュースは今朝(11月23日)7時のNHKニュースでも採り上げられていてちょっとビックリした。手紙は便箋2枚にタイプライターで打たれたもので、一部に(恐らく)ジョンの手書きで推敲した跡がある。アスコットの住所入りバッグ・プロダクション(Bag Producions)の専用便箋や内容から判断して1971年のものと思われるがジョンの署名はされていない。内容的には、どうして公には発表しないままビートルズをやめるの?とリンダから問われたことに対するジョン一流の辛辣なアンサーのようだ。ジョンが亡くなった1980年にはジョンとポールの関係は良好であったので、ビートルズ史的にこれが重要な手紙とも思えないのだが、AP通信によればオークションで競り合いの末、テキサス州のコレクターが落札したようだ。推敲の上で出された手紙の本物は現在でもポールが持っているのだろうか。
●日本円約330万円で落札されたジョン・レノンの手書き推敲入りタイプ打ち手紙の下書き
★閑話休題
2016年11月20日(日)にお台場旧車天国2016に短時間でしたが行ってきましたので、今日はあまり日が経たないうちに撮ってきた画像を簡単にアップしておきますNE☆☆
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★2016年11月20日(日)、船の科学館駅近くのお台場野外特設会場で行われた、「お台場旧車天国2016」(事務局は旧車雑誌オールドタイマーを発行している八重洲出版内)に行ってきました。
朝は少し冷えたものの絶好の行楽日和で陽射しが出た昼間は11月下旬にも関わらず半袖でちょうどいい位の陽気の1日でした。昨年は開場の9時半に合わせて行ったら入場待ちの長蛇の列に閉口したので、今年はお昼近くに行きました。古いクルマを見ることよりも朝一で行ってスワップミートコーナー等で良いモノをGETしようというような人も多いと思いますが、本当に安くて良いものは業者(出店者)タイムに売れてしまうことが多いことと、最近はイベントでモノをGETする気合いと欲と根性があまりなくなってきています(汗)。
今回は個人的な視点から気になった一部の展示車両をピックアップしてご紹介いたします。
●「お台場旧車天国2016」イベント・ガイドブック (B5判・16頁)
私が免許を採った時に教習所で乗った330が旧車を代表する?表紙というのは何ともです。私のような古株ともなるとセドリックは130までが旧車、230から後は旧車という感覚が薄いのですが、近頃は西部警察人気の影響もあってか、130以前のセドリックよりは230以降の方が人気が高いことは売られているカタログの値段を見ていても判ります。以前は1万5000円の高値を付けていた初代セドリックあたりの1960年代モノのカタログが暴落して、逆に230や330のカタログに5桁に迫るような驚くような高値が付いていたりします。
●1935年 くろがね四起 (大日本帝国陸軍・九五式小型乗用車)
くろがね四起の国内現存個体は日本自動車博物館(石川県小松市)にある後期型トラック1台と永らく思われていたのが、田宮模型のモデル化取材で京都市内の自動車修理工場「日工自動車」に初期型ロードスターが比較的原形を留めた状態で現存することが判り、レストアされ2016年9月に公開された車両。
平仮名で「くろがね」と入ったエンブレム
運転席
リアシートは1人乗り
コーションプレート
●1954年 トヨペットSK型トラック
土に還りつつあったような個体。この状態からのレストアの道は険しそうだ。
ボンネットに付いたトヨタの七宝エンブレム
運転席
助手席側グローブボックス蓋に付いた「toyopet」のロゴ
S型エンジン
コーションプレート
●1958年 ホープスターSU型 軽三輪トラック
運転席
コーションプレート
●1958年後期 スバル360
フロントウインド手前のベンチレーターや引違い式のサイドウインドは本来1958年後期型には付かないが、当時、ディーラーで実用性の観点から追加されたものらしい。
運転席
●1954年 クライスラーウインザー霊柩車
北陸の葬祭会社で1960年代前半に霊柩車改造され使われていた個体。左の運転席ドアが一見ドアなしに見えるが隠れドア付。
よく見ると左側には運転席ドアのヒンジが見える。
●1979年?日野HEハイキャブオーバー・トレーラーダンプ
年式が比較的新しくても働くクルマにはどうにもそそられます。
●ロータスヨーロッパとお姉さん
ロータスヨーロッパ軍団
●トミーテックTLV新製品展示コーナー
トヨタパトロールFS20型(無塗装の中央のもの)・・・・・来春以降の発売予定。パトカーと消防指令車が出るようだ。トミーテック(旧知のE氏)としては勿論、観音クラウン初期型ベースのBH26/FH26パトカーの企画も頭の隅にはあり、既に警視庁で貴重な当時の実車写真等を取材済とのこと。
いすゞエルガ・・・・・バスは事業者により内装が異なることから非常に手間が掛り、税込定価はついに1台1万円を超えるようだ。
●ビンテージ・プラモデルコーナー
左上の永大ギャランGTO F.B.I. パトロールカーが妙にそそります。
●ホットウィール・コーナー
サファリラリー風の510暗赤が気になったが新製品なのに1680円と高価なため買わず。
★オマケ(その1): 旧車天国で買ったミニカー1 「シンセイ1/78スケール三菱ふそう装甲化学消防車」
2000円で購入(入場券に漏れなく付いてくる金券500円を使い1500円になる)。全長13cm。ダイキャスト製。1980年代前半の製品。
★オマケ(その2): 旧車天国で買ったミニカー2 「イクソ1/43ブガッティ・タイプ57C 1939年ル・マン優勝車」
1000円で購入。全長11.5cm。ダイキャスト製。2002年発売の製品。このクルマは近年スパークからもレジン製で出ているが、ダイキャスト製のイクソの方がヌメっとしたボディの質感とフレンチブルーの鮮やかなカラーリングが魅力的。
★2016トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin 神宮外苑 ~ 宝くじは買わない清志郎
★さて、11月も残り僅かとなりました。師走に入ると仕事も忘年会やらの用事も多くて忙しいという人が多いことと思います。通勤途中で毎日見かける路上暮らしの方など無事に年を越せるのか心配であったりもします。 →ホントに心配なら君がその人が年を越せるように10万円くらい寄付したらどうなんだい?って話にもなりますがw
★5億や7億など平成に入ってからでも延べ740億円の当たりが出ていることから日本で一番人気の高い宝くじ売り場「西銀座チャンスセンター」の前を通りかかったところ、宝くじを買う長蛇の列に何と「5時間待ち」の表示が出ていて驚きました。5時間も待つなんて凄い気合いだと思います。しかし、この寒空の中、もしトイレに行きたくなったら列を離れてまた最後尾に並び直すのでしょうか。
年末宝くじで億単位の当たりの出る確率は、自分が年内に交通事故で死ぬ確率と同じか、どちらかと言うと交通事故死する確率の方が宝くじで大当たりが出る確率よりは高いと思っている私などは、宝くじは滅多に買わないのです(全部ハズれてもショックを受けない少額3000円位を時たま買うことがあります)。それはRCサクセションのデビュー曲で忌野清志郎が歌ったように、愛してくれる人がいたり恋をしていてお金を沢山持っている以上に幸せだから買わないという訳でもないのです。まあ宝くじを数百万買えば億単位の大当たりが出る確率は多少上がるかもしれませんが、それでもまだまだ確率は低いだろうと思います。まあ、宝くじは夢を買うものであって、例え全部外れても夢を見させてもらった代金と思えばそれでいいのかもしれませんよね☆☆
★先日会った赤門出の知人が40年近くも中央官庁に勤めても退職金が4000万を切りそうだとひどく嘆いていました。「次官級になった友達だと退職金8000万は貰えるのに日本って格差社会だよね」と嘆いていたのですが、今の日本には退職金が殆ど出ないという中小企業は幾らでもあり、そもそも自営業の人だと退職金など元々ないので、4000万近くも貰えるなら充分恵まれている方で格差社会だなんて嘆き悲しむのはおかしいんじゃないのかなと思ったりしました。まあ、人間、下を見ずに上だけを見れば自分が情けなくなるということなのでしょうね。貯金(現金預金)が100万円の人は貯金1000万の人を羨ましく思い、貯金1000万の人は貯金1億の人を羨ましく思い、貯金1億の人は貯金10億の人を羨ましく思い、貯金10億の人は貯金100億の人を羨ましく思い・・・・・、というように人間というものは現在のランクがどこにあったとしても上を見れば欲望はキリがなく続くのです☆☆
★閑話休題
さて、今日は昨日観てきた2016クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑の画像を駆け足でご紹介しますNE☆☆
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★2016年(平成28年)11月26日(土)、明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前 (東京都新宿区霞ヶ丘町1-1)にてトヨタ博物館主催の「2016クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑」(略称:CCF)が開催された。
2007年(平成19年)に始まった東京での開催は今回が記念すべき10回目となる。午後には雲が出たものの空が泣き出すことはないイベント日和の1日で、ギャラリー(見物無料)は例年以上に多いように思いました。
★イベントの参加資格は「1986年以前に生産された国産車・輸入車(除く、二輪車)」とされており、86レビン/トレノやA70スープラあたりでも参加資格ありということになります。
この「車齢30年以上」という参加資格のハードルは毎年同じで1年ずつハードルが下げられることから、3年後の2019年には1989年のR32や初代ロードスター(NA)にも参加資格が与えられることとなります(お弁当付の参加費1台3000円とのこと)。個人的には1980年代半ばあたりの自動車をクラシックカーと呼ぶのはどうにも違和感があり、1975年以前の生産車というあたりまでに限定した方がクラシックカーと呼ぶに相応しいと思うのですが、将来は参加資格のハードルが車齢30年ではなく「20世紀に生産された自動車」といった形となるのかもしれません。
例年、一般参加車(募集台数100台前後)と共に愛知県長久手市から大型トラックで陸送されてきたトヨタ博物館所蔵の貴重な車両も併せて展示されます。今回はトヨタ2000GTタイムトライアル50周年ということで、2000GTタイムトライアルカー(但しレプリカ)などが展示されました。
また今年は開会式の中でCG誌創刊時のメンバーで自動車歴史研究家の高島鎮雄(1938年-)氏が、トヨタ博物館の在り方を示した自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏の功績を称えた内容のスピーチが感動的でした。ミニカーなどを売る物販がトヨタ博物館のオフィシャル・グッズコーナー以外なく、その分、絵画館前の落ち着いた雰囲気の中でじっくりと1台ずつ古いクルマを見て回れるのはこのイベントの美点です。他のイベントの場合にはプロ・アマ入り混じった大量の物販(実車パーツ、実車カタログ、ミニカー・プラモデル等)を漁ることでマニアの方々の目の色が変わってしまい、どうしても実車をじっくり見るのは後回しとなりがちです。
今回はイベント参加車両の画像を個人的な視点からピックアップして掲載します。果たして1台くらいはお好みのクルマがあるでしょうか。
【外国車】
●1956年ポルシェ356Aクーペ
やはり最初はポルシェから。これは水滴型テールライトになる以前の初期型356Aクーペ。356Aはどこから見ても美しいパーフェクトなデザインです。
フラット4
室内
フロントエンブレム
●1965年ポルシェ911
911Sデビュー以前の初期型911。
●1984年ポルシェ911ターボ
930型911ターボ
●1970年アストンマーチンDB6 mkⅡ
アストンマーチンと言えばやはりこのデザイン。
DB6mk2のリアバッチ
●1965年アルファロメオ・ジュリアスパイダー・ヴェローチェ
運転席
●1971年アルファロメオ・ジュリアGT1300ジュニア
●1964年ボルボ1800S
●1954年MG-TF
●1959年MGA
●1955年ジャガーXK140ドロップヘッドクーペ
運転席
●1955年シトロエン2CV
●1969年フィアット600D
●1959年キャデラック・エルドラド・ビアリッツ
●1958年エドセル サイテーション
●1962年フォード・サンダーバード
●1970年シボレー・コルベット (C3)
コルベットの前を走るのは前期型ベレットGTR
【国産車】
●1960年トヨペットクラウンデラックス(RS21型)
トヨタ博物館収蔵車両。初代クラウン後期型。
アポロ式ウインカーと運転席
●1966年マツダ ファミリア1000クーペ
初代ファミリアのスタイリッシュなクーペ。
●1969年スバル1000スポーツセダン
長いホイールベース
●1971年マツダ コスモスポーツ
●1971年ニッサン フェアレディZ
初代Zのサイドビューは美しい。
●1967年トヨタ2000GT
●1966年トヨタ2000GTボンドカー
●1966年トヨタ2000GT「スピードトライアル」(レプリカ)
レプリカであっても本物の2000GTをベースにトヨタが製作したのであれば本物とあまり価値は変わらない気もします。
絵画館をバックにボンドカーとの並び
●グッズ販売コーナー
●番外1: ウニモグ除雪車?
絵画館裏の駐車場に首都高の保守用車両が沢山停めてあったうちの1台。
●番外2: トヨタ博物館から車両を運んできたと思われる大型トラックたち
★オマケ(その1): トヨタ博物館オリジナル hpi 1/43スケール トヨタ2000GT 2台セット
全長各9.5cm。レジン製。360セット限定販売。1966年タイムトライアルカーと1967年前期型の2台入り。今回のクラシックカーフェスティバルでは会場特価で売られていたので入手。1億円もする実車の購入は庶民には叶わぬ夢となった今、2000GTのミニカーを集めてみるのも楽しい。トヨタ2000GTの2台セットは2009年にもトヨタ博物館開館20周年としてエブロ製の前期型ノーマルとボンドカーのセットが出ている。hpi製2000GTではSCCA23号車と左ハンドル後期型の2台セットも出ている。hpiは2013年末でミニカー事業から撤退しているため、現在販売中のトヨタ博物館特注のセットも再生産はされずに間もなく完売となる模様。
2009年トヨタ博物館開館20周年トヨタ2000GT 2台セット(エブロ製)
HPI製トヨタ2000GT左ハンドル2台セット
1/43トヨタ2000GT 2台セット3種類
★オマケ(その2): 「宝くじは買わない」 RCサクセション 1970
忌野 清志郎 作詞作曲。RCのデビュー曲。2005年のデビュー35周年ライブから。清志郎さんが生きていれば今年65歳!それにしても、清志郎の歌う声はどうしてこんなに優しくて胸に響くのだろうか。
【歌詞】
宝くじは買わない だって僕は
お金なんかいらないんだ
宝くじは買わない だって僕には
愛してくれる人がいるからさ
どんなにお金があったって
今より幸せになれるはずがない
宝くじは買わない だって僕は
お金で買えないものをもらったんだ He Hei
400万円があたっても
今より幸せになれるはずがない
宝くじは買わない だって僕は
恋をしているから 何もいらない
宝くじは買わない だって僕は
お金で買えないものをもらったんだ
お金で買えないものをもらったんだ
★1974年「笑顔をみせて」 私のチューリップ カバー ~ 1976年の音源から
★初めて大勢の人の前でギターを弾いたのは中1の謝恩会の時だった。
その時はマッチボックスの大ファンだったY君と生ギター2本だった。そのY君はその後、音楽プロデュースの道に進んだのだが、何とジョン・レノンと同じ40の時に不慮の事故で死んでしまった。
高校の頃はビートルズコピー中心のバンド、生ギター1本での弾き語り、ピアノの弾き語りなど、やりたいことをやりたい放題に色々やっていた。
●これは最近のライブでの私。
人前で歌うのはカラオケでマイクを放さない人と同じで案外クセになります。歌詞が全部覚えられなくて譜面台を置いてます(大汗)
★今日は1976年(昭和51年)、私が高2の時の生ギター1本での弾き語りの音源(カセットテープの録音)がひょんなところから出てきたので、40年も経って時効?というか、自分にとっては懐かしく貴重なモノでもあるので失くならないうちに1曲だけアップしておこうと思います。
17歳の時の私の唄とギターです。当時、録画機材は周りの誰も持っていなかったので動画は残っていません。もっとも私の声も歌のレベルも、そしてギターのレベルも40年前から進化せず大して変わっていないので、この曲を今弾き語りで唄っても同じような感じになりそうです。当時持っていたギターは国産コピーのレスポールとテレキャスター、そして生ギターは何とナイロン弦のガットギター1本だけでした。この演奏は何とそのガットギターを弾きながら歌っています。今聴くとガットギター特有の音の柔らかさと優しさが案外悪くありません。
高校生の頃、ビートルズの影響で実はオリジナル曲もそこそこ作ってたのですが、この曲は当時好きだったチューリップの3枚目のアルバム「TAKE OFF」(1974年4月5日東芝発売)のB面最後に入っていた、日本のポール・マッカートニー財津和夫さん作詞作曲の「笑顔をみせて」のカバーです。名曲の多いチューリップの中でも、個人的にこの曲はベスト5に入ります。優しく愛に満ちた歌詞に癒されます。
古い音源はまだ幾つもあるので、また時間がある時に少しずつアップしようと思います。完全に自己満の世界になりますが(大汗)☆
【笑顔をみせて】 カバー by porsche356A
私の声は40年前も今も変わっていない気がします。
【歌詞】
こんな 大きな 世界の中に
小さな 扉を 堅く閉ざして
なぜ あなたは いつも一人なの
そんな 悲しい 顔はしないで
あなたの心に 夢を届けよう
愛の訪れを 信じるためにも
あなたの心に 夢を届けよう
愛の訪れを 信じるためにも
あなたの心に 夢を届けよう
愛の訪れを 信じるためにも
(リフレイン)
あなたの心に 愛を届けよう
恋の訪れを 信じるためにも
★1973年 いすゞ大型バスBU後期型 美濃部カラーの都バス ~ 自動車カタログ棚から 333
★さて、もう師走ですね。12月2日(金)の晩に既にもう私は忘年会が一つ終わりましたが、師走は仕事もプライベートも何かと忙しく慌ただしく年の瀬を迎えそうですね。
今年の12月24日のクリスマスイブは何と土曜日、12月25日のクリスマスは日曜日なので、普通のサラリーマンや学生であれば、今年は休みの日に昼間からゆっくり時間をかけてクリスマス・デートが出来て嬉しい!という方も多いことと思います。私のクリスマスは例年通り、駅前の不二家でクリスマス・ケーキを買ってきて一人寂しく食べるということになりそうです(T_T)この、私自身の悲惨な人生を何とかしなければ!と思いつつ、また年が明けてしまいます(>_<)
ところが、私と同じような高齢独身者(50歳乃至55歳以上の独身者)であっても、そのことを全く苦にせずに、むしろ1人の方が何かと気楽!と言わんばかりの顔をして生きている方も世の中にはおられるということが、私には大変不思議なことに思えたりもします。人生1人よりも愛しい人と2人で生きていく方が100倍幸せというのが世の常識だと思いますが、けっしてそうとは思っていない方が、どうも生涯未婚率が高くなった近頃のこの日本にはおられるようなのです。まったく不思議なことですNE☆☆
★閑話休題
師走ということもありあまり時間が取れませんので、今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第333回記事として1970年代のいすゞバスの名車BU型を簡単にご紹介しますNE☆☆
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★いすゞ自動車の路線/観光用大型リヤエンジンバスBU系は、横置き直6DH100H型エンジン(190ps/ターボ付230ps)を搭載してBU10型(WB5000㎜)及びBU20型(WB5500㎜)として1963年(昭和38年)にデビューした。
その後、1966年(昭和41年)にはBU05型(WB4800㎜)及びBU15型(WB5200㎜)をラインナップに追加、翌1967年(昭和42年)には経済性を重視した直噴D920型エンジン(175ps)搭載のBU-D型及びE110H型エンジン搭載のBU-E型(後のBU-K型)が追加され、全国の路線・観光用途の大型バスとしてシェアを大きく伸ばした。
★BU系バスのデビューから9年目の1972年(昭和47年)暮れに至り、大幅なマイナーチェンジが実施された。
即ち、前後の軸重を適正化する目的で前車軸が後方に移動してフロントオーバーハングが延び逆にリヤオーバーハングが短くなり、同時に車種の整理が為され以下6種の基本ラインナップとなった。
・BU04型 (WB4700mm)
・BU06型 (低床WB4840mm)
・BU10型 (WB5000mm)
・BU15型 (WB5200mm)
・BU20型 (WB5500mm)
・BU35型 (WB6000㎜/全長11500㎜)
搭載エンジンンは、BU系デビュー時からのDH100H型(1967年以降は195psにパワーアップ)、直接噴射式で経済性優先のD920H型(175ps)、高性能なE120H型(260ps)の3種が組み合わされた。ボディ架装は川崎重工業製をスタンダードとしたが、富士重工、北村、西日本車体、帝国等多岐に亘った。BU系は1979年(昭和54年)にC系に世代交代するまで17年の長寿を誇った。
【主要スペック】 1973年 いすゞ板ばねリヤエンジンバスBU04型 (1973 ISUZU Leaf spring Rear engine bus Type BU04)
全長9990㎜・全幅2460㎜・全高3120㎜・ホイールベース4700㎜・車両重量7985kg・RR・ディーゼルDH100H型水冷4サイクル6気筒予燃焼室式10179cc・最高出力195ps/2300rpm・最大トルク69kgm/1200rpm・変速機5速MT(1・2速ノンシンクロ)・最小回転半径8200㎜・燃料タンク容量170ℓ・乗車定員:座席49+立席33+乗員2(前扉・前向シート車)・最高速度100km/h
●1973年3月発行 いすゞBU型バス 本カタログ (縦30×横24.5cm・日本語18頁)
いすゞカタログNo.LB2021。ミニスカートやパンタロンの女性とBUの表紙は1970年代前半のムードがよく出た傑作。この年式のいすゞ車には、まだ往年の平仮名表記の「いすゞ」エンブレムが装着されている。
ミニスカート全盛の時代
平仮名のいすゞエンブレム
【中頁から】
観光用・自家用
ミニスカートの足の綺麗なお姉さんも2016年現在は還暦を過ぎているはず。
室内(観光用・自家用)
車窓に見えるのは松島?
観光用バリエーション
路線用
おばあちゃんと一緒に乗車。この時代のおばあちゃんは和装。
室内(路線用)
板貼りの床と丸いアナログ時計がそそります。
モケット貼りシートの運転席
路線用バリエーション
エンジン3種
ブレーキ・クラッチ・ステアリング解説
パワステ・サスペンション解説
図面 (BU04)
図面 (BU06)
図面 (BU10)
図面 (BU15)
図面 (BU20)
図面 (BU35)
スペック (BU04/BU06/BU10)
スペック (BU15/BU20/BU35)
スペック (エアサス各車)
★オマケ(その1): トミーテック・トミカリミテッドヴィンテージネオNV-N09d番1/64スケールいすゞBU04型バス「東京都交通局」 川崎重工業ボディ
全長15.5cm。ダイキャスト製。2009年1月22日発売。ユーザーが取り付けるミラーパーツが付属。前扉後方の「池67・一ツ橋~文京区役所~護国寺~池袋駅」の表示がそそります。この美濃部カラー以外に現在の塗色に近い白緑の新塗装、国際興業、岩手県交通、名古屋市交通局等の事業者違いのバリエーションあり。当時定価:税抜3300円。2017年発売予定のTLV-Nのいすゞエルガは税抜9800円とアナウンスされており、何とこのBU04から10年も経たないうちに価格が3倍にまで跳ね上がることになる。
細かい文字がそそります。
同じ1/64スケールのトミカダットサン620ピックアップ、TLVNくじらクラウンカスタムと。
★オマケ(その2): 米澤玩具ダイヤペットNo.011-0110番 1/80スケール ワンマンバス
全長13cm。ダイキャスト製。1973年4年発売。当時定価750~1000円。ダイヤペットでは概ねHOスケール(箱や本体にスケール表示はなし)のこのミニカー以外に1/50スケールでも美濃部カラーのいすゞBU06低床型の都バスを出していたが、何れも玩具然としていてスケールモデルとは言い難いものだった。このHOスケールミニカーでは西鉄バス、警視庁機動隊バス、日本赤十字献血バス、幼稚園バス等、コレクター泣かせのバリエーション展開をしていた。
★オマケ(その3): 米澤玩具1/20スケール程度 都営ワンマンバス
全長43cm。全幅12.5cm。ブリキ製。フリクション動力。美濃部カラーのブリキの都バスはイチコーからも出ていたが、この米澤製の方が出来は良い。都バスは美濃部カラーの前の肌色に赤帯で都電と同じカラーだった時代が子供の頃の思い出と重なり個人的には一番懐かしいのだが、この美濃部カラーの都バスも1968年の導入後、最後の車両は20年後の1988年(昭和63年)に引退したというから今となっては懐かしの昭和の都バスカラーである。
フロントには東京都交通局マークのプリント
リアには桜に「Y」文字でお馴染みの米澤マークのプリント
オマケ1・2との並び
★オマケ(その4): 美濃部カラー都バスの映った風景 1982年 広尾橋
残念ながら自分で撮った美濃部カラーの都バスの写真が全くなく、これはネット上で見つけた写真。左手に見える第一勧銀の看板が現在のみずほ銀行、正面が交差点東側の有栖川公園・都立中央図書館方向と思われます。デビューしたばかりの初代ソアラZ10系が映っているあたりが広尾らしい感じです。
★1950年代ホープスター軽三輪トラックたち 少年ジェット ~ 自動車カタログ棚から 334
★さて、もう12月も中旬。師走はやるべきことが多くて大変だという人も多いことと思います。しかし、今年は12月23日(金)~25日(日)が3連休のため、12月22日が仕事納めとなり、2017年の年明けは1月7日(土)~9日(月)がまた3連休なので年始は1月10日(火)からで年末年始休暇は連続18日という知人もいます。私はそんなに長く休めませんが、時間を効率よく使えば例え休みが多少短くても充実させることはできますよNE。
★「彼女がおならをしたらどう思う?」のアンケート結果は以下の通りだったそうです。
第1位: 全く気にしない43%
第2位: 時と場合による32%
第3位: かわいい18%
第4位: 許せない7%
さて、あなたはどうでしょうか。私は1+3でしょうかNE。3にはちょっと変態が入っている気もしますがw。4の許せないというのは鬼入ってますねww。まあしかし、あまりに大きな音のおならを派手にされると、幾ら可愛い彼女でもドン引きするという人もいるかもしれませんNE。そう言えば、昔、結婚するならトイレは完全防音じゃないと恥ずかしいから嫌と言っていた彼女がいたことを思い出しました☆
★閑話休題
今日は「自動車カタログ棚から」シリーズ第334回記事として1950年代のホープスター軽三輪トラックをピックアップします。ホープ自動車の歴史も含めた少々情報量が多い記事となりますので、三輪トラックに興味のない向きはガンガンスルーしてくださいNE。☆☆
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★ダイハツミゼットやマツダK360登場以前の1950年代の国内軽三輪トラック市場においてトップの座にあったホープ自動車は、1968年(昭43年)にはスズキジムニーの原型となった国産初=世界初の軽四輪駆動車を開発したことでも非常に有名だが、1974年には社名も「株式会社ホープ」と変え自動車製造から完全に撤退し遊園施設向けの遊具の製造・販売を主な業務としていた。
その株式会社ホープは、何と2016年(平成28年)11月末までに業務停止をした模様である。現在、ホームページも閉鎖されており観ることができない。もし業務停止が本当であればホープ自動車の正当な血筋を引く企業が消えることとなり非常に残念である。
★ホープ自動車の生産した自動車は全て360cc規格時代の軽自動車である。最も有名で販売数も多かったのは軽三輪トラックであったが、1960年(昭和35年)以降は軽四輪トラックも生産した。
全国どこででも修理交換が可能なくろがねやダットサンのパーツを使ってホープ自動車(発売時の社名はホープ商会)が最初に軽三輪トラック「ホープスターON型」を世に出したのは、1952年(昭和27年)の暮れも押し詰まった頃であった。「ちゃっかりしてる」「持ってけ泥棒」的な既存部品流用の設計であってもクレームが出なかったのは町工場的な製造法では造って売る数もたかが知れていたせいだろう。メーカーとしては新規参入に当ってパーツを全く新たに製作するより大手メーカーの使用実績のある既存パーツを使った方が信頼性も高くサービス面でのメリットも大きかったに違いない。1954年(昭和29年)までには、ホープスター以外にツーテン(名古屋市中区・愛知トヨモーター)、クノマック(名古屋市昭和区・クノマック製造)、スパーク(東京都大田区・日本特殊陶業)、ダイナスター(埼玉県大宮市・大宮富士工業)といった銘柄の軽三輪が出揃ったが、ホープスター以外の大半は短命に終わった。ホープ自動車が自社開発のエンジン搭載の「ホープスターSU型」に切り替えた1956年(昭和31年)の生産数は659台であった。1957年(昭和32年)デビューのダイハツミゼットがデビュー翌年には年産1万台に届いたことと比べると桁違いに生産数は少なかったのである。
★ホープ自動車(株式会社ホープ)の歴史
・1921年(大正10年)・・・・・創業者の小野定良、香川県三豊郡上高瀬村で出生。
・1937年(昭和12年)・・・・・創業者の小野定良、私学・東洋商業学校(現・東洋高等学校)卒業。内務省からの委託により戦後の混乱期に「輪タク」として普及した旅客用三輪自転車の原型となった「厚生車」を試作する。
・1951年(昭和26年)1月・・・・・小型三輪トラックの製作を目的に東京都台東区北稲荷町1番地にて個人商店「ホープ商会」を開業。
・1952年(昭和27年)4月・・・・・資本金50万円で会社組織・株式会社ホープ商会となる。
・1952年(昭和27年)12月・・・・・くろがねやダットサンのパーツを流用した軽三輪トラック「ホープスターON型」の製造・販売業務を開始。
・1954年(昭和29年)1月・・・・・資本金を500万円に増資。社名をホープ自動車株式会社に商号変更。東京都港区に新本社及び工場を竣工、台東区から移転する。
・1956年(昭和31年)1月・・・・・自社開発の2サイクル2ピストン強制空冷単気筒350ccエンジン搭載の軽三輪トラック「ホープスターSU型」発売。
・1957年(昭和32年)4月・・・・・神奈川県川崎市に新本社工場(敷地面積5000坪)を竣工、操業を開始。
・1957年(昭和32年)10月・・・・・軽三輪トラック「ホープスターSU型」を1つ目から2灯ヘッドライトに変更した1958年型発売。
・1958年(昭和33年)10月・・・・・丸ハンドルの軽三輪トラック「ホープスターSY型」発売。
・1960年(昭和35年)5月・・・・・西日本の生産拠点として京都府乙訓郡山崎に工場用地(敷地面積8000坪)を取得。
・1960年(昭和36年6月・・・・・軽4輪トラック「ユニカーNT型」発売。
・1961年(昭和36年)10月・・・・・ガスデン製エンジン搭載の軽三輪トラック「ホープスターST型」及び軽4輪トラック「OT型」発売。
・1962年(昭和37年)1月・・・・・資本金を4800万円に増資。
・1962年(昭和37年)4月・・・・・軽4輪キャブオーバートラック「ホープスターOV型」発売。
・1963年(昭和38年)4月・・・・・基本生産車を軽4輪キャブオーバートラック「ホープスターOV-2型」のみに絞り、エンジンをガスデン製から自社製に戻す。
・1963年(昭和38年)4月・・・・・事業の拡大を図るため3つの新事業部を設立。
(1)レジャー事業部(遊園地向け乗り物機械の製造販売)
(2)自動機事業部(自動省力組立機械の製造販売)
(3)造機事業部(荷役搬送機械の製造販売)
・1964年(昭和39年)1月・・・・・軽3輪の生産を中止(1964年に1台のみ生産)。
・1964年(昭和39年)2月・・・・・資本金を5200万円に増資。
・1964年(昭和39年)8月・・・・・100%出資子会社ホープ食品工業(株)を設立。食品及び外食産業分野に進出。
・1965年(昭和40年)7月・・・・・軽4輪の生産を中止。
・1967年(昭和42年)4月・・・・・西日本の販売拠点として大阪市東区に関西営業所を開設。
・1967年(昭和42年)・・・・・三菱自動車の部品を使用し日本初の軽四輪駆動車「ホープスターON型」を開発。
1968年(昭和43年)・・・・・軽四輪駆動車「ホープスターON型」を少数製造し三菱に販売を提案するも却下され、新しい着想に興味を示した鈴木自動車にスズキキャリイの部品を使用して四輪駆動車を試作した上で製造権利一切を安価にて譲渡。鈴木自動車は後にジムニーの名称で発売。
・1968年(昭和43年)12月・・・・・ソ連向けフィルタープラントの受注を契機に精密機械産業分野に進出。子会社ホープ精機(株)を設立。
・1970年(昭和45年)3月15日・・・・・大阪千里丘陵で開催された日本万国博覧会の自動車工業会パビリオンに自動走行自動車『コンピューターカー』を出展。
・1974年(昭和49年)4月・・・・・社名をホープ自動車から株式会社ホープに商号変更。
・1977年(昭和52年)11月・・・・・東京都港区に新本社ビル(延面積6000m2)を竣工。
・1981年(昭和56年)4月・・・・・アミューズメント施設の賃貸・運営業務を開始。株式会社 伊勢丹と契約し、伊勢丹各店に遊園施設を開設。
・1983年(昭和58年)7月・・・・・株式会社 東急百貨店と契約し、東急デパート各店に遊園施設を開設。
・1992年(平成4年)3月・・・・・川崎本社工場の新社屋を竣工。
・1999年(平成11年)2月・・・・・川崎市麻生区マイコンシティに、工場用地を取得。
・2001年(平成13年)3月・・・・・川崎市麻生区 川崎工場竣工。
・2001年(平成13年)9月・・・・・製造部門 川崎工場へ移転。
・2001年(平成13年)12月・・・・・開発部門 川崎工場へ移転。
・2002年(平成14年)12月・・・・・ホープ精機(株) ホープモーターズ(株)を吸収合併。
・2002年(平成14年)12月・・・・・全部門を川崎工場に移転し、川崎工場は本社工場と改称。
・2004年(平成16年)12月・・・・・精機事業部を廃止し、アミューズメント事業部に統合。
・2011年(平成23年)11月・・・・・本社を東京都港区芝から川崎市麻生区栗木に移転。
・2016年(平成28年)11月・・・・・業務停止?
【主要スペック】 1959年 ホープスター軽三輪トラック SY型 (1959 Hope Star Lighat Three-Wheel Truck Type.SY)
全長2980㎜・全幅1270㎜・全高1645㎜・ホイールベース1960㎜・荷箱長1350㎜・車両重量420kg・エンジン重量57kg・FR・強制空冷2サイクルU型ダブルシリンダー350cc・最高出力15ps/3700rpm・最大積載量300kg・乗車定員2名・変速機:3速MT・電装系6V・セルスターター/電動ワイパー/電気点滅式ウインカー付・丸ハンドル・最小回転半径2900㎜・燃料タンク容量16ℓ・燃費:平坦路30km/ℓ・最高速度60km/h・現金販売価格25万5000円
※本稿ではホープスター三輪のカタログに絞ってご紹介することとします(ホープスター四輪については何れ改めてご紹介します)。
●1953年5月 ホープスターON型 広告
三栄書房 月刊「モーターファン」1953年5月号より。社名がホープ自動車となる前の東京・上野「ホープ商会」名義の初期の広告。「三輪車界の一大革命!虚色を廃し真の実用車へ」のコピーに「軽自動車免許で乗れ、部分品が共通で何処でも間に合います」の印字。シャシーの俯瞰写真が興味深い。ガソリンタンクを挟んで乗車する戦前と変らないレイアウト。4サイクル単気筒SV356㏄、15ps/5000rpm、最大トルク3.3kgmエンジン搭載。
●1954年 ホープスターON-2型 広報写真
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車図鑑1954年版」より。ONの改良型。
●1955年 ホープスター 広報写真
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車図鑑1955年版」より。ON型のエンジン、シャシーにウインドとルーフ付の新ボディが載せられた。ウインカーは腕木式。ツートンカラーは東京モーターショーの展示車のみ(?)。
●1956年1月? 1956年ホープスターSU型 カタログ (縦20.8×横17.5cm・2つ折4面)
自社開発のユニークな2サイクル2ピストンU型ダブルシリンダー349.5ccエンジンを載せたSU型初期のカタログ。表紙のイラストが素晴らしいホープスターの傑作カタログの一つ。変速機は1958年型まで4速。ボディは1955年型をベースとし、ウインカーは腕木式から電気点滅式に変った。
【中面から】
自社開発2サイクルエンジン、運転席
図面・スペック
●1957年 ホープスターSU型 簡易カタログ (縦17.2×横38cm・片面1枚)
カタログというより横に長い片面印刷のチラシ。ボディカラーがツートンとなった。セルモーターはまだオプション。
スペック
●1957年11月 1958年式ホープスターSU型 広告
三栄書房 月刊「モーターファン」1957年11月号より。社名がホープ自動車となり、本社住所も港区芝田町に変った。1957年秋デビューのこの58年型はまだバーハンドルながら2灯ヘッドライトとなり、3分割だったフロントウインドは曲面1枚ガラスとなった。
●1957年11月? 1958年式ホープスターSU型 カタログ (縦15×横21cm・4つ折8面)
型式認定番号1028。上掲の広告と同じ時期、1958年型のセールスカタログ。
【中面から】
2灯に変更
SU型エンジン
スペック
●1958年10月? ホープスター1959年SY型 カタログ (縦19×横19cm・カラー4つ折8面)
型式認定番号1049。ダイハツミゼットMPより1年早く登場した丸ハンドルのSY型。搭載エンジンはSU型15psのまま。丸ハンドルの簡便な運転操作を考慮してか変速機は4速から3速に変った。竣工したばかりの東京タワーを見下ろす高台で写した表紙写真が何とも魅力的なカタログ。恐らくこれがSY型の最初のカタログ。
【中面から】
図面・スペック
付属していた価格表
●1959年?月 1959年式ホープスターSY型 カタログ (縦18.2×横26.5cm・3色刷り2つ折4面)
型式認定番号1049。1959年SY型のカタログは手元にあるものだけで3種あり、ホープスターのカタログには年式の印字はあるものの発行年月やトヨタのような連番のカタログナンバーといった印字がないため時系列の前後関係は不明。
【中面から】
「雨にも、風にも・・・」
シャシー
図面・スペック
図面アップ
●1959年?月 1959年式ホープスターSY型 カタログ? (縦19.5×横15cm・2色刷り2つ折4面+α)
事務員風の女性が運転する表紙の写真から、丸ハンドルの取付位置が異様に高いことが判る。
異様に高位置のハンドル
【中面から】
フロントビュー
サイドビュー
スペック
●1959年10月? 1960年式ホープスターSY2型 カタログ (縦18.2×横25.5cm・カラー2つ折4面)
型式認定番号1069。ガソリン注入口が荷台右後ろに付きツートンカラーの塗り分けが変った。最大積載量は300~500kgとアバウトな記載だったものが350kgとなった。エンジンはSU型15psのままながら、最高速度は65km/hに上がった。
【中面から】
シャシー
運転席
スペック
図面
●1960年10月? 1961年式ホープスターSM型 カタログ (縦21×横27.2cm・カラー2つ折4面)
フルモデルチェンジ。丸味を帯びたモグラのようなルックスとなった。エンジンはSU型15psのまま変わらず。映画「三丁目の夕日」にも登場。
【中面から】
シャシー
運転席
図面・スペック
●1961年10月? 1962年式ホープスターST型 カタログ (縦21.4×横24.3cm・カラー2つ折4面+α)
ガスデン製MA型360cc17psロータリーバルブエンジンに換装された最終型。カタログ上の最高速度は一気に80km/hまで引き上げられた。ボディデザインは前年のSM型と一見同じながら全幅は14㎜広い1494㎜、ホイールベースは25mm長い2010㎜に変更された。エンジンレイアウトが大幅に変更され、センタートンネルで分離しセパレート2座だった室内はロングシート2座となった。
【中面から】
ガスデン製MA型ロータリーバルブエンジン
シャシー
ロングシートとなった室内
スペック
図面
★オマケ(その1): 1958年ホープスターSU型 実車動画
★オマケ(その2): 米澤玩具 1959年 少年ジェット オートバイ & ワンちゃん
ホープスター三輪の立体造形物はフルスクラッチビルド作品を除き存在しないと思いますが、オマケにミニカーや玩具が何もないのは寂しいということで、ホープスター三輪が全盛だった時代の玩具の画像。残念ながら、これは私の持ち物ではありません。つい先日、2016年のジョン・レノンの36回目の命日の夜にヤフオクで255万7000円で落札された品物です。全長20cm、全高13.5cm。ブリキ製。256万円弱というプライスは一見高いようですが、箱付未使用ミント品の稀少価値を考慮すると妥当といったところでしょうか。ホンダS660やトヨタ86の新車を遊び用に買う余裕があり、少年ジェットは涙が出る程に懐かしいという方ならば、基本的には買うと同時に値下がりを始める新車を買うよりは二度と市場に現れない可能性もあるこれを買った方が遥かに良い気がします。私自身は少年ジェットの実写ドラマの放送(フジテレビ系列1959年3月4日~1960年9月28日)には世代的に間に合わなかったので(リアルタイムで観て懐かしいという人は2016年時点で60代前半以上ではないでしょうか)、リアルタイムの思い出は残念ながら全くないのですが、この玩具には妙にそそられます。当時物としてはサイドカーに乗ったバージョンなども出ていますが、99.9%は玩具としての使命を全うするというキャラ物ブリキ玩具の宿命で箱付ミント状態では殆ど現存していないようです。
古いブリキ玩具は玩具本体よりも箱の方が珍しいというケースが多いため箱なしと箱付では市場価値に雲泥の差があり、この箱だけで150万円位の価値がありそうな感じがします。
★オマケ(その3): ELP 展覧会の絵
2016年はキース・エマーソンに続き、何とグレッグ・レイクも逝去。2人を追悼して、グレッグ・レイクのクラシックギターのテクニックを駆使したソロが素晴らしい動画を一つ。ELPの比較的初期のライブだと思います。
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【カタログ追加情報】
「自動車カタログ棚から」シリーズ第310回記事の三鷹富士産業 軽三輪トラック「ムサシ」に以下のカタログを追加しました。他の自動車カタログの過去記事にも掲載漏れのカタログは随時追加いたします。
●1958年前期? 三鷹富士産業 ムサシ 軽三輪トラック MF21型 カタログ (縦18×横14.7cm・2つ折4面)
★アルベニス&タレガ 私のスパニッシュギター ~ 1977年の音源から
★1972年の春、私が中学に上がった時、同じ中学の2つ上にK先輩がいた。
K先輩はスパニッシュギターの名手で「アルハンブラ宮殿の思い出」(Recuerdos de la Alhambra)や「アストゥリアス」(Asturias)を軽々と弾きこなした。凄く憧れた。それで私もスパニッシュギターをかじることになるのだが、翌1973年にはビートルズの洗礼を受けたためエレクトリックギターに興味が向いてしまった。そんな状況の中で中途半端ながらも、K先輩が弾いていて憧れた曲は自分でもどうしても弾いてみたい衝動に駆られて為せば成る式に猛烈に練習して一通り弾きたい曲をマスターしたのだった。
K先輩は高校卒業後、本場のギターを学びにスペインに留学したのだが、帰国して間もなく自殺してしまった。K先輩の葬儀の日のことは今でもよく覚えている。瓦屋根の古い木造のK先輩の家の1階の居間にギターと棺がおかれていた。もしK先輩が自死していなければ一流のギタリストになっていたに違いない、と今でも思う。
●1973年3月 ブラザー楽器 広告
ブラザーは1928年(昭和3年)にミシンで出発したメーカーだが、戦後1956年(昭和31年)には自動二輪「ダーリン号」を出し、1970年代にはキーボードやギターといった楽器製造も行なっていた。これは、ブラザー楽器が雑誌に1頁全面フルカラーで掲載したガットギターの広告。
●アルベニス「セビリア」&タレガ「アラビア風奇想曲」 by porsche356A 1977
これは1977年、18歳(誕生日前なら17歳)の私の演奏。K先輩の影響で弾きたいと思ったスパニッシュギターの曲を為せば成る式に弾いていた頃のもの。1977年というと、エリック・クラプトンの武道館来日公演にも行った年だった。
●アルベニス「セビリア」 (Sevilla)
原曲はピアノ。ピアノで弾くよりもギターで弾く方が難易度は高いが、ギターで弾く方が華やかで曲が映える。エレクトリックギターで弾いた最初の触りだけの演奏。作者のイサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual :1860年5月29日-1909年5月18日)は、スペインの作曲家・ピアニスト。
●「アラビア風奇想曲」 (Capricho Árabe)
近代ギターの祖と言われるタレガの情感溢れる名曲の一つ。タレガ(Francisco Tárrega:1852年11月21日-1909年12月15日)は、アルベニスと同時代に活躍したスペインの作曲家・ギタリスト。タレガはアルベニスより8歳年上ながらアルベニスと同じ1909年に57歳で没しており、2人共、19世紀後半から20世紀初頭の世界に生きた。
★2016年新型ホンダNSX スーパースポーツ トミカ新製品 ~ 自動車カタログ棚から335
★さて、もう12月も中旬。年末まで2週間となり、さすがに忙しくなってきたという人も多いことと思います。来週末には誰もが待ちに待ったクリスマスも来ますね(>_<)
クリスマス時期は愛する彼氏・彼女・旦那・恋女房・お子さん等々へのクリスマスプレゼントは何にしようかと嬉しい悩みを抱え込んで思わずニヤニヤしている人も多いことと思います。私も人にプレゼントするのが大好きなので誰かしらプレゼントする人がいる時は嬉しくてついついニヤけてしまいます(←キモイw)。しかし、独り者で下戸の私などは今年も不二家のケーキと大好きなバヤリスオレンジでクリスマスを祝ってお仕舞いといったことになりそうです(大汗)。
★そう言えば、年賀状の印刷などをするショップも今が文字通り書き入れ時ですよね。尤も近頃はPC&プリンターの普及で年賀状は外注せずに家でつくる派の人も多くなっているようですね。私など根っからの機械音痴ですので、自分で年賀状をつくるなんてことは一生無理っぽいですが(大汗)。近頃はメールやラインの普及で葉書の年賀状なんて出したことがないという人も多いことと思いますが、私の知人では毎年500枚くらい出すなどという人もいます。さすがに500枚ともなると、1枚ずつ手書きする訳にもいかず、宛名書きも全てコンピュータに保存しているエクセルデータから味気ないと思いつつも印刷で済ませ、500人1人ずつへのコメントもなかなか難しいといったことになるのでしょうね☆
★閑話休題
さて、今日はトミカの新型NSXが発売されたことに因んで「自動車カタログ棚から」シリーズ第335回記事として新型NSXのカタログをピックアップします。このブログのタイトルに「20世紀の自動車カタログ」と記載してあるのに21世紀モノをピックアップするのは羊頭狗肉でおかしいんじゃないかとお叱りを受けるかもしれませんが、スーパースポーツやポルシェについては例外として現行車も採り上げていきたいと思います☆☆
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★ホンダのフラッグシップ初代NSXは、バブル期の1989年(平成元年)に発表、翌1990年(平成2年)9月14日から2006年(平成18年)1月末まで16年間のロングライフを誇った。
初代NSXが生産されていた時代は、ポルシェ911で言うと930の末期から964、993、996、997初期に当り、911が変化を繰り返しつつ進化を遂げた時期と重なる。国内ではスカイラインGT-RのR32・R33・R34の3世代の販売時期(1989年~2002年)が完全に被り、2002年に生産を終了したGT-RよりNSXは3年程長く生き延びた。しかし、初代NSXも16年間基本的なボディシェルは変らなかったものの時代に即し進化をした。初代NSXデビュー時点のスーパースポーツは、快適装備や運転の容易性を犠牲にした少々旧弊なモデルも存在した中で、NSXはドライバー中心のスポーツカーであることをテーマとした。
★1990年の初代誕生から四半世紀を超える時を経た2016年、ついに2代目ホンダNSXのデリバリーが開始された(日本国内では2017年2月27日より)。
卓越した運動性能を持ちながら人が快適に移動できる「人間中心のスーパースポーツ」というコンセプトは初代を継承しつつ、ガソリンエンジン+電気モーターによる加速性能や転回性能の向上といったハイブリッドでしか為し得ない新たな世界を目指した。
●2013年11月 第43回東京モーターショー出展「NSXコンセプト」
●2015年10月 第44回東京モーターショー出展「NSXコンセプト2015」
●2016年11月 ホンダ本社1Fウエルカムプラザ青山「市販型NSX」
★エクステリアデザインは正に現代のスーパースポーツの文法に則った広く低いプロポーションにリアフェンダー前のエアダクト設置が目を引く。初代のタイプTのようなオープントップモデルが追加される可能性もあるだろう。
エンジンは新型NSX専用に新規開発されたJNC型3492ccV6ツインターボ507psでマウントは初代の横置きから縦置きに変更された。電気モーターを含むシステムトータル出力は581psを誇る。車重1780kgであるのでトータル出力でのパワーウェイトレシオは3.06kg/psであるが、エンジンのみでは3.5kg/psに落ちる。この数字は日産GT-Rニスモが車重1740kgで600ps、パワーウェイトレシオ2.9kg/psという数値に劣り、スペック上での優位性を誇るには、もう一歩の軽量化もしくはエンジンパワーのアップが必要かもしれない。
★アメリカ生産
新型NSXは初代が生産されたホンダ栃木製作所高根沢工場ではなく、米国オハイオの米国ホンダ・パフォーマンス・マニュファクチュアリング・センター(略称:PMC)で組立てされる。国内生産ではないことに一抹の寂しさを感じるもののホンダは2015年末までにアメリカ国内での生産累計が既に3000万台を超えており、最もカスタマーの多い地域で新型NSXの生産を行うことが自然の流れであったようだ。
★販売価格
新型NSXは基本的にモノグレードだがオプションの追加により数百万単位の価格差が生じる。例えばボディーをイメージカラーのバレンシア・レッド(暗めの赤)にすると67万円プラス、カーボンセラミック・ブレーキローターを付けると123万円プラスといった具合だ。全くオプションを付けない状態での車両本体価格は消費税込み2370万円だが、自動車取得税だけで59万2500円掛かるなど諸費用込みの乗り出し価格は2448万円程度となる。ホンダS660のハイグレードモデルαの価格が消費税込み218万円なので、新型NSX1台の金額でS660は10台買ってもお釣りがくる計算である。地方都市なら一戸建てのそこそこの広さの家が買えるような価格である。この価格帯のクルマを長期ローンで買うような人はいないかもしれないが、例えば60回ローンの場合、頭金80万円として毎月43万円程度を5年間支払い続けることが出来るなら購入することができる計算だ。日本国内向け販売予定台数は年100台(月8台強)とのこと。
【主要スペック】 2016年 ホンダNSX (2016 HONDA NSX)
全長4490mm・全幅1940㎜・全高1215㎜・ホイールベース2630mm・車重1780kg・4WD・エンジン:3.5リッターV6 DOHC 24バルブ・モーター:交流同期電動機・エンジン最高出力:507ps/6500-7500rpm・エンジン最大トルク:56.1kgm/2000-6000rpm・フロントモーター最高出力:37ps/4000rpm(1基当たり)・フロントモーター最大トルク:7.4kgm/0-2000rpm(1基当たり)・リアモーター最高出力:48ps/3000rpm・リアモーター最大トルク:15.1kgm/500-2000rpm・システムトータル最高出力:581ps・システム最高トルク:65.8kgm・タイヤ:(前)245/35ZR19 93Y/(後)305/30ZR20 103Y(コンチネンタル・コンチスポーツコンタクト5P)・JC08モード燃費12.4km/ℓ・乗車定員2名・0-100km:3秒・消費税込み車両本体価格2370万円
●2016年8月 ホンダNSX 簡易カタログ? (A4判・日本語4つ折8面)
カタログNo.B412NS。アプローチパンフレットと裏面に印字があり、これはホンダのディーラーで一般向けに配布されている。
【中面から】
裏面
●2016年8月 ホンダNSX 本カタログ? (縦21×横21cm・日本語20頁)
カタログNo.B411NS。NSXブランドブックと裏面に印字があり、これはNSXの販売拠点となるNSXパフォーマンス・ディーラー(PERFORMANCE DEALER)等で配布されている。車両価格を考慮すると本カタログにしてはあまりにも貧弱なため、国内販売の開始される2017年2月末以降には分厚い正式な本カタログが出るのではないだろうか。上掲のアプローチカタログもこのカタログも発売前の所謂「プレカタログ」ということになるのかもしれない。
【中頁から】
「Hondaにしかできないことを。」
「その歓びを、まだ誰も知らない。」
「世界の叡智が鼓動する。」
運転席
ボディカラーは8色
「独創のメカニズムが、操る愉しさを変える。」
「革新のプロダクトのために、まず工程を革新した。」
スペック
★オマケ(その1): トミカNo.43-?番 1/62スケール 2016年ホンダNSX
2016年12月17日発売の新製品。全長7cm。ダイキャスト製。税込定価486円。イメージカラーのバレンシア・レッドを模した暗赤が通常品、白が初回限定色。トミカの初回限定カラーは発売日でさえ何故か入手困難となりつつあり、これは自転車で行ける近くのヨドバシカメラで朝一で購入。最近のトミカは少し出来が良くなってきたと感じるのは私だけでしょうか。
フロント
リア
初回限定
通常品
トミカ品番78の1/59スケール初代ホンダNSXとの並び
★オマケ(その2): 2016年ホンダNSX プロモーションフィルム
★オマケ(その3): 第96回ワンダーランドマーケット・ホットウィールカスタムコンテスト優勝者「昭和な人さんの作品」
2016年12月18日(日)横浜産貿ホールで行われたワンダーランドでのコンテストでぶっちぎり優勝した「昭和な人」さんの驚愕の作品群。3インチミニカーのカスタムでは国内では右に出る人なし。主催者から「いつもぶっちぎりだから次回はもう出ないでね」と言われたとかいう噂が(@_@;)maroさんのいう通り次回は講師としての出演になるのかも(゜_゜>)昭和の族車を題材にしているのも当時を知っている世代には懐かしいです。ソーラー回転式台座での展示も一際目立っていました。yousanのBMWイエガーマイスターも良かったのに写真撮り忘れた(@_@)
●ワンダーランドの帰りに秋葉原で見かけた痛車
★グラナドス 「オリエンタル」 私のスパニッシュギター(2) ~ 1977年の音源から
★今日は前回(12月15日記事)非常に不評だった「私のスパニッシュギター」シリーズの第2弾です。
例え1人でも聴いて下さる人がいればOKとの思いでアップしますNE(爆汗)。私がスパニッシュギターをかじった経緯は前回と全く同じものですが以下に再録します。
★1972年の春、私が中学に上がった時、同じ中学の2つ上にK先輩がいた。
K先輩はスパニッシュギターの名手で「アルハンブラ宮殿の思い出」(Recuerdos de la Alhambra)や「アストゥリアス」(Asturias)を軽々と弾きこなした。凄く憧れた。それで私もスパニッシュギターをかじることになるのだが、翌1973年にはビートルズの洗礼を受けたためエレクトリックギターに興味が向いてしまった。そんな状況の中で中途半端ながらも、K先輩が弾いていて憧れた曲は自分でもどうしても弾いてみたい衝動に駆られて為せば成る式に猛烈に練習して一通り弾きたい曲をマスターしたのだった。
K先輩は高校卒業後、本場のギターを学びにスペインに留学したのだが、帰国して間もなく自殺してしまった。K先輩の葬儀の日のことは今でもよく覚えている。瓦屋根の古い木造のK先輩の家の1階の居間にギターと棺がおかれていた。もしK先輩が自死していなければ一流のギタリストになっていたに違いない、と今でも思う。
●1973年4月 アリア ギター 広告
アリアの名称で知られるギターの製造メーカー荒井貿易株式会社(名古屋市千種区)の設立は1956年(昭和31年)8月。現会長の荒井史郎氏が資本金100万円で起業した。自社ブランド「Aria」を立ち上げたのは起業4年後の1960年(昭和35年)のことであった。「Aria」は「詠唱」などを意味し、Ariaブランドで発売する前は「アライギター」の名称で販売していた。1975年(昭和50年)以降は、エレクトリックギターは「Aria Pro」(またはProⅡ)の名称で販売している。
この広告では手工ガットギターがフィーチャーされ、俣野 勝 製作と製作家名も記載されている。俣野 勝氏は音の魔術師の異名を持つギター製作家であった。
●グラナドス 「オリエンタル」 (Granados Oriental)electric guitar by porsche356A 1977
1977年、17歳乃至18歳の私の演奏。K先輩の影響で弾きたいと思ったスパニッシュギターの曲を為せば成る式に弾いていた頃のもの。
エンリケ・グラナドス(Pantaleón Enrique Joaquín Granados y Campiña : 1867年7月27日-1916年3月24日)は、スペイン近代音楽の作曲家・ピアニスト。前回の「私のスパニッシュギター」で御紹介したイサーク・アルベニス(1860年-1909年)と並びスペインを代表する作曲家。
この「オリエンタル」の原曲はピアノ用に作曲された「スペイン舞曲第2番」。ピアノ譜をそのままギター1本で弾くことは不可能なため、この録音はエレクトリック・ギター2本分の音をオーバーダビングしています。
★1971年トミカ 最初のギフトセット Tナンバーの謎 ~ 玩具・模型カタログ棚から 029
★さて、今日はクリスマスイヴですね!イヴには彼氏・彼女・旦那・恋女房等々と外食デートetcという方も多いことと思います。独り者で下戸のワタシなどは駅前の不二家でケーキを買ってきてバヤリスオレンジを飲みながら食べてお仕舞になりそうです(大汗)。
★前回記事のグラナドス「オリエンタル」は嬉しいことに大阪の50代男性の方が1名聴いて下さってコメントを戴きました。例え1人だけでも聴いて下さる人がいればアップした甲斐がありますので、まだまだ沢山残っている私のスパニッシュギターの音源はまた折をみてアップしますね。
しかし、このアメブロを始めてから5年を過ぎましたが、年を経ると共にコメントをくださる方がどんどん減ってしまい寂しい限りです。アップするやいなや、速攻でコメントをくださる人が大勢いるような人気ブロガーさんに憧れます(←人徳のないキミには無理無理、一生無理と影の声w)。
ブログをアップしてもコメントが入らないのは悲しいというか寂しいというのが正直な気持ちなのですが、世の中にはあえて他人がコメントできない設定にして記事をアップしている人も大勢いますので人によって考え方は全然違うのでしょうね☆
★閑話休題
という訳で、今回は少しはコメントが貰えるかもしれない記事として、玩具・模型カタログ棚からシリーズ第29回記事として初期のトミカをピックアップしますNE。トミカファンの方、ミニカーファンの方、是非一言だけでもコメントくださいNE!!
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★昨今の新製品発売日には争奪戦とすらなりつつある人気ミニカー「トミカ」の名称はトミーのミニカーを縮めた造語である。
最初のトミカは1970年(昭和45年)の8月(店頭に並んだのは9月に入ってからとする説もあり)、1-1番510ブルーバードSSSクーペ、2-1番初代コロナマークⅡ1900ハードトップ、3-1番3代目50系クラウンスーパーデラックス、4-1番同クラウン警視庁パトカー、5ー1番後期型トヨタ2000GT、6-1番フェアレディZ432の6車種1台売価180円で出発し、同年の暮れには7-1番ホンダ1300クーペが追加された。トミカは、それまでマッチボックスの寡占状態にあった小スケールミニカーの国内市場に日本人に馴染み深い国産車のみのラインナップでデビューした。1970年代前半にマッチボックスがホットウィールの影響でサイケ路線に走ったこととは対照的にトミカはあくまでも国産車を真面目にスケールダウンしたミニカーを着々と作り続け売上げを伸ばした。その後のトミカは、1974年(昭和49年)にはポケットカー(Pocket Cars)の名称でジーンズ柄台紙のブリスターに封入し北米輸出を開始、1976年(昭和51年)には外国車シリーズ(所謂、青箱)をラインナップに加えるなどして世界的なミニカーブランドへと成長した。
●トミカ黒箱の山
黒箱の国産車は結構熱心に集めていた。同じ箱が沢山あるのは殆どが色違いで、私の場合、同じものをあえてダブって買うことは稀だった。買ったまま展示せずに数十年仕舞いっぱなしのためコンディションは新品同様が殆ど。
★初期トミカがまだ市場に在庫していた1972年(昭和47年)当時の私はマッチボックスをメインに集めていたため初期のトミカはリアルタイムでは数える程しか入手しなかった。
所謂1A(旧1S)ホイールの色違いをポツポツと購入したのは70年代後半、ミニカーショップイケダが高島平に開店した頃、1台500~600円のプレミアが付いてからであった。トミカは1970年代から安田火災や小田急デパート等の特注品やギフトセット専用色などのバリエーションが多数あり、現在に至るまでの主要なバリエーションを網羅することは非常にハードルが高い(というより不可能に近い)。初期の香港製を含む基本金型を一通り1台ずつ集めることを目標にするとか、あるいは、ポルシェだけを集めるとか、ランボルギーニだけを集めるとか、歴代スカイラインだけを集めるとかといった絞り込みをした方が賢明といえるだろう。
★T番号の謎
1980年代半ばあたりまでのトミカ黒箱(国産車)及び青箱(外国車)やトミカダンディの箱には小さく「T-20」「T-22」「T-24」といった一見意味不明の謎の印字がされていることが多い。ガソリンスタンド等のアクセサリー類では、「N-19」等と頭が「T」ではなく「N」となっている。また、トミカダンディでは「M-26」等と頭が「T」ではなく「M」のものが混在する。この印字された数字はトミカ専門家筋からの情報によれば、株式会社トミーの会社法人設立以来の決算期とリンクした製造時期を示すものであるらしい。今回はその詳細を記録しておく。
1)1953年(昭和28年): 第1期(会社設立年月日はトミーの前身、富山の製造会社であった山陽玩具製作所が株式会社となって山陽工業株式会社が発足したのは、1953(昭和28)年1月17日)
2)1956年(昭和31年): 第4期より決算月を9月に変更
3)1976年(昭和51年): 第24期より決算月を2月に変更
・T18・・・・・第18期 (1970年度・昭和45年度:1969年10月~1970年9月生産)
・T19・・・・・第19期 (1971年度・昭和46年度:1970年10月~1971年9月生産)
・T20・・・・・第20期 (1972年度・昭和47年度:1971年10月~1972年9月生産)
・T21・・・・・第21期 (1973年度・昭和48年度:1972年10月~1973年9月生産)
・T22・・・・・第22期 (1974年度・昭和49年度:1973年10月~1974年9月生産)
・T23・・・・・第23期 (1975年度・昭和50年度:1974年10月~1975年9月生産)
・T24・・・・・第24期(1976年度・昭和51年度:1975年10月~1976年2月生産)
※決算期変更・過渡期のため24期は5ヵ月のみ。
・T25・・・・・第25期 (1976年度・昭和51年度:1976年3月~1977年2月生産)
・T26・・・・・第26期 (1977年度・昭和52年度:1977年3月~1978年2月生産)
・T27・・・・・第27期 (1978年度・昭和53年度:1978年3月~1979年2月生産)
・T28・・・・・第28期 (1979年度・昭和54年度:1979年3月~1980年2月生産)
・T29・・・・・第29期 (1980年度・昭和55年度:1980年3月~1981年2月生産)
・T30・・・・・第30期 (1981年度・昭和56年度:1981年3月~1982年2月生産)
・T31・・・・・第31期 (1982年度・昭和57年度:1982年3月~1983年2月生産)
・T32・・・・・第32期 (1983年度・昭和58年度:1983年3月~1984年2月生産)
・T33・・・・・第33期 (1984年度・昭和59年度:1984年3月~1985年2月生産)
・T34・・・・・第34期 (1985年度・昭和60年度:1985年3月~1986年2月生産)
・T35・・・・・第35期 (1986年度・昭和61年度:1986年3月~1987年2月生産)
・T36・・・・・第36期 (1987年度・昭和62年度:1987年3月~1988年2月生産)
・T37・・・・・第37期 (1988年度・昭和63年度:1988年3月~1989年2月生産)
【香港トミカの製造時期表示】
・TH1・・・・・トミー香港 第1期 (1971年度・昭和46年度:1970年8月~1971年9月)
・TH2・・・・・トミー香港 第2期 (1972年度・昭和47年度:1971年10月~1972年9月)
★1971年 トミカ カタログ (縦10×横15cm・日本語32頁)
1971年夏発売予定のモデルが予告の形で掲載されているため、発行時期は1971年(昭和46年)の春先あたりと推察。このコスモスポーツが表紙のカタログは近年ミニカー付の復刻版が出たためオリジナルに拘らなければ入手は容易い。カタログのサイズ、頁数、構成の何れも当時のマッチボックスのものとよく似ており、マッチボックスをお手本にして作成されたと思われる。ボディカラーのバリエーションや実車のスペック、詳細な実車解説が付いている点でトミカのカタログはスタート時点からマッチボックスのそれを凌駕していた。解説では3-1番クラウンの箇所で最初のクラウンのデビュー年を1954年(正しくは1955年)と記載する等のミスもみられるが総じてよく出来たカタログで4-1番クラウンパトロールカーの箇所では、「パトロールカーは、1951年7月28日に日本で初めて8台登場して以来・・・・」と記載するなど1車ずつの解説は専門家筋が真面目に書いたものらしく子供向きとは思えない内容となっている。日本の郵便車の歴史を含めた20-1ホンダTN360郵便車の解説は特に秀逸なので以下に全文を掲載しておく。
【中頁から】
未発売のニッサンR382赤を含む初期のトミカたち
「このカタログは、トミカ車種の紹介と実車のすべてがわかる解説、データで構成された〈トミカ・国産車アルバム〉です。ミニカーコレクションを裏付ける実車知識が、ミニカーライフをより楽しくしてくれるでしょう。データ欄の下のSは、トミカの縮尺率です。また〈愛車チェック〉欄は、あなたのコレクション・メモとしてご利用ください。」
国産車をトミカでコレクションしよう!トミカ スーパースピード 「トミカは、充実したミニカーコレクションに欠かせぬ、ファン待望の国産車ミニカーです。実車のプロポーションを精巧に再現し、そのフィーリングをシャープに伝える、走るミニカー。しかも、豊富に続々と発売される新車種は、1車種1~3色のボディカラーをもつユニークなワイドセレクション。トミカは、ミニカーを愛し、ミニカーとともにホビーライフを楽しむ、あなたのスーパースピード・ミニカーです。各車種180円」
1-1 ブルーバードSSSクーペ
2-1 コロナマークⅡ1900ハードトップ
3-1 クラウン スーパーデラックス
4-1 クラウン パトロールカー
5-1 トヨタ2000GT
6-1 フェアレディZ432
7-1 ホンダ1300クーペ9
8-1 サニー1200クーペGX
9‐1 スバルR-2
10-1 ホンダNⅢ360
11-1 トヨタスプリンター1200SL
12-1 カペラロータリークーペ
13-1 ギャランハードトップGS
14-1 ローレルハードトップ2000GX
15-1 コロナ1700ハードトップ
16-1 コスモスポーツ
17-1 ニッサンチェリーX-1
18-1 ホンダTN360トラック
19-1 ホンダTN360パネルバン「PEPSI」
20-1 ホンダTN360パネルバン郵便車
「戦前の集配用郵便車は荷車・自転車が主流でしたが、戦後の昭和23年に初めてスクーターが登場しました。その後、日本の軽自動車の発展に歩調を合わせ、昭和28年に原動機付き自転車、昭和34年に大型スクーターと移行し、昭和39年に初めて軽四輪車のパネルバンが登場しました。以来、この軽四輪車が集配用の主流車となって現代に至っています。ホンダTN360パネルバンは、全国で3300台ある集配車の主要車種として大活躍しています。」
21‐1 スカイライン2000GTハードトップ
22-1 ニッサンR-382
23-1 トヨタ7
24-1 トヨタハイエーストラック
25-1 三菱ジープJ3R
26-1 トヨタセリカ1600GT
27-1 クラウン ファイアチーフカー
28-1 クラウン タクシー
29-1 日野消防車
30‐1 ギャランGTO-MR
国産車第1号誕生の話
●トミカワールドシリーズ
定価2900円と最も高価なデラックス パーキングタワー
●ミニカーアクションシリーズ 各300~400円
ミニパーキング、ミニトールゲート
カーウォッシャー、ガレージ、ジャッキ、ガソリンスタンド
裏表紙: 印字されている葛飾区立石の住所は45年を経た2016年現在のタカラトミーの本社所在地と同一。
★トミカ49-1番ホンダ1300クーペ9サーフィンキャリア
品番拡大のため7-1にサーフィンキャリアを載せただけの安易なバリエーションモデルで販売期間は1972年3月~1973年5月の14カ月。このモデルの箱には、「T-20」=第20期決算年度の印字。
T-20の印字
★トミカ1-1番510ブルーバードSSSクーペ
販売期間は1970年9月~1974年9月の丸4年。1Aホイールのサファリブラウンとグリーンは1970年代後半の時点でも既に入手困難だったが、この赤は大量に出回っていた。このモデルの箱には、「T-21」=第21期決算年度の印字。
T-21の印字
★トミカ3-1番3代目クラウン スーパーデラックスMS50-F
販売期間は1970年9月~1974年10月の4年強。これも1Aホイールの白と青紫は短命で入手困難だが、この金メタは大量に出回った。但し、この個体は1Aホイール白シートの初期物。このモデルの箱にはT番号の印字が見当たらず、どうやら最初期のトミカの箱にはT番号の印字はされなかったようである。実車のMS50前期型をモデル化しているが、トミカの発売時期からして実車の後期型で発売されなかったことは謎のひとつ。
T番号の印字なし
★トミカ28-2くじらクラウンタクシー 国内向けブリスターバージョン
販売期間は1972年9月~1977年3月の4年半。1970年代の国内向けブリスターは珍品ながら、年代物は下手に開封出来ないため人気がないようだ。このトミカのブリスター裏には、「T-22」=第22期決算年度の印字。
ブリスター裏: T-22の印字
★トミーミニカーアクションシリーズ「ミニトールゲート」「ミニスタンド」「ミニガレージ」
この3種のアクセサリーは最初の1971年版カタログに売価300円として掲載されたもの。箱には「N-19」=第19期決算年度の印字。
N-19の印字
★トミカ最初のギフトセット? 「ミニパーキングセット」
講談社のミニカー大百科「トミカコレクションのすべて」(1987年発行)では、トミカ最初のギフトセットは1975年7月発売の「トミカの町・空港セット」(G-1番)とされているが、これは恐らく1972~1973年に発売されたと思われる最初のギフトセット。4-2くじらクラウンパトカー、5-1トヨタ2000GT、26-1セリカ1600GT、39-1ハイエース・レッカー車、46-1マツダライトバスの1Eホイールのトミカ5台は全てセット専用色ではなく通常品のため、このセットの市場価値は専門家筋に訊いても下は箱なしミントのバラの価格プラスアルファとして精々1万円程度と言う人から上は10万円以上と言う人まで評価が大きく分かれている。しかし、恐らく最初のギフトセットと思われることから少なくとも歴史的な価値はあり、市場評価は別として入手難易度はAクラス。このセットの箱には残念ながらT番号の印字はなく、販売時期が特定できない。
★オマケ: ジョン&ヨーコ 「ハッピー・クリスマス」 1971
クリスマスということで今日のオマケはこの曲。最初のトミカが発売された1971年の12月リリース。この曲はジョンが亡くなった直後の1980年のクリスマスにも頻繁に流されたため、私にとってはジョンを失くした悲しさが鮮明に蘇るレクィエムのようでもあります。
Happy Xmas (War Is Over) 1971
John&Yoko Plastic Ono Band with the Harlem Community Choir
(Happy Christmas, Kyoko
Happy Christmas, Julian)
So this is Christmas
And what have you done
Another year over
A new one just begun
And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
(War is Over, if you want it, war is over now)
For weak and for strong
The rich and the poor ones
The road is so long
So happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
(War is over, if you want it, war is over now)
And what have we done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Christmas
And we hope you have fun
The near and the dear ones
The old and the young
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over, if you want it
War is over now
Merry Christmas
(日本語訳)
そう、今日はクリスマス
そして何を君はしたかい?
一年が終わり
そして新しい年が今、始まった
そして今日はクリスマス
楽しんでるといいな
身近にいる人も敬愛する人も
老いた人も若い人も皆
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年であることを
不安なんてない年をさ
そして今日はクリスマス
(戦争は終わった、君が望めば、いま)
弱い人も強い人も
金持ちも貧しき人も
世界はとても間違ってる
そして今日はクリスマス
黒い人も白い人も
黄色い人も赤い人も
やめようよ あらゆる争いを
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年であることを
不安なんてない年をさ
そう、今日はクリスマス
(戦争は終わった、君が望めば、いま)
そして何を僕らはした?
一年が終わり
そして新しい年が今、始まった
そしてハッピー・クリスマス
楽しんでるといいな
身近な人も敬愛する人も
老いた人も若い人も皆
心からメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニュー・イヤー
願おうよ 良い年であることを
不安なんてない年をさ
戦争は終わるさ
みんなが望めば
戦争は終わるさ
ハッピー・クリスマス
★ヴィラ・ロボス「プレリュード1番」 私のスパニッシュギター(3) ~ 冬休みの本
★2016年は大変お世話になりました。
★2017年も引き続き、どうぞ宜しくお願いしますDESU☆☆
★さて、今年も残り僅か。家の大掃除など最後の追い込みに追われている人も多いことと思います。尤も普段からマメに掃除やモノの整理をしているという人なら大掃除の必要はないかもですね。東京の年末年始は幸い穏やかな良い天気となりそうです。
しかし、12月28日夜に発生した茨城県北部を中心とする地震が、来年3月で丸6年となる東日本大震災の余震というのには驚きました。まだ暫くは地震が起こる可能性があり、北茨城にはブロ友さんもいますので少々心配です。
★今夜は大阪の方が1名だけ聴いてくださっている「私のスパニッシュギター」の第3回として1曲。そして、ついでに私の冬休みの本のラインナップをサクっとご紹介しますNE☆☆☆
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★私のスパニッシュギター第3回 1940年 ヴィラ・ロボス「プレリュード第1番」抒情のメロディ (1940 Heitor Villa-Lobos Prelude No.1) Rec. 1977
例によって1977年、私が高3の時の演奏を録音した音源です。この曲ではナイロン弦のガットギターを使っています。この頃の私には多分ちょっとだけ才能があり、こうしたクラシック系の曲からビートルズのコピーまで割とそつなく弾いていたのでした。
●「プレリュード第1番」の楽譜
タイトル下に括弧書きで1940年と印字されている。
エイトル・ヴィラ・ロボス(Heitor Villa-Lobos;1887年3月5日-1959年11月17日)はブラジル出身の作曲家。殆ど独学で作曲を学び、クラシックの技法にブラジルの民族音楽を取り込んだ作風で知られる。南米のみならず20世紀の音楽界を代表する作曲家の1人。多作で1000曲近くに及ぶ膨大な作品群を残した。
前奏曲(プレリュード)はジョン・レノンの生まれた年である1940年(昭和15年)に5曲作られ、今回アップするのは最も有名な第1番で別名「抒情のメロディ」と呼ばれるものです。ヴィラ・ロボスは私が生れた日の3週間後に他界しているので、私は生まれて3週間だけ彼と同じ空の下に生きていたことになります。ジョン・レノンの場合では、1980年12月8日に亡くなるまで私は約21年間同じ空の下に生きていたことになります・・・
●ヴィラ・ロボス(1887年3月5日-1959年11月17日)1922年・35歳頃の写真
何だか目力が強すぎて、ちょっと怖い感じ、かも(゜_゜>)
★特集その2 「冬休みの本」
年末年始にじっくりと小説や専門書を読むという訳ではなく、写真の多い本ばかりで何と軽薄な!と眉をひそめる方もおられるかもしれない趣味分野の本ですが、今年の冬休みに楽しむために私がどんな本を用意したか簡単にご紹介しますNE。
(1) 「ザ・ビートルズ神話」大人のロック!編
日経BPムック。奥付記載の発行日:2017年1月29日。定価:税抜1600円。全146頁中の52頁に及ぶ「日本人はビートルズをどう歌ってきたのか」と題する日本におけるビートルズ・カバー50年史が凄い。ビートルズ・カバー研究の第一人者といえる矢田部正昭氏により、リリースされたレコード/CDの膨大な数のジャケット写真と共に纏めらており、ビートルズ・カバーに興味がある向きは必見。黛ジュンさんがツイスト&シャウトをカバーした1967年リリースのレコードなど、これはちょっと聴いてみたいなと思う情報も多い。初期のビートルズカバーでは1973年リリースの「ザ・バッド・ボーイズ」による日本版LP「ミート・ザ・ビートルズ」の完全コピーをいまだに超えるものはないとの評価は妥当。当時、まだ中学生だった私がバッド・ボーイズのライブを中野サンプラザに観に行った時の感激を超えるビートルズ・カバーを聴いたことがないのだから。矢田部正昭氏の管理するビートルズカバーに特化したWebサイト「ビートルズカバーの館」もカバーに興味がある向きは必見。
日本のビートルズ・カバー特集の一部
(2) オールド・タイマーNo.152 2017年2月号
八重洲出版発行の隔月刊の旧車雑誌。税込定価1070円(なかなかナイスな2017年カレンダー付)。186頁。この最新号では1973年いすゞベレット1800GTの泉ナンバーのワンーオーナー車が紹介されているのが目を引く。この雑誌で私が最近密かに注目しているのは、「深遠なるチラシ観察」という最新号で第22回となるシリーズ記事。ディーラーで配布されるセールス・カタログと共に実は私も1980年代半ばあたりまで新聞折り込みの自動車ディーラーのチラシも集めていた。紙物ではチラシ以外に新聞に掲載される自動車の全面広告もマメに切り抜いて保存していた。それらは殆ど捨てずに30年以上保管してあり、何れこのブログでも紹介したいと思っています。
(3) 四駆道楽専門誌「キュリアス」Vol.12
株式会社カマド発行の非常にディープな四駆専門誌の最新号。奥付記載の発行日:2017年1月5日。税込定価1500円。B5判128頁。ISBNコードはあるものの都内でも置いている書店が少ないレア雑誌。四駆以外にも古いバスやトラック、重機にも頁を割いており、古い実車カタログの掲載も多い。この最新号には1960年ランドクルーザーFJ21KB現存車の記事、小林雅彦氏によるくろがね四起のヒストリー記事、鉄道博物館で開催された「JRバス展」の記事、四駆ライターの先駆者・石川雄一氏の涙が出るような関係者による追悼記事などが掲載されている。JRバス展の記事では初公開された秘蔵写真が掲載されており、国鉄トラックといすゞエルフィンの東京新聞所有車両の1枚など非常に貴重なものが見られる。
国鉄トラックといすゞエルフィン「東京新聞」
(4) ダットサン/ニッサン フェアレディ 日本初のスポーツカーの系譜 1931~1970
三樹書房発行。奥付の発行日:2017年1月10日初版。定価税抜3800円。B5判ハードカバー・138頁。当摩節夫氏による国産車の歴史をカタログをメインに辿るシリーズの最新刊。1931年のダットソン號から1960年代のフェアレディSP/SRの時代までに絞り、貴重なカタログと広報写真を多数掲載している。特に海外向けカタログには個人的には初めて見る珍しいものが多い。当摩氏は「発行されたカタログの90%は載せる事が出来たのではないかと思う」とあとがきに書かれているが、これでまだ10%残ってるの?というのが正直な感想であり、掲載されているカタログだけでも全て集めることは殆ど不可能と思える。カタログ以外に今回はSP212からSR311までのオーナーズマニュアル(取扱説明書)の表紙も掲載されており、自動車カタログや自動車に纏わる紙物の蒐集家(コレクター)はもとよりダットサンの歴史に興味がある向きは必見・必携の書。
(5) 鉄道模型趣味 No.899 2016年12月号
機芸出版社発行。奥付の発行日:2016年12月1日。定価:税抜905円。孔版印刷による旧1号の発行が1946年6月で既に70年の歴史を誇るTMS。現在は既に記念すべきNo.900となる2017年1月号が書店に並んでいる。この12月号は個人的に好きな草軽ジェフリーの表紙のため即購入。TMSは最初に買ったのは私が小4だった1969年で、その後1975年~1977年は殆ど毎号買い、最近は立ち読みして気になる号のみを入手。モデルス イモンのHO1067の80系完成品が6連で649,620円といったおいそれとは手が出ない高額製品の広告頁を見るのも楽しいです。
(6) KATO Nゲージ生誕50周年記念誌
株式会社関水金属発行。奥付の発行日:2017年1月1日初版第1刷。定価:税抜3950円。大判ハードカバー・176頁。関水金属が日本初のNゲージを1965年(昭和40年)に発売してから2015年で50周年となったのを記念して出された書籍。大田治彦氏による「Nゲージの起源と関水金属の初期製品」と題する章は、RMモデルスに連載された「紀元前N世紀」の要約および更新した写真により構成されたものとのことだが、最初のNゲージが1912年(明治45年/大正元年)の独Bing社のブリキ製汽車セットであり、カラーバリエーションが4種類あることなどが記載されており、Nゲージャーならずとも鉄道模型の製品史に関心がある向きには非常に貴重な内容。その他、2005年にKATO Nゲージ生誕40周年を記念して名取紀之氏を聞き手に2016年11月に他界した関水金属の創設者・加藤祐治氏が語ったNゲージ誕生前夜までの話など興味深い内容が満載されている。鉄道模型は三線式Oゲージと16番のファンである私も実は小5だった1970年(昭和45年)のお正月のお年玉で関水製品(キハ20系気動車の初期製品)を1度だけ購入したことがあります。
(7) タワーレコード・フリーマガジン「イントキシケイト」(intoxicate) vol.125 2016年12月号
タワーレコードが店頭で無料配布しているフリーペーパーの最新号は何と1971年(昭和46年)1月にジョン&ヨーコが京都を極秘訪問した際の浴衣の2人の写真が表紙。矢野純一氏撮影の非常に魅力的なフォトは、すばる書房の月刊「ポエム」1976年12月号に掲載されたものだが、この京都極秘訪問時の写真はその後の出版物に殆ど掲載されていないのでタワーレコードがフリーペーパーの表紙にこの写真を使ったことにはビックリ(@_@)
★1974年日産ディーゼル東急車輛 空港用化学消防車 ~ 自動車カタログ棚から 336
★2017年 新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします!!!
★東京はあまり寒くもなく穏やかな新年となりました。今日は初詣に近くの神社に行ってきました。神頼みでは願いが叶う訳はないと思いつつ毎年同じように神頼みしています(汗)
ここ最近は音楽関係の記事など横道にそれることが増えていますが、今年も自動車カタログをメインに出来る範囲で資料価値のある記事をアップしていきたいと思いますので、宜しくお願いいたしますm(__)m
★1970年代に東芝音楽工業/EMIでビートルズを始めとするUKロックをメインに担当していた石坂敬一氏の訃報を大晦日に聞いたと思ったら、元旦には4月末にポール・マッカートニーが東京ドームで3回公演を行うとのニュースが入り、ポールはジョンの親友であったこと只1点だけでも観ないという訳にはいかず(と言うより何度でも観たいので)、早速チケットを確保しました☆
★正月というと羽根つき、お年玉、福笑い、かるた、凧揚げ、出初式といったところでしょうか。出初式の歴史は古く、その起源は江戸時代の17世紀に遡るそうです。現在の出初式は地域の消防団単位のものから東京消防庁が行うものまで種々あり、最近は1月6日に行われることが多いようです。東京消防庁のものなどテレビ中継されるケースもあります。2016年12月22日に発生した糸魚川の古い街並みを一気に失くした大火災は、種々の悪条件が重なり広範囲に延焼する結果となったようですが、改めて火事の怖さ、消火することの難しさを感じさせられたと思います。
★閑話休題
お正月から消防車の記事だなんて縁起が悪いと思われる向きもあるかもしれませんが、出初式もありお正月と消防車とは縁が深いということから、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第336回記事として日産ディーゼル/東急車輛の空港用 化学消防車をピックアップします。☆☆☆
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★日本の空港に化学消防車が最初に配備されたのは1950年代も半ばを過ぎた頃であった。
自工会が1954年(昭和29年)から現在に至るまで毎年出している「自動車ガイドブック」は、発行時点で生産されている主な車両が網羅されており、謂わば国産車のバイブルとも言えるが、ミンセイデイゼル(後のニッサンディーゼル)の下回りに東急車輛製造が架装した空港用化学消防車が「自動車ガイドブック」に初めて登場するのは1959年(昭和34年)10月発行のVol.6である。ところが、自動車ガイドブックの掲載より1年以上早い1958年(昭和33年)3月に萬代屋(現バンダイ)がミンセイデイゼル-東急化学消防車を模したと思われる金属玩具を発売しており、玩具の開発期間を半年程度と考えると、実車が空港に現れたのは1957年(昭和32年)のことと推察できるのではないだろうか。東急車輛が空港用化学消防車を設計・架装するに当ってはアメリカ製の空港用消防車両を参考にしたものと思われる。
●1964年 羽田空港の化学消防車
1964年7月10日発行、講談社のカラー百科「じどうしゃ」より。日産ディーゼル/東急車輛のMF61型とMF81型の折衷型のようなデザインで型式不明。左ハンドル。左は日航DC7F(JA6303)。自動車史/自動車文化史研究の第一人者だった五十嵐平達氏の著作によれば、羽田空港における報道関係による消防車両の撮影は1960年代前半当時、許可を取ることがなかなか困難で一苦労であったという。
【自動車ガイドブックにみる民生デイゼル/日産ディーゼル-東急「空港用化学消防車」の変遷】
特殊用途車両故かガイドブックには掲載されていない年も比較的多いが、以下、各型式のガイドブックに初めて登場した年の写真。
・1959年 民生デイゼルMF61型・・・・・初めてガイドブックに登場した車両。全長7200㎜・全幅2500mm・WB4000mm・UD6型2サイクル230psエンジン搭載。
・1961年 日産ディーゼルMF61型・・・・・1959年の民生時代と同じ写真だが民生から日産ディーゼルに車名が変った。
・1964年 日産ディーゼルMF81型・・・・・全長9645mm・全幅2492mm・WB4400㎜・UDV8型2サイクル310psエンジン搭載。ガイドブックに初めて登場した6輪車両。
・1970年 日産ディーゼルMF82前期型・・・・・全長9850mm・全幅2490mm・WB4400㎜・UDV8型2サイクル330psエンジン搭載。MF81の改良型。
・1973年 日産ディーゼルMF82後期型・・・・・全長9850mm・全幅2490mm・WB5050㎜・UDV8型2サイクル320psエンジン搭載。MF82前期までのホイールベースが650mm伸ばされた改良型。
・1976年 日産ディーゼルFZ60L型・・・全長9910mm・全幅2495mm・WB5050㎜・従来のUDエンジンからRD10型4サイクル17892cc260psエンジンに換装。
【主要スペック】 1974年 ニッサンディーゼルMF82型空港用化学消防車 (1974 Nissan Diesel Airport Chemical Fire Engine type.MF82)
全長9850mm・全幅2490㎜・全高3490㎜・ホイールベース5050㎜・車両重量14625kg・6WD(6×6)・UDV8型水冷2サイクルV型8気筒9882cc・最高出力320ps/2200rpm・最大トルク119.0kgm/1300rpm・変速機5速MTオーバートップ付・最小回転半径11m・乗車定員5名・消防検定取得年月日1970年8月8日
●1974年10月 ニッサンディーゼル消防ポンプ車 総合カタログ
カタログNO.992.7410-7-2001。消防艇も含めたニッサンディーゼルエンジン搭載の消防ポンプ総合カタログ。このカタログとは別に空港用MF82型であれば東急車輛発行の専用カタログも存在するのかもしれない。表紙は大分市消防本部の屈折梯子付消防ポンプ車CV31N型。このカタログでは各地の消防に納入された車両がそのまま掲載されている。
【中頁から】
屈折梯子付消防ポンプ車CV31N型「大分市消防本部」
水槽付消防ポンプ車CK20D改型(横浜ナンバー)
化学消防ポンプ車CD32P改Ⅴ型「出光」(室蘭ナンバー)
はしご付消防ポンプ車FW50M型「野田市消防署」(千葉ナンバー)
屈折梯子付消防ポンプ車CV31N型「大分市消防本部」
UDV8型エンジン搭載 消防艇「あさぎり」(気仙沼市消防本部)
空港用大型化学消防車MF82型「新東京国際空港」(千葉ナンバー)
★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/36スケール程度 1958年化学消防車
全長22cm・全幅7cm。ブリキ製。萬代屋製品番号540。当時定価:地方売価220円。商品名は化学消防車ながら子供が遊べるように梯子が付いているのは御愛嬌。恐らく日本初の化学消防車のモデル玩具。
国立国会図書館蔵・玩具業界誌「東京玩具商報」1958年3月号に掲載された萬代屋・化学消防車の新発売記事。記事には「化学」を「科学」とした誤字がみられるが、箱絵にはChemical Fire Engine(ケミカル・ファイヤーエンジン)の印字が確認出来る。
★オマケ(その2): トミカ94-1 1/130スケール 東急化学消防車MF82型
全長7.6cm。ダイキャスト製。1975年3月発売。当時定価220円。21世紀に入ってもバリエーションが出ている長寿金型。ルーフの形状からMF82の前期型をモチーフにしているようだ。航空局のタンポがあるのは2000年発売トミカくじのもの。
タカラトミーとなった後の2007年に登場したハイパーブルーポリス・バージョン
★オマケ(その3): バンダイ エアポートシリーズ12番 1/130スケール 東急化学消防車MF82型
全長8cm。ダイキャスト製。1974年8月発売。当時定価250円。トミカと同じMF82ながら、後期型がモチーフのようだ。少々寸詰まりなトミカに比べて伸びやかなプロポーションでトミカより格段にパーツが多い手の込んだ造り。
オマケ1~3の並び
★新所沢 森永卓郎氏のB宝館 訪問記 ~ トミカコレクションほか
★松の内最後の1月7日は七草粥をいただいたという人も多いことと思います。お正月のおせち料理やら沢山の御馳走に疲れ果てた胃腸を労わって青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をすることも兼ねて1月7日に七草粥を食べ、新年の無病息災を願うようになったのは遠く8世紀の奈良時代あたりに遡るとのことです☆☆
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★今日1月7日は森永卓郎氏(1957年7月12日-)の森永卓郎コレクション館「B宝館」を訪問しました。
B宝館は2014年10月4日に西武新宿線「新所沢駅」西口徒歩10分程の場所に開館した森永氏のコレクションを展示した施設。森永氏が1億2000万円で購入し更に6000万円程をかけて陳列棚等の内装工事をしたという3階建てビルの床面積は何と200坪。現在はビルの1・2階がB宝館の展示スペースとなっています。森永氏が1970年9月の発売開始から一部の限定品等を除き殆ど全てを入手しているというトミカをメインとするミニカー、航空機模型、鉄道玩具、特撮系フィギュア、萌え系フィギュア、コーラ・緑茶等の飲料缶、牛乳瓶、崎陽軒のひょうちゃん、不二家のペコちゃん、森永製菓チョコボールのキョロちゃん、グリコのオマケ、携帯電話、デジタルカメラ等々、約60種類のアイテムで総数11万点(2015年時点の公称値)のコレクション(の全部でなく恐らく一部)が展示されています。トミカ・コレクターの人は勿論、モノを集めることに少しでも関心があるという人なら誰でも楽しめる展示内容です。膨大なモノの展示を見ていると、モノを集めるということの意味を考えさせられたりもします。
★森永氏は「コレクションはアート」と言っていますが、誰もが知っているようなモノ達がきちんと分類・整理され大量に陳列された様は、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928年8月6日-1987年2月22日)のポップ・アートを想起させます。
その蒐集分野の広さは驚くばかりです。基本、モノは何でも捨てずに手元に残しておくという習慣がないとこれだけ集まらないでしょう。しかし、モノは増えれば増える程、広い収納スペースが必要となるため、普通は際限なくモノを持つことは難しいものです。近頃では雑誌のバックナンバーは在庫切れとなる前に倉庫代節約のために破棄処分される時代です。収納スペースを持つ物理的もしくは経済的余裕がなければ、例え元がタダで手に入るモノであっても集め続ければ必ずいつかは収納スペースの問題にぶち当たります。
森永氏はミニカー蒐集において、「買うか買わないか迷った時には買う」ことを信条としているとの由で、「あのミニカーはやっぱりあの時買っておけばよかった~(-_-;)」といった後悔先に立たず的な失敗はしないということなのでしょうね。
B宝館は展示量が膨大ですので、個人的な視点から気になったモノを抜粋してご紹介することとしますNE。
●森永卓郎コレクション館「B宝館」 概要
・所在地: 埼玉県所沢市けやき台2-3-25
・開館時間: 毎週土曜日12時~18時 (2017年9月以降は第1土曜日のみの開館となる予定)
・入場料: 大人800円・小学生以下400円・60歳以上シニア割引き600円
●新所沢へは西武新宿線で
●新所沢駅で下車
●新所沢駅 西口から徒歩7~10分
●B宝館 入口
●館内はこんな感じ・・・
●森永卓郎はとバス・ポスター4種
森永氏がはとバスのキャラクターになっていたとは全く知りませんでした
●不二家のペコちゃんコレクション
●チョコボール・キョロちゃんコレクション
●崎陽軒のひょうちゃんコレクション
●コカコーラ缶 コレクション
コーラのオマケ: 初代ニッサンキャブオール・コカコーラボトルトラック (中央のオレンジ色)
●ファンタ缶 コレクション
●緑茶缶 コレクション
●牛乳瓶コレクション
何と中味が入ったままです(@_@)
●ハーゲンダッツ (Häagen-Dazs) コレクション
●鉄道オモチャ
トレーン、サクラ、ダイヤペット等のダイキャストモデル
●新幹線オモチャ
●飛行機コレクション
日航DC-3「阿蘇号」
●ブリキ自動車
旭玩具の2代目クラウンRS41と2代目ブルーバード411パトカーにマルサン・ヂャイアント三輪ダンプなど
●はとバス コレクション
●トミカ コレクション
・初期トミカ各種
・泣く子も黙る?トミカ30-1ギャランGTO、21-1ハコスカ紫ほか
・珍しいスヌーピートミカ各種
・トミカ パーキングタワーとギフトセット
・矢沢永吉ツアートラック
・イエローモンキー ツアートラック
・松田聖子ツアートラック: 非トミカながらダイキャスト製
こんなミニカーが出ていたとはビックリです(@_@)
・氷川きよし ツアートラック: ペーパー製
●トミカダンディ
●大盛屋酒井通玩具 チェリカフェニックスシリーズ
大盛屋フリクションシリーズ5番1960年ニッサン セドリックのピンクはレアカラー
●米澤玩具 ダイヤペット
●旭玩具 モデルペット
●伊ポリトーイ小スケール「ペニー」シリーズ
・ランボルギーニ・マーツァル、フェラーリ・ディーノ、ポルシェカレラ6
ペニーないしチャンピオン?
●マッチボックス・サービスステーション: 個人的には展示品の中でこれが一番気になったモノ。
●販売コーナー
館内ではトミカなど森永コレクションのダブリが大量に放出・販売されています。20年位前の日本製と中国製初期の赤箱トミカやイトーヨーカドー限定トミカが中心で1台800~2000円程度までの値段。
★オマケ: B宝館のお土産
販売コーナーで買ってきた20年位前の赤箱トミカ。新品の限定トミカが700円~900円もする時代に1台1000円はお買い得? 何でも7~8万円も買って帰ったトミカコレクターさんもいたとの由
★1964年 マツダE2000 鬼面トラック ボウイ&レノン ~ 自動車カタログ棚から 337
★実はワタシ、何をやるにしてもテキトーに力を抜くということが苦手です。何でも、ついつい全力投球してしまうようなところがあります。要領よく程々に手を抜くのが下手なんですよね。ぶきっちょというかw
ブログ記事一つ作るにも、根っからの凝り性的な性格も手伝って、朝作り始めて気が付いたら日が暮れていた~(@_@;)などと異様に時間がかかってしまいがちです。誰しも人生の持ち時間は限られている訳なのですから、アメブロ以外にあんなことやこんなこと♪など他にやることやりたいことも当然ある訳なので、もっと上手くバランスを取れるように少し考え直さねば!ですよね~☆☆☆~ ぶひっ (V)o¥o(V) ☆☆☆
★さて、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第337回記事として1960年代のマツダE2000/2300/2500トラックをピックアップします☆
「自動車カタログ棚から」の記事では発行されたカタログを網羅することが理想なのですが、時間をかけてもコンプリートにカタログを集めることはなかなか難しいため、手持ちのカタログで取り敢えず記事をアップし、新入荷があれば順次追加するという手法を採っています。今回のマツダEシリーズでも手持ちのカタログは約7年の生産期間中に発行されたカタログの精々3割位かなあと思います。自動車カタログは専門店、古書店、骨董市、旧車イベント、ヤフオク等で入手できますが、カタログを見かけた時に既に持っているカタログと持ってはいないけれど過去に見たことがあるカタログとの区別が俄かには付かないことがあります。実は最近はそのような場合に過去の記事を見て、既に持っているカタログかどうかを確認するという使い方もしています。これまで一度も見たことのない表紙のカタログであれば、迷うことはないのですが☆☆
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★2017年1月現在、マツダが販売しているトラックはボンゴとタイタンの2車種のみである。しかも、2004年6月以降のタイタンはいすゞエルフのOEM車となっているため、純然たるマツダ製のトラックは1999年デビューの現行ボンゴ僅か1車のみということになる。
ところが、時計の針を東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に巻き戻せば、マツダ製のトラックは今回ご紹介する2トン積みフルキャブオーバーE2000(EVA12)を旗艦として、1~1.5トン積みセミキャブオーバーD1500(DUB91)、プロシードの前身たる小型ボンネットトラックB1500(BUC61)、軽4輪トラックB360(KBDA33)、軽3輪トラックK360、小型3輪トラックT600、1トン積み3輪トラックT1500、2トン積み3輪トラックT2000と都合8車種も存在した。
【マツダ小型4輪トラックの歴史】 (マツダ・ホームページより抜粋)
(1) 戦後の復興に大きく貢献してきた3輪トラックは、1953年(昭和28年)にトラック総生産台数の72%を占めてピークに達したのち、その地位を小型4輪トラックに譲り始めた。当時、日本経済は高度成長期に移行しつつあり、より快適な4輪トラックの需要が急速に高まっていったのである。1950年(昭和25年)から小型4輪トラックを生産していたマツダはこの機を逃さず、1958年(昭和33年)4月にキャブオーバー型の新型4輪トラック「ロンパー」をデビューさせた。酷使に耐える頑丈さや優れた小回り性など、3輪トラックで培った技術をフルに投入し、32.5馬力の空冷2気筒エンジンを搭載した1トン積みモデルだ。翌1959年(昭和34年)3月には、先進的な水冷4気筒OHVエンジン搭載のD1100(1トン積み・46馬力)とD1500(1.75トン積み・60馬力)を発売。1トン積みで46馬力というクラス最強のパワーも注目の的となり、前年に約4%だったシェアが、この1959年(昭和34年)には約10%に倍増した。
(2) D1100とD1500はマツダのトラック部門を代表する車種として成長し、1962年(昭和37年)4月には、1トン積み・60馬力となった新型D1500と、81馬力の新開発エンジンを搭載した2トン積みのD2000が誕生。そして1964年(昭和39年)1月、D2000に寄せられたユーザーの声を余さず織り込み、極めて頑強で2トンクラス最大級の積載能力を誇る名車、E2000へと進化した。東京オリンピックが行われた年のことである。このモデルこそ、のちに頑強さで人気を誇ることになるタイタンの前身である。一方、マツダ初のピックアップトラックB1500は1961年(昭和36年)8月に登場。1965年(昭和40年)10月にプロシードへと発展し、国内ではやがてその役目を終えたが、海外ではマツダのBシリーズが揺るぎない地位を確立していることはご承知の通りである。
●マツダE2000は、1964年(昭和39年)1月にデビューしたマツダのフルキャブオーバー型2トン積みトラックである。
上記のマツダHPの小型4輪トラック史にはD2000がE2000に進化したと記載されているが、正確にはセミキャブオーバーDシリーズのうちD1500は暫く継続生産されたのちクラフトに進化し、2トン積みのセミキャブオーバーD2000のみが生産を中止してフルキャブオーバーのE2000に進化した。フルキャブオーバー化に伴い積載能力が向上すると共にロンパー~Dシリーズの生産により培ってきた技術レベルの向上により耐久性や総合性能を高めたE2000は当初から市場に好評をもって迎えられ、発売初年に月販2000台近くに達した。
フロント・デザインは鬼面、凶悪犯、コワモテ等とも囁かれ、それはタフで強さの要求されるトラックにとって必ずしも悪い言われ方ではないとしても、個人的には子供の頃に見かけたマツダEシリーズの顔付きは4灯のプリンス・マイラーあたりと双璧を成すような怖い顔なのは紛れもない事実であった。
●マツダEシリーズの変遷
D2000と同じ1985cc81psエンジンを積んでデビューしたE2000は、発売翌年の1965年(昭和40年)6月に2286cc86psエンジンを搭載した3,5トン積みE2300を追加、1967年(昭和42年)には新開発2522ccディーゼル77psエンジンを搭載した2~3トン積みE2500ディーゼルを追加した。1968年(昭和43年)暮れにデビュー後初めてフロントグリルの意匠を変え、ピラーに追加されていたサイドマーカーをドアパネルに移しテールライトを丸型4灯に改めた後、1971年(昭和46年)8月に初代タイタンにバトンを受け渡して生産を終えた。
なお、Eシリーズには当初から小型車枠を超える荷台長4100㎜・全長5700㎜のロングボディとダンプ仕様が用意されたが、ダブルキャブ・ボディや消防車仕様のカタログモデルは存在しない。
【主要スペック】 1964年 マツダE2000 標準車 (型式EVA12) 1964 MAZDA E2000
Full cab over truck type.EVA12
全長4685㎜・全幅1690㎜・全高1990㎜・ホイールベース2495mm・車両重量1655kg・FR・水冷直列4気筒OHV 1985cc・最高出力81ps/4600rpm・最大トルク15.5m-kg/2000rpm・変速機4速コラムMT・最大積載量2000kg・荷台前後長3100㎜・最小回転半径5100㎜・燃料タンク容量40ℓ・ハイドロマスターブレーキ標準装備・乗車定員3名・運転席スライド式セパレートシート・最高速度105km/h・東京店頭渡価格69万円
●1965年6月 マツダE2000 専用カタログ (A4判・12頁)
掲載車両は、標準車(車両型式EVA12)、平床三方開車(EVA12S)、平床三方開ロングボディー(EVA32S)の3種。オッサン顔が多い1960年代の国産商用車の中でもコワモテで鳴らしたE2000の印象的な顔。
【中頁から】
標準車(低床)
平床三方開車
ロングボディー車
運転席
シャシー
2000ccエンジン
スペック
図面「標準車」
図面「三方開ロングボディー」
●1965年6月 マツダE2300 専用カタログ (A4判・10頁)
車両型式: EWA35-S。2286ccエンジンを搭載した3.5トン積みを追加。
【中頁から】
右後方に広島電鉄バスが見える。
リア周り
2300ccエンジン
運転席
●1965年9月 マツダE2300 ダンプカー 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
車両型式: EWA15D。
【中面から】
ダンプのスペアタイヤはキャブ背後
●1967年1月 マツダE2500ディーゼル 専用カタログ (縦30×横22.4cm・12頁)
車両型式: EXA12S(2トン車)、EXA32S(3トン車)。東洋工業(現マツダ)が英国パーキンスと共同開発した2500ccディーゼルエンジン搭載車を追加。この年式ではリアピラーにサイドマーカーが追加され、室内ダッシュパネルの意匠が小変更されている。
【中頁から】
シャシー
2500ccディーゼルエンジン
ダンプ仕様
サイドマーカーをピラーに新設
●1968年1月 マツダE2500ディーゼル・E2300 専用カタログ (縦30×横22.4cm・12頁)
車両型式: EXA35S(E2500ディーゼル)、EWA35S(E2300)、EWA15D(E2300ダンプカー)。レストランでデートする2人の窓の外にいるEシリーズという表紙の絵図は、1966年の夏休みに見た東宝の特撮映画「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」の一場面を想起させます。
【中頁から】
俯瞰写真: マツダキャロル、B360ライトバンとE2000
リア周り
●1968年6月 マツダE2000 専用カタログ (縦30×横22.4cm・12頁)
車両型式: EVA12(2トン車)、EVA32S(3トン車)、EVA12D(ダンプカー)。ベーシックなE2000にロングボディーダブルタイヤの3トン積みを追加。
【中頁から】
牛乳輸送
3トン積
シャシー
●1970年10月 マツダE2500ディーゼル・E2000 専用カタログ (縦30×横22.6cm・20頁)
車両型式: EXA12S(E2500平床三方開車2トン積)、EXA32S(E2500ロングボディー2トン積)、EXA33S(E2500ロングボディー3トン積)、EVA12(E2000標準車)、EVA33S(E2000VAロングボディーダブルタイヤ3トン積)他。フロントグリルとヘッドライト周りの意匠が初めて変更され、テールライトが丸4連となり、サイドマーカーがドアパネルに付いた最終型。E2300はラインナップから落ちた。
【中頁から】
雪の朝も一発始動
MCで顔付きは益々凄みを帯びた感じ
テールライトを丸型4連に変更
室内: この年式ではシートベルトやハザードランプなどの安全装備が標準
★オマケ(その1): トミカリミテッドヴィンテージ 1/64スケール マツダE2000低床&ダンプカー
全長7.5cm。ダイキャスト製。2011年8月にLV-112として低床の白灰と薄青(税抜定価1600円)、2011年12月に東洋工業社用車と扇港電機商会の2種、更に2012年5月にLV-121としてダンプカーの白灰と薄青(税抜定価1900円)がリリースされた。計6種が市場に出たうち、すぐに取り出せた2台のみ今回のオマケに掲載。これが果たして売れるのだろうかと心配になるような、TLVらしい驚きの車種選択です。
★オマケ(その2): デヴィッド・ボウイ/ティン・マシーン「ワーキングクラス・ヒーロー」 David Bowie/Tin Machine「Working Class Hero」1989
ジョン・レノン フリークのブロ友さん半兵衛さんがアップされていて感動したので、オマケに貼っておきます。ボウイの何とも秀逸なジョン・レノン カバー。ボウイはジョンともフェイムを競作していますが、イタンビューで「一番信頼出来る人間はジョン・レノンだ」という趣旨の発言をしていたのが今でも印象に残ります。
★東京オートサロン2017 訪問記 ~ 限定トミカ・美女ほか
★しかし、寒くなりましたね。東京でも最高気温が5度を少し上回る程度の寒さです。京都や広島など西日本では太平洋側でもかなりの雪が積もっているところがあるようですね。
雪の少ない東京にいると、たまには雪を見たい気持ちにもなりますが、雪かきや雪のための交通機関の乱れやそれに伴う通勤・通学の苦労を考えると雪がないのは恵まれていると言えますよね。
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★2017年1月13日~15日に幕張メッセで開催された東京オートサロン2017(TOKYO AUTO SALON 2017)に行ってきました。昨年はバンドのライブの関係で行かれなかったので2015年以来2年ぶりです。
★東京オートサロンは、1983年に始まったエキサイティングカーショーをその前身とするイベントで今年2017年で早くも35回目。2013年以降は毎年入場者数が増えてきているそうで、今年は昨年の32万5501人を上回る可能性が高いと予想されています。
1970年代前半、私が中学生の頃に東京モーターショーと同じ晴海で毎年行われて私も観に行っていたレーシングカーショーともイベントの性格は被りますが、現在行われているオートサロンは高性能車に限らず日野などトラックの展示もあります。オートサロンは東京モーターショーが表のモーターショーとすれば裏のモーターショーとしてクルマ文化を取り巻く祭典の形で発展してきています。東京モーターショーに比べて各ブースでの物販が多いのも特徴です。
東京オートサロンの近年の観客動員数は1日10万人越えにまで伸び、トヨタ・日産・ホンダ・ダイハツ・スズキ・日野といった主要国産メーカーやフォルクスワーゲン等の海外メーカーも無視できずに公式参加するようになっています。東京オートサロンの事務局は往年の月刊誌モーターファンやオートスポーツ等で知られる三栄書房の中にあり、元々は一出版社が主導のイベントとしては驚異的な規模の大きさと言えます。
入場料は特別公開の初日1月13日(金)が3200円、一般公開の2日目・3日目(1月14日・15日)が2200円。初日は東京モーターショーのプレビューデイ3500円よりやや安いものの、一般公開日は東京モーターショーの1600円に比べて割高です。東京モーターショーが中学生以下は無料なのに対して、オートサロンは小学生以下のみが無料です。
●東京オートサロン 入場者配布用 会場マップ&スケジュール (B5版・8折16面)
●人の海・・・・・とても普通のスピードでは歩けない人の海。広い会場をくまなく丁寧に見るのは1日では無理かもです。私は5時間位会場にいて、観たのは精々半分位。思うように歩くことも出来ない、先に進めないという人の多さにすっかり疲れてしまい、全部見るという気力も起きず(汗)。私の場合は1月の平日は忙しくて仕事を休めないので無理なのですが、やはり、時間が取れるならば多少入場料が高くても金曜日の初日「特別公開日」に行くのがベターです。
★東京オートサロンに行く理由
メーカーオリジナルでしかも1960年代乃至1970年代以前の生産車がツボの私の場合、オートサロンのメインとなっている高年式のチューニングカーは、ポルシェを例外として私の芸風にはイマイチ合わないのですが、それでもオートサロンに行くのは正直に言えば以下の理由からですYO。
第1位: 綺麗な女性が見られる。
第2位: 限定トミカが買える。
第3位: 実車メーカーの新型車等の展示が見られる。
第4位: ポルシェのチューニングカーが見られる。
★コンパニオン
という訳でオートサロンの華、まずはコンパニオンから。露出度の高いコスチュームのブースは幾重にも人垣が出来て殆ど見ることは出来ませんでしたが、あくまで私が見た中での1位から5位をアップしておきます。私は1980年代前半位までホリデーオートやCARトップといったカー雑誌もよく買っていましたが、表紙はいつもクルマでなく女性でした。クルマ好き男子が100%共通して好きなのは女性であることは今も昔も変わりません。ショーでカメラを向けている人々を見ると10代からすっかり白髪になった60代もしくは70代以上と思われる人まで年代は幅広いようです。でも、自分の彼女や奥さんが世界一のゲロマブと思っている人はコンパニオンなどには目もくれずに写真など撮らないのでしょうね。もしも私にゲロマブ奥さんがいたらコンパニオンなどには殆ど目を向けない気がするのです。でも、「他人の芝生は綺麗に見える」の諺じゃないですが、綺麗な奥さんや彼女がいても綺麗なコンパニオンにはつい目移りするという人も案外世の中にはいるのかもしれないですね☆☆
【第1位】 完璧美女で賞
【第2位】 和風美女で賞
【第3位】 洋風美女で賞
【第4位】 優等生ぽいで賞
【第5位】 まあイケてるで賞
●ダットサン240Z 「1972年モンテカルロラリー3位入賞車」
ダンロップ・ブースの展示車。赤に黒ボンネットの古い日産のラリー車はいつ見てもそそられます♪
●1982年 スカイライン・シルエット
男の仕事場
●サニトラ3連発
ナショルカラー
●新型ホンダ・シビック
今回のオートサロンの目玉とも言える日本初公開の新型シビック。2017年夏、国内販売開始予定。タイプR・ハッチバック・セダンの3タイプあり、タイプRは先代のような台数限定ではなく通常のカタログモデルとなり英国組立車を輸入する模様。
タイプR
リアビューは中々凄みのあるデザイン
ハッチバック
セダン
●ホンダS660無限「GARU」
これよりもノーマルのS660の方が美しい気がする。
●ニッサンGT--R
GT-Rの親子
●パガーニ・ウアイラ
2011年にデビューしたイタリアのパガーニ・アウトモビリのスーパースポーツ。V12エンジン730PS/5,000rpm、パワーウェイトレシオ1.85Kg/PS、最高速度は370km/hの怪物。
●2007年 光岡オロチ
●2017年トヨタ・ヤリスWRC
トヨタが今季からエントリーするWRC参戦車両。
●スバルBRZレーシング
●スズキ・イグニス
●トヨタ86「「ネッツ兵庫☆トミカ 86レーシング」
今回のオートサロンで限定トミカになったクルマ。
●ポルシェ 点景
●「ミニカー改造のススメ」コーナー
恒例の小スケールミニカー改造作品の展示コーナー。
P-Tさんの作品
横浜ワンダーランドマーケットのコンテスト連覇で有名な昭和な人さんの作品
【物販コーナー】
●限定トミカ
思わず目眩がしそうなトミカを買い求める人達の長蛇の列。私が行った時で70分待ち。
トミカプレミアム試作品2台
●エブロ
ニューイヤーミーティングでも毎年恒例の定価の半額以下の2000円均一。
1/20スケール日産R381とR382。エブロブースにいた木谷社長に伺ったら、社長自らスロットキットを元に完成品に仕上げたものとのお話でした。
●スパーク
1/64の小スケールから高価な1/12大スケールまでポルシェがやたらに多いという、ポケットの軽いワタシのようなポルシェ・コレクターには頭痛がするようなラインナップ。
●ダイハツ特注ミニカー
1/32スケール位のプルパックながら、なかなか良い出来♪(買わなかったけど)
ハイゼットだけでも凄いカラバリ(@_@;)
●トヨタ特注ミニカー
1/43スケールで全て1台14000円と高価にも係わらず品切れ品が出る程売れていてビックリ。
●マツダ特注ミニカー
後ろは1/12ロードスター・シャシー模型で2017年夏頃に4万円前後で市販予定とのこと。
●絶版トミカ・コーナー
●絶版プラモデル・コーナー
★オマケ(その1): 東京オートサロンで購入したトミカ
今回のオートサロンでは4種類のトミカが発売され、1人3台まで購入可となっていました。長野のブロ友さんなどにお送りすることを考えて今回は3台ずつ購入。実際にはチケット・チェックなどされないので、最後尾に並び直す気合いさえあればもっと沢山買えます。初日には東京のショップがかなり大量に買い付けに来た模様で、会場定価は4台2900円のところを既に5000~6000円で売られているようです。入場料と交通費、更に長蛇の列に長時間並ぶ時間や手間を考えれば法外に高くはないと言えるのかも。
★オマケ(その2): 幕張メッセのカツカレー
会場内で昼食に食べたカツカレー。ご飯が冷たい、カツが冷たくて薄くて硬い、カレーに全く具が入っていないと三拍子揃っており(爆)、1000円は法外に高い気がしました(大汗)。