★今日は前回(12月15日記事)非常に不評だった「私のスパニッシュギター」シリーズの第2弾です。
例え1人でも聴いて下さる人がいればOKとの思いでアップしますNE(爆汗)。私がスパニッシュギターをかじった経緯は前回と全く同じものですが以下に再録します。
★1972年の春、私が中学に上がった時、同じ中学の2つ上にK先輩がいた。
K先輩はスパニッシュギターの名手で「アルハンブラ宮殿の思い出」(Recuerdos de la Alhambra)や「アストゥリアス」(Asturias)を軽々と弾きこなした。凄く憧れた。それで私もスパニッシュギターをかじることになるのだが、翌1973年にはビートルズの洗礼を受けたためエレクトリックギターに興味が向いてしまった。そんな状況の中で中途半端ながらも、K先輩が弾いていて憧れた曲は自分でもどうしても弾いてみたい衝動に駆られて為せば成る式に猛烈に練習して一通り弾きたい曲をマスターしたのだった。
K先輩は高校卒業後、本場のギターを学びにスペインに留学したのだが、帰国して間もなく自殺してしまった。K先輩の葬儀の日のことは今でもよく覚えている。瓦屋根の古い木造のK先輩の家の1階の居間にギターと棺がおかれていた。もしK先輩が自死していなければ一流のギタリストになっていたに違いない、と今でも思う。
●1973年4月 アリア ギター 広告
アリアの名称で知られるギターの製造メーカー荒井貿易株式会社(名古屋市千種区)の設立は1956年(昭和31年)8月。現会長の荒井史郎氏が資本金100万円で起業した。自社ブランド「Aria」を立ち上げたのは起業4年後の1960年(昭和35年)のことであった。「Aria」は「詠唱」などを意味し、Ariaブランドで発売する前は「アライギター」の名称で販売していた。1975年(昭和50年)以降は、エレクトリックギターは「Aria Pro」(またはProⅡ)の名称で販売している。
この広告では手工ガットギターがフィーチャーされ、俣野 勝 製作と製作家名も記載されている。俣野 勝氏は音の魔術師の異名を持つギター製作家であった。
●グラナドス 「オリエンタル」 (Granados Oriental)electric guitar by porsche356A 1977
1977年、17歳乃至18歳の私の演奏。K先輩の影響で弾きたいと思ったスパニッシュギターの曲を為せば成る式に弾いていた頃のもの。
エンリケ・グラナドス(Pantaleón Enrique Joaquín Granados y Campiña : 1867年7月27日-1916年3月24日)は、スペイン近代音楽の作曲家・ピアニスト。前回の「私のスパニッシュギター」で御紹介したイサーク・アルベニス(1860年-1909年)と並びスペインを代表する作曲家。
この「オリエンタル」の原曲はピアノ用に作曲された「スペイン舞曲第2番」。ピアノ譜をそのままギター1本で弾くことは不可能なため、この録音はエレクトリック・ギター2本分の音をオーバーダビングしています。
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★グラナドス 「オリエンタル」 私のスパニッシュギター(2) ~ 1977年の音源から
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