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Channel: ポルシェ356Aカレラ
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★1928年 スチュードベーカー 戦前 梁瀬発行 日本語版 ~ 自動車カタログ棚から 269

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私は日本古来の所謂「男子厨房に入らず」派で基本キッチンに立つということはしない。その気になればカレーライスとか味噌汁位は作れるが、まず作ることはない。キッチンに立つよりも、時間があれば家では出来るだけギターやピアノを弾いていたいのです。
でも、ぷぷっ、万一、私にゲロマブ奥様が出来て、「ねえ、あなた、ご飯作って~」なんて言われたものなら、元来が凝り性なので猛烈にレシピを勉強して、ゲロマブ奥様に「美味しいわ!」なんて言われたくて料理を本気で作る可能性があります(爆)。
ここ最近の私の三度の食事というと、朝食がカツサンドとかテリヤキバーガー、昼食がカツ丼とか天丼、夕食がエビフライ定食とか串カツ定食とかカツカレーといった風で大好物の揚げ物が中心。勿論、自分で作ることは一切なく、全て人が作ったものを食べる。ただ、数年前にお腹が出過ぎてズボンが軒並み入らなくなったことがあって、またお腹が出ないように基本ご飯(白米)は食べない。ココ壱番屋などでカツカレーを食べてもカレーのルーとカツと甘酢らっきょうだけ食べる。ご飯は食べても3分の1程度まで。定食などではオカズだけ食べてご飯には全く箸を付けないこともあります。でも、ご飯にも栄養があって、最近、こうした炭水化物ダイエットはあまり体によくないと人から聞いたのでどうしようか少々思案中なのです。
そう言えば、最近、野菜は定食に付いてくる千切りキャベツ以外は殆ど食べておらず、実はトマト(ミニトマトではない普通のトマト)を食べたい衝動に駆られているのですが、「トマトをスーパーなどで買ってきて、トマトを切ってお皿に載せて食べて、更にお皿を洗って食器棚に片づけて」といった一連の所作の面倒を考えると、「まあ、トマトなんて食べなくてもいいか~」となってしまうのです。それでも何故か私の定期健康診断の結果は毎年概ね良好で、ぷぷっ、悪いのは数学・物理・化学では偏差値25を採ったことのある頭だけかもって感じなのです(爆)。


閑話休題
明日はスタジオ練習日。新曲3つ程、真剣にギターの個人練習をして、それと今年のライブでは私のボーカル曲もあるので真剣に歌の練習もして、とブログ記事を書いている余裕はないとも言えるのですが、なるべくアメブロ更新週1回のペースを変えたくはないので、サクっと1記事アップしておきます。
人前に出るのは基本嫌いなのに音楽を演奏するのは好き、繊細で神経質なのに目立ちたがり屋というちょっと複雑な私のメインの趣味はやはり音楽。もし自動車カタログなどのコレクションを焼失したとしても、私には音楽という拠り所≒逃げ場があるのは幸せなことです。でも若い頃は人前で楽器を弾いても歌ってもアガることが全くなかったのが最近は若い頃ほどは無我夢中になれていないのかアガります。ここだけの内緒話ですが、どうしてもアガりそうな時には、「アイ、ラヴ、ジョン・レノン」と小さく呟きます。緊張を解くには、これが一番効きます。

こんな古いクルマの記事はつまらない」という声が多いとは思いますが、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズの第269回として、戦前、1928年(昭和3年)のスチュードベーカー日本語版カタログをピックアップします。



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★1852年(嘉永4年)より1967年(昭和42年)まで115年間存続したアメリカの車両メーカー「スチュードベーカー」(Studebaker)はガソリン自動車の誕生以前は全米トップの馬車製造メーカーであった。
1897年(明治30年)から1967年(昭和42年)までの70年間は自動車の製造を行った。その間、1928年(昭和3年)にはピアスアロー、1954年(昭和29年)にはパッカードというアメリカを代表する高級車メーカーを吸収合併した。

★1852年2月、インディアナ州サウスベンドにヘンリーとクレメント・スチュードベーカー(Henry & Clement Studebaker)兄弟が資本金68ドルで鍛冶屋「H&Cスチュードベーカー」を開店し、馬車の製造および修理業務を始めたのが始まりであり、その時点で兄のヘンリー26歳、弟のクレメントは弱冠21歳であった。
その後、更に弟3人が加わり5人兄弟で業務を開始し1868年(慶応3年)には社名をスチュードベーカー・ブラザース・マニュファクチャリング・カンパニー(Studebaker Brothers Mfg. Co.)に変更した。ダッジブラザース等、アメリカには同じように当初兄弟で起業したという自動車メーカーがあった。

★今回ご紹介するカタログは1928年(昭和3年)のスチュードベーカーで米本国版ではなく梁瀬自動車発行の日本語版。
日本で発行された戦前のアメリカ車のカタログは一般に稀少で本国版カタログより現存するものは桁違いに少ない。東京を始めとする大都市が戦火に包まれたこの日本で現在まで生き延びてきた戦前のカタログは運にも恵まれている。超富裕層に顧客が限られた戦前の日本とは異なり、T型フォードの普及により既に爆発的なモータリゼーションが進んでいた米本国では元々カタログも発行部数が多かった上に、アメリカ本土が戦場とはならなかったが故に特に気候の良い西海岸あたりでは良い状態で残っている戦前の自動車(車両)やカタログは数が多いと言われる。
スチュードベーカーの1928年はモデル末期であり、現在名車として評価も高い1929年型において大幅なモデルチェンジがされる前年のもの。1928年は上述の通りスチュードベーカーが超高級ブランド「ピアスアロー」(Pierce-Arrow Motor Car Co.)を吸収合併した年にも当る。
ラインナップは大きく3種あり、下からホイールベース3424㎜(113寸)6気筒の「ディレクター」、ホイールベース3636㎜(120寸)6気筒のコマンダー(カタログでの日本語表記はコンマンダー)、ホイールベース3969㎜(131寸)8気筒のプレジデント。カタログに掲載されたボディタイプは箱型(セダン)・幌型(フェートン)・2人乗りクーペ・ビクトリア(4人乗りクーペ)・スポーツロードスター等と豊富だが、恐らく全ての車種が日本に輸入されてはいないと思われ、リムジンや2人乗りクーペ、スポーツロードスターといった特殊な車種までが当時の日本に上陸したのかどうかは不明である。昭和の初め、オーナードライバーは極く稀でありクルマを持つ人はお抱え運転手を雇うのが普通だった時代であるので(日本でオーナードライバーが主流となるのは30年以上後の1960年代のことである)、カタログには掲載されていても日本では全く売れなかった車種もあるのではないだろうか。


【主要スペック】 1928年 スチュードベーカー・プレジデント8気筒リムジン (1928 Studebaker President 8 Series FA Limousine)
全長5029㎜・全幅1757㎜・全高1878㎜・ホイールベース3969㎜・車重1993kg・FR・L型ヘッド水冷直列8気筒5515cc(336.6 cu. in.)・最高出力109ps/2600rpm・最大トルク:不明・変速機3速フロアMT・ブレーキ:四輪ドラム・サスペンション:前後半楕円リジット・電装系6V・乗車定員7名・最小回転半径6818mm・ホイール:木製砲車型・最高速度:不明・生産台数13186台・販売価格:米本国$2450.00・日本国内12,000円


●1928年 スチュードベーカー プレジデント 広報写真 (その1)
雪の日の1枚。奥様が黒人のように見えます。人種違いのカップルはこの時代では珍しかったのでは。
広報(1)黒人


●1928年 スチュードベーカー プレジデント 広報写真 (その2)
毛皮を着た男女が今しもクルマに乗り込もうとしている情景。
広報(2)毛皮男女


●1928年 スチュードベーカー プレジデント 広報写真 (その3)
男女と大型犬との1枚。
広報(3)大型犬


●1928年 スチュードベーカー コマンダー2人乗りクーペ 広報写真
運転しているのもクルマの背後にも女性。ボンネット・フェンダーが黒という変則的なツートン塗装。
広報(4)クーペ女性


●1928年 スチュードベーカー 実動写真
クルマの前に立つ女の子は現在はもう90歳前後のはず。
実動写真


●1927年 スチュードベーカー プレジデント 雑誌広告 (その1)
1821年創刊の米週刊誌「The Saturday Evening Post」に載った広告。この年のプレジデントは価格$2245。今回のカタログとは1年違いだが基本スタイルは変わらない。
広告(1)


●1927年 スチュードベーカー プレジデント 雑誌広告 (その2)
これも「The Saturday Evening Post」に載った広告。上掲のバリエーション広告。
広告(2)


●1927年 スチュードベーカー コマンダー 雑誌広告 
$1585の中級グレード・コマンダーセダンの広告。掲載雑誌は不明。
広告(3)





●1928年 スチュードベーカー 本カタログ (縦23×横30.7cm・日本語36頁)
1928年3月発行。スチュードベーカー日本総代理店だった梁瀬自動車株式会社(東京市京橋区南伝馬町2丁目)の発行した貴重な日本語版。基本的にアメリカ本国版カタログの言語替えだが、当時の日本での顧客は華族や大会社の社長といった富裕層に限られていたので、中流の人々を顧客としたアメリカ本国の英文カタログに比べて発行部数は桁違いに少ないと思われる。上品な色調の上質な紙が使用された表紙の中央の乗馬とクルマの絵は手間をかけて別の紙が貼られている。
(1)表紙


扉頁:「最新式スチュードベーカー自動車」、「日本総代理店 梁瀬自動車株式会社」の印字。上にスチュードベーカーのマスコットが描かれている。梁瀬の支店として大阪・名古屋・博多・横浜、出張所として京都・広島・松山・京城(ソウル)・紐育(ニューヨーク)の印字がされている。
(2)扉頁


~以下、中の頁から抜粋~

【スチュードベーカー世界各地での活躍】
左上: 「重荷を積んでエルサレムから有名なシナイ大砂漠を横断してエジプトのカイロへ無事帰着し堅牢無比を証明しました。」
中央: 「アブジエンキンス氏は紐育(ニューヨーク)から桑港(サンフランシスコ)間を特別急行列車より6時間25分早く走破し驚くべき新レコードを作りました。」・・・戦前の日本でサンフランシスコを「桑港」と書いたのは、元々「桑方西斯哥(ソーホーシスコ)」と表記していたのを港町であることから「港」を最後に付け「桑方西斯哥港」と表記していたが、あまりに長いので最初と最後の1文字だけに略して「桑港」とし、「紐育」は中国語でのニューヨークの表記「紐約」が転じて日本で使われていたもの。
右下: 「オーストラリアでは毎日半分水に浸って河を渡り防水イグニッションの優秀であることを証明している。」
(3)各地での活躍


最新式スチュードベーカー自動車の特長(20項目)
(4)20項目の特長


上級グレード「プレジデント8気筒車」 解説
(5)プレジデント解説


プレジデントの室内
(6)プレジデント室内


プレジデント8気筒車7人乗りステートリムジン型
(7)ステートリムジン


プレジデント8気筒車7人乗りセダン型および5人乗りセダン型(左下)
(8)7人乗セダン


プレジデント8気筒車7人乗り幌型フェートンおよび7人乗りステートセダン(左下)
(9)7人乗幌型フェートン


中級グレード「コマンダー型」 解説
(10)コマンダー解説

コマンダーの室内およびランブル・シート。リアウインドはランブル・シートに座った人と話が出来るよう開閉式になっている旨が記されている。
(11)コマンダー室内ランブルシート


コマンダー5人乗りリーガルセダンおよび5人乗りセダン(右下)
(12)5人乗リーガルセダン


コマンダー4人乗りリーガルビクトリア型および4人乗りビクトリア型(左下)
(13)コマンダー4人乗ビクトリア


コマンダー4人乗りロードスター型および2人乗りクーペ型(右下)
(14)コマンダーロードスター


下位グレード「ディレクター型」 解説
(15)ディレクター解説

ディレクターの室内
(16)ディレクター室内


ディレクター5人乗りロイヤルセダンおよび5人乗りセダン(左下)
(17)ディレクターロイヤルセダン


ディレクター5人又は7人乗り幌型フェートンおよびスポーツロードスター型(右下)・・・フェートンは後端まで座席スペースの保守的な幌型スタイルであるのに対しロードスターはランブルシートを備えリアエンドが滑らかに弧を描いたスポーティーなスタイル。
(18)ディレクター5or7人乗り幌型


ディレクター2人乗りクーペおよび4人乗りロイヤルクーペ
(19)ディレクター2人乗クーペ


プレジデント用8気筒エンジン
(20)プレジデント8気筒エンジン


コマンダー用6気筒エンジン
(21)コマンダー6気筒エンジン


エンジン潤滑図、ブレーキほか
(22)エンジン潤滑図ブレーキ他


シャシー、サスペンション
(23)シャシー・サスペンション


ボディ構造、室内換気ほか
(24)ボディ構造・換気


プレジデント型(8気筒)スペック・・・・・ホイールベース・全長・全幅・全高・トレッド等が全て「寸」単位で表記されている。
(25)プレジデント・スペック


コマンダー型(6気筒)スペック
(26)コマンダー・スペック


ディレクター型(6気筒)スペック
(27)ディレクター・スペック


●定価表
付属の定価表には今回のカタログには掲載はされていない車種「アースキン」2種とスチュードベーカー9種、計11車種の価格が掲載されている。アースキンは1915年(大正4年)からスチュードベーカーの社長を務めたアルバート・アースキン(Albert R. Erskine)の名を冠して1927年(昭和2年)に欧州市場向けに発売された小型車であったが高価故に売れず、1930年(昭和5年)までの僅か3年という短命に終わった。最廉価車アースキン5人乗り幌型(フェートン)の4000円からスチュードベーカー・プレジデント7人乗り箱型リムジンの12000円までの価格を現在の貨幣価値に換算すると、1928年(昭和3年)当時の花形職業デパートガールの給料が20円というデータがあるので大雑把に現在は1万倍として、プレジデント・リムジンの1万2000円は現在なら1億2000万、最廉価車のアースキン6気筒の4000円でも現在なら4000万円相当ということになる。ちなみに当時、日本での組立を始め、タクシーとして大量に使用された大阪製シボレー、横浜製フォードの1928年型は何れも2500円程度で現在なら2500万円位の価格であったので、スチュードベーカーは高級車として当時既に有名だったキャデラックやリンカーンには及ばないながらもハイクラスの乗用車であった。日本国内の話題では、この1928年(昭和3年)という年に三ツ矢サイダー(売価21銭)に対抗してキリンレモンが登場、崎陽軒がしゅうまい弁当を発売している。
(28)定価表





★オマケ(その1): 1928年スチュードベーカー コマンダー 米陸軍参謀車 動画    1928 Studebaker Commander Army Staff Car
1928年スチュードベーカーのミニチュアが手元にありませんので、残念ながら今回はオマケに立体造形物(ミニカー等)はなしです。




★オマケ(その2): 今回のカタログ発行年と同じ1928年(昭和3年)生まれの有名人
今回のカタログと同年生まれの方を調べてみました(順不同・敬称略)。きっとご存知の方もいるかと思います。お元気であれば2015年の誕生日で満87歳ということになります。
渥美 清(俳優)・宮城 まり子(女優)・手塚 治虫(漫画家)・関谷ひさし(漫画家)・小島 功(漫画家)・久里 洋二(アニメーター)・荒井 注(ドリフターズ)・河合 隼雄(心理学者)・森 毅(数学者)・土井 たか子(政治家)・ 兼高かおる(ジャーナリスト)・コーリン チャップマン(ロータス設立者)・ジェームズ コバーン(俳優)・ボ ディドリー(ロックンローラー)・ アンディー ウォーホル(アーティスト)


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