★「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、涼しくなってきましたね。
普段は仕事に加えてピアノとギターの練習とで忙しく、昨日アップする予定の記事が1日遅くなりました。記事をつくるには資料の整理から始めて内容や構成を考えたりと編集者の楽しみがある反面、計画的に進めないと想定外に時間がかかってしまい収拾がつかなくなりがちです。
今回は自動車カタログ棚シリーズの241回目。1970年代以降あたりのクルマをピックアップする方が遙かにウケが良くコメントも沢山頂けることは百も承知なのですが、今回は戦前のクルマ、今からちょうど80年前の1934年エアフロー(Airflow)です。
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★1934年(昭和9年)春、豊田喜一郎は初めての乗用車開発に当って以下の3つの方針を打ち立てた。
(1)エンジン、フレーム、ボディ関係部品はシボレーの純正部品がそのまま使用できるようにする。
(2)シャシーおよび駆動関係部品はフォードの純正部品がそのまま使用できるようにする。
(3)ボディスタイルは1934年デ ソート・エアフローの流線型を採用する。
即ち、戦前の日本で圧倒的なシェアを誇っていた組立外車シボレーおよびフォードのパーツと汎用性を持たせ、デザインは数年先でも通用するエアフローの流線形を採用するとしたものである。この方針の通り、トヨタ最初のA型エンジンはシボレーのものをコピーして造られ、ボディはエアフローとよく似た流線型とされた。こうして誕生したのがトヨダAA型乗用車であった(本シリーズ第94回記事参照)。
今日、世界一の自動車メーカーともなったトヨタが造った最初の乗用車AA型について、海外では「トヨタ・エアフロー」と若干の揶揄を込めて呼ばれる所以である。
今回はそのトヨタが範とした本家本元のクライスラー(およびデソート)エアフローをピックアップします。
●戦前絵本「自動車ブック」表紙に登場した1935年エアフロー
本来オマケに載せるべきものですが、今回まずはこの絵本から。1936年(昭和11年)3月5日、東京・金井信生堂 発行。品番No.17。裏表紙に東京市神田区東福田町1番地の金井の住所まで印字されているが販売価格の印字はなし。B5判・16頁。画家のクレジットはなし。表紙に描かれている赤いクルマはフロントグリルとサイドルーバーから最初のマイナーチェンジを受けた1935年型エアフロー。後席に乗っているのは日本人の子供に見えるが、背景は横文字ばかりで日本離れしたムード。中味は全ての頁が当時の自動車および自動二輪車で構成された魅力的な絵本。
★ウォルターP.クライスラー(Walter Percy Chrysler; 1875年4月2日-1940年8月18日)がマックスウェル社とチャーマーズ社を統合して自らの名を冠した自動車会社クライスラー社を設立したのは1925年(大正14年)であった。
1928年(昭和3年)、プリムス(Plymouth)とデ・ソート(De Soto)の2つのブランドを立ち上げ、翌1929年(昭和4年)にはダッジ・ブラザース(Dodge Brothers)を買収し、一時はフォードを抜きGMに次ぐアメリカ第2位のメーカーとなった。
クライスラー社の設立から間もない1927年(昭和2年)、航空機の設計にヒントを得て自動車車体の空気抵抗低減のための風洞実験を開始し、1930年代初頭にかけて50を超える試作車の製作を経て、1934年型としてクライスラ・エアフロー(8気筒車)、デソート・エアフロー(廉価版6気筒車)の市販を開始した。
出来得る限り空気抵抗を減らすべく滑らかな曲線でデザインされたボディ、前面にビルトインされたヘッドライト、扁平なフロントグリルを持ったエアフローの外観は極めて斬新で当時の他の自動車達とは大きくイメージが異なっていた。エクステリア・デザインを手掛けたのは、クライスラー社設立時の18人のオリジナルメンバーの1人でチーフデザイナーを任されていたオリバー・クラーク(Oliver Clark)。エアフローは外観だけの見かけ倒しではなく機構的にも先進的であり、頑丈なモノコックボディを採用したこと、フロントアクスルの上にエンジンを置きリアアクスルより前の従来より低い位置にリアシートを置いたことによる室内スペースの拡大と優れた重量配分といった特徴を持っていた。
【1934年型エアフローのラインナップ】
(1) デソート・エアフロー(シリーズSE)・・・ホイールベース2934㎜(115.5インチ)
(2) エアフロー・エイト(シリーズCU)・・・ホイールベース3120㎜(122.8インチ)
(3) エアフロー・インペリアルエイト(シリーズCV)・・・ホイールベース3251mm(128インチ)
(4) エアフロー・カスタムインペリアルエイト(シリーズCX)・・・ホイールベース3492㎜(137.5インチ)
(5) エアフロー・カスタムインペリアルエイト・リムジン(シリーズCW)・・・ホイールベース3721mm(146.5インチ)
このラインナップのうち、(1)デソートと(2)エイトにはスタンダードな4ドアセダン以外にスタイリッシュな2ドアのクーペが存在した。(3)のインペリアルエイトは当時の日本にも少数が上陸しているが、(4)と(5)のカスタムインペリアルエイトおよびリムジンはキャデラックの上位グレードに相当する超豪華車でありリアルタイムに正規輸入はされていない(?)。
★しかし、エアフローは当時あまりにも斬新で奇抜にさえ見えたデザインが災いし、特に自動車購入の際に意見を言う立場にあった米国家庭の御婦人達に敬遠されたことが売上げの低迷に結びついたとも言われ商業的には失敗作となった。更にオーダーに対して十分な供給が出来ないという初期生産体制の不備も重なったと言われる。エアフローはグリル周りをより一般的な意匠に改めるなどの改良(改悪?)を経て、廉価版6気筒のデソートは1936年型まで、8気筒のクライスラーは1937年型までと僅か3~4年という短命に終わったのである。しかし、エアフローが我が国のトヨダAA型をも含めてその後の流線形デザイン全盛時代への導火線となり流線形デザインの象徴的な存在となったこと、その後のアメリカ製乗用車の室内スペースがエアフローのサイズをスタンダードとしたことなどの功績により1930年代のアメリカ車を代表する革新的なクルマとして歴史に残ることとなった。なお、1999年~2010年に生産された、クライスラーPTクルーザー(Chrysler PT Cruiser)は、この1930年代のエアフローをリスペクトした現代流の復刻モデルであった。
【主要スペック】 1934年 クライスラー・エアフロー8 (1934 Chrysler Airflow Eighat Sedan)
全長5283mm・ホイールベース3124mm・車重1686 kg・FR・水冷直列8気筒SV5301cc(323.487cu in)・最高出力122 PS/3400rpm・変速機3速MT・乗車定員6名・最高速度145km/h・日本総代理店「八州自動車」国内販売価格:東京渡し1万1850円(旧七帝大卒の月収50円、丁稚奉公10円という時代なので現在の貨幣価値では約1万倍となり、スタンダードなエアフロー8でも普通の日本人には到底手が届かない1億円を超えるような価格だったと思われます)
●1934年 デソート・エアフロー6気筒 新発売 新聞広告
戦前の大阪朝日新聞に掲載された広告の切抜き。大きさは4分の1面程度。裏面は一般記事で「○日、小倉競馬の結果」などと新聞紙面の慣例で「日にち」だけで肝心な月が記載されておらず、80年前に切り抜きした方が年月日のメモもされてはいないため残念ながら掲載日は不明。大阪朝日新聞の過去の縮刷版を丹念に調べれば分かるのかもしれません。1934年(昭和9年)1月に本国でデビューした後に日本に上陸した際のものなので、1934年(昭和9年)であることは間違いないと思われます。
「馬のない馬車である在来の自動車の時代が過ぎて新自動車エアフローが発表されました・・・・外観が異なると同時に実質に於いても画期的進歩を示している・・・・・関西総代理店輸入元 山城自動車商店 大阪市北区曽根崎上四丁目」と印字がされている。当時のクライスラーの国内輸入元は東京赤坂山王の八州自動車(ヤシマジドウシャ)であったので、戦後、ポルシェの輸入販売を首都圏では三和自動車が一貫して行い関西では昌和自動車および豊和自動車が販売を行っていたのと同じように、戦前の関西ではクライスラー系は山城自動車商店が販売していたということか、あるいはクライスラー系の中で廉価車のデソートだけを切り離して山城自動車商店が輸入販売を一貫して行っていたということなのか不明なのですが、八州自動車には大阪支店・出張所が存在したこと、八州自動車のカタログや広報誌にはデソートの文字が見当たらないことからエアフローの中でもデソートのみは大阪の山城自動車商店が輸入していたとも推測することができます。
文字部分のアップ
●1934年 デソート・エアフロー6気筒 新聞広告
これも戦前の大阪朝日新聞に掲載された広告の切抜き。大きさは4分の1面程度。これも裏面の記事に発行年月日を示す印字が見当たらないが、1934年(昭和9年)には間違いないものと思われます。特徴的な1934年型デソート・エアフローを真正面から写した横に男女を配した魅力的なグラフィック。「驚くべき差異」のタイトルで従来の自動車と如何に異なるか御試乗いただければ真価が分かるといった旨がこれも山城自動車のクレジットで掲載されている。この広告では「デソート自動車総代理店・輸入元・山城自動車商店」と印字されている。
●1934年クライスラーエアフロー広報写真
ユニオン・パシフィック鉄道の流線型機関車と1934年エアフロー
エアフロー・カスタムインペリアルエイト・リムジン(シリーズCW)・・・・・化け物のように長大なボディ。
●1934年 クライスラー 総合カタログ (縦22×横28.5cm・紐綴じ・日本語・20頁)
東京市赤坂区田町四丁目の八州自動車発行の日本語版カタログで前半の10頁はエアフローエイト、後半は旧来のクライスラー6(CAおよびCBシリーズ)が掲載されている。スペックの掲載がないためコンセプトカタログのような体裁(あるいはスペック表のみ別途配布されていた?)。カタログにはエアフローのうち、中位グレードと言えるエアフロー・エイトのみが掲載されており、下位グレードのデソート・エアフローおよび上位グレードのインペリアルエイトやリムジンの掲載はなし。米本国版カタログは各グレード毎にある模様で特にインペリアルは豪華な専用カタログが出されているようだ。このカタログも本国版を日本語に翻訳して発行されている。表紙の中央に八州自動車販売部、左端に販売部員 西村隆壽氏の印あり。80年を経ているので、仮にこの西村氏が当時25歳だったとしても現在は105歳となられているはずで恐らく鬼籍に入られているだろう。あるいは太平洋戦争で命を落とされているかもしれない。
【中頁から】
冒頭はクライスラー社長の言葉を日本語に翻訳した「1934 クライスラー新エーヤ フロー型八気筒セダン発表に就いて」と題する文語体の長文で、要約すると、新車エアフローは外観が普通と変って見えるがそれは最新科学技術の自然の結晶であり創造的芸術にも満たされており、クライスラー社創業10年に際してこのエアフローを発表できたことは光栄であるといったことが記されている。エアフローの日本語表記が、ソーラン節を連想させるような「エーヤ フロー」となっているのが興味深い。
クライスラー・エアフロー・エイト・セダン(6人乗)
室内
ダッシュボードのアップ
シートのアップ: シートは軽量かつ頑丈なパイプフレームで組まれている。
既に80年の時を経ているので、この美しい女性は当時20歳だったとしても現在は100歳を越えているはず。
エンジン・シートのレイアウト図および従来車に比べて空気抵抗が低いことを示す風流図。エンジンが前車軸の真上に載り、リアシートが後車軸の前の低い位置にあることがよく判る。
フロントおよびリア・・・前後共に2分割ウインド。リアには外部から開閉できるトランクがなく荷物はリアシートを倒して出し入れする。
モノコックの骨格と特徴的なヘッドライト
モノコック骨組のアップ
ヘッドライトのアップ
細部の写真
フロントウインドはレギュレーターで大きく前へ開閉
美女が座る後席横の小さなサイドウインドも開閉可能
リアシートを跳ね上げて出し入れするトランク
裏表紙: 八州自動車の横文字に東京・大阪の印字
●1934年クライスラー乗用自動車 定価表 (縦15.5×横23.2cm・両面1枚)
1934年(昭和9年)3月1日発行。上掲の日本語版カタログと一緒に保存されていた八州自動車発行の価格表。通常は2つ折にして配布。これにもカタログと同じ販売部員 西村隆壽氏の印が押されている。旧来のCA型およびCB型と共にエアフロー・エイト(6人乗) 1万1850円、エアフロー・インペリアルエイト(6人乗) 1万3500円、更に価格は空欄となっているがエアフローカスタムインペリアルセダンリムジン型(8人乗)の記載がされている。
●1936年クライスラー乗用自動車 定価表 (縦15.5×横21cm・両面1枚)
1936年(昭和11年)3月発行。手元にない1935年を飛ばしてエアフロー3年目の八州自動車発行1936年クライスラー国内価格表。エアフロー・エイト(6人乗) 1万2000円、エアフロー・インペリアルエイト(6人乗) 1万4500円と若干値上げされた上、1934年の価格表にはないエアフロー・カスタムインペリアルエイト(8人乗り:シリーズCX)が1万9500円と記載されている。当時の2万円は現在の貨幣価値では2億円位だろうか。
※エアフローの年式別差異などを深く知りたい場合には、エアフロー・クラブ・オブ・アメリカのサイトに詳細が記載されていますのでご参照ください。
【エアフロー・クラブ・オブ・アメリカのURL】 http://www.airflowclub.com/LinkClick.aspx?fileticket=172PV_bYzig=
★オマケ(その1): 1934年クライスラー・エアフロー安全テスト 動画
シカゴ万国に際して33mの崖から落としてそのまま再び走り出すというデモンストレーションを行った際の有名な動画。フロントウインドがレギュレーターで大きく開く様子も確認出来る。
★オマケ(その2): 広報誌「クライスラー・プリムス」1935年3月号
クライスラーの輸入元だった八州自動車が母体となって発行された広報誌。B5判、32頁程の隔月刊誌で発行元は大阪市此花区福島北のプリムス社と記載があるが、中頁には八州自動車の役員等関係者の寄稿文が多く、クライスラー車を自画自賛した内容。これは第1巻第3号だが果たしていつまで発行されていたものか不明。表紙は5つの丸いサイドルーバーが特徴的な1935年型プリムス。
扉頁: マイナーチェンジを受けた1935年型クライスラー・エアフロー(左)と新車種の1935年型クライスラー・エアストリーム(右)
★オマケ(その3): 増田屋齋藤貿易 1934年型デソート・エアフロー玩具の広告
東京玩具商報1935年(昭和10年)3月1日号(通巻376号)に掲載された増田屋齋藤貿易(現 増田屋コーポレーション)の広告からエアフローのモデル玩具2種。上の品番1703番はブリキではなく当時最新素材のセルロイド製で長さ7寸と記載があるので全長21cm程度、下の品番1706は長さ9寸5分とあるので全長29cm程度のブリキ製。どちらのモデルもジャンクでさえ殆ど現存していない。昨年惜しくも鬼籍に入られたCG誌初代編集長の小林彰太郎氏(1929年 11月12日-2013年10月28日)が2013年10月にトヨタ博物館から発行した「昭和の日本 自動車見聞録」のエアフローの項で子供の頃に三越でエアフローの金属製モデルを買ってもらった旨を記述されているのはこの何れかのモデルかもしれない。エアフローの実車は思うように売れなかった割に日本では玩具としては人気があり、倉持商店の全長22cmサイズの1934年型ブリキモデル、同じ倉持の全長30cmサイズの非常に出来の良い1935年型ブリキモデルなど多数がリアルタイムに発売されている。1951年(昭和26年)以降は国会図書館にも寄贈され保存されている戦後の東京玩具商報はB5判だが、戦前はB4判とサイズが大きいため保存が難しく現存するものは少ないようだ。
21cmサイズのセルロイド製1934年エアフロー
29cmサイズのブリキ製1934年エアフロー
★オマケ(その4): 加ブルックリンモデル 1/43スケール 1934年デソート・エアフロー 4ドアセダン
全長12cm。カナダ製のずっしりと重たい近年のホワイトメタル製モデル。ブルックリンモデルNo.7。
★オマケ(その5): 1934年生まれの有名人
今回のカタログと同じ1934年生まれの有名人をピックアップしてみました。既に鬼籍に入られた方もいますが、お元気で誕生日を迎えれば今年で満80歳ということになります。きっと御存知の名前が含まれていることと思います。
石原 裕次郎(俳優)・長門裕之(俳優)・田原 総一朗(ジャーナリスト)・筒井 康隆(作家)・山田 太一(脚本家)・倉本 聰(脚本家)・横山光輝(漫画家)・藤子 不二雄A(漫画家)・池田 満寿夫(画家)・大橋 巨泉(タレント)・愛川 欽也(俳優/タレント)・坂上 二郎(タレント/元コント55号)・ケーシー高峰(コメディアン)・宝田 明(俳優)・中村 メイコ(女優/タレント)・宮尾 すすむ(タレント)・黒川 紀章(建築家)・ブリジット バルドー(女優)・ソフィア ローレン(女優)・ブライアン エプスタイン(ビートルズ・マネージャー)・ハンク アーロン(野球選手)・ジョルジュ ムスタキ(音楽家)・パット ブーン(歌手)・ヒューイ スミス(ピアニスト) ・前田憲男(ピアニスト)・ジョン サーティース(レーシングドライバー)
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★1934年 クライスラー・エアフロー 戦前 流線形の時代 ~ 自動車カタログ棚から 241
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