★ニューヨーク近代美術館に20世紀の工業デザインの傑作として何台かのクルマが展示、永久保存されている。
その1台がジープ。無駄を削ぎ落とした機能美の極致として後世に残すべき1台とされた。自動車史研究の第一人者であった五十嵐平達氏は大変なジープ・ファンでダイレクトな操作感による一流のスポーツカーにも勝るとも劣らない運転の面白さと共に自動車としての総合バランスの良さを絶賛されていた。
★ジープ(Jeep)は、アメリカ陸軍(U.S.Army)が第二次世界大戦中に戦場での機動性確保のため使用した1/4トン(250kg)積み四輪駆動の車両。
開発はウイリス・オーバーランド社が行い、大戦中の1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)にかけてウイリス社製MB型の約36万台とウイリス社が空爆等で生産不能となった場合に備えた第2工場としてのフォード社製GPWが約28万台の合計約64万台が生産され戦地に送りこまれた。
★終戦後、ジープの販路を世界中で民需に求めたウイリス・オーバーランド社は、極東では1949年(昭和24年)に倉敷レイヨン(現クラレ)との共同出資による倉敷フレーザーモータースを設立し、在留外国人向けにジープの国内輸入販売を開始した。翌1950年(昭和25年)8月10日、警察予備隊(その後の自衛隊)が組織されると、その装備にジープが採用されることとなった。その際、国産のトヨタジープBJ型(ランドクルーザーの前身)と日産パトロール4W60型も比較検討されたが、最終的に完成度の高いジープの採用となった。
1952年(昭和27年)7月、倉敷フレーザーモータースが輸入した部品を三菱の名古屋製作所大江工場で組み立てるというノックダウウン方式による組立下請け契約が結ばれ、1953年(昭和28年)2月にCJ3A型を生産開始した。同年9月にはウイリス社と三菱が技術援助および販売契約を結び、輸入部品を使用しない国産ジープへの道を歩み出した。三菱京都製作所ではジープのハリケーンエンジンの国産化に取り組み、1954年(昭和29年)12月10日に1号機を完成させエンジン型式をJH4型とした。このエンジンは後に三菱が生産した乗用車コルト1000やデボネア用のエンジンに発展した。
★三菱ジープは、1953年(昭和28年)2月から1998年(平成10年)6月の最終生産記念車まで45年もの長期に亘り20万2765台が生産された。2人乗り、4人乗り、6人乗り、ワゴンタイプ、消防車、各種特装車とバリエーションは多岐にわたり、エンジンもガソリン・ディーゼル共に改良に改良を重ねられた。1961年以降はオリジナルの左ハンドルから全車右ハンドル化され車両形式名には右ハンを示す「R」が付けられた(「J3型」→「J3R型」)。三菱ジープ45年間のカタログを一度に御紹介することは不可能なため、この項では国産ビンテージ・ジープと言える1960年(昭和35年)までのウイリス・ジープと同様に左ハンドルだった時代の三菱ジープのカタログをご紹介します。
★三菱ジープの登場する映画としては、1962年(昭和37年)の日活「憎いあンちくしょう」が必見。
ロードムービーの傑作。東京から九州の無医村までジープを陸送する当時27歳の石原裕次郎とジャガーXK120で裕次郎を追う当時22歳の浅丘ルリ子。高速道路のない時代、ひたすら一般道を走る旅をドキュメンタリータッチで描く。フィルムに映りこんだ1960年代初頭(昭和30年代半ば)の時代の空気が素晴らしい。半世紀前の日本は一級国道でさえ無舗装の地域があったことに驚く。裕次郎が運転する三菱ジープは左ハンドル時代の車両。裕次郎ファンは勿論、自動車ファン、旧車ファン必見の一作。ラスト近くで裕次郎が「愛は言葉じゃない」と言うセリフが印象に残る。カラー105分。監督:蔵原惟繕。脚本:山田信夫。出演:石原裕次郎・浅丘ルリ子・芦川いづみ・長門裕之・川地民夫ほか。現在、HDリマスター版DVDが1890円で入手可能(この記事のオマケ動画でクライマックス場面が見られます)。
・映画の中で裕次郎が左ハンドルの三菱ジープを運転している画像。初期の左ハンドルであることとナンバーが「1そ 0711」であることが確認出来る。
・映画「憎いあンちくしょう」 スチール写真
裕次郎が替え玉運転手を殴る場面
【主要スペック】 1955年 三菱ウイリス ジープCJ3B-J3型
(Mitsubishi- Willys Jeep Typ : CJ3B-J3)
全長3388㎜・全幅1688㎜・全高1895㎜・ホイールベース2032㎜・車重1056kg・四駆・H4型Fヘッド2199ccガソリン・最高出力70ps/4000rpm・最大トルク15kgm/2000rpm・3速MT・電装系6V・乗車定員4名(2名+250kg)・燃費10km/L・最高速95km/h
●1952年?ウイリス ジープ カタログ(21×21㎝・4つ折)
三菱でのノックダウン前夜、倉敷フレーザーモーター発行の貴重な日本語版。
※中頁から
●1955年? 三菱ウイリスジープCJ3B-J3型 カタログ(A4判近似・4つ折)
表紙のジープの絵に味わいはあるが異様にバランスが崩れているのは自動車には全く関心のない画家の手によるためだろうか。古い三菱のカタログには発行年月の記載がないため発行年は推定。
※中頁から
※裏面スペック
●1956年? 三菱ウイリスジープCJ3B型 カタログ(縦17×横26cm・3つ折)
裏面
●1958年? 三菱ウイリスジープCJ3B-J10型6人乗 カタログ(A4判・4つ折)
※中頁から
●1958年? 三菱ディーゼルジープCJ3B-JC3型4人乗 カタログ(A4判・3つ折)
ディーゼル車は形式名に「C」が付く。階段を昇るジープを運転するオールバック・ポマードでスーツを着た人がまるでジープに似合ってないのが面白い。
※中頁から
●1958年? 三菱ディーゼルジープCJ3B-JC10型6人乗 カタログ(A4判・8頁)
※中頁から
●1958年? 三菱ジープ・デリバリ・ワゴンCJ3B-J11型5人乗 カタログ(A4判・8頁)
1956年には耐候性の高い全鋼製ワゴンが登場。
※中頁から
●1959年? 三菱ジープCJ3B-J3型 カタログ(A4判・12頁)
左ハンドル時代の三菱ジープでは最も頁数もある傑作カタログ。表紙のイラストも魅力的。
※中頁から
過酷な路面状況での走破性のアピールと幅広い使用例の紹介
●1960年? 三菱ジープ総合カタログ(A4判・2つ折)
J3型・6名乗りのJ10型・ワゴンのJ11型に加えて消防車などの特装車も掲載された総合版。
●1998年6月発行 三菱ジープ最終生産記念車 カタログ(縦30×横26cm・16頁)
三菱ジープ最後のカタログ。歴代三菱ジープを回顧した頁もあり最後のカタログらしい良い内容。
※中頁から
三菱の歴代ジープの数々を紹介した頁
★オマケ(その1): 1962年日活映画「憎いあンちくしょう」クライマックス
石原裕次郎が運転する左ハンドル三菱ジープと浅丘ルリ子が運転するジャガーXK120がランデブーで関門トンネルを抜け九州に上陸。7:00位でジャガーXK120が谷底へ落ちるが、落ちるジャガーは別のクルマの画像に差し替えられている。流石に当時映画でジャガーXK120を1台潰すのは無理だったのだろう。
★オマケ(その2): 戦場におけるジープ 映像集
終戦後のマリリン・モンローも登場。水陸両用ジープGPAの姿も見られる。
★オマケ(その3): 萬代屋(現バンダイ) 1/17スケール 1959年三菱ウイリス・ジープCJ3B-J3型
当時定価220円。萬代屋 商品番号555。全長約18cm。戦後の日本人にとって進駐軍が持ち込み日本中で走り回らせていたジープは非常にポピュラーな乗り物であったので、その玩具は夜店で売られたような駄玩を含めて星の数ほど種類がある。ジープのモデルだけを集めても立派なコレクションが出来る。そんな中で萬代屋は唯一、左ハンドル時代の三菱ジープをモデル化していた。フロントとサイドには三菱マークと共にウイリスのロゴが刻印されている。シルバー塗装のモデルが初版でフロントウインドに三菱マークの入ったガラス入り。箱は川を渡る写真のものが初版、国旗が付いた黄色と赤のものが後期製品のもの。萬代屋のシルバーピジョンや三輪ペットレオのモデルと共にこのジープも三菱の販促品(ノベルティ)としても使用されたようだ。右ハンドル以降の三菱ジープのモデルではトミカNo.25-1のJ3Rが有名。
【 1stモデル 】
【 2ndモデル 】
箱の横には萬代屋製三菱車スケールモデルのラインナップが印刷されている
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★1950年代の三菱ウイリスジープ 憎いあンちくしょう 裕次郎 ~ 自動車カタログ棚から 140
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