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★1962年 旭玩具製作所 国産初のミニカー・モデルペット ~ 玩具・模型カタログ棚から 012

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★国産初のダイキャストミニカー「モデルペット」や1962年クライスラーインペリアルの金属玩具(ブリキモデル)で有名なアサヒ玩具の歴史は古く、手元にある1960年代の年次製品カタログ中の記載によれば1931年(昭和6年)に「岸玩具」の名称で創業したとある。
その後、戦後1948年(昭和23年)に「株式会社 旭玩具製作所」に改称、更に1963年(昭和38年)には「株式会社アサヒ玩具」に再度改称した。1950~1960年代にかけては自動車を中心とする金属製玩具(ブリキ)の製品を多数リリース、1969年(昭和44年)に女子児童向けのママレンジ、1971年(昭和46年)にはアメリカン・クラッカーがヒットした後、1973年にはモデルペットの生産を中止、1982年(昭和57年)に惜しくも倒産し玩具業界から姿を消した。なお、アサヒ玩具の創業年についてネット上に1937年(昭和12年)とした情報がありますが、手元にあるアサヒ玩具のカタログには創業は1931年と記載されています。
モデルペットの自社製造販売の開始に引き続いて、アサヒは1960年代初頭に英コーギー、仏ソリド、伊マーキュリー等のミニカーや米AMT、米モノグラムのプラモデルの輸入代理店ともなり、優れた海外製品の輸入販売も行った。
アサヒ玩具倒産後、1980年代半ばに多数の1960年代のアサヒの年次製品カタログが下北沢のアンティークトイ・ショップの店頭で売られていたことがあり(但しその時の価格は1冊3~4万円とおいそれとは手が出ない高額なものでした)、また、その後もオークション等に纏めて出てきたりとアサヒのカタログは何故か他の玩具メーカーのものに比べると割合現存している印象があります。今回は手許にあるアサヒのカタログの中では一番古い1962年版をご紹介します。


●1959年10月 旭玩具製作所 本社新築完成の御案内
国立国会図書館所蔵「東京玩具商報1959年10月号」より。1959年8月の地上4階地下1階の冷暖房装置完備の最新式ビルが完成した際の広告。新築のビルには業務の中心であった輸出部が入り、住居を兼ねていたと思われる2棟を挟んで小さな商店のような内地部の建物が並んでいる。右から2つ目の建物1階のガレージの納まっているのは社用車だろうか、当時最新の1959年式トヨペットクラウンRS20系に見える。大手自動車メーカーなどに比べると玩具業界大手のアサヒといえども小さな会社だったことがよく判る1枚。
社屋写真


●1959年11月 モデルペット発売のお知らせ
国立国会図書館所蔵「東京玩具商報1959年11月号」より。「国産自動車を各自動車会社の御協賛のもとに30種程、生産計画し12月初旬より取り敢えず3点発表することになりました」と記載があり、モデルペットの発売時期を1959年10月とした故・中島登氏の著書の記載より発売時期が2ヵ月遅い。この広告の記載の通りとするとモデルペットの発売は1959年12月初めということになる。最下段のマツダ三輪トラックは残念ながら未発売に終わっている。
モデルペット



●1962年 旭玩具製作所 総合カタログ (A4横判・24頁+)
1960年代のアサヒのカタログはA4横判で上質厚紙を使用が基本フォーマットで同時期の他社のカタログよりも豪華。1963年に「アサヒ玩具」に社名変更する直前の旭玩具製作所時代の最後のカタログ。お伽の国をイメージしたようなメルヘン調ながらもダークグリーンを基調とした落ち着いた渋い表紙。例によって全頁の掲載は困難なため個人的な視点から抜粋して掲載いたします。価格は全国売価で都内価格は1割程度安かったものと思われます。
62表紙

【中頁から】
扉頁の社名住所等記載箇所: 代表取締役は岸 淑浩、住所は台東区浅草暗め3丁目22番地、取引銀行は第一銀行ならびに東京銀行とある。
62(1)社名住所

扉頁: 英文名称のASAHI TOY CO.,LTD.は1963年にアサヒ玩具に社名変更後も変わらなかった。
62(2)英文扉頁

モデルペット: 1962年初夏にシート付S品番が出る前の初期のラインナップが勢揃い。既にNo.1の1959年クラウンのマイチェン製品であるNo.12の1961年クラウンが掲載されているが、No.1もラインナップには残っている。
62(3)モデルペット


◎室内シートにモケットが貼られたプロポーションの良いスポーツカーのラインナップ
・品番3562 MGA セダン 全長24.2cm (300円)
・品番3574 MGAオープン 全長24.2cm (270円)
・品番3573 フォルクスワーゲン・カルマンギア・クーペ 全長24.2cm (250円)
・品番3583 ルノーフロリード・セダン 全長24.2cm (240円)
・品番3557 ルノーフロリード 全長23.5cm (300円)・・・品番3583のバリエーションにも関わらずサイズが異なり価格が60円も違うのは印字ミス?
・品番3575 フェラーリ250GT 全長24.2cm (250円)
62(4)スポーツカー各種


◎国産車各種
・品番3421 1961年トヨペットクラウンデラックス 全長24.3cm (240円)・・・モデルペット同様に1959年クラウンをマイチェンして売られた製品。
・品番3577 1961年クラウン警視庁パトロールカー 全長24.3cm (240円)・・・カタログには数年間掲載されていたにも関わらず何故か現存の少ない製品。
・品番3561 トヨペットコロナライン 全長22cm (240円)
62(5)クラウン2台コロナライン


・品番3569 マツダR360クーペ 全長15.3cm (100円)
・品番3555 トヨペットニューコロナ 全長22.5cm (220円)
・品番3587 ニッサンセドリックライトバン 全長26.7cm (270円)
62(6)クーペ・コロナ・縦目

マツダR360クーペのアップ
62(7)クーペアップ


・品番3384 1959年シボレー 21.5cm (150円)
・品番3567 1959年シボレータクシー 21.5cm (150円)
・品番3560 1959年シボレーハイウェイパトロール 21.5cm (150円)
62(8)インパラ3種


・品番3588 トヨタパブリカ 18.5cm (130円)
・品番3188 1958年オールズモビル2ドアHT 33cm (360円)
・品番3564 1958年オールズモビル2ドアHTハイウェイパトロール 33cm (360円)
62(9)パブリカ・オールズ


・品番3534 1960年シボレーベルエア4ドアステーションワゴン 全長25.5cm (160円)
・品番3186 1958年フォードフェアレーン・ステーションワゴン 全長36cm (360円)
・品番3463 1958年フォードフェアレーン・ステーションワゴン「赤十字」 全長36cm (360円)
・品番3444 1959年スバル360 全長15.5cm (100円)
・品番3187 1958年ビュイック・センチュリー2ドアHT 全長35cm (730円)・・・アサヒの傑作の1台
62(10)ビュイック・スバル

スバル360のアップ
62(11)スバルアップ


・品番3439 1959年シボレー・ボートトレーラーセット 44cm (300円)
・品番3553 シボレーカートランスポーター 33.2cm (360円)
・品番2557 モーターキャリアー 40cm (470円)
・品番3467 ハイウェイパトロール・ジープ 18cm (110円)
・品番3160 幌付ジープ 18cm (120円)
・品番3552 ディフェンス・パトロールジープ 28cm (360円)
62(12)ボート・ジープ6台


◎トラック各種
・品番3590 シボレー特大ダンプトラック 40cm (この年のカタログでは価格未記載だが、1963年版カタログでは880円)
・品番3182 ダンプトラック 全長21cm (120円)・・・障害物に当たると荷台が自動的に上昇するギミック付
・品番3557 1959年トヨエース 全長22.8cm (240円)・・・実車通りにキャブが前傾するギミック付。
・品番3571 シボレーダンプトラック 全島22.9cm (150円)・・・障害物に当たると荷台が自動的に上昇するギミック付
62(13)トラック4台


◎バス 各種
・品番2958 いすゞリアエンジンバス 全長23.5cm (120円)・・・ルーフベンチレーター2ヵ所の開閉ギミック付
・品番3438 コンドルバス 全長39.3cm (180円)
・品番3584 GMバス 全長43.2cm (この年のカタログでは価格未記載だが、1963年版カタログでは880円)
・品番3586 ニューヨークバス 全長35cm (300円)
62(14)バス4台

いすゞバスのアップ
62(15)いすゞバスアップ


・品番2471 五人乗り消防車 全長20.4cm (120円)
62(16)消防車


◎飛行機 各種
・品番1813 ノースウェスト4発旅客機 全長40.5cm翼長50cm (450円)
・品番3579 日本航空4発旅客機 全長48.9cm翼長39.3cm (470円)
・品番3470 NAVY海軍機 全長18.5cm (100円)
・品番1847 USAF AD・ヒコーキ 全長15cm (100円)
・品番3559 アメリカンエアラインDC7-C 全長34.6cm翼長27.9cm (240円)
62(17)飛行機


◎鉄道 各種
・品番3578 大こだま号 全長56.7cm (600円)・・・当時151系特急こだまの玩具は人気があり、アサヒ製もこの大以外に中サイズ、小サイズの計3種類出ています。
・品番3372 サンタフェトレイン 全長31cm (240円)・・・国内向け小サイズこだま号をサンタフェ塗装とした製品
・品番2918 原子力電関 全長28.5cm (150円)
・品番3585 操作場 全長73.7cm (550円)
・品番3563 セントラルライン・デッキ付電気機関車 全長49cm (330円)
62(18)鉄道各種


◎英国コーギートーイズ ・・・MGA、トライアンフTR3、メルセデス300SLの330円からベントレーコンチネンタルの600円までとスバル、クーペが150円、その他が170円~230円のモデルペットより遥かに高価。
62(19)コーギー1
62(20)コーギー2


◎米国AMT & 米国モノグラム  プラモデル
62(21)プラモデル


裏表紙: ガラスの馬車が表紙とは逆向き
62(22)裏表紙





★オマケ(その1): 旭玩具製作所 1/19スケール 1959年スバル360
今回の1962年版カタログに掲載されている製品を幾つかオマケに掲載しておきます。このスバルのカラーバリエーションは青、オレンジ、赤、黄など。1stモデルはフロントに「SUBARU」の刻印あり。スバル360は人気があり旭玩具からは更に一回り小さなサイズでも発売されています。
スバル(1)
スバル(2)
スバル(3)

1stモデルはフロントに「SUBARU」の刻印あり
スバル(4)



★オマケ(その2): 旭玩具製作所 1/20スケール 1960年マツダR360クーペ
カラーバリエーションはグレイ、クリーム、赤茶など。出来は良いとは言えませんが可愛くて味わい深いモデル。
クーペ(1)
クーペ(2)
クーペ(3)



★オマケ(その3): 旭玩具製作所 1/18スケール 1961年トヨペットクラウン1900DX(RS31)
カラーバリエーションは黒、茶、緑金、など。萬代屋(現バンダイ)製でも同年式のクラウンが出ていますが、旭玩具製はライトが小さ目でテールが実車以上に尖り過ぎている印象。
クラウン(1)
クラウン(2)
クラウン(3)



★オマケ(その4): アサヒ玩具 テレビCM
3:10位から1970年代のアサヒ玩具ママレンジとブンブンロケットのCMが見られます。
埋め込み無効となっていますので以下のURLへどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=cEOKlGt7sg0


★1934年 クライスラー・エアフロー 戦前 流線形の時代 ~ 自動車カタログ棚から 241

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「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どおり、涼しくなってきましたね。
普段は仕事に加えてピアノとギターの練習とで忙しく、昨日アップする予定の記事が1日遅くなりました。記事をつくるには資料の整理から始めて内容や構成を考えたりと編集者の楽しみがある反面、計画的に進めないと想定外に時間がかかってしまい収拾がつかなくなりがちです。
今回は自動車カタログ棚シリーズの241回目。1970年代以降あたりのクルマをピックアップする方が遙かにウケが良くコメントも沢山頂けることは百も承知なのですが、今回は戦前のクルマ、今からちょうど80年前の1934年エアフロー(Airflow)です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


★1934年(昭和9年)春、豊田喜一郎は初めての乗用車開発に当って以下の3つの方針を打ち立てた。
(1)エンジン、フレーム、ボディ関係部品はシボレーの純正部品がそのまま使用できるようにする。
(2)シャシーおよび駆動関係部品はフォードの純正部品がそのまま使用できるようにする。
(3)ボディスタイルは1934年デ ソート・エアフローの流線型を採用する。

即ち、戦前の日本で圧倒的なシェアを誇っていた組立外車シボレーおよびフォードのパーツと汎用性を持たせ、デザインは数年先でも通用するエアフローの流線形を採用するとしたものである。この方針の通り、トヨタ最初のA型エンジンはシボレーのものをコピーして造られ、ボディはエアフローとよく似た流線型とされた。こうして誕生したのがトヨダAA型乗用車であった(本シリーズ第94回記事参照)。
今日、世界一の自動車メーカーともなったトヨタが造った最初の乗用車AA型について、海外では「トヨタ・エアフロー」と若干の揶揄を込めて呼ばれる所以である。
今回はそのトヨタが範とした本家本元のクライスラー(およびデソート)エアフローをピックアップします。


●戦前絵本「自動車ブック」表紙に登場した1935年エアフロー
本来オマケに載せるべきものですが、今回まずはこの絵本から。1936年(昭和11年)3月5日、東京・金井信生堂 発行。品番No.17。裏表紙に東京市神田区東福田町1番地の金井の住所まで印字されているが販売価格の印字はなし。B5判・16頁。画家のクレジットはなし。表紙に描かれている赤いクルマはフロントグリルとサイドルーバーから最初のマイナーチェンジを受けた1935年型エアフロー。後席に乗っているのは日本人の子供に見えるが、背景は横文字ばかりで日本離れしたムード。中味は全ての頁が当時の自動車および自動二輪車で構成された魅力的な絵本。
絵本


★ウォルターP.クライスラー(Walter Percy Chrysler; 1875年4月2日-1940年8月18日)がマックスウェル社とチャーマーズ社を統合して自らの名を冠した自動車会社クライスラー社を設立したのは1925年(大正14年)であった。
1928年(昭和3年)、プリムス(Plymouth)とデ・ソート(De Soto)の2つのブランドを立ち上げ、翌1929年(昭和4年)にはダッジ・ブラザース(Dodge Brothers)を買収し、一時はフォードを抜きGMに次ぐアメリカ第2位のメーカーとなった。
クライスラー社の設立から間もない1927年(昭和2年)、航空機の設計にヒントを得て自動車車体の空気抵抗低減のための風洞実験を開始し、1930年代初頭にかけて50を超える試作車の製作を経て、1934年型としてクライスラ・エアフロー(8気筒車)、デソート・エアフロー(廉価版6気筒車)の市販を開始した。
出来得る限り空気抵抗を減らすべく滑らかな曲線でデザインされたボディ、前面にビルトインされたヘッドライト、扁平なフロントグリルを持ったエアフローの外観は極めて斬新で当時の他の自動車達とは大きくイメージが異なっていた。エクステリア・デザインを手掛けたのは、クライスラー社設立時の18人のオリジナルメンバーの1人でチーフデザイナーを任されていたオリバー・クラーク(Oliver Clark)。エアフローは外観だけの見かけ倒しではなく機構的にも先進的であり、頑丈なモノコックボディを採用したこと、フロントアクスルの上にエンジンを置きリアアクスルより前の従来より低い位置にリアシートを置いたことによる室内スペースの拡大と優れた重量配分といった特徴を持っていた。


【1934年型エアフローのラインナップ】
(1) デソート・エアフロー(シリーズSE)・・・ホイールベース2934㎜(115.5インチ)
(2) エアフロー・エイト(シリーズCU)・・・ホイールベース3120㎜(122.8インチ)
(3) エアフロー・インペリアルエイト(シリーズCV)・・・ホイールベース3251mm(128インチ)
(4) エアフロー・カスタムインペリアルエイト(シリーズCX)・・・ホイールベース3492㎜(137.5インチ)
(5) エアフロー・カスタムインペリアルエイト・リムジン(シリーズCW)・・・ホイールベース3721mm(146.5インチ)

このラインナップのうち、(1)デソートと(2)エイトにはスタンダードな4ドアセダン以外にスタイリッシュな2ドアのクーペが存在した。(3)のインペリアルエイトは当時の日本にも少数が上陸しているが、(4)と(5)のカスタムインペリアルエイトおよびリムジンはキャデラックの上位グレードに相当する超豪華車でありリアルタイムに正規輸入はされていない(?)。


★しかし、エアフローは当時あまりにも斬新で奇抜にさえ見えたデザインが災いし、特に自動車購入の際に意見を言う立場にあった米国家庭の御婦人達に敬遠されたことが売上げの低迷に結びついたとも言われ商業的には失敗作となった。更にオーダーに対して十分な供給が出来ないという初期生産体制の不備も重なったと言われる。エアフローはグリル周りをより一般的な意匠に改めるなどの改良(改悪?)を経て、廉価版6気筒のデソートは1936年型まで、8気筒のクライスラーは1937年型までと僅か3~4年という短命に終わったのである。しかし、エアフローが我が国のトヨダAA型をも含めてその後の流線形デザイン全盛時代への導火線となり流線形デザインの象徴的な存在となったこと、その後のアメリカ製乗用車の室内スペースがエアフローのサイズをスタンダードとしたことなどの功績により1930年代のアメリカ車を代表する革新的なクルマとして歴史に残ることとなった。なお、1999年~2010年に生産された、クライスラーPTクルーザー(Chrysler PT Cruiser)は、この1930年代のエアフローをリスペクトした現代流の復刻モデルであった。


【主要スペック】 1934年 クライスラー・エアフロー8 (1934 Chrysler Airflow Eighat Sedan)
全長5283mm・ホイールベース3124mm・車重1686 kg・FR・水冷直列8気筒SV5301cc(323.487cu in)・最高出力122 PS/3400rpm・変速機3速MT・乗車定員6名・最高速度145km/h・日本総代理店「八州自動車」国内販売価格:東京渡し1万1850円(旧七帝大卒の月収50円、丁稚奉公10円という時代なので現在の貨幣価値では約1万倍となり、スタンダードなエアフロー8でも普通の日本人には到底手が届かない1億円を超えるような価格だったと思われます)


●1934年 デソート・エアフロー6気筒 新発売 新聞広告
戦前の大阪朝日新聞に掲載された広告の切抜き。大きさは4分の1面程度。裏面は一般記事で「○日、小倉競馬の結果」などと新聞紙面の慣例で「日にち」だけで肝心な月が記載されておらず、80年前に切り抜きした方が年月日のメモもされてはいないため残念ながら掲載日は不明。大阪朝日新聞の過去の縮刷版を丹念に調べれば分かるのかもしれません。1934年(昭和9年)1月に本国でデビューした後に日本に上陸した際のものなので、1934年(昭和9年)であることは間違いないと思われます。
「馬のない馬車である在来の自動車の時代が過ぎて新自動車エアフローが発表されました・・・・外観が異なると同時に実質に於いても画期的進歩を示している・・・・・関西総代理店輸入元 山城自動車商店 大阪市北区曽根崎上四丁目」と印字がされている。当時のクライスラーの国内輸入元は東京赤坂山王の八州自動車(ヤシマジドウシャ)であったので、戦後、ポルシェの輸入販売を首都圏では三和自動車が一貫して行い関西では昌和自動車および豊和自動車が販売を行っていたのと同じように、戦前の関西ではクライスラー系は山城自動車商店が販売していたということか、あるいはクライスラー系の中で廉価車のデソートだけを切り離して山城自動車商店が輸入販売を一貫して行っていたということなのか不明なのですが、八州自動車には大阪支店・出張所が存在したこと、八州自動車のカタログや広報誌にはデソートの文字が見当たらないことからエアフローの中でもデソートのみは大阪の山城自動車商店が輸入していたとも推測することができます。
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●1934年 デソート・エアフロー6気筒 新聞広告
これも戦前の大阪朝日新聞に掲載された広告の切抜き。大きさは4分の1面程度。これも裏面の記事に発行年月日を示す印字が見当たらないが、1934年(昭和9年)には間違いないものと思われます。特徴的な1934年型デソート・エアフローを真正面から写した横に男女を配した魅力的なグラフィック。「驚くべき差異」のタイトルで従来の自動車と如何に異なるか御試乗いただければ真価が分かるといった旨がこれも山城自動車のクレジットで掲載されている。この広告では「デソート自動車総代理店・輸入元・山城自動車商店」と印字されている。
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●1934年クライスラーエアフロー広報写真
広報(1)

ユニオン・パシフィック鉄道の流線型機関車と1934年エアフロー
広報(3)鉄道2
広報(2)鉄道1

エアフロー・カスタムインペリアルエイト・リムジン(シリーズCW)・・・・・化け物のように長大なボディ。
広報(4)リムジン



●1934年 クライスラー 総合カタログ (縦22×横28.5cm・紐綴じ・日本語・20頁)
東京市赤坂区田町四丁目の八州自動車発行の日本語版カタログで前半の10頁はエアフローエイト、後半は旧来のクライスラー6(CAおよびCBシリーズ)が掲載されている。スペックの掲載がないためコンセプトカタログのような体裁(あるいはスペック表のみ別途配布されていた?)。カタログにはエアフローのうち、中位グレードと言えるエアフロー・エイトのみが掲載されており、下位グレードのデソート・エアフローおよび上位グレードのインペリアルエイトやリムジンの掲載はなし。米本国版カタログは各グレード毎にある模様で特にインペリアルは豪華な専用カタログが出されているようだ。このカタログも本国版を日本語に翻訳して発行されている。表紙の中央に八州自動車販売部、左端に販売部員 西村隆壽氏の印あり。80年を経ているので、仮にこの西村氏が当時25歳だったとしても現在は105歳となられているはずで恐らく鬼籍に入られているだろう。あるいは太平洋戦争で命を落とされているかもしれない。
表紙

【中頁から】
(1)扉頁

冒頭はクライスラー社長の言葉を日本語に翻訳した「1934 クライスラー新エーヤ フロー型八気筒セダン発表に就いて」と題する文語体の長文で、要約すると、新車エアフローは外観が普通と変って見えるがそれは最新科学技術の自然の結晶であり創造的芸術にも満たされており、クライスラー社創業10年に際してこのエアフローを発表できたことは光栄であるといったことが記されている。エアフローの日本語表記が、ソーラン節を連想させるような「エーヤ フロー」となっているのが興味深い。
(2)クライスラー氏1
(3)クライスラー氏2

クライスラー・エアフロー・エイト・セダン(6人乗)
(4)4ドアセダン全景

室内
(5)女性と室内

ダッシュボードのアップ
(7)ダッシュボードのアップ

シートのアップ: シートは軽量かつ頑丈なパイプフレームで組まれている。
(8)パイプフレームのシートアップ

既に80年の時を経ているので、この美しい女性は当時20歳だったとしても現在は100歳を越えているはず。
(6)女性のアップ

(9)斜めと透視図、整流図

エンジン・シートのレイアウト図および従来車に比べて空気抵抗が低いことを示す風流図。エンジンが前車軸の真上に載り、リアシートが後車軸の前の低い位置にあることがよく判る。
(10)透視図と整流図アップ

フロントおよびリア・・・前後共に2分割ウインド。リアには外部から開閉できるトランクがなく荷物はリアシートを倒して出し入れする。
(11)フロントとリア

モノコックの骨格と特徴的なヘッドライト
(17)骨組みとヘッドライト

モノコック骨組のアップ
(18)骨組アップ

ヘッドライトのアップ
(19)ヘッドライトアップ

細部の写真
(20)各部

フロントウインドはレギュレーターで大きく前へ開閉
(21)開閉式フロントウインド

美女が座る後席横の小さなサイドウインドも開閉可能
(22)開閉するリアサイドウインド

リアシートを跳ね上げて出し入れするトランク
(23)シート跳ね上げ式トランク

裏表紙: 八州自動車の横文字に東京・大阪の印字
(24)裏表紙



●1934年クライスラー乗用自動車 定価表 (縦15.5×横23.2cm・両面1枚)
1934年(昭和9年)3月1日発行。上掲の日本語版カタログと一緒に保存されていた八州自動車発行の価格表。通常は2つ折にして配布。これにもカタログと同じ販売部員 西村隆壽氏の印が押されている。旧来のCA型およびCB型と共にエアフロー・エイト(6人乗) 1万1850円、エアフロー・インペリアルエイト(6人乗) 1万3500円、更に価格は空欄となっているがエアフローカスタムインペリアルセダンリムジン型(8人乗)の記載がされている。
定価表(1)1934表紙
定価表(2)1934中面


●1936年クライスラー乗用自動車 定価表  (縦15.5×横21cm・両面1枚)
1936年(昭和11年)3月発行。手元にない1935年を飛ばしてエアフロー3年目の八州自動車発行1936年クライスラー国内価格表。エアフロー・エイト(6人乗) 1万2000円、エアフロー・インペリアルエイト(6人乗) 1万4500円と若干値上げされた上、1934年の価格表にはないエアフロー・カスタムインペリアルエイト(8人乗り:シリーズCX)が1万9500円と記載されている。当時の2万円は現在の貨幣価値では2億円位だろうか。
定価表(3)1936年


※エアフローの年式別差異などを深く知りたい場合には、エアフロー・クラブ・オブ・アメリカのサイトに詳細が記載されていますのでご参照ください。
【エアフロー・クラブ・オブ・アメリカのURL】 http://www.airflowclub.com/LinkClick.aspx?fileticket=172PV_bYzig=





★オマケ(その1):  1934年クライスラー・エアフロー安全テスト 動画
シカゴ万国に際して33mの崖から落としてそのまま再び走り出すというデモンストレーションを行った際の有名な動画。フロントウインドがレギュレーターで大きく開く様子も確認出来る。



★オマケ(その2): 広報誌「クライスラー・プリムス」1935年3月号
クライスラーの輸入元だった八州自動車が母体となって発行された広報誌。B5判、32頁程の隔月刊誌で発行元は大阪市此花区福島北のプリムス社と記載があるが、中頁には八州自動車の役員等関係者の寄稿文が多く、クライスラー車を自画自賛した内容。これは第1巻第3号だが果たしていつまで発行されていたものか不明。表紙は5つの丸いサイドルーバーが特徴的な1935年型プリムス。
広報誌(1)表紙

扉頁: マイナーチェンジを受けた1935年型クライスラー・エアフロー(左)と新車種の1935年型クライスラー・エアストリーム(右)
広報誌(2)扉頁



★オマケ(その3): 増田屋齋藤貿易 1934年型デソート・エアフロー玩具の広告
東京玩具商報1935年(昭和10年)3月1日号(通巻376号)に掲載された増田屋齋藤貿易(現 増田屋コーポレーション)の広告からエアフローのモデル玩具2種。上の品番1703番はブリキではなく当時最新素材のセルロイド製で長さ7寸と記載があるので全長21cm程度、下の品番1706は長さ9寸5分とあるので全長29cm程度のブリキ製。どちらのモデルもジャンクでさえ殆ど現存していない。昨年惜しくも鬼籍に入られたCG誌初代編集長の小林彰太郎氏(1929年 11月12日-2013年10月28日)が2013年10月にトヨタ博物館から発行した「昭和の日本 自動車見聞録」のエアフローの項で子供の頃に三越でエアフローの金属製モデルを買ってもらった旨を記述されているのはこの何れかのモデルかもしれない。エアフローの実車は思うように売れなかった割に日本では玩具としては人気があり、倉持商店の全長22cmサイズの1934年型ブリキモデル、同じ倉持の全長30cmサイズの非常に出来の良い1935年型ブリキモデルなど多数がリアルタイムに発売されている。1951年(昭和26年)以降は国会図書館にも寄贈され保存されている戦後の東京玩具商報はB5判だが、戦前はB4判とサイズが大きいため保存が難しく現存するものは少ないようだ。
増田屋(1)2台

21cmサイズのセルロイド製1934年エアフロー
増田屋(2)セルロイド

29cmサイズのブリキ製1934年エアフロー
増田屋(3)ブリキ大



★オマケ(その4): 加ブルックリンモデル 1/43スケール 1934年デソート・エアフロー 4ドアセダン
全長12cm。カナダ製のずっしりと重たい近年のホワイトメタル製モデル。ブルックリンモデルNo.7。
ミニカー(1)
ミニカー(2)
ミニカー(3)



★オマケ(その5): 1934年生まれの有名人
今回のカタログと同じ1934年生まれの有名人をピックアップしてみました。既に鬼籍に入られた方もいますが、お元気で誕生日を迎えれば今年で満80歳ということになります。きっと御存知の名前が含まれていることと思います。

石原 裕次郎(俳優)・長門裕之(俳優)・田原 総一朗(ジャーナリスト)・筒井 康隆(作家)・山田 太一(脚本家)・倉本 聰(脚本家)・横山光輝(漫画家)・藤子 不二雄A(漫画家)・池田 満寿夫(画家)・大橋 巨泉(タレント)・愛川 欽也(俳優/タレント)・坂上 二郎(タレント/元コント55号)・ケーシー高峰(コメディアン)・宝田 明(俳優)・中村 メイコ(女優/タレント)・宮尾 すすむ(タレント)・黒川 紀章(建築家)・ブリジット バルドー(女優)・ソフィア ローレン(女優)・ブライアン エプスタイン(ビートルズ・マネージャー)・ハンク アーロン(野球選手)・ジョルジュ ムスタキ(音楽家)・パット ブーン(歌手)・ヒューイ スミス(ピアニスト) ・前田憲男(ピアニスト)・ジョン サーティース(レーシングドライバー)

★1960年 日野コンマース 国産初のFFワンボックス ~ 自動車カタログ棚から 242

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木曾の御嶽山が噴火しました。御嶽山は過去2万年で僅か4回のみ、過去5000年は一度も噴火せず、永らく死火山と思われていたのが1979年(昭和54年)に噴火して以来、活火山となり2007年にも噴火しています。今回の噴火が大きな被害をもたらさないよう祈っています。
御嶽山と言えば、私が最初に上松を訪ねたのは木曾森林鉄道がまだ現役だった1969年(昭和44年)、小4の時でした。以来、何度となく木曾森林鉄道の廃線跡を訪ねているので木曾には親近感があり他人事とは思えません。

今日は自動車カタログ棚シリーズの242回目、国産旧車の日野コンマースをサクっとピックアップします。本当は玩具・模型カタログ棚シリーズの記事を先にアップしてから自動車カタログの記事をアップする予定だったのですが時間がなく玩具・模型カタログ棚の方は記事をつくることが出来ませんでした。これから10月半ばにかけて趣味の音楽の関係でかなり忙しくなるため、暫くは極く簡単な記事しかアップ出来なくなりそうです。
 




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★1959年(昭和34年)10月24日~11月4日に東京・晴海に会場を移して初めて開催された第6回東京モーターショー(当時の正式名称は全日本自動車ショー)で日野自動車は1ボックス商用車コンマース(Commerce)を公開し、翌1960年(昭和35年)2月より市販に移した。
当時、技術提携により生産していた日野ルノー4CV(本シリーズ第153回記事参照)が搭載していた4気筒OHV748cc/21psエンジンを改良したGP10型OHV836cc/28psエンジンを搭載した日本車史上でも稀なFFフルキャブオーバーのワンボックスモデルであった。コンマースの市販は、ルノー4CVの後継車となるべくデビューしたコンテッサ900(本シリーズ第160回記事参照)や小型トラック「ブリスカ」が1961年(昭和36年)4月に発売されるより1年以上早く、日野オリジナルの小型車としては記念すべき最初のモデルとなった。

★コンマースの企画・設計・試作は1957年(昭和32年)に開始され、RR車ルノー4CVをベースとしたワンボックスということから、同じRR車VWビートルの派生モデルVWタイプⅡも当然参考にされたと思われるが恐らくリアエンジン部分のデッドスペースによる荷室縮小のデメリットから見送られ、最終的にFFとされたのは1947年デビューのシトロエンHトラック/バン(Citroën Type H)や1959年デビューのルノー・エスタフェット(Renault Estafette)の影響が大きかったのではないだろうか。
FF、4輪独立懸架という極めて先進的なメカを採用したコンマースは、1961年秋にはコンテッサ900と同じGP20型893cc/35psエンジンに換装し2割以上のパワーアップが図られた。しかし、絶対的にアンダーパワーであったこと、1959年デビューのFF英車ミニ(ADO15)が採用した等速ジョイントを未だフロントに備えていなかったこと、積載時の前輪トラクション不足による走行能力の低さ(荷物を沢山積むと坂は登れない)など技術的な問題もあり1962年(昭和37年)10月に生産を中止した。コンマースの総生産台数は2344台といわれ、生産期間2年8ヶ月(32か月)で割れば月産70台強という数字となり当時でも稀少車の部類だったことが分かる。
コンマースの実車は八王子の日野オートプラザと福山自動車時計博物館に保存されている他、山梨県内には廃車体が現存しているようだ。



【主要スペック】 1960年 日野コンマース PB10型 (1960 Hino Commerce PB10)
全長3940㎜・全幅1690㎜・全高1910㎜・ホイールベース2100㎜・車重1035kg・FF・水冷4気筒OHV836cc・最高出力28ps/4600rpm・最大トルク5.3mkg/2800rpm・変速機4速MT・四輪独立懸架・乗車定員2名・最大積載量500kg・電装系12V・シャシー開始番号PB10-60-200001・最高速度82km/h・販売価格59万5000円



●日野コンマース「マックスウェル・インスタントコーヒー」
日野自動車の広報誌「日野ニュース」1961年10月号(通巻55号)より。日野ニュース誌上でコンマースを真横から写したカラー写真のネガを募集し、読者投票で第1位になったデザインの写真投稿者に賞金1万円を贈るとした「日野コンマース誌上デザインコンクール」が数次に亘り開催された中の1枚。AGFのHPによれば、このマックスウェル・インスタントコーヒーの発売は1960年。しかし、誌上でコンマースのコマーシャルカーの写真を募ってみても、当時でも路上で滅多に見かけなかったと思われるコンマースの写真が実際に読者から送られてきたのか疑問ではある。
マックスウェルコーヒー

第4回誌上デザインコンクールの8台(最下部にどれが良いデザインか日野の宣伝課へ葉書で応募するよう記載されています。)
第4回コンクール



●1960年3月 日野コンマース カタログ (縦23×横29cm・3つ折6面)
日野カタログNo.R102。3つ折だがこれが初期の本カタログかもしれない。紙質がシボ地のものと光沢紙のもののバリエーションあり。「新機軸の万能商業車」のコピーはコンマースの生涯を通じて使われた。
簡易表紙

【中面から】
リアの丸味を帯びたラインはVWタイプⅡと似ている。
簡易(1)リアアングル

ミニバス
簡易(2)ミニバス

病院車
簡易(3)病院車

宣伝車
簡易(4)宣伝車


●1960年 日野コンマース 簡易カタログ (縦20.8×横20cm・3つ折6面)
日野カタログNo.:印字なし。雨の夜に赤い傘の女性という印象的な表紙。
簡易雨表紙

【中面から】
「全く新しいVANです。」
簡易雨(1)全く新しいバン

ナンバー「1961」の部分は1960の印字の上に小さな紙が貼られている。
簡易雨(2)1961貼付

病院車
簡易雨(3)病院車

牛乳運搬車
簡易雨(4)牛乳運搬車

幼稚園バス
簡易雨(5)幼稚園バス

スペック
簡易雨(6)スペック



●1960年8月 日野コンマース 本カタログ (A4判・10頁)
日野カタログNo.R106。いかにも昭和30年代らしい天然色カラーが味わい深い。ピンクはパブリカUP10、三菱500、マツダK360、マツダB360等にも使用されたこの時代の流行色。女性の乗る半世紀以上前とは思えないお洒落な自転車にも注目。
608表紙

【中頁から】
ライセンスナンバーは西暦を示す「1960」
608(1)1960ナンバー

2人乗り500kg積
608(2)500kg積タイプⅡ似

みんなで楽しいピクニック
608(3)ピクニック

室内&回転半径4.6mを活かした縦列駐車の図
608(4)室内&回転半径小4.6m

FFレイアウト&28psエンジン
608(5)FF&エンジン

図面: 2人乗り500kg積バン(PB10型)
608(6)500kg積バン図面

図面: 5人乗り300kg積バン(PB10-S型)
608(7)300kg積バン図面

図面: 10人乗りバス(PB10-P型)
608(8)10人乗バス図面

図面: 11人乗りバス(PB10-B型)
608(9)11人乗バス図面



●1960年12月 日野コンマース 輸出向け本カタログ (A4判・英文16頁)
日野カタログNo.31-E。上掲の国内版本カタログと一見同じながら別ショットが使われており、国内版カタログでは前方を見ている男女がこのカタログでは向かい合っている。中頁は国内版カタログの単なる言語替えではなく全く構成も写真も異なり、コンマースのカタログの中では恐らく最も豪華なもの。輸出先仕向け地は不明。
英文表紙

【中頁から】
英文(1)中
英文(2)中

みんなで楽しいピクニック・・・・上掲の日本語版とは別ショット
英文(3)ピクニック別ショット

透視図
英文(4)透視図

室内&特徴の解説
英文(5)室内・各部解説

日東紅茶をバックにした何とも魅力的な写真
英文(6)日東紅茶

スタンダードバン
英文(7)スタンダードバン

5人乗り貨客兼用バン
英文(8)5人乗バン

マイクロバス「ワゴネット」
英文(9)マイクロバスワゴネット

スペアタイヤは左右フロントシートの間に置かれている
英文(10)スペア前席の間

シートアレンジメント5種類
英文(11)シートアレンジ5種類

裏表紙
英文(12)裏表紙



●1961年3月 日野コンマース 本カタログ (A4判・10頁)
日野カタログNo.R106。上掲の1960年8月版とカタログナンバーも表紙も同じながら、中頁のクルマのナンバーなど細部が変更されている。
61表紙

中頁から: 上掲の1960年8月版カタログでは1960だったナンバープレートが「4ひ0441」に差し替えられている。
61中違う頁ナンバー



●1962年1月 日野コンマース 商用 専用カタログ (A4判・8頁)
日野カタログNo.T116。エンジンをコンテッサ900用の893cc35psに換装。車両型式はPB10からPB11となり、積載量は2人乗り600kg、5人乗り400kgに増えた。カタログは商用バンとマイクロバスとが別々となった。昭和30年代を象徴するような団地をバックにした表紙。
62団地表紙

【中頁から】
高台からこのように東京タワーが見える場所はどこでしょうか。
62団地(1)東京タワー運転席

横を走るのは310ブルーバードと2代目コロナライン、後ろに観音開き初代クラウンの黄ナンバーのタクシー
62団地(2)310ブル・コロナライン観音

2人乗り600kg積み標準バン
62団地(3)600kg積バン

5人乗り400kg積みバン
62団地(4)400kg積5人乗バン

35psエンジン
62団地(5)35psエンジン

日航機とJAL系のエアポート・グランド・サービス(AGS; Airport Ground Service)のコンマース
62団地(6)日航機とAGS

スキーを積んで・・・・。
62団地(7)スキーを積んで

洋品店「キャプテン・シャツ88」
62団地(8)キャプテンシャツ88

洋菓子屋さん
62団地(9)洋菓子屋さん

カタログ表紙写真のメンバーでの別ショット
62団地(10)表紙別ショット



●1962年1月 日野コンマース ミニバス 専用カタログ (A4判・8頁)
日野カタログNo.R110。PB11-P型(10人乗)とPB11-B型(11人乗)を掲載。表紙の湖はどこでしょうか。
62バス表紙

【中頁から】
62バス(1)中

周りには初代キャブライト、ダイハツミゼットMP、観音開き初代クラウンの黄ナンバーのタクシーなどが写っています。
62バス(2)キャブライト他アップ

幼稚園バス
62バス(3)幼稚園バス

病院車: 担架に人が乗っているのが妙にリアルです。
62バス(4)病院車担架に人

病院車レイアウト
62バス(5)病院車レイアウト図

シート配置: 上から10人乗り、11人乗り、園児バス
62バス(6)シート配置3種10人11人幼児





★オマケ: 広報誌「日野ニュース」1962年1月号 表紙 (B5判)
現在に至るまで日野コンマースには模型、玩具の市販製品は存在しないので今回のオマケはなし。とするつもりだったのですが、この表紙の右下には日野自動車がオリジナルで製作(あるいは銀座・天賞堂模型部あたりに製作依頼)した白赤ツートンのコンマースのスペシャルモデルが写っています。写っている5台のモデル(コンテッサ900、ブリスカ、ZGダンプ等)のスケールはマチマチで子供(恐らく私と同年代位でしょう)の大きさからするとコンマースの模型は全長30cm程度はありそうに見えます。
広報誌表紙

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★「他の誰よりも優しいって言われる」 最近のなうから  ~ ジョン・レノン Love

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★忙しくて記事をアップする時間がないのでこの1両日の「なう」をアップしておきます。
私の「なう」は、ほとんど誰も見ていないと思いますが、ジョン・レノンのように、いつも心を裸にしていたいです(>_<)
 




John Lennon-Yoko Ono 「Two Virgins」
1968年11月29日発売
トゥー・ヴァージンズ(邦題:「未完成」作品第一番)
レコードジャケット
トゥーバージンズ



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ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 11:25
[人生の目標は?] 
そりゃあ人間である以上、誰しも人生最大の目標は結婚だよね!結婚さえ出来れば、人生の目標の99%は達成したと言えるよね!逆に独り身のまま人生を終えるのは人間にとって最大の不幸と言えるよね!独り者は謂わば不幸のどん底にいると言えるよね!今の私は不幸のどん底だよね!

ポルシェ356Aカレラ  2014年10月1日 11:20
[何している時が幸せ?] 
そりゃあ人間である以上、誰しも愛し合ってる時が一番幸せだよね!誰しも人を死ぬほど愛して溺愛している時以上に幸せな時なんてないよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年 10月1日 11:03
[長所教えて!]
長所なんて殆どないんだけど、慎重で丁寧なところと他の誰よりも優しいって人に言われることくらいかなあ!

ポルシェ356Aカレラ  2014年 10月1日 10:51
[短所教えて!] 
沢山ありすぎて書ききれないかも!口下手、小心、神経質、対人恐怖症、赤面恐怖症、アガリ症、勝ち気で負けず嫌い、女好きで男嫌い、友達少ない、人が寄り付かない、モテない、背が超低い、現国以外の学力・偏差値が超低い、運動音痴、スポーツが嫌いなどかなあ!絵に描いたように悲惨なキャラだよね!


ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 10:31
[昨日何時に寝た?] 寝たのは2時過ぎだったよ。今朝は6時に目覚ましで起きたから睡眠時間4時間弱ってところ。ちょっと寝不足気味かなあ(>_<)理想としては1日6時間位眠りたいよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 08:36
[10月の目標を言ってみる] とりあえず、ライブ2回を成功させる。。。あとは今更遅いとかその歳で芸能人じゃあるまいし結婚なんてキチガイ沙汰とかって人から言われるけど婚活もがんばる。それから、引き続きダイエットもがんばる。


ポルシェ356Aカレラ 2014年 10月1日 07:31
[趣味ある?]
一応はあるよ!古いポルシェをメインにしたクルマの趣味、軽便と国鉄151系こだま形電車をメインにした鉄道の趣味、あとピアノとギターの演奏をメインにした音楽の趣味とかくらいのものだけどね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年 10月1日 07:26
[今の身長に不満ある?]
あるあるある凄いある!何しろナイナイの岡村君よりちょっと高い位のチビだから、若い頃はパンタロンに10センチとか15センチとかの高いヒールいつも履いてた!でも今更もう背は伸びないから諦めるしかないよね!背が高い男性は例え頭が空っぽでもそこそこモテるからいいよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 07:20
[あなたの口癖は?] 「えーっ!」かなあ。

ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 07:19
★えーっ!あと僅か5年1ヵ月で定年退職して月7万の年金暮らしになるんじゃあ、幾ら望んでも今更もう結婚は無理だって?!確かにあまりにもお金がないんじゃあ結婚生活が成り立たないよね!あとはビルの清掃や交通整理のバイトをして何とか独り食い繋ぐしかないよね!絵に描いたように悲惨な人生だよね!

ポルシェ356Aカレラ  2014年10月1日 07:08
★えーっ!独り者は人間のクズだって?!確かに私の歳で妻子なくてバツの一つもないなんて言うと社会的に認められないばかりか人として余程問題があるのかと思われるよね!人は結婚して愛の暮らしをして初めて一人前だよね!でもさあ、福山雅治君は独り者なのに私みたいな人間のクズには見えないよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年10月1日 07:06
★ダイエット925日目。揚げ物ゼロ。間食アーモンドチョコ他。体重若干減。★メンタル弱いので、なかなかペタ返しは出来ません。どうしても私のペタが必要という際には、その旨コメントを戴ければ幸いです。★今日の東京は曇りのち晴で最高25度の予報。今日からもう10月だね!新幹線開業50周年の記念すべき日!しかし50年なんてあっという間だよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年9月30日 19:28
[今欲しいものは何?]
そりゃあ人間である以上、一番欲しいものはお嫁さんだよね!全財産投げ打ってもいいから、お嫁さんが欲しいよね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年9月30日 19:20
★生きることは愛、愛は生きること。byジョン・レノン

ポルシェ356Aカレラ 2014年9月30日 19:17
[将来の夢はなに?]
そりゃあ人間である以上、誰しも一番の夢は結婚だよね!結婚して人を死ぬほど愛して溺愛して生きること以上の幸せはないよね!逆に独り身のまま死ぬこと以上の不幸はないよね!でもさあ、この歳じゃあ芸能人か大富豪でもない限りもう結婚は120%無理だって言われるんだよね!


ポルシェ356A ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 19:01
御茶ノ水 聖橋なう!何だか今夜は妙に蒸し暑いね!


ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 14:20
[一番好きな日本車は?]
やっぱり文句なしにトヨタ2000GTかなあ!ちょっと今は高くて買えないけど(>_<) 2位はいすゞベレット1600GTかなあ!ベレGでもGTRじゃなくて内装変更前の1965年の1600GTが最高にいいよね!いつかは欲しいなあ!

ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 14:14
[自動車派それとも鉄道派?]
 どっちも好きだなあ。クルマ運転するのも好きだし、汽車や電車に乗るのも好きだし。ちょっと選べないなあ。ただ普段は、基本的に電車移動だから、クルマ持ってても年間3000キロ位しか走らないよ!だから30年乗っても10万キロはいかないって計算になるね!

ポルシェ356Aカレラ 2014年9月30日 14:11
[好きな映画は?]
 好きな映画、沢山あるけど、一つだけあげるなら、やっぱりショパンにハマるきっかけになった1985年の「さびしんぼう」になるよね!大林監督には感謝しても感謝しきれないって感じだよね!何ともロマンティックで甘く優しくて温かい、あんなに感動する映画は他にはないよね!

ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 13:44
[一番好きなバンドは?] 
そりゃあ、中学生の頃からビートルズ一筋できたから文句なしにビートルズだよね!でもさあ、高校生の頃はツェッペリンファンなんかからビートルズなんて時代遅れで甘ったるくてダサいってよく苛められたなあ!主にポールのPOP過ぎる個性がハードロック・ファンからは嫌われてた感じかな。

ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 13:38
[一番好きな自動車メーカーは?]
 そりゃあ、子供の頃からポルシェ一筋できたから文句なしにポルシェだよね!でも、現行ポルシェでもカイエン、マカン、パナメーラはあんまり好きじゃないな。やっぱり、いつの時代もポルシェは911が一番だよね!

ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日
[歳よりも若く見られる?]
大抵は歳より若く見られるかなあ!この歳で幸いまだ禿げてなくて白髪もなくて、ちょっと童顔だからなのかなあ!同級生は頭真っ白な人も禿げてる人も結構多いからね。

ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 13:23
[もしアナタが言葉だったら?] 
当たり前のことだけど、「愛こそはすべて!」だよね!


ポルシェ356Aカレラ  2014年9月30日 13:22
[もしアナタが曲だったら?]
ジョン・レノンのジェラスガイもしくはラヴかなあ!




【 Love 】 John Lennon 1970


Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
Love is wanting to be loved

Love is touch, touch is love
Love is reaching , reaching love
Love is asking , to be loved

Love is you
You and me
Love is knowing
We can be

Love is free, free is love
Love is living, living love
Love is needing, to be loved

★1977年バンダイ プラモデル カタログ ジャガーEタイプ ~玩具・模型カタログ棚から 013

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10月に入って一気に涼しくなりましたね。朝晩はもう半袖では寒いくらいです。でも天気予報では、まだ日中の最高気温が30度近い日もあるようです。
あまりじっくり記事をつくる時間がないため、今回は1970年代後半のバンダイのプラモデル・カタログをサクっとアップいたします。



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★山科直治社長が資本金100万円で東京都台東区浅草菊屋橋にて (株)萬代屋 (註: 1961年5月に(株)バンダイに社名変更) を創業したのが1950年(昭和25年)7月であるので、バンダイは今年で既に創業から64年の歳月を経ているが、戦後5年を経て創業というのは国内の玩具メーカーとしては特に古い方ではない。
私が幼少期に遊んだ萬代屋のあかばこシリーズのスバル360等の自動車達(ブリキ製)がヒットした時代はまだ萬代屋創業から10年そこそこという若い企業だった。あかばこシリーズを代表とする金属玩具については項を改めて御紹介したいと思いますが、1950年代から1960年代初頭の萬代屋時代のカタログで市場に出てくるものは製品に封入されていた簡易カタログばかりで分厚い年次製品カタログが長年探してもなかなか見つかりません。以前、JMAC創設時からのメンバーで1950年代より熱心に金属自動車玩具(ブリキ製)の蒐集をされ、萬代屋あかばこ「世界の自動車を集めましょうシリーズ」の製品化車種選定に当たってのアドバイザーも務められた朝田隆也氏より立派なカタログも出ていた旨を伺い、もし家の中を探して出てきたら差し上げますと有り難いお言葉も戴いたのですが、それから既に15年以上の時を重ねており萬代屋時代の豪華カタログ?は未だに幻のままとなっています。もしバンダイに萬代屋時代の製品カタログが保存されているのであれば公開を望みたいところです。


★今回は社名をバンダイと変えてから15年の時を経た1976年(昭和51年)10月発行の1977年版バンダイ・プラモデルカタログをご紹介いたします。大して古い時代のカタログではありませんが、それでも既に発行から38年の時が経っており、バンダイが1980年(昭和55年)にガンプラでブレイクするより前のものです。実車が出て間もないポルシェ911ターボも載っていますが、時期的にはスーパーカーブーム爆発直前あたりの発行でしょうか。
現在でも金型が残っているものもあるかもしれませんが掲載モデルは殆どが絶版になっていると思われます。初期のバンダイのプラモデルのラインナップには今井科学(イマイ)やコグレ(小暮模型)やミドリ(緑商会)の金型を引き継いだものが含まれているようですが、今回の1977年版カタログでは一世を風靡した1970年代のバンダイオリジナルの1/20スケール自動車群も沢山掲載されています。ヒット商品だったダルマセリカ、サバンナRX3、ギャランGTOのノーマル仕様が早くも絶版となりレーシング仕様に替わってしまっている一方で、1960年代イマイ金型の1/8スケールのジャガーEタイプ(自動車カタログ棚シリーズ第19回記事参照)や1/16スケールのトヨタ2000GT(自動車カタログ棚シリーズ第99回記事参照)など懐かしのキットもまだラインナップに残されています。新製品のポルシェ924やジャガーXJ-Sに実車写真が使われている以外はメーカー完成品の写真で構成されています。自動車プラモでは現在主流となっている1/24スケールが全くラインナップにないのが時代を感じさせます。
例によって全ての頁の紹介は困難なため、本記事では個人的な視点から抜粋して掲載いたします。




●1976年10月発行 1977年 バンダイ プラモデル カタログ (1977 Bandai plastic model kits catalog)
A4判・表裏共36頁。当時領価400円。自動車・戦車・戦闘機・旅客機・帆船・戦艦・兜/刀まで一通り掲載されています。
表紙


扉頁: 右上に1/8スケールの巨大なEタイプ
(1)扉頁


【1/20スケール ワールドカーシリーズ】
品番8091 フォルクスワーゲン1303S (1400円)
(2)ビートル


品番8124 ホンダ・シビックRS (1400円)
品番8082 フィアットX1/9 (1400円)
品番8083 アルピーヌ・ルノーA110 (1400円)
品番8084 BMW2002ターボ (1400円)
品番8130 マツダコスモAP (1400円)
品番8131 ニッサン・ニューシルビア (1400円)
品番8132 ニッサン・スカイライン2000GTX-ES (1400円)
品番8133 マツダ・ルーチェAP (1400円)
(3)シビック他8台

コスモAPとケンメリのアップ・・・ケンメリは御世辞にもプロポーションが良いとは言えないようだ。
(4)コスモ・ケンメリアップ

2代目シルビアと2代目ルーチェのアップ
(5)シルビア・ルーチェアップ


【1/16スケール スポーティーカーシリーズ】
品番8044 ポルシェ924 (3000円)
品番8045 ジャガーXJ-S (3000円)
(6)924XJS他




【1/20スケール レーシングカーシリーズ】・・・・・何だか当時の族車の雰囲気。と言うより族車がレーシング仕様を真似てたのかも?

品番8136 マツダ・サバンナ・レーシング (1200円)
(8)サバンナアップ


品番8137 トヨタ・セリカ1600GTレーシング (1200円)
(7)セリカアップ


品番8138 三菱ギャランGTOレーシング (1200円)
(9)GTOアップ


【1/8・1/12・1/16・1/20スケール ダイナミックカーシリーズ】
(10)ディーノEタイプ4台


品番8042 1/16 フェラーリ・ディーノ (1800円)
(11)ディーノアップ


品番8041 1/16 アルファロメオ1600スカラベオ (1800円)
(12)アルファスカラベオアップ


品番8088 1/16 フォードGT40 (1800円)
(13)GT40アップ


品番8001 1/8 ジャガーXK-Eクーペ (5500円)・・・・・全長何と55cm!このサイズで前進2速電動走行ギミック付。このキットは箱も巨大でした。
(14)Eタイプアップ
Eタイプ



品番8074 1/16 ローラ・フォード (1000円)
品番8075 1/16 ブラバム・フォード (1000円)
品番8040 1/16 ロータス・フォード (1000円)
品番8066 1/20 フォード・カプリ (1000円)
品番8076 1/20 ロータス・ヨーロッパ47GT (1000円)
品番8078 1/20 VWポルシェ914 (1000円)
品番8081 1/20 ポルシェ911ターボ (1000円)
品番8079 1/20 デトマソ・マングスタ (1000円)
品番8129 1/16 トヨタ2000GT (1000円)
品番8086 1/20 マクラーレンM8B (1000円)
品番8006 1/12 コルベット・スティングレイ (価格未定)
(15)F1他11台

ロータスヨーロッパ&デトマソ・マングスタ
(16)ヨーロッパ&マングスタ

ポルシェ914&トヨタ2000GT
(17)914&2000GT

1/12の巨大なC3コルベット・・・バンダイからは1/16スケールも出ていた(?)
(18)コルベットアップ
コルベット



【クラシックカーシリーズ】
品番8060 1/16スケール 1937年パッカードクーペ・ロードスター (3500円)
品番8037 1/16スケール 1931年ブガッティ・タイプ41ロワイヤル (3600円)
品番8055 1/16スケール 1914年デニス消防車 (3800円)
(19)パッカード他3台



品番8005 1/12スケール アルファロメオ6C-1750ザガート・レプリカ (3000円)
品番8046 1/16 スケール 1908年ロールスロイス・シルバーゴースト (3000円)
品番8043 1/16スケール 1908年トーマス・コンバーチブル (価格未定)
品番8059 1/16スケール 1908年トーマス・フライアバウト (2200円)
品番8008 1/12スケール エクスキャリバーSSロードスター (2800円)
品番8004 1/12スケール エクスキャリバーSSK (2600円)
(20)アルファ他6台



品番8063 1/16スケール 1904年イターラ (1800円)
品番8064 1/16スケール メルセデスベンツ (2000円)
品番8065 1/16スケール 1907年ビアンチ (2000円)
品番8038 1/16 スケール マーサー・レースアバウト (2000円)
品番8062 1/16スケール 1913年T型フォード・バン (2000円)
品番8061 1/16スケール 1914年T型フォード・ステークトラック (2000円)
品番8077 1/20スケール デューセンバーグ・モデルSJ (1200円)
品番8080 1/20スケール ロールスロイス・ファンタムⅡ (1200円)
(21)イターラ他8台



【トラック野郎シリーズ】
(22)トラック野郎全体


品番8798 1/20スケール ビッグ・トラック野郎 (3800円) 全長37cm
(23)ビッグトラック野郎


品番8795 1/48スケール トラック野郎「桃次郎」 (800円)
(24)桃次郎


品番8796 1/48スケール トラック野郎「爆走一番星」 (1200円)
(25)爆走一番星


品番8797 1/48スケール トラック野郎「望郷一番星」 (1000円)
(26)望郷一番星



【軍用オートバイ】
品番8067 1/8スケール BMW R/75 軍用オートバイ (2000円)
(27)BMW単車


品番8271 1/8スケール BMW R/75 軍用サイドカー (3500円)
(28)BMWサイドカー



【戦 車】
品番8246 1/15スケール 独4号戦車F2型 (5000円)・・・・・巨大なキット
品番8247 1/15スケール 独4号突撃戦車シュトルムゲシュツ (5000円)
(29)戦車2台



【飛行機シリーズ】
品番8508 1/72スケール 全日空YS-11 (1000円)
品番8516~8521 1/48スケール エアロスバル他ライトプレーン
(30)飛行機YS11他



【価格表】 (表3)・・・右下に1976年10月と定価400円の印字
価格表





★オマケ: なし
このカタログの中で1/16トヨタ2000GT、C3コルベット、全日空YS-11は大昔に入手してどこかに仕舞ってありますので、もし出て来ましたらオマケ画像に追加したいと思います。

★1959年ヂャイアント・コニー360 愛知機械工業初の四輪 ~ 自動車カタログ棚から 243

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大型で非常に強い台風18号が接近しています。東京でも明日の日曜日から月曜日にかけては雨になるようです。実は明日は例のシークレットLIVEを都内某所で行うので、来て下さる人の足に支障が出なければいいなと思っています。私が高校生の頃のオリジナル志向バンド(私の担当はリードギター)の再結成LIVEなのですが、思えば高校生くらいの頃には人前で演奏してもアガるなんてことは全くなくアガるということが意識の片隅にもなかったのが今はアガります。10代の頃は毎日楽器を弾きまくって没頭していたのでアガるなんてことが意識の片隅にもなかったという感じだったのが、今は雑念が増えてしまったせいか、どうしてもアガります。
高校生の頃も大勢の人の前で演説をするとかいうことは凄く苦手だったのに音楽を演奏する時は何故かアガりませんでした。明日はアガリ防止に眼深帽子に真黒なサングラスと口にはマスクをつけて出演すればいいのかもしれません。ぷぷっ、それでは逆に目立ちすぎて恥ずかしいですね。それでも私は人前で楽器を弾くのはまだ割合楽なのですが、元来が口下手なので大勢の人の前で何かプレゼンテーションをするとか朝礼で10分間何か話してくださいみたいなシチュェーションは凄く苦手です。どうしてもそういう状況から逃げられない時は万全の台本を作っておいて、クールに棒読みするようなことになりがちです。みなさんは如何ですか。人前でアガるなんてことがありますか。   




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★名古屋市 に本社を置く日産系列のエンジンおよびトランスミッションの製造メーカー「愛知機械工業」は、かつて1950年代には三輪トラック「ヂャイアント」、1960年代には軽四輪商用車「コニー」を自社ブランド製品として生産していた。
1958年(昭和33年)5月、東京国立近代美術館 にもその作品が収蔵されているジュエリー・デザイナーである宮田脩平氏(1933-)のデザインスケッチにより愛知機械工業初の四輪車の開発が開始され、翌1959年(昭和34年) 10月24日~11月4日に東京・晴海に会場を移して初めて開催された第6回東京モーターショー(当時の正式名称は全日本自動車ショー)にてヂャイアント コニー360トラック(型式AF3型)として展示され、同年12月より市販が開始された。モーターショー展示の僅か1ヵ月前の1959年(昭和34年)9月26日に中京地区を襲った伊勢湾台風により愛知機械工業は甚大な被害を受けたため、モーターショー展示用車両を用意出来ない緊急事態となっていたが、辛うじて難を逃れた試作車を急遽化粧直しして展示に間に合わせたという。


★ヂャイアント・コニー360トラックのフロントデザインは1957年型クライスラー・ニューヨーカーをアイドルにしたとも思われる個性的なもので個性的で愛嬌のあるヘッドライト周りの表情からオースチン・ヒーレースプライトMK1と同様の「カニ目」や「カエル」の愛称も付いた。
外観的にはルーフを白系とした当時流行のツートンカラーを採用したことも特徴であった。
機構的には座席の直下に強制空冷エンジンを配したアンダーフロアエンジンのミッドシップレイアウトを採用し、これはエンジンの上に人が乗る三輪トラックのレイアウトをそのまま四輪化したものと言えるが、低重心による良好な走行安定性を生み出していた。
トラックの発売から約半年遅れて1960年(昭和35年)6月にはライトバン(型式AF3V型)が追加され、1962年(昭和37年)4月までの2年5ヵ月の期間に計56,542台が生産された。
その間、当初、ダイレクトなフロアシフトがライトバン追加時にリモートコントロールのコラムシフトに変更され、1961年半ばにはエンジンが354cc19psに換装されている。
生産/販売台数が平均月2000台程度と比較的多かった割には現存車両が少なく確認されている個体は僅かに4台程度とも言われる。
なお、1960年(昭和35年)11月には丁度マツダK360に対するT600のようにヂャイアント・コニー360の全幅は変えずに全長およびホイールベースを延長し600cc22psエンジンを搭載した小型車ヂャイアント・コニー600(トラックAF5型・バンAF5V型)が追加されたが、1962年(昭和37年)2月までの僅か1年4ヵ月の短命に終わった。



【車名の由来】 コニー(Cony)は、ウサギの古風な呼び方。脱兎サン(DATSUN)、ラビット(RABBIT)と日本にはウサギに因む車名は多い。


【主要スペック】 1959年 愛知機械工業 ヂャイアント・コニー360トラック (AF3型)
全長2985mm・全幅1285mm・全高1515mm・ホイールベース1955mm・車両重量575kg・フロントミッドシップ・強制空冷4サイクル2気筒359cc・最高出力16ps/4800rpm・最大トルク2.62 kgm/3500rpm・3速MT・乗車定員2名・最大積載量350kg・燃料消費率27km/L(平坦路)・最小回転半径4300mm・ラック&ピニオン式ステアリング・電装系12V・最高速度66km/h・東京渡し店頭現金価格33万円



●三栄書房「モーターファン」 1960年2月号 表紙 
佐藤泰治氏の筆による発売されたばかりのコニー360の絵
モーターファン表紙



●コニー360広告 
上掲のモーターファン1960年2月号に掲載された広告
広告(1)

広告(2)




●1959年12月 コニー360 簡易カタログ (B5判・2つ折4面)
簡易表紙

中面より
簡易(1)中頁

裏面: スペック&図面
簡易(2)スペック図面

図面アップ
簡易(3)図面




●1959年12月 コニー360 本カタログ (B5判・12頁)
59表紙

【中頁から】
59(1)斜め

フロアシフトの運転席と各部
59(2)運転席と各部フロアシフト

運転席
59(3)運転席

フロントビュー
59(4)フロント

リアビュー
59(5)リア

サイドビュー
59(6)サイド

「軽免許で乗れる軽四輪車」・・・・・当時は16歳から軽自動車限定免許が取得出来た。
59(7)軽免許で乗れる軽四輪車

2気筒16psエンジン
59(8)2気筒16psエンジン

シャシー: エンジンが前後中央の低い位置に置かれていることがよく分かる。
59(9)シャシーエンジン中央




●1960年6月 コニー360 本カタログ (B5判・8頁)
ライトバンを追加し、コラムシフトに変更。
60表紙

【中頁から】
コラムシフトに変更
60(1)コラムシフトに変更

トラック
60(2)トラック

ライトバン
60(3)ライトバン

パネルバン&16psエンジン
60(4)パネルバン&エンジン




●1961年?月 コニー360 本カタログ (A4判・16頁)
エンジンを354cc19psに換装し、カタログ上の最高速度は78km/hに上がった。コニー360のカタログでは最も豪華なもの。ライトバンに対してトラックはスタンダード(標準車)と記載されている。
61表紙

【中頁から】
「午前4時! 市場ではコニーが朝早くから活躍しています」
61(1)午前4時

視界の広い運転席
61(2)運転席

トラック俯瞰カット
61(3)トラック斜め上

ライトバン俯瞰カット
61(4)ライトバン斜め上

トラック・サイドビュー
61(5)トラック・サイドビュー

ライトバン・サイドビュー
61(6)ライトバン・サイドビュー

パワーアップされた19psエンジンに換装
61(7)19psエンジンに換装

シャシー
61(8)シャシー

1960年代の国産車カタログの定番写真「みんなで楽しいピクニック」
61(9)ピクニック

左手前に「サロン春」の看板が見えますが、どこの街でしょうか。
61(10)サロン春どこの街?

図面&スペック
61(11)図面&スペック

トラック図面アップ
61(12)トラック図面

ライトバン図面アップ
61(13)ライトバン図面






★オマケ(その1): マルサン商店 1/19スケール コニー360ライトバン
全長16cm。フリクション駆動。マルサン商店はコニー360のトラックおよびライトバンを製品化したが、大半が玩具として消滅したと思われジャンクを含めても現存する個体は少ない。元箱付の現存は未確認。画像のものは全体に錆が回っていたものをリペイント(再塗装)したもの。ホイルキャップは右前1つだけが残っており、それを元にレジンで複製するしかありません。
マルサン(1)
マルサン(2)
マルサン(3)

マルサン商店「1963年版カタログ」から
コニーライトバン、コニー360トラック共に品番125。価格はトラック130円、ライトバン140円。マルサンの1961年版カタログではトラックのみが掲載されているのでライトバンは実車同様に後から発売されたもののようだ。
マルサン(4)トラックカタログ
マルサン(5)ライトバン



★オマケ(その2): 東京製品 1/21スケール程度 コニー360トラック 木製組立キット
全長14cm程度。ゴム動力。コニー360のデビュー時には既にマルサンからプラモデルが発売されていたが、これはプラモ以前に主流だった木製ソリッドキット。コニー360のこのような木製組立キットは幾つかのメーカーから出ている。
木製(1)
木製(2)





※愛知機械工業の製品については以下のバックナンバーも併せてご覧ください

ヂャイアント三輪トラック : 本シリーズ第187回記事

コニーグッピー : 本シリーズ第37回記事

★1965年 野村トーイ 鉄人28号 すーぱーくん ~ 玩具・模型カタログ棚から 014

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先週は久々のバンドのライブで、今日はまた午後からピアノのライブに出演してショパンとリストを弾いてきました。何だか仕事以外で凄くバタバタしています。自分ではイマイチだなと思った演奏でも、聴いてくださった人達に良かったです!なんて言われると、私は基本単純なので凄く嬉しくなります。まあ、多少のミスがあっても音楽を聴かせたい気持ちがあれば私のようなアマチュアでも何とかいけるのかなという感じです。

今日は少しずつ書き進めておいた「玩具・模型カタログ棚から」の14回目記事です。私と同年代位の方であれば、懐かしい内容かもしれません。



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★今回は、戦前から大手玩具メーカーとして存在し1992年(平成4年)に米ハチブロ(HASBRO)に吸収され2002年(平成14年)には玩具業界から撤退した巨星「野村トーイ」の1965年(昭和40年)前後と思われるカタログをご紹介します。
野村トーイに関する資料や情報が殆ど見当たらず、創業年や会社の沿革といったことが不明なのですが、1960年代、私が子供の頃にはバンダイ、アサヒ玩具、米沢玩具、増田屋あたりと並び玩具業界では巨星的な存在であり、忘れ得ぬ玩具を多く輩出したメーカーです。



月刊誌「少年」1960年8月15日発行 夏休み増刊号 表紙
今回記事の鉄人28号繋がりで最初にこの1枚。「少年」は終戦直後の1946年(昭和21年)から1968年(昭和43年)まで発行されていた光文社発行の月刊誌。鉄腕アトムや鉄人28号等の連載もあり、1960年代半ばまではメジャーな少年漫画雑誌だったが、少年マガジン、少年サンデー、少年キングといった週刊マンガ雑誌の台頭で廃刊に追い込まれた。この増刊号の表紙には当時国内市場に出始めたばかりのプラモデルが写されている。右側の鉄人28号は今井科学(イマイ)のリモコン仕様のプラモデル完成品。赤いリモコンボックスを手に持った表紙の少年は当時10歳としても現在は60代半ばとなっているはず。今井科学の鉄人は今回の記事の野村トーイ製鉄人が発売されるよりも古い、TVアニメ放送以前のもの。この表紙の号の出た1960年(昭和35年)には実写版の鉄人28号が日本テレビ系列で放送されていた。表紙の中央には逆さにひっくり返ったモデルペットNo.1のトヨペットクラウンRS21(薄紫色)も写っている。
少年表紙



●1965年 野村トーイの企業情報
社団法人日本玩具国際見本市協会が1965年10月19日~22日に東京都立産業会館で開催した第4回日本玩具国際見本市の出展企業一覧パンフレットより。主催の日本玩具国際見本市協会は、当時、野村トーイ会長の野村貞吉氏が会長を務めていた。菱型の中にT.Nの野村トーイの商標は戦前から連綿と使われていたもの。住所は東京都台東区蔵前2-17-5、取引銀行は三井信託銀行、神戸銀行、東京銀行の3行、取引販路は国内のみ記載され何故か海外輸出先の記載がされていない。取締役社長は野村芳朗氏。
企業情報




●1965年?野村トーイ 総合カタログ (A4判・20頁)
発行時期を示す印字が全くないカタログだが、1962年(昭和37年)から1960年代後半にかけて「たのしい幼稚園」に連載された「すーぱーくん」の玩具や1963年(昭和38年)に放送開始されたアニメ版鉄人28号の夥しい玩具に加えて1964年式トヨペットクラウン(最初のMC後のRS41)のブリキモデルが掲載されていることから、1965年前後の発行と推察されます。地味な表紙に加え、中頁も全て白黒印刷。例によって個人的な視点から抜粋して掲載します。
表紙

【中頁から】
飛行機各種
(1)飛行機各種

1961年ビュイック各種(全長41cm)、出来の良い1962年ビュイック(全長30cm)、1964年トヨペットクラウン(全長46cm)ほか
(2)61・62ビュイック他

品番T7「ベビートラック」(くろがねベビー) (全国140円・都内130円)
(3)くろがねベビー

トラック各種
(4)トラック各種

品番T14「小クレーントラック」 (全国360円、都内330円)。日野ZG13ダンプのキャブを流用した製品。
(5)小トラッククレーンZG

ゴーカート、ジープほか
(6)ゴーカート、ジープ他

電車各種・・・・野村の電車はサイドに「こくでん」「しょうなん」など平仮名でプリントされているのが味わい深い。
(7)電車各種

品番RC1 メルセデスベンツ300SL リモコン仕様 (全国690円、都内650円) 全長28cm
(8)ベンツ300SL

1964年トヨペットクラウン(リモコン仕様)、鉄腕アトムひかり号ほか
(9)64クラウンリモコン、アトムひかり

すーぱーくん2種
(10)すーぱーくん1

怒涛のすーぱーくん関連商品群
(11)すーぱーくん2

鉄人28号各種・・・歩行タイプだけでもT1(全国900円)、T2(全国440円)、T3(全国250円)と3種類も発売されていた。このあたりは、箱付でなくても軽く6ケタ以上のプライスが付くようだ。
(12)鉄人28号3種他

1961年ビュイック「鉄人28号」ほか、怒涛の鉄人関連商品。鉄人をプリントすれば何でも飛ぶように売れた時代だったことを物語っています。
(13)61ビュイック鉄人28号他

ロンパールーム関連商品群・・・・・1963年10月7日から1979年9月28日まで日本テレビ系列で放送されていたロンパールーム初期の関連商品。幼稚園の頃に見ていたので個人的にはとても懐かしい製品群。
(14)ロンパールーム1

ロンパールーム「お天気坊や」
(15)ロンパールームお天気坊や

ロンパールーム「ポリ製安全カー」ほか
(16)ロンパールーム安全カー他

裏表紙
(17)裏表紙





★オマケ(その1): 野村トーイ A3番 電動Convair CV-880 日航旅客機
全長40cm、翼長36cm。今回のカタログに掲載されている製品。当時定価: 都内700円、全国740円。実機は1960年から一般運用された中型ジェット旅客機で全長39.42m、翼長36.58mなので、この野村トーイ製はちょうど1/100スケール程度。この飛行機はエルヴィス・プレスリーの自家用機としても有名。
880(1)
880(2)
880(3)



★オマケ(その2): 朝日ソノラマ「鉄人28号」 (鉄人 超特急を守れ!の巻)
1965年3月10日 朝日新聞社発行。当時定価280円。O系試作型新幹線の絵は、前部が人の顔に見える。朝日ソノラマからは、もう1種類、鉄人28号のソノシートが出ていた。
ソノシート



★オマケ(その3): 1963年TVアニメ「鉄人28号」
フジテレビ系列にて、1963年(昭和38年)10月20日~1966年(昭和41年)5月25日に放送された、何度もリメイクされている鉄人28号の最初の白黒アニメ。私がまだ幼児だった頃に夢中で見ていたものなので懐かしくて涙が出ます。主題歌はもちろん今でもソラで唄えます♪


★1937年 ダットサン・トラック 戦前 ダットラの先祖 ~ 自動車カタログ棚から 244

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朝晩、急に冷え込むようになり何だか秋が駆け足でやってきたようです。
最初のブログ記事をアップしたのが2011年の10月15日でしたので、お蔭様で今日で丸3年となりました。早いもので4年目に突入です。
「自動車カタログ棚から」のシリーズを2012年6月に始めてからは段々とアクセスが増えるようになり、現在では本ブログをブックマークしてアクセスされる方が延べ月4万を超えるようになりました。今後も新しく始めた「玩具・模型カタログ棚から」のシリーズなどと共にマイペースで記事の更新を続けていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします(#^.^#)

今回は自動車カタログ棚シリーズの244回目。戦前のダットサン・トラックです。ダットラと言えば、個人的にリアルに懐かしいのは320、520、620あたりなのですが、それはまた追々ご紹介することとして今回は最初のダットラです。
 



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★戸畑鋳物株式会社(現日立金属)を創立した実業家 鮎川義介がダット自動車の株式の大半を取得して1933年(昭和8年)12月に自動車製造株式会社を設立し、その翌年1934年(昭和9年)5月の株主総会で現在の日産自動車株式会社に社名変更されてから今年で満80年を迎えた(但し、日産のHPでは日産に社名変更された1934年ではなく自動車製造株式会社が設立された1933年12月26日を創立日としている)。
1937年(昭和12年)に米車グラハムペイジの生産設備を使用したニッサン70型乗用車(本シリーズ第84回記事参照)、ニッサン80型トラック(本シリーズ第84回記事参照)および90型バスを発売する以前の最初期の日産自動車の生産車は小型車ダットサン(セダン、フェートン、ロードスター、トラック、ライトバン)のみであった。その中から今回は日産初の商業車である戦前型ダットサントラックをご紹介します(戦前のダットサン・セダン系についてはついては第192回記事をご参照ください)。


★俗にダットラと言われるダットサン・トラックは、1935年(昭和10年)春にデビューしたカタログモデル「ダットサン14T型トラック」が起源と言える。
1931年(昭和6年)の最初の10型ダットサン、1932年(昭和7年)の11型ダットサンの時代からダットサン乗用車シャシーに外注のピックアップまたはパネルバンボディを架装した記録は残っているが、商用パネルバンが正式なカタログモデルとなったのは1934年(昭和9年)9月デビューのダットサン13型から、トラックについては1年遅い1935年の14型で初めてカタログモデル「14T型」がデビューした。最初の14T型トラックは日産が裸シャシーまで造りボディは外注されたもので、日産横浜工場でボディまで載った完成車としてトラックが造られたのは1937年(昭和12年)デビューの15T型トラックからであった。
この最初のダットサン・トラックは2005mmのホイールベースやサイドバルブ722ccエンジンといった基本はダットサン乗用車系と同じながら、500kgの荷重に耐え得るよう商用系のシャシーは各部が強化されタイヤや最終減速比も変えられていた。戦時体制のために乗用車系は1938年(昭和13年)までで生産がストップしたが、トラックについては軍需用として終戦前年の1944年(昭和19年)まで生産が続けられた。戦後は基本的に戦前シャシーのままでボディプレスも殆ど変えずに生産が再開され、エンジン出力を戦前の15ps~16psから20ps、最終的には25psまで上げながら1954年(昭和29年)まで連綿と製造された。最初のダットサン・トラックは1935年の初期型と1954年の最終型とでは第二次世界大戦を挟んで20年近い時の隔たりがあるが、基本的には同じ外観のままだったと言える。
真にモダンな戦後型ダットサン商用車がデビューするのはダットサン乗用車110系と同時発売の120型トラックの登場まで、終戦から10年もの時を待たねばならなかった。


【主要スペック】 1937年 ダットサン15T型トラック
全長2797mm(バンパー共3020mm)・全幅1197mm・全高1550㎜・ホイールベース2005mm・車重670kg・FR・水冷直列4気筒SV722cc・最高出力16ps/3600rpm・圧縮比5.4:1・最大トルク3.8Kgm/2.000rpm・変速機3速MT・乗車定員2名・最高速80km/h・新車価格: A型(半ドア型)1620円・B型(パネルドア型)1640円



●1939年(昭和14年)晩冬、銀座6丁目 フランス料理コロンバン前を行く1935年ダットサン・トラック14T型 (別冊CG「写真で見る 昭和のダットサン」より)
撮影: 写真家 師岡宏次氏(1914年-1991年)。1931年(昭和6年)11月に銀座6丁目角に門倉国輝氏(1893年-1981年)の手により開店した銀座コロンバンが鮮明に写っている。コロンバンの建物の角には派手なエッフェル塔の模型看板が付いている。銀座コロンバンは2階をフランス風サロンとして藤田嗣治画伯の天井壁画6枚を飾り、本格的なフランス料理店として開店し、菊池寛、東郷青児、丹羽文雄等の著名人が常連客だったと言われる。同店ではフランス料理・フランス菓子の皇室や宮内省等への配達用にダットサントラック14T型を2台購入して使用していたという。 コロンバンの奥に止まっているのは全てアメリカ車のようだ。荷車が走り、手前を野良犬が横切る、失われた冬の銀座の光景。現在は見かけなくなった野良犬は、この写真から更に25~30年を経た1960年代の東京にも沢山いて、オバケのQ太郎よろしく子供だった私は犬に追いかけられて逃げ回った経験が一度ならずある。
コロンバン



●1937年 ダットサン トラック15T型 カタログ (縦21.5×横15.5cm・6つ折12面)
フロントグリル中央の縦バーが太い戦前最終型ダットサントラックのカタログ。セダンの17型に相当するがトラックの戦前最終型の型式名称は17T型ではなく15T型。
戦前表紙


【中面から】
・中を開いていくとライトバンがトラックに替わる洒落た構成

ライトバン 
【生きた廣告 移動する店舗】
『美術的な色彩と意匠 印象的な可愛ゆき姿 
街から街へ お店の商品とノレンとを暗示しながら
スピードとスマイルとを振撒きながら 忠実な達者な配達車』
戦前(1)バン

トラック
戦前(2)トラック

内部機構
戦前(3)機構

15T型トラックの改良点
戦前(4)15T型改良点

スペック
戦前(5)スペック



●1935年ダットサン自動車正価表
トラックA(半ドア型)が1620円、トラックB(セダン型)が1640円、ライトバンが1720円と記載されている。一番お洒落なランブルシート付のロードスターはセダンやフェートンより安く1750円と意外にもライトバンの価格と大差ない。
価格表



●広報誌「ダットサン トラック ニュース 第6号」  (縦21.5×横15.5cm・12頁)
1937年(昭和12年)3月に発行されたダットサントラックに特化した広報誌の第6号。何号まで続いたのものか不明。表紙は東京駅丸の内駅舎をバックに荷物満載で走るダットサントラック。
ニュース表紙

【中頁から】
「ダットラ オンパレード」・・・・現在一般的な「ダットラ」の名称は戦後生まれたものではなく、意外にも戦前から使われていた。カラーでないのが残念だが、広報誌ならではの当時実際に使用されていたクルマ達の写真は興味深い。

上:熊本逓信局、下:洋紙の岡本商店 (日本橋)
ニュース(1)オンパレード

精養軒ベーカリー
ニュース(2)精養軒

煙草の釜屋商店 (新橋)・・・・人物が一緒の写真は物語を感じさせられる。
ニュース(3)煙草の釜屋人物入り

支那料理「山水桜」 (日本橋)
ニュース(4)シナ料理山水桜

お茶の山本山 (日本橋)
ニュース(5)お茶の山本山

日立製作所
ニュース(6)日立製作所

エビスビール
ニュース(7)エビスビール

森永製菓
ニュース(8)森永製菓

明治製菓
ニュース(9)明治製菓

茅ヶ崎町 消防組のポンプ消防車
ニュース(10)茅ヶ崎町消防組



●1937年 ダットサン自動車消防ポンプ (縦30.5×横23cm・4つ折)
戦前の日産消防車総合カタログの1頁。80型トラックベースの消防車やダットサンエンジンを用いた手曳きポンプも掲載された消防車専用カタログ。
消防車カタログ



●1950年 ダットサン トラック  リーフレット (A4・表裏1枚)
ホイールベース2005㎜、722cc15馬力とスペックも外観も殆ど戦前のままの戦後型。
リーフレット表

裏面: 図面&スペック
リーフレット裏



●1952年 ダットサン トラック 専用カタログ (B5判・2つ折4面)
牧歌的で絵本のような表紙が実に魅力的なカタログ。ホイールベースは145㎜延長されて2150㎜となり、エンジンも860cc20馬力に換装された。
牧歌表紙

【中面から】
札幌牛乳
牧歌(1)札幌牛乳

牧歌(2)シャシー他

運転席
牧歌(3)運転席・縦写真

図面
牧歌(5)図面アップ

裏面: スペック&図面
牧歌(4)裏面スペック図面



●1952年 ダットサン トラック 専用カタログ (B5判・2つ折4面)
上掲のカタログと同じスペックのカタログで発行された前後関係は不明。どちらのカタログも裏面右下に521=1952年1月と思われる同じ印字がされているが、表紙だけでなく中面も全く異なるカタログ。このカタログでは860cc20馬力になったことが強調されているので、発行時期は上掲のものよりこちらの方が先かもしれない。
黄色表紙

【中面から】
黄色(1)中全体

860cc20馬力となったことを強調
黄色(2)20馬力を強調



●1953年 ダットサン トラック 専用カタログ (B5判・3つ折6面)
型式名称7147型の記載があり、エンジンは860ccのまま出力は25馬力にアップされた。
53表紙

【中面から】
53(1)全体

三面図
53(2)三面図

裏面: スペック
53(3)裏スペック



●1953年 ダットサン商用車 総合カタログ (B5判・4つ折8面)
6147トラックに加えて、ダブルピックアップDU-5型、ダットサンデラックスセダンベースのデリバリーバンDV-5型を掲載。DU5型は4名乗り300kg積みで、ダットサン初のダブルピックアップ。
総合表紙

【中面から】
トラックのリアビュー
総合(1)リアビュー

ダットラ初のダブルピックアップ
総合(2)Wピックアップ

図面: 上 トラック、下 ダブルピックアップ
総合(3)図面2台

25馬力エンジン
総合(4)25psエンジン

シャシー
総合(5)シャシー

スペック(トラック・ダブルピックアップ・デリバリーワゴン)
総合(6)スペック



●1954年 ダットサン トラック 専用カタログ (A4判・2つ折?)
日本の自動車史研究の第一人者だった五十嵐平達氏のコレクションより。ネコ・パブリッシング発行のカーマガジンに五十嵐平達氏が連載されていた「コンテンポラリィ・ノンフィクション」の記事にて日産自らが戦前型ダットサントラックへの惜別の情を込めてつくったであろうカタログと記されているもの。ダットサンの1954年型カタログは総じて稀少だが、このカタログは特に稀少で五十嵐コレクション以外では見たことがない。五十嵐氏の没後、氏の膨大なコレクションはトヨタ博物館に寄贈されたので、このカタログも恐らく現在はトヨタ博物館に所蔵されているはず。
1954年五十嵐氏所蔵






★オマケ(その1): エブロ 1/43スケール 1938年ダットサン トラック
2011年発売。税抜定価4300円。品番は紺が44348、茶が44349。フロントグリルに太い縦バーの入った戦前最終の15T型トラックをモデルにしているが、何故かエブロの製品名ではセダン系と同じ17型の表記がされている。最近のエブロは生産数が少ないのか市場から消えるのが早いが、このトラックは不人気故か現在はまだ市場在庫があるようだ。
エブロ(1)
エブロ(2)
エブロ(3)
エブロ(4)




★オマケ(その2): 戦前絵本「ジドウシャ」 表紙 (B5判・20頁)
1940年10月25日 絵本文化研究会発行。東京市下谷区の二葉書房 発売。当時定価20銭。絵:上田三郎画伯・文:奈街三郎氏。表紙はフロントグリル中央に太い縦バーの入った戦前最終17型ダットサン・フェートン。男の子と女の子を乗せてお父さんが運転。トラックではないが戦前のダットサンということでオマケに掲載。中頁も当時の国内で見られた自動車が多数描かれている魅力的な絵本。
絵本フェートン

★1963~1965年アサヒ玩具 クライスラーインペリアル ~ 玩具・模型カタログ棚から 015

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★玩具・模型カタログ棚シリーズの第12回「1962年 旭玩具製作所カタログ」の記事でご紹介した通り、国産初のダイキャストミニカー「モデルペット」や1962年クライスラーインペリアルの金属玩具で有名なアサヒ玩具の歴史は古く、1931年(昭和6年)に「岸玩具」の名称で創業し、戦後1948年(昭和23年)に「株式会社 旭玩具製作所」、更に1963年(昭和38年)に「株式会社アサヒ玩具」と改称した。

今回は株式会社アサヒ玩具に社名変更された1963年からの3年間、1963年・1964年・1965年の年次製品カタログ3冊を駆け足でご紹介します。その年々の新製品の頁を中心に、例によって個人的な視点から抜粋してアップします。なお、コーギー、ソリド等のアサヒ玩具が輸入販売した製品については今回は全て割愛することにします。



●東京玩具商報 1963年2月号 表紙 「旭玩具1962年クライスラー・インペリアル」
玩具商報表紙

1963年2月15日発行・B5判。国立国会図書館の蔵書より。国会図書館に蔵書された年月日1963年(38年)2月21日のスタンプが表紙に押されている。雑誌タイトル下には「世界最高の超豪華車を・・・最高の技術で玩具化」の文字。この号の時点での社名はアサヒ玩具ではなく、まだ旭玩具製作所。国会図書館で東京玩具商報のバックナンバーを調べてみたところ、1963年6月号までは旭玩具製作所のクレジットで広告が載っているのが同年8月号よりアサヒ玩具に切り替わっているので、アサヒ玩具への社名変更は1963年7月頃と推察される。表紙はアサヒ玩具の代表作となった1962年クライスラー・インペリアル3台(黒、青メタ、薄茶)。黒、青、青メタ、赤はアンティーク・トイ市場で見かけるが、左側に写っている薄茶は全く見かけないので試作品のみのカラーかもしれない。現在、箱付ミントなら軽く7桁のプライスが付き、これを持っていれば一流のコレクターとも言われるインペリアルだが、アサヒ玩具のカタログでは1963年版から1967年版まで5年間もカタログに載り続けており、日本国内でもこれまでヤフオクなどには相当な台数が出品されている。現存しているモノがこのインペリアルより少ない製品は自動車ブリキ玩具に限っても他に沢山ある。それにも関わらず、人気が高く需要が多いが故に超高値(アメリカのプライスガイド本の記載はミント品で2万5000ドル≒270万円)を維持している印象があり、物凄くレアなモデルとも言えない。ちょうどトミカで言えば香港製のギャランGTOのような存在で、超高額覚悟であれば入手できる可能性は高い。1950年代末に萬代屋あかばこ「世界の自動車シリーズ」の製品化車種選定に当ってのスーパーバイザーをされていた朝田隆也氏から、1960年代後半(1967年頃)にアサヒ玩具を訪ねた際に高価で売れずに過剰在庫していたインペリアルが文字通り山積みされていて「お土産に何台でもお持ち帰りください」と言われたが大きくて持ち帰るのが大変なので貰わなかった旨のお話を伺ったことがある。私は平成の初め、1990年頃にJR中野駅北口の飲み屋街の中にあったアンティークショップ「ニコニコ精神病院」(本店・自由が丘)でこのインペリアルの黒を安価(1万円程度)で入手したが、どうしても欲しいと言われる方に譲ってしまい現在手元にはない。7桁以上の高額では、恐らくもう一生手にすることはないだろう。



●東京玩具商報1963年5月号 「旭玩具製作所 自動車玩具 見開き広告」
ニューモデルとして以下の6台が掲載されている。米車群は何れも傑作。インペリアルの1300円は現在の貨幣価値では10倍程度の1万円を軽く上回る高額玩具だったと思われる。

・1962年プリンス・スカイラインスポーツ (全長26cm・250円)
・1962年フォード・ランチワゴン (全長31cm・380円)
・1962年シボレー・インパラ4ドアHT (全長30cm・350円)
・1962年クライスラー・インペリアル (全長40cm・1300円)
・1963年トヨペット・クラウンデラックス (全長27cm・300円)
・1961年トヨペット・スポーツ (全長26cm・270円)
広告(1)
広告(2)


●1965年 アサヒ玩具の企業情報
1965年10月「第4回 日本玩具国際見本市」出展企業一覧より。住所は東京都台東区蔵前2-7-2、社長は岸 淑浩氏。ATC(Asahi Toy Co.の略)のロゴの入った袋をかついだサンタクロースのマークが旭玩具製作所時代からのよく知られた商標。
企業情報




●1963年 旭玩具製作所 商品カタログ (A4判上質紙・日本語版・24頁+)
1962年末以前の発行?このカタログでは社名はまだ旭玩具製作所。アサヒの年次製品カタログは同じ表紙で日本語版と海外バイヤー向け英語版の2種類が発行されている。この年の表紙と裏表紙は一続きになっており、GMバス、MGA、151系こだま金型サンタフェ、ルノーフロリード、VWカルマンギア、フェラーリ250GT等が描かれている。
63表

裏表紙
63(1)裏面

旭玩具のあゆみ
63(2)旭玩具のあゆみ

モデルペット: 1番クラウンと5番ブルーバードがカタログ落ちし、16番スカイラインスポーツ・クーペと18番ベレルが追加された。
63(3)モデルペットその1
63(4)モデルペットその2

品番3597クライスラーインペリアル(全長40cm・価格空欄)・・・・旭玩具自らが「金属自動車モデル玩具史に残る名傑作品」と謳っていることに注意。旭玩具としても絶対の自信を持って発売した製品だったことが判る。
63(5)インペリアル価格無

品番3598シボレーインパラ(全長30cm・価格空欄)
63(6)インパラ絵・価格無

圧倒的人気のトヨタ車群・・・・・品番3601としてモーターショー展示車1961年トヨペット・スポーツ(全長26cm・270円)を追加
63(7)トヨタ車7台観音入り

トヨペット・スポーツ部分のアップ
63(8)トヨペットスポーツアップ

品番3602 いすゞTXダンプトラック (全長25cm・300円)
63(11)いすゞダンプ大

品番3595 プリンス・スカイラインスポーツ クーペ (全長26cm・250円)
63(9)スカイラインスポーツ

品番3594 フォード・ランチワゴン (全長31cm・380円)
63(10)フォードランチワゴン

上: 品番3604 GMバス(全長38cm・価格未記載)、下: 品番3603 GM特大ゴールデンバス (全長43.2cm・880円)
63(12)GMバス2種




●1964年 アサヒ玩具 商品カタログ (A4判上質紙・日本語版・32頁+)
1963年末以前の発行?表紙はクライスラー・インペリアル。アサヒ玩具に社名変更された後の最初のカタログ。米マテル社のモデルガン/ライフル類、後に増田屋が扱った英ロンスター社のダイキャスト製鉄道モデル、英コーギー、仏ソリッド、伊マーキュリー、米モノグラム、米AMTといったアサヒ玩具が輸入した海外製品も一通り掲載されており頁数が増えている。
64表紙

モデルペット・・・・2SAのマスターライン救急車、10STセドリック東京駅構内タクシー、12SPクラウン警視庁パトカー、20番1963年クラウン、504番エッソスタンド等を追加。
64(1)モデルペット1
64(2)モデルペット2

品番3597クライスラーインペリアルが1300円、品番3598シボレーインパラが350円と前年カタログでは空欄だった価格が記載され、インパラは製品写真となった。インペリアルは表紙には製品写真が載ったが何故かここでは実車カタログの絵のまま。
64(3)インペリアル価格入り
64(4)インパラ製品写真価格入り

トヨタ車玩具のラインナップに品番3618 1963年クラウンデラックスRS41 (全長27cm・300円)と品番3623 1963年クラウン警視庁パトカー(全長27cm・300円)を追加。
64(5)トヨタ車6台・観音絶版

2代目クラウンのノーマルと警視庁パトカーを加え、初代観音クラウンはカタログ落ちした。
64(6)クラウンノーマル・パト追加

品番3641 いすゞTXダンプトラック小サイズ(全長24cm・価格空欄)を追加。売れ筋商品はサイズ違いが発売される例が多く、このいすゞTXダンプも前年発売されたモデルの縮小版だがフロントグリルが異なり、この小サイズの方が年式は新しいようだ。
64(7)いすゞダンプ小サイズ

品番3625 国鉄こだまバス (全長21cm・100円)・・・・国鉄151系ビジネス特急こだまをバス化した珍妙なモデル。
64(8)こだまバス

品番3620 ホンダオートバイ大 (全長25cm・180円)、品番3616ホンダオートバイ小(全長20cm・110円)他
65(11)ホンダオートバイ2種他

電車各種・・・品番3622特大夢の超特急(全長55cm・600円)、品番3627ヨーロッパ超特急(全長82cm!・770円)、品番3626夢の超特急小(全長29cm・130円)等を追加。
64(9)鉄道物ヨーロッパ特急



●1965年 アサヒ玩具 商品カタログ (A4判上質紙・日本語版・36頁+)
1964年末以前の発行?頁数は更に増え分厚くなった。表紙はモデルペット20番の2代目クラウンデラックス(RS41)。
65表紙

モデルペット・・・・21番マスターライン、22番S4グロリア、24番コルト1000、25番410ブルーバード、103番ホンダオートバイ(1/28スケール)等を追加
65(1)モデルペットその1
65(2)モデルペットその2

品番6670 1964年フォード・サンダーバード2ドアHT(全長34.2cm・500円)、品番3666 1964年フォード・サンダーバード2ドアHT小(全長31.5cm・380円)、品番3667 1964年フォード・サンダーバードオープン(全長31.5cm・360円)が追加された。Tバードを微妙なサイズ違いで2種同時リリースした理由は謎。品番3597のクライスラー・インペリアルは1300円から1100円に値下げされた。インペリアルは翌1966年版カタログでは一気に770円まで値下げされており、高価過ぎて売れずに過剰在庫を抱えていたことを窺わせる。
65(3)インペTバードインパラ

2代目クラウンは前年のノーマルと警視庁パトカーに加えて、品番3650 1963年クラウン・ファイアーチーフ(全長26.5cm・300円)および品番3649 1963年クラウン救急車(全長26.5cm・300円)が加わった。2代目トヨエースはロングセラー商品。
65(4)クラウン3種+トヨエース

クラウン・ファイアーチーフのアップ
65(5)クラウン消防指令車

クラウン救急車のアップ
65(6)クラウン救急車

スバル360、マツダR360クーペ、縦目セドリックに加え、品番3187のこの時点で既に7年落ちの1958年ビュイック(全長35cm・730円)も連綿と販売。
65(7)58ビュイック他

品番3654 1962年シボレーインパラ元帥車 (全長30cm・350円)を追加・・・・・US.ARMY仕様だがカタログには「元帥車」と記載されている。
65(8)元帥車他クーペ等

品番3651、3652、3653、3610 ジープ4種
65(9)ジープ4種

品番3661 耕耘機 (全長18.1cm・価格空欄)
65(10)耕耘機

鉄道車輛各種
65(12)鉄道6種

品番3644 アメリカ超特急 (全長69.5cm・660円)が加わった。前年追加されたヨーロッパ超特急より一回り小さい双頭型(両運転台)タイプ。
65(13)アメリカ超特急他

鉄道セット物 各種
65(14)鉄道セット物各種

品番3660 超特急ひかり連結 (全長103cm!・1100円)・・・・珍しい中間車が付いた2両セット。連結すると全長1mを超える巨大な製品。箱絵のサンタの顔がちょっと怖い。
65(15)連結ひかり

旅客機4種・・・・ノースウエスト、AAに加えロングセラーの日航DC-7C、そして新製品として日航DC8(全長56cm・550円)が加わった。
65(16)旅客機日航2種他






★オマケ(その1): アサヒ玩具 1/18 スケール 1962年 プリンス・スカイラインスポーツ
今回ご紹介したカタログに掲載されているアサヒ玩具製品を幾つかオマケに掲載します。品番3595・全長26cm・当時定価:全国250円のスカライン・スポーツ。
スカイラインスポーツ(1)
スカイラインスポーツ(2)
スカイラインスポーツ(3)



★オマケ(その2): アサヒ玩具 1/17スケール 1963年 トヨペット・クラウン警視庁パトカー
品番3623・全長27cm・当時定価:全国300円。写真で構成されたボックスアート(箱絵)が味わい深い。フロントナンバーが東京の地区表記が入る前のものながら3輪を表す「6」となっているのはご愛嬌。パトカー、アンビュランス(救急車)、ファイアーチーフ(消防指令車)と3種類出されたアサヒ玩具2代目クラウンのバリエーションは箱付で現存しているものが意外に少ない。パトカーは国内向けのこの警視庁仕様以外に輸出向けのポリス(Police)、ポリツァイ(Polizei)、ポリティエ(Politie)仕様も造られている。品番3618のノーマル仕様については自動車カタログ棚シリーズ第102回記事のオマケをご参照ください。 
パトカー(1)
パトカー(2)
パトカー(3)



★オマケ(その3): アサヒ玩具 1/17スケール 1963年 トヨペット・クラウン・アンビュランス
品番3649・全長27cm・当時定価:全国300円。
救急車(1)
救急車(2)
救急車(3)



★オマケ(その4): アサヒ玩具 1/17スケール 1963年クラウン・ファイアーチーフ
品番3650・全長26.5cm・300円。
消防指令車(1)
消防指令車(2)
消防指令車(3)



★オマケ(その5): アサヒ玩具 1/36スケール 国鉄こだまバス 
品番3625・全長21cm全幅7cm・当時定価:全国100円。実物の全幅が大型車枠一杯の2500mmと仮定すれば、ちょうど1/36スケールくらい。前面にはスリーポインテッドスターが入ったベンツ風の珍妙なバスだが、「東京⇔大阪」「JNR」等のプリントや矢印型リアウインカー(後部灯火式方向指示器)が味わい深い。
こだまバス(1)
こだまバス(2)
こだまバス(3)


★1955年 ダットサン120型トラック 最初の戦後型ダットラ ~ 自動車カタログ棚から 245

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★近年の日本では大まかな年齢層を示す際に以下のような言葉が使われ始めている。

アラハタ or アラトゥー・・・・・15歳以上24歳以下(アラウンド=around・ハタチ)
アラサー・・・・・25歳以上34歳以下(アラウンド・サーティ)
アラフォー ・・・・・35歳以上44歳以下(アラウンド・フォーティ)
アラフィフ ・・・・・45歳以上54歳以下(アラウンド・フィフティ)
アラカン or アラシックス・・・・・55歳以上64歳以下(アラウンド・還暦orシックスティ)
アラコキ or アラセブン ・・・・・65歳以上74歳以下(アラウンド・古希 or セブンティ)
アラエイ ・・・・・75歳以上84歳以下(アラウンド・エイティ)
アラナイ ・・・・・85歳以上94歳以下(アラウンド・ナインティ)
アラセン or アラハン ・・・・・95歳以上104歳以下(アラウンド・センチュリー or ハンドレッド)

例えば30歳からプラスマイナス3歳程度をアラサーと言う場合と上記のように四捨五入によって25歳から34歳までをアラサーと言う場合とに定義は分かれる。四捨五入法を採った場合には、あらゆる年齢の人を区分可能だが、プラスマイナス3歳程度とする場合には○○代半ばの人達がどの区分からも外れると言うことになる。1世紀=センチュリーを示すアラセンまで心身共に健康で生きられれば望外の幸せというものだろう。平均寿命を遥かに超えて生き長らえてアラセンとなれる確率は低いが、有名人では日野原重明さん(1911年10月4日-)あたりはアラセンの代表と言えるだろう。
もし運良く100歳まで生きられたとしても、永久に続く時空間の中で見れば人間の生きる時間というのは、ほんの僅かな一瞬とも言える。遠い将来、再生医療などの進歩によって人間の平均寿命が300歳位になったとしても、何万光年といった宇宙時間の中ではまだまだ短い。もし1万年後位に平均寿命が1000歳位になったら、ちょっとはいいかもしれない。そんなに長生きしたくはないという向きもいるかもしれないけれど。


★私は四捨五入法を採ると今日で⑤のアラカンになってしまった。いまだに独身で戸籍真っ白、天涯孤独の状態で歳を重ねていくことは何とも寂しく辛いものがある。
私のようなアラカンでは芸能人や富豪でもない限り、もうこれから結婚することはほぼ絶望的だというのが一般論であろう。もし人間の平均寿命が200歳だったとしたら50代ならまだまだ残りの人生が3/4と長いけれど、運が良くてもたかだか100歳程度までが限度では折り返し地点を過ぎてしまっている現在、残された時間というものをどうしても意識してしまう。
しかし、「人間である以上、人生最大の目標は結婚にあり、独り身のまま人生を終えることは最大の不幸である。」というのが持論なので、外野の意見に惑わされずに悔いのないよう、まだまだこれからの人生を楽しみたいと思うのである(爆)。


~~~閑話休題~~~


今日は自動車カタログ棚シリーズの第245回として、前回ご紹介した最初のダットラの続編として初の戦後型ダットサン・トラックをご紹介します。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



★1930年代半ばから太平洋戦争を跨ぎ改良を重ねながらも連綿と生産が続いた最初のダットサン・トラックは1955年(昭和30年)1月にダットサン120型トラックにフルモデルチェンジした。
120型トラックは、同時にデビューした日産初の戦後型乗用車110型セダン(本シリーズ第110回記事参照)をベースとした車両であった。梯子型フレームに前後サスペンション固定という下回りに110型セダンと同じデザインのキャブを載せたトラックである。そのデザインは当時の日産自動車造形課長であった佐藤章蔵氏によるもので、「戦後の日本の貧乏を肯定した無駄がなく健康的で実に優れたデザイン」として毎日新聞社の毎日工業デザイン賞(産業デザイン賞)を受賞した。

★ダットサン120型トラックはシャシーおよびボディを一新して登場したが、エンジンは戦前からの設計を踏襲した旧弊なサイドバルブD-10型(SV860cc25馬力)が搭載されていた。
デビュー1年後の1956年(昭和31年)1月にフロントウインカーを縦長の意匠に変更しグリル中央にオーナメントを追加した上、左右フェンダー上に砲弾型ウインカーを新設した122型、1956年(昭和31年)6月に変速機をフロアシフトからコラムシフトに変更した123型、1957年(昭和32年)10月にフロントウインドを曲面ガラスとし室内計器盤を変更した124型、1958年(昭和33年)10月にウインカーをフェンダー上からフロントパネルに移した最終の125型へと進化・変遷した。以上の変遷は基本的にセダンのマイナーチェンジに準じたものであった。この120型~125型までの積載量は全て750kgであった。

★1957年(昭和32年)10月、新開発されたOHV 988cc 34馬力のC型エンジンを搭載した220型ダットサン・トラック1000がデビュー。
これは、ダットサン1000セダン210型のトラック版であった。積載量は従来より100kg多い850kgとなった。新しいC型1000ccエンジンは、当時日産がノックダウンしていたオースチンA50ケンブリッジのエンジンのストロークを縮めて開発され、当時の日本製エンジンとしては異例とも言えるショートストロークの高回転型であった。このC型エンジンは1959年(昭和34年)8月デビューの310型ブルーバードでも搭載された。電装系は210型セダンと同様にトラックも220型より従来の6Vが12Vに変更された。1958年(昭和33年)10月に210型セダン、124型トラックと同時にウインカーをフェンダー上からフロントパネルに移した221型となり、この時同時にホイールベースを30cm延長し2520㎜とした1000kg積みのG221型を追加した。

★旧弊なサイドバルブD-10型エンジン搭載の860cc車125型トラックは1959年(昭和34年)秋までで生産を終え、その後は1000cc車のみ生産が継続された。
1000cc車は1959年10月にフロントグリルをダットサン211セダン風として荷箱にモダンなキャラクターラインを入れた222型/G222型、1960年(昭和35年)10月にフロントグリルを再度小変更し初代ブルーバード1200と共通のE1型1200cc55psエンジンに換装した223型/G223型と進化したのち、1961年(昭和36年)8月に初代ブルーバード310ベースの320型トラックにバトンを渡した。


※データ容量オーバーのため、ライトバン、ダブルピックアップのカタログは初期・中期のみ掲載します。


【主要スペック】 1955年 ダットサン120型トラック 
全長3,742mm・全幅1,466mm・全高1,555mm・ホイールベース2,220mm・車重865kg・D-10型SV860cc・最高出力25ps/4000rpm・最大トルク5.1 kgm/2400rpm・変速機4速フロアMT・乗車定員2名・最大積載量750kg・最高速75km/h・販売価格59万8000円



●1955年 ダットサン120型トラック 広報写真
これは自動車工業振興会の出している自動車ガイドブック英語版に掲載されたもの。幌を外して幌骨のみとなった120型トラックの荷台にジャングルジムよろしくイガグリ頭の子供10人以上が群がって遊んでいる。どのような意図で撮られた写真なのだろうか。
ジャングルジム


●1956年 ダットサン122型冷凍車 「雪印アイスクリーム」
広報誌「ニッサングラフ」1956年7月号より。埼玉深谷市の雪印総代理店だった小林近太郎商店の車両。カラーは白に空色だろうか。122型はフロント左右のウインカーが縦長であることで識別出来る。
雪印乳業


●1956年 ダットサン122型トラック 「三菱電機」
広報誌「ニッサングラフ」1957年3月号より。東京神田鍛冶町の三菱電機販売店「松見商会」の車両。カラーは黄色にオレンジだろうか。
三菱電機



●1955年1月 ダットサン120型トラック カタログ (縦24.5×横24cm・2つ折4面)
同時発売の乗用車ダットサン110型の初期カタログの双子カタログでつるつるのコーティング紙を使用していることも写真で構成されたデザインもよく似ている。
写真表紙

【中面から】
写真(1)前後

シャシー
写真(2)シャシー

裏面: スペック
写真(3)スペック



●1955年4月? ダットサン120型トラック カタログ (縦24.5×横24cm・6つ折12面)
上質表紙

【中面から】
新旧ダットサントラックの比較
上質(1)新旧比較

初期型は計器盤をダッシュパネル中央に設置したセンターメーター。
上質(2)センターメーター室内

二面図
上質(3)二面図



●1955年4月? ダットサン120型系商用車 総合カタログ (B5判・16頁)
120型トラックの他、U120型ダブルピックアップ、AV120型ライトバン、V120型デリバリーバンの4車種を掲載したダットサン商用系総合カタログ。120初期型では最も豪華なカタログ。
総合表紙

【中頁から】
120型トラック
総合(1)120トラック

U120型ダブルピックアップ
総合(2)Wピックアップ1
総合(3)Wピックアップ2

AV120型ライトバン・・・・後列シートを有した4名乗り。
総合(4)AV120ライトバン1
総合(5)AV120ライトバン2

デリバリバン・・・・2名+荷物のレイアウト
総合(6)V120デリバリバン1
総合(7)V120デリバリバン2

図面: U120型ダブルピックアップ
総合(8)Wピックアップ図面

図面: AV120型ライトバン
総合(9)ライトバン図面

裏面: スペック
総合(10)裏面スペック



●1955年7月 ダットサン120型トラック カタログ (B5判・4つ折8面)
557表紙


●1955年 ダットサン W110型エステートワゴン (B5判・4つ折8面)
K110型コンバーチブルと併載されたカタログより。これは商用車でないが、1955年ダットサンのボディバリエーションとして掲載。極く少数が造られた4ドアワゴンでフロントグリルは110型セダンと共通。
55エスエートワゴン



●1956年1月 ダットサン122型トラック 広報写真
最初のマイナーチェンジ。カタログが手元にないため、広報写真を1枚。フロント左右のウインカーを縦長に意匠変更。
広報写真122型トラック


●1956年1月 ダットサンAV122型ライトバン 専用カタログ (B5判・2つ折4面)
56ライトバン表紙

中面から
56ライトバン中面



●1956年5月 ダットサン123型トラック 簡易カタログ (B5判・2つ折4面)
2回目のマイナーチェンジ。リモートコントロール・コラムシフトに変更。コラムシフトを強調した表紙。
123簡易表紙

【中面から】
123簡易中頁



●1956年12月 ダットサン123型系商用車 総合カタログ (A4判・4つ折8面)
123型トラックの他、U123型ダブルピックアップ、AV123型ライトバン、V123型デリバリーバンの4車種を掲載したダットサン商用系総合カタログ。このカタログも表紙はコラムシフトになったことを強調している。
5612表紙

【中面から】
123型トラック
5612(1)123トラック

U123型ダブルピックアップ・・・・・フロントグリルはダットサン112/113セダンと同じハモニカ型を付けている。
5612(2)Wピックアップ

AV123型ライトバン・・・・・この車両もフロントグリルはセダンと共通のハモニカ型
5612(3)ライトバン


●1957年2月 ダットサン123型系商用車 総合カタログ (A4判・4つ折8面)
1956年12月版のカタログ改訂で表紙以外は同一のカタログ。
572表紙替え



●1958年5月 ダットサントラック124型 カタログ (A4判・2つ折4面)
860cc車3回目のマイナーチェンジ。フロントウインドに曲面ガラスを採用。
124表紙

【中面から】
124中頁



●1958年6月 ダットサン1000トラック220型 カタログ (A4判・8頁)
1000cc850kg積みを追加。
220表紙

【中頁から】
220(1)全景

1000cc34psエンジン
220(2)34psエンジン


●1958年2月 ダットサンU220型ピックアップ リーフレット (A4判・表裏1枚)
1000cc版のダブルピックアップ。フロントグリルは210型セダンと同じものを付けている。
U220ピックアップ・リーフレット


●1958年10月 ダットサン1000トラック 221型/G221型 カタログ (A4判・8頁)
ホイールベース2520㎜、全長4040㎜、最大積載量1000kgのロングG221型を追加。
221表紙

【中面から】
221(1)正面

ロングボディー1トン積みのG221型
221(2)1t積のG221



●1959年6月 ダットサン1000トラック 221型/G221型 カタログ (A4判・8頁)
上掲の1958年10月版ダットサン1000トラックのカタログ改訂で表紙のみ変わり中頁は同一。
59年表紙変更



●1960年1月 ダットサン1000トラック 222型/G222型 カタログ (A4判・12頁)
フロントグリル変更、荷箱デザイン変更、サイドモール追加等により乗用車的なムードになった。
60年222表紙

【中頁から】
60年222(1)全体

ロングボディー1トン積みのG222型
60年222(2)G222型

透視図。1960年代に入りカタログの体裁も現代的になってきた。
60年222(3)透視図

ショートボディ222型
60年222(4)222型ショート



●1960年10月 ダットサン1200トラック 223型/G223型 カタログ (A4判・8頁)
34psから55psへと飛躍的に出力アップした最終型。大幅出力増にも関わらず、ボディサイズや積載量850kg/1000kgは従来と同じ。カタログ上、最高速度のみ90km/hから105km/hに上がった。
61年表紙

【中頁から】
61年(1)全体

1200cc55psエンジン
61年(2)1200エンジン



●1961年 ダットサン1200ピックアップ 英文カタログ (A4判・2つ折4面)
輸出用左ハンドルG223-U型のカタログ。
英文表紙

【中面から】 輸出仕様車は心なしかカラーリングがPOPにみえる。
英文中頁





★オマケ: ツクダヤ 1/24スケール 1958年ダットサン220型トラック
全長16cm。当時定価140円。当時先進素材のハイゼックス製(ヘッドライトとフロントグリルはブリキ製)。フリクション駆動。ボンネット上にウインカーが付いていることから1958年以前の実車をモデルにしている。同時期の同価格帯のブリキ製品に比べると、室内の造り込みもなく駄玩具のようなチープな造り。先進素材故にコストが割高だったようだ。120~220系ダットサントラックの立体造形物は現在に至るまでこれを除けばプラモデル登場以前の木製組立キットのみ。
ツクダ(1)
ツクダ(2)

紙箱ではなく、このようにビニールに包まれて販売された。
ツクダ(3)ビニール入り

●玩具業界誌「東京玩具商報」1959年8月号 ツクダヤ広告のダットサントラック
国立国会図書館の蔵書より。
ツクダ(4)玩具商報

★1960年 萬代屋(現バンダイ)世界の自動車シリーズ ~ 玩具・模型カタログ棚から016

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サザンの桑田さんが紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章って、何だかちょっと似合わない気がした。年齢的には裕也さんや陽水が先であるべきか。いや、裕也さんあたりは国家に叙勲されるっていうのは全く似合わない。ジョン・レノンがMBE勲章(Members Of The British Empire)を英国のビアフラ戦争への介入に抗議して返したように、体制にくみしない方が孤高のロック・ミュージシャンらしい。桑田さんの変幻自在な言葉遊び、裕也さんの骨のある過激さ、陽水のちょっとニヒルな影をもつ抒情は確実にジョン・レノンの影響下に生まれたと感じる。まあ、中島みゆきさんやユーミンも受章しているし、これまでに創ってきた楽曲の良さとポピュラリティーからすると今回の桑田さんの受章は当然のことかもしれない。時代は確実に変わっている。現代は体制・反体制といったステレオタイプの旧弊な思考では捉えきれなくなっている。

昨日アップする予定が色々とバタバタしていて1日遅れてしまいました。早いもので、もう11月です。今日の東京は何だか季節外れの暖かさで半袖で歩いている人を結構見かけました。やるべきこと、やりたいことがとても全部は出来ないまま、すぐに年の瀬、新年がやってきそうです(汗)。

今日は玩具・模型カタログ棚からの16回目。バンダイの前身「萬代屋」(ばんだいや)をピックアップします。




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★山科直治氏(1918年-1997年10月28日)が現在のバンダイの前身である萬代屋を起業したのは、戦後5年が経過した1950年(昭和25年)7月5日、山科氏が弱冠32歳の時であった。
自動車・飛行機・鉄道・船舶等の金属玩具(ブリキ玩具)の良質な製品を多数リリースし、「あかばこシリーズ」と呼ばれた模型玩具を中心とした製品群のヒットで起業10年に満たない1950年代末には既に国内玩具メーカーの中堅どころにまで成長していた。
1960年代初頭にはトヨペット・クラウン、プリンス・スカイライン、スバル360、マツダ3輪トラック等の国産車、外国車ではキャデラック、リンカーンコンチネンタル、フェラーリ、シトロエンDS等の有名どころに加えてメッサーシュミットKR200および同タイガー(4輪)やイセッタ、ツェンダップ・ヤーヌスといった当時としても極めてマニアックな車種選択のされた「世界の自動車シリーズ」がヒット商品となった。シリーズ初期の車種選定に当っては自動車模型コレクター朝田隆也氏がスーパーバイザーとして関与した。1961年(昭和36年)5月、現在の株式会社バンダイに社名変更した頃にはバンダイ製の金属自動車モデルは膨大なラインナップを誇る看板商品となっていた。


★国立国会図書館所蔵の業界誌「東京玩具商報」のバックナンバーを調べると萬代屋時代より厚口の年次製品カタログが発行されていた形跡があり、上述の朝田氏よりも立派なカタログもあった旨を伺っているのだがその現物を見たことはなく、残念ながら手元にあるものは簡易な折カタログや製品に付属していた薄いチラシ的なものだけである。もしバンダイで保存されているのであれば、既に半世紀以上前の史実として一般公開を望みたい。



●光文社 「少年」 1959年12月号 表紙 (B5判)
鉄腕アトムや鉄人28号の連載で有名な月刊少年漫画雑誌「少年」の1959年(昭和34年)12月号の表紙は萬代屋製品で埋め尽くされている。右手前にメグロの白バイ、少女のような雰囲気の少年が手に持っているのは1959年型トヨペット・クラウン・デラックス(RS21)ベースの警視庁パトカー、背後にはスバル360(ルーフが別塗りの1stモデル)、1959年キャデラック、1958年リンカーンコンチネンタル、プリンス・スカイライン、シトロエンDS等が写り込んでいる。
「少年」表紙



●講談社 「少年クラブ」 1961年3月号 表紙 (B5判)
当時、学年別雑誌が好評だった講談社発行の月刊少年漫画雑誌。少年倶楽部の創刊は1914年(大正3年)と古く、戦後1946年(昭和21年)に「少年クラブ」と漢字からカタカナに改名したのち、この号の翌年1962年(昭和37年)に廃刊となるまで約半世紀に亘り発行されていた。この号の表紙には手前に英コーギーのダイキャストミニカー群、右下にマルサン商店の赤いタンクローリー、手前に赤/青メタのSSSインターナショナル製のマンモスクレーン等と共に萬代屋製品も少年の手前にパステルブルーのマツダR360クーペ(スタンダードサイズの初版)、左に銀/黄色の20トン・クレーン車、右にクラウン警視庁パトカー等が写り込んでいる。
少年クラブ



●東京玩具商報 1959年9月号掲載 萬代屋 広告 (B5判)
国立国会図書館の蔵書より。萬代屋では1954年発売のMG-TD/TFや1956年発売の保証玩具第一号トヨペット・クラウン等既に多数の自動車模型玩具を発売していたが、この号の広告で初めて「世界の自動車を集めましょう」のコピーが登場した。「第1回(1959年8月)紹介新型製品」と称して1959年キャデラックとスバル360が掲載されている。
玩具商報1(5909)



●東京玩具商報 1959年10月号掲載 萬代屋 広告 (B5判)
これも国会図書館蔵。「1959年10月紹介新型製品」として、フィアット600、サーブ93B、マツダK360の3台が掲載されている。
玩具商報2(5910)




●1959年 萬代屋 クリスマス・カタログ (縦9×横19cm・6つ折12面)
玩具問屋や小売店向けではなく、一般向けに店頭で配布されたと思われるミニ・カタログ。表紙に「楽しいプレゼント Merry Christmas」の印字、最終頁には「上手なお買物のしかた」と題してデパートや玩具店が混雑して商品をよく見ることが出来なくなる12月20日以降でなく12月10日~20日頃までの購入を奨める旨が記載されている。価格は都内売価のみが印字されている。
クリ表紙


【中面から】 (抜粋)

・メルセデス・ベンツ219セダン (140円)
・シトロエンDS19 (140円)
・フォルクスワーゲン (140円)
クリ(2)ベンツ他


・プリンス・スカイライン(200円)
・トヨペット・クラウンDX (200円)
・スバル360 (140円)
クリ(3)プリンス他


・マツダK360  (140円)
・クボタ耕耘機 (200円)
・三菱シルバーピジョン (180円)
クリ(4)K360他


・20トン・クレーン (500円)
クリ(8)20トンクレーン


・メグロ白バイ (500円)
クリ(7)メグロ白バイ


・1959年キャデラック・セダン (280円)
・ロールスロイス・シルバークラウド (300円)
クリ(5)キャディロールス


・1958年リンカーン・コンチネンタル赤十字車、同ハイウェイ・パトロール (各290円)
クリ(6)リンカーン2種


・特急こだま レールウェイ・セット (1000円) ・・・・・先頭車16cm・中間車13cm、4両を連結すると60cm程度のサイズ。単品、レールセット共に各社から多数発売された国鉄151系ビジネス特急こだまの玩具の中では比較的珍しい製品。
クリ(9)こだまセット


最終頁: 上手なお買物のしかた
クリ(1)文章




●1960年 萬代屋 「世界の自動車を集めましょう」 専用カタログ (縦9×横18cm・3つ折6面)
デパートの玩具売り場や玩具店の店頭で配布されたカタログ。1台ずつの車名に加えて実車の生産国、都内売価、地方最低売価、全長、縮尺(スケール)が記載されている。萬代屋製品の箱に印字されることの多かった三桁の品番は残念ながら記載されていない。個々の製品の箱やカタログに縮尺まで書かれていたのはスケールモデルを謳っていた萬代屋のみだったと思われる。表紙にシトロエンの写っているこのタイプの「世界の自動車を集めましょう」シリーズ専用カタログは発行時期により2つ折で内容が異なるものなど数種類のバリエーションあり。
60表紙

カタログを開くと冒頭には以下の文章が記載されている。
世界に製品を輸出し信頼とご好評を頂いている、お馴染みのあかばこビーシー・バンダイでは、今や日本に於いてお子さんにもティーンエイジャーにも、また一般の自動車ファンなら誰にでも楽しんで頂ける世界の自動車のモデル・トーイ(金属玩具)を製作・販売し大好評を頂いております。1960年はいよいよモーター熱も高まり、自動車ファンの最高のコレクションとしてあかばこビーシーのモデル・トーイが絶好です。 
60(1)文章モデルトーイ


【中面から】 
※縮尺・車名・都内価格のみを記載します。ダットサン1000が80円、三菱3輪ペットレオが100円など価格が異様に安く感じられますが、現在の貨幣価値は当時の軽く10倍以上と思われます。

1/18 ダットサン・ブルーバード310 (160円)
1/19 トヨペット・クラウン・デラックス (200円)
1/19 トヨペット・パトロールカー (200円)
60(2)ブルクラウン


1/23 ダットサン1000 (80円)
1/19 プリンス・スカイラン (200円)
1/15 スバル360 (140円)
60(3)ダットサン1000


1/4.8 メグロ・オートバイ (400円)
1/6 三菱シルバーピジョン (180円)
1/17 三菱ウイリス・ジープ (180円)
60(4)メグロ


1/20 マツダD1100 (200円)
1/16 マツダK360 (140円)
1/18 マツダ三輪(大サイズ: 180円)
60(5)D1100K360マツダ


1/18 三菱3輪ペットレオ (100円)
1/9 クボタ耕耘機 (200円)
1/19 トヨペット・マスターライン・ライトバン (200円)
60(6)レオ久保田マスターライン


1/14 イセッタ (130円)
1/14 ツェンダップ・ヤーヌス (200円)
1/20 フォルクスワーゲン・セダン (140円)
60(7)イセッタ・ヤーヌスビートル


1/23 メルセデスベンツ219セダン (140円)
1/23 シトロエンDS19セダン (140円)
1/23 シトロエンDS19オープン (140円)
60(8)ベンツ・DS2台


1/23 シトロエンDS19ワゴン (140円)
1/18 ロールスロイス・シルバークラウド (300円)
1/23 ランドローバー (150円)
60(9)DSワゴン・ロールス


1/19 オースチン・ヒーレー (140円)
1/18 フィアット600 (140円)
1/8 ベスパ (170円)
60(10)ヒーレーフィアット


1/19 リンカーン・コンチネンタル赤十字車 (290円)
1/18 ジープ・ステーキトラック (200円)
1/16 フェラーリ・スーパーアメリカ (290円)
60(11)リンカーン赤十字他


1/27 クライスラー・インペリアル (140円)
1/19 リンカーン・コンチネンタルⅢ (300円)
1/19 リンカーン・コンチネンタル・ハイウェイパトロール (290円)
60(12)インペリアル・リンカーン2種


1/20 キャデラック62セダン (290円)
1/29 キャデラック62オープン人形付 (290円)
1/27 マーキュリー・ワゴン (140円)
60(13)キャディ2種他


カタログが入っていた封筒裏の印字: 株式会社萬代屋、住所 東京都台東区駒形2ノ5、スケールモデル・トーイズ(世界の自動車シリーズ・航空機・鉄道)等
60(14)専用封筒





★オマケ(その1): 萬代屋 1/19スケール 1959年トヨペット・クラウン・デラックス (RS21)
全長22.7cm。ボンネットに車名シールが貼られ、トヨタ自動車とタイアップしたミニカタログ、保証券またはサンキューカード、専用ビニール袋が揃っているのが新品時の状態。萬代屋の自動車モデルはヒット商品だけに結構な数が残っているが、55年の時を経てパーフェクトな状態で残っているものは少ない。画像は1stモデルで2ndモデルでは左右フェンダーミラーが付き、フロントグリルは穴の開いた実感的なものに変更されている。窓枠に紐で付けられた保証券には昭和34年3月25日御買上のスタンプ。萬代屋では製品購入後3ヵ月間は無償で修理するとしていた。当時このクラウンは旭玩具製作所からもほぼ同スケールで発売されたが、全体のバランスや「出来」は萬代屋の方が格段に勝る。実車については、自動車カタログ棚シリーズ第101回記事をご参照ください。
クラウン(1)
クラウン(2)
クラウン(3)



★オマケ (その2): 萬代屋 1/15スケール 1959年 スバル360
全長20cm。上掲の雑誌「少年」の表紙に写っているものはルーフ別色の1stモデルだったが、これはルーフ同色となった2ndモデル。更に3rdモデルではバンパーと窓枠が実車に準じた黒塗りからクロームメッキに変更されている。フロントウインド手前にカウルベンチレーターの付いた1959年後期型をモデル化している。実車については、自動車カタログ棚シリーズ第54回記事をご参照ください。
スバル(1)
スバル(2)
スバル(3)



★オマケ (その3): 萬代屋 1/20スケール 1959年 サーブ93B
全長19cm。萬代屋の傑作の1台。丸味を帯びたデザインを旨く再現している。サーブと言えば、自動車史研究の第一人者であった五十嵐平達氏が航空機的な設計・デザインを評価されて1950年代当時、1952年式サーブ92を日常の足に愛用されていた。
サーブ(1)
サーブ(2)
サーブ(3)



★オマケ(その4): バンダイ「世界の名車シリーズ」 店頭用POP
小売店用の非常に珍しいPOP。厚さ3mmの硬質プラ製。サイズは縦20×横50cm。半世紀の時を経てかなり文字がかすれてしまっているが、「スケールモデル トップメーカーのバンダイが贈る 世界の名車シリーズ」の文字。BCマークとマスコット・キャラクターの万歳マークは浮き彫り。壁や天井から吊るすための穴が開けられている。おそらく萬代屋からバンダイへ社名変更された後のもの。
店頭用POP



★オマケ(その5): 萬代屋のスバル360を持った私
1961年(昭和36年)6月17日撮影。1才7ヵ月の私が手に持っているのは萬代屋スバル360のバンパー等がメッキとなった3rdモデル。冴えない表情に妙に内股の私。ボディカラーは当時私の家のマイカーだったスバル360の実車と同じブルーグレイだった。ルーフにはマジックで「CAR」と書いてある(右下が消えかけている)。おそらく英語教育に熱心だった明治生まれの祖父が書いたもの。このあたりの記憶が私の自動車趣味の原点になっている。
1961年写真




★オマケ(その6): ちびまる子ちゃんエンディングテーマ「100万年の幸せ!!」
作詞: さくらももこ 作曲: 桑田佳祐


★1950年代のいすゞBXボンネットバス 郷愁のBX ~ 自動車カタログ棚から 246

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今年も残すところ50日。年末にかけて公私共に忙しくなる人も多いと思います。私も仕事をしながら、プライベートでもやっておきたいことが沢山あります。あれもこれもというのは時間配分をよく考えないとタイムアップになってしまいそうです。音楽関係(主に楽器演奏)と平行してアメブロ記事をアップするのは実は結構大変です。
カタログ棚シリーズの記事をアップするまでにはどうしても時間がかかり、資料整理から始めてオマケにアップするモノを探し出したりしているうちに記事を書く前に下手すると1日過ぎてしまいます。カタログ棚の記事も初めの頃はあっさりと1~2時間位でアップしたものが多く、また初めの頃のちょっとユルいスタイルに戻してもいいかなとも思っています。

みなさんは日常バスに乗ることがありますか。私は雨の日は最寄り駅までよくバスに乗ります。スポーツカーなど派手なクルマの記事がいいという人が多いような気もしますが今回はまたバスの記事です。私はポルシェのようなスポーツカーは勿論大好きですが、バスやトラックも同じように愛おしいです。それは子供の頃からずっと変わっていない気がします。今回は日本のバス史上に燦然と輝く名車いすゞBXの記事です。




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★日本のボンネットバスと言えば、登録台数の多さと柴犬を思わせる温もりのあるフロントマスクなどから日本人に郷愁を最も感じさせるのは1950年代のいすゞBXだろう。
1960年代に入ると室内有効スペースの広いリアエンジンバスに押されボンネットバスの需要が狭隘路線等に限られる時代となっていったのに対し、1950年代は未だ都市部においてもボンネットバスが多数稼働していたボンネットバス黄金時代であった。その時代に圧倒的な市場シェアを誇り全国津々浦々で見られたボンネットバスがいすゞBXだったのである。


★私自身は世代的に1950年代のいすゞBXボンネットバスのリアルタイムの記憶はなく、1976年(昭和51年)3月に発売されたトミカNo.6-2のミニカーでその存在を意識したのだが、その後のトミカの膨大なバリエーション展開も手伝い(?)、ボンネットバスのリアルタイムの記憶が全くない世代を含めてボンネットバスといえば現在では1950年代のいすゞBXの姿を一番に思い浮かべることが多いのではないだろうか。


【いすゞBXの主な変遷】

・1932年(昭和7年) BX40 (WB4000mm)

・1941年(昭和16年) BX60

・1947年(昭和22年) BX80 (WB4000mm)

・1948年1月(昭和23年) BX91ディーゼル/BX81ガソリン (WB4300mm) 

・1949年(昭和24年) キャブオーバー車BX92追加 (COE)

・1950年(昭和25年) ピニンファリーナのアルファロメオに影響を受けたフロントマスクにデザイン変更

・1950年(昭和25年) BX95追加 (WB5000mm)

・1950年(昭和25年) BX93/BX83/BX96追加 (輸出向け左ハンドル)

・1951年(昭和26年) リアエンジン車追加 (型式=BX91X/BX91Y/BX95Y)

・1954年(昭和29年) フロントグリル変更(スリット左右4段に減少)

・1955年(昭和30年) WB4000mmの短尺車BX41追加

・1955年(昭和30年) エンジンを5654ccDA110型(ディーゼル)およびGA110型(ガソリン)に換装すると同時に型式名称を変更:ディーゼル車=BX151 (WB5200mm)/BX152(WB5200㎜)/BX141(WB4300㎜)/BX131(WB4000㎜)、ガソリン車=BX251/BX252/BX241/BX231

・1956年(昭和31年) 6126ccDA120型118HPディーゼル・エンジン搭載のBX351/BX352(WB5200㎜)を追加

・1958年(昭和33年) ガソリン車を生産中止し搭載エンジンをディーゼルDA120型に統一。型式=BX352 (WB5200㎜) /BX341(WB4300㎜)/BX331(WB4000mm)。フロントフェンダーにクロームメッキのオーナメント追加。

・1959年10月(昭和34年) ビッグマイナーチェンジ(BX552/BX531/BX521)


上記の変遷うち戦前のBX40については本シリーズ第239回記事でご紹介しましたが、今回は戦後1947年(昭和22年)のBX80から1959年(昭和34年)10月にビッグマイナーチェンジを受ける前までのボンネット型BXのみをご紹介します。1950年代のBX関係のカタログ、広報誌その他関連の印刷物は大量に存在し、それだけでも1冊の本が出来そうです。もとより全てを網羅することは出来ませんが、手元にある資料を可能な限りご紹介することとします。資料性の観点から印刷物の顔である表紙の画像を中心に掲載します。発行時期については推定も含まれますので誤り等がありましたら御指摘ください。


【主要スペック】 1958年いすゞBX341ボンネットバス  (1958 ISUZU Diesel Bus Typ341)
全長8220㎜・全幅2450㎜・全高2935㎜・ホイールベース4300㎜・車重5319kg・FR・DA120型6126cc水冷6気筒4サイクルディーゼルエンジン・最高出力120ps/2600rpm・最大トルク39m-kg/1400rpm・乗車定員49名(前向きロマンスシート29+立席18+乗員2)・変速機4速MT・最小回転半径8500㎜・最高速度76km/h(減速比5.57)




●1953年? はとバス パンフレット (縦12.7×横18cm・24頁)
新日本観光株式会社発行。はとバスに乗車した際に配布された東京観光案内のパンフレット。表紙は1953年までのフロントスリットが多いBX。車番851。中頁に1952年10月公開の高峰秀子主演の大映映画「稲妻」のワンシーンが掲載されているので1953年あたりの発行と推定。
はとバス


●1952年 自動車の知識 (縦17.8×横19cm・4つ折8面)
交通博物館発行。表紙は自動車史研究の第一人者だった五十嵐平達氏の描いたBXベースの移動図書館車。表紙に「Heitatu 1952」のサイン入り。五十嵐氏、28歳の作品。
交通博物館


●1957年3月 いすゞブック (縦25.6×横9.2cm・16頁)
1957年5月開催の第4回全日本自動車ショウで配布されたいすゞ自動車総合カタログ。表紙/裏表紙は佐藤泰治画伯の描いたBX。
いすゞブック


●広報誌「いすゞニュース」1957年12月号 (B5判・8頁)
いすゞ自動車の広報誌「いすゞニュース」の表紙を飾ったBXは多いが、これは開店35周年大売出しの垂れ幕文字が見える銀座・松坂屋前の東京都交通局のBX車番207。銀座・松坂屋は2013年、開店70年目にして惜しくも取り壊されてしまった。
いすゞニュース



●1946年12月 いすゞTX80トラック/BX80バス カタログ (縦24.5×横21cm・4つ折8面)
終戦の翌年1946年(昭和21年)末に発行された初の戦後型カタログ。社名はまだヂーゼル自動車工業。基本はTX80トラックのカタログでBX80は裏面にのみ掲載。
46表紙

裏面: BX80型バス
46中BX80


●1948年1月 いすゞBX91/BX81バス カタログ (縦15×横10.5cm・2つ折4面)
WB4300㎜。バス専用低床シャシーを採用した本格的な戦後型。このカタログでも社名はまだいすゞ自動車ではなくヂーゼル自動車工業。これは手帳サイズの小さなものだが、同じ内容でA4程度の大きなサイズでも発行されている模様。
48表紙

中面
48中頁

裏面スペック
48裏スペック



●1951年? いすゞBXバス カタログ (A4判・英文2つ折4面)
右ハンドルのBX91/81/95に加えて、左ハンドル車BX93/83/96も掲載された輸出用カタログ。表紙は芦ノ湖でしょうか。
51英文



●1952年11月 いすゞBXバス カタログ (A4判・2つ折4面)
掲載型式はWB4300のBX81/91とWB5000㎜のBX85/95。
52年穴開き



●1954年4月 いすゞBXバス カタログ (A4判・2つ折4面)
フロントグリルを変更しスリットが馴染み深い左右4段となった。
54年



●1955年 いすゞBXバス 総合カタログ (縦22×横31.5cm・4つ折8面+)
東郷青児画伯の表紙で有名なカタログ。ボンネット車に加えてリアエンジンバスBX91X-7/95X-7/91V-7も掲載。この名カタログについては本シリーズ第6回記事をご参照ください。
55年青児



●1955年12月 いすゞBX カタログ (A4判・4つ折8面)
A110型(ディーゼル)およびGA110型(ガソリン)に換装し車両型式を3桁に変更。
5512(56年型)



●1956年2月 いすゞBX351/352 専用カタログ (B5判・3つ折6面)
DA120型ディーゼルエンジン搭載車追加。
562専用B5判



●1956年11月 いすゞBX カタログ (A4判・12頁)
バス車内の乗客を描いた印象的な表紙のカタログ。表紙画の右下に「香」のサインは名の通った画家でしょうか。
56人物表紙

【中頁から】
BX352およびBX152(WB5200mm)
56中(1)BX352・152

上: BX141(WB4300mm)、下: BX131(WB4000mm)
56中(2)BX141・131

客室およびセンターメーターの運転席
56中(3)室内・運転席



●1957年5月 いすゞBX  カタログ (A4判・4つ折8面)
575正面表紙



●1957年10月 いすゞバス1958 総合カタログ (A4判・12頁)
前半5頁がBX、後半はBA/BB/BCのリアエンジンバスが掲載されたバス総合カタログ。
5710総合



●1958年5月 いすゞBX カタログ (A4判・8頁)
ガソリン車廃止。絵本のような表紙が印象的なカタログ。
585絵本表紙

【中頁から】
図面: BX352(WB5200mm)前向きロマンスシート仕様
585絵本(1)352図面

図面: BX341(WB4300mm)前向きロマンスシート仕様
585絵本(2)341図面

図面: BX331(WB4000mm)前向きロマンスシート仕様
585絵本(3)331図面



●1958年11月 いすゞBX カタログ (A4判・12頁)
1959年式。良き時代のBX最後のカタログ。
5811最終表紙

【中頁から】
BX352(WB5200mm)
5811最終(1)352絵

BX341(WB4300mm)
5811最終(2)341絵

BX331(WB4000mm)
5811最終(3)331絵





★オマケ(その1): トミカ6-2 1/110スケール いすゞBXボンネットタイプバス (ブルー)
1976年(昭和51年)3月発売。但し、これは2005年トミカ発売35周年の中国製復刻品(オリジナルは現在、行方不明)。オリジナルの当時定価220円。オリジナルの1Eホイール(旧ホイール)はかなりレアらしい。ボンネットバスの実車と同時代に造られた金属玩具(ブリキ)は米澤玩具の巨大モデルやカナメ産業の名品を始め夥しい種類が存在しますが明確に特定の車種をモデル化した製品はなく、明確な実車のモデル化はこのトミカが最初の製品。トミーではこのトミカの後に標準スケールのトミカダンディでも1960年代のBXをモデル化しています。このトミカは現在に至るまで文字通り膨大なバリエーションが出ています。
トミカ青復刻



★オマケ(その2): トミカ6-2 1/110スケール いすゞBXボンネットタイプバス (オレンジ)
当時定価960円。1977年3月発売の4台入りギフトセット「ふるさとシリーズ」(G-17)に最初のカラーバリエーションが入っていた。講談社発行のトミカコレクションのバイブル「ミニカー大百科」によれば1980年7月の再販(G-68)では一見同じながら微妙に色合いが変ったらしい。新品で当時入手したワンオーナー物。
ふるさとセット



★オマケ(その3): トミカ6-2 1/110スケール いすゞBXボンネットタイプバス「東海バス」「一畑バス」
当時定価2700円。1980年発売の8台入りギフト「日本のバスセット」(G-78)。ギフト専用として2台のBX(左下)のバリエーションを追加。トミカのBXとしては初の特定事業者モデル?前述の「ミニカー大百科」によると1981年4月の再販(G-88)では若干仕様が変ったらしい。これも当時入手したワンオーナー物。
日本のバスセット



★オマケ(その4): トミカ6-2&トミカリミテッド25番 1/110スケール いすゞBXボンネットタイプバス「立川バス」「はとバス」
2001年~2002年発売?2台共に中国製。小田急系列の立川バス特注品と細かく彩色されたトミカリミテッドシリーズでリリースされた「はとバス」。
トミカはとバス立川バス



★オマケ(その5): トミーテック 1/150 いすゞBX小田急バス
2002年発売。Nスケールながら驚異的に出来の良いバスコレシリーズの1台。事業者違いも多数あり。「吉祥寺駅」の行き先表示や矢印型リアウインカーが泣かせます。
バスコレ(1)
バスコレ(2)
バスコレ(3)



★オマケ(その6): 津川洋行 1/80スケール 1955年いすゞBX41
ホワイトメタル製。税抜9800円。BX短尺車唯一のスケールモデル。一緒に写っているのはタイムスリップグリコの1955年クラウンRS。画像の赤/クリームのツートン以外に青/クリーム、緑/クリームのカラーバリエーションあり。津川洋行のHPを見ると、2014年11月現在、青と緑は2台セット7140円で叩き売りされています。スケールは日本型16番鉄道模型の1/80より若干大き目のようです。鉄道模型の情景用精密モデルとしてはエコーモデルの日本型HO用の車内の吊革まで再現した細密キットがありましたが残念ながら未入手です。キットの元になった、エコーモデル主宰の阿部敏幸氏が1960年代末に月刊誌「鉄道模型趣味」(TMS)に投稿されたBXのフルスクラッチビルドモデルや田舎のバス車庫の記事にはそのリアリティに子供心にも驚嘆したものでした。
津川(1)
津川(2)



★オマケ(その7): ぽると出版 クラブバスラマ 1/76スケール 1958年いすゞBX341 (3種類)
1950年代いすゞBXの決定版と言えるスケールモデル。税抜3600円。品番5001国鉄バス標準塗色(赤系/クリーム)が2007年に2200台、品番5002国鉄バス暖地塗色(緑/クリーム)が2008年に2900台、奈良交通バスが2008年に3000台生産され、ぽると出版のHPを見ると2014年11月現在、奈良交通だけはまだ在庫があるようです。3台共、発売時に入手したのですが現在行方不明のため、ぽると出版のHPから画像を借用して貼っておきます。
3台

国鉄バス(標準塗色)
標準色

国鉄バス(暖地塗色)
暖地色

奈良交通バス
奈良交通



★オマケ(その8): カラーフォートえほん「じどうしゃ」 (B5判・12頁)
1950年代前半、浅草・綱島書店発行。当時定価50円。発行・撮影者:綱島孝太郎氏。表紙は白赤塗装になる前の小田急BX。車番323。
フォト絵本



★オマケ(その9): トッパンの愛児えほん「じどうしゃえほん」 (B5判・12頁)
1960年頃、フレーベル館発行。当時定価70円。絵:小山泰治画伯。1950年代から1960年代初頭にかけての自動車をテーマにした絵本にはいすゞBXを表紙にしたものが多い。
トッパン絵本(青)



★オマケ(その10): 小学館のよいこ絵本「はしれじどうしゃ」 (B5判・12頁)
1961年、小学館発行。当時定価50円。絵:安井小弥太画伯。
よいこ絵本(橋)



★オマケ(その11): 小学館のベビーえほん「たのしいばす」 (B5判・12頁)
1962年、小学館発行。当時定価60円。絵:木村定男画伯。
ベビー絵本



★オマケ(その12): 光洋社の保育絵本「かんこうバス」 (B5判:12頁)
1950年代後半、光洋出版発行。当時定価30円。絵:秋吉秀彦画伯。
かんこうバス(キリン)



★オマケ(その13): 1964年ニュース映像「ネをあげたバス通勤」 
半世紀前の混雑の激しかった都営バスを取り巻く映像。1:00と1:30位にいすゞBXの肌色に赤帯時代の都バスが映ります。初めの方にちらっと初代セドリックも確認出来る。

★1953年 フォルクスワーゲン・タイプ2 愛しの商用車T1 ~ 自動車カタログ棚から 247

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★フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche、1875年9月3日-1951年1月30日)が設計したフォルクスワーゲン・ビートル・タイプ1(本シリーズ第135回記事参照)は1938年(昭和13年)に生産開始されたが、タイプ1のデビューから12年を経た1950年(昭和25年)3月8日、タイプ1と同じシャシーにワンボックスボディを載せたトランスポーター・シリーズ(タイプ2)がデビューした。
最初にデリバリーバンがデビューし、追って、コンビ(簡易なシートを脱着式とした貨客両用車)、シングルピックアップ、ダブルピックアップ、マイクロ・バス、キャンピングカー、1951年(昭和26年)12月にはアンビュランス(病院車・救急車)と続々とバリエーションが生まれた。

★その愛くるしいルックスとビートル(タイプ1)と同じ独立懸架による乗用車並みの乗心地の良さからヒット車となり、アメリカを中心として世界中に輸出された。日本にも1953年(昭和28年)より梁瀬自動車(ヤナセ)がデリバリーバンの輸入を開始し、ソニーを始めとする大手企業を含むユーザーが動く広告、動く看板としても利用した。ケーキや瀬戸物といった商品を扱う場合であっても柔らかな乗心地のタイプ2では崩れたり割れたりせずに運べると好評であったという。

★初代タイプ2(T-1)は1967年に第2世代(T-2)にモデルチェンジするまで17年に亘り生産され(ブラジル等では更に後年まで現地生産を継続)、累計生産台数は200万台を記録した。新車として生まれ出た1950年代から1960年代という時代を超えて初代タイプ2は現在でもそのルックスが愛され続け、実車の現役当時から現在に至るまで夥しい種類のミニチュアが発売されているほか、日本ではスバルサンバーなどの軽ワンボックスカーをカスタマイズしてルックスを似せた車両が造られている。オリジナルのタイプ2よりこの軽ベースのカスタムカーの方が現代の日本の路上では遭遇する機会が多いかもしれない。


※註)VWタイプ2(T-1)のカタログは長い生産期間の中でボディタイプ別、年式別に夥しい種類が発行されている模様で、残念ながら現在手元のカタログ棚からご紹介できるものはその極く極く一部のみです。


【主要スペック】 1953年 フォルクスワーゲン タイプ2 マイクロ・バス (1953 Volkswagen Typ2 MICRO-BUS)
全長4100㎜・全幅1700㎜・全高1900㎜・ホイールベース2400㎜・車重1045kg・RR・空冷水平対向4気筒4サイクルOHV1131cc・最高出力25HP/3300rpm・変速機4速MT・乗車定員8名・最高巡航速度80km/h・ヤナセ国内輸入価格:不明



●1953年2月 フォルクスワーゲン・タイプ2 「マイクロ・バス」 専用カタログ (A4判・英文2つ折4面)
VWカタログNo.TB221。ヤナセが日本に輸入した最初の年のマイクロ・バス専用カタログ。この時期のフォルクスワーゲンのカタログ画は自動車史研究の第一人者だった五十嵐平達氏がその著書の中で「戦前のメルセデスベンツが用いていた日本画調の平面的技法を完全に成熟させ深味のある絵としたもの」と評され、五十嵐氏自身も1953年のダットサン・デラックスセダン及びスリフトのカタログ画(本シリーズ第109回記事参照)で同じタッチの画法を用いたもので表紙画のみでも1枚の作品として成り立つ秀逸なもの。
53バス表紙

【中面から】
53バス(1)
53バス(2)

室内: ルーフは大きく開閉するので、その開放感は半端ではなかったろう。
53バス(3)室内

裏面: スペック
53バス(4)裏面スペック



●1953年2月 フォルクスワーゲン・タイプ2 「コンビ」 専用カタログ (A4判・英文2つ折4面)
VWカタログNo.TK221。2列目・3列目シート取り外し可能な貨客両用のコンビ専用カタログ。2列目、3列目のシートを外した際の最大積載量は755kg。
53コンビ表紙

【中面から】
サイドドアは観音開き
53コンビ(1)観音開き

53コンビ(2)縦

53コンビ(3)白黒



●1953年2月 フォルクスワーゲン・タイプ2 「ピックアップ」 専用カタログ (A4判・英文2つ折+4面+)
VWカタログNo.TP221。荷台床面をリアエンジンに干渉しない高床として中間下部には別途荷室を加えた設計のピックアップ・トラック専用カタログ。
53ピック表紙

【中面から】
53ピック(1)白黒

裏面: スペック&図面
53ピック(2)スペック図面



●1953年2月 フォルクスワーゲン・タイプ2 「アンビュランス(救急車)」 専用カタログ (A4判・英文2つ折+/4面+)
VWカタログNo.TKR221。患者2名を搬送出来る救急車専用カタログ。
53救急車表紙

【中面から】
53救急(1)人物生々しい

患者用ベットは左右に2つ
53救急(2)ベッド左右2つ

人物が写っている救急車のカタログは何だか生々しい。
53救急(3)縦人物担架



●1959年? フォルクスワーゲン・タイプ2 「コマーシャル系」 専用カタログ (A4判・英文20頁)
VWカタログNo.151 559 29。ピックアップ・ダブルピックアップ・デリバリーバン・コンビが掲載された商用車の専用カタログ。エンジン1192cc36HP、最高速度90km/h。このカタログと同時期に他にマイクロバス、マイクロバスデラックス、キャンピングカー、救急車、消防車、コンビ警察用車の専用カタログが個別に発行されている模様。
59表紙

【中頁から】
ピックアップ
59(1)ピック

ダブルピックアップ
59(2)Wピック

デリバリーバン
59(3)デリバリバンその1
59(4)デリバリバンその2

コンビ(貨客両用)
59(5)コンビ

透視図
59(6)透視図



●1960年? フォルクスワーゲン・タイプ2 「マイクロ・バス系」 専用カタログ (A4判・英文16頁)
VWカタログNo.151 550 29。掲載車種はマイクロバス、天窓付のマイクロバス・デラックス、コンビ、キャンパー(キャンピングカー)。のっぺらだったフロント左右に小さなウインカー/スモールライトが付き、エンジンは1192cc・40HPにパワーアップし最高速度95kmとなった。
60バス表紙

【中頁から】
雪山にて
60バス(1)雪山

アフリカにてキャンプ
60バス(2)キャンプ

パリの夜
60バス(3)パリの夜

マイクロバス
60バス(4)マイクロバス

天窓の付いたマイクロバス・デラックス
60バス(5)マイクロバスDX

マイクロバス・デラックスの室内。ルーフは大きく開閉。
60バス(6)マイクロバスDX室内

キャンパー(キャンピングカー)
60バス(7)キャンパー

コンビ(貨客両用)
60バス(8)コンビ

マイクロバス図面
60バス(9)図面



●三栄書房モーターファン1958年8月号 フォルクスワーゲン・タイプ2 「キャンピングカー」 紹介記事 (B5判)
月刊自動車雑誌モーターファンに掲載された梁瀬が初輸入したタイプ2キャンピングカーの記事。経済基盤のない(貧しい)日本でこのようなクルマを果たして誰が使うのか疑問である旨が記されている。
モーターファン1958年8月号



●1963年 フォルクスワーゲン 総合カタログ (縦21.7×横28cm・日本語12頁)
梁瀬自動車発行の日本語版VW総合カタログでタイプ1(ビートル)、カルマンギアと共にタイプ2にも4頁が割かれている。日本国内で実際に使用された車両の写真が興味深い。
63表紙

【中頁から】
デリバリーバン「ヤナセ」
63(1)デリバリバン

ピックアップ「ヤナセ」
63(2)ピック

マイクロバス・デラックス
63(3)マイクロバスDX

救急車・・・果たして実際に輸入されてどこかの医療機関で使用されたのだろうか。
63(4)救急車

デリバリーバン「NTVテレビジョン」
63(5)NTV

デリバリーバン「象印」
63(6)象印

デリバリーバン「不二家製菓」
63(7)不二家



●1965年8月 フォルクスワーゲン タイプ2 本カタログ (A4判・英文20頁)
VWカタログNo.153 510 29。掲載車種はデリバリーバン、デリバリーバン・ハイルーフ(全高229cm)、コンビ、ピックアップ、ピックアップ・ワイド、ダブルピックアップ、マイクロバス、マイクロバス・デラックス。この末期モデルではフロント左右のウインカー/スモールライトが大きくなり、エンジンは1493cc・53HP、最高速度105kmとなった。フロント・ウインドは最後まで2分割のまま。
65表紙

【中頁から】
デリバリーバン
65(1)デリバリバン

デリバリーバン・ハイルーフ
65(2)デリバリバンハイルーフ

コンビ(貨客両用)
65(3)コンビ

ピックアップ
65(4)ピック

ピックアップ・ワイド・・・荷台のみ若干幅を広くした車両。
65(5)ピックワイド

ダブルピックアップ
65(6)Wピック

マイクロバス
65(7)マイクロバス

マイクロバス・デラックス
65(8)マイクロバスDX






★オマケ(その1): 英マッチボックス 1/66スケール フォルクスワーゲン・タイプ2・キャンピングカー
全長63㎜。当時定価150円。マッチボックス34番。ハイルーフ1967年製。ロールーフ1969年製。2台共に私が子供の頃に遊んだ懐かしのミニカー。観音開きのサイドドアを開けると向かい合わせのシートの中央にテーブルまで付いていることに子供心にも感動したものだった。マッチボックスの品番34はタイプⅡの指定席で1966年まではライトグリーンの1/64スケールのキャンパー(キャンピングカー)、その前は紺色の小さな1/75スケールのデリバリーバンがラインナップされていた。このシルバーボディのタイプⅡは1967年と68年が天窓付ハイルーフ仕様、1969年にコストダウンのため?ロールーフ(画像左側のモデル)となり更に1970年に極く短期間スーパーファースト(スピードホイール)となって1971年には絶版となったようだ(スピードホイールの現物は未見)。
マッチ(1)
マッチ(2)
マッチ(3)



★オマケ(その2): レゴ 1/87スケール フォルクスワーゲン・タイプ2 各種
全長50mm。当時定価:不明。輸入元:朝日通商。1966年前後の製品。1966年の業界誌「東京玩具商報」に乗用車12台セットが1400円という朝日通商の広告があるので、単品販売は120円程度?このデンマークのレゴ(LEGO)が出していたタイプⅡの硬質プラ製ミニカーも子供の頃に遊んだ懐かしのミニカー。私もこのタイプ2を始めレゴのミニカーはビートルやメルセデスのトラック群など沢山持っていた位なので、1960年代の日本にはレゴ・ブロックと共にレゴのミニカーも大量に輸入されたようだ。タイプ2だけでもマイクロ・バス、デリバリーバン、ピックアップのボディ違いに加えカラーバリエーションも多数あり。
レゴ(1)
レゴ(2)
レゴ(3)



★オマケ(その3): ミニチャンプス 1/43スケール フォルクスワーゲン・タイプ2/T1・デリバリーバン「PORSCHE」
これは近年のダイキャストモデル。シュコーからも同様のモデルが出ている。タイプ2のポルシェ・オフィシャル・サービスカー。レーシング・ポルシェと一緒に飾ると楽しい。シルバーのポルシェ356はイタリアのみで書店売りされたアシェットコレクション「ミレミリア・シリーズ」の1台。
ミニチャン(1)
ミニチャン(2)
ミニチャン(3)



★オマケ(その4): 1/43スケール他 フォルクスワーゲン・タイプ2 ミニカー各種
近年のミニカーを幾つか。タイプⅡは古今東西、各社から山のようにミニカーが出ていて集めきれないので、時たま気に入ったものだけ入手しています。色が変わるプラ製のHWなど面白いものも沢山出ています。ウェリーの(WELLY)ダブルピックアップとヒッピー・キャンパーは高速道路のサービスエリアやファミレスの売店でよく売っている1/38スケールのダイキャスト・ミニカーで後ろに引いて離すと勢いよく走り出すプルパック・モーター内蔵の子供向きの安価なミニカーながら、案外、良い雰囲気。ウェリーからは1/18のマイクロバスなども発売されています。当時物は古くはデンマークのテクノ(Tekno)などから物凄いバリエーションが出ていますが、日本のミニカーコレクターのバイブル的な書籍であるJMAC故 中島 登会長著1967年 保育社発行「世界のミニカー」に掲載されている、実車のプロモーション用にも使われたという独ヴィーキング(Wiking)1/40スケールの人形の乗ったタイプ2マイクロバスが一番出来が良い気がします。
各種ミニカー

・銀/黄「アメコミ」(英Corgi Toys/コーギー 1/43)
コーギー

・青/黄「ルフトハンザ」(独シュコー/Schuco 1/43)
ルフトハンザ

・黄/黒「ADAC」(独シュコー/Schuco 1/43)
ADAC

・白/青 ダブルピックアップ(中国ウェリー/WELLY 1/38)
ウィリーダブルピック

・白/黄 「Love」ヒッピーキャンパー(中国ウェリー/WELLY 1/38)
ウィリーラブ

・1/87HOスケール各種(独ブレキナ/Brekina)・・・これ以外にも膨大なバリエーションあり。
ブレキナ



★オマケ(その5): フォルクスワーゲン・トランスポーターの歴史
今回ご紹介のタイプ2(T1)から歴代のVWトランスポーターを紹介した動画。冒頭ではT1現役当時の貴重なオフィシャル映像が見られます。独語。




★オマケ(その6): 1962年 私の持っていた玩具のフォルクスワーゲン・タイプ2
撮影は1962年(昭和37年)11月3日。私が3歳になったばかりの時の玩具を一堂に並べて写したもの。中央に米澤玩具の初代いすゞエルフ・ダンプとマルサンの小サイズ都営トロリーバスに挟まれて赤色灯の付いた白い萬代屋(現バンダイ)製のフォルクスワーゲン・タイプ2 救急車が写っている。右下の白バイの横には1/43スケールらしき梯子の付いたフォルクスワーゲン・タイプ2ピックアップのミニカーも写っている。この写真が撮影された時点で既に潰れたり部品が失われたりしてジャンク化しているものも多い。この玩具達は私の玩具としての使命を全うして今は1台も残っていない。
1962年写真

★1950~1960年代のいすゞ消防車 郷愁の消防車 ~ 自動車カタログ棚から 248

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高倉 健さんを追悼して今回は映画「幸せの黄色いハンカチ」に登場した真っ赤な1977年式のFA4型FR 2BOXファミリアの記事でもと思ったのですが、1975年以降のカタログは殆ど倉庫に仕舞ってしまい簡単には出てこないので、戦後のいすゞ消防車の記事です。

消防車といえば、昔も今もパトカーと並んで子供が好きなクルマの代表格。赤い派手な外観とメカニカルな味わいは子供ならずとも心トキメクもの。消防車の記事は過去に1度だけ2013年3月23日の本シリーズ
第123回記事で1952年ニッサンF-380型消防車をピックアップしていますが、今回は戦後の日本の消防車としては最もメジャーな存在であったいすゞTXシリーズ消防車をピックアップします。前回消防車をピックアップしてから既に1年半以上の時が経っていますので、まずは消防車の概略についておさらいしておくことにしましょう。 



★消防車は、火災その他災害に際してその鎮圧や防御を行う際に使用される特殊な装備を持つ自動車である。
日本では、赤色に塗られた道路運送車両法に基づく特種用途自動車の一つであり用途の関係から緊急自動車に指定されている。日本の消防車には、各地の消防本部が保有するものと消防団で保有するもの、空港、化学関係の企業、石油化学コンビナート、原子力発電所等の危険物取扱い施設が独自に保有するものなどがある。変り種としては皇宮警察本部(皇室警護を専門におこなう機関)が消防業務を兼務しており警察でありながら消防車を保有している。(Wikipediaより抜粋)


★日本の本格的な消防組織の始まりは江戸時代に遡るが、ガソリンエンジン付きの消防車の導入は1911年(明治44年)、メルセデスベンツのポンプ車が大阪の消防本部に配置されたのが第一号と言われ、それ以前は専ら人力による手押しポンプや蒸気ポンプを使用していた。大正初めには東京や横浜にも欧米からの輸入消防車が配置された。そして1923年(大正12年)の関東大震災を契機に消防車が急速に普及した。しかし、戦前の日本の消防車の大半は欧米からの輸入車両であった。


★消防ポンプメーカーの改造車ではない国産の自動車メーカーカタログに載った純正消防車としては、1939年(昭和14年)~1941年(昭和16年)に日産自動車がニッサン81型トラックおよびダットサン17Tトラックベースの消防車をカタログモデルとして発表し製造したあたりが始まりで(本シリーズ2012年11月11日の「ニッサン80型トラック」に関する第84回記事および2014年10月15日の「戦前のダットサン・トラック」に関する第244回記事を併せて御参照下さい)、日産では後のトラック180型、380型、580型、680型等への変遷に合せて消防車を継続的に製造した。戦後になると、マツダ、ダイハツ、オリエント等の三輪トラックメーカーを含む国内の自動車メーカー各社から消防車がカタログモデルとして発表された。


★今回ご紹介するいすゞ自動車のTX系トラックベースの消防車は、戦後、BX系バスと同様に全国的にシェアを大きく伸ばした。
終戦後、1946年(昭和21年)12月デビューのTX80より消防車仕様は存在し、消防向けの各種バリエーションはTXのマイナーチェンジに準じて変遷した。大雑把に言えば、1950年(昭和25年)にピニンファリーナのアルファロメオに影響を受けたフロントマスクに変更、1959年(昭和34年)秋にビッグマイナーチェンジ、1964年(昭和39年)に横4灯のマスクとなって1979年(昭和54年)まで生き延びた(輸出向けは1980年代前半まで?)。都内でも1980年代までは横4灯TXの消防車が普通に見られた。昭和20年代から昭和50年代にかけての長い年月に亘り全国津々浦々で見られたボンネット型TX系の消防車は、昭和という時代の日本人の郷愁を誘う1台ではないだろうか。


●当時の絵本に描かれた、いすゞTX消防車
消防車としてメジャーだったいすゞTX系消防車の描かれた絵本は大量にあり、その中から魅力的な絵を3枚。なお、絵本の表紙にいすゞTX消防車が描かれたものは夥しい種類が発行されている(本記事オマケ参照)。新旧2台のTX消防車が出動中の絵と消火活動中の現場が描かれた絵は何れも梅本 恂 画伯によるもの。1953年以前のフロントグリルの目が細かい日本橋消防署のTX照明車の絵は安井小弥太 画伯によるもの。

【出動】
出動絵本

【消火活動】
現場絵本

【夜間 照明車】
照明車絵本


●1970年頃 京都市消防局 いすゞTXG50屈折梯子消防車「青年会議所号」
きくや書店発行ファミリーえほん「ぼくらのじどうしゃ」より。
京都市



【主要スペック】 1966年(昭和41年) いすゞTXG50 空中放水屈曲梯子消防車
全長8500㎜・全幅2400㎜・全高3300㎜・ホイールベース4400㎜・車重9170kg・FR・GD150F型6気筒水冷OHV5654ccエンジン・最高出力145ps/3000rpm・最大トルク40kgm/1600rpm・変速機4速MT・梯子長15m・電装系12V・最小回転半径8300mm・最高速度79km/h・販売価格:不明


※いすゞの消防車専用カタログは手元のカタログ棚にあるものだけでも結構な種類があり、例によって資料性の観点から表紙画像を中心に駆け足で紹介することとします。また今回はオマケとしていすゞTX消防車が表紙を飾った絵本を出来る限り紹介することとします。なお、消防車ではない通常仕様の戦後のTXトラックについては項を改めてご紹介したいと思います。




●1950年? いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
掲載型式: TX80型(WB4000㎜)。よく見ると表紙のTXのナンバーが「1950」となっているので、1949年秋から1950年にかけての発行と推定。ピニンファリーナのアルファロメオに影響を受けたスタイルに変わる以前のスタイル。
50表紙

裏面
50裏


●1953年4月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
掲載型式: TX80型、TX30型(WB3000㎜)。スタイル変更した後の初期型でフロントグリルのルーバーがまだ細かい。
53年表紙


●1954年9月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・2つ折4面)
掲載型式: TX80-7型、TX30-S-7型、TX30-W-7型(後輪ダブルタイヤ仕様)。フロントグリルのルーバーをBXバスでもよく知られた左右4段に変更。
54年表紙


●1956年2月 いすゞ消防車 専用カタログ (B5判・3つ折6面)
掲載型式: TX241型(WB4000)、TX231型(WB3000・後輪ダブルタイヤ)、TX232型(WB3000)。
56年2月表紙


●1956年6月 いすゞ消防車 専用カタログ (B5判・3つ折6面)
掲載型式: TX241型(WB4000)、TX231型(WB3000・後輪ダブルタイヤ)、TX232型(WB3000)。
56年6月表紙(Copy)


●1958年4月? いすゞ消防車 専用カタログ (B5判・4つ折8面)
掲載型式: 記載なし。
58年小サイズ


●1958年12月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・12頁)
掲載型式: TX441(WB4000mm)、TX431(WB3000)。1950年代のいすゞ消防車カタログでは最も豪華なもので絵本のような表紙も魅力的。
58年絵本表紙

【中頁から】
後ろ4輪の6輪梯子消防車も掲載。
58年(1)中6輪梯子車

見渡す限りのTX消防車の整列
58年(2)整列


●1959年6月 いすゞ消防車 広告
財団法人日本消防協会発行の1959年当時3000円の豪華本「消防大鑑」に掲載された珍しい消防車の広告。
59年広告


●1960年1月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・9つ折18面)
掲載型式: TX641(WB4000mm)、TX631(WB3000mm)他。1959年(昭和34年)10月に大きくフロント周りを変更した1960年型。
60年1月表紙


●1960年12月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・9つ折18面)
掲載型式: TX641(WB4000mm)、TX631(WB3000mm)他。上掲の1960年1月版の改訂カタログで表紙から「'60」の文字が消えナンバーの文字が1960から「ISUZU」に替わり、中面も基本的には同じながら若干変更されている。
60年12月改訂版表紙


●1962年1月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・8頁)
掲載型式: TX641(WB4000mm)、TX631(WB3000mm)の他、初代エルフ消防車。
62年1月表紙


●1964年11月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・3つ折6面)
掲載型式: TXD/TXG20(WB4100mm)、TXD/TXG10(WB3000mm)の他、エルフ消防車TLG11型。横目4灯に変更。
64年表紙


●1966年6月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・3つ折6面)
掲載型式: TXD/TXG20(WB4100mm)、TXG10(WB3000mm)の他、エルフ消防車TLG11型とキャブオーバーのTD70E型。カタログNo.LT-3010。表紙の車両には入谷消防署のロゴが読める。本物の消防士さんに乗車してもらって撮影したもののようだ。
66年表紙


●1969年2月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・8頁)
掲載型式: TXD/TXG20(WB4100mm)、TXG10(WB3000mm)の他、2代目エルフ消防車TLG12型とキャブオーバーのTD70E型。カタログNo.LT-3017。表紙の車両には武蔵野消防署のロゴが読めるが、ナンバーは多摩でなく何故か品川8。これも本物の消防士さんに乗車してもらって撮影したもののようだ。
69年表紙


●1971年10月 いすゞ消防車 専用カタログ (A4判・10頁)
掲載型式: TXD/TXG20(WB4100mm)、TXG10(WB3000mm)、TXG50(WB4400mm)の他、2代目エルフ消防車TLG42型、キャブオーバーのTD70E型に加えて表紙に描かれたフォワード・ダブルキャブベースのTR20/TR30型が加わった。
71年表紙

【中頁から】
TX系最強のTXG50型屈曲梯子消防車
71年(1)TXG50梯子車





★オマケ(その1): とみやま商事(現タカラトミー) 1/50スケール程度? 1950年代いすゞTX梯子消防車 プラモデル
とみやま商事1963年版カタログより。当時定価:全国130円。このプラモデルの完成品はイベントの展示品として見かけるが未組立品は一度も見たことがなく箱付で現存するものは非常に少ないようだ。富山が1960年代前半に1960年型以降の新しいTXでなく、あえて1950年代のTXをモデル化した理由は謎。プラモデルとしての製品企画は1959年以前に始まったものだったのだろうか。
トミヤマ


★オマケ(その2): トミカNo.68-1 1/81スケール いすゞポンプ消防車
全長75mm。1973年5月発売。当時定価180円。右がオリジナル、中央は2001年のトミカくじⅡのバージョン、左は2006年のトミカリミテッド77番で細かく彩色されたもの。日本型HOゲージ16番 鉄道模型とほぼ同じスケールのため、鉄道模型のレイアウトにも使えるモデル。
トミカ(1)
トミカ(2)
トミカ(3)


★オマケ(その3): トミカダンディ 45番 1/58スケール いすゞポンプ消防車
全長100mm。1976年5月発売。当時定価650円~950円。ボンネット開閉アクション、消防士2名のフィギュア付。当初は紙箱で登場し1980年代にウインドパッケージとなり、80年代後半には画像にあるDE-045に品番改訂された。末期製品は赤いボディが最も濃くなり、サイドの消防庁の字体も変わっている。
ダンディ(1)
ダンディ(2)
ダンディ(3)


★オマケ(その4): サクラペット ピカピカシリーズ No.603 1/60スケール いすゞタンク消防車
全長95mm。1977年頃発売。当時定価650円(?)。単三電池付で販売された赤色灯点滅シリーズの1台。ボンネット開閉アクション付。
サクラ(1)
サクラ(2)
サクラ(3)


★ オマケ(その5): 1955年2月発行 学習研究社「のりものブック」表紙 (縦24×横17cm・20頁)
絵:木川達爾 画伯。学研の出していた「1年の学習」の付録。キリンが運転しているTX消防車。フロントグリルが細かい1953年以前の実車が描かれている。
絵本(1)のりものブック


★オマケ(その6): 1950年代 ひかりのくに絵本「消防自動車」表紙 (B5判・12頁)
絵:上田三郎 画伯。ひかりのくに昭和出版刊。当時定価35円。これもフロントグリルが細かい1953年以前の実車が描かれている。
絵本(2)粗いグリル


★オマケ(その7): 1950年代 きくやの愛育絵本「しょうぼうじどうしゃ」表紙 (B5判・12頁)
絵:初瀬五郎画伯。大阪・きくや書店発行。当時定価30円。フロントグリルが左右4段となった1954年以降のTX6輪梯子消防車が描かれている。
絵本(3)赤地


★オマケ(その8): 1950年代 えいこう社のえほん「消防じどうしゃ」表紙 (B5判・12頁)
絵:古藤幸年 画伯。永晃社発行。当時定価35円。
絵本(4)緑地


★オマケ(その9): 1950年代 ます美の幼児保育えほん「のりもの」表紙 (B5判・12頁)
絵:画家不詳。ます美書房発行。当時定価30円。
絵本(5)ます美Copy


★オマケ(その10): 1950年代 愛児絵本「しょうぼうじどうしゃ」表紙 (B5判・12頁)
絵:画家不詳。富士見出版社発行。当時定価50円。フロントフェンダーにメッキのオーナメントが付いた1958~1959年型が描かれている。
絵本(6)黄色地・赤旗


★オマケ(その11): 1950年代 トッパンの百科絵本「消防じどうしゃ」表紙 (B5判・18頁)
絵:中島章作 画伯。フレーベル館発行。当時定価100円。表紙に「監修・東京消防庁」と印字があるだけあって、消防の歴史まで解説された秀逸な1冊。これも1958~1959年型が描かれている。
絵本(7)トッパン消防庁監修


★オマケ(その12): 1960年代 フジヤのようちえん絵本「消防じどうしゃ」表紙 (B5判・20頁)
絵:秋吉文夫 画伯。文京区初音の富士屋書店発行。当時定価100円。1958~1959年の堂々たるTX6輪梯子消防車が描かれている。
絵本(8)赤白黄色


★オマケ(その13): 1960年代 えいこう社の保育絵本「消防自動車」表紙 (B5判・12頁)
絵:鈴村精一郎画伯。栄晃社発行。当時定価30円。東京タワーをバックにフロント周りを一新した1960年型が描かれている。
絵本(9)東京タワー


★オマケ(その14): 1960年代 トッパンのこども絵本「しょうぼうじどうしゃ」表紙 (B5判・16頁)
絵:中島章作 画伯。フレーベル館発行。当時定価100円。ライトを点灯して夕闇を走る1960年型。
絵本(10)濃い赤


★オマケ(その15): 1960年代 ひかりのくに声のえほん「消防自動車」表紙 (B5判・14頁)
絵:梅本 恂 画伯。大阪・ひかりのくに発行。当時定価200円。ソノシート付き「声のえほん」シリーズの1冊。
絵本(11)声の絵本


★オマケ(その16): 1960年代 ます美のデラックスえほん「のりもの」表紙 (B5判・12頁)
絵:古藤泰介 画伯。ます美書房発行。当時定価50円。バックには日産590系の救急車が描かれている。
絵本(12)黄色・救急車


★オマケ(その17): 1960年代 フジヤのなかよしえほん「じどうしゃ」表紙 (B5判・12頁)
絵:木村定男 画伯。ます美書房発行。当時定価50円。左側には縦目のセドリックも描かれている。
絵本(13)セドリック子供スノーケル


★オマケ(その18): 1960年代 栄晃社の愛児えほん「消防自動車」表紙 (B5判・12頁)
絵:甲田好文 画伯。栄晃社発行。当時定価60円。御世辞にも上手い絵ではない。
絵本(14)下手な絵


★オマケ(その19): 1960年代 コーヨー社のトップえほん「しょうぼう自動車」表紙 (B5判・14頁)
絵:画家不詳。光洋出版発行。当時定価100円。日野のキャブオーバーあたりが花形消防車となったせいか、1964年以降の横4灯のTX消防車が表紙に描かれた絵本は意外に少ない。
絵本(15)横目トップ絵本


★オマケ(その20): 1960年代 ひかりのくにダイヤ絵本15「しょうぼうじどうしゃ」表紙 (B5判・20頁)
絵:梅本 恂 画伯。大阪・ひかりのくに昭和出版発行。当時定価120円。後ろにはRS46系マスターライン・ベースの救急車が描かれている。
絵本(16)横目マスターライン救急車


★オマケ(その21): 1959年いすゞ・メッツ梯子消防車 
四谷三丁目の消防博物館の保管/展示車両。1925年(大正14年)に日本橋消防署に配置された車両が老朽化したため、1959年(昭和34年)に新車のいすゞBXバスシャシーにカールメッツ社製の梯子を載せ替えた車両。1971年(昭和36年)まで現役で活躍し、戦前の機械式梯子の昇降スピードは何と現在の油圧にも勝るものだったという。消防博物館は午前9時半から午後5時まで開館。入場無料。月曜休館。この車両、取材可能な現存車両がない限りモデル化をしないと言われるトミカリミテッド・ヴィンテージやエブロでの発売を期待したい。
消防博物館

★1953年 NJ号~ニッケイタロー~コンスタック 黎明期の軽 ~ 自動車カタログ棚から 249

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今日の東京は冷たい雨の1日でした。この雨は明日まで続くようです。
一昨日、11月23日(日)に船の科学館前特設会場で開催されたイベント「第2回お台場旧車天国」の会場で非常に珍しい黎明期の軽自動車「NJ号」の実車を見ることが出来ました。そこで、今回の「自動車カタログ棚から」は急遽、珍車NJ号の記事をアップすることにします。
(昨夜アップする予定がバンドの練習などでどうにも時間が取れず1日遅くなりました) 



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★日本の法律に軽自動車の概念が登場するのは、戦後1948年(昭和23年)1月施行の運輸省令第36号においてであった。「全長2.8m、全幅0.9m、全高2m、4サイクルエンジン150cc以下、2サイクルエンジン100cc以下」とされたものである。この数字は二輪車には適用出来ても四輪として製作するには、特に1mにも満たない全幅制限では現実的ではなかった。
現実的な最初の軽自動車(軽三輪自動車および軽四輪自動車)の規格が定められたのは1950年(昭和25年)7月26日発効の運輸省令第56号においてであった。「全長3m、全幅1.3m、全高2m、4サイクルエンジン300cc以下、2サイクルエンジン200cc以下とする」とされた。4サイクルより2サイクルのエンジン容積制限が小さいのは、2サイクルエンジンでは4サイクルの2倍の出力が得られると考えられていたためである。
翌1951年(昭和26年)8月16日発効の運輸省令第74号にてエンジン容積が4サイクル360cc以下、2サイクル240cc以下に変更され、1955年(昭和35年)4月1日発効の運輸省令第50号にて4サイクル・2サイクル共に360cc以下(軽二輪は250cc以下)と定められた。この軽自動車360cc時代は四半世紀以上に亘り続き、日本のモーターリゼーションの発展に大きく貢献した。1976年(昭和51年)1月に至り550cc以下、1990年(平成2年)に660cc以下となり1998年(平成10年)には車体寸法制限が全長3.4m、全幅1.48mに変更されて現在に至っている。


★1958年(昭和33年)5月に発売された富士重工業のスバル360がヒットする以前に発表・発売された軽自動車達は、歴史的には黎明期の軽自動車ということができる。
それらは町工場の手造り作品的な稚拙な車種も多く、1955年(昭和30年)10月に鈴木自動車が発売したスズライトSF、住江製作所のフライング・フェザーといった歴史的に見て優れた車種を含めても何れも生産台数は少なかった。月収7000円~1万円程度の時代に30~40万円といった価格帯では一般の日本人にはとても手が届かず、逆に事業経営等で成功しお金を持っていた裕福な日本人は米軍人流れの外国車や国産ならトヨペットやプリンスを買い求めるのが普通であったに違いない。幾らお金があっても遊園地の遊戯用自動車をちょっと大きくしたような誰の目にも稚拙な軽自動車を買わないのが普通の判断であったことだろう。
黎明期の軽四輪自動車としては、名古屋・オートサンダル自動車のオートサンダル、横浜・日本自動車工業のNJ号(エヌジェイ)、品川・三光製作所のテルヤン、芝浦・シバウラMR-1、品川・オオタスポードショップのオーミック、長崎・井坂自動車研究所のベビーコンドル、芝浦・梁瀬自動車のヤナセYX-360等、試作のみに終わったと思われるものを含め雨後の筍のように多数が誕生した。



NJ号
試作程度で消えたものも多い黎明期の軽四輪自動車の中で日本自動車工業のNJ号は比較的長期に亘り生産された。車名の「NJ」は、日本自動車の英文「Nippon Jidousha」のイニシャルである。日本自動車工業は横浜市南区井土ヶ谷仲町158番地に本社を置いていた会社でボルボおよびサーブの日本輸入総代理店でもあった(工場は横浜市南区南太田4-430)。
最初のNJ号は「NJ53」の名称で1953年型として発売されており、正確な発売時期に関する資料は見当たらないのだが、日本自動車工業の1953年暑中見舞い葉書に「NJ号の製造発売を開始致しました。」の印字があることからすると1953年(昭和28年)春あたりの発売だったのではないだろうか。セミモノコックボディに4輪独立懸架という先進的な機構に日本内燃機のくろがねを範とした強制空冷4サイクルV型OHVエンジンをリアに積んだRR、幌付きの2座オープンカーとして発売された。オープンカーと言っても決して運転を楽しむスポーツカーを目指したものではなく、簡便なミニマム・トランスポーターとしてボディの製作も楽なオープンボディとしたもので、フロント・トランク及びリアエンジン上にはパイプで仕切った荷物棚を設け、カタログでは「画期的 乗貨車」と謳われていた。
1954年型の「NJ号54」では全長が80mm延び(2910mm)、リアサイドにメッキのルーバーが追加された。NJ号の生産数は1955年までの足かけ3年に約80台。そのうち3台が現存すると言われ、2桁台後半という総生産台数からすると現存率は意外に高い。
日本自動車で製造開始されたこのNJ号、エンジンは基本的に同じままで、その後、製造元会社を2度も変え以下のような数奇な運命を辿っている。


ニッケイタロー
1955年(昭和30年)、日本自動車工業の倒産により生産設備や保管部品を債権者が買い取り、日本自動車の社員等製造関係者を引き抜いて、埼玉県川口市本町1丁目185番地に本社を置く日本軽自動車株式会社がNJ号の生産を継続した。翌1956年(昭和31年)には根本的に設計が変更され、RRからFR、セミモノコックからパイプフレームとなり、2座(+ランブルシート2座)のロードスター「RA-1型」と同シャシーに2座200kg積みピックアップボディの載せたトラック「TA-1型」の生産が開始された。この時、車名を日本軽金属の略であるニッケイに太郎を併せた「ニッケイタロー」に変更された。翌1957年(昭和32年)にはライトバン「LA-1型」が追加された。1956年108台、1957年に49台を生産し合計157台とNJ号の約2倍の生産数ながら現存車両は確認されていないようだ。


コンスタック
1957年(昭和32年)、ニッケイタローを生産していた川口市の日本軽自動車も経営破綻し、エンジンを生産していた東京都大田区入新井5丁目263番地の日建機械工業株式会社が生産を引き継ぎ、ニッケイタローのトラックおよびライトバンが「コンスタック」の名称で販売された。車名はコンスタントメッシュのミッションを採用していたことからの命名だろうか。
日建製コンスタックではトラックがCT型、ライトバンがCL型と呼ばれ、ニッケイタローでは2枚だったフロントウインドが1枚となり、ボディ前半にサイドモールが付き、トラックはキャビンと荷台が分割式のスタイルとなった。1959年(昭和34年)以降のライトバンでは最後部のサイドウインドがメクラではなくガラス入りとなったようだ。コンスタックは1961年(昭和36年)まで計145台が受注生産された。コンスタックも現存車は確認されていない(?)。なお、コンスタックを製造した日建機械工業という企業は工作機械器具のメーカーとして現在も存続しているようだ。



【主要スペック】 1953年 日本自動車工業 NJ号53 
全長2,830mm・全幅1,200mm・全高1,200mm・ホイールベース1,650mm・車重450kg・RR・VA-1型空冷4サイクルV型2気筒OHV358cc・最高出力12HP/4000rpm・最大トルク2.0 kgm/2600rpm・圧縮比7.0。変速機3速コラムMT・乗車定員2名・電装系6V・最小回転半径4m・燃料消費量23km/L・最高速度60km/h・販売価格38万円



●1953年7月 日本自動車工業 NJ-53 暑中見舞い葉書 (縦9×横13.9cm)
横浜港の初期のNJ号。ナンバーは日本自動車工業の地元・神奈川を示す「神16」となっている。
絵葉書(表)

裏面には以下の印字がされている。「暑中御伺い申上げます。今般、軽自動車『エヌジェー號』の製造発売並びに瑞典(スウェーデン)製乗用車『ボルボ』及び『サーブ』の輸入販売を開始致しましたので何卒御愛顧の榮を賜り度、切にお願ひ申上げます。昭和28年盛夏 日本自動車工業株式会社」
日本自動車工業は1955年には倒産しているので、この葉書の文面からするとNJ号の製造販売だけでなくボルボとサーブを輸入していたのも2年程度の僅かな期間だったようだ。
絵葉書(裏面)


●1953年10月 日本自動車工業の広告
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車ダイジェスト1953年版」に掲載された日本自動車工業の1頁広告。ボルボPV444、サーブ92と共にNJ53が掲載されている。
53広告


●1953年 NJ号 カタログ (B5判・2つ折4面)
恐らくNJ号の最初のカタログ。翌1954年にはウインドフレーム横に取付けられた腕木式方向指示器(ウインカー)がドア前方のパネルに埋め込まれている。ホイルキャップはなし。
53表紙

【中面から】
「国情に最も適応した画期的乗貨車」のコピー。ナンバーは神奈川を示す「神18」。
53(1)画期的乗貨車

「スクーターの免許で乗れるNJ53」
53(2)スクーターの免許で乗れる

コラムシフトの運転席とパイプで囲った荷物棚を設けたリア周り
53(3)運転席&リア周り

フロント・トランクとコイル・スプリングの四輪独立サスペンション
53(4)フロントトランク&四独サス

裏面: スペック&図面
53(5)スペック&図面

図面: サイド
53(6)図面サイド

図面: フロント
53(7)図面フロント

図面: リア
53(8)図面リア



●1954年 NJ号 カタログ (縦13×横17.5cm・3つ折6面)
全長が80mm伸び、リアサイドにメッキのルーバーを追加、腕木式方向指示器(ウインカー)が窓枠に移り、メッキのホイルキャップが付いた。
54表紙

【中面から】
四輪独立サスとVA型エンヂン
54(1)四独サスとVAエンヂン

フロント・トランク
54(2)フロントトランク

運転席: 左右座席の間がパイプで仕切られている。
54(3)左右座席間パイプ

スペック&図面
54(4)図面&スペック


●1955年 NJ号 カタログ (縦13×横18.2cm・2つ折4面)
製造元が横浜の日本自動車工業から埼玉県川口市の日本軽自動車に替わった後のカタログ。
55表紙

【中面から】
「NJ号は世界で最も小さい軽自動四輪車です。欧米のスポーツカーにもまさる美しいボディスタイル、強力なエンジンを誇る二人乗りでビジネスに、ドライブに、素晴らしい性能を発揮します。快適な乗心地で、コンバチブル(幌型)ですから、雨の日にも濡れる心配がありません。しかも、免許、税金はスクーターやオートバイと同じです。」
NJ号の前に立っている女性はミスユニバース第5位 高橋敬緯子さんと印字がある。約60年の時を経ているので、当時20歳としても現在は80歳前後になられているはず。
55(1)ミスユニバース

珍しい幌を被せた姿。東京渡し正価30万円の印字。発売時の38万円より大幅値下げ。
55(2)幌を被った姿と30万円

裏面: 製造元が埼玉県川口市の日本軽自動車に変更された。
55(3)日本軽自動車に変更



●1956年10月 ニッケイタロー RA-1型ロードスター 広報写真
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車図鑑1956年版」より。ドアは後ろヒンジの前開き。
ロードスター広報写真



●1956年? ニッケイタロー 簡易カタログ (B5判・片面刷り)
簡易カタログというより単なるチラシ。製造は大きく印字のされた日本軽自動車株式会社だが、総発売元は港区赤坂溜池30番地の「日本自動車株式会社」となっている。ロードスター「ニッケイタローRA-1型」とピックアップトラック「ニッケイタローTA-1型」のみの掲載。「出た!理想的な國民車 ニッケイタロー」のコピーが現代の目では笑いを誘う。
2台シラシ・ニッケイタロー



●1956年? ニッケイタロー カタログ (縦18×横18.5cm・2つ折り4面)
表紙の絵は赤いロードスターを運転している女の子?が異様に小さく、フロントタイヤが大き過ぎるなどバランスは悪いが妙に味わい深い。表紙上部には「ビジネスに!健全リクレーションの家族ドライブに!」のコピー。このカタログもロードスター「ニッケイタローRA-1型」とピックアップトラック「ニッケイタローTA-1型」のみの掲載でまだライトバンの掲載はなし。
56表紙

表紙には「NIKKEI TaRO」(ニッケイタロー)のロゴマーク
56(1)表紙ロゴアップ

【中面から】
ロードスターRA-1型
56(2)ロードスター


ロードスターRA-1型では「フロントシートのボルトを外して即席のキャンプシートに変ります」と記され、家族で原っぱにてフロントシートを外してピクニックしている写真。
56(3)シート外してピクニック

トラックTA-1型
56(4)トラック

図面: ロードスターRA-1型・・・リアシートは開閉式のランブルシート
56(5)ロードスター図面

図面: トラックTA-1型
56(6)トラック図面

NJ号ではVA-1型だったエンジンがこのカタログでは同排気量・同出力ながらVA-5型に進化している。変速機はNJ号のコラムシフトから一般的なフロアシフトに変わった。
56(7)エンジン

軽量なパイプフレーム
56(8)パイプフレーム

裏面: スペック
56(9)裏スペック



●1957年 ニッケイタロー 簡易カタログ (A4判・片面刷り)
簡易カタログというより単なるチラシ。「国民のみんなが待っていた国民車」のコピーがあるものライトバン(ライトバーンと印字)が395000円、ピックアップが355000円、ロードスターが395000円という価格は庶民には高価過ぎた。
57チラシ3台

ロードスター39万5000円
57チラシ39万5000円ロードスター



●1957年 ニッケイタロー ライトバンLA-1型 専用カタログ(縦14.3×横20.8cm・3つ折6面)
ライトバン表紙

【中面から】
ライトバンのみはウインドピラーに腕木式方向指示が付かず、同時期のダットサンのようにフェンダー左右上部にウインカーが付けられていた。
ライトバン(1)サイド

荷室
ライトバン(2)荷室

フロアシフトの運転席
ライトバン(3)運転席

軽量なパイプフレーム・シャシー
ライトバン(4)パイプフレーム・シャシー

裏面: スペック&図面
ライトバン(5)スペック&図面



●1958年? コンスタック カタログ (縦16.8×横20cm・2つ折4面)
川口の日本軽自動車から大田区の日建機械工業に製造元を変えた後の「コンスタック」のカタログ。表紙は羽田空港で撮影された写真のようだ。ロードスターは生産が打ち切られ、トラック・コンスタックCT型とライトバン・コンスタックCL型の商用2種のみが生き残った。トラックはニッケイタロー時代のワンピースボディがキャブ・荷台分割となった。更に末期にはライトバンの最後部サイドウインドがメクラからガラス入りに変わった。
コンスタック表紙

【中面から】
トラックCT型
コンスタック(1)トラックCT型

ライトバンCL型
コンスタック(2)ライトバンCL型

裏面:スペック・・・エンジンはVA-6型に進化している。
コンスタック(3)裏スペックVA6型エンジン





★オマケ: 1955年 NJ号 実車画像
NJ号はミニカー等の立体造形物は現在に至るまで全くなく(スクラッチビルド作品を除く)、マイナー過ぎて子供向け絵本に描かれるようなこともなかったようだ。今回のオマケは2014年11月23日(日)お台場・特設会場でのイベント「第2回お台場旧車天国」で撮影した実車画像。福岡県久留米市荒木町の自動車博物館「セピアコレクション」(日曜・祝日のみ公開)の保存・展示車両。フロント周りなど欠品パーツもあるようだが、存在自体が貴重なクルマだけに贅沢は言えない。リアナンバーは「長」で長野県内にて登録されていた車両とのこと。九州からフェリーで運び港からは元気に自走してきたとの由。オーナーの方は不動産賃貸業で生計を立て、旧車販売店と120台を展示した430坪の旧車博物館を趣味で運営しているというので驚いた。ミニカー120台でなく、本物の貴重な車を120台趣味で集められているのだから。NJ号だけでなく同じく黎明期の軽自動車であるオートサンダルの最初期型も保存されている。ニューイヤーミーティングが富士開催となった後の首都圏の旧車イベントとして、このお台場旧車天国は定着していきそうだ。
実車(1)斜め前

リアサイドにメッキのルーバー付
実車(2)サイドルーバー付

リア周り
実車(3)リア

リア正面アップ
実車(4)リアアップ

リアに積まれたVA型空冷358ccエンジン
実車(5)エンジン

運転席廻り
運転席廻り

ワイパーはウインド枠に付いたハンドルを手で回して動かす原始的なもの。運転しながらワイパー・ハンドルを回すのは至難の技だろう。
実車(6)手動ワイパー

本来はスペアが入るが、スバル360より広そうなトランク
実車(7)意外に広いトランク

★トヨタ博物館2014クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑 絵画館前 ~ 旧車イベント

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★今日は明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前 (東京都新宿区霞ヶ丘町1-1)で行われたトヨタ博物館主催の「2014クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑」へ。
天気予報では曇り一時雨くらいだったのが昼前には路面に水溜りが出来る位の本降りの雨に(@_@;)
古いクルマ達には酷な悪天候の中での開催でした。
今回、全国紙にも開催案内の記事が載っていた割には天候もあってかギャラリー(見物無料)は少な目に見えました。


★イベントの参加資格は「1984年以前に生産された国産車・輸入車(除く、二輪車)」とされており、86レビン/トレノあたりでもギリギリ参加資格ありということになります(お弁当付の参加費1台3000円とのこと)。
例年、一般参加車と共に愛知県長久手市から大型トラックで陸送されてきたトヨタ博物館所蔵の貴重な車両も併せて展示されます。今回は本降りの雨のためトヨタ博物館からせっかく運んだ戦前の車両達も残念ながらビニールで覆われての展示となりました。しかし、絵画館前の落ち着いた雰囲気の中でじっくりクルマを見て回れるのはこのイベントだけの美点のような気がします。


★今回はイベント参加車両の画像を個人的な視点からピックアップして掲載します。
果たして1台くらいはお好みのクルマがあるでしょうか。
なお、貴重な当時のナンバー付車両はナンバーの画像修正はなしでアップします。古いナンバーは車両の歴史を物語るだけでなく、旧車としての魅力を倍増させるものだと思います。




1970年ポルシェ911T 2.2L・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第47回記事参照
ポルシェ911T


1968年VWカルマンギア・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第139回記事参照
VWカルマンギア


1969年トヨタ2000GT(後期型)・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第99回記事参照
トヨタ2000GT


1957年初代クウラン前期型デラックス(RSD)・・・・・今回のイベントの目玉。驚異のワンオーナー車両。自動車カタログ棚シリーズ第98回記事参照
クラウンRSD
クラウンRSDリア


1959年初代クラウン後期型デラックス(RS21)・・・・・トヨタ博物館所蔵車両。自動車カタログ棚シリーズ第101回記事参照
クラウンRS21


1963年初代セドリック後期型「横目」・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第60回記事参照
セドリック前
セドリック後ろ


1962年プリンス・スカイライン・スーパー(初代最終型)・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第78回記事参照
スカイラインスーパー前
スカイラインスーパー後ろ


プリンス・グロリア6ワゴン・・・・・ハチマキグロリアでもワゴンは珍しい。
グロリア6ワゴン前
グロリア6ワゴン後ろ


1958年ダットサン1000(210)
ダットサン210前
ダットサン210後ろ


1966年いすゞベレット1500デラックス・・・・・1966年マイチェン前の内外装が非常に魅力的な初期型。自動車カタログ棚シリーズ第163回記事参照
ベレット前
ベレットリア


1966年2代目ブルーバード後期型スポーツセダン・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第200回記事参照
ブルーバード前
ブルーバード後ろ


日野コンテッサ1300クーペ・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第40回記事参照
コンテッサクーペ前
コンテッサクーペ後ろ


日野コンテッサ1300セダン・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第161回記事参照
コンテッサセダン前
コンテッサセダン後ろ


1973年くじらクラウン・ハードトップ後期型
クジラ前
クジラ後ろ


1972年ダルマセリカ初期型ワンテール
ダルマセリカ


ヨンメリ・・・・・後ろにいるケンメリGT-Rより珍しい気がします。
ヨンメリ


1952年ジャガーXK120ドロップヘッドクーペ・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第111回記事参照
ジャガーXK120前
ジャガーXK120後ろ


1951年MG-TD
MG-TDフロント
MG-TDリア


1959年キャデラック・・・・・テールフィンの絶頂。自動車カタログ棚シリーズ第14回記事参照
1959キャデラック前
1959キャデラック後ろ


1962年ファセル・ヴェガ・・・・・フランスの高級スポーツカー
ファセルヴェガ


1931年A型フォード・フェートン・・・・・慶大自動車部の車両。自動車カタログ棚シリーズ第222回記事参照
慶大1931年フォードA型


ポルシェ911ターボ・・・・・自動車カタログ棚シリーズ第50回記事参照
ポルシェターボ


フェラーリ512BB
フェラーリ






★オマケ(その1): 会場内のクレープ屋さんのVWタイプ2 (1961年式)
サンバー改造タイプ2は見かけるが本物のタイプ2を使っているクレープ屋さんは珍しいかも。
VWタイプ2クレープ屋さん


★オマケ(その2): 絵画館裏駐車場の首都高速道路株式会社の車両達
絵画館裏手の駐車場に10台以上停めてある首都高保守用車両。働くクルマの迫力は圧倒的。殆どがいすゞ車の中にあってユニモグが2台いるのにビックリしました。
首都高速(1)13台
首都高速(2)フォワード

ユニモグ(1)
首都高速(3)ユニモグ1

ユニモグ(2)
首都高速(4)ユニモグ2

★1957年 国鉄レールバス キハ02 ~ 鉄道車輛カタログ棚から 004

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自動車カタログ棚シリーズも前回のNJ号の記事で249回まで辿り着き、今年2014年の目標だった250回目まであと1回となりました。自動車カタログ棚シリーズでは、初代カローラ、初代サニー、初代ローレル、初代コロナマークⅡ、営業車以外の2代目130セドリック、3代目510ブルーバード、トヨタスポーツ800、スバル1000あたりの比較的メジャーな1960年代の国産車を一度も記事にしておらず、1970年代に至っては初代セリカ/カリーナ、4代目くじらクラウン、営業車以外の230セドリック/グロリア、初代シビックなど記事にしていない国産車はメジャーな車種だけでも未だ山のようにあります。

このブログのアクセス解析を見るとホンの一部のカタログをサラッと紹介しただけのコスモAPや初代サバンナRX-3の過去記事へのアクセスが異様に多いので、世の中の1970年代国産車の人気の高さが窺い知れるのですが、私としてはネット上にも情報が溢れている1970年代あたりのメジャーな車種よりも情報の少ないもっと古い商用車やマイナーな車種をピックアップした記事をアップしたい気持ちがあります。ただ、最近の自動車カタログ棚シリーズの記事のスタイルではアップするまでに時間がかかり過ぎ(場合によっては休日丸1日かけても完成しないことがあります)、漸く記事がアップ出来た時はとても嬉しいことは確かなのですが、産みの苦しみの方が大きくてプレッシャーになることも多々あります。

そこで、これからはもっと気分を楽にして、他の趣味(主に楽器演奏)をするための時間をもっと多く確保するためにも自動車カタログ棚シリーズの記事作成方針を変えるべき時に来たのかなとも思い始めています。例えばこれまで1記事に50枚以上ということも多かった画像の量を思いきり減らして記事の内容を落としても時間のかからない簡単なものにするか、あるいは、ここ最近は週1回を目途にしていたアップの頻度を大幅にスローダウン(例えば月1回など)するといった方法でそろそろ変えるべき時にきたのかなとも思い始めています。しかし、実はその一方で、事故や病気になっていつ記事が作れなくなるとも限らないので、出来る時に出来る限り力を入れて記事をアップしておきたいという気持ちもあって揺れているのです。。。


という訳で、前置きが少々長くなりましたが、12月の自動車カタログ棚シリーズの記事はあと1回のアップで250回目という2014年の目標に辿り着くので、今回は自動車カタログではなく昨年2013年7月16日以来久々となる「鉄道車輛カタログ棚から」の記事です。私が子供の頃に遠藤商店(エンドウ)のHOゲージ鉄道模型でよく遊んで大好きだった第一世代の国鉄レールバスの記事をアップします。




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★第3代日本国有鉄道(国鉄)総裁だった長崎惣之助(1896年6月25日-1962年11月7日)が1953年(昭和28年)1月から4ヵ月間をかけて欧米の鉄道を視察した際に2軸の小型ディーゼル動車に注目した。
長崎惣之助は日本の閑散路線用の車輛として的確な見本になると考え、帰国後直ちに島 秀雄(1901年5月20日-1998年3月18日)ら専門家に視察を命じた。その視察で参考とされたのが、1952年より量産・運用されていた西ドイツの小型ディーゼル動車「シーネンオムニバス(Schienen Omunibus)」であった。1953年5月より国鉄工作局でレールバスに関する会議が始められ、当時の日本では閑散路線とはいっても混雑時には250名程度の乗車があり精々50~60名程度が定員のレールバスの導入には慎重論があったと言われるが、東急車輛の協力が得られたこともあり、閑散路線の喫緊の状況改善策の一つとしてレールバス製造のゴーサインが出された。


★こうして1954年(昭和29年)8月に生まれたのが日野ディーゼル工業のアンダーフロアバス・ブルーリボン用のDS21型エンジン(60ps)を搭載した東急車輛製作のキハ10000~10003 (1957年の型式変更後はキハ01-1~4)であった。
同年9月1日より千葉県の木原線(外房線大原~小湊鉄道上総中野間26.9km)で運用が開始された。
次いで北海道の旭川鉄道管理局内の閑散路線用にエンジンを日野ディーゼルDS22(75ps)に換装し暖房設備強化ならびに下回り機関に防寒カバーを取り付けた2次車キハ10004~10011(型式変更後はキハ01 -51~58)が製造された。この2次車までは出入口扉が車両の前後にあり前面窓が3分割であることが外観上の特徴であった。


★次に登場した3次車キハ10012~10028(型式変更後はキハ02-1~17)では大幅な設計変更が為され、外観上は近代的な前面2枚となり、車掌業務の便を考慮して出入口扉が車両中央1ヵ所のみとなった。
この3次車は旭川鉄道管理局・広島鉄道管理局・門司鉄道管理局管内にて運用された。3次車は当時の鉄道模型製品ともなったため国鉄レールバスとしては最もメジャーなタイプと言える。
更に寒冷地用の改良を加えた4次車キハ10200~10219(型式変更後はキハ03-1~20)が製造された。
これらの1950年代の国鉄レールバスは製造から10年余りを経過した1965年(昭和40年)~1966年(昭和41年)にかけて大半が廃車となり、最も遅い廃車はキハ10021(キハ02-10)の1969年(昭和44年)3月31日であった。
なお、キハ10200(キハ03-1)が比較的良い状態で小樽市総合博物館(9時半~17時:火曜休)に唯一現存し保存・展示されている。


【主要スペック】 1957年 国鉄キハ02形レールバス
全長10900㎜・全幅2602.4㎜・全高(レール面上)3050.8㎜・軸距5200㎜・自重10.35t・機関:日野DS21型60HP/1200rpm・乗車定員46名(座席40名・立席6名)・軌間1067㎜




●1958年4月発行 国鉄キハ02形レールバス カタログ (A4判・表裏1枚)
東急車輛シートNo.1002。1957年(昭和32年)4月1日に車輛称号規程が改正され型式が変更となった後の東急車輛発行の1枚物カタログ。1954年のキハ10000型登場時には2つ折のもう少し立派なカタログが発行されているが未入手。ディーラーで一般に配布された自動車カタログに比べると鉄道車輛のカタログは総じて入手は難しい。

カタログ(1)

表面
カタログ(2)表面

裏面
カタログ(3)裏面

概要説明
カタログ(4)概要説明

主な特徴
カタログ(5)主な特徴

主要諸元
カタログ(6)諸元1
カタログ(7)諸元2

図面
カタログ(8)図面1全体

カタログ(9)図面2サイド

カタログ(10)図面3前面






★オマケ(その1): カツミ模型店 1/45スケール 国鉄キハ10000形レールバス
全長18cm。1956年発売。実車の登場とあまりタイムラグなしに発売された初の国鉄レールバスの模型。3線式Oゲージ。ボディは当時としては超先進素材と言えるプラスチック製で床板は木製。スケールモデルではない自由形(フリーランス)で窓ガラスもないチープな造りだが、前面2枚窓、中央の出入口、ルーフ上のベンチレーターなど国鉄レールバス3次車(後のキハ02)の特徴を上手く捉えた製品。カツミ模型店は戦後2年目の1947年(昭和22年)8月30日に創業した鉄道模型メーカーでかつては日本型HOゲージ(16番)の代表的なブランドだった。
カツミ(1)

カツミ(2)

カツミ(3)

鉄道模型趣味1956年10月号(通巻100号記念号)掲載のカツミ模型店(当時の住所:東京都港区芝白金志田街3)の広告にはこのレールバスがスケール電関EH10等と共に紹介されている。
カツミ(4)TMSアップ

幻のカツミ製Oゲージスケール機EH10等も掲載
カツミ(5)TMS広告全体

月刊「鉄道模型趣味」1956年10月 通巻100号表紙
カツミ(6)TMS表紙



★オマケ(その2): 遠藤商店 1/80スケール 国鉄キハ02レールバス
全長12.5cm。16番HOゲージの製品。遠藤商店(現エンドウ)は終戦の年1945年(昭和20年)12月1日に創業した鉄道模型メーカーでかつては「TER」(=東京遠藤レイルロード)の略称で親しまれカツミ模型店とも繋がりが強かった。私が子供の頃に鉄道模型好きは遠藤のブリキ貨車は誰もが持っていた。HOキハ02の発売は実車稼働時代末期の1966年頃(?)。ロングセラー製品で私が小学校に上がった頃から昭和の終わり頃(1980年代後半)まで連綿と売られていた。立川の遠藤商店のショールームにも平成の初め頃までは新品在庫が残っていた。モーターなしのトレーラーも売られ、統括制御不能だった実物では不可能な2両連結での運転も楽しめた。クリーム/紺塗装は1960年代に少数市場に出たと思われるレアカラー。このレールバスはモーターがよく回り、子供の頃は部屋中に敷き詰めた線路をスロットレーシングのようにかっ飛ばして(スケールスピード150km位?)遊んだものだった。
エンドウ(1)

エンドウ(2)

エンドウ(3)

エンドウ(4)



★オマケ(その3): トミックス 1/150スケール 国鉄キハ02レールバス
全長6.7cm。トミー(葛飾区立石)のNゲージ製品。オリジナルは1977年から1978年にかけての香港製時代のトミックスの初期製品だが、これは2001年の復刻品。モーター付とモーターなしのトレーラーの2両セット。私は古い日本型OゲージとHOゲージが好きでNゲージは全く集めていないのだが、国鉄レールバスということで唯一手元にあるNゲージ製品。
トミー(1)

トミー(2)

トミー(3)

復刻品はトミックス誕生25周年記念モデルとして販売
トミー(4)



★オマケのオマケ: (1)Oゲージ (2)HOゲージ (3)Nゲージ の大きさ比較
3種類(1)

3種類(2)

★1977年 ポルシェ928 テレホンダイヤル 悲運の旗艦 ~ 自動車カタログ棚から 250

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昨日、今日と東京は寒いです。漸く本格的な冬がやって来たようです。
さて、今回は自動車カタログ棚シリーズの記念すべき?250回目。2012年6月から2年半余りに亘って続けてきたこのシリーズ、今回を最終回とするのか果たして251回以降も続けるかは今のところ未定です。今後は玩具・模型カタログの記事をメインにしていくかもしれません。
250回分の記事というと、紙媒体にすれば1記事1頁として250頁、1記事見開き2頁として500頁の立派な本が出来る計算になります。もっともWeb上でいつでも自由に無料で閲覧出来る内容をわざわざ書籍化しても需要は殆どないかもしれません。記事にしていない車種・カタログは勿論まだまだ沢山ありますが、実はどうしてもアップしておきたい車種は段々減ってきています。
今回は節目の250回目ということで、例によって私の一番好きなメイクスであるポルシェをピックアップします☆
 



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★1977年(昭和52年)3月10日、ジュネーブショーで世界中の自動車関係者注目の元にポルシェ928はデビューした(デリバリーは1977年秋より)。1964年に生産が開始され既に生産14年目となっていた911に代わる、来たるべき新しい時代のポルシェの旗艦となるべく928はデビューした。928は、356および911で築きあげた伝統の空冷リアエンジンではなく、一足早く前年1976年にデビューしたエントリーモデル・ポルシェ924と同様に水冷フロントエンジン方式が採られた。結局、928が911のユーザーを取り込むことは出来ないまま長期に亘る生産を終了し、911の世代交代がその後も続けられたことは周知のとおりである。


★ポルシェ928の開発が開始されたのは911の販売が北米を中心に右肩上がりに伸びていた1971年(昭和46年)末であった。
928の開発に当って新しい時代のスポーツカー像として、単に高性能であるだけでなく高い安全性と快適性をも兼ね備えることがテーマとされた。更に当時世界中で実施されつつあった排ガスを含む様々な規制をクリアすることも絶対条件とされた。高性能でありながら同時に多くのハードルをクリアするため、ポルシェ技術陣は新開発の4.5L水冷V8エンジンの採用、そして、エンジンおよびクラッチをフロント、トランスミッションとデフをリアにレイアウトするトランスアクスル方式を選択した。水冷エンジンは911のような空冷エンジンに比べて遥かに静粛性に優れエアコンの効果も楽に得ることが出来る上、大排気量とした場合でもエンジン本体を小さくコンパクトに製造できるといった利点を持っていた。また、エンジンをフロントに配置することは事故時の耐衝撃性の面でも有利であった。そして、前後の重量配分を理想的な50対50に出来るトランスアクスル方式では、リアエンジン車以上に優れた操縦性を生み出すことも出来た。


★ポルシェ928の技術的なトピックとしては、リアサスペンションのロアアームの取り付け方に工夫をこらした「バイザッハ・アクスル」を採用したことが挙げられる。
通常、コーナリング中に急にアクセルを放すとテールスライドを起こしスピンに至ることもあるが、「バイザッハ・アクスル」ではコーナリング中のアクセル操作による操縦性の変化を微妙に修正し安全にコーナーを回りきることが出来た。アクセルを放しても全く軌跡に変化が起きないのでは逆に危険なため、人が制御しやすい程度のレベルに設定されていた。また、北米安全基準を満たしたボディ一体型のバンパーは、時速20kmのスピードで衝突してもその力を吸収して車体を傷めないばかりか、元通りに復元する機能を併せ持っていた。更に、エンジンを始めエンジンフードや左右ドア、フェンダーにはアルミニウムや軽合金がふんだんに使われ、車体の軽量化に貢献すると共に車体の高い防錆性をも併せ持っていた。
そして、928の最大の美点はデビューから37年を経た2014年現在の目で見てもけっして古臭くなく十分に美しいボディデザインにあった。全体に丸味を帯び、卵型のスムースな曲面で構成された空力的にも優れたボディデザインである。ぬめっとしてナマズのようで薄らデカいというイメージのあった928だが、車体が大型化した現代の標準では特別大きなクルマでもなくなった。928の全長4445㎜は現行の911(991型)の4500mmより55mm小さく、全幅は大差ない1836㎜(現行911は1810㎜)である。


★928は1977年秋から1995年にかけて生産販売され、ポルシェ356の1948年~1965年とほぼ同じ18年という長寿車であった。
928、924、944、968といったフロントエンジン・ポルシェは一般に人気がなく、928の場合では新車価格の10分の1以下、年式と程度によっては50万円を切るようなケースもあるようだ。2014年現在、928は最も新しくても約20年落ちということになるが、もし安価で購入したとしても購入金額以上の整備費用がかかるのが普通だと言われる。もし928が激安で手に入るなら走らせなくても庭などにオブジェとして置いて楽しむのもいいような気もする。まあ、しかし、クルマは走らせてこそ価値があるものでオブジェにしてしまってはクルマが可哀想だ。928でもモデル末期のパワフルで熟成された1990年代前半の928GTSで走行距離が少なく状態の良いワンオーナー車といった掘り出し物も中にはあるらしい。外観的にはテレホンダイヤルホイールを履きリアスポイラーの付かない初期の928が一番好きなのだけれど初期車両はクォリティが低くトラブルが頻発したと言われることもあり、現代の路上で実際に乗るならばモデル末期のパワフルな928GTSがベストであることは間違いなさそうだ。


【ポルシェ928の主な変遷】
1977年3月 ジュネーブ・ショーにてデビュー
1977年秋 デリバリー開始
1979年秋 928S(300ps)
1984年 928S2(リアスポイラー装着)
1985年 928S DOHC化・排気量アップ(4957cc・292ps)
1987年 928S4(320ps)
1989年 928S4GT
1990年 928GT(330ps)
1992年 928GTS(5397cc・340ps)・全幅45mm拡大
1995年 生産終了


【主要スペック】 1978年 ポルシェ928  (1978 porsche 928)
全長4,445mm・全幅1,835mm・全高1,315mm・ホイールベース2,500mm・車重1540kg・FR・水冷90°V型8気筒SOHC4474cc・最高出力230HP/5200rpm(DIN)・最大トルク35.0 mkg/3600rpm(DIN)・圧縮比8.5:1。変速機3速フロアAT・乗車定員4名(2+2)・最小回転半径5.5m(車体)・実用燃費4.35km/L・定速燃費100lm/h時8.26lm/L燃料タンク容量86L・0‐400m:15.4秒・0-100km/h:8.27秒・最高速度230km/h・三和自動車輸入販売価格1230万円(5速MT1210万円)  ※一部、カーグラフィック誌1978年5月号掲載ロードテスト・データ



●カーグラフィック誌 1978年5月号 表紙
日本に上陸したばかりの928(ATおよび5速MT)のロードテスト掲載。このあたりの年代以降のカーグラは分厚く嵩張って手放す人が多いのか市場在庫が多く中古ショップや古書店では100円均一コーナーにあることも多い。
カーグラ



●ポルシェ広報誌「クリストフォーラス」(christophorus)1980年6月号
表紙・裏表紙は前年秋デビューの928S
クリストフォーラス表紙

中頁より: 928+テニス
クリストフォーラス・テニス



●1992年2月 ポルシェ928GTS 展示会案内葉書
1992年2月11日(祝)に行なわれた最後の928たる928GTSのミツワ目黒ショールームでの展示会の案内葉書。5396cc・350ps・最高速度275km・車両本体価格1430万円。この末期の熟成された928GTSが現在中古で購入するならベスト・チョイスとなるだろう。
各自動車メーカーのディーラーから届くこの手のダイレトメールや葉書の類を以前は何でも全て保存/保管していたのですが、文字通り紙屑の山のようになって収拾がつかなくなってきたため、TVの紙屑王決定戦などに出場したい気持ちがある訳でもないので、最近はポルシェのモノだけを保存し他のメーカーのものは処分することにしています。
GTS葉書



●1973年11月 928デザイン・スケッチ3案
1971年暮れの開発開始から2年後の73年秋時点では928にはこの3種類(上クーペ・中ワゴン・下ノッチバック)のデザイン案があり、最終的にクーペボディ案が採用されて3年半後の77年3月のジュネーブ・ショーでデビューした。
デザイン3案



●1977年 ポルシェ928 カタログ (縦28×横25cm・英文16頁)
末尾に1977の印字がある初期のカタログ。1977年3月のジュネーブショー・デビューから同年秋にデリバリーされるまでの期間に配布されたプレ・カタログかもしれない。
プレ表紙

【中頁から】
フロントV8エンジン
プレ(1)エンジン

プレ(2)フロント

928はリアビューが美しい。
プレ(3)リア

メーター周りとハンドルのチルト機構を備えた運転席周り。デザインは後の日本車にも影響を与えた。
プレ(4)全体がチルト運転席

透視図
プレ(5)透視図

スペック
プレ(6)スペック

裏表紙はリアビュー
プレ(7)裏表紙



●1977年 ポルシェ928 カタログ その2 (縦28×横25cm・英文16頁)
上掲のカタログと一見同じだが、表紙から「Introducing a redefinition of the sports car.」の文字が消え、中頁の文章も何故か大幅に差替えられている。どちらが先に発行されたものか不明。
プレ2表紙セカンド



●1977年 ポルシェ 総合カタログ (縦28×横25cm・英文8頁)
ポルシェの新しい旗艦として総合カタログ表紙の中央に登場した928。
77総合表紙

【中頁から】
77総合中頁



●1978年 ポルシェ928 本カタログ (縦28×横25cm・独文36頁+スペック4頁)
最初の928の本カタログ。表紙はテレホンダイヤル型ホイールのクローズアップ。
78表紙テレホンダイヤル



●1979年 ポルシェ928 本カタログ (縦28×横25cm・英文36頁+スペック・色見本6頁)
上掲の1978年版と殆ど同じ構成の本カタログ。カタログ付属のボディ色見本にはスタンダードカラーが赤・黄・白・黒・緑・青・茶・ベージュ・ガンメタ・薄紫の10色、更にスペシャルカラーが10色も出ている。
79表紙

【中頁から】
79中頁



●1981年 ポルシェ928・928S 本カタログ (縦28×横25cm・英文36頁)
4664cc300psの928Sを追加。
81英表紙

【中頁から】
81英(1)リアカップル

透視図
81英(2)透視図



●1981年 ポルシェ928・928S 本カタログ (縦28×横25cm・日本語20頁)
英文カタログを抜粋して作成された三和自動車発行の日本語版。
81日本語表紙

【中頁から】
928でスキー
81日本語中スキー



●1985年 ポルシェ928S 本カタログ (縦28×横25cm・日本語40頁)
三和自動車発行の日本語版。DOHC4957cc・292psに変更。最終頁には小さな各色の紙を貼りつけたボディ色見本が綴じ込まれたコストのかかったカタログ。
85表紙

【中頁から】
ワインレッドが美しい。
85(1)ワインレッド上下

85(2)リア



●1986年 ポルシェ928S 本カタログ (縦28×横25cm・日本語54頁)
三和自動車発行の日本語版。このカタログも小さな各色の紙を貼りつけたボディ色見本が綴じ込まれたコストのかかったカタログ。
86表紙

【中頁から】
86(1)中前俯瞰

86(2)リア

オプションのスキーキャリア
86(3)スキーキャリア・オプション



●1988年 ポルシェ928S4 本カタログ (縦28×横25cm・日本語32頁)
三和自動車発行の日本語版。320ps・最高速度270km/hにアップ。
88S4表紙

【中頁から】
88S4(1)フロント俯瞰

88S4(2)リア俯瞰

ライト・アップした928の表情
88S4(3)ライトアップ顔



●1990年 ポルシェ928S4/928GT 本カタログ (縦28×横25cm・日本語32頁)
三和自動車発行の日本語版。330ps・5速MTの928GTを追加。
90表紙

【中頁から】
5速MTの928GT
90(1)フロントGT

90(2)リアGT



●1992年 ポルシェ928GTS 本カタログ (A4判・日本語34頁)
三和自動車発行の日本語版。5397cc・340ps ・最高巡航速度275km/hとなった最終型。
92GTS表紙

【中頁から】
92(1)フロント

92(2)リア

V8・32バルブ5400cc340psエンジン
92(3)V8・32Vエンジン





★オマケ(その1): ダイヤペットG-88番 1/30スケール ポルシェ928
全長14.5cm。当時定価1600円。ダイキャスト製。スーパーカーブームとも重なりテレホンダイヤル・ホイール時代のポルシェ928の日本製モデルは多数ありましたが、その中で一番気に入っているのがこのダイヤペット。ボンネット・リアハッチ・ドアが全て開閉しヘッドライト上下可動とリアラゲッジスペースには赤い絨毯が敷かれドア内貼りも再現されています。大スケール故にダイキャストの重みもズッシリです。カラーは赤・シルバー・黒など。
ダイヤペット(1)

ダイヤペット(2)

フル開閉アクション
ダイヤペット(3)全開閉

ダイヤペット(4)



★オマケ(その2): 永大グリップテクニカ54番 1/28スケール ポルシェ928
全長15.5cm。当時定価1800円。ダイキャスト製。リアゲート以外全て開閉。上下するヘッドライト・レンズには1960年代のミニカーのようなダイヤカットガラスが奢られている。テレホンダイヤル・ホイールの表現はダイヤペットよりこちらの方がリアル。赤・シルバーの色違いの他、ノーマルの箱に「SKICAR」(スキーカー)のシールを箱に貼ってスキーをルーフに載せた仕様も少数市場に出た。
エーダイ(1)

エーダイ(2)

スキー積み仕様は箱右下に「SKICAR」のシール付
エーダイ(3)スキーカーシール貼



★オマケ(その3): トミカF53-1 1/63スケール ポルシェ928
全長7cm。当時定価240円。ダイキャスト製。CANON特注の白/赤、チューインガム入りトミニカ専用のシルバーなどもあった。
トミカ(1)

トミカ(2)

1978年9月発売のG-46グランプリ・スピードシューターセット(8台入り)に入っていた928ADAC仕様(右上のオレンジ色)。長年箱から出さずにダンボール箱の底に仕舞っておいたところ、何とADACの紺のタンポが箱の透明シートに転写されて薄れてきてしまった。
トミカ(3)ADAC右上



★オマケ(その4): トミカダンディ F16  1/43スケール ポルシェ928
全長10.2cm。当時定価850円。ダイキャスト製。ボンネット・リアハッチ・ドア開閉。
ダンディ(1)

ダンディ(2)

ダンディ(3)



★オマケ(その5): サクラ スーパーカーNo.15 1/43ポルシェ928警視庁パトカー
全長10.2cm。当時定価950円。ダイキャスト製。ボンネット・ドア開閉+ヘッドライト昇降アクション付。ノーマルの赤と黄色も発売された。このシリーズ、ソリッドに範をとったと言われるミウラなど傑作も多いが928はポッテリとし過ぎて出来はイマイチ。この928警視庁パトカーのような実車では存在しない色物は何故か妙にそそられます。
サクラ(1)

サクラ(2)

サクラ(3)



★オマケ(その6): 仏solido No.49 1/43 ポルシェ928
全長10cm。国内販売価格1500円。ダイキャスト製。このミニカーは大量に輸入されたせいか現在の絶版相場は1000円以下のようです。カラーバリエーションはシルバー、金茶等。
ソリド(1)

ソリド(2)

ソリド(3)



★オマケ(その7): ホットウィール&マッチボックス 1/60程度 ポルシェ928
どちらも全長7.2cm位の小スケールミニカー。HWはブリスター未開封だが台紙裏に1982の印字があり、何故か実車には存在しないターボのタンポ入り。マッチボックスは1980年代前半ジャパン・マッチボックス時代の日本語箱入りバージョン。どちらもバリエーションが沢山ありそうです。
HW&マッチ(1)

HW&マッチ(2)ターボ



★オマケ(その8): 田宮模型 1/20スケール ポルシェ928 プラモデル
当時定価1200円。1/20グランプリコレクションNo.3。キットNo.GC2003。モーターライズ・キット(FA-130モーター使用)。
タミヤ



★オマケ(その9): バンダイ 1/20スケール ポルシェ928 プラモデル
当時定価1000円。1/20スケール・スーパースポーツカーシリーズNo.1。キットNo.8019。これも時代を感じさせるモーターライズ・キット(RE-14モーター使用)。バンダイ製はムギ球でライト点灯のギミック付。
バンダイ



★オマケ(その10): ポルシェ928 テレビCM集
1980年代、北米のテレビCM集。アウディと提携していた時代のため、928以外にアウディも登場。

★1964年バンダイ ハンドルリモコン ホンダS500ビッグX ~玩具・模型カタログ棚から017

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★山科直治氏(1918年-1997年10月28日)が現在のバンダイの前身である萬代屋を起業したのは、1950年(昭和25年)7月5日、弱冠32歳の時であった。
自動車・飛行機・鉄道・船舶等の金属玩具(ブリキ玩具)の堅実な製品を多数リリースし、「あかばこシリーズ」(文字通り下箱が赤い紙で包まれていた)と呼ばれた良質な模型玩具製品群のヒットで起業10年に満たない1950年代末には既に国内玩具メーカーの中堅どころにまで成長していた。1960年代初頭にはメッサーシュミット・タイガーやツェンダップ・ヤーヌスといった当時世界的にみても極めてマニアックな車種選択がされた「世界の自動車シリーズ」がヒット商品となった(本シリーズ第16回記事参照)。


★1961年(昭和36年)5月、株式会社バンダイと社名を変更したのち、東京オリンピックの行われた1964年(昭和39年)にはハンドル操作で自動車等の本体を前後左右に電動走行させる「ハンドル・リモコンシリーズ」がヒット商品となった。
バンダイのハンドル・リモコンシリーズに対して米澤玩具(ヨネザワ)、一宏工業(イチコー)、増田屋齋藤貿易(マスダヤ)といったライバル各社からも類似商品が登場したが、バンダイ製品は種類が豊富でリモコン玩具市場を寡占する勢いのヒットとなった。プラモデルという言葉がマルサン商店の登録であったように、ハンドル・リモコンという言葉もバンダイの商品名でありながら一般に広く知られるところとなった。


★今回ご紹介するカタログは、ハンドルリモコンがヒットした1964年(昭和39年)のバンダイのもの。今年2014年からちょうど半世紀前のカタログ。カタログに発行年月を示す印字はないのだが、掲載されている価格表の中に「昭和39年9月より適用される価格」である旨の記載があり、発行は昭和39年(=1964年)の夏以前と思われる。
高さ51cmの巨大な犬のぬいぐるみの5000円など相当な高額商品であった犬のぬいぐるみシリーズだけがカラーで掲載され、その他は2色もしくは3色刷りとなっている。鉄腕アトム、鉄人28号、エイトマン、ゼロ戦ハヤト等のキャラクター商品も掲載されており、半世紀の時を経て現在では高額プレミアがついている製品も多い。皮肉なことに当時最も高価であったぬいぐるみ群にはプレミアが付いていないようだ。


★今回のカタログが発行されたと推定される1964年の夏というとアメリカでは4月にビートルズがヒットパレードの1位~5位を独占したあとで、日本では10月に東京オリンピックが開催される少し前という時期に当たる。私自身は当時まだ4歳の幼児であったのだが、この時代の特に自動車を中心とするバンダイ製品には何とも強烈な郷愁を感じる。




●1965年4月 バンダイ ビッグX  広告
東京玩具商報1965年4月号(国立国会図書館蔵)より。ビッグXが乗ったホンダS500のハンドルリモコン仕様:本記事オマケ1参照(都内500円・全国530円)とゼンマイ歩行のブリキ製ビッグX(都内380円・全国420円)。ホンダS500は、おそ松くんのイヤミが乗車したバージョンも販売された。
ビッグX広告



●1964年5月 バンダイ ハンドル・リモコン広告
東京玩具商報1964年5月号(国立国会図書館蔵)より。1964年5月発売の新製品として410ブルーバード(都内600円・全国630円)、RS41クラウン(都内750円・全国790円)、1959年トヨペットマスターライン救急車(全国660円)、鉄腕アトムが運転する三菱ジープ(都内500円・全国530円)の他、リモコンで歩くポニーといった珍商品も掲載。
645広告(1)

同上1964年5月号より。6月発売製品リモコン空中鉄人28号の他、リモコン空中鉄腕アトム、ウランちゃん、狼少年ケンといったバンダイのマスコミシリーズの広告。
645広告(2)キャラ



●1964年7月バンダイ ハンドル・リモコン広告 
東京玩具商報1964年7月号(国立国会図書館蔵)より。1964年7月の新製品としてリモコン歩行の鉄腕アトムとリモコン大ゼロ戦(都内850円、全国900円)が掲載されている他、1961年C1コルベット・三菱ジープ・フォードジャイロン・メルセデスベンツ300SLに鉄腕アトムが乗車した製品、2代目クラウン・UP10パブリカ・マツダキャロル・マツダR360クーペ・1959年マスターライン救急車・1961年トヨペットクラウン警視庁パトカーといった国産車に加えて独フォードタウナスとオペルセダンを掲載。
広告の右上に「問屋、小売店、デパート等でセールスする方々のために「バンダイのハンドル・リモコンが生まれるまで」のカラー・オートスライド(15分)を完成しました。御一報下されば御相談の上、係員が参上し映写致します。」と記載がある。もし現在もバンダイに現存するのであれば見てみたいものである。
647広告リモコン見開き



★1964年 バンダイ 総合カタログ (B4判・12頁)
カタログに織り込まれた価格表に「昭和39年9月から昭和40年1月までの売価」と印字があるので1964年夏頃の発行と推定。商品写真と小売価格(都内および全国)の掲載のみで残念ながらバンダイの商品番号は記載されていない。旭化成とタイアップして商品化されたシール同動物シリーズに始まり、赤ちゃん人形、乳母車、マスコミ玩具、電動玩具、世界の自動車シリーズの流れを汲むスケールモデルカー、ハンドルリモコンシリーズ、レーシングゲーム、HOレールセット、東京モノレール・セット、クリスマスツリーといった製品が掲載されている。例によって個人的な視点から抜粋して掲載します。
64表紙

【シール動物シリーズ】
この頁のみカラー
64(1)シール動物

【マスコミ・電動玩具】
64(2)マスコミ電動玩具

鉄腕アトム、鉄人28号、ゼロ戦はやと
64(3)アトム鉄人ゼロ戦隼人

エイトマン、忍者部隊月光ほか
64(4)エイトマン・月光他

NHKで高視聴率を誇った「ブーフーウー」
64(5)ブーフーウー

電動フォードサンダーバード、電動シボレーインパラ・ポリスほか
64(6)電動サンダーバード、シボレー他

キャデラック・オープン、VWビートル、鉄人28号スカイロケット、座席付き日航DC7-Cほか
64(7)キャディオープン・鉄人スカイロケット日航

電動VWタイプ2、電動1958年リンカーンコンテイネンタル・ポリスほか
64(8)タイプ2、58リンカーン


【スケールモデルカーの部】 (左:都内売価、右:全国売価)
・特大ダンプ(1500円・1650円)
・特大ミキサー(1500円・1650円)
・鉄人クレーン(760円・840円)
・いすゞエルフ・ダンプトラック(450円・490円)
・ビーシーダンプトラック(450円・490円)
・いすゞエルフトラック(330円・360円)
・M45タンク(450円・490円)
・プリンスグロリア・スーパー6 (1000円・1100円)
・大キャデラックセダン(800円・880円)
・ニュークラウンRS41(350円・380円)
・鉄腕アトム・フェラーリ(330円・360円)
・プリンススカイライン1500(300円・330円)
・マツダファミリア・バン(250円・270円)
・いすゞベレット1500(220円・240円)
・三菱コルト1000 (200円・220円)
・ニューブルーバード410(200円・220円)
・トヨタパブリカ(180円・200円)
・マツダキャロル(180円・200円)
・ホンダS500(150円・160円)
・大キャデラック・ハイウェイパトロール(800円・880円)
・大キャデラック・赤十字アンビュランス(800円・880円)
・中キャデラック・ハイウェイパトロール(330円・360円)
・ニュークラウン警視庁パトカー(320円・350円)
・トヨペット警視庁パトカー(220円・240円)
・フォルクスワーゲン・タイプ2赤十字(300円・330円)
・鉄腕アトム・スターレーサー(250円・270円)


【スケールモデルカー頁】(下部は乳母車)
64(9)スケールモデル乳母車

人気の高いプリンスグロリア・スーパー6、ファミリアバン、いすゞベレットほか
64(10)グロリア・ファミリアバン・ベレット

2代目クラウンRS41、三菱コルト1000、410ブルーバード、クラウンパトカーほか
64(11)クラウン・コルト1000他

いすゞエルフ、スカイライン1500デラックス、マツダキャロル、ホンダS500ほか
64(12)エルフ・スカイライン1500S500他



【ハンドルリモコン・シリーズ】 (左:都内売価、右:全国売価)
フリクション駆動として発売されたバンダイ製スケールモデルの多くがハンドル・リモコンとして発売された。国産車ではプリンスグロリアスーパー6、スカイライン1500、ホンダS500、三菱コルト1000、マツダファミリアバンあたりはハンドルリモコンとしては発売されていない。

・リモコン大キャデラックセダン(2200円・2300円)
・リモコンC2コルベット・ポリスカー(2100円・2200円)
・リモコン白バイ(1000円・1050円)
・窓上下開閉リモコン・フォードジャイロン「鉄腕アトムドリームカー」(700円・740円)
・リモコンC1コルベットオープン「鉄腕アトムスポーツカー」(500円・530円)
・リモコン三菱ジープ「鉄腕アトム」(500円・530円)
・サイレン付リモコン・メルセデスベンツ・ポリスカー(720円・760円)
・サイレン付リモコン・オペルレコード・ファイアーチーフカー(720円・760円)
・サイレン付リモコン・1959年トヨペットマスターライン救急車(630円・660円)
・テールライト点滅リモコン・ニュークラウンRS41(750円・790円)
・テールライト点滅リモコン・いすゞベレルタクシー(720円・760円)
・フード開閉リモコン・フェラーリスーパーアメリカ(800円・840円)
・プレイマップ付リモコン・マツダR360クーペ(800円・840円)
・リモコン1959年トヨペットマスターライン・ピックアップ(630円・660円)
・サイレン付リモコン1961年トヨペット警視庁パトカー(570円・600円)
・リモコン1964年ニューブルーバード410(600円・630円)
・リモコン1964年いすゞベレット(600円・630円)
・プレイマップ付リモコン・マツダキャロル(820円・860円)
・リモコン独フォードタウナス(450円・480円)
・リモコン・シャベルトラクター(1000円・1050円)
・リモコン・シボレーリフトダンプ(900円・950円)
・砲塔左右回転リモコン原子力戦車(850円・900円)
・リモコン・タイガーレーサー(720円・760円)
・リモコン戦闘機「飛燕」(価格未記載)
・リモコン大ゼロ戦(850円・900円)
・ビニール製プレイマップ(200円・200円)


【ハンドルリモコン頁】
64(13)ハンドルリモコン

大キャデラック、いすゞベレルタクシーほか
64(14)キャデラック・ベレルタクシー他

C2コルベット(市販品はポリスカーバージョンとなる旨が記載されている)、マツダR360クーペほか
64(15)C2コルベットR360他

白バイ、トヨペットマスターライン救急車、マスターライン・ピックアップほか
64(16)白バイ・マスターライン

410ブルーバードほか
64(17)410ブル他

マツダキャロルほか
64(18)キャロル他

ゼロ戦ほか
64(19)ゼロ戦他


【レーシングカーセット・HOレールセット・東京モノレールセット】
64(20)レーシングセットHOセットモノレール


【価格表】
スケールモデル他
64(21)スケールモデル他価格表

リモコン各種
64(22)リモコン価格表





★オマケ(その1): バンダイ ハンドルリコモンシリーズ 1/18スケール1964年ホンダS500「ビッグX」
全長19.5cm。当時定価:都内500円、全国530円。バンダイ製ホンダS500の手押しフリクション仕様は都内150円・全国160円だったのでリモコン仕様はキャラクター人形を乗車させたとは言え、フリクション仕様の3台分以上の高額商品だった。このリモコンを買うなら、S500フリクション仕様のカラーバリエーション3色(赤・青・オレンジ)が揃ってオツリがきた計算になる。リモコンのような電動玩具は想像以上に高価だった。
S500(1)

S500(2)

S500(3)



★オマケ(その2): バンダイ ハンドルリモコンシリーズ 1/15スケール 1962年マツダキャロル
全長20cm。当時定価:都内820円、全国860円。バンダイ製キャロルの手押しフリクション仕様はモノトーンの珊瑚色、ブルー、クリームの3色が発売されたが、ハンドルリモコン仕様はクリーム/オレンジ、クリーム/ブルー、クリーム/ライトグリーン、クリーム/赤等のツートンカラーでリリースされ実車のデラックスを彷彿とさせる。ハンドルリモコン仕様は手押しフリクション仕様のキャロル(都内180円)を4台買ってオツリがくるという高額商品だった。リア左右のテールライト兼ウインカーがハンドルを切ると実車さながらに点滅する。このクリーム/オレンジのキャロルは1978年に巣鴨の玩具店で発掘したもの。当時18歳だった私は強烈な懐かしさに胸が震えた。でも考えてみれば、1978年当時このキャロルは僅か13~14年前の玩具であった訳で、2014年現在で言えば2001年か2002年の21世紀初頭の玩具を発見して感動するのと時間差的には同じ計算となる。しかし、現在21世紀初頭の玩具を発見して感動するなんてことは絶対にない気がする。もし現在私が10代であれば1978年の私と同じように21世紀初頭の玩具が懐かしくて感激することもあるのだろうか。
キャロル(1)

キャロル(2)

キャロル(3)



★オマケ(その3): バンダイ ハンドルリモコン 1/15スケール 1963年 C2コルベット・スティングレイ・ポリスカー
全長31cm。当時定価都内2100円、全国2200円の超高額商品。通常のハンドルリモコンと異なる実車のダッシュパネルを模した巨大なリモコンにより操作。リモコンは付属のベルトで腰に付けて遊ぶ。前後可動と同時にヘッドライト、テールライトも点灯する。しかしリモコンはラジコンと異なり、どこまでもクルマに付いていかなければならない。このリアウインド2分割の初期型C2コルベット・ポリスはノーマルバージョンをリリースしたイチダ製造のバンダイブランドでの販売商品。バンダイでは後にポケット・リモコンの小サイズでもC2コルベットをリリースした。
コルベット(1)

コルベット(2)

コルベット(3)



★オマケ(その4): バンダイ ハンドルリモコン 1/18スケール 1966年130セドリック・カスタム6
全長27cm。当時定価:都内800円、全国840円。今回ピックアップしたカタログより2年程後のバンダイ製品。フロントグリルにはブリキに代わりプラスチックパーツが使用され、時代が若くなっていることが分かる。フロント周りはカスタム6だがリア周りはスペシャル6となっている。1967年にはハンドルリモコンの爆発的なブームは過ぎリモコン人気は下火となったが、バンダイではハンドル・リモコンを定番商品と位置付け1970年代に入っても初代フェアレディZ、初代セリカ、サメブルHTなどのリモコン仕様をリリースした。
セドリック(1)

セドリック(2)

セドリック(3)



★オマケ(その5): バンダイ ハンドルリモコン プレイマップ
当時定価200円(都内・全国共)で売られたハンドルリモコンで遊ぶための折り畳み式のビニール製の道路。広げると縦1.5×横3m位となる大きなもの。マツダR360クーペ等、マップ別売でなく当初からこのマップ付で売られた製品もあったが、200円価格が高くなるせいかマップ付での販売数は少なかったようだ。
プレイマップ



★オマケ(その6): 1964年 ビッグX オリジナルアニメ
上掲のオマケ1に掲載したホンダS500に搭乗する「ビッグX」(ビッグエックス)は、1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)まで月刊漫画雑誌「少年ブック」に連載された手塚治虫の漫画作品で、テレビアニメ版は1964年(昭和39年)8月3日から1965年(昭和40年)9月27日にTBS系列で放映された。私には感涙モノの幼少時に見た懐かしアニメのひとつ。


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