★さて、明日は都内の中学で入学式、明後日は高校で入学式ですよね。入学式っていうのは、式には出ているはずなのにワタシどうも何も覚えてないのですが(汗)、校長先生が挨拶をしたり、学年主任の先生がこれからの予定、学校生活の注意点などを話したり、校歌を唄ったりするって感じなのでしょうか~??
★みなさんは花粉症ですかぁ~??
関東地方の花粉の飛散自体は5月末まで続き、ピークは4月上旬~中旬までとのことです。しかし、今年のヒノキ花粉の飛散量は例年の400倍とのことですから、これまで何ともなかった人が急に花粉症になるなんてケースもあるのではないでしょうか。かく言うワタシも40歳前後で突如として花粉症になりまして、この数日は花粉症薬を飲んでいてもティシュの箱が2日程度でなくなるペースで鼻をかんでいます。また、喉や気管支に花粉が入ってくるためか、喉の痛み・違和感や咳が止まらないといった風邪のような症状があり、一応、耳鼻科に行ってみたところ、風邪ではなく花粉症=アレルギー症状との診断で、咳や喉の痛みもやはり例年以上に花粉が多い影響のようです。
★噂によるとスマップのメンバーなどは男子なのに料理が上手いそうですが、私は日本古来の「男子厨房に入らず」あるいは「男子厨房に入るべからず」派でして、キャンプなどでカレーを作った経験はありますが、自ら進んで料理をしたいと思ったことは一度もありません。とどのつまりは、料理をするよりは楽器を弾く時間が欲しく、料理をしたり後片付けをするのも面倒でインスタント食品や店屋物で済ますのが一番楽ということなのですが、そういう食生活だととても長生きは出来ないから、早く普通に料理の出来る恋女房を貰った方がよいなどと言う知人もいたります。まあ、アメブロでもmaroさんやセンセイなど料理が凄く上手な人は人柄もよいことは誰の目にも明らかな訳ですから、ワタシのように料理が出来ないあるいは料理をしない派は人柄も悪いということが一般的に言えるでしょうNE(大汗)。
★閑話休題
さて、今年はポルシェ356の生誕70周年ということで、ポルシェAGからも公式なアナウンスがされていますが、ミニカーの世界でも70周年記念の356が発売になっています。そこで今日はポルシェ70周年に因んだ話題と最後に1台オマケとしてランチア・ストラトスのちょっと珍しいミニカーをご紹介しますNE☆☆☆
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★ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト・現代表: オリバー・ブルーメ=Oliver Blume :1968年6月6日~)は、過去70年に亘り、世界最高水準のスポーツカー製造を行ってきた。
ポルシェのビジョンは、次の3つ。高速で走ること、純粋であること、情熱的であること。ポルシェの名を冠する最初のモデル、356「No.1」ロードスターは1948年(昭和23年)6月8日に車両登録され(ユーザーの手に渡ったのは9月)、この日にポルシェ・ブランドが誕生した。今年2018年はブランド生誕70周年のメモリアルイヤーに当る。タイプ356は、Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)とその息子であるフェリー・ポルシェ(Ferdinand Anton Ernst Porsche;1909年9月19日-1998年3月27日)の親子が自らの名を冠したスポーツカー発売という夢を現実へと変えた。
★今年2018年のポルシェ ミュージアムでのニューイヤー・レセプションの席上、ポルシェAGの代表取締役オリバー・ブルーメは、「1948年当時のフェリー・ポルシェのビジョンは、現在も変わらずポルシェ・ブランドの特徴となって続いている、ポルシェの価値観の全てを備えていました」と述べた。
またブルーメは次のようにも述べた。「伝統とは、謂わば公的な責任とも言える約束です。伝統や基本的な価値観がなかったなら、ポルシェが現在の地位を築くことはできなかったでしょう。私たちは、フェリー・ポルシェが設定した極めて高い技術水準を今後も守り抜きます。クレバーかつ世にもダイナミックな感動的な走りを今後も実現させます。このために、ポルシェにはしっかりとした技術的な専門知識あるいは創造力に富んだ優れた従業員が多数在籍し、他社では類を見ないチーム・スピリットを保持しています。このような理由により、ポルシェ・ブランドはこれまでの過去70年と同様にこれからの70年も世界の人々を魅了し続けることでしょう」。
★ポルシェ ブランドの歴史は356デビューの1948年に始まったとされる。
但し、スポーツカー・メーカーであるポルシェの技術的な基礎は、創業者Dr.フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche;1875年9月3日-1951年1月30日)の生涯に亘る優れた仕事の過程で築かれており、息子フェリー・ポルシェはこれを受け継いだのである。フェルディナンド・ポルシェは、20世紀が始まる直前に、自動車産業における先駆的な革新技術を生み出した。即ち、1900年(明治33年)、フェルディナンド・ポルシェは「ローナー・ポルシェ」として知られるホイールハブ駆動の電気自動車を作り、世界初の全輪駆動を採用した乗用車を作ることを計画した。同年、ガソリンと電気を組み合わせたパワー・トレインを開発し、現在のハイブリッドカーの思想的かつ技術的な基礎を作った。1931年(昭和6年)、フェルディナンド・ポルシェは設計事務所を設立、1939年(昭和14年)に競技用に3台だけが試作された「ベルリン・ローマ カー」(所謂、ポルシェ・タイプ64)は、ポルシェの名を冠したスポーツカーのアイデンティティのルーツとなったが、この夢は前述の通り1948年(昭和23年)、息子フェリーが市販車タイプ356を造ることによって実現した。
★そして、フェリー・ポルシェの息子、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが設計した、356の後継モデルであるポルシェ911のデビューは、技術的にもデザイン的にも、世界を代表するスポーツカー・メーカーとしてポルシェが大躍進を遂げる契機となった。
1963年(昭和38年)にワールドプレミアされたポルシェ911は、空冷・水冷を含め何と累計100万台以上が生産されている。現ポルシェAG代表のブルーメは次のように述べている。
「911は数十年の間、一貫して開発が続けられ、何度も新しい革新技術を用いて改良が重ねられてきました。しかし、911に匹敵するほど、当初からの本質を守ることに成功したクルマは他に存在しません。現在、また未来にわたって開発されるポルシェの全モデルは、この911をベースとすることになります。ポルシェ・ブランドの中心的存在である911は、夢のスポーツカーとして過去50年以上に亘り世界中のファンの心を虜にしています。ポルシェはこれからもずっとポルシェであり続けます。エクスクルーシブでスポーティなモビリティのためのトップ・ブランドであり続けます」。
★ブランド生誕70周年の今年、ポルシェは世界中で多くのイベントを開催または開催を予定している。
2月3日には、ロサンゼルスのピーターソン自動車博物館で「ポルシェ エフェクト」を開催、ドイツでは、3月20~31日、ベルリンの「DRIVE.フォルクスワーゲングループフォーラム」に於いて初めての「ポルシェスポーツカーの70年」展示会を開催した。ポルシェ ミュージアムでも、6月9日に特別展を開催。また同じ日、ポルシェは世界中のスポーツカーファンのために「Sports Car Together Day」を開催する。6月16~17日の週末には、ポルシェ従業員、ツッフェンハウゼン地区の住民、そしてポルシェ・オーナーをシュトゥットガルトのポルシェ ミュージアム内外での70周年公式祝賀会に招待する。7月12~15日には、英国のグッドウッドサーキットでの「Festival of Speed」、9月27~30日にはカリフォルニアの「Rennsport Reunion」により70周年を祝う。70周年行事の締めくくりとして、10月13日には初めてシュトゥットガルトのポルシェ・アリーナにおいて「Sound Night」イベントが開催される。
★ポルシェとスキー
ポルシェ356や911のエンジンフードにキャリアを付けてスキーに行く姿に憧れて、私も1980年代にはナロー911にわざとスキーキャリアを付けて走っていた時期があります。正確には私の前のオーナーがスキー用リアキャリアを付けたままにしてあったのです。が、例えスキーを積まなくても911にスキーキャリアは何ともカッコよく絵になるのでそのまま付けていました。ところが、私はちびまる子ちゃんの登場キャラ藤木君と同じでスケートを除けば大のスポーツ音痴でして、スキーも何とかV字ボーゲンで滑ることは出来ても止まり方が判りませんでして、スピードが出てしまうと何しろ止まることが出来ませんので、信州・車山に行った時にはゲレンデで休んでいる人にかなりのスピードで衝突した経験もあります(大汗)。「うわー!ぶつかる~!!どいて~、どいてくださ~い!!!」と叫んでも間に合わずに激突(大汗)。幸い、お互いに大した怪我などもなかったのですがNE。
●手縄毛でポルシェとスキーの話ですが、まずは手元にある1959年(昭和34年)10月発行ポルシェAGの1960年版オフィシャル・カレンダーからスキーを背中に積んだポルシェ356Aクーペの何とも美しい写真2枚です。
★独シュコー1/43スケール ポルシェ70周年記念 ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア+ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア
全長9.5cm。ダイキャスト製。シュコーが1990年代に造った金型の356Aクーペにスキーを載せた仕様(品番Nr.45 025 5900)と356Aカブリオレにサーフィンを載せた仕様(品番Nr.45 025 6900)がポルシェ70周年記念として発売されました。何れも世界限定777台で日本への入荷数は少な目のようです。スキーやサーフィンといった小物が付く上にカラーリングもとても魅力的です。内箱にスキーキャリアには白銀のアルプス、サーフィンキャリアには海の写真が付くのも泣かせます。国内定価は税抜10500円と高目ですが、TLV-NEO43のY31セドリックパトカーが税抜9500円することを考慮すれば法外な値段ではない気もします。
●ポルシェ356Aクーペ・スキーキャリア
●ポルシェ356Aカブリオレ・サーフィンキャリア
●356Aクーペ&カブリオレ2台の並び
黒いシックな箱入り
★伊メーベトーイ A-64番 ポルシェ912スキーキャリア
全長10cm。ダイキャスト製。スキーを積んだポルシェと言えばこのミニカー。スピードホイール化された1970年代後半まで連綿と売られたモデルですが、画像はジュエルライトに旧ホイールの貴重な1960年代モノです。
フル開閉アクション
★青箱トミカF9-3番 1/59スケール ポルシェ356Aスピードスター特製品
全長6.5cm。ダイキャスト製。赤箱89番に移行した後も1990年代後半の中国製になっても売られたロングセラーですが、これはアメブロで前人未到の驚異の毎日1回定時更新記録を現在も伸ばし続けている、 monkinさんの手による特製品です。ボディの塗装が何とも美しく、細部まで色差しがされている上に裏板には「monkin magic」の綺麗なロゴが入っています。市場に出たトミカの356は特注品を含めて多分殆ど全部買って持っていると思いますが、こういう世界に1台だけのプロレベルの特製品はまた格別の魅力があります。赤い方は全国津々浦々で売られた通常品です。
しかし、トミカと言えば今日4月8日(日)夜、ヤフオクで22時過ぎに終了の80台入りスーパーギフト、終了1日前で既に60万円を超えていましたが、幾らで終わるのでしょうね。スーパーギフトは発売当時、定価より安い割引き価格2万円強で購入して一度も中味を出さずに保存してあったものを、15万円でどうしても欲しいという人に譲ってしまいましたので現在手元にないのですが(スーパーギフトはバラ売りするお店も多かったので気に入った車種のバラだけは今も手元にあり)、こんなに高値になるのではもう買い戻せませんね(汗)
高額といえば、マルサンの円谷ウルトラ怪獣プラモデルのギャンゴの未組立が712万8000円スタート、同レッドキングの未組立が297万円スタートで「まんだらけ」のオークション本「まんだらけZENBU」(売価1000円)の最新号に出ていますが、貧乏コレクターの私では幾ら欲しくともスタート価格であっても高価過ぎてちょっと手が出ないですね(大汗)
裏板=monkin magic のロゴ入り
★オマケ: 高徳(タカトク) Dh2番 1/39スケール ランチア・ストラトス・ターボ「マルボロ」
最後にmaroさんやyousanが好きなストラトスの珍しいミニカーをオマケに。全長11cm。ダイキャスト製。ドア開閉、前輪ステアリング、ライト点灯アクション付。箱絵にはお約束のアリタリア仕様のバリエーションも出ています。あのブリキ玩具で有名な高徳(タカトク)がストラトスのミニカーを出していたことは、あまり知られておらず珍品かも??高徳は、戦後、高木得次郎氏が東京台東区浅草蔵前3丁目で興したブリキ玩具製造会社で高木氏のイニシャルを社名にしているが、名前の損得の「得」は「徳」に変えて、高徳玩具製作所とした。
箱には「ダイカホビー」の印字があり、超合金キャラ玩具のノリを感じます。また箱にはスーパーカーカード付の印字もあります(手元にあるモノは残念ながらカード欠品)。
裏板: 松代工業株式会社(?)の刻印。高徳が販売会社で製造は松代というメーカーだったようです。松代は1960年代の玩具メーカーの一覧に金属モデルガン製造メーカーとして掲載されている、松代玩具工業株式会社(松代章男社長・文京区弓町1-23)と思われます。
青い911は同じ高徳(タカトク)製の1960年代1/15スケール・ナロー911(全長27cm)。
ドア開閉
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★ポルシェ356生誕70周年 シュコースキー積ミニカー ~ 珍品タカトク・ストラトス・ターボ
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