★ワタシのような歳で独り者の場合、人様から「その歳でバツもなしの独身だなんて、なんて君は気の毒な人なんだろう・・・」といったことを言われることがありますが、同じことはお酒を飲まないことについても、「君はお酒という人生の楽しみを知らないだなんて、なんて気の毒な人なんだろう・・・」といった趣旨のことを言われることが多いのです。でもね、独り者であることについては実際不幸で悲しいことだと感じることが多く、「名声も財力もない一般人のキミにはこれから結婚だなんて無理・無理・絶対無理!」と言われながらも50代半ばを過ぎて32歳年下の現在の奥さんと結婚したエリック・クラプトンにあやかりたいと思ったりもするのです。売れないアングラ劇団をやっている知人が50代半ばを過ぎて本当に30歳以上も年下の女性と結婚したという例があり、まあ人生どこでどう転ぶか分らないし9回裏2アウト逆転満塁ホームランの可能性はまだまだある!と結構前向きに思ったりもするのですが、お酒については実は、飲めなくて自分は世にも不幸な人間だとか、お酒を飲めるようになるよう努力をしないとなどとは思わないのです。これからの季節に多くなる、忘年会・新年会などのお酒の席に出るのも特段嫌いではなく、むしろバヤリス・オレンジしか飲んでいないのに根が目立ちたがり屋の所為か余興で歌など進んで歌いたい方だったりもします。ただ、宴席ではあまりに陽気に大声で馬鹿騒ぎする人が多かったりすると正直冷静な自分が浮いてしまっているような心持ちになることはありますYO☆
★今日11月23日は「勤労感謝の日」ですね。勤労感謝の日で祝日なのに仕事だよなんて人も昨今は多いと思いますが、GHQが押しつけた勤労感謝の日というネーミングを戦前の新嘗祭に戻すべきだとの右翼の人を中心とした議論が高まる時期でもありますよね。日本国憲法と同じく長い歳月を経て既に定着した良いものを悪く変えようと目論む右翼的な人がこの国には数多くおられることは実に悲しむべきことであり誰しも閉口しますよNE☆☆
★閑話休題
さて今回は「玩具・模型カタログ棚から」シリーズ第32回記事として、1960年代に鉄腕アトムの玩具を多数発売した多田製作所のカタログを簡単にご紹介しますNE☆☆
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★東京オリンピック前年の1963年(昭和38年)の元旦にフジテレビ系列で放送が始まった手塚治虫(1928年11月3日-1989年2月9日)原作の『鉄腕アトム』は、週1回放送の30分番組という後のテレビアニメの基本形態を形作った、日本におけるテレビアニメ・シリーズ物の嚆矢と位置付けられている。
この初代・鉄腕アトムは1966年の大晦日まで丸4年に亘り全193話が放送された。この最初のアトムの初放映に間に合ったのは、当時概ね3歳以上でないと例え見ていても記憶はないとして、1966年末の最終回であっても1963年(昭和38年)乃至1964年(昭和39年)生まれ以上の世代ではないだろうか。勿論、後年、再放送で観たというケースは別である。私の場合は、最初のアトムの放送開始時に3才2ヵ月、放送終了位に満7歳であったので文字通り夢中になって観ていた。しかし、ウルトラQ/ウルトラマンといった円谷特撮物などが放送された1966年以降はアトムへの興味は殆ど失われてしまっていた気がする。
★鉄腕アトムというと日本初のアニメシリーズのイメージが大きいが、実はアニメ放送の前に1957年(昭和32年)4月13日~9月18日までTBS系列で全25回放映された鉄腕アトム人形劇シリーズ(フィルムは破棄処分され現存しない模様)と比較的有名な1959年(昭和34年)3月7日~1960年(昭和35年)5月28日まで全65話が放映された鉄腕アトム実写版シリーズ(フィルムが現存しない7話を除く58話はDVD化されている)が存在する。
人形劇版を観た記憶がある世代は1954年(昭和29年)生まれ以上、実写版のリアルタイムの記憶があるのは1957年(昭和32年)生まれ以上の世代ではないだろうか。尤も1950年代の日本ではテレビの普及率は3割にも満たなかったため、特に放送された期間も短かった人形劇版を観たという人はかなり裕福な家で育った人に限られるだろう。1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下(現天皇)御成婚パレードの際に白黒テレビの普及率は一気に上がったため、実写版アトムを観たという人は少なからず存在するだろう。私自身は、実写版アトムの最終回放送時でもまだ生後7ヵ月であったため残念ながらアニメ版以外をリアルタイムで観ることは叶わなかった。
★アトムのおもちゃ
1960年代の日本の玩具の主流はブリキ製品であったが、1963年(昭和38年)にアトムのテレビアニメがヒットしたことにより国内の玩具メーカーはこぞって虫プロに版権料を払いアトム物をリリースした。
ブリキで出来たアトム、自動車・ヘリコプター・モーターボート・戦車などの乗物にソフビのアトムが乗った玩具、バス・機関車・潜水艦などの乗物にアトムがプリントされた玩具、鉛筆削り・弁当箱・お茶碗・クレヨン・運動靴などにアトムがプリントされたモノなど、ありとあらゆるモノがアトム人気に便乗した。虫プロには日に数百万単位の版権料が入ったという。それだからこそ実際には150万かかるテレビシリーズ1話の制作費を50万円にまでダンピングできたという。アトムの前例に倣った後のテレビアニメ制作が低予算に泣いたのは、版権料で赤字をカバーしたアトムの数少ない負の遺産といえるようだ。
●1964年 多田製作所 カタログ「アトムのオモチャ」 (B5判・日本語24頁)
多田定治氏が終戦後1947年(昭和22年)に玩具研究所を立ち上げ、1953年(昭和28年)に東京都墨田区寺島町4-39で法人組織として玩具製造事業を開始した株式会社多田製作所は、主に子供向け銃のオモチャの生産で知られていたが、1963年(昭和38年)にテレビアニメ「鉄腕アトム」がヒットすると既存の銃玩具にアトムをプリントしたものに加え、自動車、オートバイ、スクーター、戦車、ロケット、ヘリコプターなどの乗物にソフビのアトムを乗せた製品や電車、ボートなどにアトムをプリントした製品を怒涛の勢いでリリースした。こうしたアトムのブリキ玩具達の99%以上は幼児・子供の玩具としての使命を全うして消滅するか現存していてもジャンク状態が多いため、もし箱付の未使用デッドストックが市場に出れば極めて高価。アトムのブリキ玩具はバンダイ、米澤玩具(ヨネザワ)、浅草玩具、増田屋齋藤貿易(マスダヤ)、三浦トーイなどでもリリースしているが、その種類の多さでは多田製作所が群を抜いていた。このカタログでは、8割以上がアトム物に頁が割かれている。表紙に昭和39年3月30日を示すスタンプ。多田製作所がアトムブームが去った後の1968年(昭和43年)に英ロンスターのダイキャスト製鉄道モデルとタイアップして0系新幹線やC58蒸気機関車といった日本型Nゲージモデルをリリースしたことは黎明期のNゲージ研究家の間ではつとに有名。本記事ではカタログの中からアトムの乗物系玩具を中心に抜粋して掲載いたします。
【中頁から】
本社・工場全景
品番3800 「ロケット ジュピター」 売価330円
品番6400 「スーパーロケット」 売価220円
品番3600 「ジェット旅客機707」 売価180円
品番3400 「ゼロ戦」 売価150円・全長20cm
品番2500 「アトムカー」 売価220円・全長19cm・・・・・1958年フォード・コンバーチブルにアトムを乗せた「鉄腕アトム号」
品番6600 「アトムスーパータンク」 売価440円・全長22.5cm
品番6000 「アトムタンク」 売価220円・全長18cm
品番3500 「円盤」 売価220円
品番6200 「スクーター」 売価240円
富士重工ラビットに乗ったアトム。これは箱付デッドなら軽く7桁(100万)以上かも。
品番2800 「アトムロケット」 売価110円
品番3900 「ウランチャン」 売価110円
品番3200 「ジェットレーサー」 売価110円
ジェットレーサーのアップ・・・・・ジャガーDタイプ風のマシンに乗るアトム
品番2600 「アトムトレイン」 売価180円・全長38cm・・・・・機関車中央に内蔵されたアトムの胴体がフリクションに連動して動くギミック付
品番5900 「アトムダンプ」 売価420円・全長32cm
品番4100 「アトムバンク」 売価220円・・・・・アトムが飛び出す貯金箱
品番4000 「電車レールセット」 売価330円
品番5500 「ヘリコプター」 売価260円・全長28cm
品番6500 「スカイベビーアトム号」 売価280円
品番5000 「オーシャンペット・ボート」 売価220円・全長26cm
品番5100 「ミサイル快速艇」 売価130円・全長18cm
品番6600 「ベビーボート」 売価100円
品番5200 「スイミングアトム」 売価200円・・・・・東京オリンピックに因んでアトムの自由形クロール水泳、実際に両腕を回転しながら前進する様は感動的
裏表紙: アトムのイラストに多田製作所の商標、そして「世界を結ぶアトムのオモチャ」の印字
●1965年10月 多田製作所 企業情報
1965年10月19~22日に東京都立産業会館で開催された「第4回日本玩具国際見本市」のパンフレットに掲載された多田製作所の企業情報。本社所在地は墨田区寺島町4-39から京島町1-17-3に変更されている。営業品目は金属製とプラスチック製(の玩具)、取引販路は国内と中近東やアフリカを含む海外、取引銀行は富士銀行と記載されている。
★オマケ(その1): 手塚治虫の絵本「鉄腕アトム」サーカスのまき (B5判・16頁)
ブリキ玩具は自動車や鉄道物をメインに集めてきたことと、アトムのようなメジャーなキャラクター玩具のビンテージ物は総じて高価なため、手元にブリキの1960年代物アトムは一つもありません。そこで、手元にある安価で流通している当時物アトムの紙物をオマケに少し。これは鈴木出版発行の絵本。当時定価100円。1964年発行(?)。
★オマケ(その2): 朝日ソノラマ「鉄腕アトム」 (縦19.3×横20.3cm・16頁+ソノシート)
1965年8月2日発行。これは子供がいればどこの家にもあったソノシート。数が沢山残っているので現在でも安価で流通しています。
裏表紙のアトムシール付き明治のマーブルチョコレートの広告が懐かしいです(2011年に復刻版が出ています)。マーブルちゃん=上原ゆかりさんです。
★オマケ(その3): 同文書院 アトムのおもちゃ
1994年12月21日発行。当時定価:税抜1456円。アトム・コレクター井澤 豊氏のビンテージ・アトムコレクションをカラーで紹介した本。製品のサイズや当時の定価が可能な限り記載されており資料価値は高いです。今回ご紹介したカタログに掲載されているオモチャもその実物写真を多数見ることが出来ます。アトムコレクターならずとも楽しめる内容と思います。版元品切ながらアマゾンなどでは現在も安価で入手可能です。
★オマケ(その4): エムテックMS-20A番 1/43スケール 1997年トヨタ・プリウス
全長10cm。当時定価:税抜1800円。アトムがイメージキャラクターとなった初代プリウスのミニカー。アトムの人形付。箱にもアトムキャラ。この最初のプリウスが出てから2017年でもう丸20年です。
●1998年1月トヨタ・プリウス簡易カタログ「ハイブリッド読本」 (B5判・日本語20頁)
カタログNo.TA4764。最初のプリウスには通常サイズ30頁の本カタログもありますが、これはお茶の水博士などによるハイブリッドについての解説とボディカラーやスペックが掲載された簡易カタログ的な印刷物。「21世紀に間にあいました」の名コピーとアトムを中心にジャングル大帝レオやリボンの騎士も描かれた手塚キャラの表紙がなかなか魅力的です。
★オマケ(その5): 1959年 実写版 鉄腕アトム
アトムを演じたのは、瀬川雅人氏。瀬川氏は後年、吉田拓郎のバンドに参加していたらしい。
★オマケ(その6): 1963年 アニメ 鉄腕アトム
誰もが知っている主題歌。
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★1964年 多田製作所 鉄腕アトムのブリキのオモチャ ~ 玩具・模型カタログ棚から 032
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