★今の時期はお盆休みで帰郷中、あるいは国内・海外の旅行中という方も多いことと思います。都内は道路がウソのように空いていて普段からこんなに空いていたらいいのにと思ったりもします。しかし、ここ東京では向こう1週間の最高気温が30度に届かない日が続き天気も曇りか雨の予報となっており、文字通り冷夏の様相を呈していますが、やはり夏は35度を超えるような猛烈な暑さの日が多い方が夏らしいとは言えますよね。これでは、せっかくのお盆休みに海水浴をしてガッツリ日焼けしたいという人など困ってしまいますよNE☆
★自動車カタログの熱心なコレクターさん達にとって、お盆は自動車販売店(カーディーラー)が長期休業だったりするため苦難の日々。カタログ集めに廻れないと嘆いている向きも多いことと思います。
一般にここ日本では自動車販売店で配布される自動車販促用説明冊子のことを古くから「カタログ」(型録)と言っていますが、このカタログという言葉は海外の自動車販売店(カーディーラー)では殆ど通じないようです。カタログ=catalog(US)、catalogue(UK)という言葉は一般に図書館の蔵書目録だとかオークションの出展品目録といった場合に、Library catalog、Auction catalogといった使われ方をし、アメリカでは単にカタログと言う場合には大学要覧を指す場合が多いようです。ですから、アメリカのディーラーに入って「ギブミーカタログ~!」などといきなり言うと「大学要覧ください」の意味となりキチガイかと目を丸くされることが多いようです。しからば、欧米では自動車カタログのことを何と言うのか?というと、一般にはブローシャ(brochure)あるいは少し丁寧に言うならセールス・ブローシャ(Sales brochure)というのが一般的であるようです☆
★閑話休題
今日は1949年式としてデビューした初の戦後型フォード(の最終年式である1951年式フォード)のカタログと共に都内で撮影された1951年式フォードの貴重な写真をご紹介することとしますNE☆☆
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●桜田門・警視庁内庭で撮影された1951年フォード・カスタムライン4ドアセダン6気筒の秘蔵写真
これらの写真に丁寧に書き添えられたキャプションによれば、撮影日は1957年(昭和32年)2月22日、品川(鮫洲)試験場で使用のため1951年フォード6気筒を警視庁に納入、とある。6年落ちのフォードを試験場の教習車もしくは技能試験用車両として購入したのだろうか。時系列的には国産車では初代クラウンとダットサン110は1955年(昭和30年)に既にデビューしているが、プリンス・スカイラインのデビューは翌々月の57年4月であり、まだデビュー前である。当時の他の主要な国産乗用車は日産オースチン、いすゞヒルマン、日野ルノーのノックダウン組だけだった時代である。フルサイズ中型の運転技能検定用に国産車には存在しないサイズのこの大きなフォードが必要であったのかもしれない。フロントフェンダーに「V8」のバッチがないため、V8とシックスの2種が選べた中の6気筒車と判る。当時の6年落ちとしてはすこぶる程度が良さそうな個体である。注目すべきはクラウンRSのボディシェルを使用してF型乃至B型の強馬力エンジンを搭載したパトカー用モンスター・トヨタパトロールFH26型もしくはBH26型(セントラル自動車架装)の警視庁パトカーが6,7台も写りこんでいることである。1950年代後半(昭和30年代前半)あたりの邦画やニュース映画では比較的見ることの多いパトカーであるが、大抵は1台単独での登場であり、これだけ纏まった台数が一度に写った写真は警視庁内庭での撮影以外では有り得ないのではないだろうか。1枚の写真には車種の判別は出来ないがフォードの左奥にくろがね四起より少し大きそうな4駆タイプの車両とボンネットトラックの姿が確認出来る。
右端のトヨタパトロールのトランク上の警視庁の丁が旧字体の「廳」であることに注意
★初の戦後型となったフラッシュサイドの1949年式フォードについて、自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924-2000)は1971年8月30日二玄社発行「フォード2」の中で次のように記している。
「『ヤング・フォードの7200万ドルのギャンブル』。これはニューズウイーク誌1948年6月14日号ビジネス欄の見出しである。この週刊誌が1企業の新車発表に2頁特集することすら異例と言えたが、最初の頁には未来都市から来たようなモダンな車の正面と見るからに若い30歳のヘンリーフォード2世社長、及びGMから引き抜いた新副社長アーネスト・ブリーチの写真が載っていたのを筆者は昨日のごとく記憶している。同じ1948年6月6日号のライフ誌は、このニュー・フォード(人と車の両方を意味するタイトル)特集に5頁を割き、49年型フォードが社長も経営陣も含めて全く新しい車であることを報じていた。
7200万ドルという開発費を注ぎ込んだこの新型は、ヘンリー2世が終戦後の1946年9月から発足させた大計画で、最初はX2900(設計目標とされたポンド重量を意味する)と呼ばれていたが、後に98BAという最終モデルとなり、最初のスケッチが画かれてから僅か14ヶ月でヘンリー2世のOKが出たという。最初の生産車は1948年4月12日にオフラインし、6月18日には各地のディーラーのショールームで公開されたが、これはモデルTをモデルAにモデルチェンジした時以上のビッグチェンジであって、同じものはフォードという名前だけと言われ、ジャーナリズムはヤング・フォードと呼んで、その成功を5分5分としか考えず、エスクワイアー誌などは『親に似ない子』と皮肉った程だが、当のヘンリーはこのモデルに社運を賭けていて、彼は父エドセルの理性と祖父の気骨を兼ね備えたような人物であった。そして1946年にはクライスラーより下に落ちていたフォード社を復活させる大仕事に乗り出ず決心をさせたのはフォード家の威信だと説明し、自分は常に祖父や父ならどうするかを考えて行動していると答えていたが、そのヤング・フォードは立派に成功した。49年型発売後、フォード社は赤字から抜け出し、5年間に売上総額が20年振りでシボレーを上回るに至った。米国の市場シェアでも1950年度にクライスラーを抜き返して24%、1954年度には30%を越して往年の貫録を取戻し、1957年度にはトップシェアとの差を僅か130台まで追い込んで約150万台を生産、1959年度には一時的とはいえ遂にシヴォレーを上回るに至った。現在、ヤング・フォードと呼ばれるのは同名の祖父と区別する以外の意味はなくなっているが、戦後型デビュー時に於いては明らかに三代目若社長への皮肉が込められていたのである。
1949年型フォードはV8と6気筒のエンジンが開発期間の不足で小改良に止められたとはいえ、シャシーとボディは全く新しいポリシィで設計され、往年の有名な楕円のフォードマークすら用いられなかった。前の型と同じなのは車体全長とフロントトレッド位のものとなり、低く長いスタイルは、フォードより早くフラッシュサイドの戦後型を発表していたカイザーやスチュードベーカーと同じスタートラインに立って戦後型競争に参加することとなったが、この大メーカーの新型切換えが世界の自動車設計に影響するところはすこぶる大きく、イギリスでコンサル、西ドイツでタウヌス、フランスではヴデットとなって生産され、ヨーロッパの自動車界を合理的な真の戦後型へと脱皮させたリーダーとなったのである。」
【主要スペック】 1951年フォード・カスタムライン4ドアセダンV8 (1951 Ford Custom Line 4door Sedan V8)
全長5011㎜・全幅1860㎜・全高1620㎜・ホイールベース2896㎜・車重1448kg・FR・水冷V型8気筒SV3923cc・最高出力100ps/3600rpm・変速機3速フォードマチックAT(ボルグワーナー製)/3速MT・前輪独立懸架・乗車定員6名・最高速度133km/h(83mph)・ゼロヨン21.8秒・燃費6.4 km/ℓ
●1951年フォード デラックス&カスタム 本カタログ (縦22.3cm×横29.5cm・英文28頁)
1950年10月発行版。カタログNo.7261。表紙はこの年に初めて採用された自動変速機「FORDOMATIC」が付き意匠も一新されたステアリングを強調し、右に一新されたフロントグリル意匠の判る正面を描いたイラスト。この1951年型までのフォードはまだ前面2枚窓である。1949~1950年型ではグリル中央に派手な砲弾型のクロームが付いていたのが、この1951年型では左右両端に分けられた。エンジンはV-8と6気筒が選べたが、6気筒は新設計のOHV(95ps)ながらV-8(100ps)は何と1932年(昭和7年)より連綿と造られた旧弊なSVで新型V8エンジンが完成する1953年末までにT型フォードの生産台数を超える1600万基も生産された。グレードはデラックス(下位グレード)とカスタム(上位グレード)の2種で各々にV-8と6気筒が搭載出来た。2つのグレードの外観上の識別点としては、カスタムではボディ左右にサイドモールディングが付くことが挙げられる。
この時代、大衆車フォードでさえ全長は5mを越えていたのに対し、日本では1965年にデビューした日産プレジデントでさえ(1960年代当時は日本でも随分と大きなクルマが出来たものだと驚いたものだが)、何とかこの時代のフォードに近いサイズというレベルだったのである。このような巨大な自動車を戦前から量産していた国力に雲泥の差があるアメリカに真珠湾で挑んだ大日本帝国の愚かさは言うまでもないことであろう。
【中頁から】
フォードマチックAT新採用
悪路走破性も良い
43の改良点とシャシー
車種バリエーション
2ドアセダン
クラブクーペ
4ドアセダン
ビジネスクーペ
コンバーチブル
木目張りステーションワゴン「カントリースクワイアー」
ツートン塗装のスペシャリティグレード「クレストライナー」。51年後期に2ドア・ハードトップ「ヴィクトリア」がデビューし入れ替えられため、このクレストライナーは51年前期のみの生産に終わった。
ダッシュボードには夥しい数の丸型メーター。
リアビューは1957年にデビューしたトヨタの初代コロナST10型がパクっている。
V-8と6気筒の2種のエンジン
高品質な造り
スペック
裏表紙
★オマケ(その1): 萬代屋(現バンダイ) 1/20スケール 1956年トヨタパトロール(BH26/FH26型)
これは前にもご紹介していますが、今回の記事で実車写真をアップしたので再度ご紹介します(画像は撮り直しています)。全長21cm。ブリキ製。萬代屋品番543。当時定価:不明(調査中)。フリクション駆動。実在する国産パトカーの恐らく最初のモデル玩具。ボンネットサイドのビュイックのような3連楕円のスリットやノーマルとは異なるフロントグリルも忠実にモデル化された萬代屋の傑作。旧字体の警視「廳」の文字にそそられます。本体は実車同様のノーマルのクラウンとは異なるグリルが付いていますが、箱絵のフロントグリルはノーマルのものが描かれています。さすがに実車のように大きなエンジンを搭載するためのフロント部分の延長まではされておらず、ボディサイズはノーマルのクラウンと同一です。姉妹モデルとして、このパトカーと同じBH26/FH26のディテールで赤十字マークを付けた白一色の救急車仕様も同時期に市販されています。
【2017年 評価額】 45~70万円程度(箱付き美品の場合)。国産パトカーの玩具の中で入手難易度の高さではトップレベルにあり、大盛屋の横目セドリック警視庁パトカーより市場に現れる数は少なく、とにかくモノが出ないので相場的な価格はあってないような品物。100万と言われれば、それでも納得出来るレベルのレアモノと言える。
警視庁の丁が実車同様に旧字体の「廳」であることに注意
★オマケ(その2): トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ1/64スケール 1959年トヨタ パトロールFS20型(警視庁パトロールカー・移動電話車)
全長7cm。ダイキャスト製。定価:各税抜2500円。品番:警視庁パトカーLV-166a、移動無線車LV-166b。2017年8月発売の新製品。クラウンベースのパトカーのモデル玩具は初代観音の時代からリアルタイムにも沢山出ていますが、実車通りにフロントオーバーハングを延長して造られたのはこれが初めてでしょう。比較写真の通りTLVでは東宝名車座デラックスとしてノーマルクラウンを白黒に塗り替えただけの愛知県警パトカーを出していますが、全長は3~4mmも短い67㎜前後です。
クラウンノーマルベースのパトカーとの比較
★オマケ(その3): 1951年フォード テレビCM
1950年の半ばあたりから流されたと思われるテレビCM。前輪独立サスで悪路走破性の良いことが強調されている。日本でのテレビ放送は1953年(昭和28年)2月1日開始のため、日本では未だテレビが存在しなかった時代のCM。
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★1951年フォード 成功した最初の戦後型 観音クラウンパトカー ~自動車カタログ棚から 357
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