★ヤッホー!
コケコッコー!
って、誰が夜に鳴く変なニワトリなんですか!
と冗談はさておき、昨日は半日バンドのスタリハをしてたのですが、バンドのメンバーから幾つかの曲のキーを半音下げてとのオファーがきてちょいと参ったのでした。
大抵のフレーズはギターの場合だと、例えばキーをDからD♭に変えても鍵盤楽器と違って基本フレットを一つずらすだけで簡単に弾けてしまうのですが、開放弦を生かしたフレーズの場合だけはかなり困ります。
キーを上げる場合はギターではカポを使うという手もありますが、キーを下げる場合で元々開放弦を生かしたフレーズだった場合には仕方なくイチからフレーズを創りなおしてしまうこともあります。
★閑話休題
前回の記事は殆どの読者の方には関心を持ってもらえそうにない戦前のクルマでしたので、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第288回として1960年代の日本車をピックアップします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★1965年(昭和40年)10月にデビューした2代目130型セドリックは2代目410ブルーバードと同様にピニンファリーナの尻下がりの個性的なデザインが不評で毎年外観のマイナーチェンジを繰り返し日本人には個性的に過ぎるイメージの払拭に努めていたが(本シリーズ第264回記事参照)、デビューから3年を経た1968年(昭和43年)9月に至り内外観共にオリジナルデザインの面影を残さない程のビッグマイナーチェンジを受けた。
三栄書房刊「国産車100年の軌跡」等、これを3代目セドリックとして扱う文献もあるが、基本設計が変らず型式名称が130のままであることから現在では一般に2代目130セドリック後期型と言われる車両である。
この大手術により2代目130セドリックは1971年(昭和46年)2月に3代目230セドリックにバトンを渡すまでデビューから5年4ヵ月の命脈を繋ぐこととなった。5年4ヵ月という時間は現代の感覚では短いようにみえるが、1960年代後半の国産車の世界で陳腐化に耐え5年以上のモデルライフを送ることは容易いことではなかった。例えば3代目50系クラウンは途中イメージを大幅に変えるマイナーチェンジを経たにも関わらず1967年9月~1971年2月と僅か3年5ヵ月で生産が終わっているのである。
【2代目130後期型セドリックの変遷】
(1)1968年9月5日 ビッグマイナーチェンジ
・ラインナップ8種(バン・ワゴンを除く) ※括弧内は車両型式
①スペシャル6(H130)・・・L20型115ps
②スペシャル6Bタイプ(H130B)・・・L20型105ps
③カスタム6(H130V)・・・L20型105ps
④デラックス6(P130)・・・J20型100ps
⑤パーソナル6(P130S)・・・J20型100ps
⑥スタンダード(130S)・・・H20型92ps
⑦L.P.G.(130P)・・・H20型80ps
⑧ディーゼル(Q130)・・・SD20型60ps
・内外観の大幅変更
・ボルグワーナー・フルオートマを、その後長寿を誇った日産製3N71型フルオートマチックトランスミッションに変更。
・安全装備の充実・・・・・2系統式ヘッドランプ、オートアジャスト付リアブレーキ、2点式前席シートベルト、可倒式フェンダーミラー、衝撃吸収ステアリング等(一部オプション)。
・快適装備の充実・・・・・パワーステアリング、パワーブレーキ、クーラーのメーカー・オプション設定。
(2)1969年10月20日 マイナーチェンジ(出力向上および車種追加整理)
・ラインナップ10種(バン・ワゴンを除く) ※括弧内は車両型式
①スペシャルGLツインキャブ(H130MH)・・・L20型130ps
②スペシャルGLシングルキャブ(H130BMH)・・・L20型115ps
③スペシャル・ツインキャブ(H130)・・・L20型130ps
④スペシャル・シングルキャブ(H130B)・・・L20型115ps
⑤カスタム(H130V)・・・L20型115ps
⑥パーソナルDX(H130G)・・・L20型115ps
⑦パーソナル(H130S)・・・L20型115ps
⑧スタンダード(130S)・・・H20型92ps
⑨L.P.G.(130P)・・・H20型80ps
⑩ディーゼル(Q130)・・・SD20型
・全てのグレード名称から6気筒を誇示してきた「6」(six)が消える。
・パワーウインドやパワーステアリングを標準装備した最上級グレード「スペシャルGL」(Special Grand Laxury)を追加
(3)1970年6月22日・・・・・日産製3N71型オートマチックトランスミッションをコラムからフロアセレクターに変更
(4)1970年9月? ・・・・・レザートップやステアリングとシフトレバーの本革カバーを装備したパーソナル・デラックスVを追加
【主要スペック】 1968年 日産セドリック スペシャル6 (1968 Nissan Cedric Special6) H130型
全長4690㎜・全幅1690㎜・全高1455㎜・ホイールベース2690mm・車重1310kg・最低地上高185mm・FR・L20型1998cc水冷4サイクル6気筒OHCエンジン・最高出力115ps/5200rpm・最大トルク16.5kgm(4400rpm)・圧縮比9.0:1・変速機3速OD付コラムMT・前輪ディスクブレーキ・乗車定員6名・最小回転半径5600㎜・電装系12V・タイヤ前後共7.00-13/4PR・最高速度160km/h・東京渡店頭渡価格114万2000円
●1981年の路上で見た1968年セドリック
ジョン・レノンが亡くなった翌年、1981年(昭和56年)5月3日の撮影。撮影場所は長野県塩尻市北小野の小野神社前。木曾森林鉄道の廃線跡の撮影に行く途中で写した1枚。千葉56ナンバーの130セドリックのグレードはビッグマイナー直後のスペシャル6のようだ。右フェンダーミラーが非純正品に替えられている。当時21歳だった私がちょっと珍しいと思った車に習慣的にカメラを向けて残しておいた1枚で130後期も生産終了から10年以上を経た1980年代初頭の路上ではかなり珍しい存在となってきていた。右には1973年最終型いすゞベレット、左には1977年5代目コロナが写り込んでいる。当時8年落ちのベレットは私が25歳の時にポルシェ911を買う前に乗っていた車。
●1968年9月 日産セドリック 簡易カタログ (縦26×横26cm・3つ折6面)
バン(V130)・バン6(VP130)も掲載された総合簡易カタログ。中面は本カタログの写真が使い回されている。
【中面から】
上:スペシャル6、下:第5回日本グランプリで優勝したR381とレーシーにカスタマイズされたパーソナル6
上から、カスタム6、デラックス6、パーソナル6、スタンダード
一新されたインパネ
裏面: スペック
●1968年9月 日産セドリック 本カタログ (縦32×横26cm・40頁)
【中頁から】
スペシャル6 フロント
スペシャル6 リア
スペシャル6前後
カスタム6とデラックス6
パーソナル6
スタンダード
一新されたインパネ周り
エンジン3種(L20とJ20)
ボディカラーは11色
スペック&図面
●1969年10月 日産セドリック 本カタログ (縦30×横25cm・38頁)
マイナーチェンジ。出力アップとスペシャルGL等の新グレードを追加。これ以降の本カタログにはタクシーの行燈を付けたディーゼルの写真も掲載されている。よく見ると白い表紙には「New Cedric」の文字が浮き彫りされている。
【中頁から】
扉頁にはアップした馬力、130ps、115psが誇示されている。
新グレード「スペシャルGL」
スペシャルGLフロントシート
スペシャルGLリアシート
スペシャル6と美女
美女のアップ画像
リアビュー
スペシャル6とカップル
カスタム
パーソナルDX
パーソナル
スタンダード及びディーゼル
タクシー行灯を付けたディーゼル
●1969年10月 日産セドリック パーソナルデラックス 専用カタログ (縦30×横25cm・16頁)
同時期の白いクラウンと同様に上級オーナードライバーを狙った白いボディをイメージカラーとしたグレード。
【中頁から】
太陽が眩しい妙に明るい写真ですが、バックはどこの山でしょうか。
リアビュー
フルリクライニングするシート
どこの湖でしょうか。
白を含むボディカラー8色&図面
●1970年6月 日産セドリック 本カタログ (縦30×横25cm・34頁)
オートマチックをフロアセレクトに変更。1969年10月版カタログと基本的には同じながら、スペシャルGLのフロントのGLエンブレムがグリル中央に移るなど小変更されている。このカタログもよく見ると茶色い表紙には「New Cedric」の文字が浮き彫りされている。
【中頁から】
スペシャルGL
GLのエンブレムがグリル中央に移動した。
フロアセレクトのオートマに変更
●1970年9月? 日産セドリック パーソナルデラックスV 専用カタログ゙ (縦30×横25cm・2つ折・4面)
130後期の最後に追加された個人ユーザー向けグレード。現在の特別仕様車のような位置付けだったと思われる。レザートップ、アームレスト兼用センターコンソール、パワーアンテナ、最高級専用フロアマット、ステアリング及びシフトレバーの本革カバー等が追加されたパーソナルデラックスV。「V」は、「Victory(勝利)」「Vivid(溌剌)」「Vacation(余暇)」のイニシャルVにちなんだネーミングである旨が記載されている。登場する超ミニの女性が1970年代初頭という時代をよく表わしている。
【中面から】
女性は超ミニ
室内
パーソナルデラックス「Ⅴ」の由来
Ⅴの特別装備
●1969年? ダットサン2300 スーパー6&パーソナル6 リーフレット (A4判・英文・表裏2面)
2263cc123psエンジンを搭載した130後期セドリックの輸出仕様リーフレット。表面には「distinctively yours…the big DATSUN six」(独特なあなたのための大きなダットサン6)のコピー。右ハンドルのままであることから北米向けではなさそうだ。
裏面: パーソナル6
★オマケ(その1): 米澤ダイヤペットNo.D-186番&ダイヤモンドミニカーK-1番 1/40スケール 1968年日産セドリック スペシャル6
何れも全長11.5cm程度の米澤玩具発売のミニカーで定価500円。青メタのダイヤペット186番は1969年9月発売のずっしりと重いアンチモニー製でボンネット開閉アクション付、クリームと空色のダイヤモンドミニカーK1番は実車が230型にフルチェンジした後の1971年5月発売の香港で造られたダイキャスト製で前ドア、ボンネット、トランク開閉アクション付。
何れも1968年9月のビッグマイナー直後のスペシャル6のモデル化。初代ローレルのセダンとハードトップなどと同様にこの130後期型のセドリックも米澤玩具がダイヤペット・ブランドで同じ車種を重複して出していたのは、米澤社内での企画調整ミスだったのか理由は不明です。アンチモニー製の186番の方がグリルの彫りなどが繊細で数倍出来が良く重厚感もあります。でも同じ値段でこの2台が店頭に並んでいたらドアなどが沢山開く香港製を手に取る子供の方が多かったのかもしれません。
186番は1969年10月発売の191番のスバルFF-1あたりと共に大盛屋時代からのアンダーメッキを生かした製法で造られた最終期のアンチモニー製品。ダイヤペットも1970年以降はグリル等にプラパーツを多用したダイキャスト製に統一されてしまう。カラーバリエーションは186番が青メタ、赤、クリーム等、K-1番が空色、赤、クリーム等。130後期型は近年、トミカリミテッドヴィンテージで1/64スケールのミニカーが出ています。
香港製K-1番は前ドア、ボンネット、トランクが開閉
K-1番の下箱には「MADE IN HONG KONG」のスタンプが押されている。
★オマケ(その2): 大都会PART2
1977~1978年、石原プロモーション制作のテレビドラマ。亜里沙さんからコメント戴いた130後期(前期も)が登場するドラマ。松田優作が出演していることでもポイント高いです。残念ながら昔のブートビデオのように画質はかなり悪いですが結構楽しめます♪
↧
★1968年 130セドリック後期型 ビッグマイナー 大都会 ~ 自動車カタログ棚から 288
↧